野呂芳男「戦後日本の聖書解釈論」1987

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戦後日本の聖書解釈論 ――二つの類型

野呂芳男


初出:『聖書と教会』1987年3月号、14−16頁




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 組織神学という視角から見た戦後の日本の神学の流れに関する鳥瞰図的なエッセーは、他のところ(雑誌『福音と世界』1985年9月号所載の拙論「戦後日本の神学−回顧と展望」)で書いたことがあるので、ここでは聖書解釈論とでも言うべきものについて、戦後の日本の神学の流れに即しながら少し自由に書いてみたい。私がまず述べてみたいのは渡辺善太氏の聖典論と北森嘉蔵氏の「神の痛みの神学」である。両氏の業績が戦後の最初期を特に飾っているからである。

 渡辺氏の立場を私は台形的なものと考えている。それは、旧新約のすべての書物に書かれている事柄(台形の下底)の中から、同じ教理的事柄を表現しているものを取り出し、それを一つに束ねて、そのような束が幾つかできる(上底)。そして、各々の束の表わす教理的な事柄は、信仰にとって無視できない権威をもつ。一例をあげると、パウロの「信仰のみによって義とされる」という教えと、ヤコブの手紙の「人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない」(2:24)という教えは、両者を加えて二で割り、ヤコブの手紙は神に義と認められた者のなさねばならない行為を教えたとされる。渡辺氏によれば、聖書の中の書物66冊が教会によって聖典として認められた時に、それらは世俗の文書と違った意味をもつようになった。聖書文書も人間が書いたものである以上は、歴史批評が適用されてもよいし、新たな文献が発見されて、それらがまた聖書に加えられることの可能性も否定はしないが、聖書批評がどこまで許されるか、新たな文献を加えてよいか悪いかを決める規準は、既に聖典として教会が認めた聖書の教えなのである。

 この聖典論は、バルトによる「聖書は神の言である」という主張とも矛盾しないし、聖書の一字一句の霊感を説く立場さえも許容し得る。併し、この聖典論は、聖書内のどの部分も聖典として認められたことを通して、積極的に価値付けられなければならないとするところに問題をもつように思う。例えば福音書に見られるイエスの女性に対する態度は基本において偏見のないものであるが、今日の女性解放の立場から見ると パウロの手紙などには女性蔑視的発言が幾つも見られる。その場合、イエスの態度を取り、パウロの発言を棄てる解釈原理はどのようにして確立されるのか。この聖典論に正直に立てば、聖書文書が書かれた当時の女性蔑視の道徳が、当然説かれる筈なのである。

 北森氏の神学の中には、少なくとも傾向として渡辺氏の聖典論とは異なった聖書解釈の立場が見られる。私はこれを三角形(△)型と考えている。周知のように北森神学の基調は「神の痛み」という概念であるが、氏は聖書のすべてを土台「三角形の底辺」としながら、それらを解釈する一つの原理をそれらから昇華させて「神の痛み」とした。これは頂点に当たるものであるが、今度はこの頂点から底辺の一切が理解されて行く。従って、この立場では、聖書のある記事を棄てることも原理的には可能である。これはアガペー(神の愛)という概念をもって聖書(及び教理史)の一切を理解しようとしたスウェーデンのニグレンなどの、ルンド学派のモチーフ神学の系譜に属し、遡れば信仰義認論ですべてを理解したルターに繋がる。

 神の痛みが解釈原理として妥当であるかどうかは別として、(私はニグレンのアガペーをえらぶが)戦後は、こういう三角形型の聖書解釈論が続出した。1960年代の八木・滝沢論争の折の八木誠一氏によると、その頂点に当たるものは「統合の原理」、時空の中にあるすべてのものの中に働いてすべてを統合して行く力(八木氏にとっての神)であった。また、1968年頃よりの全共闘運動との関連で田川建三氏、高尾利数氏のように社会変革の原理をモチーフとして聖書解釈を行う立場も現われてきた。併し、これらの人々の聖書解釈には、例えば西田哲学の土台となった禅体験に近い体験や、マルクス主義的な歴史解釈に近い社会学的な見方が聖書解釈の原理となっているものだ、という批判もなされるだろう。前の喩えを使えば、三角形の底辺に当たる聖書の歴史的解釈が当然頂点に当たるこれらの原理を指向しているのだ、とこれらの人々は主張するかもしれないが、同じ底辺の解釈が別の頂点(例えば神のアガペー)を指示するとしか考えられない私のような者たちも存在する。

 モチーフによる解釈(三角形型)のもう一つの場合が、山岡喜久男、熊澤義宣、赤岩栄、吉村善夫の諸氏や、東京で半年程講義したカール・マイケルソン教授などによって1960年の前後にわたって輸入され、利用されたルドルフ・ブルトマンの非神話化論であった。私もこの解釈学がもっともよい原理を提供してくれていると考えている一人だが、この解釈学の土台となっているものはルターの信仰義認論である。我々は、もはや実際には信じることのできなくなった聖書の古代的宇宙像を無理矢理に信じるという行為によって義とされるのではなく、イエスを我々のところに、我々を愛するというご自分の言葉として送って下さった神に向って、すべてを投げかける決断によって救われるのである。従って、この原理によって「行為による義認」追求に当たるところの、我々の日常生活を支えている科学的な世界観と矛盾する聖書の記事(ブルトマンの言う神話)を信じることは排除されるのである。このようにして信仰は、現実から幻想への逃避であることを止める。





(2)

少し感想を述べたい。台形型の聖書論は、幾つかの教理的な束を作り、それで聖書全体を解釈しようとすることから、教会の過去の信条(信仰告白)と結合しやすい。また、聖書の記事のすべてが、いずれの束かに分類されて保存されるために、結果的には聖書の世界観や倫理をそのまま現代にも適用させようとする。併し、変化する時代々々の状況に対して福音を語って行かねばならない教会の立場を考えると、過去の文書である聖書の内容のあるものを排除できる原理を確立しない限り、教会は、現代との戦いに疲れ切って過去の幻想的世界に憩いを求める人々の集団に化してしまう。ルターが信仰義認論の立場から、「ヤコブの手紙」を「藁の手紙」と酷評した時の、あの自由がいつも必要なのである。

 神の愛(ケリュグマ)と人間の決断(信仰)との出会いを解釈原理とする三角形型が、今日もっとも有効なものだと私は考えているが、このブルトマンの立場に対しても批判はある。一つは、ブルトマンが現代科学と考えていたものが、実は古い決定論的な科学であったことである。今日の科学では、物質そのものが神秘的様相を帯びてしまい、決定論は崩れている。もう一つは、ブルトマンの考えていた人間の決断が抽象的であることである。人間の決断は必ず、その人間の生きている状況、即ち、政治、経済、風上、自然とのかかわりの中でなされるものであり、この点で、田川氏や高尾氏の主張には真理がある。他のところでも書いたのだが(『神と希望』181頁以下)神の言葉に向って決断する実存は、それを取りまく社会(政治・経済)の動きに――一応それから主体的には区別されながらも――影響されているし、政治・経済の動きは、これまたそれを取りまく自然に影響されている。従って聖書解釈は、聖書に描かれている人々(イエスを含む)がどのように当時の社会や自然に影響されていたかを検討したり、その人々が神を信じることによって、どのように社会変革のための戦いを行ったかなどを調べて、それを今日の我々の戦いに対する他山の石としなければならない。私はこの点で「統合の原理」よりも、人間の歴史形成に対する資任を強く問う「我と汝」の人格的邂逅、ケリュグマと決断を主張するブルトマンの方法論を採用し、それと相即して、田川氏や高尾氏が始めてくれた社会学的批判を採用した方法論が良いと考えている。

 社会学的批判は今日解放の神学、つまり聖書を、貧しき民衆を解放する立場から解釈しようとする解釈学において、大きな収穫を我々に期待させている。私はこの解釈学は、神の愛と実存との出会いから隣人愛へ出て行く実存論的神学の取り得るもっとも正しい道筋ではないかと思っている。この点で旧約の領域から発言し、ラテン・アメリカの解放の神学、韓国の民衆の神学を積極的に評価している木田献一氏の今後の労作に期待しているが、今後の氏の聖書解釈の方法論に、日本での解放の視点が、例えば民衆宗教との対話などを通して鋭さと温かみを増し加えることを願っている。同じことが荒井献氏にも望まれるのだが、荒井氏を中心としたグノーシス研究のグループは、もう一つ別の問題を我々に投げかけている。それは、今日の聖書文書を聖典として決定した過去の教会の行為を、神ご自身の行為として絶対化し、その後は何の変更も許されないものだとすれば別の話だが、それが聖霊の助けがあったにしても、やはり教会という人間集団の行為であったものと見做し、いつの日にか教会が改めて聖典決定すると仮定して、グノーシス文書の中から聖典に入り得るものがなければならないと思っているのかどうか、こういう点についての発言をして貰いたいということである。


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入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/

2004.3.27