ユダヤ・キリスト教史 1997.11.11


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第26回 ――ユダヤ教の終末期待と近代主義神学      (1997.11.11)


野呂芳男







 歴史的なキリスト教には信条が存在するが、ユダヤ教にはそれに相当するものがなく、むしろ「生活の仕方」(a way of life)であると言える。つまり、ユダヤ人は行動の仕方でまとまっていたのだ。パリサイ人にとって生活のことごとくが神の意志(具体的にはそれを教えてくれる律法)への服従でなければならなかったが、律法順守は特に三つの分野で顕著であった。一つは割礼であり、ユダヤ人は生まれて8日目にそれを受けた。成人になってからユダヤ教に改宗する者は、その時に割礼を受けた。二つ目は食物規定の順守であった。律法では清浄な食物と不浄な食物が区別されているばかりか、動物を殺すにも守らねばならない事柄が存在した。この食物規定の存在が、聖書の中で記されているように、ペテロやパウロの時代のキリスト者にとっても大問題となった。原始教会では聖餐に与った後、信徒は愛餐(食事)を共にするのが習慣であったようだが、この折り、異邦人キリスト者も、沢山いたユダヤ人キリスト者に倣って、食事規定を守らねばならないのかが問題となったのである。どちらの立場を取ったらよいかで揺れていたペテロに対して、パウロは明確にそのような律法からキリスト者は解放されていると主張した。三つ目は安息日の順守であった。これはユダヤ人を他の民から区別する特徴であったと言えるが、安息日に何をしてはならないかは「モーセ五書」には細かく書かれていないために、ユダヤ人は伝承による規定を順守した。それによると、1哩(マイル)の3分の2以上の遠出は禁止されていたし、いちじくの実よりも重いものを運ぶことも禁止されていた。







 イエスの当時、神殿は再建中であった。(ヘロデ大王が前20年に旧神殿を打ち壊して新しく建て始めたのだが、完成は後64年で、それ迄は断続的に工事が継続されていた)。神殿の広い外庭は、外廊に囲まれた石畳(いしだたみ)の場所で、そこには神殿税のための両替人たちが机を並べていた(「マルコ」11:15以下)。また、犠牲の動物もここで売られていた。異邦人はここまで入れたが、神殿内には入れなかった(「使徒」21:29)。イエスの当時に神殿で行なわれた大きな祭りは伝統的なもので、一つはニサンの月の15日に行なわれた「過ぎ越しの祭り」であり、この後には「種なしパンを食べる祭り」が一週間付属していた。「過ぎ越しの祭り」の50日後には「ペンテコステの祭り」が行なわれたが、これは初物を神に捧げることを主旨とした。秋には収穫祭とも言うべき「タバナクルの祭り」が行なわれた。







 律法の他に、当時のユダヤ教にはもう一つの中心があったが、それはメシヤ待望であった。ユダヤ人には、自分たちの目に映るユダヤ民族のこれ迄の運命が余りにも悲惨であったので、どうしても異邦人の大国が滅亡し、ユダヤ人が報われる時が来なければならなかったのであるが、その時期こそがメシヤが現れる時であった。しかし、民の間では普及していたこの希望も、この世の権威と妥協して生きていた大祭司やサドカイ派の人々には無縁ではあったが。そして、民の間でも、この希望について解釈は様々であった。

 先ず預言者的な解釈があった。この解釈では、イスラエル王国の実現が希望の対象であったが、これには死者の復活が含まれていなかったので、結局は王国が実現する時に生きている人々だけに有利な解釈であって、もはや一般の人々には魅力的ではなくなっていた。そこで黙示文学的な希望が出現してきた。この希望では、神の敵は地上の国家(も含むけれども、それ)というよりは、神に敵対する超自然的な悪の勢力であった。地上に実現する神の国ではなく、待望されたのは新しい世界であった。今の世界の終わりには、(イスラエルの敵国ばかりか、超自然的な悪の勢力からも)特に熾烈な迫害や災害がイスラエルに訪れるけれども、神は最終的に勝利されて新世界が到来するのである。死者の復活と裁きが新世界の幕開きとなる。この希望では、最後の世代だけが新世界に入るのではなく、あらゆる時代の義人が復活してそこに入るのである。

 だが、黙示文学的な、超自然的な神の国の出現を信じながらも、この地上でイスラエルが敵に勝ち、それらの敵国を支配する期間があるという夢を、完全には捨て切れない多くの人々がいた。そこで、今の時代と新世界との間に、ユダヤ人の勝利と支配の時代が挿入されたりした。ユダヤ人は400年間支配し、その終わりには救い主も死ぬのであった(旧約聖書続編、ラテン語による「エズラ記」7:29)。パウロも「ヨハネ黙示録」もこの考えに影響されているようだ。

 以上のような待望との関係で、種々の事柄が付加的に人々の間で信じられていた。預言者エリヤが再来する(「マルコ」9:12)とか、神は代理人を地上に送ってこられて、その代理人であるメシヤが敵に勝利する(Psalms of Solomon,17:21−22)とか、であった。「人の子」(Son of Man)という天から送られてきた存在が、新世界での支配者かつ審判者となる(Parables of Enoch)という信仰もあった。「人の子」は世界の創造前に神によって選ばれたのだが、世の終わりまでは神によって隠されていた。彼がこの世に現れると、悪の勢力を打ち倒し、義人と共に住み、共に食事をするのである。

 ところで、この当時のユダヤ教の終末待望には、苦しむメシヤの思想は全く存在しなかった。大工の息子で、罪人として死刑に処せられるメシヤという思想は、当時のユダヤ教の教えの中に入り込む余地など絶無であったのだ。しかし、イエスの死後、キリスト者は苦難のメシヤへの言及を旧約聖書の中に見つけ出した。







 当時のユダヤ教の終末期待について学んだので、私たちにはやっとシュヴァイツァー(白水社刊『シュヴァイツァー著作集』第八巻「イエス小伝」)の終末に関する論文を読む準備が整ったように思う。ところで、彼の「イエス小伝」を読むためにはもう一つ、この論文が相手にしている近代主義神学のうち、ここでの論議に関係する事柄だけでも知る必要があるだろう。

 近代主義神学という名称はフリードリヒ・シュライエルマハー以後のプロテスタント神学に付せられたものであるが、勿論この名称でくくられている神学にもいろいろと個別的な差があった。だが今は、そのような差にはなるべく言及せずに、きわめて大雑把な共通性に私たちの注意を向けることにしよう。そのためには1900年に出版された、ドイツの著名な教会史家アドルフ・ハルナックの著書『キリスト教の本質』(Das Wesen des Christentums)の内容を簡単に紹介することが便利だろう。ハルナックによると、キリスト教の本質は二つの事柄に絞られる。一つは、イエス・キリストによって教えられた神の父性である。ハルナックの考えによると、人間の罪を神が怒り、イエスがその神の怒りの刑罰を人間」の代わりに背負ったなどという贖罪思想は、退けられねばならない。神はいつでも人間の罪を無条件で赦す父のような愛の存在なのであるから。もう一つは倫理的な完成としての神の国であって、これは人間の愛と正義の努力によって、この地上に実現するものなのである。このようなハルナックの考えの背後には、18世紀以降のヨーロッパの科学的合理主義があることは言うまでもない。旧約聖書や新約聖書、特に福音書などに見られる奇跡物語などは、科学的合理主義から見れば聖書記者たちの未発達の科学思想でああって、(比較宗教学の発展と共に明らかになってきたように)他宗教にも見られる伝説や神話と内容を同じくするものであった。従って、イエスが私たちの身代わりとして神の怒りを宥めてくれたとか(人身御供)、天変地異と共にこの世の終末が到来し、やがて大天使の降臨によって新しい天と地とが出現するというような期待は、非合理的な神話以外の何ものでもないとして、科学的合理主義によって簡単に退けられてしまった。ハルナックの目指したものは、そのような合理主義の上に立つキリスト教の理解であった。

 更に、イエスの生涯として近代のキリスト教史家(例えばカイムやルナン)がしばしば行なったのは、イエスの伝道生活を前半と後半に分け、前半は順風満帆のガリラヤの春であり、後半は暗い十字架への道行きであったとする解釈であった。このような問題に対して、シュヴァイツァーがどのように反応するかに興味がわく。



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入力:平岡広志
2003.4.4