ユダヤ・キリスト教史 1997.6.10


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第6回 ――次元的区別  ( 1997.6.10)



野呂芳男







 キリスト教の神学者で輪廻転生説を肯定する者は現在は多数であるが、特に私にはこれを信じることによって、日本の他の諸宗教との接点を持てるのが無上に嬉しい。これを媒介として、キリスト教と他の諸宗教とを結ぴつけ、互いによいものを摂取できるようにすることが可能だからである。但し、因果応報説はイエスがはっきりと否定されたように、私も拒否する。誰かの病気や不幸がその人の前生か親の犯した罪か、どちらかの結果
であるというのでは、どうしてそのような因果応報の残酷な法則を神が造られたかが問われて当然である。前生や親の影響が今日の私たちに残ることは認めてもよいが、それが自然科学的法則と同じようなものと考えられるのは、それから抜け出る道がなくなり、何もできない神や自分を呪いたくなる。前生からの影響は神の愛の力で、私たちの現世を真に意味あるものとするためだけに限定されていると考えるベきであろう。世の中の仕組みは法則によって支配されているようなものとは違って、もっと実存的な、自由な人間や神の織りなす物語なのであって、自然科学の教科書ではない。
 ある人生では神も知らず、愛の大切なことも知らず、虚無的に生きて、そのような人生の空しさを徹底的に知る必要が、私たちにはあるのかも知れないし、ある人生では神を信じて人々に理解されずに、却って十字架の上で殺される悲しみと不幸の体験を徹底的に持つ必要が私たちにはあるのかも知れない。このようにして神のところに行くまでに、いろいろの人生の提供する体験を深く広く味わい尽くすことこそが、私たちの生きる意味なのではないだろうか。つまり、人間に可能な、愛にまつわる体験のすベてを味わうために、私たちは生きているのだ。






 これ迄の話を一応まとめてみると、「我とそれ」の関係は科学に、「我と汝」の関係は信仰とか宗教に関係すると言えるだろう。これらの両次元は区別されるが、無関係ではなく互いに影響しあうものである。これを私は次元的区別と称しているけれども、通常の二つの道路が直角に交差する時には、二つの道路を通行する二つの自動車には交差点で衝突する可能性が何時でもあるのだが、どちらかの自動車を上の空間に新しく造られた道路に持ち上げてしまうと(両道路の区別)、もはや二つの自動車の衝突の危険はなくなり、交差点で信号の変わるのを待つ必要がなくなる(両道路の相互影響)。

 18世紀のキリスト教は意識的にした訳ではないが、実際にはこの次元的区別に当たる仕方で宗教と科学の次元を区別し始めた、と私は思っている。ジョン・ウエスレーは、人間が神に創造されて神の像を魂に与えられた時に、その神の像には幾つかの特徴があり、一つの特徴として政治的な像があるとした。この政治的な像は人間の堕罪によっても完全にはなくならず、社会生活の中で役割を果たしている、と彼は考えていた。この考えは私の見るところでは、ウェスレ‐が神と人間との間(神と人間との「我と汝」関係)と、人間と世界との間(「我とそれ」の関係)とを次元的に区別したのだ。つまり、私たちは世界に対してはその管理の仕方を理性の科学的な目で探るぺきなのであって、世界に対して信仰的な、また、宗教的で情熱的な関係を持ってはならないのである。



 宗教がキリスト教も含めて人間の文化現象の一つとして考察の対象になる以上は、それは「我とそれ」の次元に属するものとして科学の対象となるのが当然であろう。18世紀以降に宗教(特にキリスト教)に関係する科学が種々発展してきたが、それらを次に並べてみよう。
人類学
考古学
宗教学・宗教史
聖書学(低等批評―聖書本文の確定を目指す。高等批評ー聖書の中の諸文書が何時、誰によって、何の目的で書かれたかを探究する)
聖書語学(特にヘブライ語とギリシャ語)
神話学(宗教には神々や仏たちの神話物語が多く含まれているので、それらの神話の意味を探ったり、また、どのように解釈したら良いのかを研究する)
象徴学(標識や記号は、それ自体に意味がある訳ではなく、意味のあるものを指し示すだけだが、象徴はそれと違って、その象徴のお陰で、それ迄は気づかなかった自分の魂の一面を自分に開き示してくれるものである。単に二本の木材が直角に交差しているに過ぎない標識としての十字架が、ある時、自分に対する神の愛を示してくれるものに変わってしまうと、「我とそれ」であった標識<直角に交差した二本の木材>が「我と汝」の象徴<私に対する神の愛を示す十字架>になる)

 このように次元的区別が理解されると、科学と宗教的信仰との闘争はなくなる筈であるが、残念ながら今日でもこの区別はなかなか守られないで、多くの人々が宗教を楽しむのを妨げている。少しぱかり過去のキリスト教の歴史に目を移して、科学の次元と宗教の次元とを混同したために、大変な混乱が起こってしまった例を見てみよう。







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入力:岩田成就
2002.8.23