野呂芳男「神の死の神学」1977

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今日における神観の一問題


野呂芳男

       




初出:『キリスト教学』立教大学キリスト教学会編、1977年、1−31頁





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 東京神学大学の前身であった日本基督教神学専門学校に在学中、私にとって組織神学研究への興味を掻き立てて下さった恩師たち桑田秀延教授、熊野義孝教授、北森嘉蔵教授の中でも、北森教授が年齢的にもわれわれに一番近かったこともあって、その神学への賛成・不賛成は別として、私には特に大きな刺戟を与えて下さったのであり、その点で私は忘れ得ない大きな恩恵を蒙っている。他のところでも書いたのであるが(1)、北森教授の名著『神の痛みの神学』(2)が出版されたのは私が在学中の出来事であったが、当時北森教授はまだ助教授であった。多分、この書物が、まさに燎原の火の如き勢をもって教会の人々、特にその若い世代の人々に読まれた理由の一つは、日本は第二次世界大戦の敗戦直後であり、人々が精神的にも身体的にも全く疲れはてていたということであろう。人々は精神的に全く空虚さを抱き、何かうつろな目をしながら、何か新しいもの、何か慰めになるものを、渇いた者の如くに求めていたのであるが、キリスト者たちも例外ではなかった。そういう人々の耳に、「苦しめる人々のために、神も痛み、苦しんでおられる」というような響きをもった北森神学の使信が届いたのであり、人々がその使信を喜び迎えたのは不思議ではなかったと言える。

 その後の北森教授の影響は、日本の神学界から哲学界にも及び、教授は日本の代表的神学者として、既に述べた如く今日は国際的な評価を得ておられる訳である。

 以上の如き『神の痛みの神学』の高まり行く評価の経過に関連してわれわれの興味を引くのは、この神学の中核が形成されたのは、――1954年4月10日の「キリスト新聞」紙上で岩村信二氏と対談している北森教授によると――第二次世界大戦の最中ではなかったことである。つまり、国民が種々の意味で苦しみ抜いていた戦時中、あるいは、敗戦直後の状況の中からこの神学は生れてきたものではなく、北森教授自身の岩村信二氏に対する説明では、この神学の基本的な考えは既に1938年、あるいは、1939年に成立していたのである(3)。勿論、この当時の日本は中国に対する侵略を行いつつあった時期で、その暴挙を背景にして経済的にはむしろ潤っていたと言ってもよい。併し、多くの良心的な知識人たちは、日本の中国への侵略を道徳的に認め許すことができず、深刻な精神的苦悩を味わいつつあった時期でもあった。北森教授がそういう良心的苦悩を味わっていた人々の一人であったと推測することは、きわめて妥当性のあることであろう。何故なら、そういう良心的苦悩においては、人間の罪とそれに対する神の刑罰というドラマが中心となり得るからである。北森教授にとって無意識の内面的出来事であったかも知れないが、北森教授の主張は、当時の日本の行動に対する道義的痛みと深くかかわっていたのかも知れない。その主張によると、父なる神が、人類の罪を背負った最愛のひとり子イエス・キリストを刑罰として死なしめたが、それは、人間を愛するのあまり、人間の裏切りに対する反動として神の愛は怒りに変じ、怒りながらもその怒りを、自己そのもの、否、自己以上の愛の対象である最愛のひとり子に向って注ぎ出さざるを得ない神の痛みが、十字架の出来事で生起したのである。併し、敗戦後の貧困と虚脱状態の中で、人々がこの神学を渇ける者の如くに求めた時に、果して上述した如き深刻な道義的反省を経ての上であったかどうか、われわれは非常に疑問に思う。むしろ敗戦直後の経済的貧困や、敗戦に導いた侵略戦争に人民を駆り立てて行ったかつての軍部や為政者たちの悪政は、大方の庶民にとっては一人一人の自由意志ではどうにもならない、自由意志を越えた運命の如きものと感じとられていた、という方が真相に近い。従って、そういう苦汁に満ちた敗戦の運命にある日本人たるわれわれに、神も 同情して痛んで 下さっているというような仕方で神の痛みの神学が受容されたのは、われわれにとって状況的にはきわめて良く理解し得る事柄であるが、何という歴史の皮肉であることか、これは神の痛みの神学の誤解に基づいた受容であると言わざるを得ない。

 苦汁に満ちた敗戦を、自分たちの責任を越えた運命的なものと感じ取っていた庶民の感覚が正しかったかどうかは別として、ここで問題になっている事柄が、伝統的神学によって悪の問題として取り上げられてきたものであることには異論がないであろう。伝統的神学は、悪を大体三種類に区分して自然悪、社会悪、道徳悪となし、自然悪によっては天災地変などを、社会悪によっては個人の力ではどうにも変更することができない環境悪などを、道徳悪によっては原罪のように個人の力を越えて人間を悪に駆り立てるものを意味していたのである。今日のわれわれから見た場合に、伝統的神学の悪の取り扱い方は、愛なる全能の神が支配しているこの宇宙の中に、何故このような感が存在するのかを、思索者がこの問題からある距離をおいて客観的・対象的に考察している感がある。むしろ、今日のわれわれにとっては、こういう問題はアルベール・カミュの作品がよく例証しているように、 不条理 の実感によって受け止めざるを得ないものなのである。不条理には、伝統的神学の悪の取り扱い方とは違い、人間を人間らしく生かさない悪の存在に対する 反抗の情熱 が含まれている。

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 われわれの見るところでは、今日の欧米の神学が神の痛みや苦しみについて語る時には、おもにこの現代人のもつ不条理の感覚と関連している。敗戦直後の人々が『神の痛みの神学』にあれ程の歓迎を示したのは、不条理という概念に慣れていたかどうかは別として、矢張心の中に潜在していたその実感から由来していたと思うのだが、神の痛みの神学はこの不条理感とも、また、伝統的な悪の存在の問題とも直接には何の関係もない。あまりにもスウェーデンのルンド学派、特にニグレンのアガペーとエロースの質的相異の強調に影響されたこの神学においては、自然的なもの、エロース的なものはすべて罪であり、アガペーである神の怒りの対象なのである。人間らしく生きたいという、人間がもっているきわめて素朴な欲求(エロース)がそのまま罪なのであるから、そのエロースを阻害するところの不条理や、宇宙の中にある悪の存在は、別に神の特別な顧慮の対象とはならない(4)。つまり、そういう不条理に苦しんでいる人間への 同情から 神が痛み苦しむのではないのである。むしろ、この神学で不条理や悪の存在が取扱われている場合には、そういう不条理から来る人間の苦しみは、罪に汚れたエロース的な苦しみであり、そのまま神の怒りの対象たる現実であるにも拘らず(5)、人間の罪のために痛み苦しむ神を、逆の比論ではあるが、その神の 痛み という一点だけを指し示す証し―痛みの類比(analogia doloris)―として用いられるのである。従って、神の怒りの現実に外ならない人間の痛みの徹底した時代が到来しなければ、神の痛みの福音は人々の間に徹底せず、神の国の到来たる終末さえも来ないのである(6)。こういう思考は、うっかりすると、福音理解の徹底のために悲惨なる時代の到来を待望し、喜び迎えるということにもなりかねない。たとえ神の痛みをあかしするものであっても、われわれが肯定したり受容したりしてはならない痛みが、現実の中には存在するのである。

 ルンド学派のアガペーとエロースの峻別は多くの批判を浴びているものであるが、批判の焦点は、神学における創造論と贖罪論との関係をどのように考えるか、にかかわっていると言って差し支えない。つまり、ルンド学派に従うと、聖書には神が善しとされたと書かれている創造の業であるにも拘らず、創造そのものが罪とされる傾向に陥るのである。神と人間との関係は、罪とその救いという一点だけに絞られるものではない。伝統的神学が十分にその事情に気付いていたことは、既に述べたところの悪の問題の伝統的神学による取り扱いに見られる。悪の問題は、通常贖罪論の中ではなく、創造論の中で摂理論との関連において取り扱われてきた。

 北森教授の言う神の痛みが、人間の罪とその救いとに絞られた概念であって、不条理に苦しめられている人間への同情とは一応、直接的関係をもたないものであることは既に了解されたことと思う。不条理による人間の痛みや苦しみは、贖罪における神の痛みを証しこそすれ、神の 同情の痛み の対象ではない。しかし、北森神学が神の同情における痛みを、すなわち、摂理論の中で神の痛みを語り得る素地を全く欠いていたとはわれわれは考えないのである。少くともある時期に、北森教授は、われわれが通称で 有限の神 (a finite God)と呼ぶものに接近されたが、もしも今日この時期の思想が開花しておれば、歴史の中に神の摂理的な知恵や力が予想できなかった事柄、神といえどもどうしようもない事柄が生起し得ることとなり、そのために神が痛み苦しむということがあり得る訳である。つまり、人間が、自分の罪のためでもなく、また、神がそれを意図された訳でもないのに、不幸な状況に陥ることがあり得るのであり、そういう人間に同情して、神が人間と 共に苦しむ という事情が成立するのである。

 われわれは北森教授がこの有限の神の思想を発展させなかったことを非常に残念に思うのであるが、この思想は教授が1953年に出版された『神』(7)というパンフレットの中に見られる。ここで教授は、神の伝統的諸属性を再構成している。例えば、神の全能はある制限を加えられる。すなわち、神は人間を自由な主体的人格として造られたのであり、人間はその自由な主体性によって神に反逆できる。それ故に、いかなる状況下においても神には何事も可能であるというような意味では、神は全能ではない。人間の罪は神の全能の否定である。同じ種類の取り扱いが、神の全知に対してもなされている。人間の悪の基本的性格は、それが前以て神によっても知られないところにあり、神さえも見通しできない暗黒であるところにある。また、神の創造における愛の遍在も、人間の罪のために退けられる。

 ここでも、北森教授の関心の焦点が贖罪論的なものに絞られていることは明らかである。教授によれば、神の諸属性は改めてキリストの出来事、神の痛みから解釈されねばならない。神の痛みは、神の (extra)にあるものを神が包むことなのであり、神に対する人間の反逆や罪は神の 、すなわち、神の全能・全知・遍在の にあるものなのである。そういう の性格をもつものこそが、神の痛みによって包まれるものなのである。もしもこの なる性格が人間の罪から失われるとすると、神の痛みから真剣さが失われてしまう。

 北森教授がここで展開した神の有限性は、全く人間の罪とそれに対する神の救いとに絞られたものであるが、しかし、とにかくここには、伝統的な教理の中で説かれた神の全能・全知・遍在の否定が見られる。教授のこの発想を延長すれば、今日のプロセス神学の歴史観、すなわち、神の自由と、人間や他の諸存在の自由なる動きが織りなすものこそ歴史である、という考えに到達し得る。そこにまで北森教授の神学が展開していれば、『神の痛みの神学』は神の同情的痛みを語り得たのみならず、キリストの十字架の事実の歴史性、事件性についても、もっと明確であったであろう。この神学にとって、「エレミヤは旧約のパウロであり、パウロは新約のエレミヤ」であって、「パウロに示されたる『十字架における神』は、エレミヤにとっては『痛みにおける神』(8)」であり、また「歴史的イエスのみを見て神の痛みを見ない時、われわれは『肉によりて』のみキリストを知ったことになるのである。また神の痛みを見て歴史的イエスを見ない時、われわれは『肉における』キリストを見失ったことになるのである(9)」。これらの発言、特に後者を読むと、この神学におけるキリストの事件の重要性は疑いもないようであるが、しかし、もう少し内奥を覗く時に、果してキリストの歴史的十字架は、この神学にとってどれ程の意味をもっているのだろうか。重要なのはエレミアの見た永遠の真理たる神の痛み――神の内面に起った神の愛(正)と怒り(反)とのヘーゲル的弁証法的統一たる痛み(合)――であり、キリストの十字架はその真理の象徴、その真理が歴史上に影を落したもの、結局のところ無くてもすむものではないのか。人間イエスにおいて全人類の罪に対する刑罰を神が執行したとする刑罰代償説の代りに、父なる神と子なる神との間の相克が北森教授によって主張される以上、こういう批評が出てきても止むを得ないところがあるのである。こういうところに、医学博士小田切信男氏による北森教授に対する強い批判の原因の一つがあったと思われる。(YMCA同盟発行『開拓者』昭和30年12月号より同31年6月号にわたる両氏の論争は実に興味深い。)小田切氏の批判の一つは、神が罪への怒りをそそぐ当の相手であるキリストが神であってはならず、神とは断絶した徹底的な人間でなければならなかった、というところにあった。小田切氏には、贖罪を歴史的出来事とする点での情熱が強烈であったと思える。われわれはここで、キリスト教のもつ歴史性に対する神の痛みの神学のこういう態度が、神学として正しいか誤っているかを言っているのではない。ただ北森教授の思想の真相を理解したいのいである。

 これとの関連で非常に重要なのが、「神の本質としての痛み」(10)という北森教授の発言である。一体教授は、この「本質」という言葉によって何を意味されているのであろうか。正直のところ、それがわれわれには理解できない。古典的神学が神の本質について語る時には、創造の業さえもご自分の存在のためには必要としないような神の永遠性を言うのである。周知のように、こういう思索は、永遠と時間との質的相違を前提としていた。人間が生きているこの時間には、過去があり現在があり未来があって、現在にいる人間には、過去はすでに過ぎ去って変更不可能なものであり、未来は自分の手中になく不可見であり、その未来に向って決断しなければならない現在は不安に満ちている。ところが、永遠に住み給う神には過去・現在・未来の区別がなく、すべてが永遠の今であり、従って、神には不安などはあり得ない。つまり、神には変化もなく、不安や苦しみもなく、すべてが既に解決されている。これが神の 不受苦性 (impassibilitas Dei)の教理であった。北森教授が、神の痛みは神の本質に属するという時に、この古典的な永遠観に立って発言されているのであろうか。もしそうであるなら、神は創造以前より永遠にわたって痛み苦しむ存在であるということになる。あるいは、北森教授は、これを有限の神の思想に接近された頃の考えに立って発言されているのであろうか。その場合には、ルターの属性の交通(communicatio idiomatum)の思想も生かし得て、人間キリストの苦しみが属性の交通によって神にまで移行し得る訳だが、しかし、有限の神の思想に立っているが故に、そこでは永遠と時間の質的相違は失われ、 かつて 神はそういう本質をもっていなかったが、キリストの出来事以来、そこから始まって、消えることのない、本質に属する傷痕を負った、ということになる。つまり、この場合には、永遠は時間的なものになるが故に、神にも過去・現在・未来の体験があることになり、神もいわば不安を覚える存在、――エドウィン・ルイス(Edwin Lewis)の言柴で言えば――冒険者(Adventurer)となる。事実、プロセス神学者たちの神観にはそういう要素があるのであり、そういう要素と、われわれの救が神に依存しているお蔭で全く確かであるということとをどのように調和させるかが、こういう神学の一つの課題なのである。北森教授において、エレミアの見た神の痛みという一つの歴史的出来事と、歴史上ではそれから後のイエスの出来事と、永遠なる神の本質の痛みとは、永遠と時間の問題をめぐってどういう関係を保っているのだろうか。残念ながら今迄のところ、この神学からこれに関する明確な答えは出てきていない。(11)


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(3)

 今日の世界の神学界では、神の不受苦性という古典的なキリスト教の教理は大体において不評判であり、何故に初代教父たちがあれ程に父神受苦説(patripassianism)に反対したのか、今の人々にはほとんど理解されなくなってきていることは事実である。こういう状況と――われわれにとっても大変嬉しいことであるが――北森神学がヨーロッパの神学界で高い評価を受けつつあることとは、われわれには無関係であると思えないのである。ところで、北森教授に言及している神学者たちの思想を取り上げる前に、われわれはここで北森教授の神学と父神受苦説との関係について一応の決着をつけておきたい。

 ヒッポリトゥス(Hippolitus)によると、「キリストご自身が父なる神であり、そして、父なる神ご自身が生まれ、苦しみ、死んだ」(12)ことを主張するのが父神受苦説であるが、北森教授は、こういう意味での父神受苦説から自分の立場が全く違うものであると確信しておられる。北森教授によると、父神受苦説には父なる神と子なる神との間に明確な人格的区別がない。従って、父神受苦説においては、子なる神において苦しむのは父なる神ご自身であり、そこには北森教授の考えておられるような、父なる神と子なる神との間の緊張関係に由来する痛みはないのである。この緊張関係とは、子なる神に怒りをもたれる父なる神と、その父なる神の怒りを耐える子なる神との間のものであり、しかも、このように緊張関係をもつ父なる神と子なる神とが一つの本質に属するが故に、神の摘みが存在し得るのである。神の痛みとは、分裂を越えた統一なのである。北森教授によれば、父神受苦説は神の中におけるこの分裂、この緊張関係を知らないのであり、それは、全体としての神が外から来るものを受けとめるところで、神の苦しみを語っているのである。(13)

 われわれは、この点で二つの事柄を言わねばならない。先ず第一の事柄を言うに当って、われわれは、フォーサイス(Peter T.Forsyth)が、自分の説が父神受苦説と見倣されても構わないとしながらも、苦しみにも二種類あるとしたことを言わねばならない。フォーサイスによれば、それらは、 同一性の苦しみ (the suffering of identity)と 同情の苦しみ (the sufferring of sympathy)とである。そして、父なる神が子なる神として苦しんだ、というような同一性の苦しみの主張はサベリウス的であるが、自分は父なる神が子なる神と共に苦しんだと言っているのであるとフォーサイスは主張する。彼によれば、イエスの十字架の死が、母マリアの胸を悲しみで貫いたとするなら、それはまた当然、父なる神や聖霊なる神の心を痛みでさし貫いたと言わざるを得ない。このように子なる神の苦悶に、父なる神も聖霊なる神も同情において参与したのである。(14)ところで、われわれの興味を引くのは、初代教会が父神受苦説と激しく戦っていた頃、フォーサイスの主張するような同情の苦しみも父神受苦説の一つの型と見られていた事実である。テルトリアヌスはきわめて明確に主張する。ある存在が他者に同情し、他者と一緒に苦しむことは、その存在が苦しみを受容することのできる本質をもっていることになり、こういうことを父なる神にはもちろんのこと、子なる神にも聖霊なる神にも許容できない。テルトリアヌスによれば、キリストの苦しみは人間としての苦しみであり、人間としてのキリストに対しても、またわれわれに対しても、神の働らきは、その苦しみの中でご自分も苦しむことの中にあるのではなく、われわれにその苦しみを耐え抜き征服させるように神は働らかれるのである(15)。

 ところが、既に述べたように、北森教授はご自分の立場は、父なる神ではなく子なる神が犠牲の死の苦しみを休験するのだから父神受苦説ではないと言われる。成程これは父神受苦説をどのように定義するかに依存することではあるけれども、少くともテルトリアヌスによれば、北森教授の立場も父神受苦説に含まれてしまう。もう少しこの点を詳しく言うと、北森教授の主張では、伝統的な内在的三位一体論の重要な主張たる、神が永遠の昔においてそのみ子を生まれたということは、父なる神が 痛みつつ そのみ子をポンテオ・ピラトの下で十字架上の犠牲とされたという事実に従属するのである(16)。ここでは、歴史( 時間 )の中の出来事である十字架を、浮彫りとするための背景としてしか 永遠 が問題にされておらず、既に述べたように、北森教授が有限の神の思想を押し進めてプロセス神学を採用し永遠と時間との質の相違を抹消でもしない限り、これは到底われわれには理解できない北森教授の発想である。それはさておき、教授によってみ子を犠牲にする父なる神の痛みが、自分の子を犠牲に供する人間の父親の感じる痛みや苦しみによって例証されていることは、この点での教授の立場がフォーサイスと同じであり、かつ、テルトリアヌスが父神受苦説として非難したものであることをわれわれに納得させる。

 第二に、北森教授の主張と、アウグスチヌスの三位一体論の中にある「外のものに向っての三位一体の働きは分けられない」(opera trinitatis ad extra sunt indivisa)という主張との関連である。われわれは別にアウグスチヌスやその他の初代の教父たちの思想に恋々としている訳ではないが、アウグスチヌスのこの主張は、三位一体の神は 唯一の神 であるが故に、歴史に対する神の働らきかけは分けることができないものだ、ということを強調して、神を分割して三神論になったり、あるいは、神のうちのある部分――厳密に言えば、あるペルソナ――だけを信仰の対象にし他の部分を顧みない、というような危険を防ぐためのものであった。さて、北森教授の言われる、父なる神とみ子との間の緊張関係、分裂を越えての統一は、われわれのようにルター派でない神学に強く影響された者から見ると、神のなかに思考上で一度でも分裂を許してしまった以上は、アウグスチヌスが防ごうとした危隙に近付いたものと見倣さざるを得ないのである。『神の痛みの神学』における父なる神と、み子との分裂は、神の内部だけの分裂ではなく、歴史に対する両ペルソナの働きかけの分裂でもあるのだから。

 われわれはこれ迄に、痛むとか苦しむとかいう、人間が日常生活で使う言葉を神に当てはめた場合に、種々と複雑な問題が惹起されるものであると気付く程度には、この問題に関して検討してきたと思う。つまり、神がわれわれを愛して下さる、憐れんで下さる、同情して下さる、ということの中には問題が一応はないのであるけれども、そのために神が痛んでおられる、神が苦しんでおられる、と言い始めると、そこにはなかなか難しい問題が起ってくるのである。痛みや苦しみには、助けてあげたくても助けられない、防いであげようと思ったけれどもそれができなかった、というような人間の有限性と弱さが滲み出ているのである。従って、こういう言葉を神に関して使用する時には、神もそういう弱さと有限性とをもつことになるが故に、初代の教父たちはこれに反対したのである。それ故に、今日の神学者たちの間で、別に自分たちの主張が父神受苦説であると言われても構わないと思っている者たちが多くなって来ている事実は、それらの神学者たちが自覚しているにしろ自覚していないにしろ、彼らの思索が何らかの形でプロセス神学に接近している証拠なのである。そのことが、神学的に見て良いか悪いかは別問題であるが。

 神に痛みを帰することが、また、神に帰した痛みの内容が、神学的にこれ程に複雑な問題性を妊んだ事柄なのであるから、ヨーロッパの神学者たちの中に北森教授に賛成して神の痛みや苦しみを説く人々が多くなってきているという現状を見ても、彼らが果して北森教授の言う神の痛みと同じ事柄を言っているのかどうかについては、われわれは改めて考えてみる必要を感じるのである。 

北森教授は前出の論文「最近のキリスト論の特質」の中で、ご自分の神学を引用している神学者たちや、そうしていない神学者たちを合わせて、自分の立場に近い人々何人かの名前を挙げておられる。先ず、ユダヤ教の神学者へッシェル(Abraham Heschel)があげられているが、ヘッシェルの説くヤーウエの痛みが、結局のところヤーウエの本質にかかわっていない点で、北森教授は批判的である。キリスト教の神学者では、カール・ラーナー(Karl Rahner)、ヘリベルト・ミューレン(Heribert Mühlen)、エーベルハルト・ユンゲル(Eberhard Jüengel) 、ユルゲン・モルトマン(Jüergen Moltman)、ドロテー・ゼレ(Dorothee Sölle)があげられている。そのうちモルトマンに関しては、北森教授は「父神受苦説では、十字架上で苦しみ死んだのは、父なる神自身であったとされるが、モルトマンの場合には、十字架上で苦しみ死んだのはみ子であり、み父ではない。そのみ子の死を、生きたもうみ父が痛みとして苦しみたもうのである。モルトマンの表現でいえば「それは父神受苦論 Patripassianismus ではなく、父神共苦論 Patricompassianismus である」と言っておられるが、既に検討してきたところから明らかなように、少くともテルトリアヌスによれば、モルトマンの言う父神共苦論も父神受苦論であったと言わざるを得ないであろう。

 北森教授が引合いに出されたこれらの神学者は、われわれの見るところでは、決して皆が同じ意味で神の痛みについて語ってはいない。われわれは、現代の神学者たちが神の痛みや苦しみを語る際に、大体二つの神学の系統に立って発言していると思う。一つは、教会教父の代表人物の一人をとって言えば、アタナシウスの系統に立つものであり、もう一つはルターの系統に立つものである。カトリックのラーナーはさておいて、プロテスタントの陣営に属する人々で北森教授の引合いに出された神学者たちを、この系統区分に従って一応分類してみると、アタナシウスの系統に立つ者たちは、ゼレ、ユンゲル、モルトマンであり、ルターの系統に立つのが、北森教授及びモルトマンである。これで明らかなように、モルトマンには、どちらかというと両系統に対する綜合的な姿勢が目立つ。

 神の痛みを主張する人々の一つの系統の初めに、われわれがアタナシウスを置くことは確かに奇妙でもある。何故なら、周知のようにアタナシウスは、神の不受苦性の代表的な主張者であったからである。しかし、われわれがアタナシウスをここで持ち出した理由の一つは、北森教授のアタナシウスへの態度に関するわれわれの考察も兼ね行いたいからである。ニカイア信条とアタナシウス信条に結晶した神観は、一つの本質における三つのペルソナ(tres personae in una substantia)であるが、北森教授は、アタナシウスが見た神の 本質 が、聖書に示されている神の真実の姿のもつ一つの決定的なもの、つまり、神の痛みを失っていると批判され(17)、しかも、ペルソナという語も、カパドキアの神学者たちが既にそうしたように 存在様式 (tropos hyparxeos)の意味であって、ここにも 本質 と同じように、今日のわれわれが言う意味での人格的なものはない、と批判される。

 われわれは、アタナシウスにはその神の 本質 の理解に痛みの要素がなかったという点で、また、アタナシウスが使ったペルソナという言葉が今日のわれわれが使う一主体人格ではないという点で、北森教授の批判は正当であると思う。しかし、アタナシウスの言う神の本質に痛みがないからと言って、あるいは、三位一体の各位格を表現するペルソナという言葉が今日のわれわれの言う意味での一主休的人格ではないからと言って、その理由から北森教授が、アタナシウスの神観が非人格的なもの、アリストテレスの、自己自身は動かないで他のすべてを動かす始動者(the Unmoved Mover)の如きものというような印象を与えようとするならば、それは大変な誤りである。ネオ・プラトン主義に影響された教父たち――アタナシウスも含めて――は、そういうアリストテレス的な静かな神を考えてはいなかった。アタナシウスの神の本質に痛みがないのは、痛みが死や苦痛に対する敗北や弱さを表現するからであり、ペルソナという言葉が今日のわれわれが言う一主体的人格を意味しないのは、――現代神学でも神の 人格性 とは何かという大いに論議されている問題ともかかわることだが――三位一体の各位(ペルソナ)ではなく、全体としての神こそが主体的だからである。

 初代の教父たちの神観が非人格的・静的なアリストテレス的始動者でなかった一番良い証拠は、アタナシウスをも含めて彼らの贖罪論がアウレンの言う古典説、あるいは、劇的説であったことである(18)。教父たちの贖罪論は、後のアンセルムスの満足説やカルヴァンたちの刑罰代償説とは異なり、神に対して罪を犯したために悪魔の虜となっている人間を救う目的で、神が悪魔に戦いを挑み、キリストの十字架において最大の悪魔的なもの、神の最後の敵である死の手中に神ご自身が入りこまれ、そこで死を打ち破り、遂に神が復活の勝利を得られたと主張したのである。つまり、ここでは神と悪魔との戦いのドラマが歴史を舞台として行われているのであり、神の痛みを教父たちが言わなかった理由は、神は悩み苦しめる人間にかかわりをもたない無関心の存在である、というような神観を彼らがもっていたからでは全くなかった。それとは逆に、人間のために戦う愛の神が、苦しみや罪や死や、その他一切の悪魔的なものに勝ち得てあまりある存在であることを、また、この神に頼る時に人間に与えられる 救の確かさ を、教父たちは言いたかったのである。

 アタナシウスの主張によれば、死は、罪を犯した人間に対して、神から刑罰として与えられたものであるが、しかも、神は、その死――これは神から一応独立して神の刑罰を執行する訳だが――を悪魔的なものと見倣して、これと戦うのである。ここには、戦いのドラマの主役が神と悪魔とであるという意味での二元論が存在すると共に、悪魔的なものたる死さえも使って人間の罪を罰し、しかも、その悪魔を完全に敗北させることのできる神という究極的な一元論が見られる(19)。また、アタナシウスには、P・T・フォーサイスその他が展開したような、いわゆるケノーシス・キリスト論は全く存在しない。ケノーシス・キリスト論は、神がイエスに受肉されるに当って、人間となるのに邪魔となるような神の属性を棄てられたと主張するものであるが、アタナシウスの場合には、イエス・キリストの神性は不変・不受苦である(20)。更に、神学的に言って正しいかどうかは別として、アタナシウスによる神の不受苦性の強調が、どれ程に彼の神学の中核に位置していたかを知るための手段として興味深い事柄は、何故にキリストは十字架上で死んだのか、という問いに対するアタナシウスの答えである(21)。キリストを信じた信者もいずれは死ぬ訳であるが、それは、罪によって既に腐敗している身体を脱ぎ捨て、キリストの復活の力にあずかって死に打ち勝ち、新らしい生命を与えられるためである。では、その必要がなかったキリストは、何故に死んだのか。アタナシウスがあげる理由は、普通人の死に方、すなわち、罪のために弱り腐敗した身体が時がたって病に侵されて床につき、死んで行くというような死に方をキリストはすることができなかった、ということである。キリストは、公に衆人環視の中で無理矢理に殺されたのであるが、このようにして初めてキリストは、われわれの如く、罪のために弱くなり腐敗し、やがては死なねばならないような身体をもっていなかったことが明らかになったのである。しかし、そういうキリストは同時に、他の罪人たちを死から救い出し、また、腐敗した身体から救い出すために、死を滅ぼさねばならなかった。そこで、キリストは、死の中に飛び込みつつそれを征服して復活するために、すべての人を悪魔的な死から贖うために、十字架上で――神のみ子は自分からは死ねないので―― 殺された のである。どうもアタナシウスは、イエスの十字架上の叫び、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)さえも、キリストの弱さの表現とは把らなかったようである。むしろ、これを父なる神へのキリストの祈りと見て、それに対する父なる神の応答が、キリストの死を他の死から区別した奇蹟、すなわち、太陽が暗くなり、地が振い動いた事実である、とした(22)。つまり、アタナシウスにとっては、苦しむ人間たちを救うためには、どうしてもキリストの神性はそれらの苦しみを耐え通し、遂にはそれらを征服できる力たる不受苦性のままでなければならなかったのである(23)。

 ところで、われわれは、アタナシウスには神と悪魔との二元論があること、それにも拘らず、神は決して少しも悪魔に対して弱みをもたない全能の支配者であるという点では究極的な一元論があることを見てきたのであるが、この一元論の方が崩れ去ったならばどうなるであろうか。そこには二元論たる歴史の中での悪魔的なものとの神の闘争のドラマ、つまり、時間の中での神の働きだけが残り、神はプロセス神学の主張する如く有限となって、愛のために痛みも苦しみもする存在となる。神が痛み苦しむという思想をもつ現代の神学者たちが、皆ここまで深く考えているかというと、われわれは、正直なところプロセス神学者たちを除いては、神学者たちがこの問題をそれ程深く考えているとは思えない。そして、プロセス神学の批判される点も、まさにわれわれが指摘したところに、すなわち、一元論的なものがなくなってしまった後で、どのようにしてこの神学は救いの確かさを信者たちに与えることができるのか、というところにあるのである。

 われわれがアタナシウスを現代の神学界で神の痛みや苦しみを説く神学者たちの一つの系統の初めに置いたのは、アタナシウスが贖罪論において展開したところの二元論からは、前述したような形態での時間のドラマの中で働く有限の神――現代の神学者たちが、その点で自分たちの神観がそういうものであると自覚しているかどうかは別として――の思想が、当然出てくる可能性を考えたからにすぎない。北森教授が引き合いに出されたゼレは、われわれの見るところでは、神の痛みや苦しみを言いながら、しかも、神の全能の観念にしがみ付いて行くことはできないという事情に、冷たく目覚めていた神学者の一人である。


 全能者の正義から、彼は「理由があるから」こそ悩ますのであり、しかも犯された不正にはもう全く関係もなくなっていても彼の災いが下されたという場合でさえも、そうなのだということになる。神の全能と正義という両前提は、あらゆる苦しみは罪の罰であるという結論に導く。・・・あらゆる苦しみは罰であり試験であり教育である、神がわれわれに近づき、魂そのものを得ようとする試みという結論に導く。・・・いずれにせよ愛と、全能とをいっしょにするわけにはいかない。この神に対する現代の抗議に永続的権利があるのは、苦しみ、罪のない者の苦しみがあるからである・・・。 (24)


 要するに、ゼレによれば、何の役にも立たない、無意味な苦しみが人生には多すぎるのであって、神は全能ではなく、こういう不条理に苦しむのである。この意味でゼレは、初代の教父たちのアパティー(不受苦)の神を否定する(25)。そして、ゼレの神は「われわれの無限の、愛しうるという能力についてのシンボルであ」(26)り、歴史に内在し、人間に内在して働らく愛の創造的な力であって、伝統的な神学の言う超越者ではない。そぅいう超越者はいないのであり、「神はわれわれの手以外の手をもっていない」(27)。こういうゼレであるから、彼女が北森神学に触れる時には(28)、われわれが現実の痛みへの奉仕を通してこそ神の痛みへの奉仕がなり立つという点と、神の痛みがこの現実に対する(恐らくゼレは言いたいのだが、人間の苦しみに同情し、この苦しみを与えるものへの)怒りから、また、現実に対する無条件の愛から成り立つという点とを指摘する。残念ながらゼレは、第二の点で、すなわち、人間の苦しみに同情して神が苦しむというように北森神学を理解した点で間違っていた。北森教授の神学には、今までのところ、歴史の中の人間の苦しみに同情して神が痛み苦しむという思想はない。既に指摘したように、その神学の中に潜在している有限の神という観念を、教授がこれからでも展開すれば話は別であるが。

 エーベルハント・ユンゲルも、北森教授が引合いに出されるにも拘らず、教授とは違った意味での神の痛みや苦しみを語っているのである。ユンゲルはイエスの死の神学的誤解とも言うべきもの、「あたかもイエスの死が神の怒りをなだめるために献げられた人間の犠牲であるかのように」語ることを拒否し、「イエスの死の関連において犠牲について語られるとするならば、それは神の彼岸性、神の触れることができない性格、神の絶対性が犠牲にされることを語っている」となし、神の方がイエスの死によってこの世と積極的に和解したのである、とする(29)。確かに、ユンゲルの言う通り、この世に対しては神の方が先手を打って和解の手をさし伸べたのであり、この点ではユンゲルは全く正しいし、北森教授とも同じ立場である。しかし、ユンゲルは、そういう和解の中でならイエスの死を神の怒りをなだめるものと見倣してもよい、神の先手を打った和解の枠の中であれば刑罰代償説的なものを生かしてもよい、と言っているのであろうか。どうもそうではないように、われわれには思われる。ユンゲルは既に引用した言葉に見られるように、イエスの犠牲を、神が自己の彼岸性や絶対性を犠牲にする、つまり、神が超越性を犠牲にしてこの世界に内在して働き、人間との苦しみを共にするという象徴と見ているのである。従って、ユンゲルの言う神の痛みや苦しみはゼレの言うそれに近く、(み父とみ子の間の刑罰代償説的関係を主張する限り、刑罰代償説に近い)北森教授のそれからは遠い。

 更に、われわれのユンゲルについての解釈の正しさを立証するように思われるのは、ユンゲルがイエスの死を、神と死との戦いのドラマの中の出来事として理解する方向を取っていることであり、これは刑罰代償説からは遠く、むしろアタナシウスたちの古典説に近いのである。


 もし神の死んだイエスに対する関係を、この死者との自己同一視と理解すべきならば、神の生は死者と一つになった――いわば最高の逆説的同一性と言われる。このような生ける神と死せるイエスとの間の逆説的同一性は、神御自身が死と触れたのである。このように死と触れることは、神にとって死すべきものとしては終わらない、むしろ無き者を有る者へと、もはや無い存在者を新しい存在へと呼び出すお方として啓示されたのである。 (30)


  生と死とを死人の中よりのよみがえりと名づけるにふさわしい新しい関係にもたらすために、神は愛によって死の苦痛にあずかる。神が人となったという古代教会の命題は、同時にまた以上のことを言い表わすことなしには、語ることを許さない。神が人間となったということは、神が死の悲惨を人間とともに分かつということをうちに含んでいる。 (31)


 神が死を征服するために、イエスの死において死と触れ合ったというユンゲルのこれらの発言は、アタナシウスから一元論的なものを取り去った場合に、そこに出てくる二元論的なドラマだけのものと内容的には全く一致すると言っても過言ではない。アタナシウス的な一元論がない場合に救いの確かさをどのようにして確保するのか、一元論なしでどうしてユンゲルは、神が必ず死に打ち勝つと確信できるのか、というような疑問が残るにしても、ユンゲルのようにアタナシクス的二元論を神と死との戦いに移しかえた場合には、神を人間の苦しみにより近く立つ、現代人の要求に応じた親しみやすい存在にすることが確かに可能なのである。

 現代の神学界で神の痛みや苦しみを語るもう一つの系統の初めを、われわれは宗教改革者マルチン・ルターに見ている訳であるが、既にわれわれはルターには属性の交通(communicatio idiomatum)の教理があることを検討した。『食卓語録』の中で(32)、ルターは、十字架上でキリストの人間性だけが苦しんだという思想に反対して、キリストの人間性のみならず神性も苦しみ、かつ、死んだと言っている。これは明らかに、キリストにおける神性と人間との間の属性の交通から由来したルターの発言であるが、この他に、北森教授の神の痛みの神学を支持するものとなっているもう一つのルターの重要な発想が存在するのである。ルターの中には、アウグスチヌスの「外のものに向っての三位一体の働らきは分けられない」というあの発言と衝突するような要素、神の贖罪の業において父なる神と子なる神とに別々の役割を帰すような傾向が確かに存在するのである。罪人への神の怒りはほとんど父なる神に帰せられ、神の愛がほとんど排他的に子なる神に帰せられていると見えるルターの言葉が存在するのである。ルターの大きい方の『ガラテヤ書講解』(ガラテヤ書3:13の個所)を引用しながら、アウレンは、ルターの場合には、神の怒りが人間を責める悪魔的暴君の中の一存在と考えられているので、ルターには、神ご自身の中にその怒りと愛との闘争を運び込んでしまう傾向がある、となして次のように書いている。


 しかし、神の怒りは神の意志と一つであるけれども、しかも尚ルターによれば、それは暴君、しかも、あらゆる暴君たちの中でもっともいやな、そして恐るべき存在なのである。それは、神の愛に反対して立っているが故に暴君である。この点で、神ご自身の闘争と勝利とは、ルターによって、われわれがこれ迄に出会ったどんなものよりも逆説的な鋭さにまで連れてこられている。ほとんど闘争が神の存在自体の中にまで運び込まれたかのように見えるであろう。ルターはここでわれわれに神の呪い、怒りと、神の祝福、愛との間の二律背反、闘争を見せているのである。 (33)


 北森教授の神の痛みの神学がこういうルター的な伝統に立つものであることは、これ迄述べてきたところからきわめて明瞭であるが、現代の神学界で矢張りルター神学の伝統に立つモルトマンは、恐らく北森教授の神観に最も近く立つ人物であろう。彼は最近の著書『十字架につけられた神』(34)の中で、北森嘉蔵教授の名前を二度あげ(35)、自分の神学に近い思想を持つ神学者として高く評価している。モルトマンは、まるで北森教授が書いた文章ではないかと思ってわれわれが読んでも、それ程不思議ではない思想の展開を記している。


 十字架の神学は、神に棄てられた中で死んで行ったイエスという第三の次元を取り上げ、徹底的に考え抜かねばならない。もしも父なる神に棄てられて、イエスが「神の栄光」の中へと甦えらされたのであるならば、その時には、イエス・キリストの十字架を信じる終末論的信仰は、神と神との間の神学的裁判を承認しなければならない。み子の十字架は、神と神とを敵意と分裂との極限まで分けてしまうのである 。(36)


 つまり、モルトマンの思想においても、十字架において父なる神(の怒り)とみ子なる神(の愛)とが戦うのであり、この点でモルトマンはルターの伝統に忠実である(37)。更に、父なる神は、そのみ子を犠牲に供する際に無限の愛の痛みを覚えるのであるが(38)、これは全く北森教授の発想と同じであり、モルトマンはむしろ、もっと明瞭に北森教授への神学的負債を感謝と共に述べるべきではなかったか。

 前に引用したモルトマンの言葉の中には、「イエス・キリストの十字架を信じる終末論的信仰」という発言があるが、これは恐らくモルトマンが強調する、神学における 希望の次元 と関係があるのであろう。われわれは、モルトマンの説く希望であるところの、世界史内の終末的神の国の到来は、黙示文学の千年王国の現代的変奏曲としか思っていないのであるが、モルトマンによるこのユートピアへの期待は、無から有を創造し得る全能の神の約束に依存している(39)。もしもこういう伝統的な全能の神という神観をモルトマンが固持するならば、到底有限の神を主張するプロセス神学へのモルトマンの接近は考えられない筈である。ところが、実際には、モルトマンはプロセス哲学に同情的であり、これを三位一体論の中で生かす可能性を考えているようである(40)。歴史を神と人間との契約によるもの、すなわち、神の自由と人間の自由との織り成すものと考えるモルトマンにとっては、このことは当然の成り行きなのかも知れない。この事実からわれわれが認めねばならないことは、モルトマンの場合には、歴史をドラマと見るアタナシウス的系統において、神の痛みや苦しみを語ることができることである。つまり、モルトマンは両方の系統に立っている。

 いずれにしろ、モルトマンの場合には、復活の次元、歴史の終末における神の約束の成就が強く説かれているのであるが、恐らくはそのことと無関係とは思えないのが、ユダヤ教の神学者へッシェルに賛成してモルトマンが、神の痛みや苦しみを神の 本質 の中には持ち込まずに、神の歴史に対する関係の中だけに限定していることである(41)。恐らく、歴史が終って、神が痛みや苦しみを克服し、それらを永遠の浄福――そこには痛みも若しみもない――の中に呑みこんでしまう希望をモルトマンは考えているのであろう。三位一体論の中でプロセス哲学を生かそうというモルトマンの試みは、神の痛みに即して言えば、痛みは神の永遠の内在的三位一体論の問題ではなく、時間との関係における経綸的三位一体論の問題である、ということになる。北森教授の場合には、神の痛みが神の本質であるとされ、――北森教授の中に存在しているプロセス神学への方向が、徹底されていないことと無関係であろうとはわれわれには思えない事情なのだが―― 痛みに対する神の勝利は、いつも再び破れる という面が強調されている。歴史の終りにおける、歴史の諸悪に対する神の勝利の至福の幻視について――神の永遠の本質における痛みを言う以上、これをどのように北教授が考えておられるのか、甚だわれわれの興味をそそるが――北森教授は語っておられないので、個人の罪に対する神の愛の勝利について語っておられるところを引用してみよう。


 さて神の愛に背いている罪人に来る神の愛すなわち神の痛みの中に於ては、罪人は全く神に従順なる者として征服せられる。従順とは神の愛から離れないことであるが、今や罪人を捉える神の痛みからは如何にしても離れ得ぬからである。ここに起きることは罪人に対する神の勝利である。神の痛みの勝利は、この痛みをも突き抜けたひたすらなる愛即ち神の痛みに基礎づけられし愛である・・・。 (42)


ここでは個人の信者に対する神の愛の勝利が語られているのだが、その場合の神の愛は 痛みに基礎づけられた愛 である。北森教授は愛の秩序として第一に 神の愛 をあげ、これは「何らの障碍もなく 直接的に 対象に注がれる(43)」(傍点は北森教授)ものであるとし、第二は神の痛みであり、第三が「神の・・・愛(44)」と表現されるもので、これが「赦しの愛たる痛みが罪人をば神に全く従順なる者として征服(45)」した神の痛みに基礎づけられし愛である。このような愛の秩序を見る限り、北森教授の神学の中に福音のもつ終末の、痛みを忘れる勝利のどよめきを聞くかの如き感があるのであるが、しかし、「三つの愛の秩序は結局神の『痛み』という一つの秩序の中に含まれる」(傍点は北森教授(46))と言われているのを聞くと、またわれわれは、もとの場に連れ戻される。第一の神の愛は、われわれの罪の故に現実には神の怒りとなり、われわれは第二の神の痛みに追い込まれるし、第三の「神の・・・愛」は、われわれの罪が死んでいながらしかも叛逆するが故に、結局のところわれわれは神の痛みにつれ戻される。「されば神にとっては『痛み』こそ 一切 であり 永遠 でなければならぬ」(傍点は北森教授(47))。まさに痛みは神の 永遠の本質 なのである。

 従って、歴史の中の人間が神を証ししようとすると、北森神学の場合には、どうしても人間の 痛み を通して、神の 永遠の本質たる痛 みを証しすることになり、人間が痛みなき社会を造りあげることはそれに対して従属的なものとなる。北森教授において事情がその通りであることの証拠は、歴史の終り、神の国の到来が、人間の痛みの徹底と相関関係にあるという既に述べた事柄であろう。モルトマンが歴史の終りのユートビア的希望を説き得た一つの原因は、彼が痛みを神の永遠の本質としなかったところにあるのではないか。更に、この事情の証拠となるのは、北森教授の 痛みの修道院的理想 とでも言うべきものの提唱である。北森教授は福音史を「痛みの時代」と「喜びの時代」とに分け、「痛みの時代」においては神の痛みを証しするのは比較的に容易だが、「喜びの時代」においては神の痛みを証しするために、自らの上に痛みを招きよせる特別な人間たちの集団が必要であると主張し、これとの関連で独身制のもつ意味さえも評価されている(48)。これは、人間たちに幸福な時代がくると神が忘れられてしまうのではないか、と恐れているような発想であるが、そういう時代が来て忘れられるような神は果して本当の神なのであろうか、という疑問をわれわれは持たざるを得ないのである。
 


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(4)

 拙著『実存論的神学』(東京、創文社、昭和39年)及び『実存論的神学と倫理』(東京、創文社、昭和45年)において表現された実存論的神学の立場と、フリードリッヒ・フォン・ヒューゲル(Friedrich von Hüegel)に強く影響されていた時代に書いた拙論『神の不受苦性』(Impassibilitas Dei,1955)に表現されている神秘的存在論とを綜合し始めている現在の自分の立場から見て、永遠と時間との関係を考える上では、これ迄に取上げたいずれの神学にも満足できないのである。例えばモルトマンのように三位一体論の中にプロセス哲学を位置付けて行くことは、一応無難のように見えるけれども、矢張り、永遠の本質における神の痛みを言わずに、歴史との関係だけでそれを言うことが何故に可能なのか。これでは神の永遠の本質と、時間の中での神の行動の性格とが、互いに異ったものとなり矛盾してこないであろうか、という疑問が消えないのである。初期には、神の痛みや苦しみを肯定していたカール・バルトが、やがて神の不受苦性に立つようになったのも、神の啓示は神の永遠の本質の啓示であり、その本質と異った仕方で神は歴史の中で行動されないという確信からであった(49)。つまり、繰り返しになるが、 とか、 あわれみ とか、 同情 とかの人間的感情を、神の働らきの象徴として用いることは一向に差支えない、否、実に欠かせない事柄なのであるが、しかし、人間の愛には 痛み 苦しみ が必然だからという理由で、痛みや苦しみという象徴を神に当てはめることは、神学的に無理なのである。その理由は、これ迄のところで相当程度明らかになったとは思うが、尚付加しなければならない事柄がある。

 第一に、永遠なる神の本質が 祝福 に満ちたものなのか、それとも 痛み なのかは、われわれの日常行動に大きな影響を与える問題なのである。何故ならば、信仰者の生きる意味と目標とは、究極的にはこの神との神秘とも言える深き交わり、一体化だからである。祝福に満ちた神の中に深く沈み行くことがわれわれの終局の目標である時には、痛みや苦しみそれ自体は、どう考えても排除されねばならない悪なのである。このことは、歴史上のわれわれの体験として、善を成就するために十字架や痛みや苦しみを通過しなければならないという事情が存在しても、別に変らない。そういう通過は止むを得ざるものであって、できればそういうことなしに善が成就された方がよい訳である。神の永遠の本質に痛みをたとえ少しではあっても帰することは、痛みや苦しみを何かそれ自体で良いものである、ということにしてしまう。神の永遠の本質に痛みを帰することなく、神と歴史との関係においてだけ痛みを言おうという発想も、神の永遠と時間とに対するそれぞれの対応に分裂を見るという矛盾をもたらすのみならず、これも矢張り、何らかの形で痛みや苦しみを神に帰することによって、それらを神聖視することである。マーシャル・ランドラーズ(Marshall Randlers)が言うように「幸福は、正義や愛のように倫理的優越性をもっていない。しかし、それは、それにも拘らず良きものなのである。幸福は密接に倫理的善と結合している。実は、倫理的善の結ぶ実なのである(50)」。もちろん、ランドラーズがここに言う幸福は利己主義的なものでなく、前にあげた祝福に相当する。倫理的善の結ぶ実が蔑にされるところでは、いつのまにか何が倫理的善であるかという善の本質が変えられてしまい、不幸そのものの美化や賛美が始まり、長い目で見れば人間から歴史変革の希望と、それへの努力を失わせる。

 第二に、多くの人々が神に痛みや苦しみを帰する理由は、苦しめる者への愛や同情は必ず痛みを伴うという発想にあると思われるが、このことは真実ではない。同じ量の苦しみをもった人が、必ず同じ量の苦しみを持った人を愛し、あわれみを感じるという訳のものではない。むしろ、より少い苦しみの経験しかもたない人でも、愛の想像力をもつ人の方が隣人に対して奉仕を尽す。しかし、有限なる人間の想像力は幾分なりとも同質の経験を必要とするでもあろうが、無制約的な神においてはその必要はない。聖書の中には、神に対してもろもろの感情が、痛みや苦しみをも含めて帰せられているというような反論は、聖書釈義がどういうものであるかも理解できない人々の言うことであり、問題とするにも当らない。そういう人々は、神が立ったり、坐ったり、歩いたり、笑ったりするという聖書の言葉も――自分の神学的立場に首尾一貫して立つならば――文字通りに信じるべきである。
         ′
 第三に、ランドラーズは外科医の例をあげているが、外科医(51)がまだ未熟の頃には、苦しめる病人を手術するに当たり、病人への同情から自分も非常な苦しみを味わうのであるが、時がたつにつれて病人への同情は深まりこそすれ減少することはないにも拘らず、冷静に手術することができるようになるし、また、その方が病人への奉仕として、より役立つものなのである。事実、われわれは、痛みと苦しみの故にふるえている手でナイフをもった外科医が手術してくれるよりも、冷静な外科医が手術してくれることの方を望むであろう。アングロ・カトリックのE・L・マスカル(E.L.Mascall)も同様の事柄を主張しながら、ある人々には驚くべき言葉であろうところのトマス・アクイナスの言葉を引用しているが(52)、われわれもここに引用して見よう。「他のものたちの悲惨を嘆き悲しむ(tristari de)ことは神に属さない。しかし、その悲惨を追い払ってやることは、神にもっともふさわしい」。つまり、神は苦しみや痛みの中へ、ご自身はそれらに侵されることなく、それらを滅ぼすために歩み入るのである。こういう仕方で、われわれは歴史と神との関係、及び、キリストの事実、その(痛み苦しんだ)人性と(不受苦の)神性との関係を考えるべきであろう。

 第四に、神が満ちあふれる喜びであるが故にこそ、われわれは、自己の悲惨と罪とから救われ、その神との祝福の交わりに入りたいとの意欲を与えられるのである。これは利己的な意図からの発言ではなく、むしろその逆である。われわれが何ものにもまさって愛する神を、少しでも痛めつけたり苦しめたりしてまでわれわれは救われたいのだろうか。救われた後、その神との交わりが深められ行くに当って、われわれは自分がつけた神の傷を見ていて、至福の状態にい続けることができる程に無神経なのか。それが親子関係、夫婦関係、友情関係の中であれは、互いに傷つけ合い、また、互いに赦し合い、どんなに互いが痛めつけ合っても、人間のそれらの関係を越えたところに存在する絶対者(つまり、至福の神)との交わりから、それらの関係の中にさえも至福の喜びが滲入してくる。ところが、その神さえも悲しみと痛みとをもつ存在である場合には、一体どこへ行ったらわれわれは祝福と出会えるのか。不条理に満ちた現実に生きているわれわれにとっては、神だけには痛んだり苦しんだりして欲しくないのである。


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(註)

(1)Noro,Yoshio:Impassibilitas Dei,Th.D.Thesis sub. To the Union Theological Seminary, unpublished, 1955,pp.29 ff.
(2)北森嘉蔵『神の痛みの神学』、東京、新教出版社、1946年。
(3)北森神学の基調は既に1940年に出版された『十字架の主』(東京、新生堂)の中に見られるし、1943年に出版された『神学と信条』(東京、長崎書店)に更に発展された形で表現されている。
(4)北森嘉蔵『神の痛みの神学』、55頁参照。ここでは、父の子に対する愛がそのまま罪として書かれている。
(5)同書、54頁。
(6)同書、186−189頁。
(7)北森嘉蔵『神』、東京、創元社、1953年。
(8) 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、4頁。
(9)同書、23頁。
(10)同書、41頁。
(11)同書、43−47頁。三位一体論という永遠の神の本質が、ここでは神がそのみ子を死なしめるという時間的出来事に従属するものとして把握されているが、そうなると永遠と時間との関係はどうなるのだろうか。
(12)Hippolitus:Contra Noetum,i.
(13) 北森嘉蔵『福音の性格』、京都、西村書店、1948年、82頁以下。
(14)Forsyth,Peter T.:Mission in State and Church, London, Hodder & Stoughton, 1908,pp.28 f.
(15)Tertullianus, Adv.Prax. xxix.尚、次の英訳がある。The Writings of the Ante-Nicene Fathers(Grand Rapids, Eerdmans Publishing Co.,1951),vol.3−Tertullian,p.626.
(16)この点は註(11)を参照のこと。
(17) 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、170−174頁。
(18)Aulén,Gustaf:Christus Victor, trans.by A.G.Hebert, London, S.P.C.K.,1950.
(19)Athanasius:”On the Incarnation”,Christology of the Later Fathers, edit by E.R.Hardy,Philadelphia, The Westminster Press, 1956, p.63.
(20)Ibid.,p.71..
(21) Ibid.,p.74−81.
(22) Ibid.,p.104.
(23) Ibid.,p.108.
(24)ドロテー・ゼレ著、西山健路訳『苦しみ』、東京、新教出版社、1975年、40−41頁。
(25)同書、62頁以下。
(26)同書、133頁。
(27)同書、212頁。
(28)同書、67頁以下。
(29)エーベルハルト・ユンゲル著、蓮見和男訳『死』、東京、新教出版社、1972年、191頁以下。
(30)同書、183頁。
(31)同書、186−187頁。
(32)Erlangen Anflage,Band Ivii, S.34 ff及び、次を参照のこと。Mozley,J.K.,The Impassibility of God, Cambridge,The University Press, 1926,p.122 f.
(33)Aulén,Gustaf: op. cit.,pp.130 f.
(34)Moltmann,Jüergen:Der gekreuzigte Gott, Müenchen, Ch. Kaiser Verlag, zweit Anflage, 1973. ここではR.A.WilsonとJohn Bowdenによる英訳The Crucified God, New York, Harper & Row, 1974より引用することとする。
(35) Ibid.,p.47,p.153.
(36) Ibid.,p.152
(37) Ibid.,p.193
(38) Ibid.,p.243
(39)Moltmann,Juergen:Theologie der Hoffnung,Muenchen, Chr.Kaiser Verlag,1966,S.197 f.
(40)Moltmann:The Crucified God,pp.255−256,pp. 270−272.
(41)Ibid.,pp.270−271.
(42)北森嘉蔵『神の痛みの神学』、31頁。
(43)同書、151頁。
(44)同書、155頁。
(45)同書、同頁。
(46)同書、158頁。
(47)同書、159頁。
(48)北森嘉蔵『福音の性格』、74−75頁。
(49)Barth,Karl:Röemerbrief, Zuerich, Evangelischer Verlag, 1949, S.509. また、Barth,K.:The Knowledge of God and the Service of God. London, Hodder & Stoughton, 1949, pp.83−84, esp. notes of p.84 & p.86. これらにはバルトの神の不受苦性に対する動揺が見られるが、以下ではそうではない。Barth,Karl: Die Kirchliche Doggmatik, ?/?,S.567.
(50)Randlers, Marshall:The Blessed GodImpassibility,London,Chaeles H. Kelly, 1900, p.44.
(51)Ibid.,p.106.
(52)Mascall,E.L.:Existence and Analogy, London, Longmans, Green & Co.,1949,p.142.





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入力:平岡広志
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2003.6.1





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