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Archive ここで読めるテクスト
雑誌に掲載されたまま単行本に収められていない論文やエッセイ、説教や講義の記録、未発表原稿などを中心に公開していきます。ここでは、テクストを内容上5つのパートに分類して表示してありますが、年代順で見たいかたは Bibliography(書誌) のコーナーを御覧下さい。
■実存論的神学
■ウェスレー研究
■キリスト教と民衆宗教
■キリスト教と文学
■説教・講義/その他
※テクスト利用上の御注意
実存論的神学
実存論的神学は、三部作とも言うべき 『実存論的神学』 (1964)、 『実存論的神学と倫理』 (1970)、 『神と希望』 (1980)で展開されています。中でも、『実存論的神学』は、最初にその基本主張が世に問われた記念すべき一冊であり、したがって最良の入門書でもあります。(現在絶版中ですが、松鶴亭により増補改訂版が準備中です。) また、『実存論的神学と倫理』(1970)の中の第1章「実存論的神学の展開方向」は、実存論的神学が1960年代の神学的諸潮流(実存主義、バルト神学、歴史神学……)に対してどのような位置を占めるものであるのかについて、きわめて明確に述べられています。すでに神学思想になじみ深い方にはおすすめです。
ただしこれらの論文は本格的な研究論文であるため、難解だと感じられる方もあるかも知れません。そういう方のためには、より一般の読者に向けて書かれた 『キリスト教の本質』 (1990)をおすすめします。この本では第4章が「実存論的神学」の基本的な立場の紹介にあてられています。
また、こうした著書に収録されなかった論文の中には、キリスト教神学の基本的なテーマについて一般信徒むけにやさしく解説した文書や、実存論的神学が形成されるに至る道のりで記された野心的な研究論文もいくつかあります。ここで紹介するのは、主にこうしたテーマにそって書かれた論文です。これらのテクストによって、実存論的神学が伝統的なキリスト教の主題をどのように解釈するのかが理解できると思います。
著書 →各著書の目次
・『実存論的神学』創文社、1664年
・『実存論的神学と倫理』創文社、1970年
・『神と希望』 日本基督教団出版局、1980年
・『キリスト教の本質』松鶴亭出版部、1995年
・『キリスト教神学と開けゆく宇宙』松鶴亭出版部、1996年
神学的方法論
・「話し合いの問題と神学的認識論」『神学』13号、東京神学大学神学会、1957年11月
・ 「神学における主観客観構造の超克」(『基督教論集』第9号、青山学院大学基督教学会、1962年、97-119頁 (※後に加筆の上、『実存論的神学』第5章として再録。)
・「福音と人間の結合点」『福音と世界』1959年5月号、新教出版社、32−37頁
・「キリスト教の実存論的理解」『創文』1964年4月6日号、創文社、12−13頁」
・「実存論的方法論確立の苦悶」『興文』1965年12月号、キリスト教出版協会、2−5頁
・「神学方法論としての聖書解釈学の問題」「日本の神学?』日本基督教学会、1965年
・ 「『実存論的神学』の批評に答えて」『基督教論集』第12号、青山学院大学基督教学会、1966年
・「神話の季節の再来」『キリスト教学』立教大学キリスト教学会、1975年
・「イエスの組織神学的探求」『歴史の中のイエス』新教出版社、1983年 (※『キリスト教と民衆仏教』に修正の上、所収)
・ 「伝統論」『熊野義孝の神学』新教出版社、1986年 (※『キリスト教と民衆仏教』に所収)
・「戦後日本の聖書解釈論」『聖書と教会』(3月号)日本基督教団出版局、1987年
・ 「回想の神学者たち」『キリスト教学』第32号、立教大学キリスト教学会、1990年
・「神学研究四十年」立教大学最終講義、1991年、『基督教論集』第35号、青山学院大学基督教学会、1992年、1-19頁
神・キリスト・聖霊・人間
・ 「実存論的なキリスト論への一試み」『基督論の諸問題−石原謙博士喜寿祝賀論文集』創文社,1959(243-275頁)
・「贖罪論の実存論的理解方向」『パウロ研究−松本卓夫博士古稀祝賀論文集』創文社,1961(209-238頁)
・「聖餐の実存論的理解」『宣教と神学−浅野順一博士献呈論文集』創文社,1964(401-446頁)
・「キリスト教の実存論的理解」『創文』1964年4月6日号、創文社、12−13頁
・「キリストと歴史」『キリスト論の研究』創文社、1968年
・"Christ and History", The Immanence in Contemporary Theology, 1969, Northeast Asia Association of Theological Schools.
・"Transcendence and Immanence in Contemporary Theology", 1969, The Northeast Asia Journal of Theoligy, Northeast Asia Association of Theological Schools.
・ 「人間論」『教義学講座?』日本基督教団出版局、1970年
・「今日における神観の一問題」『キリスト教学』立教大学キリスト教学会、1977年 (※『神と希望』に第2部第二章として改稿の上所収)
・「聖霊論−−この古くして新しき論題」『聖書と教会』1982年
・「 今日の英米神学――復活理解をめぐって」 『聖書と教会』 1983 年 4 月、日本基督教団出版局、 14-19 頁。
・「パウル・ティリッヒにおける宗教と芸術 」 ( 『聖書と教会』1986年8月号、2−7頁)
死・終末・永遠
・ 「虚無への勝利(マタイ6:16−34)」『福音と世界』1958年7月号、新教出版社、2−5頁
・「現代神学における神の国」『聖書と教会』日本基督教団出版局、1974年
・ 「終末論と希望の教説」『終末論』創文社、1975年
・「キリスト教の時間論」『エピステーメ』朝日出版社、1975年、12月号
・ 「ティリッヒの死」『死と終末論』創文社、1977年
・「終末論をめぐって」『聖書と救会』(6月号)日本基督教団出版局、1986年
・「永遠の命について」『聖書と救会』(7月号)日本基督教団出版局、1986年
・ 「最後の審判について」『聖書と救会』(8月号)目本基督教団川版局、1986年
・ 「死をめぐって説教で何を語るか」『聖書と神学』日本聖書神学校キリスト教研究会、1986年 (※『キリスト教と民衆仏教』に第1章「死と復活」として修正の上、所収)
・「終わりの目標――終末論」1987年
・「希望の宿命論」『聖書と教会』(特集:希望)、1991年4月、日本基督教団出版局、14-19頁。
神の死の神学
・ 「神の死と人間」『理想』理想社、1968年
・「ポール・ヴァン・ビューレンの思想的移行」『キリスト教学?』立教大学キリスト教学会、1972年
・「神の死の神学」『教義学講座?』日本基督教団出版局、1974年
・「『神の死』と神」『神観の研究』創文社、1978年 (※『神と希望』に第2部第三章として改稿の上所収)
倫理と実践
・「愛の実存」『聖書と神学』関束学院大学神学部、1965年
・ 「実存論的キリスト教と倫理」『理想』理想杜、1965年
・「神学における歴史と自然の問題」『紀要』青山学院大学文学部、1966年
・ 「シュヴァイツァーの『生への畏敬』」『基督教論集』第14号、青山学院大学基督教学会、1968年、209-230頁 (※後に加筆の上、『実存論的神学と倫理』創文社、1970年の第三章「神学と倫理」に編入)。
・「ニヒリズムとキリスト教倫理」『福音書研究』創文社、1967年
・「キリスト教的人間観と暴力」『真理と創追』佼成出版社、1983年 (※『キリスト教と民衆仏教』に所収)
・ 「身体の非神話化」 『聖書と教会』1983年
キリスト教神学展望
・「現代英国の神学者たち」『福音と世界』1965年12月号、新教出版社、64−70頁
・「宗敦攻革と近代」(浅野順一編『キリスト教概論』)創文社、1966年
・ 「実存論的視角より回顧した弁証法的神学」『理想』理想社、1967年
・"Anstosee zum Gesprach", Gott in Japan, 1973, Chr. Kaiser Verlag, Munchen.
・"God and the Absurd", Hermeneutics and the Worldliness of Faith――A Festschrift in Memory of Carl Michalson, 1977, Drew Gateway, Drew University
・「プロテスタンティズムの明日」『聖書と教会』1979年9月、日本基督教団出版局、8-13頁。
・「戦後日本の神学――回顧と展望」『福昔と世界』新救出版社、1985年
・ 「静穏」 『この一筋につながる――高柳伊三郎先生記念文集』高柳伊三郎先生記念文集刊行会、1985年、80−82頁。
・ 「神学における発想の転換――開け行く宇宙に促されて」 『聖書と教会』(1月号)日本基督教団出版局、1990年
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ウェスレー研究
John Wesley(1703-1791)は、今日のプロテスタント信仰の源流の一つであるメソジスト運動の創始者です。野呂芳男は日本キリスト教神学専門学校の卒業論文のテーマにウェスレーを選んで以来、日本のウェスレー研究の第一人者として、ウェスレー学会の活動を中心に活躍してきました。『実存論的神学』の「あとがき」にもあるように、実存論的神学形成の背景には、それに先だってウェスレーの体験主義的な神学との出会いがありました。その意味では、ウェスレー研究は野呂芳男にとっては単なる歴史研究ではなく、自己の神学形成の重要な一角を占める思索の営みであったと言ってよいでしょう。
著書としては、大著『ウェスレーの生涯と神学』(1975年)の他、清水書院の「人と思想シリーズ」の中の一冊として刊行された『ウェスレー』(1991年)が初心者向きに分かりやすく書かれています。またウェスレーの論文や説教集の翻訳もあります。(Bibliographyのコーナー参照)
1963年に日本基督教団出版局から出版された『ウェスレー:その人と思想』(日本基督教団出版局教団出版局)の増補改訂版が近く出版されることになりました。このうち、新規加筆部分となる 第9章「研究の進展」 の一部を、このサイトで公開しています。これは、1963年以降のウェスレー研究の動向について紹介し論評を加えたもので、現在進行中のウェスレー研究の新たな動向について、野呂芳男の立場から批判的に応答したものです。(2004.1.20)
他のページでも紹介しているように、上記の計画は、『ジョン・ウェスレー』(松鶴亭、2005)という全く新しい本の出版という形で実現しました。この4冊目のウェスレー本では、実存論的神学とウェスレー研究の関係がこれまで以上に明瞭に示され、しかも最新のウェスレー研究をふまえた上で、著者の実に半世紀を越える研究の到達点が示されています。研究書でありながら、一般の人々にもわかりやすく書かれた親切な本でもあります。詳しくは Publications の頁をご覧下さい。(2005.12.27)
著書 →各著書の目次
・ 『ウェスレー ――その人と思想』日本基督教団出版局、1963年。 (改訂のため1996年に加筆された「?? 研究の進展」の一部を当サイトで公開中)。
・『ウェスレーの生涯と神学』日本基督教団出版局、1975年
・『ウェスレー』人と思想シリーズ95、清水書院、1991年
・『ジョン・ウェスレー』松鶴亭(出版部)、2005年
論文
・「ジョン・ウェスレーに於ける義認と聖化」 日本基督教神学専門学校卒業論文、昭和22(1947-48)年度
・「最近のウェスレー研究」 『興文』1959年8月号、キリスト教出版協会、8−9頁
・「ウェスレーの信仰の性格」 『ウェスレーとカルヴィニズム』(ウェスレ ーとカルヴィニズム双書1)日本ウェスレー協会、1963年
・"The Character of Jhon Wesley's Faith" (Wesleyan Studies No.3)1967,Wesleyan college,Macon,Georgia
・"Wesley's Understanding of Christian Perfection" (Wesleyan Studies No.3)1967,Wesleyan college,Macon,Georgia.
・"Wesley's Theoligical Epistemology", The Iliff Review, 1971, Iliff Theological Seminary, Denvor.
・ 「完全論に関する二論文の発掘」 『渡辺善太−その人と神学』渡辺善太米寿記念文集刊行会編、1972年、219−234頁
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キリスト教と民衆宗教
近年、キリスト教と他宗教の対話がキリスト教の内部でもさかんに議論されるようになりましたが、野呂芳男はとくに『神と希望』(1981年)以降、この問題にきわめてユニークな視点から取り組んできました。そこには二つの特徴があると言えます。一つは、キリスト教の対話相手を道元や親鸞といった人々の高度な宗教思想ばかりに求めるのではなく、地蔵信仰や観音信仰といった一般庶民のあいだに広がる素朴な信仰に求める点です。二つ目は、宗教間対話を、互いの共通点を抽出するようなやりかたではなく、互いのユニークさを生かし合うような形で行うという点です。
こうした独特の立場から、キリスト教と主として民衆仏教との対話を論じたのが、立教大学退官の年に出版された『キリスト教と民衆仏教』(1991年)です。この本の柱は、第4章「十字架と蓮華」にあります。この長い論文は、「友人A」との交友を物語ることをとおして、その対話の中で議論が深められていく構成になっています。これはすでに学術論文のスタイルを大きく逸脱していますが、考えてみると民衆宗教について語るには実はふさわしいスタイルと言うべきかも知れません。A氏の魅力的な人物描写や、私小説風の場面設定に議論を挟み込んでいくという構成に、ついつい引き込まれながら読むうち、読者は分厚い本を一気に半分以上も読んでしまっていることに気づくことでしょう。A氏は誰であるのかといった探偵小説めいた謎ときの楽しみも持っていけないはずはありません。
この本以降の野呂芳男の著作活動は、基本的にキリスト教の日本の民衆宗教への接ぎ木をテーマにしていると言っていいかも知れません。というより、そうした接ぎ木の実践として主に松鶴亭出版部を中心とした著作活動があり、また キリスト教会ユーカリスティア 開設があるのではないでしょうか。なお、民衆宗教との対話のきっかけの一つとなった秦公平氏の作品との出会いについて語った「『慈子(あつこ)』の思い出」は、<キリスト教と文学>のコーナーにも掲げてあります。
著書 →各著書の目次
・『キリスト教と民衆仏教――十字架と蓮華』1991年、日本基督教団出版局
・『キリスト教の本質』1995年、松鶴亭(出版部)
・『キリスト教神学と開けゆく宇宙』1996年、松鶴亭(出版部)
論文
・ 「現代における諸宗教間の対話――集中型と拡散型」(エルンスト・トレルチを回想しなから)」『聖書と教会』(3月号)1989年
・ 「キリスト教と民衆宗教」 『聖書と救会』(11月号)日本基督教団出版局、1990年 ※(『キリスト教と民衆仏教』1991年に所収)
・「民衆宗教としてのキリスト教――万有救済説を中心とする一考察――」『基督教論集』第37号、青山学院大学基督教学会、1994年、139-159頁
・ 「『慈子(あつこ)』の思い出」 『黎明』創刊号、松鶴亭(出版部)、1995年
・ 「諸宗教を根底づけるキリスト――聖母マリヤ信仰を中心として」『黎明』第3号、松鶴亭、1997年
・ 「キリスト教と他宗教との対話<道教編>」(道教学者・窪徳忠氏との対談)『黎明』第3号、松鶴亭、1997年
・ 「イエスと出会い、不意条理と闘う」 『朝日新聞』1999年3月22日
・ 「女神信仰と『ピノッキオの冒険』」 『黎明』第5号、松鶴亭(出版部)、2001年、LXI-XC
・ 「日比野英次君の書評に触発されて」 2006年3月20日
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キリスト教と文学
野呂芳男には、いくつかの文学に関するエッセイがあります。立教大学時代には、自身の提案により開講された「キリスト教と文学」を隔年で4度担当しましたが、そこではカフカ、パステルナーク、カミュ、椎名麟三、サリンジャー、ボールドウィン(86、88年の場合)などが取り上げられました。物語の各場面が持つ神学的意味を読み解きながら聴講者たちの目の前に描き出されるイメージは鮮やかで美しものでした。たとえばパステルナーク『ドクトル・ジバコ』の中で乗客が協力して線路の雪かきをするシーンや、椎名麟三の『邂逅』で最後に主要登場人物たちが互いに一定の距離をとりながら通りを歩いていくシーン、またストウ夫人の『アンクル・トムズ・ケビン』の中で逃亡奴隷のエリザが子どもを抱いたまま雪解けの水が渦巻くオハイオ川を渡りきるシーンなど……。
文学者・秦恒平氏とは個人的な交流もあり、そのいきさつなども含めた興味深い作品論が「『慈子(あつこ)』の思い出」です。氏のホーム・ページ 文学と生活 にはこのエッセイが電子テキスト化されていますが、当サイトにも同じものを転載させていただきました。
・ 「サリンジャーの宗教的世界」 『ユリイカ』(3月号)青土社、1979年
・ 「笑いの構図」 『ユリイカ』(10月号)青土社、1979年
・ 「夢・ノンセンス・宗教」 『ユリイカ』(5月号)青土社、1981年
・ 「吉行文学の心象風景」 『ユリイカ』(2月号)青土杜、1981年
・ 「神学と世界観を媒介するもの」 『DEREK』第5号、1985年、35-41年
・ 「慈子を読む」(秦恒平『湖(うみ)の本』?「慈子」(下)、「湖(うみ)の本」版元、1988年
・ 「神と不条理――椎名麟三を読む」『キリスト教と民衆仏教』日本基督教団出版局、1991年、298頁
・ 「『慈子(あつこ)』の思い出」 『黎明』創刊号、松鶴亭(出版部)、1995年
・ 「ボールドウィン『もうひとつの国』とキリスト教<前編>」『黎明』第2号、松鶴亭(出版部)、1996年
・ 「ボールドウィン『もうひとつの国』とキリスト教<後編>」『黎明』第4号、松鶴亭(出版部)、1999年
・ 「女神信仰と『ピノッキオの冒険』」 『黎明』第5号、松鶴亭(出版部)、2001年、LXI-XC
・「日比野英次君の書評に触発されて」 当サイトに書き下ろし、2006年
・「人生の諸段階(キルケゴール)について」 当サイトに書き下ろし、2006年
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講義・説教/その他
野呂芳男の説教や講義の記録がいろいろな形で残されています。 朝日カルチャーセンターでの講義草稿が、ワープロ原稿として残っていました。また、「みずき教会」時代の説教は、毎週の週報として残っているようです。ここでは、それらを電子テキスト化して初公開する予定です。その他、詩の翻訳など、いろいろと秘蔵の原稿がありそうです。見つかり次第、公開します。 現在名誉牧師を務めるキリスト教会ユーカリスティアでの説教や講義はほぼすべて録音されていますので、今後これらをテープから起こしてここに掲載していくことが考えられます。
■説教
・「万霊節にあたって」 キリスト教会ユーカリスティア礼拝説教、2002年8月3日(入院中の病院にて録音)
・「虚無の克服」 日本基督教団水海道教会礼拝説教、1984年6月10日(説教集『イエスは主なり』水海道教会編、創文社、1989年)
・「普段着の宗教、キリスト教」 日本基督教団出版局教団代々木教会礼拝説教(録音テープ)
・ 「キリスト者の完全について」 (本多記念教会礼拝説教 2005年10月23日)
■講義・講演
・「宗教的回心について」 (NHKラジオ、1984年8月12日06:30〜07:00放送)
・「ユダヤ・キリスト教史」(講義全41回)
1997年春から1998年春にかけて 朝日カルチャーセンターで 行われた講義の草稿、全41回分を公開します。
・ 「新約聖書を深く読む」(講義全41回) 現在アップ進行中!
1999年春から2002年春にかけて朝日カルチャーセンターで行われた講義を、聴講者の當麻守彦氏の詳細なノートから再現します。最も新しい野呂神学の展開をここから知ることができます。
■書評 まとめてこちらにおいてあります。
・ <書評>G・A・ターナー著『ウェスレー神学の中心問題』――『興文』1959年5月号、キリスト教出版協会、11頁
・ <書評>オランダ改革派教会教書・乾 慶四郎訳『カトリックとプロテスタント』――『福音と世界』1959年6月号、新教出版社、25頁
・ <書評>「実存論的な組織神学への試み」C.マイケルソン『歴史のかなめ』――『福音と世界』1960年11月号、新教出版社、66−69頁
・ <書評>土居真俊著『ティリッヒ』――『興文』1961年3月号、キリスト教出版販売協会、12頁
・ <書評>R.ブルトマン著・米倉充訳『原始キリスト教』――『福音と世界』1961年10月号、新教出版社、50頁
・<書評> N・フェレー著、緒方純雄訳『キリストとキリスト者』――『興文』1962年2月号、キリスト教出版販売協会、11頁
・ <書評>「『新約思想の成立』の独創性と問題性」八木誠一『新約思想の成立』――『福音と世界』1964年3月号、新教出版社、62−66頁
・<書評>「教会的実存主義の香気」熊野義孝『教義学』第三巻――『福音と世界』1966年2月号、新教出版社、64−68頁
・ <書評>八木誠一著『キリストとイエス』――『興文』1969年6月号、(財)キリスト教文書センター、19−20頁
<書評>アルタイザー、ハミルトン『神の死の神学』小原信訳、新教出版社――『聖書と教会』1969年5月、日本基督教団出版局、48-50頁。)
・ <書評>八木誠一著『新約思想の探求―第一論文集』――『興文』1972年4、5月合併号、(財)キリスト教文書センター、14−15頁
・ <書評>金子晴勇『ルターの人間学』――『キリスト教学』第16・17号、立教大学キリスト教学会、1975年
・ <書評>L. Gilkey, "Reaping the Whirlwind ― A Christian Interpretation of History"―― 『キリスト教学』第16・17号、立教大学キリスト教学会、1975年
・ <書評>Gilkey, Langdon: Reaping the Whirlwind―A Christian INterpretation of History, New York, Seabury Press, 1976 、『キリスト教学』第20号、立教大学キリスト教学会 、1978年、110-115頁(※後に『神と希望』日本基督教団出版局の60-69頁に編入された)
・ <書評>A・R・.ピーコック『神と創造と科学の世界』(塚田理・関正勝訳)――『キリスト教学』第25号、立教大学キリスト教学会、1983年
・ <書評>木田献一『旧約聖書の中心』――『キリスト教学』第31号、立教キリスト教学会、1989年
・ <書評> シドニー・オールストローム著、児玉佳興子訳『アメリカ神学思想史入門』――『本のひろば』1990年5月号、(財)キリスト教文書センター、14−15頁
■対談
・<対談>「日本の神学と世界の神学―マイケルソン教授を囲んで」Dr.Carl Michaelson(ドルー神学校、組織神学教授)、野呂芳男、熊澤義宣、『福音と世界』1958年10月号、新教出版社、50−59頁
・<座談会>「日本の神学と教会の課題」高崎穀(司会)、野呂芳男、大内三郎、渡辺信夫、新見宏、佐藤敏夫、佐古純一郎、『福音と世界』1959年9月号、新教出版社、18−31頁>>TOP
【テクスト利用上のご注意】
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