ユダヤ・キリスト教史 1997.7.15


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第11回 ―― モーセと出エジプト? ( 1997.7.15



野呂芳男








 「出エジプト記」7:16によると、モーセがユダヤ人たちを連れ出す理由として申し立てたのは、彼らに荒野で(モーセがシナイ山で出会った)神を礼拝させるためであった。エジプト王がそれを拒否したところ、神の力によってモーセはエジプトに、血の災いや蛙・ぶよ・あぶによる災いや、疫病・はれ物の災い、雹やいなごの災い、暗闇の災いなどを下して抵抗した。最後には神ご自身が、エジプト人や彼らの所有する家畜の初子を皆殺しにするという事件を起こされたので、遂にエジプト王はユダヤ人に出エジプトを許可するに至った。

 この辺りの「出エジプト記」は、このような事件が本当に起こったのかどうかを私たちに疑わせる記事の連続であるが、特に初子(ういご)の殺戮(さつりく)の記述は私たちに、ユダヤ教の神が本当にこのような行動をしたなら、果たしてその神はイエスの父なる神なのかを疑わせる。そしてこの神は、子羊の血をとって、それを入口の二本の柱と鴨居に塗ったユダヤ人の家には、初子を殺しに入ってこないで、その戸口を過ぎ越されたのである。

 この伝説的な事件を記念する祭りがユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」であるけれども「出エジプト記」12:1-13:16)、それはニサンの月(今日の私たちの暦では三月から四月にかけて、に当たる)の14日、満月の日の夜に行われる祭りで、(後で話すつもりであるが、ユダヤ人がバビロニアでの捕囚後、ユダヤの地に帰還してからの)祭司によって作られた伝承であると、多くの学者によって言われている。つまり、出エジプトの時には、過ぎ越しの出来事があったのだと人々に記憶させる祭りを、後のユダヤ人たちが作り上げたのだ。(このように考えてくると、神によるエジプト人の初子の殺戮は、実際にはなかったと考えるのが正しいだろう。)元来は、過ぎ越しの祭りは放牧民の春の祭りであったものを、そのような仕方で祭司たちが利用したのだ。また、元来は恐らく麦の収穫の祭りであったと思われるパンの祭りを、種(酵母)なしパンの祭りとして、満月14日に続く15日よりの七日間に行うことにして、急ぎの旅に出かける時の食事のあり方を象徴させている。







 「出エジプト記」12:37には、エジプトを出ていったユダヤ人の数は妻子を別にして壮年男子だけで60万人と記されているが、これは大げさな数だと言える。妻子を入れれば350 万人程の人数が出ていったことになってしまうけれども、ゴシェンの地がそんなに多くのユダヤ人を養えたとは到底思えない。モーセの言うことを聞かずにエジプトに留まったユダヤ人も多かっただろうから、実際に出ていった数は多くて一万人、恐らくはそれよりも相当に少ない数であったのではないか。

 エジプトを脱出しようとするユダヤ人を、考えを変えたファラオに遣わされた追手が追いかけてくる、と記述されているが、その時に神はユダヤ人を昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれたとされている。これは恐らく当時の習慣で、先頭に立って道案内をする者が持つ松明(たいまつ)を指しているのだろうという説もあるけれど、昼は雲の柱で夜は火の柱となるものは、どう考えても火山の噴火口から立ち上る煙だろう。モーセが目指す場所は、当時活火山であったシナイ山であったのだ。このように考えると、モーセが神の顕現に出会った時の、燃えていて燃え尽きない柴の場所とは、小さい噴火口であったと推測できる。また、エジプトを脱出したユダヤ人の一行が迂回した時に、雲の柱・火の柱が後方に回ったという記述も納得できる(「出エジプト記」14:19 、地図:「出エジプトの道」参照)。

 かつてはユダヤ人たちは紅海を渡って逃れたとよく言われてきたが、今は私たちが参照している地図がそうなっているように、紅海ではなく葦の海を渡って逃れたという説を取る学者が多い。いずれにしろユダヤ人たちは潮の干満を利用して、引き潮の時に歩けるところを見つけて渡ったのであって、追手は満潮に向かう水によって滅んでしまったと考えるのがよいだろう。







 追手を逃れたモーセ一行のところに、モーセの舅でミディアンの祭司エトロが、預かっていたモーセの妻ツィポラや子供たちを連れて訪れた。古代の砂漠の民の多くは、灼熱地獄を作り出す太陽ではなく、活動できる涼しい環境を作り出してくれる月を神として崇めていたのだが、ミディアン人もそうであったと考える方がよい。そうすると、モーセがシナイ山で出会った神もエトロの神(山の神はしばしば女性である)、月の女神であったと言える。モーセよりも200 年ほど前に、エジプトにも太陽をそのまま神とは考えずに神を表す象徴だと考えた王エクナトンがいたが、モーセも月そのものを神と考えたのではなく、神の象徴としてとらえたのだろうが、二人は共に形而上的な思考をすることができるインテリーだったのだ。旧約聖書に出てくる神のみ名には Adonay,Elohimの他に、文語体の日本訳にエホバとして登場していた神YHVHがあるが、これは Yahavehと読むのが正しい。砂漠の民の月礼拝の時の叫び声Ya!に、あなた、私たちと一緒にいて下さい、というhveh immanu というカルデア語 (但し immanu は省略されてしまったが) がつけ加わったと言われているが、これもモーセの神の象徴のとらえ方であったのだろう。



→NEXT

→BACK


入力:平岡広志
2003.1.7