野呂芳男「研究の進展」(1)-3

(2)歴史の終末について

 多くの点で学ぶべきものが多いカブのウェスレー理解ではあるが、啓示の理解においては私にはランヨンの方がウェスレーの持っていた、超越の次元から人間に与えられる(従って人間の経験の範囲を越えた神認識をもたらす)啓示の観念に忠実であろうとしているように思える。ところが今度はカブとは逆にランヨンにおいては、人間の経験は単に啓示によってもたらされる認識に追随するものとしてしかその意味を認められていないように思える。先に挙げたメルボルン大学での講演の第三回目で、ランヨンはカール・バルトの神学的活動後のヨーロッパの神学界においては、エーベリング(Gerhard Ebelunng)から始まって、神学における人間の体験の重要性が再認識されるようになっているとし、その事実をウェスレー研究家として歓迎している。ランヨンはウェスレーが、真の信仰には新しい感覚や感情や情熱が伴うものであるとしたことを挙げ、信仰には正しい信念と正しい実践の他にもう一つ(感情を含む)正しい経験がどうしても伴ってくると言い、十九世紀のメソジズムにおけるリヴァイバル運動に触れている。ランヨンによると、それが間違っていたのは、経験を重んじたからではなく、経験が何処に由来するものであるか、経験の目指すものは何かについて明瞭に把握していなかったためであった。そのため、いつの間にか経験があるべき姿のものではなくなってしまい、リヴァイバル運動はペラギウス的になってしまった。

 つまり、ランヨンの考えでは、啓示と人間の経験との関係を相互補完的なものと考え、救いは神人の協カによって成り立つとしたペラギウスに倣って、ウェスレーにおける啓示と経験との関係を考えてはならないのである。そして、ランヨンは自分の立場を説明するために、ウェスレーとロック哲学との関係に触れる。ウェスレーがロックの哲学にあれ程の輿味を示したのは、自然科学的な輿味からではない。確かにウェスレーは当時の自然科学になみなみならぬ興味を示していたが、彼のロック哲学への接近はそのためというよりは、ロックが人間の心は生まれながらでは何の観念も持っておらず、観念は悉く感覚経験を通して白紙の心に書き記されるものであると主張したことが、ウェスレーにとって自分の神学を説明するのに都合がよかったからである。人間は自分の中に、生まれながらにして神を知ることのできる何かを持っている訳ではなく、神認識は人間の外から聖霊が与えて下さるものだ、とランヨンは言う。霊的な事がらを知る新しい目や耳を、人間は新たに神から与えられて初めて神を知るに至る。

 ウェスレー神学に大きく影響したものとして、ランヨンがモラヴィア派のルター主義を挙げていることは前に述べたが、講演の中でそれについて語っているところで、ランヨンはウェスレーのアルダスゲイト街での集会における改心について触れ、『日誌』にウェスレーが書き記した「不思議にも温められた心」(I felt my heart strangely warmed)の心が、そこで読まれていたルタ-の「『ロ-マ人への手紙』への序文」の中でルターが使った意味で使われているとする。つまり、心はここでは人間の人格的中心を指すのであって、いわゆるリヴァイヴァリズムが解釈したような感情主義的なものではないとし、改心体験には人間からの協力が一切ないことをランヨンは強調している。だが、ウェスレーが体験した改心が、本当にルターやカルヴァンの神学に出てくる改心の解釈で十分に理解できるものなのであろうか。私には、この点でランヨンの解釈に疑間が残る。

 気になるのは、この三回に渡る講演の中で、先行の恩恵という言葉は出てきはしても、ウェスレー神学の他の教理との関係での詳しい説明が見られないことである。詳しい説明がなされていないところから来る私の誤解かも知れないが、ランヨンのウェスレー理解には、カブやアウトラー程には先行の恩恵が重要な場所を占めていないように思えて仕方がない。ウェスレーには、ルターの(人間の救いは神お一人の働きによるものだという)独占活動の神という神観や、人間を救いに予定するカルヴァンの神観とは違って、神を信じる自由意志が人間には与えられているとするアルミニウス主義に立っていた面がある。この小著の第3章「人間論」(2)「人間の中における神の像と先行の恩恵」の終わりの辺りで、キャノン(William R. Cannon)の研究に触れながら私が書いているように、ウェスレーにおいては信仰による救いの体験のすべてが神の恩恵によるものでありつつ、同時にそれは、先行の恩恵によってある程度回復された人間の自由意志による決断にもよっているのである。この逆説をランヨンは十分に生かしていないように思える。

 要するに、義認の恩恵の受領にしても、聖化の恩恵をいただく場合でも、ランヨンの理解では、ウェスレーにおいても宗教改革者たちの場合と同じに、人間の経験が単に神によって働きかけられるものとされてしまっている。これでは、現代神学において再び経験が重要視されてきていることを喜び、自分もウェスレー的な経験を重視する立場に立つとランヨンが言っても、それはウェスレー的な意味での経験の重視ではないのではないか。この小著の第2章「神学的認識論」(2)「聖書の権威と体験」の中で私が書いているように、ウェスレーの場合には、体験は単に受動的なものではなく、外から体験に向かって来る神の働きかけに対して、人問の方から質間を持って立ち向かってゆくのである。その神からの働きかけが、本当に人間が追い求めている魂の平和や喜びをもたらしてくれるかどうかを吟昧することが、また、「天への道、あの幸福の岸」(『説教集』の序文にある言葉)と称するところへ行きたいという期待を真に満たしてくれるかどうかを、体験的に検証することが人間には許されている、否、その検証は人間が当然なさねばならないことなのだ、と信じている者こそがウェスレーなのである。

 この小著の第7章「キリスト者の完全」(4)「キリスト者の愛」の中で述べられているように、ウェスレーの神学には一種の幸福主義とでも言ってよいものが存在する。それは勿論利己主義ではなく、人間の中にある神の像の回復であるけれども、実存としての自分の成就、自分がそのように生きるべく定められている「宿命」を成就する喜びである。宿命は人間を内的に、実存の根底から規定するものであり、人間の主体性や自由と密接不離である。宿命成就は自ら進んで求めざるを得ないものであり、その故にこそ人間は、それを見つけ得ない時に悩み苦しむ。この悩みや苦しみは、人間が義認において神から罪の赦しをいただく前にも、義認の後で聖化を追い求める途上においても体験しない訳には行かないものであって、信仰生活は一方的に神からの働きかけではない。このような人間の持つ宿命成就的・主体性がまるで存在しないかのように、それとは無縁であるかのように、神学において向こう側から人間を捕らえてくる神の働きを語っても、それは宗教改革者たちの路線を歩むに過ぎないし、今日の神学的状況から言えば、バルト神学を継承することとなり、ウェスレー神学にはそぐわないのではないか。

 ランヨンが、ウェスレー神学には今日の解放の神学を先駆けたような傾向があることを主張していることは、前に述べた。ランヨンが編集し、多くの著名な解放の神学者たちがウェスレーと解放の神学とに関する論文を寄稿している『聖化と解放』(14)という書物の序文は、ランヨンによって書かれたかなり長文の、優れた論文であるが、その中で彼は「社会的な次元の終末的目標が神の国であるのに対して、それに平行するものとして、個人の次元での終末的目標である完全な聖化がある」(15)と言っている。そして、この引用文のすぐ後で、この恵みは人間が努カして獲得するものではなく神の確かな愛によって与えられるものであると強調しているが、その場合、ここで言われている神の恵みの賜物が個人における完全な聖化だけではなく、神の国でもあることが続く文章から明瞭になる。ランヨンによると、ウェスレーは当時の多くの思想家たちと違って、神の国を排他的に天にある場所とも、われわれが死後に行くところとも考えておらず、神の国は歴史の終末においてわれわれが出会えるものと考えていた。更に、メルボルン大学での講演の終わりに近い部分でランヨンは、ウェレーにとってキリスト教は目的論的(teleological)であり、アダムの堕罪によって人類が失った神の像をキリストによって回復することであり、ウェスレーにとって神の国とは、創造された世界を堕罪前の状能に戻すことであると言い、東方教会的な歴史観にウェスレーを結びつけているが、これらを総合して考えると、ランヨンが次の立場に立って神学を構築しているように私は思う。バルト神学と同じく、ウェスレー神学においても人間の体験は全く受動的に、神の働きかけに追随しなければならない。また、バルト神学に土台を置きながらユルゲン・モルトマン(Jrgen Moltmann)が、神の国をわれわれの生きるこの歴史に垂直に出会ってくる(死後になってから人間が入ってゆく)次元というよりは、この歴史の中で実現可能なもの、この歴史の水平繰上で出会えるものとしたのに倣ってウェスレーの終末論は解釈され、今日の解放の神学と同じものとは言えないにしても、それを引き出せるものとなる。成程ランヨンは「ウェスレーは改革者(reformer)ではあったが、革命家(revolutuionary)ではなかった」(16)と言って、解放の神学とウェスレー神学とを一応区別はしているけれども、ウェスレーを解放の神学に接近させようとの意図は明白である。ランヨンのウェスレー解釈を少し強引に(若干の重要な点で、ウェスレーが宗教改革者たちと違っていることを、ランヨンが指摘していることにわざと目をつぶり、ランヨンの基本的な立場だけに視線を固定して)系列化するならば、ジョージ・セル(Gerge Cell)などの路線、つまり宗教改革者的に見たウェスレーに、解放の神学の視野をつけ加えたものとも言えるだろう。あるいは、現代神学の分野で言えば、バルトを延長したモルトマンの路線によるウェスレー解釈と言ってもよいかも知れない。

 ところで、われわれキリスト者が隣人愛に生きる以上は、社会を成るべく理想の状能に引き上げるという目標を追求するのは当然である。しかし、解放の神学がわれわれに要求しているのは、単にその意味で目的論的であることだけではなく、神の国がこの地上に実現することへの信仰と、それへ向かっての努力である。ランヨンがこの解放の神学とウェスレーの終末論とを基本的に同一視していることは、今問題にしている講演の最後の辺りで「これがウェスレーの終末論である。彼の神の国への期待は、創造された世界の回復である」と言っているところから明白であろう。困るのは、このような解放の神学の終末論では、この地上に正義が実現されると信じて苦闘し、それでも尚それが実現されなかった時である。自分の信仰が裏切られたとの深い絶望に襲われるが故に、神とその摂理に対する不信の念がきざし、遂には信仰を放棄することにもなりかねないからである。その絶望の度毎に、繰り返し神の国への期待を、信仰の勇気を振り絞って盛り上げて行くのも、一つの神学的態度ではあろうが、解放の神学が提唱するこのような生き方が、果たしてウェスレー神学の中心であったのか、私には疑問がある。

 ウェスレー神学の中心を東方教会の神学に置いて、何もかもをそれから理解しがちなアウトラーとは確かにランヨンは違っており、既に見てきたように、彼は数多くの神学の潮流がウェスレーに流れ込んでいるとした。その点で私は彼と見解を同じくしているけれども、彼はウェスレー神学の中心を終末論に置き、それをウェスレーが東方教会の神学から受け継いだとする。私はこの点でランヨンと異なり、終末論というよりは聖霊による信者の聖化をウェスレー神学の中心だと考えている。この点については、この拙著や拙著『ウェスレーの生涯と神学』によって明らかであるが、これは一つの総合判断であると言える。モラヴィア教徒を通してルターの教理に触れ、ウェスレーが受け入れた信仰による義認の教理や、義認から始まる新生、また、その後に続く徐々なる聖化、キリスト者の完全の主張などをすべて有機的に統合するものを求めてゆくと、私には(同じ仕方でランヨンが総合判断して、われわれに提示している)終末論よりも聖霊による聖化がそれに当たると思える。更に、私の立場から、もう一つランヨンのような立場に対して質問したいのは、十八世紀の理性主義、また、それから由来している世俗性とウェスレーの関係をどのように理解するか、という問題である。ここで言われている世俗性とは、この拙著の第2章「人間論」(2)「人間の中における神の像と先行の恩恵」で述べられている「成人した世界」、また、人間が神より委託されて世界管理を実践しなければならない事情を指すものであって、利己主義による生存競争のうず巻く世俗主義のことではない。この点については、後でもう少し詳しく述べるつもりであるが、ランヨンのウェスレー理解では、この世俗性の視点が欠落しているように思えて仕方がない。

 この視点の欠落は、ウェスレーを今日の世俗性の持つ多様性、多元主義と真っ向から闘う神学者にしてしまう。『聖化と解放』の序文において、ランヨンはウェスレーとマルクスとの類似性を取り上げており、私も多くを教えられたが、今日の世俗性のもつ多元性、多様性がその考慮に入ってきていないがために、読む者に、マルクス・主義的な歴史理解だけが唯一の正しい理解であるかのような錯覚を与えてしまうのではないか、と私は危倶するのである。世俗性を肯定し、それを土台として考えれば、世界管理の方法には多様なものがあることを首肯せざるを得ないのであって、考えられる種々の方法の中から最善のものを理性的に捜し求めることとなり、どの方法も絶対化されることはない。ところが、ランヨンの編集になるこの書物が、ウェスレーと解放の神学という主題の研究書であり、マルクス主義に立っている南米の解放の神学者たちも論文を寄稿していることであるから、私の危倶は杞憂とは思えない。

 周知のようにマルクス主義では、人間の思想はその人間が置かれている社会的・経済的状況によって生まれてくるものだ、と主張される。人間がその状況の中で働いていることによって思想は育まれ、成長する。マルクス主義によれば、思想が上部構造であるとすれば、それを生み出す社会的・経済的状況がその下部構造ということになる。人間はこの下部構造の中で共に生き労働しており、それとの切り離し得ない密接な関係の中で思想や社会の仕組み、また、人間が互いに生きることの意味、存在することの充実感や幸福などの上部構造がある筈なのであるが、実際にはしばしばそのようになっていない。マルクスは、工業化された資本主義社会の中で労働者が生産する製品が、本来ならば労働者の自己を客観化したもの、自己充実の表現でなければならないのに、実際には有り余る程に生産される製品が労働者のそのような有り方を否定し、更なる生産に駆り立て、労働者を機械の一部品の如くに非人間的に扱うことになっている事実を指摘して、これを(現実の労働者があるべき姿から疎外されているという意昧で)「疎外」(Entfremdung)と呼んだが、「疎外」は、上部構造と下部構造との不幸な関係を表すために用いても差し支えのないものであろう。資本主義経済(下部構造)の下では、資本家たちの利益追求に都合のよいように社会の仕組み(上部構造)が作られており、労働者は搾取されているのだから、そこでは上部構造と下部構造とが、本来あるべき姿から疎外されているのである。

 このような現実のマルクス主義的分析を、ランヨンはルターとウェスレーとの関係の理解に応用する。アルダスゲイト街での改心体験で、ウェスレーはルター的な信仰、すなわち、人間は自分の良い行為を積み重ねることによって神に義とされるのではなく、ただひたすらに(キリストにおける神からの罪の赦しを信じる)信仰によってだけ義認されるという信仰を受け入れた。そして、この改心体験の前も後も、ウェスレーが善行に励む姿勢は少しも変わらなかった。ランヨンは、このウェスレーの変わらざる姿勢は、ウェスレーがマルクスと同じように人間の在り方を、元来が労働する存在であると把握していた事実を示すものだ、とする。この地上に神の意志を実現するために、働くことこそが人間の本来の在り方なのである。そして、ランヨンによるとルターの場合には、義認の恩恵を受けた後の信者の生活が、絶えずその義認の恩恵に舞い戻ってくるものとなっているのに対して、ウェスレーの場合には、この小著の第6章「義認と聖化」(4)「最後の義認」に説明されているように、自分の生涯の終わりに、神から「最後の義認」を受けるべく奮闘努力するものとなっている。

 人間が不断に持つ神との関係――それは人間にとって絶えざる働き(労働)の関係でなければならないものだが――を下部構造とすれば、信仰はそれを基盤とする上部構造であるとランヨンは考え、ルターの場合には、その両構造の間に疎外があるとする。人間が義認された後は、どんなに良い行為を行っても、それらの行為は神と人間との間で何の意味もなく、人間はいつも過去の義認の体験に舞い戻らねばならない、というのがルターの主張であった。結局そのような疎外状況においては、人間のなす善行は自己の表現ではなくなっている。信仰している自己が本来の自己となってしまっていて、善行はそれと無関係となっているのだから。ルターの信仰義認の考えを論理的に突き詰めてゆくと、現実の世界での生活はもはや信者にとって意味を持たないものとなり、人間は無律法主義か、(この世を捨てた)他界主義かに生きざるを得なくなる。それに対してウェスレーにおいては、信仰という上部構造と、神のために働き続ける下部構造とが互いに疎外されておらず、信仰義認を常に土台としながら信者は最後の義認を目指して生きてゆく。最後に義認されるかどうかの場で神に「すべてを告げ裁きを受けねばならないことは、しかし、律法主義や恐怖を生みだしはしない。何故なら、最後の義認の時に人間が神の前に立たされても、その神は、人間が最初の義認の時にその前に立たされた神と同じだからである」(ランヨン)(17)。最後の義認においても、恵みだけによる罪の赦しが神と人間との関係を形成しているのである。


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