野呂芳男「聖餐論の実存論的理解」 Home  >   Archive  /  Bibliography

聖餐の実存論的理解

野呂芳男                

初出:『宣教と神学−浅野順一博士 献呈論文集』青山学院大学基督教学会編、1964年、401−446。
※ この論文には、文中の(註)の番号の脱落、文末の(註)の一覧との食い違いなどが一部見られますが、主要な内容に差し障りないものと見て、さしあたり原文のまま掲載します。



 この小論の主題は聖餐論であるが、初めに断っておかなければならないことは、私の聖餐論を取扱う発想の地盤が実存論的神学であり、しかもこの小論は組織神学的なものであるということである。従って、所謂正統主義的な発想の下に書かれた聖餐論とは、解決に向ってのその最初の歩み出しから問題への異なった接近の仕方をすることになるであろうが、そのことは実存論的神学の性質上、当然のことであろう。

 普通、聖餐論を発展させるに当って、先ず問題にされるのは聖書との関係である。古典的プロテスタンティズムが聖餐の礼典としての正しさを確認する根拠は、その循守が史的イエスによって、洗礼と同じように、直接命令されたものであるということであった。(勿論、今日の歴史批評の立場から言って、史的イエスが真にその循守を命じられたのかどうかは、大いに疑問の余地のあるところであるが、古典的プロテスタンティズムは、それを事実と信じたのであった。)ルターやカルヴィンが、カトリック教会の七つの礼典から数を減じて、礼典を二つに限定したという事情もそこにあった。ルターは、告白の儀式をも宗教改革の初期には礼典として認めたのであるが、それも厳密な意味においてではなかったので、後には洗礼と聖餐とに限り、これらを礼典として守るようになった。これは彼が、厳密にはこれら二つだけが、史的イエスからその循守を命令されたと信じたことから由来した習慣なのである(1)。

併し、実存論的神学の立場から言うと、イエスが命じられたから二つの礼典を循守しなければならないという発想は、律法主義的な香りをもっている事実を否むことができないであろう。この小論においては聖餐に限って論議を発展させるつもりであるが、われわれが後でみるように、古典的プロテスタンティズムの中にも、数種類の聖餐についての理解があった。併し、それらの理解が一様にその論議の前提としてもっていたものは、イエスがこれらを命令されたからこれらは礼典であるとの発想であった。この場合、どうしても律法主義的な色彩が、これらの論議の中には濃厚であったと言わなければならない。ところが、福音は喜びの訪れであって、律法主義的なものではない筈である。

 以上の理由から、先ず私は、礼典は、イエスが命令されたから、教会はそのイエスの言葉への従順のためにそれを循守する、という観念を破毀したい。そうではなくて、礼典は、教会が喜びの訪れを宣べ伝えるに当って、どうしても必要であるから制定した恵みの手段なのである、と私は主張したい。史的イエスとの結び付きは、古典的プロテスタンティズムの見解のように律法主義的に考えられてはならないのであり、もっと階層の深いところで、すなわち、われわれの実存の根抵という次元を媒介として、礼典は史的イエスと結び付けられねばならないと私は考えている。この解決方向は、論議が進展するにつれて明瞭になるであろう。

 教会が福音を人々に浸潤させるために制定したものこそ礼典であるという思慮が土台となる以上は、当然、礼典の設定は教会の自由に任されなければならない。言換えるならば、礼典の数、また、その執行の仕方などは、教会の自由の設定に任されるのが当然である。しかも、実際に教理史を見れば、われわれは時代によって礼典の数も決して同一でなかったし、また、その執行の仕方も異なってきたという現実を見るのであるから、礼典の設定は教会の自由の責任であるという主張も、道理のない主張ではない。礼典の設定は全く教会の自由の責任であるとの見解を組織だって明確に述べている神学者は、恐らくポール・ティリック (Paul Tillich)が最初であろう(2)。彼によれば世界内の全ての事象が、キリストとしてのイエスによって現わされた神の愛を伝達する礼典的可能性(sacramental possibilities)であって、その物体の中の何が礼典として教会によって選ばれるかは、伝承や重要性の評価や乱用の批判に依存するのである(3)。人間が身体を所有する存在であるが故に、当然福音浸潤の手段は、人間の無意識の領域に訴える媒体としては物体をも用いる。これがティリックの主張する礼典の根拠であるが、どの物体を選択するかは、教会の責任なのである(4)。さて、ティリックの見解であるところの、世界内のあらゆる物体が礼典的可能性をもつという思考は、世界内の啓示をどう考えるかと関連し、従って、キリスト論にも関係してくる訳であるが、今はこの問題にあまり近付くのは避けることにしよう。

 また、礼典と史的イエスとの結び付きということについても、後で私はもっと委しく展開するつもりであるが、一応ここでその理解方向について大体の示唆を与えておくのも便利であろう。そのために二人の神学者を私は取り上げることにしよう。一人は、英国の組合教会派の神学者であったP・T・フォーサイス(Peter T.Forsyth)であるが、主著「イエス・キリストの人格と位置」The Persn and the Place of Jesus Christ)の中で、フォーサイスは、その当時教会を悩ましていた問題、すなわち、どのようにしたら科学的な歴史批評学と福音の伝道を結び付け得るかという問題に取組み、彼自身の独創的な見解を公表したのである(5)。彼によると聖書は、イエス・キリストが、死後ご自分の霊である聖霊を通して、ご自分の生涯の意味を解釈された記録であった。それ故にそこに記述されているのはイエスの宗教ではなく、使徒たちを霊感した聖霊を通してのイエスのご自分についての死後解釈なのである。史的イエスの宗教ではなく、イエスについての宗教こそキリスト教であるという論理をフォーサイスは展開したのである(6)。フォーサイスのこの議論については、いろいろの批評がなされるでもあろうが、彼の主張、すなわち、キリスト教はイエスの宗教ではなく、イエスについての宗教であり、しかも、イエスの死後、イエスの霊である聖霊によって、使徒において正しいキリスト教の理解が与えられたのであるという論理が、もし聖餐論の問題に援用されるならば、興味ある結果が生まれてくる。聖餐は、史的イエスが制定されたから聖餐として教会がそれを循守するというよりは、むしろ、イエスの死後、あのエルサレムの二階座敷で史的イエスの行われた最後の晩餐の意味を、使徒たちを通して復活のイエスの霊たる聖霊が解釈されたが故に、それは聖礼典としての意味をもつに至ったのである、と言っても差支えないことになる。このように考えるならば、最後の晩餐と教会による聖餐の制定とが、歴史研究の面では直結せずに、一応は分離されたものと理解されても構わないのである。最後の晩餐の行われた事情についての科学的な歴史研究の結果が、歴史上の教会が守ってきた聖餐の意義とそれとは相違するという結論であったとしたところで、そのことは教会が制定して循守してきた聖餐にとって、少しも格下げを意味しないのである。教会が、イエスの霊である聖霊の影響の下に、聖餐を制定する自由を与えられたと考えても差支えないからである。

 勿論、ここに使われているイエスの霊である聖霊というような表現は、フォーサイスの言葉を借用したものであり、それはイエスの先在、受肉、昇天などの神話的背景を予想している。だから、厳密には、実存論的神学の立場からは違った表現が必要とされるであろう。この神学の立場によれば、聖霊とは、イエスにおいて生起した神の出来事、すなわち、神の愛の語りかけが、今も尚生起し続けるという事態を指し示す。従って、教会の中にキリストとしてのイエスにおいてあらわされた出来事と同じ神の愛との出合いが、聖餐を通して生起するということが、実存論的神学の聖餐理解の基本的態度であろう。この点をもっと明瞭にするために、もう一人の神学者を援用しよう。

 D・M・ベイリーは、その聖餐論に関する書物の中で(7)、史的イエスの単なる命令によって教会の循守してきた聖餐が制定されたというよりかは、聖餐の制定された根拠を広範囲にわたって考えることをわれわれに勧誘している。イエスの最後の晩餐を中心とした出来事全体が聖餐の根拠なのであって、イエスの命令という一発言だけが根拠であってはならないという思考にべイリーは立脚している訳である。聖晩餐にその起源を持つばかりでなく、聖餐は、主がいろいろの機会に弟子たちと食事をともにされたであろうその事実の中にも根拠を置いている。聖餐は確かに主の制定によるもの(Dominical institution)であるが、その意味は、主が文字通りの仕方でそれを制定する言葉を発せられたという事実の上に成立しているものではなくて、聖餐の成立は、歴史的宗教であるキリスト教に相応しく、主イエスのご生涯に最後的にはその根拠をもつという意味なのである。ベイリーによれば、聖餐の制定についての質問は、イエスが教会をご自身作られたのか、それとも、イエスは教会設立の土台をご自身置かなかったのか、というような疑問に対する答えと同じような仕方で答えられるべきものだと考えている。教会はペンテコステの日に出来上ったのか、それとも、ペテロがピリポ・カイザリヤでイエスをキリストと告白したあの時に出来上ったのか、というような質問を、彼は問題の本質を見誤っている発想の地盤から由来したものと考えている。むしろ、教会の設定は、全体としてのイエスの出来事それ自体に根拠をもつのであり、神の国を追い求めてきたイスラエル民族の歴史全体の中に、既にその発端があったと考えられなければならない。それ故、彼によると、主の制定によるものであるという聖餐論の主張は、広く解釈されるのが当然であり、究極のところ、史的イエスの制定発言という一事件ではなく、イエス・キリストの受肉の出来事こそ、聖餐論の基礎でなければならないのである。

 ベイリー及びフォーサイスの主張を私は正しいものと思うが、特にベイリーが指摘した事情、すなわち、結局のところ教会論や聖餐論の土台が受肉の中にあるという事実は、われわれが終始心に留めて論議を進展させなければならない。受肉の出来事こそ聖餐制定の基礎であるという思考によって、われわれは、前に私が律法主義と名付けた聖餐論の発想から脱却できるのである。この正しいと思われる発想から出発して論議を押詰めて行けば、フォーサイスやベイリーを越えてティリックの結論に到達してしまうであろう。教会は、受肉の出来事、永遠の神のみ言葉が時間の中で真に語られるという現実を、実際にその出来事を今も尚生起させ得るという仕方で継承する団体として、礼典の数やその執行の仕方、及び、その解釈までも、実は、自由に判断し設定して差支えないのである。根本的にはティリックに賛成している私の立場をより強固にするために、少しばかり回路をしてみよう。

 ブリリオスは、主の制定を相当程度文字通りにとっているが、彼は、聖餐の起源がイエスの最後の晩餐にあるとし、それが教会が行ってきた聖餐式と質的にも直接的な連続性をもつと考えているばかりではない。聖書の中にあるところの、リーツマンなどが指摘したあの二つに分類される資料傾向、すなわち、マルコの聖晩餐の記事に現われているようなものと、パウロのコリント人への第一の手紙の中に現われているような聖餐の記述との相違をも、成可く無視しようと努力している(8)。リーツマンなどによると、マルコによる福音書の記事においては、聖餐の雰囲気の基調は喜びの交わりであって、それは愛餐と区別されるものではない。ところが、パウロによる記事においては、主の死の記念の面が強調され、そこには喜びの基調が欠けているのである(9)。ブリリオスは、なんとかしてこれら両者を結び付けようと努力している訳である。また、以上のブリリオスの努力にさからうことになるかも知れないが、次の点も認めなければならない。パウロの記述においては、愛餐と聖餐とが分離する傾向がある。これは愛餐が、コリント人への第一の手紙の中に見られるように、信仰的見地からみてしばしば不都合な結果を教会員の間にもたらしたがためであった。聖書の中の聖餐の理解の多様性はこれにとどまらないのであって、更にわれわれは、ヨハネによる福音書の聖餐に関する見解を検討しなければならないであろう。ブリリオスもヨハネ福音書の聖餐の理解が違ったものであることを認めた。それは神秘主義的な色彩の濃いものであると考えられるある程度の可能性がある。そこには、後にイグナティウスが言ったように、聖餐は「不死のための薬(10)」であるというような、半物質主義的な形態での精神主義が見られると主張することも可能であろう。

 以上のように、聖書の中の聖餐についての解釈は一定していないで多様であった。ブリリオスのなしたこの多様性の否定のための努力は、実存論的神学の立場から発言すれば、聖餐論を成立させるに当って決定的に必要なものではないであろう。聖書の中には聖餐に関していろいろな見解の相違が存在したと、歴史的研究の結果われわれが教えられたとしても、そのことはわれわれが現在、教会の中で聖餐を守る場合に、その執行と循守とを混乱させるものではないであろう。と言うのは、既に指摘したように、私は一応、イエスが聖晩餐をどのような意図で弟子たちと共にもたれたかということとは別に、教会がその宣教の課越を忠実に果すためには、自由にその手段――聖餐もその一つであるが――を制定しても良いと考えているからである。現在の教会が実存し続けるその必要のための聖餐論でなければならない、というのが私の主張なのである。過去回想的な事態、すなわち、将来を創作することと関係のないあの史的イエスの制定というような律法主義的な事柄を土台として出来上っている聖餐論は、実存論的神学が受容できないものである。それ故、どうしても主の制定ということをD・M・ベイリーが指摘しているように、史的イエスの制定ということより範囲を広げて受肉という現実が、教会を生み出したように聖餐式をも生み出すという形態で考えるより方法がない。このような仕方で史的イエスと現在の教会に


よる聖餐の執行とは結び付くのである。従って、聖書の中に聖晩餐や聖餐に関するさまざまな記事があるが、われわれはそれらを一応の参考としては思考の対象にするのであるが、それらに律法主義的に縛られる必要はない。

 シュヴァイツァーやロアジーの研究は今日の学的標準から見て幾分古いかもしれないが、併し、彼らが指摘したように、イエスは、徹底的な終末の期待の雰囲気の中に生きていたかも知れない。今日といえども勿論、新約聖書の歴史的研究は、そのような結論を出す可能性があり得る。もしそうであるとするならば、イエスが教会を文字通りの意味で建設しようとされたとか、または、その教会において執行される聖餐式の形式を文字通りの意味で制定されたとかいうようなことは言えなくなる。組織神学は新約聖書の歴史的研究がそのような結論を提示するとの可能性をも考慮に入れて思索しない訳にはいかないのであるから、当然、受肉・十字架・復活という組織神学の十分な土台から全てを考えていかなければならないのである。聖餐論においても律法主義的な発想は極カ避けられなければならない(11)。



(1)ルターの礼典と聖書との関係に対する態度は、彼の De captivitate Babylonica〈1520〉の中に明らかに記されている。カルヴィンの意見についてはInstit.?,17,39を参照のこと。
(2)Tillich, Paul : Systematic Theology, vol.3, Chicago, The University of Chicago Press, 1963, pp.123 ff.
(3)ibid.,p.124.
(4)ibid.,pp.121−122.ティリックは上掲の部分で、魔術と礼典とを区別しているが、中々興味をそそる洞察である。彼によると、礼典は、人間心理の無意識の領域に働きかける点で魔術に接近するが、魔術が無意識の領域を利用して人間の自由を侵害し強制するのに対して、礼典は無意識の領域の中でも有力である人間の主体的な自由の応答を期待し、その応答を待って初めて効力を発揮するのである。
(5)Forsyth, Peter T.: The Person and the Place of Jesus Christ, Boston, The Pilgrim Press.1909.
(6)ibid.,pp.135−210.
(7)Baillie, Donald M : The Theology of the Sacraments, New York, Charles Scribner's Sons, 1957, pp.59−60.
(8)Brilioth, Yngve : Eucharistic Faith and Preactice Evangelical and Catholic. trans. by Hebert, London, S.P.C.K.,1956,pp.23f.
(9)Lietsmann, Hans : Messe und Herrenmahl, Berlin, Walter de Gruyter Co.,1955 (3rd edit.),pp.249ff.
(10)Ignatius : Ad Ephesios, XX. 2.
(11)Schweitzer, Albert : Das Messianitaets und Leidensgheimnis,―Eine Skizze des Lebens Jesus, Tuebingen, J.C.B.Mohr,1956(3rd edit.);Loisy, Alfred : The Birth of Christian Religion & the Origins of the New Testament, trans by L.P.Jacks, New York, University Books, 1962.

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 ブリリオスが、パウロによる聖餐の記事とマルコによって代表される共観福音書の聖餐の記事とが、同じ傾向に属するものであると主張していることは指摘した。彼によれば、新約聖書の中には、そのような共観福音書・パウロの理解と、もう一つヨハネ福音書的な理解とが、聖餐に関して存在すると主張されている。そして、彼は両者が互いに補い合わなければならないと言う。聖書の歴史的研究の結果このブリリオスの説が正しいかどうかは別問題として、確かに彼の言うように、これらは相補なって行かなければならないものであると私も考える。

 ブリリオスによれば、共観福音書・パウロの理解は、聖餐に当っては復活の主ご自身がそこに現在していて下さるということに中心点がある。これは二〜三人の集まるところにはご自分もまた共にいて下さるとの主イエスの言葉の成就なのである。それに対して、ブリリオスによっても、私が前に述べたように、ヨハネ的な理解の特徴は、神秘主義的なものである。既に指摘したイグナティウスの理解がそうであった。そこでは聖餐という手段を通して、神の救の恵みが聖餐にあずかる者たちの中に、言わば水が流れ込むように注入されるという発想がある。ブリリオスは、このような聖餐の神秘主義的理解が、ローマの異教の神秘宗教のもつ雰囲気から影響されている要素を含んでいるかも知れないけれども、それにも拘らず、それは異教の神秘主義とは明瞭に異なっていると主張している。キリスト教の場合には、イエスという歴史的実在と関係づけられている点で異教の神秘主義の祭儀から異なっているというのがブリリオスの主張であるが、異教の祭儀とキリスト教の聖餐との関係についてのその主張が正しいか否かは別として、とにかく、聖餐を神の恵みの注入される手段とする思考は、共観福音書・パウロ的な、復活のイエスの人格的な現在という思考によって補われなければならないであろう。さもないと、真の意味で私が聖餐における神秘と言いたいもの、すなわち、人格的な出合いの神秘に聖餐において与るということが存在しなくなってしまうであろう。併し、ブリリオスが指摘しているように、われわれは恵みの注入というこのような象徴を単純に異教的なものとして退けてはならないであろう。何故なら、その象徴は、われわれが後に指摘するようなキリストの現在(real presence)という神秘を表現するための重要な手段であると思われるからである。この象徴が人格的な出合いの象徴に従属的に用いられることこそ望ましいのである(1)。



(1)Brilioth : op. cit., pp.53−61.

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 実存論的神学が聖餐論も形成しようとする時の発想の出発点は、今日の教会の現実の中で、信者が聖餐を通してイエスにおいて生起したキリストの出来事と同じ現実に出合うという神秘である。この場合、既に指摘したことであるが、私の言う神秘とは、注入される恵みという象徴の表現する神秘主義的な現実そのままではない。むしろ、それのもつ濃密さと相互滲透の要素を摘出し、それを人格的な交わりの中に取入れるのである。従って、それは、ブリリオスが指摘したところの共観福音書・パウロ的な聖餐の理解、すなわち、復活のイエスの人格的な現在という象徴の中に含有される。勿論、復活のイエスの現在という事態は実存論的に解釈し直されて、イエスにおいて生起したキリストの出来事――神の愛の言葉の人格的な語り掛けの現実――の聖餐における再生起と言い直されなければならないのであるが。

 ガブリエル・マルセル(Gabriel Marcel)の使った意味で私は、ここで神秘という言葉を使用している。マルセルの思想における神秘という観念は、科学的な現実のように人間が客観的に支配できる現実ではなく、むしろ、そういう現実の彼岸に開けてくるようなもう一つの現実を意味している。神秘は、われわれを包みわれわれを支配するものなのであり、われわれが神秘の現実に目覚めるのは、その現実によって包囲されているわれわれの生を実存的に生き、その苦闘の直中で自分を支えまた限界づける神秘と出合うという体験を通してなのである(1)。

 私は聖餐のもつわれわれに対する真の意味は、この神秘と教会の中で今現実に出合うということであると思う。イエスにおいて現わされたキリストの出来事、神の罪の赦しの愛の語り掛けに支えられて、われわれが実存の状況の中にありつつも、本質的な存在としてある程度生き得る新しい命を体験するということこそ、その意味である。私の実存の歩みの中に、聖餐にあずかることを通して、キリストの出来事が繰返し生起するのである。

 しかも、この神秘は、歴史性をもっている。歴史と掛離れた単に神秘主義的な事柄ではない。イエスにおいて現わされたキリストの出来事との出合いなのであるから、聖書の中にイエスという名称で呼ぼれている史的人物と、どうしてもこの神秘は係わってくる。これは勿論、キリスト論の理解と関連する。私は既にキリスト論については自分の思索をまとめて発表したことがあるので、今ここに詳細な議論を展開する必要はないであろう(2)。併し、一応ここでの議論を展開するために必要な論旨だけはここに繰り返して述べることが便利であろう。

 結局のところ、キリスト論は、キリスト教神学のあらゆる分野と係わるが故に、啓示の問題にも当然関係する。その時に、問題の焦点となるのは質と量との関係をどう理解するかということである。イエスにおいて現わされたキリストの出来事という啓示は、イエス以外の場所において現わされる啓示と絶対的な質的差違を所有するものなのであろうか、それとも、量的な相異を保つにすぎないものなのであろうか。教会教父の中でも、アレキサンドリア学派の人々、及び、アンテオケ学派のネストリウスたちは、正しい啓示の問題に関しての理解を示していたように思われる。クレメンス(Clemens Alexandrius)やオリゲネス(Origenes)のロゴス論は、イエスに受肉し、そこに現われたロゴスが、他の場所に現われているロゴスと質的にほ同一のものであると主張したものと考えても、間違いではないであろう。そのロゴスがイエスにおいて最高の程度のものとして現わされたのである。ネストリウスのキリストにおける神性と人性との所謂道徳的一致も、この事情を指示している。

 このようなキリスト論を近代神学の舞台で展開したのは、シュライエルマッハーであったと思われる。シュライエルマッハーは、キリストの神性との関連で二つの特徴ある概念を挙げている。その一つは模範性(Vorbildlichkeit)であり、これはイエス・キリストが、われわれの見倣わなければならない像であるという事情を示しており、もう一つは原型 (Urbildlichkeit)であって、これはキリストがわれわれの理想であるということを意味する(3)。シュライエルマッハーは、この理想によって決してキリストが、われわれが自分の努力でそこにいつも近ずくことが可能な理想であるということを意味したのではなかった。真実に完全の理想を意味したのであり、その意味においてキけストは一つの奇蹟的事実(eine Wunderbare Erscheinung)なのである(4)。イエスにおいて現わされている絶対依存の感情が完全な程度のものであることを彼は主張したのである。このようにシュライエルマッハーはイエスがわれわれの模範であるという面と完全な理想であるという面との二つの面が、同時に説かれなければならないと言っている。彼においてはイエスの神性はこれらの両面との関連で考えられる。勿論、忘れてはならないことであるが、彼の場合には、キリストの神性はいつでも絶対依存の感情の完全さと同一視されていることである。われわれはいつでもそこに近づいて行くことは可能であるけれども――キリストがわれわれの模範である面――それを乗越えることができないもの――キリストが完全な理想であるという面――、言い換えるならば、イエス後の歴史にもイエスをその絶対依存の感情において凌駕する存在はあり得ないだろうというこのようなところにシュライエルマッハーのキリスト論の特徴がある。シュライエルマッハーの思索を検討してみると、私が今言いたいことが良く分って貰えると思う。実存論的神学の主張するイエスの神性は、イエスが存在の根抵である神にご自分を完全に基礎づけることによって、真の人間として生きられたことなのであって、その意味においては、近代神学の香りが強いシュライエルマッハーの絶対依存の感情という思考も、一面の真理性を所有していると言い得る。イエスという人間がそのまま神であるというような異教的なキリスト論は、実存と関係をもたない客観的思索を嫌う実存論的神学においても、また、シュライエルマッハーにおいても、成立しない。絶対依存の感情という心理学的な、それ故に実存の一部分の動を表現しがちな言葉を実存論的な表現に、すなわち、実存の全体的行為を表現する言葉に変更する時に、シュライエルマッハーのもつ近代主義的な美的、心理主義的、観想的要素を払拭することができるように思う。ゴーガルテンの言葉を使って服従(Gehorsam)という言葉に直すことが良いのではないだろうか(5)。

 さて、今私が問題にしたいのは、イエスを通して現わされた神の啓示が、他の場所に現わされている啓示からどのような相違をもっているかということである。シュライエルマッハーは、前述したように、イエスを凌駕する存在はないであろうと考え、そこにイエスの出来事の奇蹟的事実としての性格を見たが、このことは独断的な仕方で言われてはならないであろう。イエスにおいて現わされたロゴスと、世界において現わされているロゴスとの関係は、究極のところ量的な相違を形造っている関係なのである。われわれの知るものから質的に絶対に違ったものを、われわれが理解することは、不可能なのである。イエスによる啓示の絶対性も、実存論的に主張されるのが本当である。それは繰返される体験の中で、イエスを除いてはいずこにおいても、イエスを通して現わされたキリストの出来事を体験できないという実存の真理追求の苦悩からの発言でなければならない。実存の体験を通過させない客観的な絶対性の主張は、実存論的神学では許容されない。

 質と量との関係は、通俗的に考えられているようには相違のあるものではない。われわれは自分たちの経験領域から完全に質的に違ったものを知ることができない訳であるから、質的な相違も、実は、量的な相違に還元され得る。この点で、シュライエルマッハーの思索は、実存論的理解からは遠かった。それは彼の神学がスピノザのそれに似た存在論を根抵としていたことから来ている。実存の決断の繰返しを通して、その最中で体験的に確証されるもの以外に私はキリスト教の絶対性の主張はあり得ないと思うが、シュライエルマッハーには、まだ世界観的、存在論的に絶対性を主張したいような傾向が見られる。

 このように考えてくると、われわれはここで、イエスにおいて現わされたキリストの出来事たるロゴスと、宇宙内に現わされている普遍的なロゴスの啓示との関係をもう少し考えなければならないであろう。

 ロゴスとは、勿論、人間の思考を表現する言葉であり、また、思考する理性であり、従って理性的な秩序である。宇宙の中にロゴスが働いているというのは、宇宙に理性的秩序が存在するという意味である。否、秩序と言うよりは、私が前にマルセルより借用した神秘という言葉の方が良いであろう。われわれはその神秘を支配することができないのであって、むしろ、その神秘によって支配されているのであった。その神秘の認識は、実存論的に、換言すれば、その神秘の中で生きて、その壁を破壊しようとして却ってこちらが傷ついたり、その神秘に囲まれた場所以外のところでは、自分が本質的には生かされないというような体験を通してなされるものなのであった。この神秘の本質が、イエスにおけるキリストの出来事として現わされたのである。十字架と復活を一つのものとして行ずること、自分のこの世に依存する生の姿勢を十字架にかけ、この世に死ぬことが、同時に、将来から基礎づけられた真の自己に復活することなのである。将来から基礎づけられた生は、自分の中に生きる根拠を持とうとせず、隣人の要求の中にそれを持つ。これが愛である。そういう愛こそ、実は、この神秘の本質なのである。人間は、この愛に生きる時に、真の実存として生きる。これはわれわれが支配できる真理ではなく、この真理がわれわれを支配する。

 私は故意に秩序という言葉を避け、マルセルの神秘という言葉を再び借用した。その理由は、私がマイケルソンとともに、自然の中にも歴史上にも、蓋然的なものとしてしか秩序を認めることができないからである(6)。永遠に変らない秩序などは存在しない。存在するとすれば、それは前述した愛だけであり、これを私は神秘という言い方で表現するのを好むのである。勿論、自然の中には、また、歴史上にも、ある程度の秩序はある。併し、それすらも、急激にか緩慢にか、絶えず動いているのである。われわれは比較的に不変に近いものと、比較的に絶えず流動していることの目立つものとの間に、便宜上の区分をするのが賢明であろう。

 以上のような秩序の動的把握は、直ちに道徳及び倫理の問題に影響する。不変なものは、人間の道徳性を形造る愛だけであり、その愛をどのように表現すべきかは、時代の文化の作る倫理である。私は以上のように道徳性と倫理とを区別して用いた方が良いと考える。倫理は道徳性の時代的表現であり、どうしたらもっともよくその文化状況の中で人を愛することができるかというエ夫であり、それ自体一つの文化的創作である。従って道徳性は、いついかなる時代においても人間が常に決断を問われている絶対的な問い掛であり、進歩しないが、倫理は文化的創作であり、人間性と文化及びその流動性への洞察が深まって行けば進歩し得るものなのである(7)。

 仮にわれわれが、シュヴァイツァーやロアジーの研究の成果を踏襲して、徹底的終末論的にイエスが生きられたと考えるならば、イエスの愛は冒険性に満ちたものであったということになる。それは、世界が長期間存続するとは考えなかったが故に、不変の秩序への関心をもたず、一つ一つの状況の中でその独特な状況に最も適した行動、可能な限りでの最善の事柄の追求であった。このイエスの愛の冒険性は、一体、この世界内にある蓋然的な秩序と、どういう関係にあるのだろうか。冒険性と秩序との関係は、秩序が冒険性を破壊し、冒険性が秩序を破壊するものなのであろうか。

 勿論、こういう問題はイエスの期待された終末が実際には到来せずに、世界は今尚続いているという現実の生み出したものである。それ故、聖書から今日のわれわれの社会生活に通用する倫理的秩序を、直接に導き出すのは誤りである。それは聖書の律法主義的理解であり、福音とは根本的に矛盾する。倫理的秩序は前述したように文化の問題であり、聖書は福音によってわれわれに道徳性を回復させ、健康な倫理創作に向かわせる。聖書からは冒険的な愛以外を期待してはならない。併し、冒険的な愛こそが、実は、この世にある蓋然的な倫理的秩序を創作しそれを支える根底をなすものなのである。われわれは、修正可能な蓋然的なものであることを承知の上で画いた秩序の地図の上に、一つ一つのユニークな状況に応じて、愛の冒険をすることを通して自分の生きる線を描写して行かなければならない。ユニークな、状況への適応のための歪をもった線ではあろうが、それを可能な限り秩序の地図の高貴な方向に近づけて行くのである。この問題は倫理と神学との関係の問題であるから、これ以上取り扱わないことにしよう。こういう問題への言及の意図は、聖餐論がこの問題とどうしても関連があるからであり、それさえ明瞭になれば良いのであるから(8)。

 だから、イエスが教会が現在行なっているような神学的意味をもった聖餐式を仮に制定されなかったとしても、そのことは、聖餐において現わされるようなイエスの冒険的な愛、十字架と復活の愛を、われわれが今も尚必要としているという事実への認識を妨げてはならない。われわれは、画かれた秩序の地図の上に自分の実存のユニークさをもった線を絶えず画きつづけて行かなければならないのであって、芸術創作にも比較され得るこの生きるという創作を展開しているのである。そのためにはどうしても、冒険的な愛を必要とする。われわれは罪赦されたる者として、罪人でありつつ同時に義人である存在として、その時その時の自分のユニークな現実に応じ自分のユニークな実存を宿命的に生かすために孤独の線を描き辿って行かなければならない。それこそ実存的に生きるということではないであろうか。



(1)Marcel, Gabriel : The Mystery of Being,(The Gifford Lectures),2vols., Chicago, Henry Regnery Co.,1950−1951.
(2)拙著『実存論的神学』、東京、創文社、一九六四、第六章参照のこと。
(3)Schleiermacher, Friedrich : Der christlich Glaube, Berlin, Walter de Gruyter & Co.,1960 (7th edition), vol.2,pp.34ff.
(4)ibid.,p.38.
(5)ゴーガルテンはいろいろの箇所でイエスの服従をキリスト論の中心的要素として書いている。例えば次の箇所を参考のこと。Gogarten, Friedrich : Entmythologisierung und Kirch, Stuttgart,Verlag,1954,pp.73ff.
(6)カール・マイケルソンは、ホワイトヘッドの哲学を批判しながら、この点について述べている。Michalson, Carl : The Hinge of History, New York, Charles Scribner's Sons,1959,pp.62−66.
(7)この間の事情については、ティリックの議論が参考になる。Tillich, Paul : Morality and Beyond, New York, Harper & Row, 1963 ; Systematic Theology, vol.3, Chicago, The University of Chicago Press, 1963, pp.38−50, pp.96f.,p.137,pp.160f.
(8)イエスの愛の冒険性と秩序との問題については、聖餐論との関連でO・C・クイックが論じているが、立派な論述ではあるが、ティリックのように愛と倫理との区別及び相互関係への洞察がない。また、秩序の蓋然性への認識もない。
 併し、クイックは今日カトリック神学界に大きな波紋を投げている Pierre Teilbard de Chardin を思わせるような仕方で、進化論と愛とを結合し、愛が結局は進化の原理であることを主張している点で、非常にわれわれの興味をそそる。勿論、実存論的神学の立場から言えば、このように客観的に進化論に基礎づけて愛の決断を促すことには反対である。科学的には進化は目的をもったものか、盲目的なものか決定され得ないであろう。神学的に言えば、進化が盲目的であっても、愛の決断はそれ自体われわれを真の人間にするが故に、なされなければならないのである。
 また、クイックは、イエスご自身も世界の秩序への認識をもっておられ、それがイエスの冒険的な愛と共存したことを主張しているが、これは聖書神学における一つの可能な結論であろう。ただ、この秩序が不変かまたは可変か、及び、秩序の中には比較的不変なものと比較的容易に変化するものとがあるであろう、というような問題をクイックに論じてもらいたかったが、併し、これも、クイックの意図が倫理を書くことになかったのであるから仕方がなかったのかも知れない。Quick, Oliver, C.: The Christian Sacraments, London, Harper & Brothers, 1927, pp.85−86,pp.72−75.

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 イエスにおいて現わされたキリストの出来事を象徴するものは、全て礼典的である。この世界内のいかなるものも、それがキリストの出来事の象徴となる限り礼典的であり、教会的現実も礼典的であり、洗礼、聖餐も礼典的である。但し、キリスト論において見てきたように、宇宙内の神秘、ロゴスたる愛が、もっとも深い形で現わされたのがイエスにおけるキリストの現実であるが故に、礼典的なものには象徴の強度において程度の差が存在する。この事実の認識が教会論の土台になるであろう。

 教会外にもロゴスの神秘が存在する訳であるが、教会内においてこそキリストの出来事は、その真の姿で体験される。教会の交わりに属することを通して、われわれは、他のところで体験するよりも深い存在の根抵に根を下して生きることができるのである。それと同じ発想の仕方で、礼典についても考えられなければならない。教会のいついかなる時や場所においても、われわれは、キリストの出来事と出合うのであるが、併し、礼典を通してわれわれは、説教を聞くこととは幾分異なった仕方で、併し同じように焦点的に、キリストの出来事と出合うのである。教会が礼典を制定する自由をもっている以上、数及びその執行の形式においては自由でなければならなかった。普通われわれが今日の教会で現実に守っているのは、聖餐及び洗礼であるが、それらは象徴として、次のような意味をもっている。

 洗礼は、神の恵みにより未来にわれわれの罪が全く洗い流されるという確かな希望の象徴である。また、キリストの出来事に根を下すことによって、自分がきよめられた存在になり得るということを神が約束して下さったが故に、今の自分がどれ程汚れていても、清められた存在と全く同じように、今既に神に愛されているという人間の現実を象徴している。洗礼は、その意味において、排他性をもった象徴である。洗礼を受けていない人々と違って、受けた者たちは、神との程度のより強い交わりの中に入れられたと確信する。残念ながら、この小論で洗礼については、これ以上私は取扱うだけの余裕をもたない。先を急がなければならない。洗礼を受けた者は、聖餐に、与えることができると言うのは、聖餐は、洗礼の象徴を前提とし、神に愛されているという神との交わりの関係の中に入った者たちが、罪を犯すにもかかわらず、その都度キリストの出来事との出合いを通して、その現実を赦されるということの象徴なのであり、信者の生が、十字架と復活を行ずることでなければならないということの象徴であり、また、神との交わりは、最後の晩餐と同じように喜びに満ちたものであるということの象徴であり、更に、自分自身を神の前に、神に属するものとして捧げるという犠牲の象徴でもある(1)。

 さて、私が礼典の数やその執行の形式は教会の自由に任されていると言う時に、決してそれが乱雑であったり、各個教会において、それぞれ違ったものであって良いということを意味していない。教会の自由に委ねられた象徴であるという事情は、教会は根本的にはカトリックな(普遍的な)ものでなければならないという理由から限定されなければならない。

 第一に、礼典は歴史を越えてカトリックであるという象徴でなければならない。原始及び初代教会から中世紀を通過し現代の教会に至る迄、同じ形式と同じ物質が使われて礼典の執行がなされているということが、重要な意味をもつと私は考える。教会が時代を越えて一つのものであり、イエス・キリストを中心にした一つの交わりなのであるという象徴がそこには存在する。その象徴が存在する以上は、実際のところ歴史的には、エルサレムにおけるあの主の晩餐が教会の執行する聖餐の最初のものではなかったとしても、教会の聖餐があの聖晩餐の時の形式に繋がるということが、イエス以来教会が一つの福音を宣教してきたという象徴として、非常に重要なのではないであろうか。このように、イエスが客観的に行われた事柄から現在を規定するのではなく、キリストの出来事に生かされている現在からイエスを振返るという、神学するための実存論的な姿勢が大切なのである。

 第二は、教会は単に時代を越えてカトリックであるばかりではなく、いかなる場所においても同一であるという意味でもカトリックであるとの主張をもっている。日本において行われている聖餐とアメリカにおいて行われている聖餐とが、形式が異なるというのでは、象徴を重要視する立場から言えば非常に困る。福音は、どの場所においても、同一なるものとして説かれているというカトリック性の象徴が聖餐によって存在する方が良い。以上のように考えると、パンとぶどう酒という物質が、時代を越える象徴として適当であるばかりではなくて、現在最もたやすく全世界のどこでも得られる物質であり、イエスの十字架と復活を象徴するものとしては最適のものであろう。確かに、教会は礼典の数及び形式などを自由に制定し福音の象徴として使用するのは構わないのであるが、そのことは礼典の制定及び執行において乱雑になることを意味するのではない。それは教会のカトリック性に関わる問題であるが故に、教会が礼典についての現状を変更しようとするような時には、教会全体の論議と長い教会の体験に関する検討とを経て初めて敢行され得るものなのである。



(1)ブリリオスは、聖餐の意味として、感謝の喜びと想起と交わりと神秘と犠牲の要素が取り扱われなければならない、といっているが、彼はここで聖餐論のもつ豊富さをわれわれに示唆してくれていると思う。Brilioth : op. cit.,pp.276ff.

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 聖餐論を問題にする時、必らず考慮されなければならないのは教職制である。これに関しては、私は大体O・C・クィックの主張に賛成である。彼によると、教会史上、二つの教職制に関する意見が存在してきた。その一つは、シプリアーヌス(Cyprianus, bishop of Carthge)によって代表されるものであり、教職制のあるところに教会が存在するという意見である。この意見によれば、公認の司教によって按手札を受領した教職たちが教会を構成する。もう一つの意見は、例えばアウグスチヌスの主張したものであるが、この意見によれば、先ず現実に一つの普遍的な教会が存在しなければならない。その教会の任命によって、教職は初めて権威あるものになるのである。すなわち、シプリアーヌスは教職制が教会を作るとし、アウグスチヌスは、統一された教会が現実にあって、それが教職制を作るというのである。大体においてクイックは、アウグスチヌスの意見を採用する(1)。理想的に言えば、唯一つのカトリックな教会が存在しなければならないのであって、その教会が教職を任命する権威を全体として所有している。ところが、現実の状況においては、そのような唯一の教会が存在しないのである。クイックは、こういう現実を直視するようにわれわれに勧めて、解決の方向を次のような仕方で指示している。

 アウグスチヌス的な教職制についての見解に立つならば、ローマ・カトリック教会、東方教会、聖公会及びプロテスタントの諸教会の間に存在する教職制の理解の相違、及び、その権威の相違の中からどの教職制をとっても、現実にこれらの教会がカトリックな統一を破っている以上、それは自己の絶対性を主張する訳には行かないのである。現実に存在する異なった教職制は、その権威を真に確立するために、教会の現実的な統一を求めて苦
労しなければならない。

 従って、使徒伝承の按手札の理解においても、使徒伝承そのものが教会を作るのではなく、それは唯一の教会が公認する教職制の一つの象徴に過ぎない。だから、こういう理解によれば、使徒伝承の按手札を正しく受け伝えてきたと主張する教会といえども、その教職制を絶対化することができない。なぜならば、現実の教会は割れているのであるから。

 使徒伝承の按手札は、連綿と時代を越えて続くところの福音の純粋性を守ってきたという、時代を越えてのカトリック性の象徴であるが、仮に、その象徴が現実から遊離し、実際に福音の理解にいろいろな相違と対立が生起した場合には、使徒伝承が福音の理解を保証するのではない。福音の理解という内実が徒使伝承の権威を保証する訳であるから、当然そこには使徒伝承そのものに関してわれわれが問題性を感じたとしても不思議ではない事情がある訳である。

 要するに現実の状況の下では、教会の教職制は、統一の教会を目指して各々の教派または教会の立場から努力することを通して、その権威の回復が可能なものなのである。どの教派もその絶対性を教職制の点に関して主張できないのであり、未来の統一された教会を展望し、それへの努力をなすことを通して、初めてその権威の確立を主張することができるのである。

 従って、聖礼典の執行も、今は教職に限って許されている現状であるが、これも実は、教会全体の決定に任されている事柄であろう。教職だけが礼典を執行する方が教会全体のために良いという、教会の現実的な判断を背景にしてなされなければならないものであろう。



(1)Quick,Olice C.: The Christian Sacraments, pp.140ff.

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 さて、聖餐論の論議を続ける前に、教理史上に現われた聖餐論のいろいろな立場を表現する用語について、一応ここで説明しておく必要があろう。

 第一に、われわれが取上げなければならないのは、化体説(transubstantiation)であろう。

 化体説の定義の歴史に関するブリリオスの叙述が示しているように(1)、11世紀におけるローマ・カトリック教会の公けの決定に至るまでは、大体において、化体説に関する実体主義(realism)と象徴主義(symbolism)との闘争があった。ところが11世紀の公の決定は、次のような言葉で化体説を表現した。「聖別された……パンとぶどう酒とは、われらの主イエス・キリストの真実の身体と血なのである。もはやそれは単にキリストの身体と血との礼典ではない。そして、その身体は感覚的に、すなわち、単に礼典としてではなく実際に(sensualiter, non solum sacramento, sed in veritate)司祭の手によって扱われ、信者によって噛砕かれるのである(2)。」ローマが、ツールのべレンガリウス(Berengarius)から1059年に告白させたこの定義の中に、非常に幼稚な形で化体説が定義されてしまったのである。その後にも教会の中には、アウグスチヌスの聖餐の見解であるところの、見える要素と礼典的な要素(res sacramenti)、すなわち、超感覚的な神の賜物とを区別するような試みがなされ続けた。なんとかして象徴主義と実体主義との中間を行こうとする方向があったのであり、それがスコトウスやオッカムを通してルターに伝えられたとブリリオスは言っているが、確かにルターの後に述べる共在説(consubstantiation)は、中世紀のローマ・カトリック教会から冷遇を受けた教理的伝統の継承であろう。それはともあれ、1215年のラテラン会議が遂に実体的な化体説の定義を公に承認して、前から正統的とみられていたものを再確認した訳であるが、その結果どういう神学的な欠点をローマ・カトリック教会の化体説が露呈するようになったかを、ブリリオスは次の三つの点にまとめて述べているが、これはわれわれにも参考になる(3)。

 ブリリオスによると、その第一は、通俗な、平凡な宗教敬虔のもっていた悪い形態の肉慾主義(carnalism)に対して公の承認を与えたということ、第二は、聖餐式の中心にあるパンとぶどう酒という物体に化体というキリストの空間的に限定された臨在の手段たる資格を与えたこと、第三は、聖餐式の執行とは別に、神の臨在として、聖別された要素を礼拝することを奨励したことである。

 ブリリオスが指摘した第三の点は、もう少し説明を要するであろう。これは要するに、教会での聖餐式とは別に、例えば、病人などにその聖餐式の後、聖別されたパンとぶどう酒とを運んで行ったり、あるいは、聖別された要素を礼拝堂に保存し、これを礼拝の対象とするような事柄を指すのである。このような事柄が、なぜ、不十分な神学的な基礎の上に立てられた習慣であるかというと――ここでわれわれは、聖餐論の非常に大きな議論の主題に入る訳であるが――聖餐の執行に伴なう神の臨在は、聖餐式全体に関わるものなのか、それとも、その中心をなす物質であるパンとぶどう酒とに関わるのかという大きな問題において、簡単に後者を採用しているからなのである。勿論、ローマ・カトリックが公に認めた聖餐に関する実体的な見解によれば、聖別されたパンとぶどう酒とが、聖別の行為が原因となって(ex opere operato)キリストの肉と血とに化体する訳であるから、当然この聖餐式の執行の仕方によれば、神の臨在はパンとぶどう酒という要素に否応無しに限定される。そこから聖別されたパンとぶどう酒とを礼拝したり、また、それを教会で行われる聖餐式の外側に運んで行っても、それは尚も有効であるというような習慣が生れ、要素に限定された神の臨在が考えられているのである。これは神学的に誤りであると私は考える。こういう神学的態度は、本当の意味での神秘を人間が支配することのできる奇蹟に変えようとするのである。神秘とは、既に指摘したように、人間存在の全体を左右し包む現実であり、人間がそこでの実存的苦闘を通してのみそれを認識し得るものである。ところが、化体説は奇蹟であり、聖別という人間の行為を通した後の物質は奇蹟的に化体したのであるから、人間が自由に処理できる薬にまで変化するのであって、このような非実存論的な聖餐論を、当然われわれは退けなければならない(4)。ローマ・カトリック教会はその聖餐式であるミサについての公の教理として決定したものはない。併し、トレント会議後の神学者たちは普通、キリストの歴史上唯一回の犠牲を主張し、現在の人々の罪のために今も繰返してミサによりキリストの身体が、神への罪の赦しを乞い求める犠牲として捧げられるというような異教的意見を唱えない。ところが一般の敬虔によると、イエスのカルヴァリの丘における十字架の死は、今日尚も教会の中で、聖餐式の化体の瞬間を通して繰返されるのである。従ってこの異教的な意見によると、教会は信徒のために今も尚、キリストの苦しみの欠けたのを補う役割を果す。今日尚キリストの十字架の犠牲を再現することを通して、すなわち、現実にミサによるキリストの肉と血とを神に繰返し捧げることを通して、今日の信者の罪を贖って行くのである。勿論このキリストの購罪の不十分さを意味するかに見えるパウロの言葉「キリストの苦しみのなお足りないところを・・・補う」(コロサイ人への手紙1:24)は、このような異教的な意味に理解されてはならないであろうが。併し、ローマ・カトリック教会のこの低俗な敬虔の中にではあるが、とにかくここには、教会は受肉の延長であるとの体験が活かされている。教会はいつでもミサを通して受肉のキリストの身体を神に捧げることができるのであり、その意味で現実に受肉の延長なのである。この低俗敬虔はある一面の真理性をもっていると言わない訳には行かない。確かに、神の愛は今も教会の中に罪の赦しの出来事を生起させるのであって、しばしばプロテスタンティズムの贖罪論が、キリストの贖罪死の一回性の強調のあまりに、過去回想的になってしまう現実を考えるならば、ローマ・カトリック教会のミサには、罪の赦しの出来事の現在性の主張があり、それは実存論的神学に対して非常な魅力である。

 イエスにおいて生起したキリストの出来事、すなわち、罪人を赦す神の愛が、実際に意味ある仕方で教会の中で繰返し体験されるという意味では、またこれを聖餐との関係で言えば、神の犠牲の愛を真に意味ある仕方で聖餐を通して体験するという意味では、通俗のカトリック信者の敬虔のもっている、あの教会を通してのキリストの出来事の延長を主張することが必要である。併し、それが決して化体説を背景にしてなされてはならないことは、これ以上論ずる必要もない程に明瞭である。

 犠牲という観念を聖餐論との関係で持出す以上、それは、聖餐に与るものたちが、神のご用のためにその全存在を捧げるという意味でなければならない。キリストの十字架の死に倣ってわれわれ自身を神に捧げるという祈りの行為としての聖餐の犠牲について語ることは大切である。このような犠牲の観念は、決して聖餐の要素が代理の犠牲(vicarious sacrifice)であるという立場から考えられているのではなく、むしろ、それは代表的犠牲(representative sacrifice)(5)ということになるであろう。聖餐のパンとぶどう酒とをイエスにおけるキリストの出来事の象徴として把握し、キリストの出来事のような生活を神の前にわれわれが捧げる象徴とする訳である。

 ルターの共在説(consubstantiation)については後に述べることにして、その前に聖餐を論ずるに当ってよく問題になる二用語の検討をしておくことが必要であろう。その一つは受容側強調説(receptionism)である。化体説も共在説も共になんらかの仕方で真臨在(real presence)を、すなわち、パンとぶどう酒とにおいて主の身体と血との臨在を体験するということを主張する。私の立場は、既に述べたところから明らかなように、ある意味における真臨在の肯定であり、しかもそれは化体説でなく、パンとぶどう酒とを中心にして行われる聖餐式全体との関わりでその真臨在が言われなければならなかった。併し、全体との関わりの中でみられたにしても、パンとぶどう酒とは象徴の中心であって、われわれの信仰の対話の相手である神の言葉になるのである。ところが普通歴史的に言って、受容側強調説と呼ばれているものは、いかなる意味においても真臨在を否定する立場を言う。後に述べるように、ツウィングリーの聖餐論がもっともこれに近いであろう。教理史上の用語として、もう一つわれわれがここで取扱いたいのは、実質尊重説(virtualism)である。これは受容側強調説と真臨在との中間を行こうとする中庸説である。すなわち、化体鋭や共在説とは違って、パンとぶどう酒は、決して聖別を通して変化しない。併し、それらは神の臨在をわれわれのところまで運んで来る手段になるという立場であって、今迄述べてきた事柄、及び、これから述べる事柄を通して明らかになるように、私はこの立場を支持する。



(1)Briliot : op. cit.,pp.86−88.
(2)ibid.,p.86.
(3)ibid.,p.87.
(4)更にブリリオスも指摘していることであるが、Brilioth : op. cit.,pp.62−63.)この機会にわれわれは、東方教会とローマ・カトリック教会との間に、化体の瞬間が、すなわち、化体の奇蹟が聖餐の物質に対して起る時期に関する相違があったことを知っておいた方が良いであろう。ローマ・カトリック教会によれば、聖餐制定の主の言葉「これはあなたがたのためのわたしのからだである。・・・この杯は、わたしの血による新しい契約である」というあの聖書の言葉が司式司祭によって読まれた時に化体が起るのである。東方教会によると、聖霊の降臨を執行者が祈った時に、化体の瞬間が生起すると考えられている。このように化体の時期に関して両者の間に相違があったことをわれわれは知るのであるが、併し、いずれにしろ既に私が述べたところから明らかであるように、奇蹟的な化体という聖餐の思考を背景にしているのであって、当然、実存論的神学の立場からは受入れることのできないものなのである。
(5)聖餐が代表的犠牲であるというクイックの主張を参照のこと。Quick:The Christian Sacraments, pp.203f.

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 教理史上著名なマールブルヒの会談において鮮明にされた、ルターとツウィングリーの聖餐論の相違の意義について考えてみよう。

 ツウィングリーの立場は、「あの主の制定の言葉、これはあなたがたのためのわたしのからだである」、及び、「この杯はわたしの血による新しい契約である」のあるを、純粋に標識的に解釈する。すなわち、パンとぶどう酒とは昇天して今天にあるキリストの身体と血とを標識的に指示するだけであり、確かにブリリオスが指摘しているように、ツウィングリーの意見による聖餐式の執行にはルター派のそれに見られないような喜びと交わりの強調がなされているであろうが、これは聖餐諭における本質的な要素の欠如を補なう程の長所ではない、と言わなければならない(2)。

 クラム(3)もブリリオスと同様に指摘していることであるが、マールブルヒの会談においてルターがツウィングリーの立場の中に危険な要素であると見抜いたものは、キリスト教の中心的真理である受肉に対する脅しであったのである。

 ルターが共在説を徹底させるためには、遂にキリストの身体の遍在(ubiquity)の教理まで主張しない訳には行かなかったのも、その背後には、受肉の真理を守ろうとする意図があったものと理解しなければならないのである。キリストの身体の遍在とは、昇天後のキリストの身体が神性によって滲透されているものであるが故に、神の一つの属性であるところの、同時にいずこにも存在し得るという属性をもつようになっているとの主張である。それ故、同時にあらゆる個所で聖餐式が執行されても、キリストの身体は、真にそのパンとぶどう酒と共に存在することができるのである。ルターのこのような意味でのキリストの臨在の主張は、私にとっては、ローマ・カトリックの立場である化体説と余り変らないもの、奇蹟的であり真の意味の神秘からは外れたものと思われる訳であるが、併し、ブリリオスやクラムが指摘しているように、このルターの発言の理由を考えると、軽率な批判を許さないような神学的問題が根抵にあったものと思われる。

 ブリリオスも指摘していることであるが、ツウィングリーの聖餐論は、実は、神と世界、精神と物質に関するツウィングリーの見解の一表現に過ぎない(4)。ツウィングリーにとっては、信仰とは精神的なものであって、物質とは関係のないものである。それ故に、ツウィングリーから見ると、ルターの思考は、まだ啓蒙されていない立場であった。すなわち、ツウィングリーは、聖餐と共にキリストの血を飲み、その肉を食べるというような思考を非精神的なもの、信仰に相応しくないものとして拒否したのである。ところで、ルターは何故そのような粗野な形で、キリストの身体の遍在というようなことまで主張しながら、聖餐におけるキリストの臨在を守らなければならないと感じたのであろうか。神に対するルターの思考が、ツウィングリーのそれとは異なっていたという事実を、ここでわれわれは見失ってはならないであろう。すなわち、ツウィングリーの信仰での神の超越は、世界から離れた超越であり、物質的なものから離れた超越である。ところが、ルターの神学においては、精神と物質との間に真の滲透が成立する。われわれは、物質的なものを通して精神的なものに出合い得るのである。

 結局のところ、両者の主張の相違は神観念の相違であり、実に神学の中心問題に係わるものであったと言わなければならない。われわれがどこで神との出合いを体験するかという神秘の問題に係わってくるのである。ルターの立場は、化体説の修正された形態であるに過ぎないが故に、化体説と同じようにキリストの臨在を、聖餐の物質であるパンとぶどう酒に限定するという欠点を確かに所有している。またルターが、その信仰義認論の強調から考えて当然のことであったとは言え、あまりにも聖餐論における罪の赦しの要素を不均衡な仕方で強調したことを、われわれは認めない訳には行かない。今現実に神が真にそこで罪を赦されるという面を強調し過ぎた嫌がルターにはあり、そのため聖餐を受ける準備としての慨悔を強調した。そこには、ツウィングリーにみられるような喜びや交わりの要素が、共に聖餐にあずかる罪赦された人間たちのもつ喜びと交わりの要素が、欠けている欠点があった。それにも拘らず、ルターの聖餐論は、ツウィングリーがとても及びもつかない信仰の深い現実を見抜いていたのである。それは既に指摘したように、神は今も尚この世界、物質的な世界の中に真実に力強く働らいておられ、われわれを左右する現実であるという事態の認識なのである。これこそルターがその聖餐論を通しても、表現しようとした事実である。

 ルターは、自分の共在説の立場を弁明するために、キリストの一人格のあの神性と人性との関係に喩えてキリストの身体のパンとぶどう酒に対する関係を考えた。このように平行的なものとして受肉論と聖餐論とを捕えることは、根本的には正しい理解の方向であろう。ただルターの場合には、前にも指摘したが、キリストの臨在が奇蹟的に考えられていたという欠点を見逃してはならない。

 ルターは、カルヴァリの丘での十字架の贖いが、ただ一回限りの神への犠牲であると考えたのであるから、ローマ・カトリック教会の通俗敬虔が主張し勝ちであった意味での、聖餐をキリストの犠牲の繰返しと考える思考を勿論退けた。神は、ただ一回的にキリストにおいて、われわれの贖罪を果して下さったのであるから、聖餐は、その死の一回性の不充分を補う意味での犠牲の繰返しではない、とルターは考えたのであるが、この事実と聖餐を受肉への平行的なものとして把えるルターの考えとは、相互に矛盾しないであろうか(7)。と言うのは、一回性においてなされた贖罪は過去の次元に属するものであるが、もしそれを肯定するならば、現在におけるキリストの臨在を聖餐を通して主張することは、信者にとって大した意味をもたなくなるからである。

 もしわれわれが刑罰代償説的な贖罪論を自分たちの立場にしないならば、犠牲の繰返しという聖餐諭とは異なった仕方で、しかも、受肉との平行的なものを聖餐の中にみるという形での、受肉の繰返しという聖餐論が展開できるであろう。これこそ私が前に述べた事柄、すなわち、イエスにおけるキリストの出来事が、今も尚教会において、説教を通し、あるいは、聖礼典を通して繰返されるということであり、その意味では、教会は受肉の延長なのである。

 さて、ツウィングリーの標識説とルターの共在説との中間の道を歩いたのがカルヴィンであった。カルヴィンは、この点でツウィングリーよりも聖餐のもつ神秘に目覚めていたが、同時に彼は、ルターの非常に粗野な形態で展開された共在説をも退けた。従って、ブリリオスが指摘しているように、カルヴィンの聖餐論には二つの要素があった。その一つは、ルターの聖餐論にみられるようなキリストの臨在の主張であり、他はツウィングリーの聖餐論にみられるようなもの、すなわち、昇天された主の身体はこの世を超越しており、天的なものであるという考えであった(8)。この点で恐らく、カルヴィンは、聖餐論の中に聖霊という観念をもち込んだ点において、大きな貢献をしたのであろう。天の上にある主の身体が、聖霊の働きによって聖餐の中に臨在すると、カルヴィンは考えたのである。

 更に、カルヴィンの聖餐論においては、ルターやツウィングリーに見失われていたもの、聖餐論の中のあの犠牲の観念が、健康な形で取入れられていた。カルヴィンによると、聖餐は神の恵みを端的に表現したものであるが故に、それに対してわれわれは、当然の感謝を捧げなければならない。われわれの感謝は、当然、われわれの生涯の全てを捧げるという形になる。従って、聖餐は、自分たちの身体を、全存在を犠牲として神に捧げる人間たちも象徴するのである。このようにして、罪の赦しを獲得するための犠牲ではなく、讃美のための犠牲という観念が、カルヴィンによって聖餐論の中で生かされているのである。「われわれ自身及びわれわれの全ての行為が聖化されて神に捧げられるのは、正しいし適当なことである。われわれの中の全てが、神をほめたたえ、神の栄光をあらわすために役立たなければならない。この種類の犠牲は、神の怒りをなだめる、あるいは、われわれの罪の赦しを獲得するというようなこととは無関係である。その目的は単純に神をほめたたえ、あがめるためなのである」(カルヴィン)(9)。

 併し、カルヴィンの聖餐論は、ルターとツウィングリーの聖餐論の相違について言及した時に述べたようなこの世を超越した神という神観が、ツウィングリーからの影響として保存されている。その限りにおいて、カルヴィンには、十分な形でのキリストの臨在がその聖餐論の中で主張されているかどうか、疑問であると言わない訳には行かないのである。次のカルヴィンの言葉はどうであろうか。「この聖なる神秘のもつ美徳の品格を落さないために、われわれは次のように考えなければならない。そのキリストの聖餐における臨在は、神の隠された驚くべき力によってなされるのである。神の霊がこの臨在を真実なものとして下さる。それ故にまた、この臨在は霊的なものと呼ばれるのである」(10)。

 カルヴィンの神観及びキリスト論の中には、ルターとは異って、真実のキリストの出来事の聖餐式を通しての臨在が、幾分欠けているのではないかと私は思う。すなわち、カルヴィンにおいては、神秘の感覚が十分ではないとの印象を受けるのであるが、併し、このようなことになると、議論が信仰の敬虔の形態の相違というような漠然としたものの周囲をめぐることになってしまう。

 ジョン・ウェスレーが高教会的な聖餐論の保持者であった、というラテンベリーの主張は、一応は確かに正しい(12)。

 併し、ウェスレーの高教会主義は、ラテンベリーが主張する程には明瞭なことではないと私は思う。ウェスレーの高教会主義の意味内容は、もっと説明される必要がある。と言うのは、ウェスレーが救いにとって礼典が絶対に必要なものである、とは考えていなかったことからみてもこのことは明らかなのである(13)。と言っても、勿論ウェスレーは、礼典を軽視した訳ではない。むしろラテンベリーが高教会主義と言わない訳には行かない程に、強くその重要性を指摘したのである。そのことは、例えばウェスレーが、聖餐を悔改めに導く礼典(converting ordinance)と考えていたことからも明らかである。悔改めに導く礼典というのは、幼児洗礼を受けてしかも信仰の告白をするに至らない人々に対して、聖餐が回心を迫るような役割を果すということである。このようにウェスレーの聖餐論は、主観主義的な聖餐論の理解であるあのツウィングリーの立場からは遥かに離れていた、ということができるのである。パリスがいうように、ウェスレーの聖餐についての見解は、穏健な聖公会の見解であったというのが本当のようである(15)。彼にとって聖餐は、単なる記念ではなく、そこにおいて神秘なキリストの臨在を体験したのである(16)。しかも、これは、化体説の否定の上でのことである。要するに、前にあげた言葉を使うならば、ウェスレーは実質尊重論者であった(17)と言うことができるのではないか。そして、ウェスレーは確かに、聖餐が犠牲であるという言葉を使っている。この事実が、ラテンベリーをしてウェスレーが高教会主義的であるという批評をなさしめている訳であるが、問題は、ウェスレーがどういう仕方でその犠牲を考えていたかにある。ウェスレーは、あの通俗的なローマ・カトリックの敬虔がしばしば陥ったような仕方では犠牲を考えなかった。パンやぶどう酒という聖餐の物質的要素に限定してキリストの臨在を決して考えてはいなかったのである(18)。ウェスレーの犠牲という言葉の使用は、聖餐執行の全体を通して神の犠牲が表現されている、という意味においてであろう。例えば、ウェスレーはある讃美歌の中で(19)、聖餐においてわれわれは苦しめる神と出合うということを言っているが、ここには典型的にウェスレーの犠牲の観念の意味があらわされている。すなわち、キリストにおける神の苦しみを、聖餐は真実に、その神の苦しみがそこに臨在しているものとして象徴するのである(20)。

 このように、ウェスレーの聖餐におけるキリストの臨在という意見は、聖餐式全体の中に、イエスを通して現わされたあのキリストの出来事と同質の神の苦しみが象徴的に、すなわち、そこで現実的にわれわれに与えられるということなのである。しかもこの象徴的な出来事は、ウェスレーの場合、われわれの主観を越えたものとして与えられる、との主張がなされていた。すなわち、その出来事の生起の性質は、主観−客観という図式では把握されないものであり、そういう図式を越えた神との交わりという体験そのものの中で、神のキリストの出来事が、われわれの方に迫り来るのである。聖餐におけるその出来事は、回心までも迫るような真実そこに生起するものとして考えられていたのである。

 ここには、カルヴィンの見解におけるように、天上にあるキリストの身体を聖霊が運んでくるというような、媒介者への言及はない。むしろ、ルターの見解と同じように、聖餐において媒介者なしに、キリストの出来事が実際にそこに与えられているのである。聖霊というわれわれの決断の次元に属するものは、ここでは排除され、決断の向う側に立つものとして、聖餐の現実が捕えられている。それに対して、カルヴィンの場合には、精神主義的なツウィングリーの伝統を継いだためであろうが、決断のこちら側の出来事として捕えられてしまっている。聖餐論に聖霊の観念を持込むことは、聖餐の現実が、神と人間との対話の向う側の極である神の言葉であるという真実性を失う危険があると私には思われる。

 以上の論述から明らかなように、ウェスレーの聖餐論の立場を肯定するならば、ルターの見解にあるような粗野な物質主義に近い要素を排斥することができるとともに、カルヴィンやツウィングリーの見解の中にみられる主観主義も退けることができるであろう。更に、ウェスレーが聖餐式全体におけるキリストの臨在を強調したことから言えば、そのウェスレーの見解は、クエーカー教徒たちの礼典否定の中にみられる真理契機をもその中に含むことができると私は思う。クエーカー主義の礼典否定の根拠は、洗礼における水、聖餐におけるパンとぶどう酒というような物質そのものにキリストの臨在が主張されることは、結局のところ、神の臨在という神秘をそこに限ろうとするからであった。彼らは、全世界が礼典であるという主張から、ある限られたところにだけ神の臨在が存在し得ることを否定したのである。ところが、われわれの立場でもあるウェスレーの見解によるならば、確かに全世界は礼典的なものなのであるけれども、その礼典的なものの中で――これはわれわれの信ずる神が人格的な存在であることに関連をもっているのだが――時空の中に限定された特定の時と場所とにおいて、その他の時と場所においてよりも、もっと現実的に神の愛が臨在していることを主張しているのである。この思考の発想は、恵みの排他的な特定時空への固定化を目指したものではない。クエーカーの礼典否定の中にある健康な真理契機をわれわれは尊重しなければならないであろう。

 普遍的な礼典的なものを主張しながらも、特定の時空におけるそれの集中性を言うことは、神の恵みの働きを普遍的なものとしながら、キリストとしてのイエスの出来事において、それが集中的に現われているとするキリスト論との正しい関係を形成しているのである。



(1)私はここでティリックに倣って象徴(symbol)と言う言葉と標識(sign)と言う言葉とを区別して用いたい。象徴とは、指示するものと指示されるものとの間に、本質的な関係がある場合に用いられるものであり、標識とは、その本質的な関係が存在しない場合に用いられるものである。ツウィングリーの聖餐論においては、パン及びぶどう酒と、その指示するキリストの身体及び血との間に、何の本質的な関係も存在しないのであって、これは標識である。それに対して私が主張したいような真臨在の立場は、象徴的なものであると言うことができるであろう。Tillich, Paul : Dynamics of Faith, New York, Harper & Brothers, 1957, pp.41ff.
(2)Brilioth : op.cit.,p.158.
(3)Kramm, H.H.: The Theology of Martin Luther, London, James Clarke, 1947, pp.44f.,pp.52ff.
(4)Brilioth:op.cit.,pp.107−109.
(5)ibid.,p.156.
(6)ibid.,pp.100−101.
(7)ibid.,pp.137−138, pp.99ff.
(8)ibid.,p.171.
(9)Calvin,John:Institutes IV,xvii,12.
(10)ibid.,IV,chap. Xvlll,16.
(11)Brilioth:op.cit., p.170.
(12)Rattenbury,J.E.: Wesley’s Legacy to the World,London,Epworth Press,1938,pp.175ff.
(13)Sugden,E.H.:Wesley’s Standard Sermons,vol.2,London,Epworth Press,1951,pp.135−136.
(14)Parris,John R.:John Wesley’s Doctrine of the Sacraments,London,Epworth Press,1963,p.68.
(15)ibid., pp.32−33.
(16)ibid., pp.74ff.
(17)ibid., pp.88−89.
(18)ibid., p.91.
(19)ibid., p.70.
(20)ウェスレーのいう神の苦しみは、神の永遠の本質が苦しむというような意味では決してない。そうではなくて、人間の言葉によってはそうとしか表現できないような神と人間との間での関係内での神の愛の中の苦しみを象徴的に表現しているものであり、その関係以外の神の本質についての思弁ではない。このことは既に、私はあるところで述べた。『ウェスレー』(東京、日本基督教団出版部、昭和38年刊、155頁以下)。
(21)Etten, Henry van : George Fox and the Quakers, trans. by E.K.Osborn, London, Longmans, 1959, pp.156ff.

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 われわれはこれ迄に教理史上に現われたおもな聖餐論について検討してきた。さて、ツウィングリー、ルター、カルヴィンの聖餐論を今日のわれわれにとって縁遠いものと感じさせる状況が確かに存在する。それが彼らの時代とわれわれの時代との間に起った世界観の変化からきていることは、疑いを入れないもののように思われる。今日のわれわれは、昇天されたキリストの身体が存在していると彼らが前提していた天の空間的な場所を喪失した。この事情は、単に聖餐論だけではなく、キリスト教の理解全体にも関わるものであろう。世界像が、聖書の時代や宗教改革者たちの時代のそれから変ってしまった時代に生きているわれわれの信仰は、どうしても聖書の非神話化をすることになろう。このように考えてくると、われわれは、聖餐において体験する神秘なものを、ルターやカルヴィンやツウィングリーが取上げたような発想の角度からは考えることができない。昇天されたキリストという観念は、聖書の世界像と結びつけられたものであり、今日われわれがキリスト論を思考する場合、棄却されなければならない。イエスにおいてあらわされたキリストの出来事が、今も現実に聖餐を通して、われわれに応答を迫るということこそ、キリストの身体の臨在という象徴の意味内容となる。このような私の主張の根拠を形成しているキリストの昇天とキリスト論との関係については、私は既にある書物の中で述べたので、ここでは取上げない(1)。

 O・C・クイックもこのような世界像の変化の聖餐論に及ぼす影響を指摘しているが、それとともにもう一つ、今日のわれわれが聖餐論を考える場合に考慮しなければならない点を指摘している。クイックによると、今日のわれわれにとっては、宗教改革の時代にも思考の内容を規定していたあの質料と形相の区別――勿論、これはアリストテレスの哲学から由来していたのだが――が喪失したのである。確かに、クイックの言う通りであろう。われわれは机を見て、われわれの感覚に訴たえる具体的なその机と、机そのものという普遍的な観念とを、最早区別しない。われわれにとっては、形相と質料とは観念の上でも切放すことができない統一をなしている。従って、アリストテレスの発想を土台にした聖餐論は、今日のわれわれには受け取り難いのである。

 勿論、この事情は、聖餐論だけに関することではない。聖餐論といつも関係づけられて論じられてきたキリスト論についても同じことが言える。イエス・キリストの人間性が普遍的人間性であり、あらゆる人間の形相であるという古典的なキリスト論の主張は、われわれにとって縁遠くなってしまった。

 ところが、アリストテレスの哲学の中にみられるような質料と形相の区別を土台にして、キリスト論及び聖餐論を現代的に生かそうとする試みが、アングロ・カトリックの神学者E・L・マスカルによってなされているが、これはわれわれの興味を大いにそそる。

 私はマスカルの見解を紹介することによって、そのような議論がどのような現代的な形態をとり得るかを検討してみたいと同時に、いかにそれが、現代人であるわれわれの現実感覚から遠いものであるかをも指摘してみたいと思う。

 古典的なキリスト論がそうであったように、マスカルは、イエスの enhypostasis を主張する。マスカルの理解によると、enhypostasis とは次の事実を指す。キリスト・イエスは、二性質、すなわち、神性と人性とを所有されていたが、それにも拘らず一つの人格であられた。そして、その人格の主体は、神性の側にあり、人性の側にはなかった。また、神性と人性とは、属性の交通(communicatio idiomatum)の関係にあり、キリストの人性は、その神性によって深く滲透されていたのである。この場合、古典的なキリスト論と同様にマスカルにおいても、キリストの人性は普遍的な人間性であり、その普遍的な人間性が一つの存在を形成したが故に、一個人であったのである。こういう思考の前提によれば、前にも少し触れたことであるが、一人一人の人間には、永遠的な形相の面と現実的な質料の面とが存在しているのである。その独得な統一が、一人一人の人間を形成している。ところが、イエス・キリストの場合には、その他のあらゆる人間一人一人の普遍的な形相をなしている人間性が、そのままイエスという単独の存在を形成したのであり、その普遍的なイエスの人間性が、神性によって滲透され、永遠的な性格を所有した訳である。復活のイエスの人間性は、従って、永遠的な性格を所有したものになる。それ故、受肉及び復活の出来事を通して、全ての人間の土台を形成している普遍的な形相としての人間性が、既に現実的に新しい永遠な要素、神的な要素を帯びたものに変えられてしまっているのである。

 マスカルのこのような議論は、現代人のわれわれにとっては非常に理解しにくい。その理由は、この議論が、われわれが体験できない彼岸の世界において、既にわれわれが変えられてしまっているということを意味しているからなのである。体験に触れてくるものしか真理と考えることができないルネサンス以後の人間であるわれわれにとっては、これは極めて異質の思索である、と言わない訳にはいかない。勿論、単純に異質だから悪い、と私は言うのではない。この発言には、それなりの理由が存在するのである。異質のものを異質であるままに受けとるということは、他律的な思索であるが、福音が喜びの音ずれであり律法主義ではないという事実から考える場合、われわれの生の現実をなしているものの根抵と他律的に衝突するような思索を受けとることが、果してキリスト教の本質に適合するような真理把握の態度であるかが問題なのである。

 私は他の箇所で既に言及したのであるが、このような他律的な思索を受けとることは、福音的な真理把握の態度ではない。福音は、深い意味で、われわれをもっとも現代の状況に適応させるものである、と私は思う。

 マスカルの議論を追及してみよう。このように栄光化されたイエスの人間性は永遠的なものであり、現実の一人一人の人間が、自覚していようがいなかろうが、その現実の一人一人の人間の根底をなしている普遍的人間性は既に変えられて永遠的なものになっているのである。そこで人間の救いのために残されている問題は、現実の人間が、その変えられ永遠的なものになっている根底を自由意志で肯定して自分の生活の中に現実化するということである。それは具体的には洗礼や聖餐などの礼典の恵みを肯定することなのである。聖礼典は、キリストの普遍的な人間性の恵みが注入される手段である。洗礼によっては原罪が洗い流され、洗礼前とその後とでは、それが幼児洗礼であっても、人間は本質的に異なった存在に変化する。ここに私が本質的にと言ったのは、形相的な意味においてである。質料的、あるいは、――今日の用語を使うならば――体験的な意味においてではない。このように永遠的なものに変化された普遍的人間性に、既に洗礼においてつながれた信者たちは、聖餐においてその普遍的人間性から真の人間となるための滋養分を吸収する。マスカルの聖餐論は化体説であるが、併し、それは魔術的なものでは決してない。この事情は、マスカルが聖餐を犠牲であると主張するその意味内容を検討すれば明らかである。彼は、それをイエスの十字架の贖いの不十分さを補う犠牲として解釈していない。彼はこれを、永遠と時間との古典的な論議の展開から解釈しようとする。

 彼によると、永遠は時間を超越し、質的に完全に異なるものであるから、いかなる時点も永遠と直結できるのである。さて、イエスの人間性が永遠的な性質を帯びるに至ったということは、普遍的人間性が永遠的性質を帯びたことであった。このことは同時に、その普遍的人間性が時空を越えた性質を帯びたことを意味する。すなわち、カルヴァリの丘で捧げられたイエスの人間性は勿論、あの時の出来事であるという性格をもっているけれども、教会――これは受肉の延長である永遠の人間性をその本質として所有している団体であるが――今日聖餐式を執行する時には、あのカルヴァリの丘の出来事が、同時的にその聖餐式の中に現在するのである。イエスの人間性という永遠化されたものを通して、キリストの唯一回性なあの時の犠牲と今日の聖餐執行という二つの時が、実は同時的なものとなる。以上がマスカルの議論の要旨である。

 これは、時間の経過を超越した同時的永遠という観念を背景にしたところの大変興味深い思索であるが、ここでも問題になることは、マスカルが、アリストテレスの哲学を自分の発想の地盤として採用している事実なのである。形相としての人間性が、一人一人の人間の体験とは一応別に永遠化されているという主張にも、マスカルのアリストテレスへの依存は明らかである。また、マスカルの時間と永遠との関係についての思考にも明らかである。あの時とこの時とに分れているのであって、それを、われわれの体験の彼方にある永遠において同一であるから、体験的にも同一であるというマスカルの議論は、今日のわれわれのように真理を体験的にしか把握できない人間たちにとっては、異質の思索であると言わない訳には行かない。

 以上の理由から、私は、マスカルのような意味でも聖餐を犠牲と考える思考を排斥するのである。このような同時的永遠または、永遠の今の観念は、私に受容できない。永遠についての思考も、変えて行かなくてはならないものではないだろうか。体験の中に入ってくるもの、または、それとの連関にあるものに限って永遠を把握することが必要なのである。その彼岸のところで永遠を把握したところで、それはわれわれが真に実存しようとする厳しい現実とは、少しの関係もないであろう。われわれの神学が、真に実存するために厳しい現実に集中して思索することをその本来の使命とするならば、――それが実存論的神学の性格であることは勿論であるが――永遠は、時間との比較において絶対的に異質のものと考えられてはならないのであって、むしろ、時間を根底づけるものとして考えられなければならないであろう。

 既に私はある書物の中でそれを述べたが、神の摂理的永遠は、十字架と復活に象徴されているような仕方で考えられなければならない。神が歴史の諸事件を前以て全て予定されたり、また、予知されたりするという永遠の思索ではなく、いついかなる状況においても、それを適切(adequate)に処理できるという意味での神の全能から判断された永遠の思索でなければならない。十字架は、神が本当に詮方つきた状況を現わす象徴である。しかも、その詮方つきた時に、その状況を乗越え、または、迂回し、または、それを破壊して、思いがけない、驚くべき解決であるあの復活へと、神はその摂理の歩みを進められたのである。このような仕方で、永遠は時間の深みの根底にあり、時間を真に適切に創作的に解決するものとして考えられなければならないであろう。

 そのような仕方で永遠を考えるならば、聖餐の意味はどうなるであろうか。その時に聖餐は、神が人間を救おうとされる場合にその神の摂理は、どんな状況の中でもいつでも適切であり、また、十分であるという、神がこの世界と共にいて下さるとの神秘を、われわれに現実的に与えるものになる。われわれにとっての現実が、十字架の象徴に現わされているように詮方つきた状況のものであろうとも、必ずそれを乗越え得る神秘がわれわれを包んでいるということを、すなわち、復活の現実をそれは体験させるのである。神の罪の赦しの愛に支えられて、いつでもそういう解決の道があり得ることを体験させる。たとえばそれが死の現実であっても、そこには解決の道があり得ることを、われわれに告げ知らせる神秘な神の言葉が、聖餐なのである。われわれは教会において、聖餐を通して繰返し神の愛に問いかけられ、それへ応答し、その神秘に参与する。従って、聖餐においては、ブルトマンの言う意味での奇蹟(Wunder)が起るのであり、われわれは、神の冒険的な、摂理的な愛をわれわれの現実を包む神秘として如実に体験する。

 十字架と復活を中心として思索したこのような聖餐論が、あのエルサレムにおけるイエスの聖晩餐と結びつくことは言うまでもない。あの聖晩餐における神の国待望は、教会の聖餐の中に象徴的に生かされる。神の国の現実、復活の現実を待望する、真に実存することを待望するのである。しかもそれを、同じ神秘にあずかる者たちとの交わりの中で、喜びをもちつつ待望するのであり、個人主義的に待望するのではない。聖餐は、抽象的、個人主義的な実存論的思考を許さないのであり、そこにおいて実存は、具体的な交わりの中のものとして真に生かされる。イエスと弟子たちのあの聖晩餐の時の神の国待望のもつ交わりの要素はここに生かされ、復活の前味、否、神がわれらと共にいて下さるという復活そのものの現実を教会の聖餐は体験させるのである。



(1)拙著第六章「キリストとしてのイエスの出来事」を参照されたい。
(2)Quick, Oliver, C.: The Christian Sacraments, pp.207ff.
(3)Mascall,E.L.: Christ,the Christian and the Church, London,Longmans, Green, and Co.,1955.
(4)拙著『実存論的神学』第一章「現代状況と福音の理解」参照。
(5)拙著『実存論的神学』第七草「時と永遠」参照のこと。

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入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/

2003.4.31