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ニュースレター 9月 第6号2006年8月30日発行 8月の後半は、体調を崩してしまい多くの方々にご迷惑をおかけしましたこと、誠にすみませんでした。ところで、以前のニュースレターの中で参考文献として挙げられた、アイスランドのノーベル賞作家、ハルドール・ラクスネスの『極北の秘教』ですが、私も読む機会を持ちました。原題は『氷河の下のキリスト教』ですが、私自身、非常に感銘を受けています。実は「感銘」などという上品なものでなく、現在ほとんど夢中というか、興奮醒め止みません。残念ながら現在は絶版のようですが、もしも本書を手にする機会があるようでしたら、ぜひ!とくにここに登場する牧師について、皆さんの感想なども伺ってみたいところです。(この続きは近日中に ブログ にて。)
礼拝 11:00am~ その他すべての講座 2:00~3:30pm
<8月の活動報告>
■ 礼拝(8/5)説教:林昌子「カルト集団とキリスト教を分けるもの」。マタイによる福音書マルコによる福音書6.45‐52、コリントの信徒への手紙(1)15.3‐10、ガラテアの信徒への手紙3.1。
■ 聖書研究会(8/8) 6.28‐71(6章終了) 〈28節‐40節、45節‐59節〉ここで再び、聖餐式論争についてです。前回学んだように、聖餐式の形態は「開かれた(opened)」と「限定的な(closed)」との2つが存在しています。実のところ、「開かれた」解釈は教会史のごく早い時期に公会議などにおいて駆逐され、それ以後は「限定的」解釈が主流でした。その、伝統ともいえるべき聖餐式の「限定的」解釈、つまり洗礼を受けた者だけが聖餐に与れるという解釈は、この聖書の箇所によって問い直すことが迫られているように思われます。〈41節‐44節〉予定論の根拠とされる箇所のひとつといえます。「予定論」といってもカルヴァンとルターとでは強調点が異なります。さらに、ウェスレーの自由意志の尊重と予定論がどのように関わるのかを検証しました。〈60節‐71節〉ここでは、光の子=キリスト、闇の王=サタンというグノーシス的な考え方が反映されていることから派生して、輪廻転生説についての論議にまで発展しました。
■ ウェスレー研究会(休講)
■ 現代神学の扉(休講)
■ キリスト教的カバラ(8/1)―新講座!― イスラエル・リガルディー『柘榴の園』(国書刊行会)をテキストにして、「生命の樹」の各セフィーラの指し示す意味、0から9までの数字の意味など、基本的な知識を確認しながら、それらがヨーロッパの思想史においてどのような意味をもっていたかを学びました。とくに、本来ユダヤ思想やカバラには存在していなかった「0(ゼロ)の概念」がアラビア世界から輸入された後、キリスト教の世界でどのように「0」が扱われていったのか、それが信仰とどのように関わってきたのかを学びました。
<お知らせ&トピックス>
■ 9月2日の礼拝後、12時30分ころから総会を開きます。教会員の方々はご参加ください。
■ 9月の「キリスト教とカバラ」の日程が変則であることにご注意ください。
■ 「ウェスレー研究会」では、実質的に9月から、ジョン・ウェスレーの「標準説教」の精読がスタートします。可能であれば、『ウェスレー著作集第三巻 説教上』(新教出版社)をご持参ください。初回は、本書冒頭に載せられた、ドルー大学における野呂牧師の恩師、エドウィン・ルイスの寄稿文を考察します。ウェスレーに関心のある方々のご参加を歓迎します!
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