ユダヤ・キリスト教史 1997.11.4


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第25回 ――イエス時代のユダヤ教における宗教観     (1997.11.4)


野呂芳男







 ディアスポラについてもう少し述べたい。ユダヤ商人たちは、自分たちの住む外国の生活に溶けこんでいたが、大部分のディアスポラはヘレニズム文化から離れたユダヤ人街を形成し、そこに住んでいた。彼らは神殿税を払い、一生に一度はエルサレムに巡礼することを念願としていた。しかし、犠牲を捧げるという習慣は彼らから消えていった。その代わりに、シナゴーグが生活の中心を占めるようになった。後66年の熱心党の大反乱の折りには、彼らはそれに与せず、ローマに忠誠であった。ローマの平和の中で生きることを、彼らは選んだのであった。

 パウロの伝道旅行との関係で、私たちは幾分ヘレニズム文化に影響されたユダヤ人たちや、彼らのシナゴーグの状況に接することになる。







 イエスやパウロの時代のユダヤ人の宗教生活はどのようなものであったのか。キリスト教の背景をなしているユダヤ教は前8世紀の預言者たちのそれではなく、後1世紀のラビたちの教えである。当時のユダヤ教にとって重要な文書はヘブル語聖書に含まれているものだけではなかった。そのことは旧約聖書のギリシャ語訳を見れば、その中にアポクリファ(外典、私たちの使っている「共同訳」では「続編」という名称で、旧約聖書の後に載せられている)と呼ばれるものが入っていることからも明瞭である。

 また、黙示文学的文書も出回っていたが、幸いにこれらも初期のキリスト者たちによって保存されてきたので、私たちはそれらも参考にできる。(黙示文学は歴史の未来と、天の諸世界に関する啓示を書いたものである)。これらは通常「偽典」と呼ばれている。







 この当時、旧約聖書の公の解釈は口伝によって伝えられた。後200年頃に、これらの口伝はラビ・ユダによって書き残されたが、これはミシュナーと呼ばれ、63の文書から成り立っている。ミシュナーを更に発展させたものがゲマラで、ミシュナーとゲマラを合わせたものがタルムッドである。ミシュナーが書かれたのは新約聖書より大分遅くなってであるけれども、イエスの当時の正統派ユダヤ教について私たちに教えてくれる。

 ミシュナーの他にも、ユダヤ教の祈祷書の初期の部分や、初期の「タルグム」(旧約聖書のアラム語訳)が役に立つ。これらの資料に基づいて、イエスの当時のユダヤ教を覗いてみることにしたい。

 当時のユダヤ教徒たちも、当然のことながら永遠に存在する唯一の神を信じていた。神は神聖で、その名ヤーウェは人間が発音してはならぬものであった。神は天地の創造者であり、イスラエルの民を救う歴史の主でもあった。アブラハム、イサク、ヤコブの神であると共に、もっとも卑しいユダヤ人でも、祈りによってこの神に近づくことができた。「天にいます我らの父よ」という呼びかけは、ラビの典型的な神への呼びかけであった。エルサレムの神殿にも神は臨在されているが、神の王座は至高の天にあり、神の働きは何処にも及んでいた。

 神は無数の天使たちによって囲まれていた。天使たちは創造の二日目に造られたか、あるいは、絶えず造られていると信じられていた。彼らは神の使いという役割を持たされてはいたが、いつもは天上の神の偉大さを莊厳するものであった。ここにはバビロニヤなどの東洋の宮廷のイメージが投影されていた。大天使が天使たちの頭であったが、ガブリエル、ラファエル、ミカエルが特に知られている。

 捕囚後のユダヤ教は天使学を発展させたが、元来天使たちは星と関係があり、星辰崇拝と結合していたので、預言者たちがそれと戦ってきたように、ユダヤ教の唯一神信仰としばしば矛盾してきた。

 神の意志に従う天使ばかりではなく、堕天使たちもいた。旧約聖書では、まだサタンは神に対する敵対者ではなかったが、やがてサタンは地下世界の神ベリアルと同一視されて、神との二元論を形成してしまった。ベルゼブルはサタンの一つの名前であり、悪の王国の首領である。これらの悪霊は病気を人々に与え、また、人々を破滅に追い込むのであった。

 天上も堕天使で一杯であった。パウロによると、彼らがこの時代の支配者たちであった(「エペソ」6:12)。唯一神教といっても、ユダヤ教では神お一人がすべてであるということではないことが、これで明らかであろう。

 私たちが抽象的に考える事柄を、ユダヤ教はとかく人格化しがちである。例えば「神の知恵」や「神の霊」が、神とは別人格のように取り扱われているのである。パウロにもこの傾向があり、「死」と「罪」が人格化されている。







 ギリシャ思想では、理性的魂が物質的身体の中に捕らわれているのが人間であったが、ユダヤ教では魂と身体とは一つであって、互いに分離できないものと考えていた。そして、死んで人間が冥府(よみ)に行くと、人間存在は影のように惨めなものとなってしまうので、ユダヤ教では身体の甦りに希望を見いだした。魂の不滅についてユダヤ人が考えるようになったのは、ギリシャ思想に影響されてであった。

 ユダヤ人によれば、人間は神の像にかたどって造られたにも拘らず、悪しき傾向が彼の中にあるために罪に堕ちた。人間には善悪両方向へ向かう衝動があった。この悪への衝動は、ギリシャ思想のように身体の中にあって魂には関係がないのとは違って、善への衝動と同じく、人間の人格性の中にあると考えられていた。

 ユダヤ教は歴史の中に働く神の意思を信じたが、人間の自由意志も信じた。神の意志と人間の自由意志との関係」に関する意見はさまざまであった。神は聖なる存在であったが、同時に哀れみに富むので、人間が悔い改めれば罪の赦しを獲得できた。







 ユダヤ教の中心は「モーセ五書」に表された神の意志への服従であったが、1世紀のユダヤ教徒にとって「トーラー」(律法、モーセ五書)は、天地創造の前に作られたもので、天地の方がトーラーにかたどって造られたのであった。伝承によると、すべての国民に神から差し出されたのだが、ユダヤ人だけがそれを受け取ったのだ。トーラーの所有が、ユダヤ人が神に選ばれたことの証拠であった。ユダヤ教にとって重要なものには、トーラーの他に、既に述べたように、後にミシュナーとして書き残された長老たちの伝承があったが、これは次のような事情から生まれたものである。トーラーは不変であるけれども、時代の移り変わりにそれを適合させるためには、「解釈」が必要であった。「解釈」は口伝によって伝えられたのだが、それには二種類があった。ハラカーと呼ばれるものは日常生活にとって命令的なもので、生活規定に関するラビたちの統一見解のようなものであった。もう一つはハガダと呼ばれるもので、命令的というよりは説明的なものであったが、パウロがハガダ的な説明を行なった例を、私たちは彼の手紙の中で読むことができる(「コリント人への第一の手紙」10:4、「ガラテヤ人への手紙」3:19)。ハガダは解釈者によってかなり自由に行なわれたので、その重要性はハラカーに比べて低かったのである。



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入力:平岡広志
2003.3.227