野呂芳男 聖書を深く読む 99.10.26

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新約聖書を深く読む

1999年秋期第2回目 99.10.26

                           野呂芳男
                         (まとめ:當麻守彦)




1. キリスト教の福音をユダヤ教から切り離せなかったパウロ   

 ローマ書3章29-31節でパウロは「神はユダヤ人だけの神ではなく異邦人の神でもある、実に神は唯一であるからだ。そして共に信仰により義とされる。しかし信仰により律法を無にするのではなく、律法を確立するのだ」と言っている。これが本講義の骨子を象徴する言葉であろう。そしてユダヤ人と異邦人の2つの民族的区別と諸問題に関する取り扱いは3章の1節から始まっている。パウロがクリスチャンになった時は既にローマの教会は出来ていた。ユダヤ人は一度追い出され、ネロの時代に戻って来たことは前に述べたが、その時ローマの教会は異邦人主体の教会になっていた。当時のローマの社会的状況を見ると、人種的には多人種国家(米国と同じ)であったと言える。

 ところでユダヤ教はエルサレムの神殿中心で、民族的にはユダヤ単一民族として纏まっていた。ユダヤ人以外の人も居 たが、それが教会員となるためには割礼を受けるか、譲って最低清浄儀礼(Purity Law)を受ける事が義務付けられていた。食物規定も、異教の神々に犠牲として捧げられた肉は食べない等の掟があった。一方パウロは割礼はおろか清浄儀礼も不要と言い出した。そこでユダヤ人の優位点は何かといった談論を真剣に闘わすことになる。この様にパウロはどうしてもユダヤ教とキリスト教の福音とを切り離す気持ちになれなかった。

●キリスト教の成り立ちを考える時に下記の3点に着目する必要がある。
?初代のキリスト教徒には「イエス運動」の集団が在った。それはイエスの人格を慕って後を付いて回り、イエスの言葉が自分の人生を豊かにするのに役立つと考えていた人々である。
?エルサレムの指導者達(ペトロ、ヤコブ等)による神殿中心の宣教活動。
?パウロ中心の主に異邦人を中心とするキリスト教徒による活動。





2. キリスト教に及ぼしたヘレニズム世界の影響    

 ここでイエス及びパウロが如何にギリシャ的思考の世界に生きていたかに就いて述べる。

2-1.イエスについて   
 最近の研究ではイエスをユダヤ教の範囲だけで理解するのは難しく、イエスをヘレニズム的教養のある人物として考える様になって来た。従来大工の息子というのが定説だが、大工=インテリとの考え方がある。何故ならばイエスが育ち、伝道を始められたガリラヤの地は正統的ユダヤ教から外れた地であったと考えられるからだ。インテリとは広い文化的教養を身に付けた青年の意である。当然の事ながらイエスはギリシャ哲学の一派であるCynics(犬儒派)の代表者であったデイオゲネス(Diogenes ho Sinopeus 404―-323 BC)やマケドニア大王アレキサンダーの思想に傾倒していたという研究も存在する。例えば「金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通ることより遥かに難しい」といったイエスの言葉もCynicsから出た言葉である。つまりCynics(犬儒派)の思想がガリラヤに入って来ていた証拠である。それだからこそイエスはギリシャ的表現でローマを批判する事が出来たものと考えられる。とにかくイエスの言葉からは、度胆を抜かれるような非凡な言葉をしばしば聞く事が出来る。結局イエスはギリシャ的哲学の世界に身を置く教養を持っていたユダヤ教徒であったと言える。イエスをパリサイ主義に閉じ込めようとする人も居るが、イエスが終末思想を強調する様になる基盤はユダヤの影響ではなく、今述べた様なヘレニステイックな思考から生まれたものと思われる。

2-2.パウロについて
 パウロ中心のキリスト教徒の活動はパウロが復活のキリストと出会った時からとされているが、実はパウロがこれこそ基督教だと思って改宗していった信徒集団がその前に存在していた。先に挙げた?と?の活動を?のパウロ中心のキリスト教徒による活動が貫いて正しいと言いたいが、客観的に見るとイエスの後を追いかけていた人々が居た事と、バルナバ等パウロを迎える教会が既に在った事を記憶しなければならない。そしてパウロによる霊的なキリストの受け止め方といった本格的な出発が始まり、思考の体系付けが鮮明となっていった。パウロはユダヤ教とキリスト教を繋ぎ止めようとした。そして生涯を終えるまでこの二つを切り離してはいけないと思った。パウロの死後に至り、初めてユダヤの律法主義的風潮に無縁(旧約聖書無用論)なマルキオン等の考え方が登場する。彼はAD2C頃の反ユダヤ的グノーシス派の人で、キリスト教を他からの借り物で説明補足する事に反対し、キリストに表された愛は唯一のものだから源頭に帰って解釈すべきであるとした(哲事)。ここに至り本当にギリシャ的キリスト教が生まれ、旧約聖書を捨てても構わないという考え方の萌芽が見受けられる様になった。従ってパウロはその直前の教会で活躍していた事になる。

 さてユダヤ教と縁を切ってはいけないというパウロ主義を念頭に置きながら、ロマ書3章を読むと、4節は出典をギリシャ語訳の旧約聖書詩篇51:4から得ているが、我々が読む聖書はヘブライ語訳であるため読んだだけでは判らない。ロマ書3:5-8に関連してしばしば教会の中に自分が罪人である事を叫び、罪の告白を黒々と塗りたくらないと神の恩恵が示されないと考える人がいるが、これは不健康な考えである。似た体験を講師はアウグステイヌスの「告白」を読み、感動した事があるが、クリスチャンになる前のアウグステイヌスも仲々立派な人である事が分った。パウロはこういう論法は詭弁であるとして否定している。

 ロマ書3:9以下に入る。パウロは普通罪の数を複数で表現する傾向があるが、この箇所のみは単数で書いている。つまり罪を犯させるものを王(悪魔:単数)として考えて居る。その王の下に人は虜になって居り、パウロは世界の根源的闘いとして神と悪魔の二元論の立場に立って話を進めている。ルターも彼のロマ書講解でやはりこの個所を取り上げ、神と敵対する悪魔の支配下に人間は罪そして死に至る者として虜にされている存在であると表現している。ルターはこの罪に対し「神の怒り」を働かせる。我々が罪を犯すと神が怖くなる。所が悪魔に対しても死の魅力に捕り込まれて行く。ルターは人間が罪の魅力に突き落とされると言っている。それは火山の火口に吸い込まれそうになる心理(人生の無意味さを感じる)と同質のものである。罪人の心情に関してはパウロとルターはよく似ているが、パウロの中に在るギリシャ的な考えは中世の人であったルターには無い。ルターは唯ひたすら信仰のみに依って(allein durch den Glauben)義とされるとし、ギリシャ的教養をあざ笑う所があった。異邦人であったギリシャ人等を含み、ローマ帝国は巨大で、通用する言葉は殆どギリシャ語(今日の英語)であった。パウロの場合罪は悪魔的なもので、単なる律法の違反を表すだけではなく、人間の自由意志で行われる様な簡単なものではなかった。アダムの罪は巨大な形で神話的に全ての人類が罪の虜になる事に繋がったとしている。ロマ書3:10以下同18迄は詩篇14:1-3、同5:9、140:3、10:9、イザヤ書59:7以下、詩篇36:1等から引用されている。





3. 信仰による義   

 ロマ書3:19でパウロが語る「律法」の意味はモーセ五書その他の旧約の律法、更にユダヤ教が要求しているユダヤ人全体のしるしの事に就いて言っている。ユダヤ人のアイデンテイテイーは「律法の民」である。では律法の下にない異邦人はどうなのか? 彼等はユダヤ人でないので、律法(ユダヤ教)とは関係はないが、やはり罪は成立する。(ロマ3:21)しかし律法は道徳的命令としては発効するのではなく、イエスキリストを信じることにより、信じる者全てにキリストによって示された神の義が準備されている。(ロマ3:22)これは律法の民も異邦人も関係なく(差別なく)、モーセ五書や旧約の預言者達の書いた書物によって立証された神の義が示されるのである。「イエスキリストを信ずる事のみにより、信じる者全てに与えられる神の義」とは後日マルキオンの思想の基礎となるものだが、それは既にパウロの中に在った事が分かる。マルキオンの説明は反ユダヤ的かつ反律法的であるが、パウロはユダヤ教の持っている旧約預言者達の言葉によってキリストの予型として立証されている事を重視している。パウロは 神―アダム―アブラハム―ユダヤ教徒の流れとアダム――異邦人の2つの流れを何としてでも結びつけようとしている。当然ローマンカトリックもパウロ主義である。マルキオンの考えをキリスト教の発展と見るか否かは今後も続く課題となろう。

 イエスを追いかけていた人々はユダヤ人というよりはガリラヤの人達であり、「人種のルツボの世界」の人達だったと言える。

 さて神の救済の手段を研究する救済史観(Heilsgeschichte)という概念がある。神は人間を創造したが、人間は堕落し、神は人類を救うために歴史の中に行為を起こされた事を指す。それはパウロによれば旧約が証言する様に、神は先ずアブラハムを召し出しユダヤ人を中心に働き、その継続として今度はキリスト教として働くという直線的な形で行為されたと考える。その一本筋の通った歴史観の中に日本人や中国人等本来その路線とは無縁の者達も、ユダヤ教を知らないクリスチャンとして途中から神の摂理(救済に導く計画と秩序)に統合されて行く訳であり、そもそもキリストを殺害したのはユダヤ人だと見ると、この直線の上に乗っている者だけが救われるという救済史観として表現する事の問題点が指摘される。確かにプロテスタントやカソリックが植民地支配を通して教勢を拡大して行った歴史の過程で、あまりにも多くの問題が在り過ぎるのでHeilsgeschichteは決して直線的なものとは考えられない。

 ただ、他の宗教の長所も認めながらどうしてもキリスト教と決別出来ない理由は、十字架に架けられながらも私の罪を含めイエスが人間全体の罪を懺悔し、自分を殺してでも神に赦しを乞う覚悟を決めていた悲劇と愛のドラマを歴史的事実と受け止めた信仰による。神の義は高い所に在る(権威ある)者が低い所に在る(貧しく弱い)者に身を落として行く事によって成就される厳しいものである。

 この辺りの事がロマ3:21-26に書かれている。尚「キリストイエスによる贖い」に就いては又日を改めて話す。神の義の中に取り込まれるとは人間がキリストの贖いにより罪赦され、愛の中赦しの中に包含される事である。ロマ3:25の「血によって」とは「キリストの命によって」罪を贖う供物とした事であり、ロマ3:26は神が我々を罪人であるまゝの姿で愛の対象とすることを宣言されたのである。神の義は神が忍耐の内にご自分の正しさを証明しながらイエスを信じる者を義とするのである。従って自分が罪人としての偉大さを誇示するのは奇妙だが、良心を持つほど聖書の恐ろしさ、偉大さを考えさせられる。正に自分の命は神に委ねてあるとすれば軽々しい自殺は人間の傲慢と言うべきで、講師の姉上が長期の闘病により意識が戻らぬ状況下においてすら愛の交換が行われた例をはじめ、全生園(ハンセン氏病院)の重症患者や、ナチス時代の医師の身体を張った患者の救済等の例を通して、生きる事の尊さを教えられた人間は、たとえどんな状態になっても自分の生命に対して勝手な事は出来ない筈だ。

 ロマ書3:27-31でパウロはユダヤ教の本当の方向性はキリスト教へ向かうべきであり、又キリスト教はユダヤ教を成就するものであるが故に、ユダヤ教の内部に留まっている事は成就した事にならないと言っている。この箇所はキリスト教に於ける贖いの事実を信ずる事がモーセ五書とドッキングする事になるとするパウロの説得を強く読み取れる部分である。





※99.10.26  秋期第2回目の記録は以上  文責:當麻


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