野呂芳男「静穏」1985
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静穏

野呂芳男

初出:『この一筋につながる――高柳伊三郎先生記念文集』高柳伊三郎先生記念文集刊行会、1985年、80−82頁。


 いろいろな人々との交わりのどれを取っても、それぞれに別個のものであるように思われる。他の先生方とのお交わりにも、それぞれの色彩があるようだが、高柳先生とのお交わりでは、私の方が静かな流れのほとりで憩わせていただいたような気がする。もっとも私の拝見したのは先生のご一面にすぎないのであるから、あるいはもっと激しい先生の一面をご存知の人々もあるかもしれない。

 1956年(昭和31年)4月に青山学院大学文学部キリスト教学科で私が教え始めた時から、先生が大学をご退職になるまで、後輩としていろいろとご指導をいただいたし、ごく僅かの期間ではあったが、当時代官山にあった学院の教職員住宅で、いわゆるご近所付き合いのような形で先生と奥様とに接することもあった。アメリカから帰国したばかりの私たちの生活を心配して下さり、何かとご親切にあずかったのを嬉しく記憶している。

 思い出の中に浮かんでくる先生は、いつも柔和な笑みをたたえておられる。新約学の教授としてばかりでなく、大学の宗教主任として実際伝道の一面をもつ仕事を何年間かやっておられたので、一時期ご生活は相当多忙であったと思うけれども、笑みは消えることがなかった。かつて長い間牧師として活躍されたことも、その笑みを彫りきざむひとつの原因となったのかもしれない、と想像する。

 「自分もそうだから言うのだが、人間というものはみじめな存在ですよ。だからあまり多くを人からも自分からも期待しませんよ。」と、いつだったか先生がぽつりと言われたことがあった。先生の笑みは、そんなことを語っていたような気がする。

 新約学のことは私にはよく分からないが、先生はどちらかというと、じぐざぐと激しく弁証法的に発展してきたドイツの新約学よりも、急激な変化を好まずに、静かに進展してきたイギリスの穏健な新約学に、ご自分の学問を根付かせておられたように思う。ある人の学問の傾向は、その人の存在全体の傾向の表現のようなところがあるが、先生の場合にも、長く広い人生の体験が人間への洞察を先生に与え、そこから新約学の多数の選択肢のうち、現実に先生がお選びになった方向が現れてきたのであろう。

 多くの先輩から私は多くの事柄を学ばせていただいて、それが一つ一つ今の私を作って来ていると思うが、高柳先生からいただいた静かさと人間知は、私にはなかなか身につかない。今後の生の中で、何とかして少しでも身につけたいと願っている。


入力:平岡広志
http://www.geocities.jp/hirapyan/
2006.02.25

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