野呂芳男「完全論に関する二論文の発掘」1972年

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完全論に関する二論文の発掘



野呂芳男

        



初出:『渡辺善太−その人と神学』渡辺善太米寿記念文集刊行会編、1972年、219−234頁 。






 ジョン・ウェスレーの研究者たちの間でもその存在を忘れられてしまっている文献に、ジェイムズ・W・バッシュフォード(James W. Bashford)というかつてオハイオ・ウェスレイアン・カレッジ(Ohio Wesleyan College)の学長であった人物による『ウェスレーとゲーテ』という1903年刊の著書がある。この表題より明瞭であるが、これはウェスレーとゲーテとの比較研究であり、両者の人間的完全の追求にその比較の焦点を合わせ、その方法としては、各々の思想的発展を組み入れた両者の伝記的叙述という形式を取っている。

 今日のウェスレー研究の標準から見ると、バッシュフォードの著書は決して程度の高いものとは言えないであろうが、共に啓蒙主義の時代であった十八世紀に生きた二人の偉大な人物の比較検討を行なったという事実に対しては、その着眼の良さを評価せざるを得ない。と言うのは、この着眼は我々の意表をついているからである。ウェスレーのキリスト者の完全の教理はアガペーを土台にしたものであり、ゲーテの人間完成の理想はエロースを土台にしたものである、というように普通は考えられている。

 この通常の見解は、十分に学的な根拠をもって展開され得る一つの研究の立場であると思う。ところが、バッシュフォードの研究は、ゲーテを一個のプロテスタントのキリスト者として叙述している。このような立場でゲーテを理解した著名な例としては、ゲーテ賞受賞に当って、1928年8月にフランクフルト市でアルバート・・シュヴァイツァーが行なったゲーテ講演、および他の三つの同様の講演がある(2)。バッシュフォードの書物は、シュヴァイツァーに先駆けること25年であるが、既に1900年代の初めに、神学者の一人がゲーテをこのような角度から見ていたということも、それ程驚くには当らないであろう。それは、基本的にはシュライエルマッハーの見解の踏襲にすぎないからである。しかし、バッシュフォードの如くにゲーテをプロテスタントのキリスト者と見倣した上で、ウェスレーとゲーテとを比較検討するということになると、ウェスレーとゲーテとにおける体験と思想の発展が、質においては同一のものとなる。両者の相違は、程度の差の問題となってしまい、そこでは、前者がアガペー・モチーフの発展としての体験、後者がエロース・モチーフの発展としての体験というような、截然たる区別は不可能である。

 アンダース・ニグレンの『アガペーとエロース』が英訳され、アングロ・サクソンの神学界で愛におけるアガペーとエロースの区別が常識化されるに至ったのが1930年代であるから(3)、当然のこと、バッシュフォードは両概念を使用していない。そこで、ゲーテの体験や思想の発展のモチーフからエロース的要素を完全に追い出すことは不可能であるが故に、ゲーテをキリスト者として理解する以上、バッシュフォードはゲーテを暗黙のうちにアガペーとエロースとの総合という立場から理解したと見倣さざるを得ない。そうすると、ゲーテとウェスレーとが同質の体験をもっていたとする以上は、当然のこと、ウェスレーの体験および思想もアガペーとエロースの総合されたものと見倣すことになる。

 それはさておき、バッシュフォードは具体的に両者をどのように理解しているのであろうか。彼によれば、キリスト教的な人間精神の完成を目指しつつも、ゲーテはそれを文化的教養によって達成しようとしたのに対し、ウェスレーはそれを「信仰を通しての恵みによる救い」(salvation by grace though faith) として把握した。これは少なくともウェスレーの体験や思想をアガペーのモチーフからのみ理解する立場のように受け取り得るバッシュフォードの論述であるが、この論述は程度の差を意味していると理解すべきであることについては再説の要もないし、そのように理解した時にこの論述が正しいものであるという事情は、後述するところから明らかである。

 ウェスレー研究に少しでも親しんできた者は皆首肯するところであろうが、バッシュフォードも、ウェスレーの精神的生活の成長に大別して三つの段階を見ている。1703年のエプワース牧師館での誕生より、母親スザンナの影響の強かった家庭教育、チャーターハウス(Charterhouse)校在学、オックスフォードのクライスト・チャーチ・カレッジ在学を経て1725年に司祭補(deacn)になるまでが第一段階であるが、周知のように、ウェスレーは1725年に神秘主義的諸著作の影響下に回心の体験をもっている。(我々は、これを第一の回心と呼んできた)(5)。第二段階は、この回心の時期より、父サムエルの司祭補としての働き、司祭(priest)としての按手礼、オックスフォード大学助教授、神聖クラブの指導、アメリカのジョージアにおける宣教師としての活動を経て、1738年5月24日のロンドンのアルダスゲイト街(Aldersgate Street)における一集会での回心までである。この回心は、ジョージアにおける宣教活動の前後にわたるモラヴィアン教徒の影響を強く受けてなされた福音的なものであった。(我々は、これを第二の回心と呼んできた)。第三の段階は、この回心から、ドイツのモラヴィアン教徒訪問、野外説教の開始、疲れを知らぬ伝道旅行、メソジスト会の組織を経て、1791年におけるロンドンのシティー・ロード(City Road)での死去までである。

 よく知られている事実であるけれども、ウェスレーは自分自身がキリスト者の完全の体験を獲得したとはその著述のいずこにも告白していない。否それどころではなく、バッシュフォードが指摘している如く(6)、我々には奇妙に思えるかも知れないが、ウェスレーは自分がキリスト者になった時期についても明言していない。むしろ、キリスト者になろうと努力しつづけている姿勢を明らかにしているのである。もちろんこの事実から、我々は決して、客観的に見てウェスレーが一生涯キリスト者でなかったなどという乱暴な結論を出すものではない。客観的に言えば、ウェスレーは第一の回心の時期以前に、幼き時に既にキリスト者であったと言わざるを得ない。ウェスレーがキリスト者になろうと努力していたという事情は、彼においては、キリスト者とはしばしば完全なるキリスト者という意味で使用された用語であることを告げているにすぎない。そして、バッシュフォードを含めて大体のウェスレー研究者が指摘するように、ウェスレーの第一の回心の体験は神秘主義的著作に刺激されて、それ以前から彼の信仰の中核をなしていたよき行為によって神に受け入れられようとする姿勢が、内面的な純潔と、目標としての完全を追い求める姿勢の強化によって深められたものなのである。しかし、この時期においては、ウェスレーは、キリスト者の完全が我々の地上の生において体験され得るものであるとは主張していない。ところが、第二の回心後においては、自分の行為による完全の追求が棄てられ、神のひたすらなる恵みによってある時期に、この地上の生の中で体験されるものとしてのキリスト者の完全が主張されるに至った。

 通常エロース的人間の典型の如くに見倣なされているゲーテを、バッシュフォードがプロテスタントのキリスト者と評価していることは前述した如くであるが、彼によるとゲーテもウェスレーと同じ問題に、すなわち、人間精神の誕生・成長・完成の問題に一生涯かかわったのである(7)。バッシュフォードの解釈によれば、ゲーテのキリスト者としての体験の成長の歴史は、次の如き図式に要約される(8)。『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの物語』(1771年) は国民的英雄を画くことにより、ゲーテの人間及び世界に対する肯定を表明しているのであるが、『若きウェルテルの悩み』(1774年) には、自己と世界への深い絶望が記録されている。『ウィルヘルム・マイスターの演劇的使命』(1777年着手、1785年完成)や『ファウスト第一部』(1806年完成)は、純粋に生きられない自己や他者についての自覚から、ゲーテが人間への道徳的要求を低下させ、現実と妥協した事情が見られるとする。しかし、『ファウスト第一部』の終りでグレートヘンを死なせることにより、ゲーテは、罪の払う価は死であることを暗示している。すなわち、この時期のゲーテは純粋と妥協との間を動揺しながら、徐々に人生における律法の厳存の事実に目覚めて行くのであり、それまで同棲していたクリスチアーネ・ヴルピウスと正式に1806年結婚し、悔い改めの実を示すに至る。更にこの時期、キリスト教徒であるということは単に心情的に悔い改めの体験をもつ以上の事柄、隣人愛に生きねばならない事柄であるとの自覚から、ゲーテは自殺しようとしていた学生を助け、ゲーテを当時さんざん悪く言っていたかつての友人ヘルダーの子供たちを経済的に助けるために生活を切り詰め、また、人生の高き、永続する喜びは他者への奉仕によって与えられると発言している。

 バッシュフォードによれば、『ファウスト第二部』(1831年完成)は、その第一部を旧約とするならば、それに対する新約にも喩えられるものであって、そこでのファウストは、海から土地を奪い取る干拓作業という愛の奉仕を行ない、その土地に新しく人々が住みつくことに無上の喜びを体験している。また、その心的境地に至るまで、迷い続けたファウストを神は救われるのであるが、それはゲーテによれば、気落ちしないで追い求めるものを神は救ってくださるからである。これはまさに、人間は自分の力ではなく神の恵みによって救わわるということの、ゲーテ的発言である。更に、エッカーマンにゲーテが、福音書の中に画かれているキリストの人間性以上に崇高なものを、人類は生みださないと発言していることなども考え合わせて、約60歳の時期よりのゲーテは、人生の解決をプロテスタントのキリスト教において発見した。

 ところで、バッシュフォードによれば(9)、ウェスレーとゲーテとを比較して第一に言われなければならないのは、ウェスレーが34歳で第二の回心を体験し、その後は人生の諸問題の解決としての福音に関してきわめて明瞭であり、基本的にはそれに関する何の動揺も示していないのに対し、ゲーテは正しい解決に到達したのが65歳から80歳の間であり、しかも、真の解決に到達する前に、いくつかの誤った解決を世に示している事実である。特にウェスレーの場合には、そのキリスト者の完全の教理において、どのような生きる姿勢が正しいものであるかに関しきわめて明瞭であるが、ゲーテの場合には、その『ファウスト第二部』といえども完全の歌ではなく贖いの歌であって、ウェスレー程の愛と心の平和、精神的な高みの表現とは言い難い。第二に、実際行動において、伝道者としてのウェスレーの方が、ゲーテよりもはるかにすみやかな成長の精神生活、また、愛の実践を示している。ゲーテにおいては、意志力が弱かったとはとても言えない面があるにしても、少なくとも晩年に至るまでは、情熱の支配力にむらがあったという事実は否定できない。

 これまでに見てきたバッシュフォードの比較検討、特にそのゲーテ解釈には異論も多いのではないかと思う。しかし、彼のゲーテ解釈も一応成り立ち得る一つの立場であり、ゲーテからキリスト教的要素を完全に払拭するわけには行かないであろう。そうすると、ウェスレーとゲーテとによる人間精神の完成の追求は、互いに質的に全く異なるものとは言えなくなる。







 ウェスレーの神学には、二つの柱があったように思う。宗教改革の用語で表現すれば、その形式原理は、ウェスレーが自分を「一書の人」と表現していたことからも明らかなように、聖書主義であった。その内容原理は、聖化、特にキリスト者の完全であった。日本の神学界に周知の渡辺善太博士の貢献は、その正典論にある。我々はひそかに、これは渡辺博士の思索の中に強く流れているメソジズムの一つの表現であると考えている。それは、ウェスレーの神学の形式原理の現代的形態における徹底を目指されたものと言えよう。ところで、渡辺博士には、我々の多くが埋れたままにしてある、ウェスレー神学の内容原理を追求された論文が存在する(10)。渡辺博士は謙遜から、この論文「基督者完全論の現代的意義」の再印刷を許されないのであるが、今日のウェスレー研究の水準から見ても優れた論文であり、当時このような論文が存在したということは我々の誇りである。

 この論文において、渡辺博士はまずキリスト教思想史上における完全論の諸形態をあげる。カトリック的な型は「基督への『模倣』に急にして、『信仰』を顧みる暇なく、専ら『ならはんとすること』に力をこめ、『信ぜんとすること』が閑却せられて居る(11)」のである。このように自己の行為によるカトリック的な完全の追求に対して、信仰義認論に立ったルターが反対であったことは言うまでもない。ルターによれば、我々が神に受け入れられるのは信仰にのみよるのであり、キリスト者は義認されても同時に死に至るまで罪人である。罪とは自己追求であり、罪は「一度には死なず、徐々に死ぬもので、その死に切って仕舞う時は、死の直前である(12)」。そして、ゼェベルヒの言うように、ルターにとっては、「基督教的完全は、実現せられし福音的悔改であり、決して完成ではなく、寧ろ新人の常態的に進行する発展であり、不断の闘であり、努力である(13)」。しかし、渡辺博士によれば、ルターは罪と聖化との生涯にわたるキリスト者内部の二律背反を画くことによって、そのような二律背反の体験が見られないパウロから離れてしまっている。ところで、カトリック的な冥想の生活による完全の追求と異なって、ルターによれば、信仰者は世俗の中で罪と戦わねばならないのであり、真の完全追求は愛の奉仕によらねばならない。ここにキリスト者による世の征服がある(14)。

カルヴァンの神学は、彼岸的であって「一見現世的社会的活動を枯死せしめるやうに見へるが、事実は之と反対に、現世に超越する事に由って反って現世を征服する事を得しむる原動力を輿へ、此の神学の普及する処必ず、現世的物質的発展が見らるやうになった(15)」が、しかし、ルターとは異なってこのような現世的物質的発展がそのままキリスト者の完全とは考えられていない。更に、ルターは少なくとも内面的な罪の征服は死の直前に到達され得るものと考えていたが、カルヴァンはこういう状態の可能性を全く彼岸に押しやってしまった。渡辺博士は、カルヴァン型の完全論の系列に一応属するものとしてダァビイ (J.N.Darby)、フォーサイス(Peter T.Forsyth)、バルト(Karl Barth)を紹介しておられる。

 渡辺博士はツィンツェンドルフをルター型に属するものとして取り上げ(16)、ルターにおいては幾分明確さを欠いていた義認の確証が、ツィンツェンドルフにおいては「聖霊に由る義認の確証」という教理によって徹底されたとする。この教理は、渡辺博士が正しくも指摘されている如く、ウェスレーがツィンツェンドルフ的な敬虔主義から受け継いでメソジスト運動の主要教理の一つとしたものであるが、それは瞬間的な回心とともに、直接に聖霊によって義とされたという確証を体験的に与えられることなのである。ところで、ツィンツェンドルフは彼独自の仕方でルターの思想を発展せしめた。ツィンツェンドルフ第一に、キリスト者が完全の体験を獲得することを全く否定し、第二に、聖化もキリスト者の体験し得る事柄ではなく、体験とは別にキリストがキリスト者の聖化なのであるとした。したがって、キリスト者は、完全をキリストの中に義認と同時に所有していることになる。第三に、聖化や完全がキリスト者の体験し得る事柄でない以上は、当然のこと入信後の克己は聖化を増しも減らしもしない。これが、ウェスレーの主張と相容れないことは明瞭である。ウェスレーは、聖化を段階的に発展するもの、体験し得るものとしたし、ルターの言うように死の時まで待つ必要はなく、キリスト者は完全になり得るとしたからである。

 リッチュルの完全論を、渡辺博士はルターの聖化論のもつ一面、すなわち、キリスト者がこの世に対して精神的に打ち勝ち、精神的な愛によってこの世を支配して行くことも聖化であるとしていた事情の発展であるとする。周知のように、リッチュルの神学は二つの中心をもった楕円の如きものであった。それら二つの中心とは、宗教的中心であるキリストによる贖いと、倫理的中心である神の国であった。リッチュルにとって、キリストによって贖われたキリスト者の自由とは、自然の束縛から自由になり、自然を倫理的に支配することであったが、まさにこのような自由人の形成する理想的組織こそ彼にとっては神の国なのであった。

 ウェスレーの完全論を「ルッタア・ウェスレイ的完全観の型」という項目の下に紹介しているところから明らかなように、渡辺博士は、ウェスレーをルターの聖化論の系譜に属するものと見、否むしろ、この点でウェスレーはルター的宗教改革の徹底であると理解しておられる。一見、ルターが律法的行為の信仰的価値を否定したのに対して、ウェスレーはそれを肯定したが故に、両者は対立関係にあるかの如くであるが、しかし、これは表面的な考察であるにすぎない。ルターが律法的行為の信仰的価値を否定したのは、神に義認されるためには人間の律法的行為が何の役にも立たないことを主張したのであり、この点ではウェスレーもルターと全く同じ主張であったからである。ウェスレーが律法的行為の重要性を指摘したのは、義認後のキリスト者の生活に対してであって、彼は「無律法」に反対したにすぎない。

 ウェスレーの完全論がルターの聖化論の徹底であると見られるのは、ルターがキリスト者を罪人でありつつ同時に義人であるということを強調し、不断の悔い改めを主張したがために、キリスト者の完全を死の直前まで延期してしまったのに対して、ウェスレーは、キリスト者の完全を求めさえすればいつでも神によって与えられるものであるとすることによって、パウロ神学に帰ったところにある。

 渡辺博士は続いてウェスレーの『キリスト者の完全』を土台として、ウェスレーの完全論の内容を探る。ウェスレーの言うキリスト者の完全とは、過失も犯さないような絶対的完全ではない。人間がこの地上に留まり肉体をもっている限り、判断の誤りから起こる過失は免れない。また、完全なキリスト者といえども、彼の中に巣くう原罪が根絶される訳でもない。むしろ完全なるキリスト者とは、ある瞬間から、義認より高次の段階、故意には罪を犯さなくなるという状態に入れられた存在である。その状態において彼は、愛による意志の純粋性を与えられているのであって、全存在を賭けて神と隣人とを愛する。また、愛の純粋性は、更に深められたそれへと成長し得るのであるから、完全の状態は進歩し得るものであるし、完全にされたからと言って自由意志がなくなる訳ではないが故に、内的にであろうと外的にであろうと故意に罪を犯せば、――すなわち、自己の中の原罪の働きに同意すれば――その状態は失われる。もちろん、教会の場においてこの完全の体験は獲得されるものであり、それは個人主義的に理解されてはならない。
 
 渡辺博士は完全論の持つ現代的意義を相当数の項目に分けて書いておられるが、その中から特に我々の興味を引くものを若干あげてみたい。

 この論文が書かれた1938年(昭和13年)と言えば、バルト神学が日本にも輸入されて大きな影響力をもち始めた時期にあたる。渡辺博士は既にこの論文で相当程度バルト神学への共感を表現しておられるが、それは完全論につきものの体験に関する渡辺博士の取り扱いに見られる。バルトは、渡辺博士も言われているように、誤った体験主義を批判しているのであって、信仰の中に占める体験の場を空無にすることを要求してはいない。ただし、バルト神学においては、体験はあくまで神の言葉に従属したもの、ただ神の言葉を味わい、それを生活の中に結実させる以外の役割を信仰の中で持ってはならないのである。渡辺博士は基本的には、ウェスレーの完全論に表現されている体験をバルト神学に沿って、それと矛盾しないものとして理解しておられる。しかし、バルトが体験は物を視る眼鏡の如きものであって、それ自体に注意を引かない時に正しく役割を果たすものであると言っていることから渡辺博士は想を得て、眼鏡が曇っている時にはそれを外して調べなければならないのと同じく、我々は体験そのものにも注意を向けなければならないと主張されている(19)。ところで、渡辺博士のこの主張は、体験は神の言葉に全く従属しなければならないと言うバルトの立場と異なるものでなく、バルトが親切には取り扱わなかったものを詳細に検討する必要があるということであろう。

 アドルフ・ダイスマン(Adolf Deissmann)のパウロの研究などを参考にしながら、渡辺博士は、完全論が立場と状態との信仰による一致を説いている点を高く評価する。キリスト者は、キリストと共に死にキリストと共に甦っているという立場にあるが、その立場は、キリスト者の現実の状態と一致しなければならない筈である。完全は単なる理想でなく、実現の可能性のあるものである。これこそウェスレーの完全論の意味であり、それは新約聖書の言うところと一致するし、この一致があってこそ現代における強靭な倫理生活が保証される。

 ウェスレーが罪と過失とを区別して考えた事実を、渡辺博士は評価する。初代のキリスト教神学は、ギリシア思想の影響下に肉体を悪と考え、そういう発想の上に原罪論を形成し、人間の罪の行為の源泉が肉体にあるとしたのであったが、渡辺博士は、この論文が書かれた当時に広く読まれていたシュタンゲ(K.Stange)、バートン(E.D.Burton)、ホルムストレーム(Holmstroem)、ブルンナー(E.Brunner)等の研究の成果を踏まえながら、新約聖書の中には肉体そのものが罪であることを暗示する言葉が一つもないと主張する。新約聖書においては、ウェスレーが主張するように、肉体は原罪の下に生まれはしたが、信仰によって義とされた上は中性であり、罪は、人間が自由意志によって故意に犯すものなのである。それ故に、全く罪のない状態に入ることは人間の現実の可能性であり、ウェスレーによる罪と過失との区別はギリシア的肉体観への抵抗また修正なのである。ただし、ウェスレーは過失も、キリストの購いを必要とするものであると言ったのであるが。

 ウェスレーの主張したキリスト者の完全は、完全なる愛によって我々の生活があまねく支配された状態をさしたものである。渡辺博士は、ニグレンのアガペーとエロースの区別を採用して、その愛がアガペーであることを端的に主張する。周知のようにニグレンは、新約聖書の愛たるアガペーが、プラトン的な愛たるエロースと全く質的に相違するものであることを言った。エロースとは、高尚なものにしろ下等なものにしろ、人間が自分自身に内在する欲求を充足せんとする生の姿勢である。それに対してアガペーは、自己を無にして他に与える愛であり、キリストにおいて啓示された神の愛こそ、このアガペーの典型である。キリスト者の隣人愛も、アガペーでなければならないのである(22)。

 上述したところから明らかであると思うが、渡辺博士の言われる完全論の「現代的意義」とは、この論文が書かれた当時の神学的状況との対話であり、その対話を通しての完全論の再理解であったと言っても差し支えないであろう。







 拙論の表立った意図が二論文を発掘し紹介するところにあったが故に、これで拙論を終らせてもよいのであるが、二論文の紹介には、古くしていつも新しい神学問題を示唆しようとの意図もあった。その間題とは、啓示と体験、アガペーとエロースとの関係について我々はどのように考えなければならないのか、ということである。この考察に当たっては、完全論は好個の材料なのである。

 渡辺博士は、前述したように、体験は啓示に従属すべきものであると考えておられるが、これは、完全なるキリスト者はアガペーによってその全生活が支配されるべきであるという主張と根底的には一致する。すなわち、神から人間へという方向の垂直線が貫徹している。これは徹底した一つの神学的立場の可能性であると思われるが、問題はウェスレーの完全論がこういう垂直線で十分に解明され得るかどうかである。

 前述したように、ウェスレーは完全にされたキリスト者も、油断せずにその完全の状態に留まり続けるべく努めないならば、神から与えられたその状態から転落するものとした。否、愛においてますます成長して行こうとしないならば、そうなるのである。これはもちろん、ウェスレーのアルミニアン的な立場と結合した主張である。ジョージ・ホイットフィールドのカルヴァン的二重予定論と対立して、ウェスレーは、アダムにおいて堕罪し、原罪を背負っている人間にも、彼がキリストを信ずるに先立って、ある程度の恩恵を神が与えておられるが故に、彼には信じ、また、自分の信仰を継続する自由意志が与えられているとなした。これが、周知のウェスレーの先行の恩恵の教理である。そうであるからと言って、先行の恩恵の教理はキリストにおける神の恩恵の十全さを、少なくともウェスレーの場合には損いはしない。人間の救いは、キリストによってだけなされる。しかし、ウェスレーのアルミニアニズムは、バルト神学の持つ図式たる、上からの垂直線という形態で、神と人間との関係を考察するのを困難にする。ウェスレーの場合には、キリストによって投げられた救いの綱を、溺れかかっている人間が掴まねばならないのである。綱がそれ自体の力でその人間に巻きついて救い上げる、ということではない。救いは、神と人間との人格的な出会いの中で起る出来事であり、人間はそこで真の自己に目覚め、真の自己を成就するのである。神のアガペーの愛に救われ、アガペーで隣人を愛するようになることこそ、実は自分がそう生きるべく定められていたことであるとの自覚、すなわち、自己の真の欲求の成就たるエロース的出来事なのである。

 ウェスレーが、救われた者、特に完全なるキリスト者の持つに至る平和や喜びについて語る時、また、人間の持つ神における幸福について語る時、ウェスレーは、アガペーによってこそ、究極的に高い次元のエロースが生かされるという事情を語っているにすぎない。キリストにおける啓示は、人間の体験の中の、それに共感する深みを想定せざるを得ないのであり、人間はその共感から、自由にキリストを信ずるのである。

 紹介した渡辺博士の論文は、バッシュフォードのそれよりも、神学的にはるかに優れたものであるが、ウェスレーとゲーテとを共にキリスト者と見倣し、両者の相違を程度の差と認めたバッシュフォードの立場は、キリスト者の体験の持つアガペーとエロースとの総合構造を示唆するものであり、これは、ウェスレー研究の方法論としては正しかったのではないだろうか。







(1)Bushford, James W., Wesley and Goethe, Jennings and Pye, 1903.
(2)Schweitzer, Albert, Goethe, Vier Reden Muenchen, Beck'sche Verlagsbuchhandlung, 1950 (Erweitere Auf.)
手塚富雄訳「ゲーテ」、『シュヴァイツァー著作集』(第六巻)、東京、白水社、1957年。
(3)Nygren, Anders, Agape and Eros, vol.?, trans. by A.G.Herbert, London, S.P.C.K., 1932.
(4)Bushford, op. cit., pp.16−17.
(5)野呂芳男『ウェスレー』、東京、日本基督教団出版局、1963年、17頁以下参照。
(6)Bushford, op. cit., p.57.
(7)ibid., p.66.
(8)ibid., pp.78f.
(9)ibid., pp.82f.
(10)渡辺善太「基督者完全論の現代的意義」、雑誌『福音』(基督教青年社発行)、昭和13年7月号所載。
(11)同書、24頁。
(12)同書、26頁。
(13)同書、27頁。
(14)同書、28頁。
(15)同書、29頁。
(16)同書、36頁以下。
(17)同書、40頁以下。
(18)同書、44頁以下。
(19)同書、55頁以下。
(20)同書、58頁以下。
(21)同書、62頁以下。
(22)同書、66頁以下。


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入力:平岡広志
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2003.5.25