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ニュースレタ ー 第10号2005年4月30日発行 先日無事に昨年度の会計報告も終わり、 1 年間穏やかに教会活動がなされたことを喜んでいます。ユーカリスティアに、何らかの形でかかわってくださった皆様に感謝申し上げます。 <5 月の活動予定 >
礼拝 11:00 am~ その他すべての講座 2:00 ~ 3:30 pm <4月の活動報告> l 礼拝 (4 / 2)説教:野呂芳男「愛のあるところに神がいる」。第 1 ヨハネの手紙4.16。 図 D. Bray & D. Low. The Kahuna Religion of Hawaii .
l 聖書研究会 (4 / 12、26) 「ロマ書」12.1−14.2。 〈 12 章〉 1 節から「いけにえ」「なすべき礼拝」など、歴史を踏まえた解釈が求められる用語が多くでてきます。 2 節「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」では、倫理の基準をこの世に求める、とくに仏教との対比を学びました。〈 13 章〉この章は古来、カトリック教会やヨーロッパにおいて権威者の地位や王権神授説を正当化する、根拠とみなされたところです。しかしそれは、果たしてパウロの意図と合致するものだったのでしょうか。また、 9 節「隣人を自分のように愛しなさい」が、マタイ福音書などの「愛敵」=アガペーの思想とどのように折り合うのかを学びました。 図 A ・ニーグレン『アガペーとエロース』
l ウェスレーを読む (4 / 9) 主に、神の恵みと人間の自由意志との関係について、アウグスティヌスと激しい論争を繰り広げたペラギウスは、アウグスティヌスの「反対者」としてキリスト教界では悪者扱いでした。人間の自由意志を尊んだウェスレーもまた、当時ペラギアンではないかと批判されたりもしました。それがウェスレーの神学の中で、どのように解決されているのか。また、その「解決」の方法が、アングロ・カトリックの思想の中にも求められると指摘されました。その他に、アウグスティヌスが自ら「棄てた」はずの新プラトン主義ですが、実はそれは本当には棄てられておらず、その後カトリック教会の神秘主義の源流となっていった点を学びました。
l 現代神学の扉 (4 / 18) 予告どおり、当月から「キリスト教と仏教」というテーマを展開させています。まずは、宗教史的な視点から仏教を眺めるというよりは、釈迦伝説や菩薩や如来に関する、いわゆるオーソドックスな説を確認することから始まりました。釈迦が「神我論」や「内我論」に同意できなかったのはなぜか、そこからどのように「無神論」が生まれるのかを学びました。
※ 図 とは、講義中などに示された参考図書を指します。 <お知らせ&トピックス> l 礼拝および「ウェスレーを読む」、「現代神学の扉」の日程が変則であることにご注意ください。 l 5 月 10 日(火 ) の聖書研究会で、「ロマ書」を終える予定になっています。パウロが「イスパニアへ行」って〈ロマ15.28〉しまった(であろう)あと、私たちが次に注目するのは「ヨハネによる福音書」ということになりました。パウロ―ヨハネの線を結ぶ、壮大なキリスト教理解が野呂牧師によって説かれることになるでしょう。改めて、多くの方々のご参加をお待ちいたします。(だって、もったいないですもの、ごく限られた人にしか貴重なお話が伝わらないのは…。) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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