野呂芳男「『実存論的神学』の批評に答えて」1966

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『実存論的神学』の批評に答えて

野呂芳男

   


初出:『基督教論集』第12号、青山学院大学基督教学会、1966年、107−130頁。




 昨年(1964年)6月に拙著『実存論的神学』を東京の創文社より出版して以来多くの方々から、励ましに満ちたご批評を戴いたことは、著者として望外の喜びであった。あまり個人的なものは避けなければならないが、併し将来の私の神学形成のために大きな刺激を与えてくれた会合についてはここで記し、それらの会合においてわざわざ批評の労をとって下さった先輩や友人たちに感謝を述べたいと思う。昨年の10月2日には、青山学院大学文学部神学科の教授会が、関東学院大学神学部教授山本和氏を批評者として招き、私の書物(今後これを「実神」と記すことにする)の合評会を開いて下さった。席上、山本和氏はバルト神学に近いご自分の立場から、私の実存論的神学の立場にご批評を下さった。その日の山本教授の話からいろいろと私は教えられるところがあったし、また、青山学院大学神学科の教授会が「実神」の出版を記念してこのような祝いの会合を開いて下さったご好意を、厚く感謝したい。11月30日には、国際キリスト教大学の古屋安雄氏の宅に招かれ、そこで束京神学大学の佐藤敏夫氏、大木英夫氏、関東学院大学神学部の八木誠一氏及び日本ナザレン神学校教授喜田川信氏という親しい方々によるご批評を戴くことができた。今年(1965年)の1月22日には、青山学院大学文学部教育学科教授・キリスト教教育研究所所長である小林公一氏が、研究所の研究員の会合において――私もその研究員の一人であり、「実神」は私の研究発表の意味も兼ねている――「実神」を取上げて下さり、研究員の方々から批評を戴くことができた。1月28日には、関東学院大学神学部が、「実神」の出版を機会に、私の神学的立場について講演するようにとご招待下さり、その講演の後には、教授会昼食会の席で、いろいろのご批評を戴けた。山本和教授並びに清水義樹教授は、特に専門を同じくする先輩として、いろいろのご批評並びに激励を下さったが、その他の方々からも種々の感想を戴けたことをこの上ない喜びとしている。
 印刷された書評について言えば、昨年8月1日の『キリスト新聞』に八木誠一氏が、「神学と信仰の調和」という題の下に書評をして下さった。また八木さんは関東学院大学神学部発行の『聖書と神学』誌第9号に「実存と理性の問題――野呂芳男著『実存論的神学を』めぐって――」という表題の下に克明な批評をして下さった。学者としてのこのご親切には感謝の外はないが、この批評は、八木さんの宗教的実存論の立場という観点から、私の実存論的神学と話し合いに入って下さったものである。八木さんは『聖書と神学』誌の編集員の一人として、同誌に印刷するからそれに対する私の答を提出する様にという好意ある計画をも話して下さった。私も、その『聖書と神学』誌の好意に甘えて、拙論を掲載して戴くことになっているので、ここには八木さんの批評に対する答は書かないことにしたい。昨年の9月号の『興文』には、東京神学大学の熊沢義宣氏が丁寧な批評を掲載して下さったし、創文社から出版されている『創文』誌の9月号には、青山学院大学神学科の主任浅野順一教授のご批評があり、その中で浅野教授は率直にいろいろな問題点を指摘して下さった。同年10月の『大学キリスト者』(日本YMCA同盟学生部発行)には、北海道大学の土屋博氏が有益な書評を書いて下さったし、また、同年12月の青山学院大学神学科の『神学科通信』には、小田垣雅也氏が、同年12月の青山学院大学キリスト教教育研究所の『研究所だより』には青山学院大学の関田寛雄氏が書評して下さった。今年の1月の『福音と世界』誌(新教出版社)には、熊沢義宣氏が「福音の現在化のための二つの試み」という題の下に、吉村善夫氏の『現代の神学と日本の宣教』(東京、新教出版社、1964年)とともに私の書物を取上げて下さった。また4月に再版された熊沢氏の好著『ブルトマン』(増訂版)(東京、日本基督教団出版部、1965年)ほその中で、わざわざ私の書物の内容紹介までして下さっている(1)。
 今回、青山学院大学基督教学会の雑記『基督教論集』に小田垣雅也氏が「実存論的神学と実存的神学――野呂芳男著『実存論的神学』に関して――」という表題の下に相当詳しい批評を掲載して下さるということなので、それへの答をも兼ねながら、今迄、先輩や友人の方々から戴いた批評に対して、この機会に答えさせて戴き度いと思う。

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(一)

 当然予想していたことではあるが、バルト神学に好意的な方々よりいろいろの批評がなされた。関田さんは「パルトの克服がバルトの内側から果してなされているだろうか(2)」という言葉で批評を表現されたし、山本和教授も合評会の席上同じような意味の批評をなされた。山本教授はブルトマンの立場に対するカール・バルトの批評にはやはり今もって実存論的神学者たちの聞かなければならないものがあるというような仕方でご意見を述べられたのである。浅野順一教授は、私がバルト神学は「時代錯誤」であると書いたことに(3)触れて、そういう仕方で「簡単に片づけ得るのか」と批評されている(4)。

私がバルト神学は時代錯誤であると言ったのは、ある特定の問題におけるバルト神学の立場を幾分いたずらっぼく表現したのであった。聖書の歴史研究という面におけるバルト神学の方法論的な時代おくれを言ったのである。このことは前後の文脈から明らかである。私といえどもバルト神学が近代主義神学からヨーロッパのキリスト教会を救った功績を、また、そのナチズムと対決した強靭さを高く評価する点において人後に落ちないつもりである。併し、それであるからと言って、バルト神学が、近代主義の科学的な業請である聖書の研究を十分に吸収していないという事情を寛容に見逃してよいものではない。更に、実存論的神学は近代主義神学ではないが故に、実存論的神学が聖書の歴史研究の分野での近代主義神学の科学的な業績を取入れたからと言って、それが直ちに、実存論的神学が近代主義神学と同様のものであるとは言えない。神学史的に言えば、実存論的神学は、近代主義に反対した陣営であるところの、あのバルトも属していた弁証法的神学から出発したのである。神学史的に言っても、また、内容的に言っても、実存論的神学は近代主義神学よりかはバルト神学に近いのが真相であろう。この「時代錯誤」という言葉の意味は、その後の註のところにもっと克明に述べられている(5)。そこで明らかなように、また、「実神」の第3章「啓示と実存」からも分って戴けるように、私が時代錯誤だと言うのは、方法論的に11世紀のアシセルムスと結び付くバルトの神学的立場あるいは、アンセルムスを越えてアウグスチヌスに結び付くとも言い得るバルトの神学的立場では、18世紀、19世紀になされた近代主義の業績であるところの歴史主義を克服できないということなのである。歴史主義の提出した問題性を克服しないでそれから逃避したに過ぎないが故に歴史主義の科学的業績を十分に受け入れることができないため、現代の神学としては不十分なのである。これに関してはいろいろの議論がなされるだろうと思うが、私は既にこの点に関しての自分の立場を「実神」の中で十分に述べたと思うので、これ以上説明することを避けたい。

浅野教授は後輩の私への励ましを兼ねた注文としてマルキシズムとの対決をするようにと勧めて下さっているが(6)、確かに現代倫理を理解するに当っては、浅野教授の言われる通りマルキシズムの理解が絶対に必要である。稿を改めて私はいつの日にかキリスト教倫理を中心にした書物を書いてみたいと思っているが、その時にはこの問題に触れたいと思う。併し、マルキシズムの問題は、本質的には経済学の問題なのであるから、キリスト教倫理においても、それは直接的な問題にはならないのではないかと思っている。

浅野教授はまた、この批評の中で非神話化論に対する疑惑を表明されている(7)。これは「実神」全般にわたって論じられている問題であり、私は自分の立場をそこで十分に述べたつもりであるが、ここでは浅野教授の提出されている問題に限って書いてみよう。浅野教授は終末の出来事に関する聖書の物語を非神話化する必要を認めておられないようである。今日の世界的状況は、聖書が告げているような終末の出来事に近い様相を呈していると主張される。ところが、まさにこのような教授の発言が方法論的に問題を孕んでいるものなのである。聖書の語る終末の出来事は、原子兵器による戦争が起って世が終るというような現代の危機を思わせるようなことを決して言っているのではない。純粋にあの当時の世界像と結び付けられている聖書の物語なのである。その世界像を土台としているあの聖書の物語と今日の原子兵器を使用する戦争による世界の終末というような予想とを、密着させる方法論的な根拠を浅野教授に示して戴かなければならないのではないだろうか。

と言うのは、あの当時の世界像によって形成された終末の出来事の予想は、その終末をもち来らす究極的な原因が神の行為に帰せられているのに対して、今日の終末の予想あるいは想像は、その原因は人間に帰せられているからである。これら二つの原因について全く逆方向の追求をしている予想を同一のものとする以上は、それなりの方法論が存在しなければならないし、この問題はつきつめて行けば聖書全体をどう解釈するかという問題になる。ブルトマンの非神話化論は、こういう問題意識から出発したのである。

聖書を科学的に、すなわち、その当時の世界像を土台として書かれた書物として研究し、しかも、その中から今日の我々を生かしてくれるような使信を聞かなければならないのであるから、そういう方法論的に明確な操作をしないで今日の危機的予想をあの当時の終末の出来事の予想と同一視するのは、聖書への読み込みであり独断のそしりを免れないのではないだろうか。

関田さんが、私がバルトの克服をバルトの内側からしていないという批評をして下さっているが、その批評の言葉の意味が実は私にははっきりしないのである。もしも、それがバルト神学をもっと十分に勉強してから、それを乗越えるようにという具体的な勧めであるならば、私としてはこれに対して何とも言訳の仕様がない。併し、言訳にならないように注意しながら――相手が親しい関田さんなので―― 言わせて貰うと、一人の神学者の思想を勉強して、その神学がどういう基本的な方向付けと性格とをもっているかを知るためには、その神学の勉強のために貴重な一生涯を費す必要はないであろう。どの神学も夫々の方向付けと性格とをもっているのであるから、それを理解することができて、自分の神学の立場がそれと違うということが分れば、その違いをはっきりと表現しない訳には行かないことであると思う。そういう心構えで私はバルトに対する批評を書いたのである。

併し、関田さんの言う、バルトの克服をバルトの内側からするということはそういう意味ではなく、バルト神学の指示する方向を突詰めて行ったところで、それを乗越える新しいものが出てこなければならないということなのであろうか。例えば、ハインリヒ・オット(Heinrich Ott)がバルトの忠実な弟子としてバルトの思想を突詰め、それをそこで少し突抜けて幾分独自な思想を展開しているような形で、私がバルト神学と取組まなければならないということであるならば、私はそういう勧めに対して否と言わない訳には行かないのである。基本的にバルト神学の方向付けや性格と違う自分の立場を自覚しているからである。私はバルトの弟子ではない。偉大な神学者バルトに対してこのように明確な態度を表明することは傲慢ではないかという人々があるかも知れない。併し、前述したように、どんな

偉大な神学者であってもその思想には一定の方向付けがあるのであり、その方向付けが自分の神学の方向付けと違うと言うことは、何もその神学者がその神学の方向付けを辿り行くことによって達成した業績の偉大さを低くみることでもないし、まして自分がその神学者よりも偉大であるという意味でもないと思う。とにかく我々の時代には、神学者を無謬として崇拝する風は無くなった方が良いと思う。バルトも多くのすぐれた神学者たちの一人としてしか私には映らない。

小田垣さんは『神学科通信』の書評で(8)私のような実存論的神学の試みを、近代神学の教義学の解体の歴史との関連で取上げている。ここで問題になるのは、「教義」及び「教義学」という言葉の意味をどう把握するかということであろう。

振返ってみて、「実神」の中でもっと正確に教義の歴史的限定をしておかなければならなかったように思う。こういう点で私は、東京神学大学の恩師熊野義孝教授の限定に従っているが故に、一応熊野教授のお名前とその思想における伝承と伝統との区別に触れることにより、教義という用語の私の歴史的限定をも間接的に示した訳であるが(9)、それでは不十分であったように思う。私が教義と言う時には、カルケドン信条までに形成された教義を言う。それはカルケドン信条成立後のその信条についての解釈をも含んだものとして考えたい。この教義は熊野教授の「伝承」に当る訳である。

周知のように、カルケドン信条に至るまでの教義はキリスト論に関するものであるが故に、私のような教義の理解では、宗教改革者たちによって形成された義認諭に対して正当な位置を与えることができないのではないか、という疑問が起るかも知れない。それに対しては次のように答えることができよう。

宗教改革者たちの義認論は、神・人二性の一人格という教義キリスト論の正しい理解なのである。すなわち、義認論は結局のところキリスト論の問題に帰着するのである。キリスト論は、神が人間を救うためにイニシアティブをとって下さったというアカペーの主張、神の恵みの絶対性の主張を内包しており、また、人間イエスの自由な服従の行為がその神の絶対の恵みとどういう存在の在り方で関係しているかという問題を内包している。後述するように人間イエスの服従は、全く神の愛のイニシアティブを浮出させてご自分を無にされた行為であり、キリスト論における神の行為と人間イエスの行為とに対して比論になるような仕方で、信仰という場での神の赦しの愛と人間の行為とを考えれば、それが信仰によってのみ義とされるという宗教改革者たちの告白となるのである。

カルケドン信条迄に形成された教義を、後の教会がその当時の状況の中で新しく発言し直したものを、熊野教授は伝統と言ってそれを教義から一応区別されている。熊野教授は、伝統は教義たる伝承のその時代における受肉であるというようにキリスト論的な言い方をされているが、私も「実神」の中でこの発想に従った。もし伝統という言葉が、過去に堆積したものが未来を束縛するという非実存的な印象を支えるような事情が存在するならば、それを信仰告白という言葉によって置換えることも出来よう。いずれにしろ、教会を正しく未来にも存続させて行こうとする創作的な情熱を表現したいのである。

エーペリングも指摘していることであるが、信仰告白は、神の言葉をその時代において正しく表現するという労苦から生れるものなのであるから、神の言菜の解釈学の問題であり、それ自体神学なのである(10)。すなわち伝統創作は、神学の解釈学上の問題である訳であるが、熊野教授の伝承の理解については、実存論的神学の立場からは疑問が提出されるであろう。それは次のエーベリングの言葉を借りてもっとも良く表現される。「宗教改革の時代や正統主義の時代の両者から我々を分つものは、神の言葉・聖書・説教・教理・神学――これらのものの問を、それらの時代とは全く異った仕方で我々が今、区別しなければならないということである(11)」。勿論今我々のなすこういう区別は、――エーベリングがこの引用のすぐ後に言い足しているように――より深いところでの統一を獲得するためなのであるが。伝承は、我々を実存的に根底から揺動かすキリストの出来事である神の言葉を、その実存的な意図をおおいかくすような仕方で、とかくすると客観的に表現しているのであり、――これは伝承形成のために教父たちの使用した哲学用語がそういう性格のものであったという不幸な事情に由来しているのだが――確かに聖書という伝承をも含めて、我々は、伝承の中にある、神の言葉の解釈の諸潮流の中の実存論的なものを目立たさなければならない。これを私は「実神」の第6章「キリストとしてのイエスの出来事」の中で試みた(12)。

さて、錯雑した以上のような問題を振返ってみた上で、小田垣さんの発言に帰った場合はどうだろうか。

超自然的な・客観的な知識を我々に与えるという意味での教義、または、教義学のみがその唯一の定義であるとするならば、確かに小田垣さんの見る通り実存論的神学は、近代主義神学の教義の解体の伝統を受継ぐものでしかないであろう。併し、もし上述したように教義の意図が、元来実存論的なものであったという立場で考察するならば、そういう観点から新しい、否、もっとも古いと換言し得るような教義学の体系化が、なされてよいのではないだろうか。この点を洞察して下さったのは、熊沢義宣氏である。「福音の現在化のための二つの試み」の中で熊沢さんは、私の意図が其の意味での伝統形成であり、伝承としての教義を現在という状況の中て受肉させようという試みであるということを指摘され、教義学の書物として「実神」を紹介して下さった。実は私自身が意図したものもそれなのである。超自然的な客観的な知識を与えるという意味での教義を体系化しようとの教義学が、教義学という言葉で普通表現されているが故に、私も幾分教義学という言葉を使うのに躊躇を感じ、むしろ組織神学という言葉の方を好んで用いている訳であるけれども、併しながら、本当の意図は教会の伝承としての教義は元来実存論的なものなのであるということの主張にある。


(1)熊沢義宣『ブルトマン』(増訂版)268−274頁。
(2)『研究所だより』4頁。
(3)『実神』46頁。
(4)『創文』10頁。
(5)『実神』51−56頁にわたる註22参照。
(6)『創文』11頁。
(7)『創文』9−10頁。
(8)『神学科通信』3頁。
(9)『実神』279頁及び426頁。
(10)Ebeling: Wort und Glaube, pp.178-180 , 187−188.
(11)ibid.,p.174.
(12)熊野義孝教授の立場についての批評は、次の拙論の中で既に試みられている。「実存論的神学の系譜」、『日本の神学――その成果と展望――1945―1962』(日本基督教学会編、神学年報1962)所載。

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(二)

土屋博氏は、その書評の中で若干の問題提出をして下さった。その一つに「実存論的」という言葉がどういう意味をもっているかをあらためて問われている。「実神」の中で明瞭に書いてあると思うけれども再説するならば、それは「実存主義的」という言葉とは違う意味をもつものとして使われているのである。「実存主義的」という形容詞は、哲学的な実存分析に冠するものとして使用されているにすぎない。ところが、神学はキリストへの実存的な信仰を前提にしているのであって、そういう前提をもたない単なる哲学的人間理解ではない。従って、キリスト者になることは、実存主義者であることを止めることであり、キリストとしてのイエスの出来事によって自分の実存の諸問題の真の解答が与えられていることを信じているのである(1)。併し、それでは何故実存論的神学という言葉を使用するのかというと、実存主義の哲学も真剣に係わっている、人間の実存の諸問題に対する答を得ようという角度からのみ、キリストとしてのイエスの出来事を理解しようとする神学という意味からである。

従って、熊沢さんが『ブルトマン』(増訂版)の中で言っているように実存論的神学という私の言葉の使い方は、認識論的なもの、すなわち、神の言葉の認識を方法論的に、人間の実存の問題に限るという限定をもったアプローチをするという意味なのである。併し、熊沢さんが同じ個所で言っているように(2)、本質論的には「ひるがえり」がなされなければならないと私も思う。人間実存への問いかけがキリストとしてのイエスにおいて与えられた神の言葉からなされるという逆の面がある。私はこれを信仰という個人的な行為を全く神の賜としたキルケゴールに従って逆説的なものとして把握し「実神」の中に展開した(3)。

恐らく「ブルトマン後の神学者」と言われる人々、例えば、ゲルハルト・エーベリングのような立場に立っての批評だろうと想像するけれども、土屋博氏と小田垣さんとから次のような同じ批評を私は受けている。

お二人の意見では、実存論的神学が真に実存的であるためには、世界史と実存史との両方に同時に係らなければならない。ところが私は、実存論的神学の特徴を次元的思惟にあると言い、世界史と実存史との問に次元的区別を認め、それら両次元の関係は、実存史に徹底すればする程世界史には科学的な態度をとることができるようなものであるとした。その理由は、私によると、次元の区別に徹底すれば、世界史から実存の次元の問の答を求めなくなるからであった。そういう次元的区別によって真に世界史を、冷厳な科学的な目で見ることが出来るからである、と私は主張したのである。実存の諸問題の真の答を提供できない世界史の中のものを、あたかもそれができるものであるかのように偶像崇拝するという傾向から逃れて、神を知ったものは世界を世界として見ることができるのである。これがボンヘファーに賛成して私が展開した、世界を非宗教化するということであるが、土屋氏及び小田垣さんは、こういう思考の根底にある次元的区別に批判的である。

小田垣さんは、ブルトマン後の神学者の立場に近いご自分の立場を私の実存論的神学と区別して、実存的神学と呼ぶ(5)。

ところで、土屋氏と小田垣さんとの傾向は、例えばエーベリングなどが、聖書神学と組織神学とを共に解釈学という同一の問題に属するものとしてとらえようとしているのと軌を一にしているのであるが、これに対しては私は複雑な感想をもつ。

先ず、私が実存史と世界史との両次元のもつ緊張を認めていない訳ではないという事実をお二人に確認して戴きたい。「実神」の中に繰り返して述べたように(6)、両者は次元的な相違をもちつつも相互に影響するのであるから、緊張関係が両次元の間に存在するのである。そして、この両次元の緊張関係を認める点において、私がブルトマンよりもブルトマン後の神学者たちの方に近い見解をもっていることは、ティリックの画像の比論の発想に私が賛成していることでも明かであろう。すなわち、ケーリュグマのイエスの画像と類比の関係にある画像をもつ歴史的実在を仮定しなければ、神学は成り立たないということを私が言っているのをみても、この点は分って貰えると思う(7)。

それにも拘らず、組織神学と聖書神学とを解釈学という形で、同一視する傾向には危険が伴なうと考える。原理的には私も反対である筈がない。何故なら両方とも広い意味での神学の分野に属するものであり、神学は解釈学なのであるから。それ故に、両次元が原理的には切り離せないものであることを承知の上で言うのであるが、私は小田垣さんのいう実存的神学の試み、また土屋氏の言う両次元の両方の上に立った思考に尚も躊躇を覚えるのである。そして、それは勿論ブルトマン後の神学者たちに対して覚える躊躇と同じなのであるが、その躊躇とは、組織神学と聖書神学とをそのように密接な関係に立てる結果、組織神学的な信仰が前提になってしまって、世界史的な研究が再び科学的な冷厳さを失い、信仰によって粉飾された探求の限にイエスが晒されることにならないだろうかという恐れからきているのである。これを避けるために、私は聖書神学と組織神学とを学問的に分けて二つの分野であるといことを、はっきりさせておいた方が賢いと思うのである。これは実際的な知恵の問題である。

以上の理由から私は、実存史の面にひたすらに集中するものとして組織神学を考えてみた訳である。このことは勿論、土屋氏と小田垣さんが指摘するようには、世界史の次元との緊張関係を組織神学が失っていることを意味していない。実際的な知恵から言って組織神学と聖書神学とを同一視する傾向に走るよりは、協力の関係に両者を置く方が賢明だと思うのである。

小田垣さんのいう実存にあたるものを私は体験という言葉で表現した。それ故に、人間は世界史の次元と実存史の次元とを同時に体験する、という表現の仕方をとった訳である(8)。併し、何故組織神学は、実存史にひたすら集中したものでなければならないと私が考えているかという、もう一つの理由が実は存在する。それは組織神学が、単に世界史と実存史との関係という問題だけに係わっているのではなく、他の諸科学と神学との関係をも考慮しなければならないからである。体験という言葉によって世界史と実存史との閏孫だけではなく、実存史と他の諸科学との関係をも含めて私は現わしている。人間は社会的存在であるから経済学・自然科学・政治学などが研究する分野とも係わっているのは当然である。もしも実存史と世界史とを係わらせることが実存的であるならば、何故我々は、他の諸科学と実存史とを係わらせることも実存的と言わないのであろうか。体験の中の世界史との係わり合いだけを特別に取上げる理由はない。こういう疑問が起ってくるが故に、私は組織神学はその分野をはっきりと循守し、ひたすらに実存史に集中しなければならないと考えるのである。そして、単に世界史的なイエスの研究だけではなく、それをも含めた広い意味での世界史、また、その他の諸科学とも、体験という場で具体的な関係をもって行く方が、実際的に賢明であると考える。

土屋氏が指摘しているように、不条理という私の概念は、現代状況と実存史との緊密な関係、及び、折衝という体験の場から由来したものであって、その不条理の状況が刺激となり私の思索に影響を与えている。その影響が、神の全能及び摂理の理解の展開の中に見られることは、これも指摘して下さった通りである。この場合、不条理は産婆の役割を果しているにすぎないのであって、実存史に集中する神学の中に潜在していたものを、思考の表面に引き出してくれたのである。組織神学の対話の相手の一つの状況がこの不条理であった訳である。このような形で、色々な科学が、実存史にひたすらに集中する組織神学に影響を及ぼし、産婆の役割を果すことを認めるのに、私は決して躊躇しない。このように、組織神学は、単にイエスの世界史的な研究だけと緊張関係に立っているのではないから、私は小田垣さんの実存論的神学と実存的神学という区別が、具体的に言って賢明ではないと考える。

小田垣さんがご自分の実存的神学と私の実存論的神学との間の相違として考えているものに、私にはロマンティシズムがある、という言葉で表現された事態がある(9)。私のロマンティシズムという言葉によって小田垣さんの意味するところは、私の実存論には神秘という観念が根底となっているということなのである。小田垣さんは、この神秘は幾分存在論的なものであるとし、この神秘という観念を使用することによって、私の実存理解は一つの型に嵌まったものとなっていると批評する。私においては一つ一つの実存がいずれもその根底に神秘をもっているが故に、互いに共通のものをもっていることになり、その結果私の実存論は、本当の意味で実存的でなくなっている。何故ならば、実存は一つの型に嵌まった理解を可能にするものではなく、型によって限定されないユニークな個々のものなのであるから。こういうように小田垣さんは私を批評する。

このご批評に対する答として、私は先ず、私が存在論について述べたところで既に明かにした事柄を、再説しなければならない(10)。私は存在論に対して全面的に反対しているのではなく、実存論に衝突するような存在論に反対しているのである。さて、小田垣さんが見抜かれた通り、存在論的なものが確かに私にはある。個々の実存が存在論的に同じ構造をその根底にもっているが故に、互いに話し合いの可能性が存在すると私は考えている。

神秘という言葉によって私が意味したことは、第一には、ゴーガルテンの言うように神が私たちと共にいて下さるという現実であり、第二には、マルセルの言葉使いに従い、人間を限界づける存在論的な根底を指している(11)。すなわち、神秘とは人間が支配するものではなく、人間がそれによって支配されるものであり、その中に入って人間が実存的に、自分を支配する限界に衝突して初めて知ることができるようなものなのである。「神秘的なものと問題的ものとを区別しよう。問題とは私の通過を妨げるような仕方で私と出合うあるものである。それは、その全体性において私の前に(before me)ある。ところが、神秘とは、私自身がその中に巻きこまれているようなあるものなのである。従って、神秘の本質は、その全体性において私の前にある筈がない。神秘の領域では、私の中に(in me)と私の前に(before me)との間の区別は、まるでその意味を失ってしまっているかのようてある(12)」(マルセル)。このように人間には、人間にとっても経験の対象 (der Gegenstand der Erfahrung)――すなわち自分が支配できるもの――ではない神秘、あるいは、秘密(das Geheimnis)がその根底にあるが、その認識は、決断による以外にはなされない。従って、その神秘は将来的なものなのである――人間は自分の未来を経験できないのだから(13)(エーベリング)。

以上の神秘の理解は、神と人間とがいつのまにか一つに融合してしまう事態を指す神秘主義とは勿論異なる。神と人間との人格的な出合いの中の、我々人間の限界体験――私は経験という言葉で人間の支配可能の領域の事態を指すが、体験によってもっと広いもの、実存的なものをも含めて表現している――の側を言っているのである。

さて、繰返しになるが、ロマンティシズムという言葉が当るかどうかは私によく分らないけれども、確かにロマンティシズムという言葉によって小田垣さんが指した事態は、私の思想には存在すると思う。

この機会に、小田垣さんの実存的神学の立場について、私の疑問とするところを述べさせて戴こう。小田垣さんは、私が実存の理解の仕方において一つの型に嵌っているが故に、その実存の理解は真の意味で実存的ではないと言われる。私は、自分の実存の理解が、他にも沢山ある中の二つの型であるとは思っていない。これこそ唯一のものではないかと思っているが、ここで問題にしたいのは、小田垣さんは実存という言葉によって、それでは何を意味しているのかということなのである。想像するに、多分、ユニークなもの、個々の特色をもっているが故に、同じ発言の中に含むことのできないものというニュアンスをもたせて言っているのであろうが、もしその個々の人間実存が、私のいうような意味での神秘をその根底にもたないならば、互いの話し合いの可能性が全くなくなるのではないだろうか。そういう実存理解は、全然相互に話し合うことのできないモナド的な実存主義であろう。こういう立場から、伝道や神学の可能性をどのように小田垣さんは考えているのだろうか。何故ならば、伝道に仕えることをその使命とする神学は、当然、キリスト者実存の体験が、まだその体験をもっていない人々に理解して貰えるということを前提にしているからなのである。勿論これは体験的な前提であり、客観的なものではなく、こちら側も決断を通して受入れたもの、また、あちら側にも決断して受入れて貰わなければならない前提であるけれども、併し、それが前提であることには変りがない。もしもこの前提を否定するならば、何故我々は自分の救を告白したり、人々に説教したりするのであろうか。そして、この前提こそまさに存在論的なものなのであり、私の理解によれば、こういう存在論的なものを実存論的神学は内包するものなのである。

小田垣さんは、イエスにおいて我々は神秘に出合う、と私が言ったことにも批判的な躊躇を感じている。ここで神秘という言葉によって表現されているものは、具体的にはイエスの服従である。そのイエスの服従は世界史的な出来事であり、しかも同時にそれが、私の場合にはゴーガルテンに倣って、神の出来事になる訳である。イエスがご自分を無にされて神に服従して下さったお蔭で、イエスにおいて神が我々に出会って下さる、イエスを通して神の愛の赦しの心が透けて見えてくるのであり、これこそキリスト論的な告白なのである。小田垣さんは、イエスの服従において神に出会うという論理は、まだ真の意味で実存的ではないと感じているようである。

小田垣さんが言うところの、ゴーガルテンや私が結局キリストの出来事を、非実存的なものに考えてしまっているということの意味は、多分次のようなことではないかと思う。すなわち、信仰は元来冒険的なものであり、決断のための客観的な支え、決断の真剣さを曖昧にするような客観的な確かさを必要としないものである。ところが、イエスの服従の崇高さというような世界史の探求によって論証されるものが、キリスト諭の土台になっている場合には、そういう世界史の探求で確証できるようなものを支えとして決断する信仰は、実存的なものでないという意味であろう。

小田垣さんは信仰の性格に関してエーベリングが言った次の言葉に賛成されるだろう。「信仰とは、自分の実存を確かなものにしようとする人間のあらゆる行為の拒否である(15)」。「信仰の確かさとは、実存そのものにかかわる確かさである。道が見えないところでも積極的な歩みをつづける(ein Sichere-Schritte-Tum)ものであり、期待するもののなにもないところでも希望をもちつづけるものであり、事態が絶望的であっても絶望しないものであり、底なきところに踏み出しても根底をもっているもの――これこそがその確かさである(16)」。私も実は、このエーベリングの描写する信仰の性格や確かさに自分の神学の土台を置いているつもりなのである。それ故に、小田垣さんと私との問にこの点における相違はない。問題は、ゴーガルテンの言うイエスの服従が果してこれと矛盾するかどうかにある。

これに対しては、次のようなことが言われなければならない。先ず、我々がイエスの服従という発言によって意味するものは、前述した、イエスがご自分を無にして、神の愛をご自分の無の服従を通してご自身の上に表現したということなのであるから、イエスとの出会いにおいて我々が体験するものは、イエスという人間の偉大さや崇高さではないということである。正にその逆なのである。イエスはご自分を無にされて、ひたすらにご自分を越えたあるものを指し示されたのであるから、いわゆる聖人という言葉で我々が想像し勝ちな人物ではない。我々のイエスとの出会いに、客観的な保証となり得るようなイエスの崇高さは存在しない。

それ故に、我々はイエスが、英雄・宗教的天才・社会改良者などのもっている強烈な人格とは違った方であるということを見抜かなければならないであろう。もしそういう人物と同じようにイエスが、ご自分を目立たせた存在であるならば、もはや彼は、神の愛のイメージとなるという使命に失敗したと言わなければならない。併し、そうであるからと言って、イエスの無の服従のこの姿が、世界史の探求の対象にならないとは言えない。これは、人間イエスが服従されたその行為に具現しているものなのであるから、当然、世界史の探求の対象になる訳である。

併し、世界史の探求において我々がイエスとの出会いを体験するということは、同時に我々自身の実存が本来的な姿をとりつつある道を歩んでいなければイエスを理解できないようなものなのである。と言うのは、我々の体験の中から拾い上げてみても分ることであるけれども、愛は元来愛されている人間が自分の本来の姿を実現することを通して、自分を愛してくれている人間の愛を認識するようなものである。愛しているものの姿が全然目立たないのが、愛というものの特質なのである。愛されている者が、その愛によって非本来的な道を歩いてきたという自分の病から、本来の道に戻り癒された時に初めて、自分が今迄も愛されていたのだという現実が分るのである。相手が自分に注いでくれる愛を認識するためには、自分自身の生の転換が要求される。すなわち、転換しようとの決断を通さなければ、愛されているという現実、愛してくれているその愛を認めることができないということが、我々の体験から理解されるのである。そして忘れてならないことは、愛は世界史的な現実、世界史的出来事の中にそのイメージを投影するということである。

これと同じ仕方で我々は、イエスにおける神の愛を体験できる。イエスの服従を通して現われるものは、正にこのような逆説的なもの、自分を隠すことによって愛の対象たる人間を本来的に生きるものたらしめ、そのことを通して、すなわちその人間の本来的に生きようとする決断を通して、初めて自分を現わすようなそういう愛なのである。これをイエスの服従が我々に与えるが故に、それはきわめて実存的な出来事なのであり、小田垣さんが言うようには、我々の決断の純粋性を濁らせる客観的な保証にはならないのである。むしろ、決断すること自体の中で我々は、神の愛を知る。

ここで考えておかなければならないもう一つの問題がある。ケーリュグマは、罪の赦しを語ってくれる神の言葉がイエスであると主張する訳であるが、イエスの服従というようなゴーガルテンたちの主張するきわめて人間的・世界史的な出来事さえも小田垣さんのように拒否するならば、キリスト教のケーリュグマの中心は、実はイエスではなく誰でもよいことになってしまうか、中心に人間を置く必要がなくなってしまうであろう。別にイエスという――あるいは、――ケーリュグマのイエスと画像の比論の関係にある――世界史的存在に我々がこれ程迄に固執する必要はないのである。こういう事情との関連で、キリスト論を小田垣さんはどのように考えているのだろうか。

イエスが自分を無にするという服従の行為をして下さったお陰で、イエスを通して神の愛が我々に明らかにされたとするキリスト論、こういう仕方で神性と人性とがイエスにおいて一人格をなしている事情を解釈するキリスト論は、私が「実神」第6章「キリストとしてのイエスの出来事」の中で展開したところのアンテオケ学派的なキリスト論であることは言うまでもない。実存論的神学のキリスト論が、こういう傾向を帯び勝ちであるのには理由があるように思う。イエスを客観的に観察の対象とすることを拒否して、自分の実存の答を期待してイエスとの係わり合いに入る以上は、イエスの人格をイエスがわれわれのためにして下さった行為から考えるのである。アレキサンドリア学派と異なってアンテオケ学派は、神性・人性の結合というイエスの人格の神秘を、神の愛・人の愛という愛の結合、すなわち、行為の面から見たのであり、それはその中に実存論的な要素をもっていたのである。エーベリングが、他の偉大な人間たち――例えばプラトンやルター――においても彼らの品性(Person)と彼らのなした行為(Werk)との間に食い違い(Diskrepanz)があるけれども、イエスとの出会いにおいては我々は食い違いを体験しないと主張し、そこにキリスト論の根拠を求めている時、エーベリングはイエスの服従を通して啓示された神の愛の行為たる罪の赦しからイエスの人格の秘密を把握しようとしているのであり、アンテオケ学派の跡を辿っているのである(17)。また、エーベリングが、ケーリュグマのキリストと史的イエスの連続性――同一性ではない、(素朴な正統主義の主張する両者の同一性は歴史的研究が全く葬り去った)――をケーリュグマに画かれているイエスの行為と史的イエスの行為との連続性に見ていることも周知の事実であるが(18)、これもアンテオケ学派のキリスト論と繋っている。我々はまた、ソルボンヌ大学のジャン・ワールがキルケゴールのキリスト論について言ったところを引用して、実存論的神学とアンテオケ学派のキリスト論の近似性を主張することもできるだろう。キルケゴールにおいては、キリストは真に人であり、また真に神である。そしてこれは相互に補足するのである。彼は人間であるが、それは彼が真に主体的な人間であり、人間のもつあらゆる情熱を体験し、神との関係に入るからである。神の受肉と人間のキリスト教化 (l’incarnation de Dieu et la Christianisation de l’homme) とは二つの運動であるが、それらの運動によって内在と超越とが互いに結合することを求め、そして、実際に結合するのである(19)」(傍点引用者)。イエスのキリスト教化、すなわち、神へのイエスの服従がキルケゴールにおいても、キリスト論における神・人結合の鍵になっているのである。

更に、結論的に言うために、もう一度前に取扱った問題に帰って発言したい。実存が個々にユニークなものであることは勿論であり、そのユニークなものをユニークなものとして受けとることが、確かに罪の赦しの本質である。そして、実存は互いにユニークであるから全然話し合いができないけれども、その話ができないという丁度そのところで互いに手をとりあい共通の場をもつのだ、という言い方もなされ得るであろう。小田垣さんの発想は、恐らく以上のようなものであろう。併し、その場合でも、そういう他と違ったユニークな自分が愛によって生かされているという共通性があるのであり、これこそ私の言う存在論的なものなのではないだろうか。既に私はある論文の中で述べたのであるが、共通の人間性――人間という自然――という存在論的なものを想定しない訳には行かないのである。私の言う人間性とは、人間がどうしても絶対の愛(神の愛)すなわち、こちらが裏切っても相手は裏切らないような愛を必要とするということ、その愛が自分の根底になければ人間は本来的に生き得ないということ、また、この相対的な愛の世界の中で、できる限りこのような絶対的な愛に近いものを互いに体験することによって初めて、より深い、より豊かな生を実現できるというような人間のもつ共通性なのである(20)。こういう存在論的なものさえも拒否するならば、もはや話し合いの可能性も、倫理の基礎もなくなり、その実存理解は完全な主観主義に転落する。

多くの人々が人間性――人間という自然(human nature) ――は一定不変であるという発想に反対してきた。その理由を察するのはむずかしくない。それは、フロム(Erich Fromm)が指摘しているように(21)、不変の人間の本性という観念が、しばしば権威主義的思想家たちにより、自分たちの主張する倫理的体系と社会制度とが必須のもの、また、不変のものであるということを根拠づけるために用いられてきたからである。彼らの言う人間の本性とは、彼らの関心の反映であり、客観的なものではなかった。そこで――フロムは更に続けて言うのであるが――進歩的な人々は、人間の無限の可塑性(変化性)を主張する見解を喜んで迎える傾向がある。と言うのは、人間性の可塑性は同時に、倫理的規範や制度も可塑的であることを意味するからである。併しフロムが正しくも言っているように、もし人間性が無限に可塑的であるならば、実際は「人間の幸福にとって不利益な規範や制度が人間を永久にその型の通りにつくってしまい、人間の本性に本来そなわっている力の働きによってそうした型を変えようとする可能性は失われてしまうのである(22)」。人間の本性は単に順応するばかりでなく、環境の働き掛けに反してある一定の反応の仕方をなすものなのである。これを私は不変の人間性によって表わしているのであるが、その反応の仕方こそ、絶対の愛を求めたり、相対的な人間関係の中でさえも、それに成るべく近いものを求めない訳には行かないという、前述したような人間の生の姿勢なのである(23)。

以上で私は大体において諸先輩や友人たちからのご批評に答えたように思うが、このような有益な批評を多く与えられたこと、より勉強するようにとの刺激を与えられたこと、自分の立場をもう一度反省させられたばかりでなく多くのものを教えられたことを厚く感謝して、この稿を終ることにしたい。



(1)「実神」143−144頁。
(2)『ブルトマン』(増訂版)274頁。
(3) 「実神」83頁。Wahl, Jean : Etudes Kierkegaardiennes, Paris, Librairie Philosophique J. Vrin, 1949, p.353.
(4)『大学キリスト者』70頁、及び、『神学科通信』3頁。
(5)「実存論的神学と実存的神学」。
(6)例えば、「実神」の149頁以下。
(7)「実神」259頁以下。
(8)「実神」120−121頁。
(9)『神学科通信』3頁、及び、「実存論的神学と実存的神学」。
(10)「実神」209頁。
(11)「実神」185−186頁、及び、204頁。
(12)Marcel, Gabriel : Being and having, trans. by K. Farrer, Westminster, Dacre Press, 1949, p.100.
(13)Ebeling : Wort und Glaube, pp.435−436.
(14)「実神」250頁の註18。
(15) Ebeling : Wort und Glaube, p.216.
(16)ibid., p.247.
(17) ) Ebeling : Wort und Glaube, p.310.
(18)例えば次の個所を参照の事。Ebeling : Wort und Glaube, pp.207−208 : pp.311-318.
(19)Wahl, Jean : Etude Kierkegaardiennes, p.332.
(20)『理想』、東京、理想社、1965年6月号所載の拙論「実存論的キリスト教と倫理」53頁。
(21)Fromm, Erich : Man for himself, 1947.エーリッヒ・フロム『人間における自由』、谷口降之助、早坂奉次郎訳、東京、創元社、1955年、37−38頁。
(22)同書、38頁。
(23)フロムは絶対の愛を求めたり、また、それを絶対なものに捧げたいという人間の本性の要求を心理学的に分析して、もっとも人間に根源的なものとし、そういう立場から、リピドーを人間にもっとも根源的なものとしたフロイドの心理学に反対しているが、これは愛の倫理との関連で我々の注意を引く問題である(註――同書70頁、66頁等)

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 この稿を書き終えた時に、日本基督教学会編『日本の神学』(4)が私の手許に届いた。そこには組織神学部門の論文の一つとして、北海道大学教授中川秀恭氏によるところの、「実神」についての懇切丁寧なご批評が掲載されていた(同書68−74頁)。こういう親切なご批評を戴けたことは、私として望外の喜びであり、特に私の神学的立場に対してのご批判は、今後の勉強のために極めて有益なものである。

中川教授の論文は大きく分けて二つの部分より成っている。前半では、「実神」の中の主に実存論的神学の方法論について論じた諸章の相当詳しい紹介をして下さり、後半ではそれについての中川教授のご批判が述べられている。私はここに、後半における中川教授のご批判の中から多くを学ぶことのできた惑謝と共に、そのご批判のあるものに答えることをお許し戴き度いと思う。

1.「実神」の第1章において、ヒューストン・スミスの現代状況の分析に賛成しながら、私は現代状況の特徴が不条理、すなわち、合理性の徹底が不条理にまで突き抜けたことにあるとした。これを現代における「近代後」への移り変りの時期である現今から、これから我々の時代が突入するところの「近代後」の世界の特徴とし、この特徴の存在に関する限り、わが国の現代状況を「西欧並びにアメリカのそれと同じ平面で取り扱っても良いとした。こういう私の主張について中川教授は「現代の日本の精神的状況は、果たして合理性を徹底した結果、その向う側へ突き抜け、不条理にぶつかっているのであろうか。むしろ合理性に徹底し切れないのがわが国の現状ではあるまいか」と批判されている。(『日本の神学』(4)72−73頁)。

このご批判に対して私は次のように答えたい。合理性に徹底し切れないのは、我が国だけでなく、ヨーロッパにおいてもアメリカ合衆国においても事情は同じである。それにも拘らずスミスの分析は当っている、と私は思う。いつどこにおいても、最尖端を行くものはごく少数であり、大多数は彼らよりもずっと遅れてしかついて来ない。併し、時代の特徴を決定するのは、最尖端を行く少数者であって、遅れている大多数の人々ではない。日本においても、これらの少数者は確かに存在する。

2.実存論的な組織神学の任務として、私は、具体的にはニケア・カルケドン信条のキリスト論の非神話化、あるいは、実存論的解釈を提唱した。中川教授は、この場合「神話」の概念が必ずしも明らかでないとされ、むしろ「非形而上学化」を「非神話化」の代りに用いたらどうかという、大変興味ある示唆を下さっている。

組織神学者は、実存論的神学の立場を表明するために使う言葉の一つとしての神話という言葉を、組織神学構築のために便利なように再定義しても良い、と私は考えた。それが実存論的な組織神学である以上、ブルトマンの新約聖書の非神話化論と矛盾しては可笑しいのであって、それを内に含んで、しかも組織神学にとって、便利なものでなければならないであろう。このように考えて、歴史創作の姿勢と矛盾するような姿勢を人間にとらせる一切の思弁・客観的保証の追求を神話とした(「実神」22頁以下)。こういう私の立場からすれば、ニケア・カルケドン信条の非神話化という用法が出現する訳である。「非形而上学化」という中川教授の示唆される言葉は、確かに上にあげた信条の実存論的解釈を表現するには適当であるが、組織神学の構築全般にわたって適用されない点では不便ではないだろうか。非神話化の方が包括的であって便利ではないだろうか。

3.中川教授は、私の実存的という言葉と実存論的という言葉との使い方が不明瞭であるとされている。これについては既に前に、土屋氏及び熊沢氏のご批評との関係で述べたので、ここでは触れない。併し、それとの関連で中川教授は、私の体験論的という言葉と、実存論的という言葉との区別が明瞭でない、と批判されている。

私は、「実神」の233−235頁にわたって書いた事柄を繰返すだけである。実存論的思考は次元的思考であり、確かにそれは具体からの抽象である。併し、そのように次元的・抽象的に思考することによって決断の瞬間を浮彫にする方が、却って具体の相に忠実なのである。ところで、この次元的思考は、異った次元の間に関係がないとか、あるいは、相互影響がないとか言うことを意味しない。むしろ、それらを積極的に認めるのである。次元間の相互影響の角度から論理的に具体を把握する時に、それを私は体験論的思考と言っているのである。

4.中川教授は私のバルト理解を問われているが、その意図は、バルトが「キリスト教教義学」の時代の実存的思考、下からの道を棄てて、教会教義学の時代の上からの道に転回したのは、上からの道でなければ組織神学は成立しないのではないか、と私に問われるところにあるようである。

これは、組織神学の性格をどう考えるかに係わっている。そして、この点については、小田垣さんの「実神」についての書評への答で私は既に触れたのて、ここではこれ以上書かないことにしたい。

後輩である私に対して、これ程ご親切な書評を中川教授から戴けたことを、この機会に深く感謝し、今後ともますますご指導戴き度いとのお願いを記しておきたい。

(1965年9月記)

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入力:平岡広志
http://www.geocities.jp/hirapyan/

2005.3.19