野呂芳男 聖書を深く読む 99.11.9

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新約聖書を深く読む

1999年秋期第3回目 99.11.9


                               野呂芳男
                             (まとめ:當麻守彦)




1. 前回学んだロマ書第3章の中でパウロが改宗した教会の信仰告白とパウロ独自のキリスト教解釈との違いに就いて  

 パウロの生涯に大きな比重を占めていた教会はアンテイオケアの教会であるが、ここもローマの教会もパウロが創立したものではない。そしてパウロが改宗し属した教会では、その時既に一群の人々が信じていた信仰の姿があり、それをパウロが受け継ぎ、エルサレムの教会と激突した。パウロの手紙であるロマ3:21―26の中に幾つか隠された形で、パウロ以前の教会の人々の信仰告白が表現されている。これは後の時代に使徒信条にまで発展していったもので、パウロはこれを受け継ぎ、又聖書を歴史的に研究している学者達はこの箇所に注目している。つまりパウロの解説の中にアンテイオケア教会人の信仰告白が隠されている訳だが、それは先ずロマ3:21に出て来る。「律法と預言者によって立証されて」の部分が教会の既存の信仰告白なのである。ところが「何の差別も無い」の部分は異邦人とユダヤ人の間に差別が無い事を意味し、これは当然の事ながらパウロの純粋な解説である。又3:23―26はパウロの解釈である。この様に先ず原初的信仰告白があり、それを土台としてパウロの解釈を進めて行った事を読み取らねばならない。





2. ローマ書第4章に入る   

ロマ4:1の「肉による」とは「肉体を含めて世間的に言えば」、更に「系図を重視する」の意に連なる言葉である。アダム→アブラハム(ユダヤ人の祖先)→モーセに至り律法は仕上げられた。パウロは自分の信仰をローマに居るユダヤ人のクリスチャンに語りかけている。パウロはアブラハムが神の前に義とされたのは行いによるのではなく、唯信じる事のみによるのだと言いたかったのだ。旧約も自分と同じ事を言っているとして創世記15:6の「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた」という言葉を引いている(ロマ4:3)。そして創世記15:5の星の数ほど子孫ができるとの主の言葉をアブラハムは信じた。創世記15:9―10は旧約学者が最も大きな話題として取り上げる所で、英語では「契約を行う」は「契約を切る(cutting a covenant)」と表現するが、ここにも書かれている様に生贄としての動物の体を切り、その切口を僅かな隙間を介して向かい合わせ創15:12―18にある様に神はアブラハムとユダヤ民族の建国に関する契約を結ばれた。特に17節は犠牲となった死体の切口の隙間が意味する事をよく表現している。正に契約は「切られた」のである。

 さて創15:18の契約内容である「ユダヤ人にパレスチナの国々を与える」との約束に基づき、現代のイスラエルが強引にパレスチナに攻め入り、ユダヤの国を建て神から与えられた土地だと言って占領したことは正しくない。ダビデの王国やソロモンの王国は長い年月をかけて割合平和裏に創られている。従って旧約を通しての神の意志は20世紀のユダヤ人によるアラブ侵略と性急なユダヤ建国をサポートする事は無い筈だ。

 契約を結ぶ時、当時は相手の血を啜りあったり血だらけの足を汚して契約するなど、我々にはただならぬ情景と思える風習も当時としては極めてノーマルな情景であった筈で、暗闇の中を煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた犠牲の身体の間を通り抜ける恐ろしさと共に如何にユダヤ人にとって神との契約が真剣且心底からの契りであったかを考えさせられる。正にユダヤ人は契約の民であった事が分かる。この契約を口先でなく全心全霊を以って交わし且受け止める真摯さをユダヤ民族が西欧文明に投入してくれた遺産は大きい。

 以上の事を念頭に置きながらロマ4:3と4:5の「信ずる事により義と認められる」という言葉の意味するものを味合いたい。この問題に関するパウロの解釈は更にロマ4:6以降に及び、ユダヤ人と異邦人との差別無しに、又「割礼が条件ではなく、先ず信仰により義とされた後、義とされた証しとして割礼のしるしを受けた」といった彼独特の主張が一見「へりくつ」とも見える揺れ動きの中に貫かれている。そしてこの事はキリストの福音をユダヤ教から離さない様にしている彼の思想そ
のものと考えられる。

 これと同じ事が論理的には仏教や神道にもキリスト教を接木する事があり得るし、ローマンカソリックのマリア崇拝も然り、第一母神、天使崇拝、アイルランドの木の崇拝等様々であり、マテオリッチの中国伝道時に道教とキリスト教が合体した事も例として挙げられる。キリスト教もユダヤ教も接木をする事で豊かになって来た。

 仏教がインドで亡び、何故チベット仏教が生き延びたのか? インドに於は仏教徒がヒンズー化するのに抵抗し、チベット(北伝)仏教は大乗仏教となった。インド仏教は小乗(南伝)仏教として後日ビルマ、セイロン、タイ、カンボジア等に渡るが、その思想の核心は釈迦と同じ悟りを得ようとして自己一身の学道のみを事としたのに対し、大乗(北伝)仏教の思想の核心は釈迦を「対話出来る大いなる汝(相手)」として崇拝し一切衆生の教化救済を目指した。釈迦は宇宙大の大河の現れであり、海と考えてもよい。即ち大我である。チベット仏教は「汝という仏達」を保存しようとした。反対に小乗仏教では小我は大我(例えば観世音菩薩)のさざなみの様なものと考える。しかし「私が観世音菩薩のさざなみ」という考えは極めて哲学的でありヒンズー教(インド教)に吸収されても致し方なかった。この「私」は神のさざなみではない。やはり我々と神との間には「我―汝」という対話し得る大きな相手が必要だ。パウロはこの事に気付いていたと思う。実際ユダヤ教(旧約)の神は「大きな汝(対話の相手:人格神)」そのものであり、その意味でユダヤ教は良い歯止めとなっている事が解る。

 話はそれるがイスラムの汎神論がキリスト教神秘主義に影響を与えた事は確かである。その他ローマ帝国の中には色々な宗教が在った。それらがキリスト教に様々な影響を与えていると考えられるが判然としない。ロマ4:13はパウロのアブラハム解釈である。ロマ4:14―16は創世記22章「アブラハム、イサクを捧げる」によっている。宗教史学派の学者はこの個所をユダヤ人の間では早くから人身御供が無くなっていた事を寓話で語った箇所だとしている。氷河期以来地球上の多くの地域で行われていたこの慣習は南米メキシコではごく最近まで行われていた形跡がある等前回で触れた通りである。パウロはこの物語を念頭に置きながら語っているが、イサクは殺されたのも同じで、死人の中からの蘇りを意味すると考えた方が良い。パウロはロマ4:23までは旧約が福音の解釈に有力な助力を与える事を述べている。但しロマ4:25はパウロ以前の教会の信仰告白である。





3. ローマ書第5章に入る  

  ロマ5:1―5の中で神と人間との間の心の平和はヘブライ語のシャロームに相当する。この辺り苦難をも誇るといったパウロ思想の独壇場と言える。少し詳しく述べてみたい。練達とはPersonality(人格形成)を意味し、それは人と人との関係の中で揉まれながら備わって来るものだという事である。人間同志の対処の仕方を見ると、苦労して負けないで生きて来た人は割合楽観的であり、それに反しニヒリストは優しくない。一見希望無しとの状況下ではこうしたら良くなるといった積極策は生まれて来ないが、それでも互いに大事にし合い、哀れみ合う事は出来る。悲しみの共同体の中ですさんで行く連帯意識を見る事は寂しいが、人に良くし、くじけないその強さは何処から出て来るのか?ここでパウロが言っている事はどんな状況下にあっても人生は生きる価値があるという事である。キルケゴールが「絶望は罪だ」と言った事と同じで、最後の最後まで希望を捨てない事が大切だ。例えば講師は玩具集めに熱中するがその中で亀やヨーヨーがお気に入りである。その何れも、人生にはタイミングがあり、それを逃がさない事。又どうしようもない時には甲羅の中に閉じ篭る事や、毛虫の玩具の一つ一つの節の様に次の事は次の場面に出会わないと判らないという事を学び、その一節々々毎に希望があるという事を知って置きたい。仕事は一つづつしか出来ず全てにおいて時がある。神が私を取り扱う態度(神の摂理)も又然りである。この神の愛を信じていないと人間は焦る。希望は私達を欺かない。

 次にロマ5:5に出て来るパウロの言葉の中にある「聖霊」であるが、ダイスマンはパウロが復活のキリストの霊を指していると言っている。パウロの心に宿るだけでなく、パウロを包む空気の様なものと考えておくのがよいと思う。当時はまだ三位一体論は無かった。

 ロマ5:8―9の「キリストの血によって」は旧約の犠牲の血と同質であるが、「キリストの命によって」と考えよう。又キリストの血によって神の怒りが十字架上に雷の様に落ちたと考え、そのお陰で他の人々は助かったといった考えは大変寂しく貧しい考えだ。そうではなくてキリストのご生涯とその延長が私達に係り、キリストが血も生涯も含めて神に服従し、我々の罪を嘆き悲しみつつ、懺悔の祈りが十字架上に結実し、神に謝り執り成してくれたこと。つまりキリストの生命の全てによって我々が罪人と認められることから解放され、和解させて頂いたと考える事が大切だ。キリストは人を愛したがために苦しみ、何も知らぬ私のために殺され、殺した相手を赦して死んで行ったことを忘れてはならない。

 ロマ5:11まではパウロの素晴しい思想を表す言葉が散りばめられている。

 ロマ5:12からカルヴァンはアウグスチヌスに倣い原罪論を語った。しかし聖書にはアダムによって代々罪が親から子に伝わるとは書いていない。そもそも原罪遺伝説は教会教父のテルトリアヌスが言った言葉である。

 パウロにとってはアダムが罪を犯し、更に死が追いかけて人類の中に入って来た事は悪魔的な力として向こうからそそのかし、且支配する様に入り込んで来ると考えていた。そして人類は全て罪を受け入れてしまったのであって、決して生まれながらに原罪を遺伝的に背負って来るといった考えをしている訳ではなかった。

 従ってカルヴァンもアウグスチヌスも一つの解釈であるに過ぎない。パウロとてどの程度まで深い理解の仕方をしていたかは我々には判らない。 次回のローマ書第5章から6章まではいよいよローマ書の山場である。





            99.11.9  秋期第3回目の記録は以上   文責:當麻




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