野呂芳男「人生の諸段階(キルケゴール)について」2006
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人生の諸段階 (キルケゴール)について

野呂芳男


この文章は、日比野英次氏への答えとして書き下ろされたものです。両者の議論のこれまでの経緯は以下のとおりです。
日比野英次氏「<書評>野呂芳男『キリスト教と民衆宗教』」(1991)
野呂芳男「日比野英次君の書評に触発されて」(2006.03.19)
日比野英次「ナンバーワンとオンリーワン」(2006.04.15)

 





 スマップのヒット曲『世界に一つだけの花』を日比野君に教えてもらって、面白く感じている。日比野君の、私に対する批判の結論によると、他の宗教の咲かせた花とか、キリスト教の咲かせた花とか、その他もろもろの美しい花について、私はただそっとしておいて干渉しない方がよいとの忠告をくれたと理解しているが、これは、私にはなかなか出来ない相談である。私の気持ちを説明すると、これが私の放っておけるような状況にある花であるならば、確かに干渉しないで済む事柄であろう。その時には、日比野君の言うとおりだと思う。

 かつて私は若い頃に、『キリスト教概論』(浅野順一編、創文社、1966年)において「宗教改革と近代」を担当したのだが、その中で私はキルケゴールについて書いている(259ページ以下)。その項目の中で、彼の「人生の諸段階について」――美的段階、倫理的段階、宗教的段階(A・B)について私は書いている。その段階の区分によれば、日比野君の「放っておけばよい」という姿勢は、おそらく美的段階に属する姿勢であろう。

 美的段階においては、人間は、花もそうだがあらゆる存在を観賞し、楽しむことが出来る。したがってスマップのこの歌は、自分の責任にならないときの美しい花との関係を謳っているのである。しかし現実は、美的段階だけでは人間が、自分なりに十分に生きているとは言えないものなのである。

 仮に美しい花が自分の子供であったとしよう。そうすると、父親であろうが母親であろうが、その子供の生活に関わりを持たざるを得ないのである。単に鑑賞しているだけではなく、その子供を人間として育てていかなければならない責任を負うことになる。

 さらに、子供が増えるにつれて、その子供たち一人びとりの必要に合わせて、自分の収入や時間を割り振らなければならなくなってしまうのである。これはキルケゴールの倫理的段階と言ってよいものだろう。美しい花は単に放っておけばよいものではなくなり、父や母との倫理的関係の中で、父母に責任を強いてくる。

 したがって日比野君の言うようには、ただ放っておけない美しい花と私たちの関係の側面が出てくるのである。

 

 

 




 日比野君の主張によれば、日比野君自身の立場は宗教性Aに当たり、私のようなキリスト教の信仰者は宗教性Bの中に入れられているが、実はこの割り振り方に、私は少々驚いたのである。私が考えていた日比野君の立場は、おそらくキルケゴールの「人生の諸段階」では倫理的段階に当たるのであろうと、私はぼんやりと考えていた。なぜならば日比野君は、神の存在を否定しており、自分を無神論者と位置づけているからである。しかし日比野君自身が自分を宗教性Aに立つとして、宗教性Bであるキリスト教信仰には踏み切れないし、それでよいのだと主張していることは、私には意外でもあったけれども、非常に嬉しいという思いも与えられたのである。というのは、日比野君自身が、自分を宗教的存在として認めているからである。つまり宗教的段階(それがAであろうがBであろうが)の中に自分を入れている以上は、彼の無神論は、宗教を完全には無視できないでいるのだ。彼は宗教性の段階にいるのだ。いわゆる、単なる無神論者ではなかったのだ。おそらく彼のアルカディアとユートピアとの弁証法的関係は、単なる無神論的理想主義者の言う事柄ではなくて、彼にとってはひとつの宗教なのだ。さもなければ、彼は、私からみると、倫理的段階にいるはずなのだ。

 

 

 

 




 日比野君の立場は、トマス・アルタイザーを完全に棄ててはいないということもあり、私から見ると、どうもヘーゲル的な正・反・合の弁証法が、完全には棄てられていないような無神論である。それはまさにキルケゴールが闘った、当時のヘーゲル的な宗教性Aを思い起こさせるが故に、日比野君が自分を宗教性Aと自認するのも理由があると考えることもできる。しかし、そのことを表現するのに日比野君が用いた譬えについて、私は違和感を持たざるを得ない。私はゾシマ僧正でもないし、日比野君を掌の上で躍らせているわけでもないので、このような譬えは使って欲しくない。ゾシマ僧正の頭が禿げていたかどうかは、私は知らないが、光り輝く僧正は、私自身の比喩としては、有難くない。

 それはともかくとして、私は無神論的宗教性を表明する日比野君の立場を尊重したいと思うけれども、今日の宗教的状況の中では、宗教性AとBとの関係はいろいろな種類のAとBとを考えてゆくことが可能だと思う。日比野君の言うような、アルタイザー的・ヘーゲル的な文脈で宗教性Aを捉えることもできるだろうが、宗教性Aを民衆仏教と考えることもできるだろう。私がここで言っている民衆仏教とは、私が『十字架と蓮華』の中で展開したような仏教のことである。具体的には、いわゆる民衆仏教経典、たとえば地蔵経、薬師如来経、観音経、浄土三部経などの経典に表されている仏教思想と、それらの実践上の側面のことである。

 これらの民衆経典の中には、日比野君もご存知のとおり、有神論はない。インドのバラモン教の神々の否定から始まった仏教を土台としているので、むしろ基本的には無神論である。現在のところ、これらの無神論的な宗教性が、宗教性Aとして私を引き付けて止まない。考えてみれば、日比野君の無神論的宗教性Aの立場は、どこか民衆仏教的宗教性を思わせる。

 しかしながら、おそらく日比野君の宗教性Aと較べると、民衆仏教の宗教性は輪廻転生説を内側に含んでいるために、この、逃れることのできない輪廻転生の世界から、どのようにして人間や動物たちが逃れて、本来の救いの獲得を成し遂げられるかが中心主題となり、日比野君のように、この世界で理想を実現しようとする闘争心は持たないだろう。むしろどのようにして有為転変の世界を後に残して、光の世界の中に行けるかが、民衆仏教の中心主題なのだ。

 

 

 

 




 ところで、日比野君の考えているキリスト教の宗教性Bが、一体どのようなものなのかがはっきりしない。おそらくは、日比野君はカール・バルトやエミール・ブルンナーなどの弁証法的神学者と言われている人々のキリスト教理解などが、それに相当すると考えているのではないだろうか。

 日比野君がおそらく考えているように、キルケゴールの宗教性Bは、弁証法的神学、特に『ロマ書講解』初版を世に問うた頃のバルトによるキリスト教の理解に近いものだったのであろう。後にバルトはキルケゴールの実存論的神学の立場さえも棄てて、彼なりの徹底した神理解に到達したことは多くの人々が知るところである。

 しかし、今日の神学的状況においては、キリスト教の本質の探究におけるキルケゴールのこのような安易な設定の仕方では、私には不十分であるように思えて仕方がないのである。大雑把に言って、19世紀以降に特定の宗教、またはあらゆる宗教の歴史的研究を通して、宗教の本質は何かというような議論がなされてきたが、今日では、キリスト教もそのような視点を持たねばならなくなっていると私は考えている。このような宗教史の研究を通して、改めて「キリスト教の本質」は何かを探らねばならなくなっているのである。その探索には、正統も異端もない。私たちはその探求のために、教会史や教理史の研究を余儀なくされているし、もう一度聖書の中の諸文書を、悉くこれらの宗教史学的研究と照らし合わせて解釈し直さなければならなくなっているのである。そのような作業を繰り返しているうちに、キリスト教の本質は――私には――キルケゴールの宗教性Bの弁証法的神学ではなく、ボゴミール派やカタリ派の神学に見出されるのではないか、と考えるようになった。そして宗教性Aも、キルケゴールがそこに見たヘーゲル哲学的雰囲気ではなくて、民衆仏教の方が(今の神学的状況においては)対話の相手としてはふさわしいと思えるようになったのである。

 キリスト教の歴史を見ると、キリスト教理解は非常に多様なものであった。ローマ・カトリック教会のキリスト教に反抗しながらも、そのようなキリスト教に随順して出てきた英国教会や、あるいは、反抗しながらも本質的にはローマ・カトリック教会の教義をその中心においたプロテスタント諸派をキリスト教とみなすだけでは、キリスト教の本質が何であるのかを追究するにあたって、私にはあまりにも不足となってしまっている。たとえば、古代のマニ教に影響されたグノーシスの諸派、中世ではブルガリアのボゴミール派や、北イタリアと南フランスのカタリ派なども、現在は私たちの神学的視野の中に入れなければ、もはや現代においてキリスト教神学の構築は不可能と言っても過言でない。今の時点から振り返ってみると、私に対しての一番強い影響は、ドルー神学校で教えを受けたエドウィン・ルイス教授の最晩年の著書『創造者と敵対者』(The Creator and the Adversary, 1948)である。これは、私が神学的苦闘の末にやっと到達したカタリ派的二元論の先取りであったのだ。ドルー時代の私は、この点でどうしても先生に付いていけず、先生を質問で悩まし続けたのだが。しかしこれらの異端と言われたキリスト教徒たちは、イエス・キリストを贖罪主としながらも、ほとんどが仮現説を採っており、キリストの他に諸天使(たとえばミカエルなど)の存在を否定しないし、これらの天使たちはイエス・キリストの前にも後にも、神の恵みの体験を人々に与えてくれるのだ。

 さらに現代では、輪廻転生説をキリスト教の希望として積極的に取り入れていこうとする神学者たちもいる。たとえばゲデス・マクレガーの『キリスト教の希望としての輪廻転生』(MacGregor, Geddes. Reincarnation as a Christian Hope. London; the Macmillan Press, 1982.)のように、積極的に輪廻転生説をキリスト教神学の中に取り入れようとする動きもあるし、教会外の文化の中でも、わざわざこの世の外に人間の死後の世界を想定しないで、この世界の中に死者たちの生活が継続することを書いた、小説家アーシュラ・ル・グィン(『ゲド戦記』)などもいる。死者の霊を、私たちの周囲の自然の中に呼び込もう、という試みである。

 

 

 

 




 このような思想においては初めから、この世は過ぎ去るものであり、むしろ私たちの地獄的牢獄こそが、この自然の世界であり、社会なのであるから、当然のこと、この世での理想実現の努力は限られたものとなり、相対的なものとなる。理想追求は必ず破れることが、初めから分かっているのであり、それでもなお、同じように苦しむ存在者(人間・動物など)に対する愛のためにせざるを得ない努力なのであり、この愛こそが、キリストの父なる神の光に照らされた人間たちが、行わなければならない世界管理が意味するところのものなのである。

 日比野君は、私の万人救済説に対して楽天的すぎると批評しているが、正直のところ、私には楽天主義はない。人間は生き直すことを、この世界の中で、あるいはこの世だけでは足りずに転生を繰り返してでも、何回も体験することを定められているのである。輪廻転生には、甘えなど許されないのだ。何回も生き返りする中で、この世の不条理の作用の只中に晒されながら、恩寵としての自由意志を持つ人間が、どうしてもある標準にまで到達できない場合には、さらに神の愛、人への愛を学ぶために、繰り返しこの世に転生しなければならないのだ。地獄の中で出会うことのできる地蔵菩薩、そして観世音菩薩、阿弥陀仏などは、地獄に降りてきた、十字架後のキリストと同じような目的を持つ天使たちなのだ。

 このような、今の私たちの生活そのものが、地獄の生活なのだ。それから抜け出ることを、キリストや如来や菩薩たちが、神から遣わされた天使たちとして、私たちの誰一人も残さない仕方で、いつかは神の愛の光の世界(とでも言わなければ表現のしようがない)に、いつかは救ってくださるのだ。しかしそれは、私たちの訓練の果てだ。

 このように、光と闇、天と地、善と悪の二元論は、キリスト教と民衆仏教が共有するところであり、これが私の主張する民衆仏教とキリスト教の関係であり、これこそが、宗教性AとBが織り成す緊張関係なのである。この関係の中での啓示的なものがBで、自然神学的なものがAだ、と言ってもよい。

 

 

 

 




 ところでパウル・ティリヒに関して、日比野君の神学的感想が述べられているが、これもなかなか面白い。日比野君によると、ティリヒは「他律・自律・神律」で神学を表現しているが、日比野君はこの「律」が嫌いだと述べている。もちろんこの「律」は、律法の律から取ったものだが、しかしこれは単に、生きるあり方を表すに過ぎない。他律とは、権威主義的に人間の自律を無視して、神が人間に干渉してくるようなあり方であり、自律はその他律を逃れて、自分の自由な主体的存在性を至上のものとするあり方であるが、しかし人間は自律だけでは生きられず、存在を根底付ける神に依存しながら生活をせざるを得ない状況が、神律である。神律は日比野君の立場を、実はよく表現しているものではないかと、私には思えて仕方がない。そうでなければ日比野君は、自分をキルケゴールの言う宗教性Aと位置づけることも出来ないだろう。

 「律」にこだわることは、私には不要な事柄であると思える。話がまた、大分逸れるかもしれないが、ユダヤ教グノーシスに多分に影響された、フランツ・カフカの小説『審判』の中に挿入された「さらなる小説」とも言うべき「掟の門」の「掟」は、ティリヒの「律」と同じことを言い表しているのではないか。

 この「掟の門」について、私にとって非常に興味がある点を説明するため、大略を述べよう。その門のところに主人公がやって来て、門の中を覗き込むと、奥の方に光り輝くところがある。そこへ彼は行きたいと欲するのだが、門番が立っていたので「入ってよいか」と尋ねると「いけない」と言われる。その門の中に入ってからも、光の世界の方に向かってゆく通り道には、門番が何人も立っている。今、目の前にいる門番の言うところでは、途中の門番たちは一人びとりが益々怖い存在であり、光の世界に行くまでには大変な苦労が存在するという。最初の門番は、彼のために椅子を持ってきて、「ここに座って待ちなさい」と言う。主人公は、何回もその門番に「今入ってよいか」と聞くが、いつも拒否されて、彼はとうとう年老い、死が間近になってきた。それで彼は、ほとんど聞こえなくなった耳で、最後の答えを門番から聞いたのだが、相変わらず「待て」と言われる。やがて彼は死んだのだが、死の直前に、門番に「私の他には誰もこの門のところに来なかったが、なぜか」と尋ねたところ、「これはお前さんだけの門だったのだ」と言われた。彼は死んで、その死体は片付けられた。

 これは自分の門だったのだから、その男は、門番の制止にも関わらず入ってゆき、途中の門番たちと闘い、どのようなことをしてでも光の世界に到達しなければならなかったのだ。

 この物語を読むと、私はカフカの言う「掟(または法)」がどのようなものであったかを考えてしまう。ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』の一場面が、私には、カフカの「掟の門」の最もよい説明を提供してくれるように思える。

 奴隷のアリサは、赤ん坊を連れてアメリカ南部からカナダへ逃れようとする。ちょうどオハイオ河の手前で、追っ手に追いつかれてしまう。季節は春で、上流から割れた大きな氷が群れをなして流れてきていた。彼女は赤子を抱いて、まず大きな氷に飛び乗った。そこからまた、もうひとつの大きな氷に飛び乗り、そのようなことを繰り返して向こう側にどうやら辿り着いて、追っ手から逃れることができた。

 ここで、彼女はひとつの氷に飛び乗ったときに、次の氷が付近に流れてくるかどうかは、分からなかったはずだ。この描写の部分が、カフカの「掟の門」の言い表す事柄を意味しているように私には思えるのだ。つまり、「掟の門」の主人公のように、門の手前で待つのではなくて、行き先にどのような事柄が待ちうけているかが全く分からないままで、門の中に入り込んでいかなければならなかったのだ。掟の門の前で死んだ主人公のやるべきことは、門の中に飛び込むことだったのだ。つまりカフカの言う「掟」は、神の摂理の中に実存的に飛び込む信仰者の姿なのだ。

 ティリヒの言う神律の「律」は、このような生き方、法の中に身を託す生き方のことなのである。私は「掟」や「律」という言葉を、いつも他律的に捉える必要などは全くないと考えている。

 暴言多謝。

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2006.05.20