ユダヤ・キリスト教史 1998.3.3


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第36回 ――シモーヌ・ヴェーユの思想的背景  (1998.3.3)


野呂芳男








 シモーヌ・ヴェーユは現代のカタリ派だと私も思うが、それはどうしてなのか。これを理解するためには、現代という時代がどのような文化的な背景を背負ってきたかを、少しばかり過去に遡って見てみる必要があるだろう。現代文化を理解するには、その土台を作った何人かの思想的な巨人たちを挙げることが便利であろうが、恐らく最初に取り上げねばならない人物はフリードリッヒ・ニーチェ(1844−1900)である。最初は知識階級に影響を及ぼしたに過ぎなかった科学思想は、彼の頃には一般大衆の中にも浸透していた。また、資本主義経済による人間の非人間化も識者の論じるところとなっていた。このような状況の中でニーチェは、人間が人間らしく生きるには科学思想を全面的に受諾して、しかも経済の成り行きに操られる弱者であることをやめ、歴史を自分の手で形成してゆく強者であることを望んだ。(弱者である今の人間を乗り越えて行くという意味で)超人であることを、彼は欲したのである。自分の運命を自分で形作る人間となることを邪魔するものに対しては、彼は容赦なく矛先を向けて戦いを挑んでいったが、やり玉に挙げられたものの中には、彼自身が(牧師の息子として、それに反抗しながらも)慣れ親しんできたキリスト教があった。彼にとってキリスト教の神は、自分の外、向こう側から自分を規制してくる存在であり、自分の自由や主体性を破壊する暴君であった。人間は自分自身であるために、どうしても神を殺して自分だけで生きて行かねば、自由な存在ではない。そこでニーチェは、現代人の責務として神殺しを実行したし、人々にもそれを勧めた。従って、彼にとっては、教会はもはや神の死体置き場であるに過ぎなかった。同じ理由からニーチェは、私たちの目の前にある現実世界とは別に、もう一つイデアの世界の存在を説くプラトン哲学も拒絶した。







 ニーチェの思想との関係で一つの象徴的出来事があった。彼には恋人のルー・ザロメがいたが、このロシヤ正教会の信者で(神秘主義的な信仰の持ち主で)あったザロメがニーチェを離れ、やがては詩人ライナー・マリア・リルケ(1875−1926)と愛しあうこととなってしまった。この事件は、私には、折角ニーチェが全精力を使って殺した神が、リルケの詩に歌われるような仕方で甦ってしまった事情をほのめかしているように思えてならないのである。

 既に詩人として知られていたリルケは、霊感を失って詩が書けない、長い沈黙の後に、まるで霊感が突然に噴出したかのように「ドゥイーノーの悲歌」(1922)や「オルフェウスへのソネット」(1923)を世に問うた。リルケの神々や天使たちは、人間の外、向い側に立っていて、人間を規制する(ニーチェが殺した)存在ではなく、リルケの魂の奥底、魂の大地に静かに憩っている存在であって、(リルケの自由にならずに)彼らの望む時に働き かけてくるのである。彼らはリルケを規制したりはせずに、むしろ彼を内側から自由に生 かすために働きかけてくる。リルケが大地の奥深くに降ろしてくる根に、リルケがリルケ として生きられるように、彼らは栄養分を提供してくれる。神々や天使たちはリルケの主
体性を損なうどころか、彼を真に自由にするのである。







 私の恩師の一人スタンレー・ロメイン・ホッパー先生はリルケに心酔している宗教哲学者であるが、ニーチェが目に見えるこの現実だけに力強く生きようとして大空にきらめく星々のような神々や天使たちを殺して彼らを払拭した時に、実は彼らは消滅したのではなく、人間の魂の大地の奥深くに横たわるべく、大空から居を移したのだ、と言っていた。つまり、科学的に宇宙が大きく開かれてゆくような今日において、宇宙空間の何処かに存在する髭の生えた老爺のような神は存在し得なくなったのだが、ニーチェの意図に反して、私たちの魂の奥底、私たちの深みの次元における神との出会いが始まってしまったのだ。目に見える現実だけ、つまり一元的に生きようとしたニーチェは、計らずも人間の魂の奥底における神との出会いという、(目に見える現実と魂の奥底という)二元論的な宗教性を開拓するように影響してしまったのである。

 これは一者という上方にある(存在に満ち満ちた)ものから、他のものが流出してくるという新プラトン主義に影響されて、光の父から(比較的に質の劣った、悪を含む)創造者や被造物が発出してくるというグノーシス的な二元論の、上下を逆さまにした宗教性であるとも考えられる。質的に優れたものが深みの次元に横たわっていて、それの表層として劣った私たちの現実が存在しているのだ。(上下が逆の)グノーシス二元論の現代版である。このような現代の二元論的様相は芸術、特に絵画の分野でも言える。表層に留まってそれを楽しもうとする印象主義や自然主義に抗して表現主義が起こってきたが、これはピカソの「ゲルニカ」などに見られるように、深層が奥底から突き上げてきて、現実の表層を突き破っている様相を描く。人間の魂の深みにある残酷さや、恐怖や悲しみを画面に横溢させているのだ。この表現主義こそが現代の宗教であると考えるキリスト教神学者もいる程だ。







 シモーヌ・ヴェーユは、歴史的な南フランスのカタリ派が徹底的な(マニ教的な)系統のカタリ派であったにも拘らず、穏健派(グノーシス派)に属したと言える。従って、上に述べたように、ヴェーユの神は深みの次元から表層を突き破って出現する(愛と正義の)エネルギーであり、神のこの活動を人間の働から規制することは全くできない。人間にできることは、ただ神のこの活動を待つことだけである。(彼女の書物の一つの題名が『神を待ち望む』であるのは、この事情を示している。)この神は人格的でありつつ神秘的・汎神論的なエネルギーであった。信仰者の究極的な目標は、この神との神秘的な合一であり、従来のキリスト教が説くような復活や永遠の命ではなかった。このような合一の達成はヴェーユにとって、想像による埋め合わせをせずに、虚無に耐えて真空に住み抜くことを通して可能であったが、合一の後、個としての人間はどうなるのかは、ヴェーユは言わなかった。

 振り返ってみると、若きヴェーユが自分の生きていた時代を知るために使ったマルキシズムも、下部構造(深みの次元)が上部構造(表層)を(決定論的にではないが)支配するという理論であった。比重は下部構造に置かれた(逆さまの)グノーシス的構造の理論である。ニーチェ後におけるグノーシスの復活の一つでもあろうか。






 ニーチェの「神の死」後の、上に述べたような宗教性を考える時に、私はいつも思うのだが、ニーチェが嫌った神や(プラトンの)背後世界が、もしもニーチェの考えとは違って、(人間を外側から規制するものではなく)愛であったらどうなるのか。愛は愛する相手を、こちらの思うとおりに動かすものではなく、相手が自身を充実するように手助けするものなのではないのか。愛には元来、相手の魂の深層に入り込んで、相手を奥底から理解して、相手の成長の肥料となろうとする性質がある。愛の神を信じても、自分の自由が侵されるということはない筈だし、むしろ自分の自由が豊かになるのではないか。愛が自分の向こう側に立っていても、自分の深層に横たわっていても、事情は同じなのではないか。もちろん、現代の開けゆく宇宙を目の前にすれば、神を宇宙の中に捜すよりも魂の奥底で神と出会おうとする方が優れた道ではあろうが、しかし、魂の奥底で神と出会った後で、その神はまた私たちの外の周囲にも存在していで、私たちを愛の手で取り囲み、守って下さるのではないか。魂の奥底でも出会えるし、周囲の現実の中でも出会えるこのような存在を、私たちは霊と言うのではないのか。

 ヴェーユは神が愛と正義であることを信じていた点でニーチェとは違うけれども、それならば何故に彼女は現実を徹底的に否定し、不幸を捜し求めてさ迷っていたのか。ヴェーユにおけるカタリ派の二元論は、現世否定の色彩によって強く彩られてしまっていて、罪の赦しや、マニ教的カタリ派の二元論が持っていた、悪であっても現世でしぶとく生きるという楽天性に欠けている。禁欲的な純粋追求だけがキリスト教なのだろうか。





→この頁の頭

←前の頁 次の頁→




入力:平岡広志
2003.4.30