野呂芳男「最近のウェスレー研究」1959年

Home  >   Archive  /  Bibliography


最近のウェスレー研究



野呂芳男


初出:『興文』キリスト教出版協会、1959年8月号、8−9頁 。
 



 日本においても本格的なウェスレー研究のきざしがみえているが、今世界の神学界でどのようなウェスレー研究がなされているかを一瞥してみたい。

 ウェスレーの著作は今から百年程前に Thomas Jackson によって編集された全集の中に入れられているが、しかし本格的なウェスレー研究が始まったのは Nehemiah Curnockならびに John Telfordの功績であるといえる。すなわちCurnock はウェスレーの Journals(信仰日誌) を編集し八巻にして出版し、また Telford はウェスレーの書簡集を編集し、これも八巻として出版している。このようにして標準版と言われるようなウェスレー研究の為の定本が出来上がるに至ったのである。たとえばロンドンの Epwoeth出版社から出ている Notes upon the New Testament (新約聖書注解)また、Sugden の編集したウェスレーの標準説教集 (Standard Sermons)、最近には Zondervan出版社から Jackson版の全集の写真版による再出版が行われているが、これらも皆標準的なものである。このようにして我々は既に一応ウェスレー研究の標準的な第一資料を持っていると言える。

 伝記では既に定評のある Tyerman のものが今もなお読まれているが、我々が見逃してはならない最近のものに Martin Schmidtというドイツのウェスレー研究家によるウェスレー伝がある。これはまだ完結していないけれども、これが完結した暁には英語以外で書かれたウェスレー伝の標準的なものになるだろうといわれている。ウェスレーの伝記的研究の分野では特に彼の回心に至るまでの時期の研究が多くなされている。上にあげた Schmidt は既に二〜三の立派なこの方面における研究をも発表している。

 ウェスレー神学の研究は1935年に出されたボストン大学の教授 Geoge Cell による Rediscovery of John Wesley が画期的なものであった。勿諭それ以前に決してウェスレー神学の研究がなされなかったと言うのではない。しかし Cell の研究はそれ以後のウェスレー研究に一つの方向を与えたのである。それはカルヴィン的なものとカトリック的なものとの融合としてウェスレー神学を理解しようとする方向である。Cell の起こした波紋は単に英語の世界だけにとどまらなかった。たとえばスイスの David Lerch の研究の発表、また最近におけるスウェーデンの神学者 Harold Lindstroem の Wesley and Sanctification という研究等々、多数の研究書が色々な国語によって発表された。我々が Cell 以前の書物として、しかも非常に立派なウェスレー研究としてあげなくてはならないものにはカトリック側から出された Piette による La reaction Wesleyenne dans levolution Pretestante という書物がある。その他、名前をあげるならば英語でウェスレー研究を書く主な人々には Newton Flew, Franz Hildebrandt, Henry Bett, E.Rattenbuy 等がある。

 彼の神学の分野で今もなお多くの興味を惹くのは義認と聖化の問題であり、完全の問題である。この点に関しての Flew, Sangster 及び Lerch の研究は忘れることの出来ない業績を残しているといえる。しかし私は特に Lindstroem の研究を高く評価したいと思う。著者はウェスレー神学の中心点が聖化論にあるという角度から、もう一度、義認論をふり返ってウェスレー神学を全体的に把握しようと努力している。更に彼の研究の中で興味を惹かれるのはウェスレーにおける愛の問題の研究である。周知の如きスウェーデンのルンド神学によるアガペーとエーロスの研究に対して彼がどのような角度からウェスレーの愛の理解をとりあげてゆくかというと、もう一度アウグスティヌス的な理解をウェスレーにおいて見出し、そこにウェスレー的なアガペーに対する考え方の特徴を掴もうとしているのである。この問題は大きな神学上の問題でもあり、ウェスレー研究における興味ある一つの点でもある。

 次にはウェスレーの教会論ならびに礼典論に関して多くの著作をなした人として Rattenbury をあげる必要がある。著者はウェスレーを礼典に関する限り高教会的態度を堅持した神学者とみている。メソヂスト運動は彼によればいわゆる聖霊運動ではなく、むしろ礼典復興運動であったという。このような彼の主張は多くの人々の賛成を得ているのであって、新しい研究の分野を開拓したものとして評価されている。

 ウェスレーの神学はよく体験主義であるといわれている。このウェスレーの体験主義については多く書かれたのであるが、このウェスレーの体験主義を神学的に掘り下げ、ウェスレーの神学的認識論をさぐった者はいまだないと言わざるを得ない。しかしウェスレーの体験主義的神学というものは単なる聖霊運動、聖霊主義的福音の理解とは異なっているように思われる。むしろこのウェスレーの体験主義を最近問題になっている実存論的な福音の理解と結びつけていく方がウェスレーの神学的認識論を評価する正しい方向ではないかと私は考えている。勿論この問題との関連で彼の予定論への態度であるアルミニアニズムが再評価されるべきである。

 この他にもウェスレーより出発したメソヂスト運動と英国の経済及び政治の近代史との関係を研究した書物は無数にあるといってよい程である。

 ウェスレー研究は今や世界的な規模に広がり、良い労作が多数出版されたし、今もなお出版されつつある。この時にあたり、渡辺善太博士を委員長として、日本におけるウェスレー研究の為にウェスレー著作集刊行会が発足したことは私のみならず多くの人々の喜びとするところであると思う。今年(※入力者註、1959年)の終りには第一回の発刊がなされる予定である。この著作集は今迄になされた英国を中心にしたウェスレー研究の基礎の上に立っており、標準的な定本を使い、ウェスレー著作の中の最もよきものを集めて出版するものであって、これは恐らく日本におけるウェスレー研究の定本となるものであろう。


> TOP


入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/

2003.5.31