野呂芳男「研究の進展」(1)-2

 次に、今日のアメリカ合衆国におけるウェスレー研究で大きな成果をあげているセオドーア・ランヨンの研究について述べたい。現代神学の分野で幅広く活躍し多数の論文を発表している神学者である彼には、またウェスレーに関する数多くの論文がある。(他の諸論文にも依存するけれども、)先ず主に1993年に彼がオーストラリアのメルボルン大学(University of Melbourne)で三回にわたって行った講演「エキュメニカル神学の素材をウェスレーに求めて」(Wesleyan Resources for Ecumenical Theoligy)から、彼のウェスレーを見る視点を把握する努力をしてみよう。

 ウェスレーをエキュメニカル神学の視点から見ている講演に相応しく、初めの講演でランヨンは、ウェスレーの神学が当時においては驚くべき程にエキュメニカルであり、多様な神学的伝統の影響をそれ自体の中に創造的に取り込み、独自の神学を形成したものであることを指摘している。それらの伝統としてランヨンが挙げるのは、ピューリタン的なカルヴァン主義、英国教会の伝統、モラヴィア派のルター主義、ローマ・カトリック教会の神秘主義、東方教会の正統主義などである。最後の東方教会の影響を除けば、これ迄のウェスレー研究家が殆ど皆指摘してきたものであった。勿論、研究家はそれぞれ、その内のどれかに特に中心的な重要性を見ていたのでほあるが。例えぱセル(George Cell)がカルヴァン主義において、ヒルデブラント(Franz Hildebrandt)がルター主義において、また、ピエト(Maximin Piette)などが、プロテスタントの歴史の中でプロテスタンティズムに逆らい、ローマ・カトリシズムへ向かった反動とみなすことにおいて、ウェスレー解釈の鍵を見出したと信じたように。

 ところで、このようにランヨンはウェスレーを一応エキュメニカルな神学者として種々の伝統を統合した人物であると言いながらも、矢張り一つの伝統に特に重きを置いて解釈しているように私には思える。その伝統とは、ランヨンがこの講演の中で今世紀最大のウェスレー研究家(the foremost Weseley scholar of this century)と賞賛するアウトラーと同じく、東方教会の伝統である。しかし、アウトラーがウェスレーに対する東方教会の神学者たちの影響を、既に私が指摘したように、神の先行の恩恵と人間の自由意志との捉え方や、厳密な意味での罪とそうでないものとの区別などにおいて、従って広い意味での聖化や完全の教理において見ているのに対して、ランヨンは、それらのアウトラーの結論を受け入れた上で、もう少し集中的に聖化の過程に思索を向ける。その結果、私にはアウトラーが出すことのできなかったと思われる結論、ウェスレーを今日の「解放の神学」に近い立場を取っていた神学者であるという結論にランヨンは到達している。また、ウェスレーにおいて独特な神人協力説を見たアウトラーとは違った(解釈であるとしか私には思えない)神と人間との関係の在り方を、ランヨンはウェスレーにおいて見ている。

 周知のように、東方教会の神学者たちが頻繁に使った言葉に「神化」(deification)があるが、これは勿論、初代においても今日においても東方教会では、人間が神になるということを意味していない。ランヨンは「神化」という言葉をウェスレーが避けて、その言葉と同じ意味内容を表すものとして「聖化」や「完全」を使っていると指摘し、アウトラーと同じく、ウェスレーが救いを病気治癒の譬えで理解していたことの重要性を強調している。そして、これもアウトラーと同じく、救いがウェスレーにとっては単に罪の赦しの宣言ではなく、破壊された人間の中の「神の像」(imago dei)が回復されて行く過程であることをランヨンは主張する。この過程は、東方教会の神学者たちにおいては、社会的な視野を含むばかりでなく、宇宙的な次元さえも含むものであった。つまり、アダムの原罪によって全宇宙が堕落し、神の創造の業が汚されたのであるが、神はキリストにおいて人間の中の「神の像」を回復し、全宇宙を創造の時の姿に取り戻されようとしているのであって、人間の社会的次元での聖化は全宇宙の栄光化の過程の中に含まれている。平面的に見れば、この点までの理解においては、ランヨンとアウトラーには相違がない。しかし、既に二人の間には強調点の相違があるように私には思える。アウトラーも、社会的な次元における人間の聖化に、勿論言及しないわけではない。だが、彼の場合にはどちらかと言うと、個人の聖化に理解が集中している。それに対して、ランヨンの場合には、社会的次元での人間の聖化が優先しているように見える。

 ところ、ルターやカルヴァン、またプロテスタント正統主義においては、罪人がイエス.キリストの贖罪の業を信じる時に、神によってすべての罪を赦されるのであるが、その罪の放しは永遠の神の意思決定であるが故に、時間の経過の中で人間が何を行おうと、それとは関係がない。罪の赦しは基本的に人間の行為とは無関係である。義認の時より前のわれわれの行為も、その後の行為も、罪の赦しには関係がない。行為による功績とは、義認が無関係だからである。このように信じられているところでは、人間とその行為との間に断絶が生じてしまう、とランヨンは指摘する。ウェスレーの場合には、この拙著の8章「聖霊による確証」の(2)「確証と最後の義認」に述べられているように、改心時の罪の赦したる義認の他に「最後の義認」という主張がある。人間は最初の義認によって神に受け入れられ、その後信仰から出づる愛の行為によって隣人への奉仕の生活を送り、この生涯の終わりにもう一度神の是認を受けることとなるのであるが、その第二の義認に至るまでの経過の中で、ランヨンは神と人間との協力というウェスレーの主張の重要性を主に取り上げている。(つまり、ランヨンは神と人間との協力を、第一の義認と第二の義認との間の聖化の過程において見ている。しかも、後で述べるように、その協カにおいても先導するのはいつも神で、人間はただ追随するだけである。神と人間との協力関係は、最初の義認の前後においては見られておらず、この点はアウトラーとランヨンは異なっている。)ランヨンによると、宗教改革者たちの罪の赦しの考えのように、永遠において罪赦されている人間に対して、時間の中でその人物が行う行為が何ら本来的な意味を持たず、「行為がもはや行為する人間の表現として理解されていない時には、その人物にとっては関係のないそれらの行為の責任を、その人物に問うことは非常に難しい」(ランヨン)のである。これはなかなかに鋭いランヨンの指摘であって、見事にウェスレーと宗教改革者たちとの区別を述べたものと言える。

 更にランヨンは、このように聖化の過程において見られるウェスレーの神人協力説を宇宙論的な視野の中に入れて理解する。人間が「神の像」を回復して本来の人間に戻ることは、永遠の世界において成就される事がらであるばかりでなく、この地上の生活においても成就されねばならない、神と人との協力作業なのである。地上における神と人とのこの作業は、当然のこと「神の国」の概念と接触してくる。ウェスレーの当時は、神の国を墓の彼方、人間が死後に行く永遠の世界として理解するのが通例であったのだが、ランヨンによると、現在に迫ってくる神の力こそが神の国なのである。

 ランヨンによると、十七世絶及び十八世紀における初代教会研究に深く影響されて、東方教会の神学に土台を置いたウェスレーの終末論は、以上のようにこの世に神の国を実現することを目指す解放の神学と同質のものとして理解される。ウェスレーの理解した聖化とは、個人の全存在の片隅までも浸透する神と際人への愛であり、地上の被造物のすべてに及ぽされる治癒であって、これこそが彼の追求した「キリスト者の完全」であったし、「神の像」の回復であった、とランヨンは言う。

 今日の解放の神学とウェスレーの神学とを、ランヨンは勿論同一視している訳ではないが、しかし、彼はウェスレーにおいて少なくとも解放の神学を指し示すものを見ている。あるいは、ウェスレーの神学を延長すれば今日の解放の神学になり得る、と見ている。このランヨンの主張の当否は後で述べるとして、彼がウェスレーの具体的な行動や発言の中から挙げている、そのような延長を正当化する幾つかの点を見てみることとしよう。

 第一にランヨンが挙げているのは、アメリカ滞在中の経験から、ウェスレーが奴隷制に真っ向から反対して、人間の権利を擁護したことである。ウェスレーが宣教師として出かけた植民地ジョージアでは奴隷制は禁止されていたが、彼は隣の植民地南カロライナで十分に奴隷制の実際を見たし、チャールストンでの奴隷売買の残酷さを実地に見てきた。1774年にはウェスレーは『奴隷制について』(Thoughts upon Slavery)を出版して、これに強く反対した。また、周知のように1791年にその死の床からウェスレーが書いた最後の手紙は、奴隷制廃止を国会で勝ち取ろうとしていたウィルバフォース(William Wilberforce)への励ましの手紙であった。信仰が個人の救いを目指すものであるばかりでなく、社会正義の実現を目指さねばならないというウェスレーの情熱を見せつける事実と言える。

 第二にランヨンが挙げているのは、貧困と経済的な権利との問題に対するウェスレーの能度である。1744年にウェスレーはオックスフォード大学で説教をしているが、(その時の聖書テキストは「使徒言行録」4章の31から36であったが)そこには聖霊降臨の恵みに浴した使徒時代の教会の信徒たちが、持ち物を共有して一種の共産主義とでも言ってよいような共同生活を実行していたことが書かれている。ウェスレーがこの事実をきわめて真剣に考慮していたことは、若干の人々の反討がなければ、このような典同生活を「神聖クラブ」の会員たちと実行しようとしたことからも明らかである。

 この事実に加えて、ランヨンは進行する産業革命下のイギリスを、伝道旅行の途次につぶさに観察することのできたウェスレーが、大地主たちによる土地の囲い込みによって耕作地を追われた農民たちや、組織を持たない工場労働者や炭坑夫たちの貧困を見て、日用の食品類が民衆の手に廉価で入るように、政府が介入すべきであると出版物で訴え、また民衆を搾取するような職業には、大きな税金をかけるべきであると唱えた事実を挙げて、今日のラテン・アメリカの状況が当時のイギリスと酷似しているが故に、解放の神学を提唱する神学者たちがウェスレーのこのような態度を高く評価するのも当然である、と言っている。

 第三にランヨンが挙げるのは、ウェスレーが今日の女性解放の立場を先取りした形で、メソジスト運動の中で男女の性差別をなくしてゆく方向を見せていることである。これには、母スザンナが大きな影響をウェスレーに与えたことは、即座に理解できる。ランヨンも書いているが、彼女はある時期、夫サムエルの留守中に日曜日の夕方、司祭館で村の人々に説教をし続けたことがあった。教会の執事からの手紙でサムエルほそれを知り、その集会を止めるように勧告したが、彼女は自分からは止めようとせず、止めさせたいのなら自分に夫が司祭として命令するようにと迫ったことがあった。このようなスザンナの生き方が、彼女を尊敬していたウェスレーに影響しない筈はなかった。またウェスレー自身が、メソジスト運動の中で組会の指導者になって行く立派な女性たちを見て、男女の差別をなくす方向に動いて行った。集会で女性信徒が説教することには、最初は躊躇したウェスレーであったが、遂にはそれも支持するようになっていった。勿論、今日の女性解放の立場から見れば、ウェスレーはまだ手ぬるいと感じるであろうが、あの当時としては大変に進歩的であったと言える。彼はそのような自分の女性に対する態度のために、散々英国教会の司祭たちから非難された。

 第四にランヨンは――私もこの小著の第3章「人間論」の(2)「人間の中における神の像と先行の恩恵」において取り上げたのだが――、ウェスレーの思索においては人間の中の神の像に、「政治的な像」(Polotical image)が含まれていることに注目する。このウェスレーの考え方をランヨンは、今Bあわれわれにとっての重要間題である環境間題と関連させる。っまり、神が創造され支配されているこの世界で、人間は神の支配を手助けする摂政(vice-regent)の役割を担当しているのである。ずべての神の恵みは人間を通して他の被造物に行きわたってゆく。ところが、人間の堕罪によって之の「政治的な像」が歪められたために、人間は自分の摂政としての役割を果たさず、動物たちに対して残酷になってしまった。また、人間は神の造られたこの世界を守る執事(steward)であるとウェスレーは言っているが、執事は自分の手もとに託された財産を自分の思い通りに運営してよい筈はなく、創造者の意志に従って運営しなければならない。つまり、人間には厳密な意味では個人財産などはないのであり、勿論絶対的な財産権などほ全くないのである。後でランヨンのウェスレー理解については、私自身のそれに対する批判をも含めてまだ述べてゆくつもりであるが、これ迄の私の紹介で、ランヨンの思想が強く社会的正義の実現を希求する「解放の神学」に、ウェスレーを接近させるも少であることは、読者に理解していただけたものと思う。



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