ユダヤ・キリスト教史 1997.8.5


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第14回 ――モーセと出エジプト?         (1997.8.5)


野呂芳男







 人間の語る言葉には、その人の善意や悪意が付着して、相手に向かって出発するというユダヤ人の考えは、神の祝福にも当てはまり、アブラハム、イサク、ヤコブへの神の祝福は、それ自体で実体を持つ物でもあるかのごとく、その子孫たちにも伝わって行く訳だが、この祝福はあくまでアブラハムたちが功績によって獲得したものではなく、神のひたすらなる恵みの賜物として理解されていた。そして、その恩恵にはアブラハムの血に繋がるもの全てが与るのであった。血の繋がりがユダヤ人の家族の基盤をなしていたが、これは今日の私たちが考えているような家族とは違う。私たちが考えている家族とはせいぜい親子、あるいはもっと大きく考える場合でも、父か母の親しい兄弟姉妹を含むに過ぎない。ところがユダヤ人の場合には、一家族が数百人、数千人を含むことも珍しくなかった。そして、家族全員が血を一つにした兄弟姉妹であるとの意識を持っていた。

 一人一人が、自分は一族の血の繋がりという鎖の一つの輪に過ぎないと感じ取っていたのだが、このような自己意識を持つ人間を共同体人間(cooperate personality)という言葉で表現している。例えば、ある者は自分をアブラハムの血を受けた共同体(家族)の一員と信じ、アブラハムの受けた神の祝福に自分も与かっているのだと感じ、その事実に自分の存在の意味を見いだしていたのである。ここには近代的な意味での個人はなく、従って、自分の属する家族(一族)の誰かが、血の繋がりを持たない他の一族の誰かによって損害を受けた場合には、損害を受けた者が属する一族の全員が、損害を与えた者が属する一族に対して復讐する。

 それ迄は父を一つにせず、従って敵ともなり得た二つの家が一つになることに同意すると契約を結ぶが、この行為を契約を切る(cutting a covenant)と言う(「エレミヤ書」34:18参照)。このようにして同族意識は広がり、ユダヤ人にとって民や国民は家族の拡大されたものとして把握されていた。そして、このような共同体人間としてのユダヤ人がカナンに入っていった時、王政下にある官吏や、土地所有者や商人たちが、ユダヤ人たちを治める対象、利益を得る相手として、つまり、ばらばらの個人として取り扱おうとしたのに対して、(ユダヤ人たちが)馴染めなかったのは容易に理解できる。







 ユダヤ人の性格や行動の仕方はどうであったか。太陽の作り出す灼熱地獄の砂漠で生きていた彼らは、強烈な肉体の欲望にさいなまれていると同時に、信仰深いという矛盾の中に生きていた。例えば、頑健で、ずる賢いヤコブは、精神的な夢を見、神と格闘する(「創世記」27:18-27、28:10-19)。また、彼らには half-toneがなく、全てが善・悪、敵・味方、愛か憎しみかのどちらかであった。契約を結んでいない相手に対しては何をしても良かった。相手の家族の一員が犯した罪は、その家全体を汚染しているものと理解され、ユダヤ人によって家族全員が滅ぼされたりした。逆に、一人のお陰で家族全員がユダヤ人の殺戮から逃れた(「ヨシュア記」6:22-25 、7:1-26)。

 ユダヤ人が理想として追求したものは、名誉と平和と自由であった。名誉とは、生存の困難を互いに助けあって乗り切る砂漠の民として、最後まで友を助け抜くことであったし、立派な羊飼いとして沢山の羊を持つことであった。平和とは、単に争いがないということではなく、人間としての欲望が互いに十分に満足される状態を指した。自由とは、砂漠における行動の自由であり、自分が望んだ指導者だけに服従することであった。







 ユダヤ人のカナン進入について勉強する前に、モーセの死について述べておこう。アロンは民に金の雄牛を作ることを許してしまって神の怒りを買ってしまったが、モーセも何らかの理由で神の怒りを招いた結果、カナンを目前にして死んでしまった(「申命記」32:48-52、34:1-12)。

 近頃は聖書に描かれているようなモーセが実際に存在したことを疑う学者が多いが、その理由を述べよう。高等批評の発展に伴って様式批評(form-criticism)が発展してきた。この場合、様式とは問題としている本文の梗概や構造、また、本文がどのジャンルに属するかなどである。例えば、ジャンルは手紙様式で構造は事件の報告である、というようにである。それに更に「生活の座」(Sitz im Leben)という視点が加わる。それを書いた人は、生活におけるどのような必要からそれを書いたかを、社会学的な見地で探るのである。例えば祭司が儀式の必要からその本文を書いたか、などを問題とするのだ。その上に伝統批判(tradition-criticism)が加わる。モーセに関する資料はJとEだが、それらは文章化される前に口伝えの段階があった筈であるが、口伝の段階を含めて、モーセの記事は四つの焦点を持つ。出エジプト、シナイ山での神顕現、荒野彷徨、約束の地への侵入であるが、一つ一つの焦点がそれぞれ別の生活上の必要を持つグループによって担われてきた。従って、モーセが四つの内のどれかに実際に関係したことは認められるにしても、実は四つの焦点の全てを背負わせた架空の人物かも知れないのである。

 しかし、私たちの周囲でも、ある人物に関して、Aが全く知らない事がらをBが知っていることはままある。別々のグループが各々の生活の必要から、モーセの生涯や性格の特徴の一部を伝えた可能性は十分にある。出エジプト、シナイの物語は特にそうである。


→この頁の頭

←前の頁 次の頁→




入力:平岡広志
2003.2.2