ユダヤ・キリスト教史 1997.11.25


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第28回 ――徹底的終末論?    (1997.11.25)


野呂芳男







 シュヴァイツァーによると(白水社『シュヴァイツァー著作集』第八巻「イエス小伝」131頁)、使徒たちをイスラエルの町々に派遣するに当たりイエスが言った言葉、「行って『天国が近づいた』と宣べ伝えよ」(「マタイ」10:7)は、時間をかけて、ゆっくりとイエスの教えを人々に説き聞かせることを弟子たちに要求するようなものでは全くなかった。むしろ、宣べ伝えた結果人々がどのように反応するかを気にしないで、とにかく天国が近づいたことを告げ知らせるために、一回りしてくるようにとの要求であった。従って、弟子たちを迫害するような町があれば、そこで殉教するまで頑張る必要などなく、次の町へ急いで逃げればよかった(「マタイ」10:23)。

 更に、「山上の説教」(「マタイ」5:1以下)も、いつの時代でも文字通りに実行できるような律法ではなかった、とシュヴァイツァーは言う(前掲書137頁)。むしろ、それは終末倫理であって、すぐ間もなく、この世が終わるというような、今と、切迫した終末との間、この極めて僅かな期間だけに通用する中間倫理であった(前掲書139頁)。間もなく天国が地上に実現するのであれば、通常に私たちが実行している倫理――それは、私たちがもろもろのしがらみの中で、自分の倫理的理想を現実と妥協させながら生きざるを得ない倫理、理想から見れば程度が低い倫理であるに過ぎないのだが――をかなぐり捨てることが、私たちに許されるのである。いつもは畑を耕して家族を支えなければならない人物が、その場で鍬(くわ)を捨ててイエスに従うことができるような、終末の倫理が「山上の説教」の倫理なのである。それは永遠にわたって実際に通用するものとして説かれた道徳ではない。

 近代主義が神の国を、いつの日にか未来に、私たちが愛と正義の実践を通して実現しなければならない(前に横たわっている未来の)課題として考えているのに対して、イエスはむしろ後ろ向きに、神の国を(今すぐ実現して、そこで)過去の義人たちが悉(ことごと)く復活する時として考えていた(前掲書143頁)。







 イエスが、自分はエルサレムに出かけ、そこで受難して死なねばならないと考えるようになった経緯、つまり受難の秘義は、シュヴァイツァーによると(前掲書161頁)、神の国の奥義を継続するに過ぎないものであった。この世の終末の直前には、神の裁きの現われとしての前兆が種々の形で見られねばならない筈なのに、弟子たちは天国が近いことを宣べ仕えた旅から何事もなくイエスの所へ帰ってきたし、しかも天国はイエスが予想したようには来なかった。これでは、イエスが密かに抱いていた確信、自分は天国が近いことを説教していれば、終末時の到来と共に「人の子」となって出現できるという確信は、もう一度問い直されねばならなくなってしまった。この問い直しが行なわれたのが、ガリラヤ湖の北方へのイエスの旅であったとシュヴァイツァーは言う。

 この旅によってイエスは、自分がメシヤであるという確信を更に強固にすると共に、自分もバプテスマのヨハネと同じように、天国の到来を願って激しく攻める者、そのために死んでゆく者にならねばならないとの確信を持つに至った。この確信は勿論のこと、自分が終末の時には「人の子」として降臨するメシヤであることも、イエスは人々に、否、弟子たちにさえ、その時期が来るまでは隠しておかねばならないものであった。しかし、弟子たち全部ではなく、とにかく三人の主だった弟子のペテロ、ヤコブ、ゼベダイの子ヨハネには、自分がメシヤであることを打ち明けた方が良いとイエスは考えられて、それを実行するために三人を山の上に連れて行かれた事件が、奇跡物語となって残されたのが恐らく「変貌山」の記述だとシュヴァイツァーは言う(「マルコ」9:2−13、前掲書214頁)。
しかし、栄光の「人の子」として降臨するメシヤが、その前に受難して殺されるという思想は、余りにも弟子たちの思いを越えたものであったので、イエスがその話をした時には、ペテロがイエスを脇に呼んで注意するということが起こり、その出過ぎた行為をイエスによって強く叱責されている(前掲書216頁以下)。

 イエスが、終末をもたらすためには、自分の犠牲が必要であると考えられたのには、シュヴァイツァーによると、旧約聖書の「イザヤ書」53章の「苦難の僕」こそ自分であるとの自覚を持つに至った事情がある。神の怒りの顕現として終末には人類全体に関わる苦しみが与えられるというのが、終末を信じる人々の共通の認識であったが、イエスが見回したところでは、一向にそのような兆候はなかった。イエスはこの事実を神の人類に対する哀れみとして理解し、神のみ心は自分一人が他の全ての人々に代わって苦しみを受け、そのことによって遅れている終末の到来を神に速めて頂こうと考えたのだ。従って、イエスがエルサレムに行き、十字架にかかろうと決心されたのは、一種の神への祈りの行為と理解すべきなのだろう(前掲書216−217、223−225、232−233、241以下、259以下などの頁参照)。







 ところで、イエスは(後期になっての伝道の成功と共に)周囲に押し寄せてくる民衆には、勿論のこと自分がメシヤであることを隠していたのであったが、民衆の方はイエスをどのように理解していたのであろうか。シュヴァイツァーによると、民衆はイエスを終末の時に現れる(再来の預言者)エリヤだと考えていた。(イエスが、彼こそエリヤの再来であると考えていた)バプテスマのヨハネでさえ、人をイエスのところに送って、イエスがエリヤかどうかを尋ねさせている程である。イエスがエルサレムで死ぬために、そこに入城した折に、群集がイエスを歓呼して迎えたのもエリヤとしてであった。つまり、イエスが「人の子」として再臨するメシヤであることは、イエスと三人の弟子たちだけが知っている秘密であったのだ。何故ならば、イエスがメシヤであると分かれば、彼は早速に捕らえられて、宗教的冒涜罪(つまり、神の権威を僭称する罪)でサンヘドリン(議会)によって死刑を宣告されることが分かっていたからである。イエスを裏切ったユダが大祭司に与えた情報は、まさにイエスが自分をメシヤと考えているという事実であった(前掲書244頁以下)とシュヴァイツァーは言う。それ故にこそ大祭司は、イエスがメシヤなのかと質問して、イエスを死刑に値するものと判決し、ローマの官憲に手渡すことができたのであった。







 シュヴァイツァーの『イエス小伝』を紹介した後で、いろいろの感想が私には湧く。その第一は、シュヴァイツァーのような徹底的終末論を自分の立場として採用すると、後の神学がしばしば主張したような贖罪の考え方は誤りということになる。自分の苦難を、世の終わりを速やかに到来させるために喜んで引き受けたイエスには、自分の死後に教会が建てられることなど全く知らなかったし、まして教会の信者一人一人の罪を集めた全体と、自分の苦難が計量的に等しい価値をもっているとされるなどとは、考えもしなかったであろう。イエスはそんな等価値の苦難を神に捧げるために死んだのではない。そのような等価値を求めない神の慈悲に感激して死んだのだから。等価値を神が求めるなら当然起こるべき裁きの兆候がイエスの周囲に全く見えないことに深く感動して、それを要求しない神の慈悲に答えようとしたのだ。(その慈悲に頼って)終末の到来を速めて頂きたくて、等価値ではない、自分一人の苦難を神に自分の祈りとして捧げたくて、十字架に進んでかかったのだ。本当の祈りは、自分を殺すほどに憎んでいる人々のために、――その人々が神を知らず過って行動していることを指し示しながら、つまり神を証ししながら――その人々も神の国に入れるように道備えをしてあげることなのだ。この行為こそが神を動かして、恵みの終末をその人々のためにも速めて下さるように願う行為であった、と私はシュヴァイツァーに賛成しながら思う。

 第二に、イエスの「山上の説教」などを中間倫理と想定したシュヴァイツァーの立場は、かえって倫理的問題に当面した時の私たちを自由にし、解放してくれると私は考えている。イエスの倫理は、通常の私たちの日常生活が否応なしに直(すぐ)と終わってしまうという、非日常的な状況の中での倫理であり、日常生活の中で真剣に生きている者にとっては、文字通りに順守すべきものではない。それは、臨終の床にある者の倫理であるとも言える。しかし、臨終の時の、これ迄のしがらみから解放された者の目で、しかも愛の目で、物事を見ることは、しがらみの中の罪深い人間の日々の行動を浄化するのではないか。



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入力:平岡広志
2003.4.11