野呂芳男「現代における諸宗教間の対話」1989

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現代における諸宗教間の対話
――集中型と拡散型:エルンスト・トレルチを回想しながら――


野呂芳男

     

初出:『聖書と教会』(3月号)日本基督教団出版局、1989年3月号、8-13頁。




最近「宗教の神学」という用語がしばしば使用されているが、これは1つの前提に立った用語である。古屋氏の定義によると「宗教の神学……とは、数多くある諸宗教とは一体何なのかを、キリスト教信仰の立場から問い研究する神学である」(『宗教の神学』15頁)。つまり、キリスト教の客観的な啓示が絶対視され、他の諸宗教はその啓示の下位に立ち、キリストによる啓示によって偶像崇拝として裁かれたり、積極的に評価されたとしても、せいぜいキリスト啓示に導く自然神学的な導標と見なされる。

 併し、このような対話は相手を見下した姿勢であって、虚心坦懐に相手の言う事柄に心を開いていないと言われても仕方のないところがある。そこで、今日は神学者たちの中にキリスト教の、これまでに言われてきたような意味での(客観的な)絶対性を放棄し、他宗教をキリスト教と対等の相手と見なして、心の奥底まで他宗教の浸透を許し、真の対話を試みようとする人々が若干出現してきた。キャントウェル・スミス(W.Cantwell Smith)やジョン・ヒック(John Hick)たちがそうである。彼らの傾向を私は集中型と見なすのであるが、この型によって意味されているのは、多々ある宗教は実は本質において1つのものであり、従って互いに影響し合い、浸透し合い、いつの日にか1つになり得る可能性をもつ、という主張である。即ち、多から一への傾向を帯びた思考である。彼らの主張をスミスによって代表させてみよう。『世界神学を目指して』がその代表的著作である(1)。

 彼によると、別々の様相を呈している多数の宗教が存在してはいるが、それらが形造る宗教史は1つであり、1つの宗教の本質がキリスト教的伝統、イスラム的伝統、仏教的伝統などの諸伝統において歴史的に展開してきた。それらの伝統は互いに影響し合いながら相集って1つの宗教史の流れを形成し、やがては総合される可能性も排除できない。スミスはこのことを実証するために、幾つかの例をあげている。レオ・トルストイがキリスト教に回心したのは、パーラームとジョサファトという人物の物語を書いた『聖人伝』の中で、野原で猛獣に襲われた男が井戸に落ち、底に墜落するところを灌木につかまってまぬかれる話を読んだことを通してであった。井戸の中の男は、下を見ると竜(死)が彼を飲み込もうと待ちかまえており、上では彼のつかまっている灌木の根を白と黒のねずみ(昼と夜)が齧っている。人生において自分が頼りとしている健康、地位など(灌木)が、最後的には死から救つてくれるものでないことを知って、トルストイは回心したのだが、この物語の出てくる『聖人伝』の主席は、ジョサファトという王子が世捨て人のパーラームの説教により権力と富を捨て、王位を捨ててバプテスマを受けるということである。ジョサファトはインドの王子、パーラームはシナイの砂漠に住む修道僧とされている。幾つかの国語に翻訳されてきたこの物語の源を辿ると、ジョサファトは語源的にボディサットヴァ(菩薩)であり、この物語は実はゴータマ・ブッダの出家物語であった。つまり、トルストイは仏教の物語を読んでキリスト教へ回心したのである。

 更に、スミスは諸宗教間の相互浸透の例として、カトリック教徒の使うロザリオが、十字軍の時代にイスラム教徒を媒介としてヒンズー教徒の慣習を取り入れたものであり、また仏教徒もこの慣習をヒンズ1教徒より貰い受け、数珠として使っていることをあげたりしているが、これら慣習の局面だけでなく、相互浸透は教理面でも見られることを指摘している。今でこそ教理上、悪魔の存在はキリスト教においても他の諸宗教においてもあまり重要なものではなくなってしまったが、実は長い期間にわたって悪魔は多くの宗教で共通的に教理上中心的な重要性をもっていた。11世紀においてアンセルムスの贖罪論が現われるまでは、神と悪魔との闘争という贖罪論が約千年にわたって教会を支配してきたことを思えば、教理においてもキリスト教が諸宗教と共通の要素をもってきたことは否定できない。地獄についても同じことが言える。また、中世のキリスト教スコラ神学の神観が、イスラムのスコラ神学に多くを負っていたことは周知の事実である。

 では、スミスは諸宗教の相互浸透を可能にさせる、共通の本質を何に見ているのか。それを彼は人間の生き方、人間がいつも超越に向けられた存在であるということの中に見ている。唯一神論のキリスト教徒も、今の自分の在り方を神に向かって変革し続け、神の与えて下さる明日に向かって今を超越しようとしているし、仏教徒も現世を穢土とし、浄土や涅槃を願望する以上は、やはりその人間としての生き方が、今をどのように越えるかという意味での超越に向けられている。このように見てくると、我々は1つの宗教史の学的理解を「超越学」(transcendentology)とでも呼ぶべきであろう、とスミスは主張する。つまり、諸宗教の共通要素を、人間の生きる姿勢の中に求め、人間論において見出しているのである。

 日本において独特の展開を見せてきた諸宗教間の対話の試み、即ち滝沢克己や八木誠一の両氏によって代表される貢献も、大体のところスミスやヒックと同じ傾向のものであって、例えば禅仏教とキリスト教との共通性を探るものであった。そして、両宗教の本質として考えられているもの、共通性は、やはり西田哲学に似た存在論的あるいは無的な人間理解であった。

 日本におけるこの展開、またスミスやヒックの主張を考える時に、私には、多数の宗教の間に共通性を求めることが可能であること、また、諸宗教が互いに影響し合っていることは疑い得ないように思える。この集中型は確かに真理の一面である。併し、私には何かが物足らないのである。こういう試みは、?という人物、Yという人物の個性を無視して、手2本、脚2本、口1つ、目2つ、頭1つが、?とYの本質(最大公約数)であると主張するのと同じに思える。または宗教的エスペラントの造形のように見える。

 思索にも性格があるのかもしれない。集中型の思索には、百花繚乱、絢爛たる花々の個々の美しさに日を奪われる贅沢よりは、それらの花々の根差す大地の地味をみつめる禁欲が目立つ。個よりも共通性に、現実の多様よりも、それらを思索の中で抽象化し、根元の一に持って行かねば気のすまないところがある。併し、これとは性格を異にし、大地よりも、華麗な現象に魅せられて行く思索があってもよいであろう。個の不思議さに、それしか無いものに、個々の色や形の美しさに愛惜する思索もまた良いではないか。つまり、集中型だけでは、キリスト教や仏教がもつ、それぞれの個性的な華麗さが消し去られてしまい、そして共通性、あるいは本質が絶対化され、これのみが本当のキリスト教、または仏教であると主張されて、却って元来抽象的な本質が、具体の諸宗教に対して独裁者のように臨むこととなる。

 枯山水のように抽象化された思索のみが深いのではない。多数の個の華麗な現象に、むしろ魅せられるような趣向の思索にも、また別の深さがある。ところが残念なことに、歴史上の個性の展開に魅せられて宗教を思索している思想家で、我々の注目を惹く存在は今日いない。我々はそれに近い思想家を、時代をさかのぼってエルンスト・トレルチに見出すのである。


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 『宗教哲学』(2)の中でトレルチは、原始より今日に至るまでの宗教現象がどういうものであるかを実証的に研究するだけではなく、そのことによって宗教の本質を把握し、かつ、その本質を価値の規準として、諸宗教の歴史発展の内部に、その本質をよく表現する宗教とそうではない宗教を区別し、言わば価値の序列を決定するものが宗教哲学であるとした。更に『宗教および宗教学』(3)や1909年の論文「宗教的アプリオリの問題について」(4)でトレルチは「宗教的アプリオリ」という概念を用いたが、この概念によって彼は、思惟や道徳や芸術の意識と同じように、人間に本来存在する(上述の意識とは区別された)独自の宗教意識を意味した。そして、このアプリオリを最も純粋に表現するものが、最高の宗教であると主張したのである。

 これらの事柄を考え合わせてみると、トレルチの出発点はスミスなどに見られる集中型であったと言ってもよいであろう。ところで、この「宗教的アプリオリ」という概念は、しばしば指摘されているように、その後トレルチの著作から消えてしまい、それに代るものであるかのように個人の「確信」が多く語られるに至る。これは、何が真の宗教であるかということが、トレルチが具体的な諸宗教を実証的に検討して行くにつれて、初め予想した程には容易にその姿を現わしてくれなかったからである。宗教はむしろ、人間がその生のいとなみの最も深いところで、自分を支えてくれるものは何か、という問いへの答えとして、孤独のうちに見出して行かねばならないところの、個人格の確信の事柄であったのである。

 このようにして『キリスト教の絶対性と宗教史』(5)では、真の絶対的な宗教は、既に存在している宗教のどれによっても実現されておらず、将来の歴史上も実現不可能であることが主張される。絶対的な宗教は、あらゆる宗教を越え、歴史そのものも越えたものである。従って、歴史上の宗教はすベて相対化されることとなったのであるが、併し、トレルチはここではまだ、相対的な諸宗教の中で、真の絶対的な宗教により近いものと、そうでないものとが存在するという仕方で、宗教間に価値の序列を作ろうとした。例えば、トレルチによるとバラモン教や仏教は、キリスト教の神に当たるものとしては、絶対に区別のない統一や無をもっており、それに対立する、我々の住むこの現実は仮象にすぎない。人間は、仮象への執着から自由になり、真の実在たる統一や無と融合しなければならない。トレルチの見るところでは、これは非人格的なものへの融合であって、人を真に人格的存在とさせることはできないのである。ところがキリスト教の説く救いは、人格的な神との人格的な交わりにおいて成立する。従って、キリスト教は相対的な諸宗教の中では最高に位置するものであり、あらゆる宗教の発展方向の収斂点である。

 ところがトレルチの死後に出版された「諸世界宗教の中でのキリスト教位置」(6)という論文を見ると、以上の立場は大幅に修正されたのである。既に『キリスト教の絶対性と宗教史』の中で、トレルチに諸宗教をそれぞれ個性的なものであると認め、それらを共通の諸特徴をもつ幾つかのグループに分けて考察していたのであるが、併し、人間に人格的応答を求める人格神こそ、すベての宗教の価値を判断する基準であり、普遍概念であった。それが、この論文の中では、そのような普遍的な価値基準が失われてしまう、という事態になっている。人格神という概念も、実は特定の宗教グループだけに通用する宗教体験から作り出されたものである疑いが強くなった。また、同じグループ内でも、例えば西欧のキリスト教と東方教会の相違に見られるように、各宗教(分派)はそれぞれが徹底的に個性的であり、それぞれの生活基盤をなしている土地及び精神的・社会的・民族的土台に依存している。従って、キリスト教以外の宗教が素朴に主張する絶対性も、その地域文化においてはキリスト教の主張する絶対性と同じような有効性をもつ、とトレルチは結論し、もはや諸宗教間に価値の序列を考えることをやめてしまった。

 集中型で出発したトレルチは、生涯の終りに至って、各宗教が他に譲ることのできない個性をもち、価値の優劣を判定し得ないものである、という結論に到達した。これは一から多への思考運動であった。このように各宗教の個性を無上に尊ぶ立場を、私は拡散型と呼ぶこととしたい。

 拡散型の運動は、トレルチの教会史に関する社会学的研究においても跡付けることができる。1912年の『キリスト教の請教会と諸教派の諸社会教説』(7)の中には、あまりにも有名になってしまったトレルチの3理念型、即ち、教会型・教派型・神秘主義型の展開が見られる。これは、キリスト教の諸集団が社会に対してどのような態度で接したかを類型化したものであり、教会型は、この世の全体的教化を目指し、社会全体の精神的水準を引き上げようとする。そのためには、各個人の信仰心を探めるというよりはある程度妥協してもこの世全体と結びつこうとする。教派型は、真に再生し、この世から切り離されても清い生活を送ろうとする信者の集団である。そして、教派型が大教会となると、教会型の要素を取り入れざるを得なくなる。神秘主義型は、典礼や教理を個人において内面化するものであり、全く個人主義的である。この型の信者は教会の中にも教派の中にも見られる。

 潜在的にはいつの時代においても3つの型が存在しているが、それらのうちのあるものが、ある時期に顕在化して歴史の主導権を握る、とトレルチは考えた。例えば、教会型は壮大な形で中世及び宗教改革に、教会型の要素を多分に取り入れた教派型は近代のカルヴァン主義に、神秘主義型は、都市文化の世俗化が浸透する現代に顕在化する。トレルチ自身は教会型への愛着を棄てきれず、神秘主義型の顕在化が進行することを予想しながら、それを歓迎することはできなかったようである。

 併し、トレルチが恐らく予想した以上に、世界大の世俗化の進展は情報伝達網の発展と共に迅速であり、それに伴う個人主義の浸透も深まり行く今日の状況を考えると、今後のキリスト教、否、あらゆる宗教の信仰体験は神秘主義型に向かうのではないか、と私には思える。つまり、各宗教の個性の尊重と、宗教が神秘主義的に理解されて行くこととは軌を一にしているのである。一から多への拡散は、今後ますます強まるであろう。

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 トレルチの思想がバルト神学の出現以降の現代神学史の中で、どのように不遇であったかを我々は知っている。キリスト教の絶対性を否定し、確かな土台の上に建てられなければならない我々の信仰生活を、ゆれうごく相対性に依存させようとした不可能な試みと、その思想は見なされた。併し、私のような実存論的神学の立場から振り返って見ると、必ずしも事情はそのようなものではない。各宗教、また各教派、あるいは各個人の信ずるところが千差万別であって、そのいずれもが絶対性を主張し得ないという客観的な事情を虚心坦懐に認め、自分の個性的な信仰も客観的には絶対的なものではあり得ず、相対的な価値しかもたないと承認すること、つまり客観的な相対主義は、今の自分にとってはこういう信仰の持ち方しかあり得ない、実存的にはこのように信じる以外の道は今のところ自分には無いという、実存的な絶対性とでも言うべきものと矛盾しはしない。両者は、ただ次元を異にしているだけである。実存はこれらを分裂させずに、次元的相違として受け止めることによって自己を豊かに生かすことができるのである。客観的にキリスト教が相対的なものであることは、何も他宗教と比較するまでもなく、我々の教会史を回顧して、初代の教父たち、中世、宗教改革、近代などのキリスト教理解が違ったものであることを認めれば、一目瞭然である。また、我々が自分個人の信仰生活を振り返っても、信仰の実存的な深みの獲得は、信仰内容の変遷を経て達成されているのである。教会史の各時期の中で信徒は、それでなければ生きられない信仰理解を求め、それに従って生きたし、各個人もそうである。その時、その場での実存的な絶対性と、客観的な信仰内容の相対性が共存している。

 両次元を共存させることができないところから、客観的な絶対性の主張が出現してくる。それは、他の宗教の言うところに耳を傾けようとせずに、心を閉じて自分の信仰内容を絶対化する。他を排斥しての自己絶対化である。または、スミスのような思想傾向について既に述べたように、あらゆる宗教の共通項を求め、それがあらゆる宗教の本質であると主張し、個々の宗教のもつ個性をその本質の絶対化によって抑圧し抹殺する。各人のもつ、目2つ、鼻1つというような共通性が絶対化されて、一人一人の個性は無用の長物と見なされる。

 集中と拡散の両方向が必要なのである。諸宗教間の共通のものがあってこそ、自分の宗教と他の宗教とが(スミスの指摘したように)互いに影響し合えるし、他に照らして自己反省をすることもできる。併し、影響を受けても、宗教が個性豊かなものであれば、自己を喪失するどころか、その影響を自己の栄養とし、ますます強靱な個性を形造って行く。

 実存主義と手を切った後期のバルト神学ではなく、『ロマ書講解』時代の初期のバルトに、私が共感を感じることの多いのも以上の理由からである。神と人間とのあのような形での質的な絶対的相違については、私はご免をこうむりたいが、神は天に、人は地に、という神と人間との距離感、終末のあちら側とこちら側との断絶は、この地上にある限り、我々が諸宗教の相対性を認めて、しかもそれにも拘わらず、いつもあらたに実存的な絶対性を求めて行かねばならないという、この世にては旅人であるキリスト者の在り方に相即する。

 論じてきたところは、比較宗教学や宗教学と、神学との間の度重なる往復のように見える。実は私をこのような両次元間の往復に駆り立てているものは、神学の中心的な事実であるところのキリストの十字架なのである。バクル・ティリッヒの言う「プロテスタントの原理」が、神学の次元だけを絶対化し、それに閉じこもることを私に許さないのである。この世に属する何かを客観的に絶対化することが、キリストを十字架にかけた。それが教会であろうが、我々の信仰であろうが、神学であろうが、他を排斥してそれ自体を絶対化する時に、我々はキリストを再び十字架にかける。神学はキリストの十字架によって、いつも他の宗教に、他の学的諸次元に追いやられ、そこで留まり、対話をしなければならない。そこでの影響に身をさらして、また神学に戻ってこなければならない。あるいは、ティリッヒがしばしば語ったように、神学と他の領域との境界に我々はいつもいつづけなければならないのである。

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注  

(1) Wilfred Cantwell Smith: Toward a World Theology, Philadelphia, The Westminster Press, 1981.

(2) Ernst Troeltsch: "Religionsphilosophie", Die Philosophie im Beginn des zwanzigsten Jahrhundets: Festschrift für Kuno Fischer, hrsg. von W. Windelband, Heidelberg, 2 Aufl., 1907.

(3) Troeltsch: "Weseb der Rekugion und der Religionswissenschaft", Gesammelte Schriften, Band ?, S.452-499, Scientia Verlag, Aalen, 1981.

(4)Troeltsch: "Zur Frage des religiösen Apriori", Gesammelte Schriften, Band ?, S.754-768, Scientia Verlag, Aalen.

(5) Troeltsch: "Die Absolutheit des Christentums und die Religionsgeschichite", Di Absolutheit des Christentums und Zwei Schriften zur Theologie, 2. Aufl., Tübingen, J.C.B.Mohr, 1985.

(6) Troeltsch: "The Place of Christianity Among the World Religions", Christian Thought-Its History and Application, edit., Baron gon Hügel. New York, Meridian Books, 1957.

(7) Troeltsch: Die Sozallehren der christlichen Kirchen und Gruppen, Gesammelte Schriften, ? Band, Tübingen, J.C.B.Mohr, 1912.

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入力:黒田良孝
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http://web.archive.org/web/20051219224159/http://blog.livedoor.jp/p-3862657/
2004.6.25



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