野呂芳男「吉行文学の心象風景」1981
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吉行文学の心象風景
野呂芳男
初出:初出:『ユリイカ』1981年2月号、171−185頁。
(1)
ある新聞に東京工業大学の平沢弥一郎教授(医学博士)が学会で発表した研究に関する記事が載っていた(1)。見出しは「あんよが下手な現代人――『足の裏』博士が警告」というもので、それによると、平沢教授は三十数年間にわたり一万人を越す人たちの足の裏を見て、現代人はつま先の働きが退化し、体の重心が後ろに移動しており、このままいくと人類は近い将来に滅亡するだろう、という結論を出しているのである。原因のうち大きなものは食べもので、現代人はかたいものを嫌うために下あごが小さくなって、重い頭を支え切れずに重心が移動し、かかとで歩く人間となった、ということである。この記事には説明図まで入っていて懇切丁寧に、つま先に重心をかけて歩くことの重要性が説明されていたのだが、医学方面の事柄に全く疎い私には、ただそういうものかという反応以外はなかった。そのうち、つま先に重心をかけて歩くと猫背になるのではないか、とふっと思った。(併し、本当にそうなるのかどうかは、実験したことがないので分らない)。猫背の人こそ人生を強くしぶとく歩き抜く人なのか、と考えた途端に、吉行淳之介氏の小説の主人公たちがしばしば猫背の男として描かれているのに思い及んだ。
例えば『鳥獣虫魚』の「私」は、好きになり始めたよう子に関して「いつも背筋をしゃんと伸ばし、夕日に照りはえるたくさんの人間の顔を愛している彼女が、私のような猫背の姿勢をこのむ男と一しょにいて、退屈しないのか。そのことも、ときに私を不思議な心持にさせた」と言っている(2)。猫背は、他所(よそ)から襲ってくる何かの衝撃を背を丸めて堪える姿勢であろうし、何かから意識的に自分を隔てる姿勢でもあろう。見て見ぬ振りをすることともなる。邪魔な形や色彩をことごとく捨象して、自分の内面に閉じこもるにふさわしい空間を周囲に作り上げることでもある。
その頃、街の風物は、私にとってすべて石膏色であった。長くポールをつき出して、ゆっくり走っている市街電車は、石膏色の昆虫だった。地面にへばりついて動きまわっている自動車の類も、石膏色の堅い殻に甲(よろ)われた虫だった。 (3)
『鳥獣虫魚』のこの冒頭の描写は、主人公が閉じこもった内面空間を外に反映させたもので、色彩が消されているばかりか、主人公以外の人間の存在を思い出させる市街電車も自動車も昆虫に変えられて、主人公を脅かさないものとなっている。『星と月は天の穴』という題名も、主人公を取り巻く空間たるこの世界は一つの暗室のような闇で、窓の穴のように星と月が、向う側に存在するかも知れない光りの世界を告げ知らせている、という意味であろうし、『暗室』という作品名がその事情を示していることは説明の必要がない。『闇のなかの祝祭』の闇も勿論以上の事情を語るものだが、この作品名が示すように、石膏色の街、暗室、闇の中では祝祭が、絢爛たる祭りが行われているのである。燻し銀のような壁板に映った炉の火のように。また、社会を外の光の世界とすれば、この祝祭の行われる領域は『原色の街』ともなる。
吉行氏の小説世界では、男が女と共に、一切の邪魔を避けて暗室の中に退き、性を通して生きるということを血みどろになって、なまで体験しようとしている雰囲気が満ちている。併し、相手は飽くまで人間でなければならない。性だけの動物であってはならないのである。『鳥獣虫魚』の主人公は、
会社からの帰り道、街角で、不意に私は出遇ったのである。 人間の形をして、人間の顔をした一人の女 に出遇ったのだ。
直角の街角を曲った瞬間、私はその女に出遇った。
私たちは、正面からぶつかり合いそうになり、間近かに向い合って、立止った。 (強調は引用者)(4)
これが、吉行氏の小説を、猥褻文学に近付いているようでいて、それからへだたったものとしている。
(2)
主人公の猫背の姿勢や暗室は、積極的には、生きることの祭りを行い、世間ではとかく失われがちな生きていることの実感を強く深く体験して、もう一度世間に出直すために閉じこもる事情を表現しているが、消極的には、世間に傷めつけられて、世間から逃げて閉じこもる姿勢の表現でもある。吉行氏の場合にも、先ずこの消極的な姿勢があったように思われる。吉行氏は、戦争中の体験をあまりしばしば作品の中に書きつらねない。その描写は、むしろ分量的には少ないほうであろう。併し、氏の作品群の背景を燻し銀の色に埋めつくしているのは、この戦争体験から重たく氏の心の中に淀んだニヒリズムである。
『暗室』の中田は、庭の池のコンクリートの底が水苔で覆われ、沢山の大きなみみずが底から直立してゆらゆら揺れているのに気付き、お手伝いの少女に150匹程のメダカを買って来させる。無色透明なビニール袋に一杯つまったメダカを、袋の口をほどいて池の上に注ぎ出したところ、勢いあまってメダカは池の面に突き当ってしまった。その瞬間、「150匹のメダカは腹を横や上にして、池の底に横たわってしまった」のである。
衝撃を、受けた。
死屍累累という言葉を、私は思い出した(意識の底のほうで、動いたものに私は気付いていた。昭和20年5月25日の夜、東京に最後の大空襲があった。防空壕に入らず空を見ていた私の左右5メートルずつのところに、幾つかの焼夷弾を束ねる役目をする太い鉄の筒と、焼夷爆弾が落ちてきた。翌朝焼け跡に戻ってきたときに分ったわけだが、爆弾のほうは不発弾だった。渋谷宮益坂に、地面が見えないくらいびっしり死骸が敷きつめられたように倒れている、という噂が伝わってきた。二日後、その場所を歩いたときには、もう取り片付けられていたが・・・)。 (5)
ここで私にとって意味深く思えるのは、戦後25年もたって出版された作品の主人公に関して、吉行氏がこのような戦争体験にまつわる描写をしていることである。もっと直接的に、恐らくは自分の家を空襲で焼かれた時の体験を土台にして書かれたと想像されるのが、戦後10年して書かれた「焔の中」に描写されている空襲下に逃げまどう人々の姿であろうが、こういう自分の死や人々の死と向い合った体験が、今日の吉行氏の生きる基本姿勢を作ったように私には思えて仕方がない。なるほど奥野健男氏が言うように、1940年に吉行氏(16歳)は腸チフスにかかり、その療養中に父エイスケ氏が急死した事件があって、これが吉行氏の心に何かの異変を起したと言えるであろうが(6)、これも父の死という形での死との出会いであることには変りがない。
いずれにしろ、吉行氏の小説の底には死との出会いがある。「鞄の中身」の男は、内蔵をすっかり持ち去られた薄べったい自分の死体を 匿さなくてはならない と思う。(自分が、死に占領されたニヒリストであることを見せびらかすような、形而上学的ポーズは照れ臭いのであろうか。)そこで傍にあった鞄の中に、その死体を畳み込む。
死体は、たやすく鞄の中に入ってしまった。その鞄を提げて逃げる。
しかし、鞄を持っているのは私なのだ。その中身も私である。なぜ逃げなくてはいけないのか、という疑いが頭を掠める。とにかく、中身は死体である。そういう鞄を持っているからには、逃げなくてはならないだろう。 (7)
吉行氏の小説の主人公たちは、自分の死をいつもぶら下げているように見える。死体でありつつ生きている人間たちである。本来人間の死とは生の終りに来る筈の事件なのだが、 (・・・あの男も、私も、どんな人間でも、その躯が占めている僅かな空間を幾十年かのあいだそれぞれ特有の形で引掻きまわした挙句、消えてゆく。皆、同じ灰になる・・・)(8)戦争中における死との出会いを媒介として、死は吉行氏の人生の青春期にまで溯って入り込み、それから後は氏の人生の中にどっかりと座り込んでしまったように思える。否、恐らくこの死は更に溯行して、人の誕生までも無意味さで彩る。つまり、人間は誕生以来、死の事件が訪れてくれないので、死ねないので、仕方がないから生きている。
20年前、一人の娼婦の口から出た「 ついでに 生きている」という言葉は、それと同じ内容をさまざまな表現で言い現すことができる。いずれにせよ、私は現在でも「 ついでに 生きている」という気分が、心のどこかにある。そういう気分で生きている人間が、子供を持つことは無意味としかおもえない。したがって、私には子供はない。 (9)
これは『暗室』の主人公の言葉であるが、他にも「自分の家系を自分で断絶してしまおう」とか、「生きていること自体が間違いだ」というような言葉もあるようだ(10)。
併し、何と言おうと、人間は生きたいのだから吉行氏の小説の主人公たちは、皆死によって死に蝕まれ、死に追われているにも拘らず、性に行き、そこで自分が生きていることの実感を得ようとしている。死と性とは死と生であり、死の不安が強烈であればある程、性において生を燃焼させる。死と性は隣り合わせ、表裏一体である。前に挙げた、自分の死体を鞄の中につめ込んでいる男は、「その作業をしていると、死体の手触りがつるつる滑らかなのに気付いた。皮膚が小麦色に光って、若い女の肌のよう」(11)なのに気付く。
この鞄を持った男は逃げている。何から逃げているかと言えば、世間からと言えるであろう。併し、この男はかつて馴染んだ女を思い出して尋ねて行く。女は男を全く覚えていない。男は鞄の中の自分の死体の顔を見せたら思い出してくれるかと考え、鞄の掛金をはずして中身を見せようとする。化粧品か何かのセールスマンと勘違いした女は、「そういうものなら、間に合ってます」と言って、男の鼻先で勢いよくドアを閉める (12)。
馴染んだ女が、死体なら間に合っている、と言ったように読者には解釈して欲しい。作者の状況設定でもあろうか。女も死に蝕まれ死体を生きているのだ。これ以上、死は沢山なのである。死体を生きている人間は、たとえ同類であっても他人を避けて孤独に生きる。ところが、前の吉行氏の作品の中では、こうではなかった。例えば『鳥獣虫魚』の主人公は、胸をわるくして、背中の骨を何本か取ってしまったために身体が歪んでいる恋人の小さな躯をひきよせる。
「君の傷を、僕が治したい」
そして、一層あらあらしく、彼女の躯を揺さぶった。彼女じゃ私の腕の中で、身をもんだ。
そのとき、不意に、鈍いこもったような音がひびいた。蛇腹に穴のあいたアコーデオンを、勢よく引きのばしたような奇妙な、音だった。
彼女は私の胸に顔をかくして、呟いた。
「わたしの肺が鳴るの。骨がないから、きゅうに躯を動かすと、あんな音がするの」
私は、いとしい気持ちで一ぱいになった。私はもう一度、彼女の大きな傷痕に、慈しむように唇をあてた。その傷痕のもっと奥深いところに潜んでいる、彼女のもう一つの傷にも届くように、私は唇をおしつけた。 (13)
ここには、死のニヒリズムに傷つけられた者同士が、互いの傷を舐め合っている姿が見られ、「悲しさ、寂しさの涯に作者は真実の愛の、とらわれ、わずらわされる愛のよろこびを見出している」(奥野健男氏)(14)と言えそうである。人生の谷底に落ちこんだ者同士の助け合い、この恋愛の詩的な旋律は、「男が女を救うなどとは、天に向って唾を吐くようなものではないか」、「牝犬と牡犬、それが一番いいんだ」(15)と作中人物に言わせる吉行氏の言葉とも調和する。確かに人間が他人を救おうなどとは思いあがった生き方で、軽蔑されても仕方がない。愛は相手と同じ平面で相手を求める。男女の場合には、虚飾を取り去って牝犬と牡犬ということともなろう。ところが、吉行氏の作品の中では、思いあがった態度を棄て、牝犬と牡犬になることが、相手と人間的な深い、虜になるような関係をもつことの全面的な拒否となりかねないのではないか。加賀乙彦氏は、「吉行の作品によく現われる状況は、男が女を好きなうちは幸福だけれども、いったん愛してしまったら不幸になるということである」(16)と言っているが、本当のところ吉行氏において、わずらわされることのない自由と、虜となる愛とは、どのような関係にあるのであろうか。
奥野健男氏は、『闇のなかの祝祭』(1961年)までは愛のわずらわしさを避ける傾向が、それ以後は愛の虜となる主人公が、主要な作品のテーマとなっていることを指摘するのであるが(17)、あるいはそうかも知れない。だが、その場合、『暗室』や『夕暮まで』のように元に戻ってしまったような作品をどのように説明したらよいのか。川嶋至氏によると(18)、カタルシス型の作家である吉行氏は、『闇のなかの祝祭』までは重く暗くのしかかってくる性を作品の中に吐き出して来たのだが、それ以後はも早や、吉行氏にはカタルシスを行う必要がなくなり、性は単に作品を作る手段となった、と言う。そのために、近年のみがき抜かれた吉行氏の作品の中に、川嶋氏は人間的なものに触れることができないもどかしさを感じる、と言う。
『闇のなかの祝祭』を境として吉行氏の作品にどういう変化が起ったかという問題はさておいて、わずらわされない自由と、虜になる愛との間を、吉行氏自身はどこかで一つにまとめてはいないだろうか。それを探る手掛かりになるような言葉は、作品中に存在しないであろうか。『星と月は天の穴』の中に、次のような文章がある。
AはB子に会って、自分自身を恋愛状態に置いた。瀬川紀子に会った自分は、自分たちを牡犬と牝犬との関係に置こうとしている。しかし、この二つの場合には、ある類似点がありはしないだろうか。
自分は、ことさら紀子を手荒く取扱っている。それは、女とのあいだの濃密な人間関係への憎悪と恐怖のためである。しかし、隣り合わせにあるのは、そういう関係への憧れではないか。その点で、自分はAと重なり合う。
「紀子を手荒に取扱うことは・・・」
彼はベッドから起上りながら、考えつづけている。
「紀子を品物と看做すことにはならない。却って、紀子との結びつきを深くすることだ」 (19)
わずらわされない自由と、虜になる愛とは、ここでは類似点があるものとされ、表と裏のように隣り合せていて、両者を一つに結び付けているものがある。私には、それは吉行氏がエゴイズムという言葉によって表しているものと思える。吉行氏の言うエゴイズムは、単なる利己主義とは異なる。『暗室』の中でのある会話を取り出して見よう。
「中田さんはエゴイストだから・・・」
「ちょっと待ってくれ、エゴイストでない人間がいたら、お目にかかりたいね。たとえば犠牲的な行動をする人間を突き動かしているものも、結局はその人間のエゴイズムだよ。あるいは、自分自身の立居振舞にたいして、極端に審美的な眼を持つと、他目にはエゴイストではないように見えてくる場合もあるが、それも結局はエゴイズムから出てきていることさ・・・」
夏枝を相手にこんなことを喋るつもりはなかった(私を多弁にさせたのは、一つには戦争中の記憶が作用している。当時は、エゴイストは非国民と同義語だった。自分をエゴイストだと言い切るには、ずいぶんの勇気を必要とした筈である) (20)。
戦争中の体験に裏付けられたここでのエゴイズムは、圧制に対する自由のための抵抗ともなり、また犠牲的な行動を生み出すものでもある。高見順氏は、ボートの中から『原色の街』の娼婦春子が、岸にいる浮浪児たちにキャラメルを投げた折りに、主人公のエゴイズムから来た恐れを描かざるを得なかった吉行氏に触れて、主人公元木英夫のエゴイズムは、人間侮辱の行為を自分が見ねばならないという苦痛から、自分を守るものだと言っているが、このように吉行氏の使うエゴイズムという言葉を、通常世間でそれを使う利己主義という言葉に何とか合わせて解釈し、つじつまを合わせることもできようが(21)、併し、矢張りそれは無理であろう。
吉行氏の言うエゴイズムは、自由と愛とにまだ分れない、これから二つに割れるであろうところの、熱い、生きているということそれ自体である。それは人間のエゴが体験するものではあるが、併し、人間のエゴの中に、エゴの奥底の向う側から湧き出てきて、入り込んで来るもののようである。吉行氏の小説の主人公たちは、性の体験によってこの湧き出てくるもの、溢れ出てくるものの中で湯浴みしようとする。
愛は、こちらから進んで自由に虜となるところに成立するのであるから、どうしてもとらわれない自由を前提とする。とらわれない自由は愛の束縛を嫌うけれども、実は愛へと向わない限り、何のための自由であるかが分らず、それ自体の中に重く淀み、遂には悪臭を発するに至る筈のものではないか。淀まないように、流れない水を淀ませないために、刺戟を強めてひたすらに掻き混ぜても、刺激と倦怠との連鎖を断ち切れず、この悪循環は主人公たちの内面屁の のめり込み を深め、孤独の凄惨を強めるだけである。併し、吉行氏の作品に対して、ここまで言ってはならない。魂の凄惨な頽廃を氏は描こうとはしない。氏は意識的に、中途半端な所に留まろうとする。魂に関する問題に対しては、即ち「人生の意味を探究するという姿勢のあからさまなもの」に対しては、氏は我慢がならないと表明する(22)。つまり、性を媒介として体験し得る生の自由な豊かさが、それから一歩束縛の愛へ踏み出して行くかどうかをためらっている、そのもっとも人間らしい状態、 決断のためらいそのもの を吉行氏は描くのを得意とする。これに反して、愛へは踏み出さないと決断してしまい、とらわれない自由の中だけで、その淀みを掻き回している感のある『砂の上の植物群』は、凄惨な魂の頽廃を描写するほうへ少しばかり歩み出してしまったように思える。そこでは、サディズム、同性愛、多人数の同時性交、兄妹相姦などが、まるで自由の実験であるかのように描かれているが、そのためにこの小説がすぐれたものであるとは思えない。この小説の中でこれらの性の描写を救っているのは、主人公と父親との関係である。 神の如く に主人公を圧迫する父親への反逆の種々相、父親からの自由の確認のための血みどろの戦いと見做して、初めてこれらの描写が小説の中で所を得てくる。他律に対する自律の戦いである。
(3)
形而上学的なものが嫌いな吉行氏には申訳ないが、とらわれない自由と、愛のとらわれとの、両者の根源となっているものを根源的自由と呼ばせて貰おう。あるいは、無と呼んでもよい。但し、その場合、無は、何もない無ではなく、一切がそこから生れてくるような混沌である。無は一切を生産し、また無に返ろうとする。これが根源的自由である。自由は創作の情熱であるとともに、破壊の情熱でもある。私がこれ迄に述べた吉行氏の小説の特徴を、今改めて言うならば、氏の作品の美しさが煌いているのは、根源的自由(無)が性によって深く体験され、それによってエゴの自由と主体性が確立されて、それが愛にまで踏み出そうか、踏み出すまいかとためらっている、その描写に見られるのである。この ためらい こそが、暗室の中で濃厚にかもし出される吉行氏の雰囲気なのであるが、その雰囲気の香り、あるいは質を私は幾つか指摘しておきたい。
第一には、実証主義的傾向である。『私の文学放浪』の中で吉行氏は、「私は平素日記もメモもつけず、覚えていることだけが自分にとって大切、というのが持論である」(23)と言っているが、こういう氏の習慣と次の氏の言葉は互いに呼応している。
私はしばしば作品の中で、「細胞」とか「漿液」とかいう言葉を使う。そのことがよくないと指摘した友人もいるが、私は伊達(だて)や酔狂でその言葉を使っているわけではない。病弱のためか、私は自分の細胞や漿液を、常にはっきりした手応えで感じつづけている。たとえば、私の細胞に語りかけてくるところのない作品や人間は、私にとって無縁のものと判断することにしている。無縁と無価値は違うことであって、以前は感応しない自分を咎めたりしたこともあった。しかし今では、無縁なものにはわざわざ興味を向けまい、と覚悟をきめている。 (24)
細胞にまで手応えのあるような仕方で生きることをしぶとく強く深く体験し、文学者としてそれを読者に頒かとうとする時に、吉行氏が誰しもが躯で知り躯で覚えている性を、小説の恰好の題材としていることは実によく分る事情であるが、この実証主義的傾向は、実に根深いもので、小説を書くという局面に限られず、現実の諸局面のすべてに対する吉行氏の出会いの姿勢を規定しているようである。
しかし、女と寝るよりは、国際状勢とかわが国の運命とか月の裏側とかにはるかに深い関心を持っている人物がいるだろうということは、想像できる。そういう人物に比べると、私ははるかに深く性に関心を持っている。先日も、旧友の沈着勇猛なコミュニストが訪れてきて、「君はもっと世界における日本の位置というようなことを考えめぐらさなけらば、文学者としてダメである」と演説し、エドガア・スノウとかそのほか今はみんな忘れたが二、三の人名を挙げ、その著書を読みたまえ、とすすめてくれた。だが、その夜彼の話してくれたことは、だいたいにおいて耳あたらしいものはなかった。理路整然と分かっているわけではないが、細胞に泌みこんで分っている。今の世の中で生きて行くことは誰しも大変な作業を全身あげておこなっているわけなので、現代に生きるということがどんなことかは馬鹿でないかぎりおのずから分ってくる。ただ、頭だけ肥大した分り方でないだけだ。私は、自分が馬鹿でないことと、現代が細胞に泌みこんでいることを信じる。もっと、自分自身の細胞を信じることにしよう。 (25)
恐らく実証主義的な吉行氏は、政治や経済の複雑な現実をイデオロギーで割り切りがちなマルキシズムが、細胞で知る現実に対して公正でないと感じ取っているのであろう。戦後の激動期、『世代』の同人たちが革命やマルキシズムについて熱心に話していた時、会話に加わるでもなく反撥するのでもなく、「まるで空気のように席にいた」吉行氏、女の話が始まると「ごく自然に会話に加わり、いつのまにか一座の中心になった」吉行氏について、浜田新一氏が書いているが、その間の事情を伝えて面白い(26)。
第二に、吉行氏には現実との出会いを美的な局面だけに限定しようとする傾向がある。文学が、人間の生きるという体験を、文学者の作る絵空事の時間と空間との中に展開する物語を通してではあっても、できる限り広く深く読者に体験させるものであるからには、生の諸局面が物語の中で取上げられて構わないわけである。併し、文学者はそれぞれの個性と特徴ある生活体験によって、自分に合った生の局面を取上げ、小説を読む者にそれを頒ち、生きることの喜びや悲しみや空しさを味わわせてくれる。例えば私などは、作者が既にカタルシスを行う必要がなくなり、性が単に作品の手段となっていて、作者の人間的なものに触れることのできない、もどかしい作品と批評されそうな、吉行氏の『夕暮まで』を読んでも、人生の夕暮れに近付いた一人の男の、近い関係にあった人々が自分から去って行く淋しさ、裏切られた悲しみ、棄てられないプライド、埋めようのない空しさが、しみじみと伝わってくる。そこで描かれた性が虚構であればある程、なるほど人間的な熱いものに触れられないもどかしさはあっても、現実を能面に結晶させたような、きびしい、彫の深い、絵空事の現実が、ある時には現象する現実よりもリアルな現実が伝わってくる。
だが、文学者が生のどの局面を得意として描くにしても、他の局面に対しても開かれた形で描いてくれないと、読者は生をより強く味わおうとして作者と一緒に入り込んだ暗室に、閉じこめられて出して貰えない感じに襲われるのではないだろうか。吉行氏の小説は現実の美的な局面に焦点を合わせて、倫理的なものや宗教的なものから故意に目をそらせているように見える。勿論これは、細胞や漿液で感じ取ったものしか信用しない吉行氏の実証主義的傾向と無縁ではない。
倫理的なものへの信頼を失い、吉行氏がそれから目をそむけるようになった事情には、やはり戦争中の体験が絡んでいるらしい。事実に基づいたものかどうかは分らないが、「焔の中」に、町内の婦人会会長をしている中年婦人が、主人公の母のところに居丈高にどなり込んで来る場面がある。
「あなたはノーマクエンですか。自分の家の女中が、こんなに紅や白粉を塗りつけているのを黙って放っておくなんて」
・・・・・・
母は口を結んで眼の光を強くしたまま、黙って座っていた。化粧していない黒い顔で、やや中性的ないい顔だ、と罵言を浴びせられている母を気の毒におもう僕の心が裏がえって、そう思った。・・・・
婦人は、ますます居丈高になって、僕に言った。
「なんですか、あなたは、学生なら、ちゃんと学校へお通いなさい。だいたい、あなたの家は、非協力的ですよ。この前の貴金属供出のときでも、時計の外側を一つ出しただけじゃありませんか。指輪の一つもない、といったって誰も本当とは思いませんよ」
僕は、座った膝の上に置かれた母の指を見た。美容師という職業のために、その指は変形されて、ごつごつ節くれだっていた。髪にウェーブをつけるための鉄アイロンを扱うためである。その指と、婦人の言葉とが綯い合わされて、僕のうちの怒りはさらに昂まったが、次の瞬間、その大きな憤怒のかたまりが俄に消えてしまった。・・・・
「まったく誰も本当とは思えませんねえ。僕だって本当とは思えない位なんですから、だけど、本当に指輪もそのほかの装飾品も何一つないのですよ」
・・・・僕の言葉に偽りはなかった。 (27)
仮にこの話が事実に基づいているとすると、これは吉行氏が稀に行った母親への言及となるのだが、愛国心という道義的美名に隠れて、当時はなやかな職業と見られていた、美容師たる吉行氏の母親に対する嫉妬を含んだこの婦人の嫌がらせは、吉行氏が倫理的なものに対して背を向けるようになった理由の一例であろう。このように冷(さ)めた目で周囲を見詰めていた吉行氏は、「戦争が終わったとき、私は自分が欺されていた、とはすこしも考えなかった。また、戦争で心に傷を受けたともおもわず、逆に戦争のおかげで人間性の奥底まで見てしまった、という思い上がった気持になっていた」(28)と言う。冷めた吉行氏には、大義名分だの、倫理とか道徳とかいうような、人生の明るいものへの信頼は失われてしまっているようである。むしろ、闇の美しさの魅惑に引きこもる。川村二郎氏が言うように、吉行氏に「残されたのは、見つづけて行くことしかない」(29)のかもしれない。
『原色の街』について吉行氏は、「善と悪、美と醜についての世の中の考え方にたいして、破壊的な心持でこの作品を書いた」と言い、奥野健男氏は、この作品は「既成の道徳概念を転倒させようとした反逆の書である」(30)と言う。確かに破壊であり反逆ではあるが、勇ましいものではなく、幾分の冷笑を含んだ、ニヒリスティックなものであろう。併し、いずれにしろ、倫理的なものには背を向けてしまったのであり、破壊を経た上での建設の作業はなされていない。『鳥獣虫魚』の主人公が、女の大きな傷痕に唇をあてた場面に見られるように、新しい、モラルへの方向付けが吉行氏の作品には見られる。このような事を書くと、新しいモラルの建設などという勇ましいことは・・・と照れて、はにかむ吉行氏が想像できて、私などはその吉行氏に、ものすごい親近感を覚えてしまうのだが。それに、文学者のみならず、今の時代には誰も、何かのイデオロギーを振り翳す人は別として、その新しいモラルなるものが具体的にどういうものであるかを語り得る人などいないのであるから、尚更である。だが、それでも尚、美的なものの暗室の中にいても、空気を淀ませないために、倫理的なものの風を入れるべく、時には窓を開けねばならないのではないか。
(4)
実証主義的な傾向とともに在って、吉行氏に目立つのは、氏の合理主義の精神である。これが、氏の小説の醸し出す雰囲気に関して私が語りたい第三のものである。
「人間の能力には、まだ未開拓の部分がありますよ」
「それは否定しないが、スプーンの場合は話が違う。念力をかけても、時計は逆にはまわらないだろう」
「しかし、現にスプーンは曲がっているじゃありませんか」
「それは、どこかで力を入れているんだよ」
私は、その店のスプーンを、片手で二、三本曲げて見せた。
・・・・・・
私は話の角度を変えようとした。
「これがスプーンでよかったよ。スプーンじゃなかったら、話がもっと厄介になる。戦争中にまた逆戻りして制服を着せられたいのか」
・・・・・・
「戦争中は、大人がだらしなかったんだ」
「そうかね、スプーンが曲がることを信じているようでは、君たちが戦争中に生きていたら、神風が吹くのを信じたろう 」(31)
またしても戦争中の体験の反映が、ここにはある。これは「三人の警官」という短編の一部分だが、ここでは、スプーンを念力で曲げることができるというような不合理な事と、戦争中に日本は神国だ、という信仰から、合理に反することが平気で人々に要求された事実とが重なり合っている。『星と月は天の穴』の中に出てくる小説家矢添克二は、自分の作品の主人公について感想をもつ。
作品の中のAと、矢添克二とのあいだに、隙間ができてきた。現実の中の矢添は、Aよりはるかに疑い深い。自分自身にたいしても、他人にたいしても・・・。 (32)
こういう健康な疑い深さ、「明晰なものしか信用しない」合理主義が(33)、吉行氏の文学が都会的なセンスをもち、エリート的なインテリ層に飽きずに読みつづけられている一つの理由をなしていると思える。大きな身振りも、押し付けがましさもなく、むしろ謙虚に、合理的体験からはみ出そうともしない。神や仏や究極的なものや宗教などは、全く関心の外であって、言及されもしない。
だが、果してそうであろうか。人間は本当に宗教的なもの、究極的なものと無縁になれるのだろうか。究極的なものと無縁になるとすると、逆に究極的なものから復讐されるのではないか。不合理なものを、私は究極的なものと言っているのではない。実証的なものや合理的なものと矛盾せずに、それらのものの裏側から、思い掛けない仕方でぬーと顔を出すようなもののことを言っているのである。
(アレルギー体質の〈形而上的なものの嫌いな〉吉行氏に、じんましんが出るから止めてくれ、と叱責されそうであるが、続けたい。)人間は自分の世界から究極的なものを追い出し、それと無縁になった積りの時に、実は究極的なものの虜になっていることがよくある。吉行氏の作品の中に執拗に描かれる父親エイスケ氏は、何を象徴しているのであろうか。エイスケ氏と吉行氏との関係は、これまでに吉行氏について書かれた評論によって一斉に、意味深いものとして指摘されている。「父親の亡霊」(奥野健男氏)、「父・・・の鎮魂を許さず、復讐を遂げようとした」(小川徹氏)、「吉行氏にとって亡父が大きな存在となるのは、なによりも彼が放蕩者として虚名をはせていたことによる」(川嶋至氏)、「吉行氏にとっての泣きどころのひとつは、父親なのであろう」(河野多恵子氏)などが、その指摘の幾つかである(34)。私には、エイスケ氏との対決の書としか思えない『砂の上の植物群』において、主人公の伊木一郎は、父の友人の回顧談を「媒介にして彼の亡父が立現れ、彼の人生に立塞がり、彼に命令を下し、行先を定めたり限定したり」(35)した経験をもったのである。一人の男の人生に立塞がって、命令を下したり行先を定めたりする存在は、その男にとっての、究極的なものの投影であるとしか言いようがない。この小説の中における、伊木の父親に対する数多い言及から想像しても、伊木にとっての究極的なものが、キリスト教の神のように聖にして義なるものである筈がない。それは、ハンサムな父親の放蕩によって象徴される、生きていることの深く強烈なる体験そのものなのである。そして、吉行氏の小説の主人公たちは、これを性の体験を通して追い求めるのである。
父親が生きているうちは、この究極的なものは伊木一郎の外側から語りかけた。お前が人生から汲み上げたものなどは、俺の人生体験から較べればまだ貧弱なものだ、というような冷笑を含んだ語りかけを、伊木はいつも内心で聞いていて、父親と競争して生を貪りたいと思ったに違いないし、父親に及びもつかないが故に父親を憎んだに違いないのである。ところが伊木の父親は34歳の若さで死んでしまう。伊木は、その死を悲しむとともに、父親から解放されたことを喜びもする(36)。だが、父親が死んだ34歳になった伊木は、父親がまだ伊木の人生の中に生きて、やはり伊木を規制しているのに気付く。外在していた究極的なもので内在化しても、伊木にとってそれが相変らず到達すべき目標(他律)であることには変りがないのである。その到達できない目標、強烈な生の体験に、どうしても到達したい伊木は、あらゆる性の形態に耽ることによって、内在化されてそこにある、究極的なものに手を届かせようとする。併し、それは伊木の手からするりと逃げて行く。その究極的なものを求め、それに到達できないが故に、それを憎み、性に溺れることによってそれを忘却しようとする。暗室の中の性によって究極的なものを追い求める、吉行氏の小説の主人公たちは、この意味で――川村二郎氏の言葉をもじって使わせていただくなら――闇のユートピア主義者である(37)。この人生の中にユートピアを求める人々である。また、川村二郎氏は、『暗室』の中での精神の情景を、魂の暗夜を描いたスペインの神秘主義者、十字架の聖ヨハネの体験と照応関係にあるものとしているが(38)、吉行氏の描く主人公たちが、渇ける魂で究極的なものを追い求め、しかも到達できない魂の暗夜に生きる人々であるという意味において、これは正しい。併し、求める体験は、十字架の聖ヨハネにとって、聖愛の神との間の神秘的合一であるのに対し、これらの小説の主人公の場合には、生(性)の深みとの合一であろう。
つまり、吉行氏の小説の醸し出す神秘主義は、根源的自由、無との強烈な一致をあこがれるものである。究極的なものとは、現象をなりたたせ、現象を過ぎ去らせるもの、現象の奥底にある、この根源的自由、無であり、それは人間を魅惑し、人間をつき離し、人間の中にある時は満ちるかと見せて、またそれとのへだたりを味わわせ、その間隙を、人間自由によって埋めるように促す。
これも多くの評論家が指摘することだが、吉行氏の作品には「小児期への執着めいたもの」(川村二郎氏)(39)がある。種村季弘氏は、それを次のように述べている。
学芸会の書割めいた安物のキラキラ星の輝く舞台の上で、現実社会のすべてが子供の領分として技巧的に演出される。そこには童謡や童話の奇妙な論理が白昼公然と跳梁する。例を挙げるまでもなかろうが、吉行作品に、サーカス、遊園地、曲芸、手品、見世物、遊戯場、水族館、夏休みの海辺、模型制作、変装といったイメージが登場して生の現実を遮断していない場合は稀である。 (40)
子供の世界では、究極的なものと自分とが一つになって和解している。両者が「主−客」に分裂しているための苦悩を子供は知らない。「主−客」未分の子供の遊びの世界で象徴されているのは、吉行氏のユートピアへの憧憬であろうが、氏のユートピアが愛の世界ではなく、強烈な生の体験であるが故に、氏の小説の主人公たちは、性の刺戟を繰返し、より強烈な生の体験を追い求めて転々する。あるいは、そのことの空しさに索莫としながら、生きることに耐える。生は、美・醜、善・悪、愛・憎混合のもの、不条理に満ちた根源的自由、無なのであるから、いくらそれを強烈にしたものの中にユートピアを求めても、解決などありはしない。
『暗室』の中で中田とマキの会話が続く。
「それにしても、いまの童謡はあまり面白くないね、残酷なところがない」
「そういえば・・・、ほんと。マザア・グースのものって、みんなとっても残酷なのに、謎々の言葉にはそういうところがないわ」
「なぜだろう」
「なぜかしら。それよりも、どうして外国の童話や童謡には、残酷なものが多いのかしら・・・」 (41)
勿論、それらの童話や童謡が、生を実証的に、写実的に映しているからである。
幼年時代にはほとんど玩具を買って貰えなかった『夕暮まで』の佐々は、オモチャ屋で待ち合わせようという祐子に会いに行く。
入り口の自動ドアに向い合ってから僅かの間があり、眼の前に開いた空間に踏みこんだとき、店の中には哄笑がひびきわたっていた。やや嗄れたかなりの年齢を感じさせる男の
声だが、その大きさと抑揚と無遠慮さは、異常だった。
店の中にいる誰かが、突然発狂したのか、とも考えられる声音で、佐々は棒立ちになって周囲を見渡した。
そういう佐々の肩を祐子の指がつつき、
「あのお爺さんの声よ」
「お爺さん、だって。気が狂ったのか」
「厭ねえ、オモチャのことよ」
左の奥のほうの壁を、祐子は指差した。そこには老爺の首が、狩猟家の応接間に掲げられている野獣や羚羊のように、壁面に掛けられている。
・・・・・
その声は陰にこもっていて、さまざまの抑揚で長々とつづく。笑い声には違いないが、嘲笑から自嘲、さらに呪いのこもった笑いへと変化を繰返す。 (42)
このオモチャの老爺は、無の暗室の中で転々しているだけで外に出ようとしない佐々をあざ笑う神、ゴーガンの絵に不気味な姿を見せる神の声であり、生〈性〉の強度の体験では心が満たされない佐々の自嘲の投影でもある。
夕焼の空へ向って歩いてゆく子供のころの自分の姿が、佐々の頭に浮んだ。その道の先には、逆光になった黒い家がある。胃袋が炭火でチリチリ焼け縮まってゆくような感覚が、躯の中にある。一方、鼻の奥からは、甘酸っぱいにおいが立昇ってくる。
「いいことなかったみたいだなあ」 (43)
まるで生の夕暮れのあとの死のように、黒い家が立っている。ここまで来てしまって、「いいことなかったみたいだなあ」と言わねばならない佐々に、救いの神も生きる目標ももたない私たち現代人は共感する。
だが、『鳥獣虫魚』のあの温かい、傷痕を慈しむ思いは何処に行ってしまったのであろうか。根源的自由や無は、それ自体で究極的なものになり得るようなものではなく、愛にまで捏り上げられて行くべき素材なのではないか。究極的なものは、無や根源的自由の中に働く一原理、愛なのではないのか。愛が一切を導き、形作らねばならないのではないか。勿論、愛がそういうものであることの承認は、実証を越えた、心の奥底で個人々々がなさねばならないものである。ところで、吉行氏の作品の面白さである、無の自由から愛へ出ようとする時のあの決断のためらい、「開きかけのナイフのように躯を二つ折りにした曖昧な・・・姿」(44)は、倫理的なものや宗教的なものに窓を閉じ、実証的なものの中にだけ籠ることによってしか描けないものなのであろうか。実証できるものは、確かに万人を納得させる力がある。愛に生きたら人間の心が満足するかどうかは、個人々々のひそかな、止むに止まれぬ決断の事柄であり、すべての人間を説得できるようなものとは次元が違う。併し、それだからと言って、それに開かれた姿勢を描くことが、吉行氏の小説の世界にとって本当に異質なのであろうか。
註
(1) 朝日新聞、1981年9月5日(土曜日)朝刊、社会面。
(2) 講談社刊、「現代の文学19『吉行淳之介』」、1972年,175頁。その他にも猫背への言及は処々方々にある。若干をあげると、吉行淳之介『闇のなかの祝祭』(角川文庫、1964年、40頁、70頁、72頁、209頁。
(3) 講談社刊、『吉行淳之介』、167頁。
(4) 同上、170頁。
(5) 吉行淳之介『暗室』、講談社、1970年、202頁。
(6) 山本容朗編纂『吉行淳之介の研究』、実業之日本社、1978年、61頁。
(7) 吉行淳之介『鞄の中身』、講談社、1974年、59−60頁。
(8) 『暗室』、64頁。
(9) 同上、60頁。
(10)『吉行淳之介の研究』、60頁。奥野健男氏の文章「異端者的エリートの文学」よりの再引用。
(11)『鞄の中身』、59頁。
(12)同上、64−69頁。
(13)現代の文学19『吉行淳之介』、184頁。
(14)『吉行淳之介の研究』、67頁。
(15)現代の文学19『吉行淳之介』、337頁、387頁。
(16)加賀乙彦「吉行淳之介における性」、『吉行淳之介の研究』所載、110頁。
(17)『吉行淳之介の研究』、64頁。
(18)川嶋至「性の原風景」、『吉行淳之介の研究』所載、108 −109頁。
(19)現代の文学19『吉行淳之介』、396頁。
(20)『暗室』、223 −224頁。
(21)高見順「人間疎外の文学」、『吉行淳之介の研究』所載、16頁。
(22)吉行淳之介『私の文学放浪』、角川書店、1975年、250頁。
(23)同上、134頁。
(24)同上、132−133頁。
(25)同上、187頁。
(26)『吉行淳之介の研究』、177−178頁。
(27)現代の文学19『吉行淳之介』、134−135頁。
(28)『私の文学放浪』、29頁。
(29)川村二郎「闇のなかのユートピア」、『吉行淳之介の研究』所載、35頁。
(30)『吉行淳之介の研究』、62頁。
(31)『鞄の中身』、212−215頁。
(32)現代の文学19『吉行淳之介』、366頁。
(33)『私の文学放浪』、175頁。
(34)『吉行淳之介の研究』、69頁、76−77頁、105−135頁。
(35)現代の文学19『吉行淳之介』、303頁。
(36)『私の文学放浪』、7頁、及び、吉行淳之介『闇のなかの祝祭』、角川文庫、1964年、192−193頁などを参照されたい。
(37)『吉行淳之介の研究』、31頁。
(38)同上、46頁。
(39)同上、28頁。
(40)種村季弘「南瓜の馬車が迎えにくるまで」、『吉行淳之介の研究』所載、148頁。
(41)『暗室』、82−83頁。
(42)吉行淳之介『夕暮まで』、新潮社、1978年、142−144頁。
(43)同上、144頁。
(44)吉行淳之介「風景の中の関係」、『闇のなかの祝祭』所載、247頁。
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入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/
2003.10.7