ユダヤ・キリスト教史 1997.9.9


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第18回 ――預言者の宗教? サムエル   (1997.9.9)


野呂芳男







 預言者サムエルが教える神は、イエス・キリストが私たちに示して下さった神とはどうも適合しそうもない。ユダヤ人がカナンの地にまがりなりにも定着するようになったサウルの時代になって、今更何故、と言いたくなるような仕方で、サムエルはサウルにアマレク人を撃たせた。かつて砂漠のカナンへの道を辿っていたユダヤ人を、アマレク人が邪魔をしたからであった。アマレク人に対する戦いを、サムエルは聖戦と称したが、その意味は、アマレク人を一人残らず、女性や子供たち、家畜なども、殺戮して戦利品と一緒に焼き払い、神への犠牲とすることであった。そして、これを文字通りにサウルが実行しなかったが故に、神は王としてのサウルを見捨てた、とサムエルは宣言したのである(「サムエル記上」15:1-35)。

 新約聖書の立場から見て、このサムエルの行動が余りにも残酷なやり方であるので、私たちはサムエルの告げるメッセージを聞かずじまいになってしまう恐れがある。そのメッセージとは、ユダヤ人の間では、たとえ王といえども、自分以上の意思、神の意思に服従しなければならないということであった。神への服従こそが人間の良心であり、この点で王も例外ではなかった。ただ、神に対する人間の良心に関する、サムエルを取り巻く人々の主張は、うっかりすると理性を働かせない、盲目的服従になってしまっている。例えば、ペリシテ軍を完全に打ち破るまでは、何も食べないとサウルが神に誓ったが、ヨナタンはその誓いを知らず、蜂蜜を口にしてしまったので、サウルはヨナタンを死刑にしようとした(「サムエル記上」14:24 以下)。兵士たちの取り成しで死刑は実行されなかったけれども、ここには、知っていたことと、知らないで行ったこととの区別が見られない。サムエルには、良心の問題に理性の働きが介在してこないのだ。本当は、今なすべき神の意思は何であるかを、(後で述べる預言者エリヤの主張するように)人間は理性を徹底的に働かせて探らねばならないのだ。

 だが、このような欠点がサムエルにはあったけれども、私たちはサムエルの偉大さを忘れてはならないだろう。サウルが神の選びに相応しくないと分かった時にサムエルは、かつての自分に対する神の告知が間違っていたのではないかと疑ったり、絶望したりしないで、神がその時、その時に彼に命じる事柄を実行していった。彼は、今なさねばならない事柄を、ひたすら実行しただけであった。これは易しいように見えて、実は非常に難しい。彼はダビデをサウルの替わりに王として選んだ(「サムエル記上」16:1-13)。







 神への服従と理性の問題を考えている今、少しばかり聖書と占いの関係に触れておくことにしよう。「申命記」(18:9-14)では、カナンで行われていた占いの種類が挙げられ、それらがことごとく禁止されている。しかし、自分に対する神のみ心がどうしても分からない時には、夢や、くじ(「サムエル記上」14:41-42)やウリムとトンミム(「出エジプト記」28:30)などの占いの手段を用いている(「サムエル記上」28:6)。そうすると、占いに対する聖書の態度は、徹底的に理性を働かせて考えることが先ず必要とされ、それと抵触するような占いの種類は否定されるということとなる。しかし、それでも神のみ心が分からない場合には、それを探る手段として、聖書は占いを否定してはいない。多くの人々には、この結論は嫌かもしれないが、仕方がない。







 サムエルから150年程経った時代に生きた孤独な預言者エリヤに話を移そう。エリヤに関する記事は、彼の死から100年後にはまとめられたと思われるが、その頃にはまだエリヤの記憶は保存されていたと思える。北のイスラエルの王アハブ(紀元前876−855)とその (フェニキヤ人)妃イゼベルは、フェニキヤのバールをヤーウェと共に礼拝するようにと民に強要し、バールの祭壇を国の処々方々に建設した。これに対して、少数ではあったが反対する者がいた。イゼベルは熱心なバール信者で、沢山の祭司と預言者とをフェニキヤから連れてきていたし、王権についての考えも全くフェニキヤ的であった。王宮に隣接するナボトのぶどう畑をアハブが欲しがったが、ナボトは譲らなかったので、イゼベルは町の長老たちと諮ってナボトを殺した。そこにエリヤが現れ、王と妃を非難した(「列王記上」21章)。エリヤは正義のために恐怖を持たず、アハブの貪欲や、その町イズレエルの長老たちの臆病を叩きのめした。彼の行動によってヤーウェとバールの道徳的相違が判然としたし、彼の神への服従は(サムエルよりも)道徳的であった。サムエルがサウルを、ナタンがダビデを難詰したよりも、このエリヤの行動は勇気が要ったであろう。アハブやイゼベルにはない人の良さが、サウルやダビデにはあったのだから。

 聖書の順序とは違って、実際はナボトのぶどう畑の話の後に来たのだろうと思えるが、長期にわたる旱魃がこれ以上は続かないと信仰的に予測したエリヤは、王やバールの祭司に、どちらの神が雨を降らせてくれるかを競い合おうと挑戦した(「列王記上」18章)。カルメル山上での奇跡が真実であると信じることに困難を感じる人々も多いだろうが、バールへの祈りによってではなく、エリヤの祈りに応えて雨が降ってきたのは事実であろう。重要なのはこの折りに、エリヤがユダヤ人たちに、バールを選ぶかヤーウェを選ぶかの決断を迫ったことである。決断が理性的判断を前提とするからだ。


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入力:平岡広志
2003.3.8