野呂芳男「現代英国の神学者たち」1965

Home  >   Archive  /  Bibliography

世界の神学の潮流
現代英国の神学者たち



野呂芳男



初出『福音と世界』1965年12月号、新教出版社、64−70頁





一つの国の神学の全般にわたった紹介を小さい論評の形で行なうことは元来不可能であるが、特に英国神学のように多様性に満ち、また、動的なものについてそれをなすことは無理である。それに私がその仕事に適任であるとも思えないが、新教出版社の方々の強いおすすめを受けたので書くことにした。従って、私が興味をもっている英国神学の側面が強調されてしまうことはお許し願いたい。







 日本の神学界の親しんできたドイツ神学と比較してみると、ドイツ神学の主な関心事が神学方法論の確立であり、その確立の結果、神学の内容である教理が、どのような形態で思索されなければならないかを探求する方向を辿っているように思われるのに対して、英国神学の関心事は逆の方向、すなわち、教理から方法論を問題にするという傾向が目立つ。勿論、内容と方法論は明確に分けられるものでもないし、分けてはならないのであるけれども、一応、以上のような強調の差異があるのは見逃せない。これは恐らく、ドイツ神学が大学の神学部中心であることに対して、英国神学がどちらかというと教会の礼拝、特にその祈祷書に表現されている典礼による生活から出発しているからであろう。それ故に、理想的に言えば、ドイツ神学と英国神学との両方の特徴が有機的に結合されることが良いと言うことになるだろう。そして、この差異がまた、英国神学が、その一部であるスコットランド神学及びプロテスタントの非国教会派(聖公会以外の教派)の神学を除いて、ドイツの近代の神学隆盛という事態にも拘らず、内容的には殆どドイツ神学の影響を受けてこなかったという事情の説明にもなる。後述するように、第二次世界大戦後は事情が大分違ってきたようであるが。







英国神学は伝統的に、啓示の書物である聖書と理性と教父たちの書物という三つの柱の上に載ってきたとよく言われる。このことはスコットランド神学や非国教会派の神学についても相当程度当たっている。その場合、教父たちへの依存を通してプラトン主義の影響が、強く英国神学の中に流れ込んで来ており、聖書や実在を解釈する理性作用が、プラトン主義的になっている。この点で特にわれわれの興味を引くのは、聖公会の教職であったが後にローマン・カトリック教会の枢機卿になったジョン・ヘンリー・ニューマンである。大陸のカトリシズムがアリストテレス哲学に依存したトマス主義が主であるのに対して、ニューマンはむしろプラトン的であった。彼のプラトン主義は、その「同意の上昇的階梯」(graduated scale of assent)という思想に現われている。ニューマンは信仰の確かさ(certitude)と命題が正しいという確かさ(certainty)とを区別し、前者に表現されているような心の習性から生まれている同意は、下の階梯にある命題への同意とは異なると主張する。信仰の同意は、一つ一つ取り上げれば論理的な確かさ(certainty)をもたない実在の断片の理解すなわち蓋然性(probability)しかもたないものの集積が全体的に捕えられて一つの心の習性を作り、神の存在への同意を生み出したものである。ここにはトマスがアリストテレスの哲学を援用して行なったあの現実を観察することから出発して客観的に神の存在を証明するという方法は見られない。むしろ、蓋然的なものの集積を統一する心の中にある内在的なもの、人間に本来存在するものへのプラトン的な訴えが見られる(Newman, John Henry : Apologia pro vita sua, London, J.M. Dent〈Everyman’s Library edition〉1946, pp.43-45, p.186)。

英国のローマン・カトリック神学のプラトン主義的傾向は、カトリック・モダニズムの指導者の一人であったフリードリッヒ・フォン・ヒューゲルの中に、ジェノアのカタリナの新プラトン主義的神秘主義への傾倒となって力強く生きつづけた(Huegel, Friedrich von : The mystical element of Religion, 2 vols., London, J.M. Dent, 1927)。しかし、今日のローマン・カトリシズムの代表的神学者ダーシーは明白にトミズムの立場に立っている(D’Arcy, M.C. : St. Thomas Aquinas, Westminster, The Newman Press, 1953)。

聖公会の二人の代表的神学者であるチャールズ・ゴーアとウィリアム・テンプルをとっても、自覚的なプラトン主義者であった。しかし、二人のプラトン主義はそれぞれその色彩を異にしていた。ゴーアは人間の道徳的体験という角度からプラトン主義を採用した。彼は、人間の道徳性に自分はきわめて悲観的であると言い、この罪によごれた現実はそのままでは神の喜ぶ世界ではなく、プラトンの主強したように真・善・美の世界は現象界を超越したものであるとした。このような道徳体験を主にして人類の宗教史を考察する時に、どうしても人格的な聖愛の神の啓示を土台にしているキリスト教の福音によらなければ、人間の良心は満足を得ないと結論した。プラトン的な内在的な良心への訴えが、ゴーアの認識論の中核をなしている(Gore, Charles : Belief in God, New York, Charles Scribner’s Sons, 1923 ; ― : The philosophy of good life, London, J.M. Dent〈Everyman’s Library edition〉1954, pp.199-201, pp.99 ff.)。

テンプルは、どちらかというと、真・善・美という超越的なものが現象界の中にその影をまがりなりにでもおとしているという角度からプラトン主義を採用した。真の追求とは、現象の中に存在する共通なもの、法則的なものの探求であり、美の追求とは、現実を構成する個々のものを、個別的に独自なものとして見る。すなわち、他と区別されるユニークな要素の把握である。それに対して、善の追求とは、社会に生きる人間のもつ倫理という共通的な、法則的なものとともに、一人一人の人間のユニークなものを生かすという個別的なものの探求である。その場合に、共通の法則的なものの追求と個を生かすことの追求という二つの良いものの追求が、相互に矛盾対立することがあるのであって、テンプルはそれを現実の中の悲劇的要素と名づける。テンプルによると、悲劇が解決不可能であれば、それは絶望に終わるのみであるが、それでは人間は生きられない。むしろ、歴史に内在する永遠の構造――それが具体的に時間内に表現されたものこそ、ロゴスのイエスにおける受肉であるが――は、十字架から復活へ至る体験、死んで生きるという体験を可能にする(Temple, William : Mens creatrix, London, Macmillan, 1949)。このようにテンプルは、現実の中に統一と合理があり、それを解く鍵がキリストであることを主張したのだが、後にカンタベリーの大司教の地位を占めたこの大人物が、1939年に自分の神学的立場が根本的に誤っていることを認めた。結局先輩のゴーアの現実に対する悲観的見解から来たあの啓示の強調が正しかったとテンプルは断言した。

 われわれはテンプルの謙遜に感動するとともに、英国神学の推移にも気づかなければならないだろう(Ramsay, ArthmM.: An era in Anglican theology, New York, Charles Scribner’s Sons, 1960, pp.159-161)。テンプルが現実の中に、十字架の後に復活の体験があり得ることの保証を客観的に発見しようとしたことが、結局は彼の神学を破産させたのであるが、われわれが見落としてならないことは、彼がプラトンに倣って、超越的な善の追求が社会や国家の倫理に影響するものとし、その立場から、個人倫理と社会倫理との有機的な関係を主張して、政治の世界をマキアヴェリズムに渡すことを拒否したことは記憶されねばならないだろう。彼やその他の同傾向の人々が今日の福祉国家としての英国を造り上げるのに随分大きな力であったのである。

 英国神学の移り変りにちょっと触れたが、これは大陸の神学がバルト神学を生み出したと同じような事情がなさしめた業であり、バルト神学の直接の影響ではない。カール・バルトの影響は雰囲気的には伝わってきていたが、少なくとも聖公会の神学に対しては、その力は小さいし、スコットランド神学に対する影響力が強くなったのは戦後においてである。

 ホスキンス(Edwyn C. Hoskyns)がバルトの「ローマ人への手紙の講解」を英訳したことは著名であるが、しかし、このことはホスキンス自身の神学にさえ、それ程大きな影響を及ぼしていない。一寸触れたように今日のスコットランド神学においては少し事情が違ってきており、エディンバラ大学のトランス(T. F. Torrance)たちへのバルト神学の影響は大きい。そうは言っても、われわれはベイリー兄弟、特に兄のジョン・ベイリーが、むしろ聖公会の人々の立場に近く、死ぬまで根底的にプラトン主義者であり続けたことを忘れてはならないだろう(Baillie, John : Our knowledge of God, New York, Scribner’s Sons, 1934)。また、組合派のフォーサイスが、よくバルト以前のバルトと言われるように、プロテスタントの非国教会派の神学者たちに、バルトに代わるような影響を与えているという事情もわれわれは見落としてはならない。フォーサイスは日本の神学界にも知られているように、バルトとは違い英国人らしく体験を重んじ、啓示と体験とを循環させて把握しているが、啓示の強調においてはバルトと共通する面をもっている。現在フォーサイスの流れに立つ神学者としてはウェールをあげておこう(Whale, John S.: Christian doctrine, Cambridge, The University Press, 1952 ; ― : Victor and victim, Cambridge, The University Press, 1960)。







聖書の歴史批評学が英国神学に与えた影響を考えてみると、英国神学がどちらかというと教理の内容から神学方法論を検討するという事情が、よく表現されているように思う。聖書の歴史批評は主に、ダーウィンの進化論と創造論、特にそれとの関連での原罪説との関係や、聖書の記事の歴史的背景の研究から生まれてきた問題の、史的イエスはどういう仕方で神の子の受肉であったかという問題との関係で論じられた。

 伝統的な原罪説によると、アダムの堕罪以前の人間は汚れのない存在であったが、堕罪後は汚れてしまった。換言すれば、それは善から悪への方向を辿っている。ところが、進化論の前提を受け入れると、人間の未来に追求すべき明るい境地があり、過去はむしろ暗黒である。進化論の前提を受け入れた上で罪の理解をもう一度考え直そうという試みがテナントによってなされた(Tenant, F.R.: The origin and propagation of sin, Cambridge, The University Press, 1902)。テナントは、罪とは人間進化の段階に追いついて行けない、人間の時代錯誤的弱さであり、それが社会的な影響力を形成して、次の世代にも滲透して行く事態が原罪という言葉で表現されている事情であるとした。

 書物全体が歴史批評学との関連でその当時の若い世代の聖公会の神学者たちが自分たちの立場を明らかにした論文集「世の光」(Lux Mundi) の中の附録の論文においてゴーアは、テナントの立場に相当するような思想を念頭において、彼の罪の理解を発表している(Lux Mundi, edit. by Charles Gore, London, John Murray, 1899, 15th edition, pp.387ff.)。それによると、人間の罪の暗い現実とその罪への人間の責任は、罪を人間進化の途上の時代錯誤的産物として理解することを許さない。ゴーアも、それが生物学的真実である限りにおいて進化論を受容する訳であるが、進化するのは人間の知的・身体的面であって、道徳的面ではないとし、進化の途上のある歴史的地点で実際に、歴史的に人間の道徳性に消すことのできない歪曲が起こったとする。それ故に、ゴーアは創世記の堕罪物語を単なる神話と考えることを拒否した。

 今日の世代の若い神学者たちから見れば、ゴーアの歴史批評に対する態度は随分保守的である。もう一つ彼の保守的な歴史批評の例を上げるならば、彼が歴史批評学の方法論に立って処女降誕を守ろうとした事実もそうだろう (Gore, Charles : Dissertations on subjects connected with the incarnation, New York, Scribner’s Sons, 1895, pp.3-70)。しかし、あの当時においては、ゴーアの立場は非常に進歩的なものと見なされていたのである。それでは、ゴーアは根本的にどういう態度で歴史批評学と取り組んだのか。前掲の「世の光」にゴーアは「聖霊と霊感」(The Holy Spirit and inspiration) という論文を寄せているが、その中の重要な主張の一つは、聖書は教会の中で働いて下さっている聖霊の導きによって読まれねばならないということであり、そのことは具体的には、教会の古典的信条と関連させて読むということであった。

 ここに一つのエピソードを挿入しておくのも面白いであろう。それは、ニューマンが聖公会の教職にあって苦悩し遂にローマン・カトリシズムに改宗した動機が、実にゴーアに見られるような聖書と教会との関係に対するニューマンの懐疑からであったという事実である(Newman : op. cit., pp.153-155, 184-185, 220-221)。ニューマンはこの問題についての思索の結論を、「発展の原理」(principle of development)という言葉によって表現した。聖書の中に潜在しているものが、教会の歴史の中でだんだんと芽を出し、成長して教理を形成するのである。ニューマンは、ゴーアにおいてわれわれが見てきたような聖書解釈の基準としての古典信条の尊重は、実はアングリカン的中道(via media)であり、本当の聖書の内実の発展はローマン・カトリシズムであるとした。ニューマンのこの「発展の原理」が、フランスの新約学者アルフレッド・ロアジーに受け入れられ、徹底的な歴史批評がプロテスタンティズムではなく、ローマン・カトリシズムの弁護のために用いられたのは周知の事実である。そして、ロアジーのカトリック・モダニズムのもっとも忠実な友人が英国人のジョージ・ティレル(George Tyrrell)であり、熱心な弁護者がフォン・ヒューゲルであった。ニューマンの原理を応用したこういうカトリック・モダニストたちの方が、聖公会のゴーアよりももっと徹底した聖書の歴史批評に立ったのである。そして、皮肉な現象であるけれども、アルバート・シュヴァイツァー以後に始まったプロテスタンティズムによる自由主義神学の歴史批評の棄却は、聖書批評に関する限り、プロテスタンティズムをゴーアにではなく、カトリック・モダニストに近づけているのである。

 歴史批評との関連で、もう一つ英国神学界を賑わしたのは受肉論であった。論議の発端は、これもまたゴーアの「世の光」の中の前掲の論文、しかも、その註におけるキリスト論への言及からであった(Lux Mundi, p.265)。そこでゴーアは、イエス・キリストの知識が全く人間のそれであって、神本来の全知は受肉によって制限されたとなした。神の受肉における自己謙虚であり、いわゆるケノーシス・キリスト論と言われているものの提唱であった。このゴーアの立場については賛否両論が表明されたが、反対を表明した神学者たちの意見のうちわれわれが注目すべきものと思われるのは、トミズムに立つアングロ・キャソリックの神学者マスカルとテンプルのそれである。マスカルの反対は、受肉は本来、神性の若干を放棄したり制限したりして人間性に適応させることにその意味があるのではなく、むしろ、神性が人間性をご自分の中にとり入れ、時間が永遠化され死すべき人間性が不死の性質を与えられるところにある、という彼の主張からきている。これはマスカルの高教会主義的教会論と密接不離の主張である。イエスの人間性は普遍的人間性そのものであって、他の個々の人間の存在の根底をなすものである。そして、復活のキリストの身体たる教会こそ、実に受肉によって不死の人間性へと神性化されたイエスの人間性なのである。このように受肉論は教会論の基礎をなすものであり、人間はその教会に結合されることによって、具体的には礼典や説教を中心とした交わりを通して、神性化の救いを獲得するとマスカルは主張する。従ってマスカルにおいては、神の自己謙虚ではなく、人間性が神性に取り入れられることが受肉である (Mascall, E.L.: Christ, the Christian and the Church, London, Longmans, 1946, particularly pp.25-28, 109-117, 201-221)。テンプルの反対はそのロゴス論からきている。永遠のロゴスがその人間性を超越する属性を制限したり放棄したりして、ご自分のすべてをイエスにおいて人間性の中に投入されたとするならば、その受肉の期間中、宇宙のロゴスによる創造的支配はどうなるのかと言う訳である (Temple, William : Christus veritas, London, Macmillan, 1949, pp.142-143)。テンプルのキリスト論も、神性が人性を受け入れたという方向での解釈を採用したのである。

 ゴーアとそれぞれニュアンスが異なっていたが、ケノーシス・キリスト論の有力な弁護者たちがスコットランドに出現した。エディンバラ大学のニュー・カレッジの組織神学の教授マッキントッシュの名著「イエス・キリストの人格の教理」(Mackintosh, H.R. : The doctrine of the person of Jesus Christ, Edinburgh, T. & T. Clark, 1912)がそうであるし、フォーサイスの「イエス・キリストの人格と位置」(Forsyth, P.T. : The person and place of Jesus Christ, Boston, The Pilgrim Press, no date) もそうである。特に後者はフォーサイスの神学者としての名声を不朽ならしめたものであった。フォーサイスはこの書物の中で、聖書の歴史批評学全体に対して、組織神学者はどういう態度をとらなければならないかを書いた。当時は、イエスの宗教とイエスについての宗教とが相互に不調和であり対立するものであるという批評学的立場が通俗化されていた。フォーサイスは、共観福音書のイエスの言葉の中にもイエスについての宗教と同質のものがあることを指摘しつつ、しかしもっと根本的に、イエスについての宗教は、イエスご自身が聖霊によってなされたご自身の生涯の意味の死後解釈であるとし、当時の批評学の結論と対決した。そして、共観福音書のイエスの姿が、必ずしも超人的な知識や力をもっていた存在ではない事実を、神の子の自己謙虚による受肉によって説明した。しかし、ここでわれわれはフォーサイスの独創性に出合うのである。彼は教義の道徳化(moralising of dogma)を主張してケノーシス・キリスト論の土台を形造る。神の属性である全知や全能を、イエス・キリストの出来事を通して埋解しようとする。それらの属性は形而上学的に考えられねばならないのであって、神の聖愛を本質とするキリストの贖いの業から考えなければならない。全能は何でもできるということではないし、全知は何でも知っているということではない。それらは、人間の救いのために何でもできるし、そのために必要な事柄をすべて知っているということである。そうすると、人間を救うために神の子がご自分を謙虚にされるのは、神がその本質に欠乏をもちきたらすことではなく、逆にその本質を豊かにされることになる。







残念ながら私に与えられた紙数はもうつきてしまった。どうしても書かなければ、バランスのとれた近代の英国神学の紹介にならない事柄がまだ沢山ある。例えば原罪論の方面で、聖公会の神学は殆ど見るべき労作を生み出していないのに、スコットランド神学やプロテスタントの非国教会派の神学がこの点で非常な功績があった事実をデイル(R.W. Dale)、キャンベル(M’ Leod Campbell)、フォーサイス、ウェールたちをあげて鋭明したかった。特に、ルターやカルヴィンのそれと違った形の有力な贖罪論としての、キャンベルの懺悔説やフォーサイス及びウェールの犠牲説は注目すべきものだと思う。また、聖公会が、ゴーアやホッジソン (Leonard Hodgson) を初めとして三位一体論において、例えば大陸のバルトたちと異なり、社会的三位一体論の方向に傾斜している事情も書きたかったし、キリスト論及び三位一体論との関係で、神は苦しみを経験し得る存在であるかどうかという議論が、テンプル、フォン・ヒューゲル、ダーシー、ロビンソン(H.Wheeler Robinson)たちの参加でにぎやかであったことも書きたかった。教会論にも触れなければいけないだろうし、メソジスト系の神学者たち、ラップ(Gordon Rupp)、ワトソン (Philip S. Watson)たちの努力によるルター神学とスウェーデン神学の導入、また、倫理の面で貢献のあった聖公会のモーリス(F.D. Maurice)や温健な聖公会のクイック(O.C. Quick)、近代のメソジストの生んだ組織神学者リジェット(J. Scott Lidgett)、また偉大な二人の新約学者、組
合派のドッド(C.H. Dodd)とメソジストのテイラー(Vincent Taylor)にも言及しなければならなかったであろう。しかし、今ははそれらをすべて諦めなければならない。ただ、どうしても今日の英国神学の動向を知るために二人の神学者――その中の一人は他界したが――マカリーと弟の方のベイリーについての言及はしておきたい。







戦後の英国神学は、少なくとも組織神学の分野に関する限り、スコットランド神学が指導的な立場をとっている。ウェールのような例外は認めねばならないが、しかし彼もフォーサイスの影響を考えると、スコットランド神学に入れた方がよいのかも知れない。そして、スコットランド神学が伝統的に、英国神学の中では比較的に大陸の神学の影響を受けてきたものであることを考える時に、バルト及びブルトマンの神学との対話が、今月の活発な活動を生み出しているということも埋解できるであろう。

 主にトランスを中心にスコットランドの神学者たち――イングランドの人々も少数含まれてはいるが――によって書かれた、カール・バルトへの献呈論文集「キリスト論・論集」(Essays in Christology for Karl Barth, edit. by T.H.L. Parker, London, Lutterworth Press, 1956)や、バルトの「教会教義学」の全訳が同じようにスコットランドの神学者たちを中心になされている事実は、戦後の英国神学へのバルト神学の影響を物語るものである。面白いことにこの影響が殆どイングランドには及んでいないのであり、聖公会の神学は依然として独自の歩みを続けているようである。その中、戦後の業績が現われてくるであろう。

 ブルトマンの影響がもっとも強く現われている神学者は、マカリーである。グラスゴー大学の組織神学の教授であったが、今はニューヨークのユニオン神学校に移った。二冊の立派なブルトマンの神学的意味の評価を書いた書物がある(Macquarrie, John : An existentialist theology, London, SCM,1955 ; ― : The scope of demythologizing, London, SCM, 1960)。単なる紹介ではなく英国の現実に密着して、非神話化論を論理実証主義哲学との対話に入らせたりしている。特に最近の書物「二十世紀の宗教思想」(Twentieth century religious thought, New York, Harper, 1963)は、二十世紀の諸思想と対語しながら自分の立場を明確にしようとしているものであって、注目に値する。

 若くして死んだ弟の方のベイリーは、私の見るところでは、最もすぐれた最近の英国の神学者であった。バルト、ブルンナー、ブルトマン等の大陸の神学者たちを十分に消化しながら、決して英国神学の潮流からそれず、却ってそれを発展させた。キリスト論と礼典論のすぐれた二冊の書物があるが(Baillie, Donald M. : God was in Christ, New York, Scribner’s Sons, 1948 ; ― : The theology of the sacraments, New York, Scribner’s Sons,1957)、共に典型的に英国的である。

1937年に出版された聖公会の大司教たちの委託による委員会の報告書によるとキリスト論に関して聖公会は、カルケドン信条のアレキサンドリア学派的解釈とアンテオケ学派的解釈の両方を認めると言われる(Ramsey, A.M.R. : op. cit., p.90)。ベイリーは長老派の神学者であるがどちらかと言うとアンテオケ学派的なカルケドン信条の解釈に立ってキリスト論を形成し、その上でバルトやブルンナーのキリスト論を取り入れ批判し、ブルトマンの非神話化論も消化し、更に贖罪論を構成している。

 キリストの一人格を構成する神性と人性との関係が、われわれの恵みの体験の比論において考察される。神の恵みにとらえられればとらえられる程、人間は主体的決断をなし得るのであって、神性は人性をますます人性たらしめるようになすものである。一人格とはそういう一つの存在のあり方を形成しているという意味なのである。神の恵みの主権と人間の実存的決断が一つのパラドックスとして、イエスにおいて真の人間を形造るように一つの存在の在り方を形成したのである。

 私はベイリーの独創的な贖罪論や礼典論を紹介することを止めるけれども、ベイリーにおいて、伝統的な英国神学の教義への集中的関心が、実に見事に実存論をもとり入れ得るような形で展開されていることを指摘したい。実に高雅な・古典的な香りをもちつつも、現代の方法論的関心及び実存論的関心を内に含み得るのである。彼の書物は地味だけれども、滅多に見られぬ神学的傑作である。ここには内容と方法論のあの理想的統一の典型が見られるのである。

 (英国神学の紹介でありながら、紹介する書物の出版社の多くがアメリカのそれであることは、英国神学に関する私の蔵書がアメリカで集められたという事情からきているので、おゆるし願いたい。)


> TOP




入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/

2003.8.3