ユダヤ・キリスト教史 1997.11.18


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第27回 ――徹底的終末論?              (1997.11.18)


野呂芳男






 シュヴァイツァーは近代主義のイエス観の四つの特徴を先ず挙げる。イエスの生涯を二つに分けて、成功の前期と幻滅と失敗の後期とすることが、その第一の特徴であり、イエスの購いに関する言葉がパウロによって影響されているというのが、その第二の特徴である。イエスの唱えた神の国は私たちが愛と正義の実践を通して、この地上に持ちきたらすことができる(超自然的ではない)倫理的な国であった、とするのが、その第三の特徴であり、イエスは率先して愛と正義のために苦しみ受難したが、それは結果的に弟子たちにもそのように行動して、神の国を実現させるための原動力となったというのが、その第四の特徴であった。(白水社『シュヴァイツァー著作集』第八巻「イエス小伝」108頁)。

 近代主義のこのような想定が誤りであることをシュヴァイツァーは一つ一つ証明してゆく。前期では、「マルコ」3:6を見ると分かることであるが、比較的にイエスの伝道生活の早い時期に、イエスの殺害計画がパリサイ人やヘロデ党の人々によって相談されていたことや、イエスの家族の者たちがイエスを無能力者として家に連れ戻しにきたこと(「マルコ」3:20)、また生れ故郷のナザレでイエスが排斥されたこと、使徒派遣の時のイエスの弟子たちに対する言葉には、伝道が人々に受け入れられるだろうとする楽観主義が全く欠けていたことなど(「マタイ」10:22以下、前掲書109頁以下)をシュヴァイツァーは挙げて、前期が決して「ガリラヤの春」と言われるような成功の時期ではないことを証明する。

 近代主義者が言うイエスの「北方への逃避」(「マルコ」7:24以下)もシュヴァイツァーによると意味をなさない。何故なら、前期が伝道の成功を意味するなら、成功から逃避するのは意味をなさないからである。むしろ、これは後で明らかになるように逃避ではなく、イエスが弟子たちと共に――(弟子たちを派遣する時に、彼らが彼のところに帰ってくる迄には、神の国が到来するだろう、とイエスが告げたのに反して)何故に彼が予想した通りに、すぐに来るはずの世の終わりが来なかったのか――を省察する、静かな時間を求めての旅であった(前掲書112頁以下)。ところが、この省察の旅から弟子たちと共に帰ってきた後の――いわゆる、失敗と苦しみの時期である後半の――イエスは、却って多くの信者の群れにいつも取り囲まれていた。後期こそが成功の時期であった(前掲書113頁以下)。

 近代主義者の第二の仮説もシュヴァイツァーによって否定され、イエスの購いの発言として古共観福音書に記されている言葉には、パウロの影響が全くないことが証明される。(シュヴァイツァーが古共観福音書という時には、「マルコ」と「マタイ」を指すが、彼のイエス論はこれら二つの福音書だけに依存している。恐らく「ルカ」はパウロの影響が強いという理由から、「ヨハネ」は史実を伝えていないという理由から排除されているのだろう)。シュヴァイツァーによると、パウロの場合には、その手紙(「第一コリント」11:24など)に見られるように、イエスの購いは「あなたがた」、つまり、信者たちのものであったが、「マルコ」10:45や「マタイ」26:28では、購いは「多くの人」のためのもの、不特定多数のためのものとなっている。イエスの言葉には、これから起こるであろう終末の出来事において、救われる人々はまだイエスにとって人数がああ無限定であったことが伺える。パウロにおいては、購いに与る人々は教会の信者たちであって、これからすぐに起こる超自然的終末の緊張感は見られない(前掲書115頁以下)。

 神の国は私たちの倫理的行動によって地上に実現される愛と正義の国であるとの近代主義の第三の仮説も、イエスが説かれた倫理的教えが全て中間時のためだけのものであったことを知ると、崩れてしまう。シュヴァイツァーが言う中間時とは、イエスの説教しておられた時と超自然的終末との間のことであって、イエスの説かれた倫理は決して永遠に、いつでも何処でも通用する道徳ではなかった。シュヴァイツァーはこれを説明するために、「マタイ」20:20以下などに見られるゼベダイの子らの要求の話を持ち出す。神の国で偉くなりたい者たちは、この世で遜(へりくだ)り、人々に仕える者とならねばならないとイエスが言う時には、いつでも何処でも通用する奉仕道徳をイエスが教えておられるのではなく、これから終末が訪れる迄の中間時を、私たちがどのように過ごすべきかを教えておられるのである。ここでは低、あそこでは高ということであって、私たちの道徳的実践によってこの世が徐々に立派になり、やがて愛と正義の国がこの世に実現するということではない、とシュヴァイツァーは言う(前掲書118頁以下)。

 近代主義的立場では、苦難を受け入れた(既に道徳的・倫理的な意味では神的であるこの)イエスは、やがて栄光に包まれた神人として再来するだろうと考えられていたのだが、ここにはシュヴァイツァーの言う通りに、イエスの苦難が終末の人の子の来臨との間に持つ、低められた、惨めな存在であるイエスが、別の栄光に満ちた人の子としてただちに来臨するという、終末的比較対照が全く見られない(前掲書124頁)。

 従って、近代主義が想定した第四の事柄、イエスの受難は弟子たちや信者たちにとっての倫理的模範であるという命題も、シュヴァイツァーによって破られてしまう。受難は倫理的模範とすべきものではなく、イエスが理解した神の秘義であったのだ。神がそのように意図されて行動されるということであった。ただそれだけであった(前掲書125頁)。

 イエスの伝道生活を以上のように黙示文学的終末論から理解しようとするシュヴァイツァーの解釈は、彼自身が言うように、徹底的終末論に立った解釈であるが、このような聖書解釈はシュヴァイツァーだけが行なったものではない。ローマ・カトリック教会の司祭であった(カトリック近代主義の創始者と言われ、後に教会から破門された)アルフレッド・ロアズィーは、大体同じ説を『福音と教会』(1902年)に発表しているし、他にも何人もいる。否、細部においてはシュヴァイツァーのような徹底的終末論を批判する学者は跡を断たないが、(従って、徹底的であるとは言えないかも知れないが)イエスの説教が何らかの形で終末論を土台としたものであることを、今日否定しさる責任ある学者はいない。

 では、終末論に対する教会や信者たちのこれ迄の反応はどうであったか。大体において二つの解釈の方向が、これ迄は辿られたように思う。一つは、ローマ・カトリック教会がアウグスティヌスの『神の国(あるいは、神の都)』以降取り続けている神学的態度で、宗教改革によって生まれたプロテスタント諸教会もそれを採用しているものであり、神の国はペンテコステにおける聖霊降臨(「使徒」第二章全体参照)以降には、既に聖霊に満たされた信者たちや教会の中に、基本的には到来しているとする考えである。しかし、現実の教会が神の国というには余りにも罪と汚れに満ちているので、神の国はまだ到来している訳ではなくて、まだこれからいつの日にか到来するだろう、と考える人々がいても不思議ではない。このような人々は、神は何らかの理由で終末の到来を遅延させておられるのだ、という第二の立場を取っている。この第二の立場の人々は、終末が来る前に起こると言われている種々の徴(しるし)を、世界史における大国同士の駆け引きや、自分たちの日常生活の中でいつも捜し求め、ある時には何年の何月何日にこの世が終わると予言したりする傾向がある。

 シュヴァイツァーやその他の徹底的終末論者たちが言うことは、上の両者と全く違う。彼らは古福音書から、イエスが期待したような仕方では、イエスの受難の後も今日まで、終末が「人の子」の降臨と共に急速に起こらなかったという、裏切られた期待について語っているのである。従って、彼らによれば、イエスはご自分の死後に、自分を信じる信者たちの群れである教会が作られることなどは全く予期しておられなかったということになる。

 だが、徹底的終末論が教会を成り立たせないものだと早急に結論するのは、これらの人々に失礼だろう。カトリックのロアズィーのように、このような終末論を抱いていたイエスや弟子たちの考え方を芽として、カトリック教会という樹木が成長してきたというように、歴史の中に進化・進展するキリスト教を考えることもできるし、これとも違った考え方で教会を建設することも不可能ではない、と私は考えている。





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入力:平岡広志
2003.4.4