野呂芳男 聖書を深く読む 99.10.12
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新約聖書を深く読む
1999年秋期第1回目 99.10.12
野呂芳男
(まとめ:當麻守彦)
1. パウロの心に在る終末思想
ロマ1:18で「天からの怒り」が出て来るが、パウロが使う「神の怒り」は、パウロの執筆によるものではない「ヘブライ人へ」の手紙に出て来る用語とはその意味合いが異なる。パウロが使う時は「神の怒り」は終末と深く結びついている。旧約聖書と新約聖書の間に新約聖書を解く鍵となる重要なインターテスタメントがあり、ユダヤ教からキリスト教が生まれる際ユダヤの司祭やラビ(学者)達が書いたものがタルムード(前出)として残っている。ユダヤ教では旧約即モーセの律法として居り、その後に書かれたものはタルムードとなる。これらは所謂中間時代として新約聖書の思想的背景を成して居り、この時代で非常に重要な事柄であったものに「終末の待望」がある。
イエスの愛読書であったエノク書は日本でも上下2冊で出版されて居り、同書の言葉遣いや思想はイエスの言葉の中にしばしば登場する。ダンテの神曲の様にエノク(男)が天使にみちびかれて天に昇り、天上の情景描写がある。天国には「人の子」が居り、これを自分に当てはめ、世の終りに天から降りて来ると考えている。又イザヤ書やダニエル書がイエス自身の理解を助けるのに役立っている。
パウロの「神の怒り」は終末待望の表現であり、間もなく世が終わるという思想である。しかし2000年経っても世は終らなかった。シュヴァイツアーの徹底的終末論によればイエスが弟子達を派遣してユダヤの地をへめぐらせ、イエスの元に帰って来る時に世の終りが来ることになっていたが、終末は来なかった。何故か?イエスは大天使として天から地に降り立つ筈であった。しかし原始教会の人々とパウロの理解によれば、大天使が降りて来るという形ではなく、終末は起ったと確信した。それは信ずる者の心の中に聖霊により終末はもたらされた。これを「聖霊降臨」と言う。
終末時の神の怒りとは自分を防衛するために纏っていたものをかなぐり捨てて神の裁きの前に出る事である。神の怒りは既に私達の魂の中で現れているというわけだが、この事は現代人の感覚の中で本当に分っているのだろうか?
これから来ると考える教派の人々の例としては大正時代のホリネス(実際には日時まで指示したが来なかったのが原因でホリネスは2派に分れた)があった。又セヴンスデイ・アドヴェンティストはキリストが降りる準備は出来たが、その後の詳しい日時は分らぬとした。次第に焦燥感が漂い、これ以上待っても仕方がなく結局この世が終わる事が大事なのではなく、終末の裁きは既に来てしまっているとした内在的終末論とか現在終末論として考えられる様になった。又聖書では、パウロ以上にヨハネが一層思想的に徹底している。パウロはむしろ中間的で、半信半疑の感は否めない。繰り返すが一番重要な事は信者にとってはもう終末は来てしまった。それ故今怒りを表す(ロマ1:18)という事である。
次に信者はキリストを信じたのだから終末が来てイエスを信ずるのは勝手だが、信仰を持たない人間にはこれらの情報が与えられず不公平であるとする声に対して、ロマ1:19-23までにパウロの見解が書かれている。この箇所に関してスイスのカールバルトは鋭い指摘をしている。
2. カールバルトの自然神学批判
カールバルト(1886-1968)ははスイス人で20世紀最大の神学者である。日本キリスト教団の80%がバルト神学で説教を行っている。バルトの偉大さは「啓示が信仰の基礎」という事である。即ち「人の命の永遠の基礎は人間がそれを設定する前に既に足許に置かれている」という事である。
彼の生きた時代は19世紀以来キリスト教が自然科学、人類学、比較宗教学等からの様々な批判を受けていた。
?先ず自然科学からの批判に対し、聖書の中の理解を困難にする事柄に就いて言い訳に汲々として教会生活と通常人の世界が分離し、その両方を渡り歩く事により教会生活を歪んだものにさせられていた。
?人類学からの批判は、氷河期時代、少数であった人類の生きる苦しみと平行して続いて来た「神を怖れ、神をなだめるための犠牲」として、族長、老王、王の長男等を殺して神に捧げ、人肉供食が行われていた事に向けられていた。やがて人間ではなく、動物をこれに当てる様になった。しかしメキシコでは最近までこれが続いていた。一方 旧約(ユダヤ)の世界では比較的早期にこの慣わしが収束した。それはアブラハムが子イサクを犠牲に捧げようとした時、神が止めさせその代わりに羊を捧げた史実に始まる。しかしキリスト教では神の一人子イエスを捧げている。
?次に宗教史学では「神話」でキリスト教を考えた。神話は元々神々の物語((滅亡と救い)であるが、新約聖書を神話として読むと殆ど全て合点が行く。例えばナザレ人イエスが人の子の姿を採って大天使として降りて来る話はどの宗教にも似たものがあり、ギリシャのオルフェウスの物語とキリストの死と復活は似ている。
この様に自然科学、人類学、宗教史学からの攻撃でキリスト教会はすっかり萎縮してしまっていた。バルトが牧会を始めた頃、教会は四方八方から叩かれ、宗教史や神話による批判でどうにもならなくなった多くの人々は哲学に逃げた。しかし、どんなに批判されても宗教は生命の流れと人間が上手く付き合って行く方法であると言ったのはアンリ・ベルグソン(Henri Bergson 1859-1941)である。彼は主著の一つ「創造的進化」の中でElan Vital(生命の飛躍:生命の本源的躍進 vital force)という事を主張している。それは魂の奥底を流れている一種の神で、それは又誰の心の中にも流れているものであるとしている。彼の流れを汲むものとしてプラグマティストのウィリアム・ジェームス(William James 1842-1910)は米国で生命の流れ(飛び込んで実際に生きてみると実感できる)を説き、更にこの影響は日本の西田幾太郎の「絶対無」の思想となり、そこでは「生命の流れ」は禅の悟りに近くなるといった具合だ。生命の流れから栄養を吸収するが、普段の自分の力ではどうしようも支え切れなくなった時に、絶対無が自分を支えてくれる事が分る。つまり絶対無=神で、哲学的、理性的に全ての人に理解され得るとした。これらをまとめて19世紀のリベラリズム(人間の哲学)と言う。ドイツのハイデガーの「存在そのもの」という考えも絶対無に近く、大変魅力的で仏教の空や無の世界に通ずるのだが……。
バルトは1910年代にこの様な思考方法では駄目だと否定した。バルトは彼の『ロマ書講解』(Der Roemer Brief 初版1918年、再版1921年)で、今読んだロマ書の部分を詳しく講解している。それ以後キリスト教は哲学、宗教史、人類学,精神分析等による理解と矛盾せず、聖書には別の世界がある事を思い出させ自信を取り戻させた点で、バルトはキリスト教史の中興の祖として最大の恩人と言うべきであろう。
初期バルトは社会的キリスト者の活動家であったが、キルケゴールに出会いリベラリズムから変身する。第1次、第2次の世界大戦を体験し、ナチスによるユダヤ人の大虐殺等の恐ろしさを肌で感じながら、人は何故人殺しをするのかを問うた。独英仏等の列強が同じ神を拝しながら、神の名の下に殺し合っている。リベラルなキリスト教や哲学的理解をしても纏まらない非理性的であくどく罪深いものが人間の奥底に潜んでいる。従ってキリスト教はとても人間の理性で解決出来る様な宗教ではない。リベラルとは人間の勝手な理性の思い上りであって啓示ではない。萎縮して身をかがめ嵐をやり過ごそうと身をかわすのに必死であったキリスト教神学の立場をひっくり返し、逆に聖書に書かれているイエスキリストの証言から攻撃の相手に対決しようとした。リベラリズムの学問に本当の人間が判っているのか? キリスト教のイシスやオルフェウスとの近似性を解く立場に対して攻撃を掛け、これにより態勢は180度転換した。彼は生命の永遠の基礎は人間が自力で固める前に既に神により足下に置かれていると主張した。―――絶対の神が自己を残り無く人に委ねて、それと引き換えに罪なる人の存在を其の侭聖なる神ご自身のものとした。このキリストイエスに在る聖書の事実に於いて、人間の救済、解放は全ての人のために既に永遠に成就されて居るとし、これは神の約束であり、人間の救いを何らかの人間の業によって繋ぎ止めようとする一切の試みは全て根本的倒錯であるとして批判した(哲事)。――
3. カールバルトに対する反論(類型論、予型論等)
一方構造主義(前出)では、神が初めに与えた啓示は旧約の預言者がキリストを指し示したものと同じであり、旧約のメシア思想(像)は一つの「予型」である。ミトラ、イシス、オルフェウスに次いで遂に本物が来たと考える。この点で彼等はカールバルトから離れて行く。バルトは先ず啓示を信じよ! 人は罪深い人間の理性で解決しようとする考えを徹底的に批判する。しかしバルトはここで終わる。バルトの恩恵を受け、予型論を論理的に推し進めて行くと、人間の理性が創り上げた自然神学の見事な文化遺産はバルトによって全て否定され、ここに反論も台頭する事となる。
アドルフ・フォン・ハルナック(C.G.Adolf von Harnack 1851-1930)は『キリスト教の本質』 (Das Wesen des Kristentums 1900)の中で、カールバルトのロマ書講解を読み、「興味はあったが、私との意見の違いは時代の違いによるものだろうか? 何故人間の学問的教養を認めないのか?2000年に亙って築き上げられたキリスト教の教養文化を否定するのか?」と反論した。
これに対してバルトは、信仰の問題を教養や学問の問題と取り違えて来たとしている。1800後半まで教養本位、文化偏重の研究が続いて来たが、イエスの言葉集(Q:Quelle)や重箱の片隅まで調べ上げ分析したプロテスタントの偉大な貢献により、聖書を読ませなかったカトリックの信仰の在り方が崩壊しかねない所まで追い詰められた。
バルトは啓示本位の取り組み方に帰ろうと言ったが、彼は啓示本位の神学とそれまでのリベラリズム神学の美点とを統合する事は出来なかった。この点に関してバルトは不親切であり、彼の最大の著作である『教会教義学』((Kirchliche Dogmatik)は只ひたすらに膨大であり、聖書註解として学問的でなく納得出来ない点がある。
本来、啓示に帰れという彼の神学とリベラリズム神学の学問的遺産との調和こそが予型論となる。現在講師はこの活動を日本の宗教に予型論を当てはめて見る事により、民衆が、仏教をどう信じているかを探っている過程に在る。
バルトは啓示だけが重要で他は一切受け入れられないとしているが、昔秘書が筆記したものを今はワープロで効率化し、時間を有効且愉快に過ごせるという事は大変良い事であり、それはジェット機や地下鉄の利用、更に場合によっては他の宗教を利用する柔軟性も大切だという見解も成り立つ。
その排他性の強いバルトが親鸞に触れ、イエスと親鸞はよく似ているとコメントしているが、「「イエスの名」が無いから駄目だと言う。「南無阿弥陀仏」も素晴らしい。「キリストの啓示のみ」という信仰は予型論として掴むべきで、相手を理解し、畏敬する事が大切で、排斥してはいけない。両方が論争すればよい。例えば真言宗の曼荼羅の中にも阿弥陀仏は存在している。
講師にとって阿弥陀仏は物足りない所がある。第一に甘すぎる。唯無条件に救うのではなく、義に照らし、非を正し救いの中に背骨を通した上で救ってくれる宗教であって欲しい。第2に西方浄土は天国ではなく邪魔はされないが、修行出来る地である。本当の意味で救われてはいない。そこでは阿弥陀仏は観世音菩薩にバトンを渡し、完全に仏になり相手が居なくなる。私はヤーヴェの神は好きではないが、神が人格神であって、我々と向かい合っている点が重要だ。これがユダヤキリスト教の最大の特徴である。
17世紀のニューイングランド神学はイエスキリストの道備えをするものを「予型」として見ている。
以上をまとめてみると、
・パウロの表現は現代人には判らない点が多い。パウロは自然神学を持っていた。パウロが言うほどには人間は自分の理性で神を知る事は出来ない。
・バルトは人間の理性で考える事は全て駄目だと言う。
・信仰を持ちながらリベラリズムが創った文化遺産を尊重するものとなりたい。
・我々は啓示(信仰)と理性(文化、教養、宗教、哲学)の世界を兼ね備えて行きたい。?プロテスタントは100年間教養豊かなキリスト教(文化遺産)を築いた。?バルトがこれを批判し反発したが、これも有難かった。我々はこれを日本という生活基盤の上で両方共持ち続けて行く事が大切である。
以上はロマ書第1章の前回残した部分(人類の罪1:18-32)を読むに当たり、先人が尽くした様々な信仰との取り組み方に関するアプローチに就いて述べたものである。
4. ローマ信徒への手紙第2章
神は正義の方である。ユダヤ人は律法を持つが、一方異邦人は律法を持たなくとも神の正義で裁かれる。パウロはユダヤ人の律法の誇りを取り除いてしまった。律法を持たない人にも慈悲深く、律法を持たなくとも御心に反する時には、神は怒りを示される。神は寛容で人の心が神に帰って来るのを待っている。ロマ2:15は「良心」というギリシャ思想(ストア哲学の言葉)でまとめている。パウロは当時グレコローマン(ヘレニズム)文化をとことん吸収していた当時のインテリで教養豊かな人であった。それはローマ貴族階級のしきたりや道徳に通じていた事を示している。パウロが読んだ聖書はギリシャ語訳であった。一方イエスはシリア語訳で読まれた。
新約聖書は凄い時代に書かれたと言える。即ちアレキサンダー大王がインドからエジプトまでをカバーする文化圏を統治し、?ペルシャ、エジプト、イスラム等 神殿中心の文化圏と、?ギリシャのアテネ、スパルタ等、都市国家文化圏の2つが、アレキサンダー帝国になる事で事実上解体された。道はローマから四方八方に通じ、多人種、多文化、多宗教 の世界であった。ギリシャ人が作ったポリス中心のコロニーでは生き方が判らないので、あちこちにシナゴグ(アソシエーション)を作り、都市を目指す人々の生活、心の慰めや励まし合いに役立てた。これと同じやり方は日本の創価学会で行われ、成功している。
ローマが多人種国家に成って行く過程で、キリスト教もユダヤ教から離れ発展する鍵を握り、全ての人に生きる土台を与えた。パウロが与えた都市国家級の教会の功績がアンテイオキアから生まれた。ロマ2:15-16ではパウロが命を捧げている私の福音と良心(ストア哲学)という表現を使っているが、これは彼が自然神学を持っていた事を示す証拠となる。バルトは自然神学を否定するが、パウロは先述した様に福音(啓示)の大切さをわきまえると同時に哲学、文化、良心との調和に意を用いている。パウロはユダヤ人だがギリシャ的教養が豊かだった事を示す箇所である。
次回以後はパウロを紹介しながら、今日の状況下で我々は如何に信仰と文化的な享受の仕方を統合した生き方をして行くべきかに就いて話を進めたい。
※ 99.10.12 秋期 第1回目の記録は以上 文責:當麻
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