ユダヤ・キリスト教史 1998.3.10


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第37回 ――パウル・ティリヒの神学   (1998.3.10)









 ヴェーユと基本的には似ている構造の神学を、現代の代表的な神学者であったパウル・ティリヒ(1886−1965,10)が作り上げているので、話を彼の神学に向けたいと思う。彼は1960年に来日して二か月余り東京と京都に滞在し、東京では主に大学その他での講演と神学者たちとの会合を、京都では仏教の哲学者たちとの討論を行ってアメリカに帰って行った。(アメリカ合衆国は、ナチスを逃れてきた彼を受け入れてくれた。やがて披はそこで市民権を獲得した。)仏教の哲学者たちとの討論を通して、彼は多くを学び、それが彼の神学のその後を彩っている。

 ヴェーユが復活や永遠の命を信じることは自分の人生の空虚さを埋め合わせしようとすることであって、そのような埋め合わせをせずに空虚さを耐えてゆくと、そこに真空が生まれてきて、神との出会いのきっかけになると主張していたことは前に述べた。ティリヒにとっても、聖書に出てくる復活思想や、ギリシャ文化との接触以来教会の中にも生き続
けてきた霊魂不滅の信仰は、現代人にとっては信じるに値しない神話なのであった。彼の考えでは、一度死んで復活した後、無限に続く時間の中に生きることは、まさに地獄の状態なのであった。死によって私たちの人生が限定され、区切りを持っているが故に、限られた(生きている)時間を自分なりに工夫をこらして、充実させようと人間は努力するのである。このような意味で、ティリヒにとっては、死は生を補足するものであり、生と死とは互いに編みあわされて人生を織りなしているのであった。死の出来事は、人間が生まれながらにして有限な存在であることを端的に表すもの、(つまり、ultimate symbol究極の象徴)なのであるが、人間の有限性を表すものには、(死のように究極の象徴ではないが)他にも身体の虚弱や病気などが存在する。

 いつ迄も続く時間として永遠は考えられがちであるが、ティリヒは時間を二種類に分けて考える。ギリシャ語でそれら二種類の時間を表すほうが都合が良いので、ティリヒはそれらをクロノスとカイロスと呼んでいる。クロノス(chronos)とは、私たちが時計で体験できるような時間の長さである。ところが私たちには、何かに熱中して、時計的には長い時間が経っているのに、それらを瞬間と感じてしまうことがある。この時間体験は、時間の長さではなく質の体験であるが、このような質的な時間を彼はカイロス(kairos)と呼んだのである。霊魂不滅は、ティリヒにとっては、私たちの命の質を問題とするよりも、長さを大切にしている考え方であって、受け入れられないものであったのだ。クロノスとカイロスの遠いは、確かにティリヒが指摘した重要な事がらであり、私たちは長さで人生の価値を決定してはならないであろうが、しかし、長さとしての時間があってこそ、質の問題も考えられるのではないか。大体、時間がそこにあれば、それはある長さを持つものなのであり、時間があってこそ、時間の質を味わえるのであるから、私にはカイロスとクロノスを対立させて、カイロスだけに永遠の命を認めるというティリヒの考えは受け入れられない。死後に霊として不滅の命に復活するという(恐らくはギリシャ思想の影響を受けたと思われる)「ヨハネによる福音書」の考えを、(カイロスとクロノスの両方を大切にしながら)私は受け入れたい。

 またティリヒは、従来のキリスト教が説いてきたような死後の命の考え方は、個人が生き続けるという、きわめて個人主義的で利己的で受け入れられないと言う。ヴェーユも同じように感じて、(死後の命の考えを埋め合わせの一種とし、)むしろ死後の完全な消滅を願ったと思われるが、この消滅が実際のヴェーユの思想の中では、神という人格的で、同時に汎神論的な存在の中への消滅であるからには、幾分神との合一というニュアンスがなくはない。ティリヒの場合には、かなり明瞭に死んだ人間は神(たる「存在の根底」)と合一すると考えられていた。

 神学的にはティリヒの弟子であった心理学者のロロ・メイや、ティリヒ夫人などが書いた、ティリヒ自身の死に際しての言葉によると、彼は夢で、死んだ自分が横たわっている風景を見たのだが、彼は自分の体が何処で始まり、何処で終わっているのかが分からなかった。死んだ友人たちと彼の死体は結び合わされていて、よく区別できないのであった。これは、霊魂の個としての存在の否定ではないかと私には思われ、利己的な霊魂不滅を否定するティリヒらしい夢だと思う。だが、ここでも死後の完全消滅は語られていない。人間皆が神と合一することが、彼にとっては、喜ぶべきことであったのだろう。

 このような(消極的な姿ではヴェーユに、積極的な姿ではティリヒに見られる)合一の思想に描かれる神の姿に、私などは正直に言って嫌悪感を持ってしまう。人間たちを吐き出し、散々に罪や善を体験させて、悲しみや喜びを溜め込ませた後は、それら人間たちを死なせては飲み込んでゆく怪物、自分を飲み込んだ人間たちの体験を貰うことによって肥やしてゆく怪物、人間たち自身のためなどは少しも考えない神には、私はとても付いて行けない。神が(イエスの十字架に見られるように)愛であるならば、矢張り個を個として愛し抜き、存在させ抜くのが当然ではないか。個が永遠に存在し続けてこそ、神と霊魂たちとの間、霊魂たちと霊魂たちとの間に、愛が存続し得るのである。私たちが永遠に存在することを望むのは、利己主義というよりは、愛が無上の価値だからなのだ。合一と言っても、神と霊魂たちとが一つになって、霊魂たちが神の中に消えてしまうのではなく、神は神のまま、霊魂たちは霊魂たちのままであり続け、両者の愛が邪魔の介入を許さない程に密着して一つになり切っているという意味でなければならないであろう。







ティリヒの神学は現代において深く浸透する影響力を発揮しているが、この影響力は今後も長く続くと私は考えている。後で述べるカール・バルトの神学よりも恐らく大きな影響力を持つだろうと信じているが、その理由の一つとして、人類の歴史、否、全世界の歴史や、この世の終末のような壮大な主題を、神学の中から追い出してしまい、人類学や宇宙論にそれらを重ねてしまっていることである。その結果、彼の神学は一種のミニマリズム、神学固有の小さな領域に留まろうとしているかのようである。(この点では、先に述べたブルトマンの実存論的神学も同じように、実存に集中して思索しようとしているのだから、ミニマリズムであると言える。)昔の神学が熱中したような主題、例えば、何故に人間は生まれながらに罪を犯すのかという問題に対する答としての原罪論などは、(昔と今とでは、人々の関心が違ってしまっているために、答として、アダムとエヴァが神の戒めを破って知恵の木の実を食べたからだ、では)到底今の人々を満足させることはできない。今このような問題を論じるなら、当然それは人類学の範蹄に入るだろう。ティリヒはこのような問題を、神学固有の小さな領域に留まりながら、しかも昔の答よりも意味深い答に変えてしまっている。つまり、原罪を人間の現状認識の問題としてとらえ、疎外状況、つまり、人間が本来あるべき姿において生きていないという状況として理解するのである。自分の存在の根底(神)から、自分が解離してしまっていることの認識として理解する。この世の終わりがどのようにして起こるかなども、彼にとっては神学が知りえない領域の事がらとして考えられており、昔のような形の終末論は彼には存在しない。

 十字架による贖罪についても彼の考えは同じ傾向を辿り、私たちが受けるべき神からの刑罰をイエスが身代わりになって受けて下さったので、私たちは罪赦され救われるのだ、というような昔の神学の発言は、全く現代人とは無縁の神話であり、十字架はイエスが全く利己心を捨てて、ひたすら神のみ心をこの地上の人々に知らせようとした姿を、集中的に表現したものなのだから、十字架上のイエスは、(勿論彼の伝道の時期の行動や言葉もそうだが、)全く澄みきった、透明そのもののガラスのようになって、その向こう側にある神のみ心を私たちに透けて見させてくれているのだ。イエスを見ると、その向こう側の愛の神が透けて見える、これがティリヒにとっての、イエスが人間でありつつ神であるという、昔の神学のキリスト論(神人二性の一人格)が意味するものであった。

ところで、ヴェーユと違ってティリヒはプロテスタントなので、神が罪人である私たちをそのままの姿で愛して下さっていると信じているために、この世を禁欲的に否定しようとはしない。彼は自分の罪にも拘らず、また、この世に存在する罪と争いにも拘らず、粘り強く生きのびてゆく人間であった。

 ティリヒの生涯や神学を振り返って、その傾向を見てみることも彼の理解に役立つかも知れない。彼は第一次世界大戦には従軍牧師として参戦した。自分の人間性を戦争の悲惨から守るために、よく彼は塹壕の中で名画の安っぽい複製を見ていた。ある時、ポチィチェリの「天使たちに囲まれた聖母」を見て、彼はいたく感激し、休暇の折りに原画を見に出かけたりしている。除隊後も彼の絵画への興味は一向に衰えず、むしろそれにのめり込んでいったが、友人から表現主義絵画の面白さを教えられ、絵画のみならず、広い意味での表現主義運動に魅せられてしまい、自分の神学を、(生の)深みの次元が(人間生活の)表層を突き破って出てくるものとして形作ろうと決心した。魂の奥底で出会う自分の「存在の根底」(神)が、表層で生きている日常生活を揺るがし、突破して出現してくることが、彼にとっては啓示の出来事であった。

 このような彼の神学の成り立ちを知ると、彼の神学はやはりグノーシスの現代版で、質の良いもの(存在の根底)から、それよりも質の劣ったもの(現実)が出てくるという宗教的系列に属すると私が判断しても、あながち間遠いとは言われ得ないのではないか。







 ティリヒの神学に代表されている、神を存在の根底とするような考え方に対しては、私は実のところ大きな反発を感じている。存在の根底とは、善も悪も含むものであって、とても神と言えるようなものではない。ティリヒの神学を神学界では存在論的神学と称しているけれども、私はこれ迄ずっと反対してきた。私たちの病気も、天災地変も、人間の生活上の幸福を脅かす何もかもが、この神学では神から与えられたものとなってしまう。同じように人間の魂の深みで神と出会うことを、私も信じているのだが、私が魂の奥底で出会う神は人間の不幸と戦っている存在なのだ。私は自分の魂の奥底で、この神とも出会えるけれども、また、私を破壊しようとしている悪魔的なものとも出会うのである。私はマニ教的な二元論に立つ者であって、存在の根底が提供してくれるものが、必ずしも私の栄養分にならないものであることを知って、神が与えて下さるもの(つまり、霊なるキリスト)を選んで(そこに私の根を伸ばして、その栄養分を)吸収するのである。

 勿論、霊なるキリストに栄養分を提供しているのは、更に深みにおられる愛の神である
が、この神は、何もかも知っている、そして何でもできる全知全能の昔の神学の神ではない。もしも昔の神学が正しいとすると、すべてを知っていて、何でもできる神が、こんな悲惨と不幸とをこの世に存在させている。最大の犯罪者は、神である。ニーチェとは違った意味ではあるけれども、私もその神を殺さねばならなくなった。従って、神の持つ知や力を神学は制限するのが当然であろう。あるいは、愛の神は、人間を最後には救って下さるだけの知と力をお持ちであるし、それを達成されるまでは絶対に諦めない忍耐をお持ちである、とでも言うべきであろうか。更に、神には愛の想像的創造性とでも言うべきものがあって、どんな状況の中にあっても、人間たち、否、私個人のためにも、全く新しい手段を考え出されて私たちを導いて下さるのである。

 一年間の講義の初めの方で、私は運命と宿命という言葉を区別して用いた。運命とは、私たちにとってどうにも仕様がない、星の運行やサイコロの運のようなものであるのに対して、宿命とは、自分がこの世に生まれてきたのは、神との共同で作り上げて行かねばならない自分があることである。そして、それを作り出すに当たっては、私の心の奥底からの同意が必要である。それは、自由に成就されるものである。私には、神と共に作り上げてゆかねばならない、私と神とのロマン、物語がある。私が救われてゆくことが確実である理由は、神が全知で全能だからではなく、この私の物語が確実に救いで終わると神が約束して下さったからである。愛の忍耐と、救わねば気がすまない辛抱強さと、それに必要な知識と、常に新鮮な想像的創造力を神が持っておられることを私は信じるのである。

 マニ教的二元論を私は自分なりに言い換えて使うことにしている。自由と愛の二元論である。自由は、それ自体では、自分を主張し、常に自分を豊かにしようとする。そのためには過去のもので邪魔になるものを破壊してゆく。従って自由は無であるとも言える。つまり、そこから何かが生まれ出てくるが、それはまた破壊されて無に帰する。無が自由だとも言える。自由それ自体の謳歌は悪魔的である。自由は尊いものだが、それは、それなくしては愛が生まれてこないからである。強制からは愛は生まれない。自由はいつも昇華されて愛にならねばなちない。神は自由であるけれども、その自由は完全に愛に昇華されたものである。人間もそのようにしなければならない宿命を負っているのだ。

 人間の不幸や悲惨は、無の自由の産物である。この世は無を材料として出来ており、そこに神が介入されているのである。この世は無に帰ろうとする。天災地変、私たちの不幸や(他人や自分を破壊する)罪、(すべてを無に返す)死、また、(死に向かおうとする)病気などは、ことごとく無の自由に由来する。私たちの宿命は、これらの無の産物をことごとく何らかの形で昇華させ、(神と一緒になって)愛に化してゆくことなのである。



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入力:平岡広志
2003.4.30