野呂芳男「神学における主観-客観構造の超克」1962 Home  >   Archive  /  Bibliography

神学における主観−客観の構造の超克

野呂芳男      

初出:『基督教論集』第9号、1962年、青山学院大学基督教学会。


しばしばなされている誤解に、実存論的神学は一種の主観主義である、というのがある。

例えば、フェレー(Nels F. Ferré※)の次の言葉(1)は、このような誤解を典型的に示している。「実存主義もまた、推理よりも決断を、知識にとって主要なものとする。自我は単独で責任あるものとして立つ。真理がなんであるかを知るために、真理をえらばなければならない。……併し、実存を知るために自由に跳躍しようとする自我は、実際のところ常に、神経質な跳躍者である。彼は、その自我の中に、直ぐにもう一度、転落してしまうのである。われわれのところに来て下さるキリストは、われわれがそこまで跳躍するあのキリストよりも、はるかに信頼し得るし、現実的である。……このように、実存主義は、われわれを主観主義に陥らせる。自我から出発することは、通例、決して自我から脱出することにはならない」。フェレーによる、実存論的神学が主観主義である、というこの批判は、明かに、自我とキリストとの間に、主観−客観の対立を想定している。キリストは、私という自我(主観)が、それに向って跳躍しなければならない対象(客観)なのであって、自我はそこでは、神経質にいつも自分の決断を監視しなければならなくなる、というのがフェレーの批判である。

フェレーに限られていないこのような批判は、実存論的神学こそ実は、この主観−客観の対立の克服を目指しているものであるという事情に対して、全く盲目である。

近代主義によるイエス・キリストの歴史研究こそ、実は主観−客観の構造をもつ自我の姿勢によってなされてきた。そこでは研究者は、イエス・キリストという歴史的人物を、客観的に観察して叙述する。これこそブルトマンが言う世界史的な(historisch)イエス研究の態度である。勿論、イエスに関してのこのような客観的な事実の研究は必要である。併し、近代主義的イエス研究が、われわれに不満足の感を与えるのは、そのような研究者の姿勢では、その研究者の全存在がイエスとかかわりを持っているのではない、という事情からである。研究者は、言わば、歴史から自分を分離させた観察者である。このような主観−客観の構造をもつ姿勢をとっていたから、近代主義者たちは、イエスとの出合いの外側で発展させた自分たちの哲学的見解や世界観に応じて、勝手気儘にイエスを解釈することができた。

主観−客観の構造をもつこの不幸な姿勢が、われわれの生の基本的態度を形成するようになったのは、思想史的に言って、デカルトによる世界から分離したものとして観察された自我の定立以来のことである、というゴーガルテン(Friedrich Gogarten)の主張は、この点でわれわれに傾聴させるものをもっている(2)。

空間と時間との外的世界・自分の身体・日々の生――これらについての自分の経験が、全くの夢か幻想かも知れないという徹底的な疑惑から、デカルトは出発した。併し、夢みている自分、経験している自分、考えている自分の存在を疑うことはできない、とデカルトは結論した。「私は考えている。それ故に、私は存在する」(Je pense, donc je suis.)というこのデカルトの言葉に、中世紀のそれとは異なった近代の思惟姿勢がみられる、とゴーガルテンは考えている。ゴーガルテンが比較検討する問題点は、世界に対する人間の関係についての中世と近代との差異である。中世の思惟においては普通、トマス・アクィナスの神の存在の証明の中にもみられるように、世界は第一原因たる神によってつくられたものであって、存在するものは全て、被造物として、存在の原因である神に比論の関係にある存在として、一定の秩序の中にその各々の場所を占めていた。人間も存在するものの1つとして、神によってつくられた世界の秩序から、その存在の意味、生ヘの態度を形成していたのである。ここに現われている思惟の性格は、世界から人間を理解する態度である。

このような性格の思惟は、聖書のそれではない、という主張をゴーガルテンはもっている(3)。聖書においては、創世記の世界創造の神話的物語やパウロのローマ人ヘの手紙8章にある神の相続人としての人間の叙述に表現されているように、「神と世界の間にある人間」(der Mensch zwischen Gott und Welt)は神から世界を相続財産として委託されているので、世界に対して責任(Verantwortung)を負っている。すなわち、中世的思惟の性格が示していると同様に、聖書においても、人間は、自己を世界との切断できない深い連関において把握するのであるが、併し、聖書においては、中世的思惟の性格が示しているとは異なって、人間は、自分を世界から理解しようとはしない。聖書では、人間は、自分を神との交わりから理解して、世界に責任を負うものとして立っている。自分から切断することのできない関係にあるこの世界に対して、神ヘの服従を全うしながら、しかも、その服従に当然含まれなければならない神から委託された仕事として、世界を支配し創造するのが人間である。世界に対する動的、主体的な人間の関係がそこには存在している。

デカル卜による自我の近代的目覚めは、明かに世界からの人間の自己理解ではない。むしろ、そこでは、世界と自我との厳しい断絶が出発点をなしている。自我は、世界と無関係に自分の存在を認識しているのであって、逆に、世界の存在を自我の存在から根拠ずけようとしている。確かに、中世紀の思惟の性格とは異なっているものがデカルトにはみられる。ゴーガルテンが、思想史上、近代的思惟の特色ある姿勢が、デカルトから始まっていると考えるのは、正しいように思われる。

更に、ゴーガルテンがデカルト以来明瞭になってきたというその近代の自我の目覚めは、聖書の中に認められる人間と世界との関係の中にある自我とも異なっている。何よりも先ず、近代的自我の目覚めは、既に述べたように、世界から断絶されて行われている。従って、この自我の世界にとってきた態度が、前述したように主観として対象である世界に位置ずけられるものであることは、容易に理解できる。そして、明かにこの自我の姿勢は、聖書の中に現われているとゴーガルテンが主張している、あの世界を委託的責任において管理し創造して行く主体的な人間の姿勢とは異なっている。後者は、人間から全存在的な努力を期待しているのであって、世界を客観的に観察するような主観的態度――ここでは人間の全存在が問題とならない――よりも、もっと次元の深い人間の姿勢を要求している。実存論的神学の神学的思索の対象になる人間の姿勢とは、このような深い次元を意味するのである。これは、汝として、イエス・キリストにおいて人格的に人間と出合われる神の語りかけにむかって、全存在的応答を迫られている人間の姿勢である。だから、実存論的神学は主観主義ではあり得ない。

更に、前掲したフェレーの実存論的神学についての批判の言葉の中には、もう1つの誤解が含まれている。神に対して実存的決断をしようとする自我は、フェレ一によると、神経質な跳躍者(the nervous leaper)である。勿論、この批判は、実存論的神学を主観主義とみるフェレーの立場からみれば、当然の批判であろう。

この事情を理解するためには、サルトル(Jean-Paul Sartre)が、デカルトに始まった近代的自我の目覚めの性格をどのように把握しているかを顧みることが便利であろう(4)。「私は考えている。それ故に、私は存在する」というデカルトの言葉は、サルトルによれば、思索上の混乱を示している。「私は存在する」というところの自覚する私は、実際のところ、「私は考えている」と言われている場合のその考えている私と、同一ではない。実は、ここでわれわれが問題にしているものは、初めの考えている私ではなく、次の行為である。また、サルトルによれば、ここでデカルトは、自覚であるところの生のままの懐疑と、それとは異なった行為である組織的な懐疑とを、混同している。われわれがある対象を印象ずけられる生の経験において、その対象が疑わしいとの懐疑の自覚があり得る訳であるが、併し、デカルトの「考える私」は、この生の懐疑を対象として据えている。

ゴーガルテンは、近代的自我の姿勢を、世界に対して主観として立ち世界を客観視するところに、すなわち、主観−客観の構造で表現されるような主観主義として特徴ずけたが、サルトルは、デカルトに始まる近代的自我の特徴を、自我の内部での主観−客観の対立として特徴ずけたと言うことができよう。そして、サルトルの哲学的努力が、この対立を超克して、人間の全存在的行為を促すような人間の生き方を問題にする実存主義の確立に向けられてきたことは、周知の事実である。

今、私の論じている事柄は、勿論、世界に対しての、また、自我そのものに対しての、自我の主観としての自己定立が、具体的経験として存在することを否定するものでもなければ、それが、主体的な人間の行動を形作るにあたって、欠くことのできない自我の姿勢であることを否定するものでもない。サルトルにおいても、事情は同様である(5)。神学が取扱う信仰という現実は、そこで人間が神と出合って、自分自身を神が喜ぶような存在へ作りかえるという、人間の創造的行為に関わる現実である故に、この創造行為にある人間が、自分の自我を、創造される素材である自分や、この自己創造の過程においてやはりその創造の素材を提供してくれる世界から、一応切り離して据え、それらに対して主観となり、それらを客観視することは、絶対に必要である。このような意味での主観−客観の対立がなければ、創造的行為はあり得ない。この間の事情は、ホワイトヘッドのあの有名な警句、「宗教とは、個人が自分自身の孤独をどう処置するか、である」の中にも看取される(6)。ホワイトヘッドがここで言う孤独は、宗教的な創造的行為のためには、目前の形の如くに行われていてわれわれを流して行く日常の出来事から、個人が自分自身を一応切り離し孤独の中に退くことによって、理性的に自分の生の方向ずけを反省する余裕を持たなければならない時に、その事実を可能にしてくれるような孤独のことである。ティリックが、孤独(solitude)と孤独の淋しさ(lonliness)とを区別して、われわれに孤独を敢て持つようにすすめている事情もここにある(7)。彼の言う「孤独の淋しさ」とは、自我が、自分自身に対しての、また、周囲の現実に対しての創造的な交わりを喪失して、存在の意味を感じなくなるような事情を指している。そして、「孤独」とは、創造的行為に出ずるために、主観−客観の対立を、自分の内部に、また、周囲の現実に対して持つことに外ならない。

 さて、私は、フェレーの実存論的神学についての誤解をどう考えたらよいか、という問題に戻らなければならない。もし実存論的神学が、主観−客観の対立を超克する意味で決断ということを問題にしていないならば、確かにフェレーの言うように、実存的な神への決断は常に神経質な飛躍であろう。なぜならば、神への決断とは、現実的には常に、自分の自分自身とのかかわりを、また、自分の周囲の世界とのかかわりを、どのように決断し処理して行くかということであるから。この場合、もし人間が主観−客観の対立を超克できないで主観主義にとどまっており、創造的行為にまで自分を押し出せないで、単に対象から切り離されているという状況にあるならば、彼は自分がその対象に対して、根本的にはよそよそしい存在であるという感じを拭い去ることができない。根本的によそよそしい感じを持たない訳に行かない対象に向って無理に決断しようとすれば、その決断が神経質な飛躍になるのは当然である。ところが、実存論的神学が人間から要求する神への決断は、そのようなものである筈がない。なぜなら、キリストとしてのイエスの出来事が、対象である自分自身と和解できないでいる自我に向って、神がその罪深い自分を受け入れて下さったのであるから、自我もその自分を受け入れてよいという、神からの赦しの言葉であり、また、対象である世界も、神の愛の摂理的支配の下にあるから、それを創造的行為の素材として取扱うような関係にそれと入っても、人間は自分を破壊する危険を冒すことはないという、神からの創造への召喚なのであるから。

 キリストの出来事を適してわれわれに語られているこのような神の召喚に対して応答することが、実存論的神学者、例えば、ブルトマンの言うキリストへの決断(Entscheidung)である(8)。だから、ブルトマンの決断は、キリストを客観視して主観として立っている人間が、自分と異質的な出来事であるかもしれないその客観としてのキリストの出来事に向って、神経質な飛躍をするということではない。キリストの出来事による私に対しての神の語りかけは、真に私を私にしてくれるものである。それは私の実存にとって異質的ではなく――ブルトマンの言う前理解(Vorverständnis)はこの事態を指している――神と私との間に、主観−客観の対立を超えた、我−汝という人格的な愛の交わりを成立させてくれる。神という汝の愛の中に入れられて真の自分を発見するのである。この愛の中にとどまりつづけることこそ、実存論的神学の言う決断の繰返しである。この事実を、伝統的な神学用語で表現すれば、神の恵みによって捕えられる、ということであろう。ブーバー(Martin Buber)が言うように、論理学の思惟においては、相反する二つの観念があった場合には、当然その中の1つだけが真であるが、実人生においては必ずしもそうではない。例えば、宗教的経験においては、神の恵みの絶対性と人間の自由意志の行使とは、少しも矛盾しない(9)。このユダヤ教の実存論的神学者ブーバーの発言は、主観−客観の対立の次元を超えた、人格的な交わりの次元のもつ特徴を、よく理解させてくれる。そして、実存論的神学の言う決断が、神の恵みの中に自分を任せ切った信仰のもつ平和と、少しも矛盾しないものであること、従って、実存論的神学に生きる信仰者が、決して神経質な人間となったり、決断ノイローゼに苦しめられたりする必然性のないことを示している。

(1)Ferre, Nels F. S.: Christ and the Christian, New York, Harper & Brothers, 1958, pp.27f.
(2)Gogarten, Friedrich : Entmythologisierung und Kirche, Stuttgartt, Vorwerk-Verlag,1953, pp. 53ff. また、この問題をもっと詳細にとりあつかったゴーガルテンの著作には、次のものがある。Gogarten, Friedrich : Die Wirklichkeit des Glaubens, Stuttgart, Vorwerk-Verlag, 1957.
(3)この点の議論については、前掲のゴーガルテンの著書の外に、次の著書をも参照のこと。Gogarten, F.: Der Mensch zwischen Gott und Welt, Stuttgart, Vorwerk-Verlag, 1956, pp. 21 ff.
(4)Sartre, Jean-Paul : Being and Nothingness, trans. By Hazel E. Barnes, New York, Philosophical Library, 1956, p. 3, pp. 73 ff. 及び、”Translator’s Introduction” pp. ? ff.
(5)op.cit., Part two, “Being-for-Itself”.
(6)Whitehead, Alfred N.: Religion in the Making, New York, Macmillan, 1926, p. 16.
(7)Tillich, Paul : “Let us dare to have solitude” in Union Seminary Quarterly Review, May 1957.
(8)ブルトマンの言う決断がこのような意味のものであることは、彼が、キリストなきキリスト教的存在理解が、神学において不可能であることを主張していることから明瞭である。彼がここで言う存在、すなわち、信仰における生活は、「直接法によって叙述され得るような状態ではなくして、直接法にたいして直ちに命令法が這入ってくる」もの、決断を要求されているものなのである。だから、人間のキリストによる自己理解の中に人間のキリストへの決断は含まれているのである。Bultmann, Rudolf : “Neues Testament and Mythologie” in Kerygma und Mythos, vol.1, edit. By ?. W. Bartsh, Hamburg-Volksdorf,Evangelischer Verlag G. M. B. H., 1951, pp.30ff.
(9)Buber, Martin : Israel and the World, New York, Schocken Books, 1948, p.17.

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これまで述べてきたような、神学における主観−客観の構造の克服が、歴史理解についてどういう態度をとるようにわれわれに要求するかは、大きな問題である。なぜならば、キリスト教神学は、当然イエスという歴史的人物にかかわるのであるから。人間という主観が客観的に取扱わなければならない自分の対象であるとする歴史を、ブルトマンが世界史(Historie, world-history)と名ずけていることは、既に述べた。ところが、この世界史のように、対象的に記述された過去の出来事の集積だけで、歴史が、十分に理解されたとは言えない。歴史は今も将来に向って継続しているのであって、人間個々にその歴史創造の責任が負わされている。過去においてもわれわれと同じように歴史創造の責任を人々は負わされていた。だから、私の実存的歴史創造行為に真剣に生きつつ、過去の歴史をそれとの対応で理解するときに、過去の歴史は、単なる客観的な出来事の記述以上のものを、すなわち、歴史の意味・生存の意味を追求した過去の人々や文化の内奥にあるものを提供してくれる。更に、このような歴史の理解の追求の中に生きることによって、それとの対応で現在のわれわれも、自分たちの生を、歴史創造を、理解し方向ずけることができるのである。歴史と実存との深いこの内的連関からみられた歴史を、歴史の理解にあたって欠いてはならないものであると主張した人々が、例えば、コリングウッド(1)やブルトマンである。この見方でみられた歴史を、ブルトマンは、実存史(Geschichte, existential history)と名づけている。

このように、人間と歴史との係わりあいに、ブルトマンは世界史と実存史との二つの次元の存在することを主張し、その上で、われわれの信仰にとっては、実存史の次元のみが関係すると言い切ったのである。「キリストの十字架を信じるということは、キリストの十字架を自分のものとして引きうけること、すなわち、キリストと共に自分を十字架につけることを意味する。……十字架は、決してわれわれが回顧する過去の出来事ではなく、その有意義性において理解され、信徒にとってつねに現在で……」なければならない、とブルトマンが言ったのは、この事情を表現している(2)。この実存史の次元で、われわれに決断を迫るものとして語られる神の言こそ、ブルトマンのケリュグマ(Kerygma)であり、ゴーガルテンのいう主観−客観の対立が、このケリュグマにおいて超克されたとゴーガルテン自身が見做している以上、彼の実存論による近代主義神学克服の方向が、ここに存在することは言うまでもない(3)。

実存論的神学が、実存と歴史との係わりあいにおいて、二つの次元を想定し、神学は実存史のみに関係するとしたことは、多くの神学者たちによって攻撃された。カール・バルトはブルトマンとゴーガルテンに言及しながら、次のように言っている「最近、あのように特別な熱狂をもって公布されている『主観−客観の構造の克服』の意味は、一体何であるのか。なぜなら、次のことが明かにされていないし、保証されていないのだから。この計画が、もう一度、人間中心の神話に導いて、神と人間との交わりをもう一度疑問にし、またこのようにして、神学の対象を疑問にするものではない、ということは、明かでもないし、保証されてもいないのである。確かに、実存主義はわれわれに、もう一度、古い学派の中にあった真理の要素を、想起させてくれたかもしれない。すなわち、それはもう一度、人間について語ることなくしては、誰も神について語ることができない、という思考を導き入れたのである。望みたいことは、それが、われわれをあの昔の過ちに連れ戻さないことである。すなわち、先ず、そして具体的に、生ける神について語ることなくして、人間について語ることができる、という過ちである」(4)。バルトの危惧を、私は理解できない訳ではないが、実存論的神学が主観主義でなく、既に説明されたように、イエス・キリストの出来事を通して語りかけてくる神との交わり、我と汝という次元での出合いを把握しようとの神学的試みである以上、それは神について語るのである。併し、それは、神について客観的に語るのではなく――恐らく、バルトが要求しているのは、啓示において御自分を客観的にお与えになった神について客観的に語る、ということであるが、――人間に決断を要求するものとしての神の行為について語るのである(5)。

主観−客観の対立という次元と、それよりももっと深い実存的な次元とを区別する実存論的神学の立場が、決して歴史を正しく把握する方法論を提供するものではない、との主張がアルトハウス(Paul Althaus)によってなされている(6)。アルトハウスは、ブルトマンとゴーガルテン、特にゴーガルテンの主観−客観の構造の超克に言及して、このような哲学的歴史理解と認識論的考慮とが、問題の単純さ(die Simplizitat der Frage)をぼかすものであると批難している(7)。彼によれば、ブルトマンやゴーガルテンの歴史理解は気まぐれに(willkarlich)形成されたものである(8)。これは、実存論的歴史理解に対する、大分烈しい批難であるが、それでは、アルトハウスの言う問題の単純さとは何であろうか。結局のところ、彼の批判は二つの点にまとめられる。彼は、歴史の理解が、単に客観的事実性の承認以上のものであることを先ず認めながら、しかも、それは「なおも、それなしでは存在しない(es ist nicht ohne sie)」と主張する(9)。

実存論的歴史理解に対するアルトハウスのこの第一の批判は、完全な誤解から出発している、と私には思われる。歴史的事実性なしでも存在することのできる歴史理解を、われわれは考えることすらできない。もし、それが存在するなら、それこそ主観主義以外の何であろう。ゴーガルテンの主張する主観−客観の構造の超克は、決して、客観に対してそのように対立の構造にある主観の態度が、許されないものであると言っているのでもない。既に説明したように、歴史創造的生の態度には、どうしてもそのような態度が必要なのである。ましてゴーガルテンの意図は、この対立を超克することによって、客観への否定に来るところにはない。寧ろ、間題は、客観的事実に対して実存がどういう姿勢をとるか、ということについてであって、主観−客観の構造のもっている対立の次元と相異した、もっと深い次元に属することがらの反省にかかわっている。言わば、客観的事実と実存との間の問題である。同一の人間が、歴史的事実に対してとる態度が、二つの相異する次元として表現しない訳には行かないような姿勢になる、というのが実存論的神学者たちの主張であって、二つの次元は相異しているけれども、同一の人間の歴史についての経験であってみれば、互いに分離され得ないし、相互影響を免かれないのである。実存論的神学は、相互影響を互いに免かれない二つの次元を想定する実存論的歴史理解の上に立ちながら、神学の課題は世界史の次元ではなく、ひたすらに実存史の次元にかかわるものであるという決断をしたのである。

 アルトハウスの第二の批判を取り上げてみよう。彼は言う。「信仰は、出来事が生起したという客観的事実に実際のところ関心を持っている。この事情は、新約聖書が示しているところであるし、キリスト教の初代から今日まで同じである。神が人間を扱われる場所こそ歴史であるが、それは、本質的には、実際に生起した歴史である。このような仕方で、使徒たちの宣教が証している事実を二つの要素に分けるのは無意味である。一方には、歴史が現実に生起したその事実性を、他方には、神の行為のにない手という歴史の性格を、主張するやり方のことを私は言っているのである。この主張者たちによれば、後者が前者より強調されて優位におかれている。そして、それが真正の(eigentlich)歴史と呼ばれるのである」(10)。このアルトハウスの批判に答えるにあたって、私が特に注意したいことは、実存論的神学は神学であって、実存論的歴史理解とは同一ではない、ということである。後者は歴史一般に対する実存論的な理解であって、そこでは世界史的な次元での探求と実存史的な理解次元とが、混同されないで、しかも、分離されないで、歴史一般に対して用いられている。歴史一般を、歴史創造という角度から理解している訳である。併し、実存論的神学は、特定の世界史の範囲の出来事にかかわる。すなわち、キリストとしてのイエスの出来事にかかわるのであって、この出来事のもつ性格が、信仰という特定の実存的態度をわれわれから要求するのである。信仰は、人間に終末論的な実存的態度を要求する。新約聖書の告げている出来事の信仰による理解に関する限り、われわれが単に実存論的な係わり合いをそれに対して持つというのではなく、世界史的な係わり合いを排除して、ひたすらに実存史的な係わり合いを、しかも、終末論的な意味でのそれを持つことが要求されているのである。実存論的神学の理解によれば、新約聖書は、イエス・キリストの出来事において、私の全存在を支える終末論的な出来事に私が出合うという音ずれを告げているのであって、新約聖書の解釈自体が、実存史のみにひたすら係わることをわれわれに要求しているのである。これこそブルトマンの非神話化論が意図するところに外ならない。だから、神学にとっては、ゴーガルテンの言うように、実存史のみが真正の歴史である。

神によるイエス・キリストの出来事を客観的・世界史的に把握しようとすることは、論理的な保証を得てのちにその出来事に対してその実存的態度決定をすることであって、終末論的なケリュグマに対しての誤った態度である。世界史的にイエスを取扱うならとにかく、信仰の問題としてキリスト・イエスを取扱うには誤っている。なぜなら、ケリュグマは、傍目もふらずに私の実存的態度を神に対して決定するようにとの私への呼びかけであって、その時に客観的な保証を求めて世界史的にイエスを探求したり、論理的に神の出来事を前以て把握してから、すなわち、論理的な保証を得てから信仰の冒険にでようとすることは、応答への逡巡であり、また、回避である。要するに、信仰のきびしさをどう理解するかに、この問題は関連している。

ケリュグマによって終末論的な決断を迫られ、繰返しそのような決断をして行く人間は、真にその存在の根底から主体的であるような、実存的人間形成の途上にあるといえる。このような人間にして始めて、実は、一般歴史に対しても、深く実存論的な理解をなし得るのである。キリスト教的西欧の文化史において、キリスト教が西欧の人々の歴史一般の理解の仕方に、どのような影響を及ぼして来たか、というような文化史的な探求は、ケリュグマによる実存的人間形成と実存論的歴史理解との相関関係についての文化史的検討である。このことは、既にブルトマン及びゴーガルテンによって、大きな成果をもって始められている(11)。


(1) Collingwood, R, G.: The Idea of History, Oxford, Clarendon Press, 1946.
(2) Bultman, Rudolf : “Neues Testament und Mythologie” in Kerygma und Mythos, vol. 1, p. 42.
(3) Gogarten, Friedrich : Entmythologisierung und Kirche, pp. 95ff.
(4) Barth, Karl : Die Menschlichkeit Gottes, Zollikon-Zürich, Evangelisher Verlag A. G., 1956, pp. 19f.
(5) この点でブルトマンはきわめて明瞭である。Bultmann, Rudolf : “The meaning of God as acting” in Jesus Christ and Mythology, New York, Charles Scribner’s Sons, 1958.
(6) Althaus, Paul : Das sogenannte Kerygma und der historyische Jesus, Gütersloh, Carl Bertelsmann Verlag, 1958, pp.22-25.
(7) ibid., p.25.
(8) ibid., p.23.
(9) ibid., p.23.
(10) ibid., p.24.
(11) Bultmann, Rudolf : History and Eschatology, Edinburgh, The University Press, 1957 ; Gogarten, Friedrich : Der Mensch zwischen Gott Welt.

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実存論的思考は、既に了解されたように、次元的思考(dimensional thinking)である。主観−客観の対立を超克した次元が実存の姿勢には存在するのであって、それが世界に対しては、神から委託されて人間が世界を創造する行為にいでるような次元であり、歴史の理解においては、主観−客観の構造にとどまる世界史を超えた実存史の次元であることを、私は説明してきた。併し、歴史の理解に関しては、まだもう1つの問題の解明がのこされている。それは、世界史と実存史とが、相互にどのような仕方で関係し合っているか、という問題である。

既に述べたように、次元の相異ということは、決して両者が無関係であるということではない。両者とも、人間が自分の経験の中において触れることのできるものであってみれば、相互に影響し合うのが当然である。1つの経験の中のことを、このように二つつの次元の相異において把えることは、明かに具体からの抽象である。理解することは、全て抽象することなのであるから、抽象化それ自体は、良くも悪くもない。抽象化の良い・悪いを決定するものは、果してその抽象化が、具体の経験を整理するに役立っているか、また、人間が自己の生存を進展的に具体化(concretion)して行くにあたって、その抽象化がもっと創造的であるような生を可能にしてくれるかどうかである。実存論的な歴史理解を採用する人々は、世界史と実存史という次元の相異において歴史を理解する方が、そのような抽象化を拒否するよりも、もっとよく自分たちの歴史経験を整理し、また、自分たちの生を歴史創造的にするのに役立つと感じているのである。だから、実存論的歴史理解に立つことは、1つの決断によってなされることであって、歴史それ自体の客観的な分析をどれ程精密に行っても、結論として出てくるようなものではない。このような誤りを、アルトハウスが犯していることは、既に説明した。そして、このような実存論的歴史理解が、ケリュグマへの応答を通しての実存的人格形成と強い連関をもつものであることも暗示した。イエスの譬を借りるならば、終末論的なケリュグマへの応答こそ、実存論的歴史理解という実を産出する木であるとも言えよう。

 ところで、抽象化は、具体に回帰することによって、抽象化それ自体のための抽象化を避けなければならない。実存論的神学者は、自分がひたすらに課題としている、キリストとしてのイエスの実存史の理解が、イエスとの出合いという歴史経験からの、福音を福音たらしめるための抽象であることを忘れてはならない。言葉を換えて表現すれば、彼が避けなければならないのは、世界史と実存史との次元の混同であって、――混同すれば、イエスを通しての神の語りかけに、傍目もふらずに決断しているのでなく、保証を求めることになる――両次元が相互に影響し合うものであるという具体相への認識を欠いてはならない。だから実存論的思考は、その土台に、経験論的思考を持たなければならないと私は考えている(1)。                       

 歴史経験の具体相を問題にする経験論的思考においては、この両次元の相互関係はどうであろうか。新約聖書の解釈との関係で結論的に言えば、イエスに対しての実存論的理解を徹底すればするほど、世界史を真に世界史として、即ち、客観的な出来事の客観的な記述として、取扱うことのできる態度をわれわれに与えるようになる。言い換えれば、両次元の差違をますます徹底させるような仕方で、実存史への沈潜は、世界史探求に影響するのである。
 
 ここには、ゴーガルテンが、神と世界との間に立つ人間にみた事情と類似のものが存在している。神によってのみ救われるという確信は、世界の中に神的な力を見出し、それに頼って救を獲得しようという神秘的な世界の見方から人間を解放したのであって、神の恵のみに救の拠り所を発見した宗教改革以来、中世の神秘的世界像が世俗化されてきたのは、ゴーガルテンによれば、当然である。彼は、ボンヘッファーの言葉を借りて、この世俗化された世界を、成人した世界(die mündige Welt)と呼んでいる(2)。神を神とすることは、世界を世界とすることであって、人間は世界に対して、少しでも神に対してとるような信仰的な態度をとってはならない。ボンヘッファーが牢獄の中から送った手紙の中に書き表わした、舞台裏から危急を救にとび出す神(Deus ex machina)の否定や、非宗教化された世界という観念は、実に、福音信仰の徹底が、世界を神秘的・宗教的に取扱うことの拒否であり、近代のもっている世界に対する合理的な態度こそ、その世界の非宗教化の故に、福音信仰者の歓迎しなければならないものである、という事情を物語っている(5)。

ゴーガルテンやボンへッファーの考えた、人間の世界に対する態度を、イエスの歴史に対する人間の態度に類似的に考えてみよう。そうすれば、イエスとの実存史的な関係への沈潜が、イエスとの世界史的な関係を、真に世俗の問題として――神秘的ではなく世俗的に――取扱うようにさせるという事情が、明らかになってくる。イエスの出来事を通してわれわれに語りかけてくる神の終末論的な言葉は、われわれが、一切の自分の力――理性・感情・保証獲得を求めての経験――を排除して、ひたすら、神の言葉へ信頼して冒険的決断に生きることを、要求している。このことは、イエスの出来事の世界史的研究の中に、神秘的・宗教的な要素の存在を徹底的に拒否することを意味する。イエスの世界史的研究は、徹底的に世俗的に、すなわち、実証的・科学的になされなければならないのであって、この次元での宗教的、あるいは、信仰的歴史研究というものは存在しない。もし、それを考えるならば、それは偶像礼拝である。

それに、イエスの世界史的研究だけは、他の世俗の出来事と違って、信仰的になされなければならないというならば、それは、キリスト教の教理上の仮現説(docetism)と全く同じことではないか。これは、受肉の事実の否定以外の何ものでもない。イエスの出来事が、真に人間の出来事であったと言うならば、明かに、それは世俗の出来事なのであって、世俗の出来事を研究すると同じ方法論が適用されるのが当然である。

 イエスとの世界史的な係わり合いを、神秘的・宗教的に粉飾した典型的な例が、近代主義的なイエス伝の研究史であった。そこでは、科学的・客観的な方法論が一応採用されていながら、実は、主観的な宗教感情が、自分に都合の良いようなイエス像を形成した。様式批評の立場から、このような近代主義的キリスト教のイエス伝研究に反対して、ブルトマンが、イエス伝は書くことのできないものであると主張したことの中には、近代主義のもっていた主観主義、宗教的な(世俗的でない)歴史研究への反抗があった(4)。勿論、このブルトマンの反抗は、正統主義的なイエスについての理解にも当てはまる。ブルトマンが最近に至るまで、原始教会のケリュグマの背後にさかのぼって、そこに実在するイエスについての歴史的研究をしようとする試みに消極的であったのは、以上のような近代主義的神学の行ったイエス伝研究への反抗として理解されなければならないであろう。

ブルトマンがその神学的活動の初期に書いた「イエス」は、注意されなければならない書物である。その中には、確かに次のような言葉が書かれている。「イエスの生涯と人格とについて、われわれはもはや、殆んど何も知ることができない、と私は思う。なぜなら初代のキリスト教的資料は、そのどちらにも興味を示していないからである。そして、更に、断片的であって、しばしば伝説的でもある。また、イエスについての他の資料は存在しないのだから」(5)。「勿論、イエスが真実に存在していたのか、という疑問は、根拠のないものであって、論破する価値もない。最初の明瞭な段階が、最古のパレスチナの集団によって代表されているあの歴史的な運動の背後に、イエスがその創始者として立っていることは、あまりにも明かである。併し、その集団が、イエスとその使信の、客観的に真実な像を、どれほどまでに保存したか、ということになると別問題である。確かに、イエスの人格に興味を持っている人々にとっては、この事情は失望を与えるものであり、破壊的である。併し、われわれの目的のためには、それは、少しも本質的な意味をもっていない」(6)。これらの言葉によれば、ブルトマンは、ケリュグマの背後にある実在のイエスについての探求を、不可能であるとしている。しかも、そのことは、われわれの目的である神の言葉としてのイエス、すなわち、われわれに語りかける神の赦しの言葉を象徴するものとしてケリュグマの中に保存されているイエスの画像――ティリックの、キリストとしてのイエスの画像(the picture of Jesus as the Christ)という表現を注意しよう(7)――をわれわれが保持するのに、少しも妨げにならないものと考えられている。この当時のブルトマンは、ケリュグマの背後にイエスが実在することを疑っていないけれども、その実在のイエスとケリュグマにあらわれているキリストとしてのイエスの画像との間に、少しも積極的な関係を見出していない。前述したように、これは勿論、自由主義的なイエス伝研究への反動なのであるが。

併し、この初期のブルトマンの立場を、主観主義と呼ぶことはできない。なぜなら、ケリェグマとの対話の中での実存論的自己理解を、彼はキリスト者の実存の根拠としたのであるから。そこには明瞭に、主観−客観の対立の超克がある。だから、ブルトマンが、フリッツ・ブーリー(Fritz Buri)の実存主義神学に賛成できない事情は、容易に理解できる。ブーリーによれば、ブルトマンの非神話化論は不徹底である。なぜならば、ブルトマンは、その神学の中に、ケリュグマを保存しているからである。そのケリュグマによって、ブルトマンは、神の行為を、人間的・此岸的・内在的に語っているのであるから、そこには、未だ非神話化されていないものが、ブルトマンの神学にみられる。ブーリーは、非神話化論の徹底は、当然彼自身の立場であるところの非ケリュグマ化(Entkerygmatisierung)に進まなければならない、と主張する(8)。このようにして、ブーリーの立場は、実存主義者ヤスパースの哲学に極めて接近した様相の神学になる。そこにはブルトマンにみられるような、キリストとしてのイエスの出来事を通して、人間と神とが対話の関係に入るところの、あの主観−客観の対立の超克はない。ブルトマンの非神話化論の隠された本来の意図は、この主観−客観の対立の超克にあるのであって、その意味では、マカリー(John Macquarrie)の言うように、プルトマンにおける非神話化論の制限(limit)を語ってもよいであろう(9)。

 以上のように、ブルトマンとブーリーとの論争の考案をしたからには、現在、ブルトマンが、自分の弟子たち――いわゆるブルトマン以後の人々(Post-Bultmannians)――の新しい動きに深い共感を覚えている事情が、了解されるであろう。彼らは、ブルトマンの実存論的なキリスト教の理解を勿論否定するのではない。むしろ、それを徹底させることによって、ケリュグマの背後にある実在のイエスに接近しようとしている。その接近の仕方は、ブルトマンも否定した自由主義神学の行った仕方ではない。彼らも、自由主義神学的なイエス伝研究が不可能であることを、また、無意味でもあることを知っている。それが無意味でもあるのは、ケリュグマの背後に、イエスの実在を、自由主義神学においては、キリストとしてのイエスに対するわれわれの今の実存的決断を回避するような仕方で、すなわち、実在のイエスの中に、われわれの今の決断のための客観的な保証を求める仕方で、求めることがなされたからである。

 ケーゼマン(Ernst Käsemann)、フックス(Ernst Fuchs)、ポルンカム(Günther Bornkamm)、コンツェルマン(Hans Conzelmann)等のブルトマン以後の人々は、自由主義的なイエス伝研究とは異なって、ケリュグマの背後にある実在のイエスにおいて、現在のわれわれの実存的自己理解を可能にするような人物と出合おうとするのである。一人々々の探求の仕方には微妙な差異が存在しているが、彼らが共通して追い求めているものは、自由主義神学や正統主義神学の行ったイエス伝研究の踏襲ではなく、ブルトマンが主張したケリュグマの中でのキリストの出来事との出合いを、ケリュグマの背後にある実在のイエスにまで溯らせたのである。「もし、ケリェグマとの出合いが、イエスとの意味との出合いであるならば、その時には、イエスとの出合いは、ケリュグマの意味との出合いでなければならない」(J. M. Robinson)(10)。も少し具体的な表現をすれば、イエスの世界史的探求の中で、イエスの画像(Gestalt)と行為(Wirken)を探求するのである(11)。なぜなら、イエスの画像と行為こそ、私の現実にとって、実存せよという命令であり、また、同じ人間としての状況の中でイエスのような愛の人間実存が実在した以上は、私にとってもあの愛の実存は、この状況の中で現実の可能性であるという約束なのであるから。英国におけるブルトマン以後の人々の1人である神学者が、このような実在のイエスについての探求の必然性について、述べているところを聞こう。「(イエスの実在について)われわれが推測するのを必要とする最小限は何であろうか。かつて、歴史の中に、ケリュグマが宣教する実存の可能性を示したような、ある人物が存在した、ということだけである。勿論、それ以上のことを、われわれが信じてもよい。併しそれだけが、厳密には、必要なものなのである。これがないならば、ケリュグマにおいて宣教されている実存の可能性が、真実の可能性であること、また、それが、単に、道徳的な、あるいは、心理的な幻想ではないこと、が確かでなくなってくる」(John Macquarrie)(12)。だから、ブルトマン以後の人々は、「福音書のケリュグマの中に歴史を求め、また、この歴史の中にケリュグマを求める」(13)のである。

現在、ブルトマンは、大体この立場に同調している訳であるが、以前のブルトマンの立場とこの立場とには、根本的に、どういう相違があろうか。かつてのブルトマンの立場は、自由主義神学への反動から、イエスを世界史の次元で、ケリュグマを実存史の次元で取扱おうとする二分的な傾向が存在した。ところがブルトマン以後の人々は、イエスというケリュグマの背後に立つ歴史的実在において、実存史と世界史との相互影響的な、既に説明したあの主観−客観の構造を超克した歴史経験を、1つの統一体として経験しようとしているのである。勿論、既に説明した実存史と世界史との関係で明かなように、イエスにおけるこの統一された歴史経験は、実存史に徹底すればするほど、世界史の中に神秘的・宗教的要素を追求する傾向への拒否を徹底させることになるような仕方で、相互影響するものの統一体であるが。

 ポール・ティリックが、信仰にとっては、福音書にあらわれたキリストとしてのイエスの画像(the picture of Jesus as the Christ)に比論的なる質的存在が何時何処にか世界史的に存在したことを信じればよいと考えている時(14)、彼も、ケリュグマの背後に、そういう実在がいたことを信じることが、信仰にとって不可欠であることを言っている。彼は、ケリュグマの中のキリストとしてのイエスの画像と、その背後に立つ存在者との間に、比喩がなければならないという以上、初期のブルトマンよりも、もっとブルトマン以後の人々に近い。福音書の中のキリストとしてのイエスの画像と比喩の存在者が、世界史的に言って、ナザレのイエスであるかどうかは、実存史のみに集中する組織神学者の発言ではなく、聖書の中での実存史と、世界史との統一経験を問題とすることによって組織神学への道ぞなえをする聖書神学者の発言でなければならない。

 勿論、現在は、ブルトマンやブルトマン以後の人々の努力によって、聖書神学と組織神学とが非常に接近し、また、協力している事態にあることを、私は知らない訳ではない。むしろ、これこそ実存論的神学の誇ることのできる1つの特徴であると考えている。併し、現在の教会の宣教に奉仕するために、現代世界のいろいろな問題と折衝しなければならない組織神学は、やはり、実存史のみをその課題とするという、それ自体の領域設定を明確にしなければならない。この点で、多くの批判を持ちながらではあるけれども、実存論的神学は、ティリックの組織神学から学ばなければならない。
 
さて、もう一度、ブルトマン以後の人々の問題としている実在のイエスにおける実存史と世界史との関係の論議に帰って行こう。このような議論をつづけてきた私の意図が、組織神学を専攻するものの一人として、現代の聖書神学の苦労に協力し、出来ることならば、組織神学のキリスト論と聖書神学との間の境界で、組織神学者として何を言い得るか、を知ってみよう――それを全体の主題である「神学における主観−客観の構造の超克」の中で行おう――ということにあった。組織神学者として、それでは、イエスにおけるこの実存史と世界史とを結びつけるものを、何であると考えたらよいだろうか。それは、ゴーガルテンの言葉を用いるならば、イエスの服従(Gehorsam)である(15)。世界史的にイエスを探求し、イエスがどのように父なる神に服従したかを明かにするならば、それは同時に、イエスの生涯という人間の出来事が、神に全く用いられた実存史的な神の出来事であることを、われわれに明瞭にする。罪の赦しを語りかけ、また愛に生きよとの命令である神の出来事と、世界史的なイエスの人間の出来事とが、1つの出来事であるということこそ、実存論的なキリスト論であり、神人二性の一人格という古典的キリスト論の実存論的解釈であるが、イエスにおける神の出来事と人間の出来事とが1つの出来事であることの告白を、われわれから生み出させる契機となるものは、人間としてのイエスの神への服従である。

 主観−客観の構造をもつ近代主義及び正統主義のイエス研究への拒否から始まったブルトマンの実存論的な解釈の試みは、当然ブルトマン以後の人々のたどっている方向に行かなければならない。また、聖書神学のその方向こそ、組織神学のキリスト論の立場からみて、もっとも実り多いものである。


(1) 歴史経験を二つの次元、実存史と世界史で考えることは、実は少しも唐突なことではない。もっと広い角度から、すなわち、人間と世界という関係で二つの次元の相違と相互影響とをとりあつかったものに、ブーバーの二つの「根源語」――「われと汝」と「われとそれ」――がある。(Buber, Martin : Ich und Du, Leipzig, Insel Verlag, 1923)更に、この機会に附言すれば、私がここで使う経験という言葉には、ブーバーの言う、「我−汝」の出合いの次元も含まれている。ブーバーは、経験を「我−それ」の次元のみにかぎって用いてるが。
(2) Gogarten, Friedrich : Der Mensch zwischen Gott und Welt, pp. 20ff,; 80ff.; 139ff.
(3) Bohoeffer, Dietrich : Letters and Papers from Prison, edit, by E. Bethge & trans by R. H. Fuller, London, S. C. M. Press, 1953, pp. 122ff.
(4) Bultmann, Rudolf : “Die Art der Betrachtung-Einleitung” in Jesus, Tübingen, J. C. B. Mohr, 1926.
(5) Bultmann : Jesus, p. 11.
(6) ibid., p. 15.
(7) 拙論「実存論的なキリスト論への一試み」石原謙博士喜寿祝賀論文集「基督論の諸問題」創文社、昭和34年、252−253頁参照のこと。
(8) Buri, Fritz : “Entmythologisierung oder Entkerygmatisierung der Theologie” in Kerygma und Mythos, vol. 2, Hamburg-Volksdorf, Herbert Reich・Evangelisher Verlag G. m. b. H., 1952 pp. 85ff.; Buri, Fritz: Die Reformation geht weiter, Bern, Verlag Paul Haupt, 1956 ; Buri, Fritz : Theologie der Existenz, Bern, Verlag Paul Haupt, 1954.
(9) Macquarrie, John : The Seope of Demythologizing, London, S. C. M. Press, 1960. p. 96.
(10) Robinson, J. M.: A New Quest of the Historical Jesus, London, S. C. M. Press, 1961. p. 444.
(11) Bornkamm, Günther : Jesus von Nazareth, Stuttgart, W. Kohlhammer, 1956, p. 23.
(12) Maquarrie, John : The Scope of Demythologizing, p. 93.
(13) Bornkamm, Günther : Jesus von Nazareth, p. 18.
(14) Tillich, Paul : Systematic Theology, vol. 2, Chicago, The University of Chicago Press, 1957, p. 114.
(15) Gogarten, Friedrich : Entmythologisierung und Kirche, p.73..

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入力:黒田良孝
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2004.12.05