ユダヤ・キリスト教史 1997.7.22


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第12回 ――モーセと出エジプト?  ( 1997.7.22)



野呂芳男








 モーセがシナイ山で出会った神が、(恐らくは古ユダヤ人であったミデアン人をも含めて)当時の砂漠の民の殆どが信じていた月の女神であったことは、旧約聖書の言語が神の慈悲や憐れみを表すのに女性の体に関わりのある言葉を多く使っていることからも明瞭である。女性の胎や子宮を表す言葉から変化したものが、例えば「主、主、憐れみ深く恵みに富む神」(「出エジプト記」34:6)には、神の憐れみを表現するために使われている。自分の胎を痛めて生んだ子を養う母親に使われる言葉が、イスラエルの神に適用されているのである。 (他に「詩編」111:4、86:15、78:38、103:8、「ネヘミヤ記」9:17、「ヨエル書」2:13、「ヨナ書」4:2 など。)

 預言者たちも頻繁に、神に対して女性的表現を用いている。ホセアのごときは、単に神の憐れみを表現するのに前述の女性用語を用いる(「ホセア書」1:6-7、2:1、4、19、23)だけではない。神ご自身が女性のイメージで理解され、イスラエルは本来ならば、女性たる主なる神だけに節操を守るべきなのに、他の女性たちと姦淫を犯したので、その(イスラエルの)姦淫の印として、ホセアが淫行を犯したゴメルを妻としてめとらねばならない、と神に言われてしまうのである。「エレミヤ書」(31:20)は特に際立っている。日本語訳では十分に察知できないけれども、「彼(イスラエルのこと)のゆえに、胸は高鳴り」とあるのは、「神の内臓が、彼を求めて熱くなっている」という女性用語であり、神が「彼を憐れまずにはいられない」は、「彼を母のような慈しみでどうしても愛さない訳にはゆかない」という意味である。また、「イザヤ書」(49:15)でも、神が女性になぞらえられて、イスラエルに対する神の愛が、母親が自分の生んだ子に対して抱く憐れみと同じものだ、とされている。







 モーセが神を月(女性神)で象徴したことから始まって、ユダヤ教ではのちのち迄も、神を表現するに当たって女性的表現を用いることが目立っているけれども、私たちが忘れてはならないことは、モーセにとって月や女性は神を特徴づける象徴であって、決して神が月や女性そのものであった訳ではない、ということである。そして、時が経つにつれて、ユダヤ教では神を男性的象徴で表現するようになってくるのであるが、そのようになって行った理由には、ユダヤ人たちがカナンの地に定着するようになって行く過程で、他民族と争ったり、戦争したりしなければならなかったことが先ず挙げられるだろう。争いになると、どうしても男たちが前面に出され、その争いにおいてユダヤ人の味方をする神も男性化する。定着したユダヤ人たちは、やがて王政によって支配されるようになったけれども、王政や、その背後にあった祭司階級にとっては、人民を治めるための律法を作り、それを権威付け、人民に守らせるために神が必要であった。王のように力と権威を持った男性神が必要であったのだ。女性の憐れみよりも、力の強い男性が段々と神の象徴として中心的重要性を帯びてきたのだ。つまり、ユダヤ教の神観の歴史は、女性的象徴と男性的象徴との鬩(せめ)ぎ合いなのだ。従って、ユダヤ教の神観は、一つの中心を持つ円周に喩えられるよりも、二つの焦点を持つ楕円に喩えられる方がよい。


           


 女の象徴である無償の愛(アガペー)が、社会の秩序を守る正義の観念を支配している限りは、ユダヤ教は正しい道を歩いていると思うが、正義の方が独占的に中心に居を移してくると人間が相手に対して自分の要求を突きつけることだけが宗教となり、憐れみも愛もなくなってしまう。







 楕円構造における女性的象徴の中で、シナイ山が果たす役割にも私たちは目を向けなければならない。既に述べたように砂漠の民にとって、灼熱地獄をもたらす太陽は大いに悪鬼的な存在であったが、砂漠には太陽ばかりではなく、他にも沢山の悪鬼が存在していた。夜空に君臨する星たち、大きな岩が砂上に作る影、空気が冷えて岩がひび割れる時に出す音響など、砂漠の民たちを、自分たちは悪鬼によって十重二十重(とえはたえ)に取り囲まれている、と信じさせるものばかりであった。それに対抗するものとしては、シナイ山の華麗な噴火の有様があった。モーセにとっては、この噴火は月の女神が山上に下りてきて、砂漠の悪鬼たちを追い払ってくれているように映ったのでもあろうか。火と水蒸気の物凄い噴出が、自分たちを助けに下りてきた、憐れみに満ちた女性神の、悪鬼たちに対する憤りの表現だったのだ。つまり、月が神の優しい愛の精神の象徴とすると、シナイ火山が女神の(イスラエルを熱い内臓で求める)体の象徴であったのだ。

 今のシナイ山(休火山)の周囲の環境と、モーセの当時のそれとは大変に違っていて、モーセが羊を連れてやってくる程に緑も水も(悪鬼への勝利)あったのだろう。



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入力:平岡広志
2002.1.12