野呂芳男「キリスト者の完全について」2006

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キリスト者の完全について


野呂芳男

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礼拝説教  於・本多記念教会  2005.10.23
この説教は、拙著『ジョン・ウェスレー』への導入を目指したものであるから、詳細にわたる議論は本書に譲ってあることを予め承知していただきたい。 (野呂記)

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 今から6年程前、ある大学の教授が、ある会合に招かれて講演をしておりましたが、途中で気分が悪くなり、そのまま倒れてしまったという事件がありました。聴講していた方々が彼を急いで病院に運び込み、しばらく経って彼は、回復の兆しを見せ始めました。しかし彼は、他の病気を入院中に併発して、この世を去ったのです。この方の名前は牛島秀彦と言います。牛島氏は、いわゆる世間でいうところのノンフィクション作家であり、世間のいろいろな事件や様子を取材しながら、自分の意見をそこに注入するという仕事をしておられた著名な方です。実はその方は、私がお世話になっている単立教会・ユーカリスティアの牧師である林昌子さんのご尊父です。

 牛島氏は非常にユニークなエッセイ、ノンフィクション作品などでよく知られた方でした。単行本の中で特に親しまれているのは、現在の中日ドラゴンズの前身である名古屋軍のエース・ピッチャーであった石丸進一を書いたものです。実際に牛島氏の従兄弟でもある石丸は、有望なエースとしてもてはやされそうになっていた時期に軍隊に行き、特攻隊員として、おそらくはアメリカの艦隊に体当たりして死んでいきました。その彼の心の虚しさを描いたこの本は、今もって映画になったり芝居になったりして、多くの人々に親しまれています。この作品は、彼の作品の中でも一番フィクションに近いものだと思います。終戦の時、牛島氏は10歳でした。氏は10歳までは、天皇制の下に縛られた国民教育を受けてきました。ところが日本が敗戦した途端、周囲の人々の信念や生活態度はすっかり異なってしまい、今まで天皇制の中にあって天皇を賛美していた人々が急に180度転換して、民主主義の賛美者に変わってしまったのです。そのような天皇制を、どう考えるかという原点に牛島氏は立って、それ以後彼は、その現実の変化を冷たく凝視する視点を貫き通した、現代の証人としての作家であり続けたのです。彼は民主主義の視点から、冷たく、また温かく、民主主義を他国から貰い受けた日本社会が、元の天皇制体制に戻っていくのを心配して看視していたのです。

 エッセイもまた、彼は多く残して逝きました。単行本でないものは、なかなか私たちの手に入りにくかったのですが、亡くなって6年目の今年、夫人が一念発起され、未刊行であるかつての文章を集めて遺稿集をお出しになりました。それに加えて、沢山の友人たち、主に作家や政治家の方たちが思い出を綴った本が『時代の証人』として出版されました。氏は私より10歳若く、彼の書いたものは実際その通りだと思いますし、その事情がよく分かるのです。実際に私は軍隊におりまして、そのような天皇制の下にあった人間です。ところが終戦になると、日本は急転回したのです。私は軍隊から放り出され、その後いろいろな印象を、日本の現状について感じてきました。

 牛島氏の『時代の証人』を読ませていただいている中で、終戦直後の昭和天皇が、皇太子(現在の天皇)に英語を勉強させたいと自らマッカーサーに頼み、相談の結果、クェーカーの女性が家庭教師として来たという文章がありました。その方はエリザベス・バイニングという人でした。マッカーサー統治下の日本では、最初の4、5年は平和主義を謳った憲法に基づいたマッカーサーの意図が、いろいろの改革として宣言され、実行されました。

 ところがその後、朝鮮戦争が起って、マッカーサーはこれまでの政策を転換して日本の再軍備を考えます。このような事柄の中で、バイニング夫人はクェーカーとして、こうした政策の転換への抗議を込めて自ら辞任を申し出られ、アメリカにお帰りになってしまった。私はこのバイニング夫人のことを牛島氏が書いている文章を読んで「ああ、そうだったなあ」と感慨に耽ったわけです。クェーカーは、17世紀のイギリスの靴屋ジョージ・フォックスが、神の霊感を感じて始めた宗派です。このクェーカーという名称は、神の霊によって体が震える(quake=震える)ところからつけられた、一種のあだ名です。ちょうどウェスレーの運動が「メソジスト(几帳面な人々)」というあだ名をつけられたことと同じです。実際には彼らは、フレンド会(Society of Friends)という名をもつ宗派です。

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 フォックスは社会的な影響力においても大変な人だったと思います。メソジストの方々はよく、「キリスト者の完全」という教理はメソジストの専売特許であるかのように思っているようですが、それはとんでもないことで、「キリスト者の完全」という考え方はフォックスにもあります。さらに歴史を遡れば、聖フランチェスコにもあります。つまり、これは私がかねてから教会史の中の聖霊運動と呼んでいる、一連の流れの中の現象なのです。しかし私たちは聖霊に関して、しばしば誤った考えを持ってしまっています。

 まず、聖霊運動といった場合の聖霊は、使徒言行録に出てくるところの「ペンテコステの時に教会に与えられた」という聖霊とは違います。この違いが、実は重要なのです。私たちはうっかりすると、三位一体論から連想して、聖霊というとすぐにペンテコステの時に教会に与えられた聖霊だと思い込んでしまいます。ところが「聖霊運動」という時の「聖霊」は、そうではないのです。たとえば聖フランチェスコをお考えくだされば、このことは明瞭となります。彼も完全を目指して闘いました。フランチェスコ教団は今でもローマ・カトリック教会の中に一つの教団として存在していますが、過去のフランチェスコ教団は、このようにカトリック教会の中におとなしく閉じ込められているような運動ではなかったのです。フランチェスコと、カトリック教会の中の教団として無難におさまろうとした弟子・兄弟エリヤとの争いは、1世紀にわたりフランチェスコ教団内の二つのグループの争いとして引き継がれていきました。

 そして聖フランチェスコは、完全を求めたのです。完全にキリストと同じになろうとしたのです。晩年には、キリストが十字架に掛けられ手に釘を打たれた跡、そして足に打たれた釘の跡が、聖なる痕跡という形で彼の体に出てきた、という伝承があります。そのため女弟子のクララはフランチェスコのために特別の靴を作りました。そのお陰で彼は再び歩けるようになったのです。このことからも分かるように、ここでの聖霊は、使徒言行録に出てくる三位一体論の第三位格に当たるような聖霊ではなく、むしろ第二格のキリストの霊そのものであり、十字架にかけられたままでいる天上のキリストの霊が地上に降りてきて、人間を愛に満ちた存在に変える作業をしているのです。これは三位一体論の第三位格としての聖霊などではありません。フランチェスコの求めたキリスト者の完全とは、完全にキリストに従って、キリストと同じような命を生きさせるものなのです。

 兄弟エリヤがローマ・カトリック教会の中に、この運動を懸命に閉じ込めようとしたことは前に述べましたが、実際政治的には彼が勝ったのです。しかしフランチェスコの真の意図がそこにあったのかというと、そうではないと、私も、また多くの研究者も考えています。本当のフランチェスコ教団は、教皇に反対しても構わないというほどにキリスト・イエスに見習うどころか、いやキリストに全部、自分の魂と体を渡してしまうという、そのような意図をもつ激しい教団だったのです。英語でよく「極端なフランチェスコ派(extreme Franciscans)」という言葉でこの教団の人たちが表現されますが、実際にも彼らは単なるカトリックの僧侶ではなかったのです。キリストを、自分たちの魂と身体の上に体現しようとしたのです。

 同じことがジョン・ウェスレーの「キリスト者の完全」についてもいえるのです。そしてクェーカーであるフォックスの完全追求についても同様です。これは一体どのようなことを意味するのでしょうか。どこからこのような運動が、教会史の中に起ったのでしょうか。

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 その源は、実にパウロなのです。パウロの福音の考え方を如実に実践しようと試みた結果が、この聖霊運動なのです。パウロは十字架に掛けられたままのイエス・キリストが現在、神の右におられて、そして私たちのためにとりなしをしてくださっているという理解をもっていました。ここが重要な点です。

 「十字架にかけられたままのキリスト」について、パウロの書簡では、ある時に起った出来事が現在まで続いているという現在完了形に類する形が使われています(注・「ガラテア人への手紙」3:1. Ιηδυσ Χριστοσ ρποεγρση εσταυρωμενοσs 欽定訳では以下のとおり。Jesus Christ was portrayed having been crucified)?。つまり、イエス・キリストは十字架にかけられたそのままの姿で昇天して、神の右に今、いらっしゃるということなのです。ですから今でも血を流しておられるというイメージを私たちに示しているのです。この箇所では「あなたがたの目の前に、現在、十字架にかけられているイエス・キリストを私〈パウロ〉がありのままに示して教えてきたのに、どうして私の示したキリストを裏切るのか」となっています。つまりこれは、十字架にかけられ血を流しているキリストがそのままの姿で神の右におられる、というパウロの考え方が如実に表現された文章なのです。

 もうひとつ、これと関連したことを申し上げます。アドルフ・ダイスマンという有名なドイツの宗教史学派の「長老級」の学者が書いたパウロ研究によれば、パウロのイエス・キリストはかつて地上にいただけの存在ではなく、今も神の右に座して十字架にかけられたままでおられ、しかもイエスはそこにじっとしてはいない。彼は霊として(これが、パウロの手紙に書かれている霊なのです。これはペンテコステの聖霊ではありません。)、地上に生きる私どもをまるで空気であるかのように包み、私たちはその中で動き、その中で思索し、その中で苦闘しているというわけです。これがダイスマンの言う、イエス・キリストの救いです。

 つまり、フランチェスコに聖痕ができたというエピソードが表すように、キリストと一つになろうとする運動が教会史の中にあったのです。そしてフォックスもウェスレーもそうだったのです。ウェスレーの「キリスト者の完全」に対しては、誰もそのようなことはできない、とてもではないが自分は完全になれない、という人々がたくさんいらっしゃいます。その点に関しては、後で詳しく述べることにしまして、それではウェスレー自身は、実際に完全を体験していたのかどうかについて、先に話しましょう。

 この問題は、実はウェスレー研究の一つの大きなテーマです。多くの人々は、分からないと言います。正直のところ、彼自身しか分からないところもあると、私自身思います。彼の追求した完全が、単に倫理的なものではないということは、上に述べた聖霊運動の歴史の中にそれを投入してみるとお分かりいただけると思います。フランチェスコが体験した聖痕に至るまでのあの苦しみ、そして喜びを、彼(フランチェスコ)は完全の中に求めていたということができると私は考えています。ウェスレーはメソジスト教徒の病気をできる限り治そうとして民間療法の本を書きましたし、信者の教養を高めるために「キリスト教文庫」シリーズを発刊しました。これらは単に倫理的な動機に基づくものではなく、人間一人びとりを神に愛されるに値する存在にまで高めようとしたウェスレーの完全追求の一環だったのです。

 やはりウェスレーにとっても「完全」は単に倫理的なものだけではなく、それ以上のものであり、「キリスト者の完全」の追求は、その地上における倫理的なものだけを浮かび上がらせたものなのです。人間の魂は死後も成長するものだ、とウェスレーは考えていましたから、そのような死後の進化はすでに地上でも始まっているのです。死後の成長と地上での成長をつなぐものには、神に関する知識や、自分や隣人の魂がどのような仕方で聖化の諸段階を歩むものかなどの知識があげられます。すでにこの地上でも、ある程度ではあるが、このことは分かるのです。人間の魂と身体との関係に関する知識も(『民間療法』〈 Primitive Physic 〉に見られるように)このように――パウロの言う――霊の身体についての知識と深いところでつながっているという確信のもと、ウェスレーはそれを書き上げたのです。

 しかし、次の点がいかにもウェスレーらしいのですが、彼は今できる事柄に集中しました。この地上での身近な生活の中での、愛の完全に集中したのです。死後の魂のことは、「キリスト者の完全」の延長として、死んでから懸命に知ったり、実行すればよいことなのです。

 余談かもしれませんが、クェーカーのフォックスがどのような時代を生きた人間であったかについて、少し触れておきましょう。オリバー・クロムウェルという英国を一時期治めたクリスチャンがいましたが、彼は議会軍を率いて国王軍と戦い勝利し、時の英国王をギロチンに架けて処刑しました。フォックスが生きたのは、そのような荒々しい時代でした。そして彼とクロムウェルとは出会っています。クロムウェルは、フォックスが所どころで騒動を起こしていたため、彼を呼びつけたのです。ところがクロムウェルは、フォックスと話しているうちに涙ぐんでしまって、「私もあなたのようになりたい」と言い出す始末でした。その後、彼はフォックスの伝道に陰ながら助力しました。このような友情が、怖い議会軍の総帥・クロムウェルと、平和の使徒・フォックスとの間に存在したのです。

 このフォックスのエピソードがウェスレーにも通じるので、この話を続けますが、まずフォックスの行動の特徴を申し上げましょう。フォックスは聖書の言葉を逐語的に正しいものだと解釈していました。たとえば「誓うなかれ」という言葉をその言葉どおりに受け止めて、法廷で裁判にかけられた時に「判事に敬意を払い帽子を取って誓え」と言われても、それを拒否しました。「聖書に『誓うなかれ』とあるから私は誓わないし、帽子も取らない」と言ったのです。さらにフォックスは続けます。

時のバビロニア国王・ネブカドネザルがユダヤの3人の少年が偶像を礼拝しないというかどで、彼らを炉の中に投げ込んだ。そこに天使が下りてきて3人の少年を救った(ダニエル書、3章)。彼らは天使の前でもずっと帽子を被っていたはずだ。そして彼らはネブカドネザル王の前でも帽子をとっていない。それでも彼らが救われたということは、たとえ判事の前であろうとも、神は人間が帽子を被っていることを認めているからだ。

「だから自分は、誰に対しても帽子を取らない」とフォックスは主張したのです。このエピソードには、判事たちに反対した結果投獄され、殺されそうになっても「誓うなかれ」という聖書の言葉をフォックスが守り抜いたということが表されています。

 ウェスレーは、このような仕方では、裁判所や政府とやり合うことはありませんでした。しかし彼は、山上の説教によって私たちの現実の全てを判断するように勧めています。つまり、ウェスレーはユダヤ教時代の律法は、キリスト以降の世界では通用せず、新しい時代、つまりキリストの時代の律法は「殺すなかれ、姦淫するなかれ、偽証するなかれ」を超えたものであるとしました。つまり新しい時代の律法は愛であり、愛に反する事柄が律法違反となる、と。この場合ウェスレーは、キリストの山上の説教に根拠を置いて生きるようにと主張しているのです。つまりフォックスの平和主義を、ウェスレーは山上の説教を土台として実践したのです。

 たとえば、皆さんがよくご存知の話で考えてみましょう。それは、アメリカが独立戦争を起こした際のことです。戦争前までは、アメリカの英国に対するいろいろな不平不満、抗議などにウェスレーは大いに味方をしたのですが、アメリカが戦争という手段に訴えて独立を勝ち取ろうとしたとたんに、ウェスレーは立場を変えました。戦争という、山上の説教に反する手段を取るということになれば話は別、という感じで、ウェスレーはアメリカの独立に関してむしろ控えめになってしまったのです。このような事件は、後の歴史家から見るとウェスレーの方が間違っていたように見えるかもしれません。しかし、そこに彼のひとつの信念があるわけです。平和が大切なのだ、皆が愛によって生きることが大切なのだ、戦争は絶対にすべきではないというウェスレーの信念が貫かれているのです。ですから彼が「キリスト者の完全」と言ったときには、これは愛に貫かれた人生ということを言いたかったのです。何もかもが愛に満ち溢れた人生こそが完全なのだということです。

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 ところで先ほども触れましたが、多くの人々が今もって問題にしているのは、いったい「キリスト者の完全」は実現可能なのだろうかという点です。そして、これを唱えたウェスレー自身が、完全にされた体験を持っていたかどうかという点です。

 ウェスレーはそのような完全の体験を持っていなかった、という結論を公表している学者が多くいます。一方で、「いやそんなことはない、完全を体験した人々に『完全になった場合には、それを自分で告白せよ』と勧めるウェスレー自身が完全な体験を持たずして、人々に完全の体験を告白するように勧めるのは筋が通らない。だから当然、彼は完全の体験を持っていたはずだ」という人々もいます。それでは私はどう考えているかと言いますと、ウェスレーは完全の体験を持っていたと思います。しかし、それをやたらに公表できなかった理由があったのだと思います。なぜかと言うと、当時ウェスレーは仲間や弟子達に突き上げられて、独裁者だと非難された時期が相当長い間続いたのです。そのウェスレーが、「私は完全者だ」と告白したらどうなるでしょうか。完全の教理そのものが信用されなくなってしまうのではないかという懸念のもと、つまり自らの完全の教理を守るために、彼は、公には、自分は完全者であるとは敢えて言わなかったのではないでしょうか。

 しかし実際には彼自身、完全者だという自覚を持っていたと思います。その証拠を挙げよ、と言われればいくらでもありますが、その前にウェスレーの言う「キリスト者の完全」が、どのようなものであったかを皆さんにお話ししなければならないと思います。

 その完全は、「アダムの完全」とは全く違うものだとウェスレーは言います。「アダムの完全」とは、知恵も完全、言葉遣いも完全、洞察力も完全、知識においても完全である……という状態です。ところで、うっかりすると私たちが「完全」という言葉で想像するのは「アダムの完全」の方かもしれないのです。ところがウェスレーは、そのようなことはあり得ない、残念ながらこの地上で私たちが生きている限り、「アダムの完全」には到達できないと言い切っています。
 ここで、完全とは言えないが、罪とまでは言えない状態について、いくつか例を挙げてみましょう。ロレツが回らずきちんと話が出来ないのは罪とは言えないが完全ではない。頭が悪くて十分に論理が展開できないことも、罪ではないが完全ではない、など……。罪ではない過失、過ち、そのようなものを伴わないキリスト者の完全はあり得ない、とウェスレーは言っているわけです。「キリスト者の完全」は「アダムの完全」と違い、相対的なものなのです。その人物は過失を犯すかもしれない。しかし、それは厳密な意味では罪とはいえない。厳密な意味での罪とは、自分の自由意志で決断を下した結果が過っていた場合の過ち、それが罪なのです。そうではない場合に、能力の低さ、教養の無さや育ちの悪さとか、あるいは環境などという諸々の事情でどうしても陥ってしまう「過ち」があります。しかし「過ち」は罪ではない、とウェスレーは言うわけです。ですからウェスレーの言った「キリスト者の完全」とは、人間の持っている弱さとは別に、自由意志に基づく愛においては罪を犯さないということなのです。

 ウェスレーの「完全」に関する文章はややこしく、今までお話したことが十分に理解されないと、彼が何を言おうとしているのかがよく分からないところがあります。しかしその中で私たちが考えなければならない幾つかの点を、今日は心に留め置いていだきたいのです。ウェスレーの著作から察するに、彼は「完全」には個人的な差があると考えていたようです。これはどういうことなのか、ウェスレー自身が用いた譬え話を引き合いに、説明します。

 海に潜っていった場合、「これ以上自分には潜れない」という深さまで潜って上方を見ると、自分がどのくらいの距離を潜れたかが分かります。その場合、その深さは各人別々です。ここで、この譬え話が言おうとしているのは、「完全」には個人差や程度の差がある、ということです。ある人の完全は、他の人の完全よりずっと深い。海に潜る譬えで言えば、水面と自分との距離が、他の人の場合よりずっと距離があるという「完全」のありようがあるのです。そこまでは到達できないが、その途中でもう精一杯だ、これ以上潜れないという「完全」のあり方もあるのです。

 残念なことに、個人差についてウェスレー自身はあまりはっきり書いていません。それは、個人の実存的な問題は、ウェスレーの時代では、まだ解明されていなかったからです。しかし現代に生きる私たちにとっては、それは重大な問題だと思います。個人差があっていい、ということです。私は自分自身について、「完全」には程遠いと思っていますが、仮に私が完全者であったとしても、他の人はもっと深く完全を追求し、そこに到達することもあり得るわけです。個人差があっての「キリスト者の完全」だということです。

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 ウェスレーの完全論を研究するうちに、私は職人たちの生き方に深く思いを致すようになりました。私は東京の下町生まれです。子供の頃に私の家の近所にはたくさんの工場があり、職人たちが働いていました。例えば、私は子供の時よく見に出かけたのはガラス工場でした。熱してドロドロの赤いガラスを出しては水の中にボーっと入れて、素晴らしい芸術的作品を作りあげていくのです。私は邪魔にならないようにしゃがみこんで、それを見ていました。同じように他にも行きました。畳職人が藁を詰めていく仕事をジーっと観察しました。建具屋に行くのも好きでした。「坊や、よく見てご覧よ。欄間を作るのに、夏か冬かで空気の湿りっ気が違うから、このくらいの角度で反らさないと上手くいかねぇんだ。季節ごとに、欄間が欄間として美しい曲線を描くようにすることが大切なんだ」と教えてくれました。私はそのような、職人の持つ、素晴らしい技術に驚きを覚え始めたのです。

 ウェスレーの「キリスト者の完全」を考える時に、職人の親方のあり方を考えたらよく分かるのではないかと、私はふと思い出したわけです。どのような意味かといいますと、ウェスレーはある意味で、牧師の親方です。たくさんの信徒を抱え、たくさんの伝道者を抱え、自分がどのような行動を取ったらどのような結果が出るかを、彼は前もって計算しています。そしてもっとも都合のよい形で、彼は弟子達を指導しています。これは職人技です。ですからウェスレーは牧師の親方なのです。私は彼の親方ぶりに、本当に感心させられてしまうのです。

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 18世紀に生きたウェスレーが、人間理解につながる19世紀以降の学問を知らなかったのは当然のことながら、残念なことです。カール・マルクスによる社会分析だとか、ジグムント・フロイトやカール・ユングなどの深層心理学による分析だとか、そのような研究成果をウェスレーは知りません。現代の私たちがウェスレーの書き残したものについて、ある場合に理解し難いと感じるのは、このような事情からではないかと思います。たとえばマルキシズムは、社会の変動によってどのように人間の生き方が変わるかという分析を提供します。そこでは私たちは皆、その生き方を社会によって変えられる方の存在として観察されるわけです。深層心理学は、個人の心理を越えた遥かな深層に、私たちの心理が存在する根があるのではないかという研究をするのです。これらの研究成果は19世紀にならないと、私たちに与えられなかったものです。

 以上のことを大雑把に言えば、次のようなことになります。人間をどのような見方で見るかということが非常に重要なポイントなのです。社会の影響のもとだけで人間を考えるか、あるいは社会の変動によって人間の生き方が変えられることを肯定しながらも、それににもかかわらず人間はその自由を行使する領域を想定し、そこでは主体的な愛に生きる可能性があると考えるか、ということが重要なのです。「このような社会だから、人間はこのようになった」というように、社会の影響から人間のあり方を追究する考え方があります。そして、人間のあり方は社会の影響によってだけ作られるものだという考え方は、人間を自由の重荷から解放し、私たちを楽にしてくれるかもしれません。しかし残念なことに、そうはならないのです。人間は自分自身で社会を変えていかなければならない存在でもあるのです。両方が、現実なのです。しかし、人間の方から社会に立ち向かっていく面から考えてみると、ウェスレーの「キリスト者の完全」がよりよく理解されてきます。

 ここで重要な点をまとめてみましょう。ウェスレーの「キリスト者の完全」とは、まず「アダムの完全」ではない。それから、社会から人間が影響されるということを主にして考えたものではなくて、社会に向かって人間がどう生きるかという角度から考えている。つまり職人の親方と同じように、こうしたら、このような結果が起こるかもしれないという結果を予想した上で、私たちは自分の行動を決断しなければならない。これが、ウェスレーが言った「キリスト者の完全」の意味だ、と私は思います。

 人間が、いきなり神的な存在になるわけがありませんから、人間は現在のところ「アダムの完全」を持てないのです。しかし自分の出来る範囲で、自分が親方になって、そして自分の未来を出来るだけ予想して、あらかじめ知ることができるものは全部知って、そして決断して、誰が何を言おうと、このような生き方しか自分には出来ない、これでいいのだ、という生き方がウェスレーの「キリスト者の完全」が意味するところなのです。もしかしたら、親方は酒飲みかもしれないし、欠点だらけかもしれない。しかしこの欄間を作るには、どうしてもこうしなければいけないのだという熟練に、その職人は達するのです。それと同じように、私たちは人生の生き方の熟練者になることができるのです。ですからウェスレーは確かに、キリスト者として完全の体験を持っていたのだと私は思います。彼は彼なりに、このように言ったら弟子たちがどう反発するか、社会がどう自分に向かって動くかを知っていました。社会が自分を支配するのではなくて、自分が「山上の説教によって」社会を変えていく、これが彼の言う「キリスト者の完全」ではないかと私は今、考えています。

 そして私は、自分もウェスレーのようになれたら嬉しいと思います。どだい無理な話でしょうが、それでもやはりウェスレーが最後まで追求し続けたように、私もそのように生きていきたい、愛によって完全になりたいと思います。ただしそれは、いわゆる「神がかり」という状態に陥ることを意味するものではなく、自分の決断で追求していかなければいけないのです。「神がかり」と「完全になる」とは、全く違う状態を指すのですから。

 最後に、再びフォックスの話になりますが、彼にはジェームズ・ネイラーという弟子がいました。ネイラーはクロムウェルの軍隊の将校でしたが、フォックスによって改宗してクェーカーになった人物です。ネイラーが死ぬ2年程前、ブリストルに行った時の話です。キリストがエルサレムに入る際、ちょうどゲッセマネの辺りに来た時、弟子を遣わして2頭のロバを連れて来させました。イエスは小さい方のロバに乗ってエルサレムに入ったのですが、その際に、弟子がロバの背中に自分のガウンを掛けて、そこにイエスが乗り、エルサレムに入ります。群集は預言者が来たというので大喜びで、「ホザナ、ホザナ」と叫びながら自分の上着やオリーブの枝を敷き詰めて、イエスを歓迎しました(「マタイによる福音書」21章)。ネイラーがブリストルに行った時、彼はまさにこの情景を演じたのです。自分がまるでイエス・キリストのように、凱旋将軍のようにして、ブリストルに迎えられたのです。これを聞いたフォックスは怒りました。ネイラーが自分をキリストに、そして神になぞらえたとはとんでもない話だと怒ったのです。クロムウェルも困りました。議会はネイラーに死刑判決を下してしまったのですが、これはクロムウェルの意図ではなかったからです。クロムウェルはじめ、その他の理解ある人々がネイラーの命を救うよう努力して、ついにネイラーはギロチンに架けられることを免れたのですが、それから1年程で彼は死んでしまいました。

 この話からは、フォックスとネイラーの違いが浮き彫りになります。フォックスは自分が「キリスト者の完全」の体験者であるという自覚を持っていてもなお、けっして自分は神的存在だとは言わなかった。あくまでもキリストが主であって、フォックスは従なのです。ウェスレーの場合も、これと同じだったのです。

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テープ起こし:中川美弥子
2006.05.30