野呂芳男「現代神学における神の国」
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現代神学における神の国
野呂芳男
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初出:『聖書と教会』1974年2月号、14−21頁。
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「神の国」を論ずるに当たり、我々はラインホルド・ニーバーから始めよう。ニーバーの貢献はおもに倫理学の領域にあった。彼の倫理的思考は、彼自身の組織神学的思考、即ち、神と歴史との関係や人間についての彼の思考の変化とともに移り変わっているのである。これは当然の事情と言わねばならないが、それにしても、ニーバーの場合には倫理への関心がおもになって組織神学的思考がそれに奉仕しているとの感はまぬかれない。 ニーバーの初期の神の国に関する思考は、大部分近代主義的な社会的福音の思想によって形成された。エール大学を1915年に卒業したニーバーは、若き牧師としてデトロイトに赴任し、そこに1928年までとどまった。デトロイトはフォード自動車会社の存在で有名であったが、ここでのニーバーの牧会は彼を絶え間のない社会的活動の中に引き摺り込んでいった。フォードに働く労働者たちの生活改善のための活動がニーバーの関心のおもなものであったが、それを通してニーバーの社会的福音の神学がためされたのである。当時の生活の記録とも言うべき『教会と社会の間で――牧会ノート――』(Leaves from the Notebook of Tamed Cynic,Chicago,Willet,Clark & Colby,1929)を読むと、そこにはアメリカ産業に対するニーバーのキリスト者としての怒りがいたる所に見られる。産業界の指導者たちの貪欲と盲目、また、中産階級が労働者の悲惨を理解するだけの想像力をもたないことへのニーバーの批判が、この書物の重要な要素となっている。デトロイトでの経験は、ニーバーの社会的福音をゆさぶったのであり、彼はこの信念をやがて大きく修正せざるを得なくなった。 ニーバーは1928年に、ニューヨーク市のユニオン神学校の教授陣に加わるためにデトロイトを去った。ところで、ユニオン神学校時代のニーバーに話を移す前に、デトロイト時代のニーバーが第一次世界大戦の頃ウィルソン大統領の理想主義を支持し、大戦後、その理想主義が醜い現実によって破られていくことに失望してクエーカー的な平和主義を一時自己の立場とするに至ったことを知っておかなければならない。そして、この当時のニーバーは穏健な、進歩主義的・改良主義的社会主義をその信念としていたのである。ニーバーとマルキシズムとの出会いは、彼がユニオン神学校に移ってからのことであり、アメリカの不況の深まって行った後のことに属する。1932年には、ニーバーはマルキシズムの立場に立ってウォルター・ラウシェンブッシュの社会的福音を批判する。ニーバーによれば、ラウシェンブッシュたちは、徐々に改良を積み重ねて行くことによって正義の社会たる神の国が実現するものとなしたが、それは中産階級的幻想なのであり、そういう平和な手段による漸次的改良が中産階級の経済的・社会的向上にとって都合がよいところから出てきた発想である。中産階級はグループ・エゴイズムについて無知であり、有産階級と無産階級との間に存在せざるを得ない階級闘争について知らない。従って、ラウシェンブッシュは道徳的な、また、教育的手段によって歴史を徐々に進歩させて、この地上に神の国を実現し得るものとなした。 ニーバーがマルキシズムにもっとも接近したのはこの時期であったが、しかし、この時期でもニーバーには平和主義の――それと一応絶縁したとは言え――強い影響が残っていて、それが可能ならば、ガンジー的な非暴力闘争による社会的変革を希望していたのである。また、ニーバーはこの当時、資本主義の時期に関するマルキシズムの歴史的分析を大体正しいとしていた。即ち、資本主義がどういう経過を辿って自己崩壊に導かれるかについてのマルクスの分析をニーバーは正しいとしていたのであるが、革命後の世界についてはマルクスの思想を幻想と見なしていた。ニーバーをもっともよく理解していると思われる友人のベネットによれば、ニーバーのキリスト教的マルキストとしての時期は1939年頃までであったが、マルクス的な歴史理解を棄てたあとも、彼が社会主義を信奉した時期は1948年まで続いたのである。しかし、1940年頃よりニーバーは徐々にロシアでの社会主義の実験に失望するようになった。そして、同時に彼は、漸次アメリカのニュー・ディール政策の実用主義的アプローチに好意をよせるに至った。1949年のニーバーのイギリス訪問は、社会主義のもつ問題性、即ち、社会主義が利益追求という資本主義のもつ労働への刺激に代わるものをもっていないという事情、及び、社会主義が官僚主義を避けることができない状況に彼を強く目覚めさせ、彼はもはやキリスト教的社会主義の有効性を信じないと公言するに至ったのである。 デトロイトでの経験によって信念をゆすぶられたにもかかわらず、ニーバーはマルキシズムとの出会いを体験する前は、その平和主義の時期をも含めて近代主義者の一人、人間の社会的・倫理的努力によって神の国が地上に実現すると信じていた一人と言ってもよいであろう。そこには、歴史の進歩や人間の善の努力の有効性、及び、人間や社会が完全なものになり得ることへの信仰があった。しかし、ユニオン神学校の教授陣に加わり、ニューヨークでの社会活動を行うに至った経験が、デトロイトで予感していた人間のエゴイズムの深刻さを彼に確信させたようであるし、その頃にマルキシズムとの出会いが存在して、ニーバーは理想主義を棄てて階級闘争による社会変革を目指すに至ったのである。そこでは、歴史の徐々なる進歩への信仰は見られない。丁度この頃にニーバーは弁証法的神学に接しているし、聖書やアウグスチヌス、ルターやカルヴァンやキルケゴールを本格的に勉強し出して、彼独特の人間論を築くに至った。そして、人間の罪の深刻さの理解から、近代主義神学の人間論が人間の悪への傾向に対して楽天的であるとしたのみならず、マルキシズムの人間論さえも人間の権力欲的エゴイズムの確執さに対して盲目であるとなしたのであった。これが、ニーバーのいわゆる新正統主義である。 新正統主義のニーバーにとっては、神の国はこの地上で実現されるものではなかった。それは終末論的な成就となったのである。ニーバーに対する賞賛をいつも口にしていたジョン・S・ウェイルが終末論に関して言った言葉は、そのままニーバーの言葉であったとしても差し支えない内容をもっているが、ウェイルによると、「歴史の絶対的な終わりや世界の終わりや最後の審判という観念は、一つの限界概念(Grenzbegriff)である。それは、我々のあらゆる思索の限界を示すものとして立っている象徴である・・・。誰も死が何であるかを知らないし、知ることができないと同じように、・・・誰も歴史の終わりが何であるかを知らないし、考えることができない。・・・重要な点は、聖書の象徴的な表現によると、歴史の終わりがいつも超自然的なもの、永遠的なもの、『全く他なる』ものとして描かれていることである」。即ち、神の国は歴史を限界付けるものとして 歴史の外 のものとなっているのである。 神の国と歴史との関係についてのニーバーの思考は、勿論その人間論と相関している。ニーバーの成熟した人間論を、我々は彼のギフォード講演の中に見ることができる。ニーバーの人間論は、ウォルフ(W.J.Wolf)も指摘しているように、キリストによる神の啓示と現実の人間の分析的理解との循環的相関関係に依存しているのであるが、特にニーバーに独特な強調点は人間の自由にある。人間はその身体性において自然との深いつながりをもっており、その意味では必然的な自然法則の支配下に入る。しかしながら、人間はその精神によって部分的・相対的にではあっても、自然から外に出ており、ある程度自然を支配して自己の生を築いて行く。自然に対する人間のこの部分的超越こそ、人間の自由である。人間はこの自由を行使して、隣人を愛し、善を促進して行く無限の可能性をもっていると同時に、この自由を行使して、自己の利益を追求し、悪を促進して行く無限の可能性をもつ。二つの方向に行き得る無限の可能性をもつ人間の自由がおりなすものこそ歴史なのであり、ニーバーはこういう主張によって、 歴史と自然との断絶 をきわめて明瞭にしてくれた。従って、神の国が歴史の進歩によってやがて必然的に歴史の内に実現するとか、スターリニズムのようにソヴィエトにおける革命後のプロレタリア独裁がやがて必然的に階級なき社会へ移行い得るというように、歴史を自然現象のごとくに語ることをニーバーは拒否する。 勿論ニーバーにとっても、神は自然や歴史の中で創造者・救済者・審判者として働かれる存在である。しかし、歴史の中での神の働きは、人間の罪深き自由の行使によって、いつもその完全さを破られる。神の受肉の出来事であるキリストこそ、神が歴史内で事実働いておられることと、キリストの十字架が象徴するように、その働きが歴史内では完全なものとならないこととをよく示している。キリストの十字架は、神の働きが十分には歴史内で実現されず、神の愛の完全な実現は歴史を越えていることを示す。歴史内での神の働き、人間の善への無限の可能性は、いつも相対的な実現としてとどまるし、それらがどのように高度の実現を見ようとも、それは、それを存続させようとの神の恵みに支えられて人間の努力が維持されなければ、いつも再びその実現の高みから転落する。 神の死の神学者の一人であるウィリアム・ハミルトンは、ニーバーによって代表される新正統主義の倫理に対して批判的である。ハミルトンによれば、ニーバーの社会に対する姿勢はペシミスティックなものであり、この現実に対するペシミズムのゆえに、ニーバーの倫理は、人間が「内的服従と用心深い現実主義と、成熟した心をもって悲劇的な社会構造を受容すること」に集中してしまった。ニーバーはその有名な祈りの中で、我々が改変することのできるものと、改変することのできないものとの区別を知ることができるようにと神に要請した時、その時の彼にとっては前者に属する多くのものが存在したが、ハミルトンは、時の経過と共にいつのまにかニーバーはそのペシミズムのゆえに、後者に属するものを多く見るようになった、と言う。確かに、人間の罪を強調し、米ソの冷戦を是認する神学者であった点など、また、近代主義神学の地上に実現される神の国を全く否定し去ったことなどは、ハミルトンの批判を正当なものとするし、晩年のニーバーにおいては歴史の未来における良き社会への期待よりも、現実への妥協が目立つ。しかし、我々は忘れてはならない。ニーバーはアメリカのヴェトナム戦争への介入に反対であったし、ニーバーの批判した共産主義はスターリニズムであった。更に、ニーバーの人間の善・悪両方への無限の可能性という主張は、歴史内における人間の善への可能性へのオプティミズムにもなり得るのである。
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(2)
最近の「福音と世界」(1973年11月号)に大庭健氏が「バルトにおける神の国と社会主義――ゴルヴィッツァーらの所説によせて」という立派な論文の中で、おもにゴルヴィッツァーによる論文を紹介しながら、バルトの神の国の概念を論じておられる。詳細は大庭氏の論文にゆずるが、要するにゴルヴィッツァーの言うところは、次の事柄である。バルトの1920年前後、あの『ローマ書講解』出版の頃は、バルトが宗教社会主義を 清算して 弁証法的神学者として歩み出した時期であり、その歩みの行きついたところが『教会教義学』に見られるバルトの神の言葉の神学であるとよく言われるが、これは間違いである。解釈のしようによっては宗教的社会主義とバルトが訣別したように見える発言がこの時期には見られるのであるが、ゴルヴィッツァーたちによれば、それはバルトが社会主義運動を、福音の本質と無縁なものとしたと見られてはならない。むしろ、バルトの目指したものは教義学と倫理学の一体性であり、神と人間との関係で、キリストにおいて神はイニシアティヴをとって人間を救うという恵みの業をなされるということが、人間を隣人との関係で、人間を真に人間らしく生かしてくれる社会を作るための戦いに追いやるのである。即ち、バルトは社会主義を清算して福音主義に到達したのではなく、資本主義のもつ非人間性がファシズムに結実しつつあるその時期に、福音と律法との一体性、神の国と社会主義との一体性を神学的に解明しつつファシズムに立ち向かったのである。しかし、社会主義はバルトにとって神の国そのものではなく、その写しであり比喩である。と言っても、社会主義が比喩であって終末の神の国そのものではないという事情が、我々の社会的実践を少しでも後退させるようなものであってはならない。 ナチスに対する抗争、また、その後におけるバルトの政治的発言や行動を幾分でも知る我々は、ゴルヴィッツァーやトゥルナイゼンが、そのバルトの解釈において正しいとする大庭氏の所論に賛成するものである。しかし、 希望の神学 というようなものが神学界を賑わしている今日の時点からこの論争を振り返ってみると、バルトとニーバーの相違は縮小されてしまっている。と言うのは、バルトが神の国と社会主義とをどれ程接近したものとして描こうとも、二つのものはバルトにとって決して一つのものとしては見られていないからである。後者は前者の写し、あるいは、比喩にすぎない。現実政治における社会主義の理解や、未来の歴史との関係でそれがになう役割について、バルトとニーバーとが意見を異にしていたことは明らかであるが、しかし、両者が神学と倫理とのつながり、終末の神の国と政治実践とのつながりをどのように考えていたかという点では、根本的には一致していたと言わざるを得ない。即ち、両者にとって終末の神の国は歴史内のどのような政治形態とも全く一つになるということはなく、歴史を超越したものであり、バルトにおいても終末の神の国は歴史に対する 限界概念 なのである。ただ、歴史内での人間の自由への無限の可能性が、隣人愛において歴史内で可能な限り花開いたものとして真の社会主義的社会が見られているにすぎない。 しかし、既に我々が見てきたハミルトンのニーバー批判に見られるように、ニーバーがその晩年、実際にはアメリカの現実政治との妥協が目立ち、若き頃の歴史変革の情熱のおとろえを見せたのに対して、バルトはその最後に至るまで歴史の未来に明るい希望をかかげ、希望において我々が社会変革にかかわらねばならないことを説いた。『教会教義学』の中でバルトがどのように希望における生(Leben in Hoffnung)を説くか、我々はここで見ておく必要があるであろう。バルトによれば、我々の未来への希望は単に永遠なるものへの温かい愛をもつこと、時間的なるものへの冷たい軽蔑をもつことではない、もしも我々が終わりのものだけに希望をつなぎ、従って、終わりより前のものの領域を希望のない場所とするならば、そこはお話にならない程の悪霊の跳躍の場になってしまう。終わりより前のものの領域においても、強い希望に支えられてキリスト者が生きなければ、とてもこれらの悪霊に打ち勝つことはできない。キリスト者の希望は、この世における時間的生の進展にも向けられていなければならない。キリスト者はこの世を、なるべく早く棄て去るものとし、希望なきところとして放って置く訳には行かない。この地上で、今ここで、主に仕えない者が、あの時に神に仕えることができるとは思えないからである。もしもイエス・キリストが時間の目標であるならば、まだ贖いの日はこないとしても、少なくともその目標に向かって動いているという事実によって、我々の時間は部分的にではあっても限定されているのである。時間のもつすべての暗さやあいまいさ、時間が伴ってくるあらゆる誘惑や危険にもかかわらず、我々の生きている時は、終わりの決定的なものに、全く近く立っている出来事のおこりつつある時なのである。丁度滝に向かって流れる川のごとくに、我々の時間は、この終わりから流れの勢いを不可抗的に得るのである。こういう事情なのであるから、キリスト者が現在から将来へと動いて行く彼の生活の中で、キリストの再臨の目に見えるしるし(die sichtbaren Zeichen)を求めざるを得ないとしても不思議ではない。 バルトによる歴史内でのキリスト再臨の目に見えるしるしの追求が、神の国の歴史内における写し、あるいは、比喩となるような政治へのバルトの追求と相重なるものであることはわざわざ指摘するまでもないであろう。ところで、教義学に専念したバルトの場合は、倫理学を専攻したニーバーよりも永遠なる神の国、歴史を超えた神の国に関する強い発言があったことは当然であろう。ニーバーにも、歴史の中ですべての問題が解決しなくても歴史を超越した神の国の中にそれがあるという確かさがある。この確かさが、一切を歴史の中で解決しようとの病的なあせりから我々を自由にする、とニーバーは考えている。しかし、永遠なる神の国についての思想は、ニーバーにおいては十分に展開されているとはとても言えない。それと比較するならば、バルトがその『教会教義学』の「終わりつつある時間」(Die endende Zeit)という一節に書いた死に向かっている人間に関する叙述だけをとっても詳細をきわめている。そこには、我々の時間が身体の死によって限定されていることが、我々の生涯に区切りを与え、我々を悪無限から解放するものであるがゆえに、神の恵みであることが説かれ、また、身体の死が、神が必ずしもそれをもって我々の生を終わりにするということを意味しないことが説かれている。即ち、人間が罪を犯さず神の怒りを受けなかったならば、身体の死を越えて人間は生きることができたかも知れないのである。ところが、罪を犯している我々にとっては、身体の死は今や神の審きのしるしであり、そこに我々に対して死のもつ悪魔的性格が由来している。このようにして、人間と蝿とは同じように死ぬが、しかし、死の両者に対してもつ意義は全く異なる。キリストの贖罪に信頼することを通して、人間は神の審きを通過して永遠の生を獲得する。 さてバルトはあるところで、神の国の到来が特定の人々のためのものではなく普遍的なもの(Nicht partikular,sondern universal)であると書いている。即ち、神の国の到来はあらゆる時代、あらゆる場所に生きた信仰者集団の見るところとなるばかりでなく、地上にかつて生きたし、生きているし、生きるであろうすべての人々の見るところのものである。これはまるで、希望の神学の提唱者たちの言う普遍史や世界史のようにも解されかねないバルトの言葉であるが、それとは違う、ここでも、バルトの言っている神の国は歴史の限界概念なのである。
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(3)
今日の神学的状況から振り返った場合に、バルトとニーバーとの相違は縮小されていると我々が言った時、それは彼らの神の国と歴史との関係についての思考が、共に十字架型であると思っているからなのである。彼らにとって、神の国とはまず、人間と神との垂直的な関係であって、人間が歴史上のどの時点に立っていても、身体の死と共に入るところのものである。神の国は歴史を超越しており、歴史を言わば外側から包み込む。歴史は横の線のごときものであって、歴史が進展して行ったら神の国に入るようなものではない。神の国は歴史の上に映りや比喩をうみだすであろうが、しかし、神の国の到来は歴史の終わりであり、歴史が歴史ならざるものへ入り込むことである。神の国と歴史との関係は、これらの垂直線と水平線との緊張関係であり、キリスト者は垂直線と水平線との交差するところで死んで行ったキリストのごとくに、この緊張に引き裂かれて生きなければならないのである。 ところが、モルトマンやパネンベルクの希望の神学の出現と共に、この十字架型の思考が崩されたように思われる。我々の見るところでは、垂直線が横に倒されて水平線と重ねられ、神の国が水平線の未来に、単に比喩とか写しとかいうものではなく、実体として歴史の中に入り込んできたのである。これまでは、人間は神の国との関係で二つの方向での出会いをしていた。即ち、一つは上との関係であり、そこでは、人間はこの地上にあり身体をもっている限り、不十分な関係しかもてず、神の国は死後入り得る場であった。勿論、この地上においても人間は既に神の国の前味を味わっているのだが。もう一つは水平線上の未来での神の国の待望であったが、ここでも人間は、人間の歴史が存続する限り神の国自体には入れず、神の国の到来は人間の歴史の終わりであった。歴史を突き抜けて神の国の中に入り込まねばならなかったのである。ところが、希望の神学では、我々は神の国と一つの仕方での出会いしかもたないのである。それは水平線上の未来においてであり、しかも、神の国は歴史への限界であるばかりではなく、人間の歴史の中の現実として考えられているのである。即ち、今日の歴史の時点で我々のなす事柄が、この歴史的現実となる神の国と 連続する ものとしてとらえられている。我々の行動は、もはや神の国への あかし というような、歴史を超えたものを、歴史と質的に違ったものを指差し示すものではなく、神の国は我々の行動をつらぬいて形成されつつあるのである。従って、希望の神学においては、この歴史の中に我々は、歴史を終わらせるものとして到来する神の国のしるしを求めるのではなく、形成される神の国の実証できる軌跡を求めるのである。即ち、バルトやニーバーにおいては、神の国は全く神の力だけで到来するのであり、人間はその到来へいかなる形でも参与はしない。ところが、希望の神学においては、神の国の形成に人間は参与するのである。神の国は人間の行動をつらぬいて世界史の中に形成されるのである。 モルトマンやパネンベルクが黙示文学に注目したのは、この事情を物語るものに外ならない。黙示文学では世界史の中に神の国が出現する。バルトにとっては、神の国は救済史(Heilsgeschichte)との連続にあるあるものであり、世界史(Weltgeschichte)の問題ではなかった。救済史は世界史の中に隠れて存在しており、やがて神の国の出現の時には、世界史は救済史に飲み込まれてしまうのであった。しかし、救済史がすべてのすべてとなる時とは、歴史が終わる時でもあった。モルトマンによれば、聖書は神の約束の神であり、歴史の中で成就される神の約束を信じることが、神を信じる者には要求される。従って、神学的認識の道は、ギリシア的永遠の追求のごとく、歴史の外へ向かうものではなく、(約束という)歴史的なものから(その究極の成就たる)終末論的・普遍的なものへと向かう。即ち、歴史の終末は普遍的な歴史たる世界史内のものとして見られている。またモルトマンによれば、この歴史の中でキリストの十字架と復活にあずかるものとして生活するキリスト者にとっては、神の国は精神化されたものでも彼岸的なものでもなく、此岸的なものであって、終末の神の国の新しさは、本質的に言って、我々がキリストの十字架と復活にあずかって知る神の国の本質と異質のものではない。即ち、此岸的なものなのである。要するにモルトマンにとっては、世界史が神に関するキリスト教的論述のすべてを包含する地平となっているのである。 残念ながらこの小論の紙数の関係上、パネンベルクについての詳しい論述も他のところで我々が既に論じたことでもあるので差し控えなければならない。ただ、ここでも指摘しておかなければならないのは、黙示文学へのパネンベルクの興味が、 世界史 を神の啓示の場と見るに至らせていること、世界史の終わりの時期に世界史の中で神の完全な自己啓示がなされるものと見なさしめていることである。 ところで、モルトマンとパネンベルクとの間には、世界史内に実現する神の国の待望の仕方に微妙な相違が見られる。神の国を、目に見えないし、手にふれることのできない救済史の出来事としないで、それを我々が世界史に対してとると同じ実証的な仕方で問題とするようになったことは、今の我々の行動がそのまま(質を異にせずに)神の国を到来させるための準備となるということを意味するが、この点で、モルトマンとパネンベルクは共に、バルトやニーバーとは違った主張をうみ出した。そして、こういう神の国は、現在の我々の行動に対して 目標 (平和と愛の共同体)を与え、その世界史内の実現の可能性を信じさせ、それに向かって我々を駆り立てる。モルトマンやパネンベルクにとって、平和と愛の共同体は歴史を超えたところのもの、世界史内には実現不可能のもの、単なる理想であることを止めたのである。しかし、モルトマンにとって、この終末の神の国は我々の行動がそれらを与えられるにふさわしくない にもかかわらず 、神が人間に対してなされたキリストを死人の中から復活させた神の力への信頼のみが、人間の神に対する反逆と罪とにもかかわらず、モルトマンにとっては、愛と忍耐とにおいて神は、そのよしとされる時まで、人間が悔い改めて神の国を迎える準備ができるのを待っておられるということになり、その間、神は人間の罪と反逆のために 愛の苦難 を負われることになる。これに対して、パネンベルクの場合には、終末の神の国に向かって世界史、あるいは、普遍史(Universalgeschichte)が動きつつある しるし を我々がある程度実証的に把握できるものであることが主張されている。信仰は知識の犠牲ではなく、ある程度実証的にも納得した上で冒険的に信頼するものであるとパネンベルクは言うが、キリストの復活にさきどりされた形で見られる終末の神の国は、我々の永遠の命の国、愛と平和の共同体なのであるが、こういう神の国への信仰は、我々の中にある永遠の生への渇望、また、世界史に見られるごとき世界が一つになりつつある現実、実際にユダヤ人や異邦人をへだてていた壁がとりはらわれつつある現実によって支えられているのである。最後に、希望の神学におけるがごとく、十字架型の神と人間との思考がくずれ去って、水平線型の思考になってしまったところに起こると見られる二つの問題点だけをあげて、この小論をとじたい。 (1)永遠と時間との関係をどのように考えるかによるのであるが、水平線型の思考の場合、終末の神の国が世界史内に到来する以前にこの世を去る人々の永遠の命は、そういう人々の死後の神との関係はどうなるのであろうか。もしもそれらの人々が、終末の神の国到来までは、神との関係をもたなくなると言うならば、それはそれなりに筋が通るが、それで信仰者は満足するだろうかとの質問が直ちにはね返ってくる。 (2)水平線型の思考では、十分に悪と悲惨の問題が解決されるであろうか。人間が終末の神の国に至る歴史の途上、道徳的にも身体的にもあまりに多くの苦しみを体験する時、終末の神の国はそれらの苦しみを正当化し得るだろうか。こんなに苦しんでまで世界史内に神の国をもちきたらす必然性があるのだろうか、という疑問である。
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入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/
2002.10.24
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