野呂芳男「聖霊論――この古くて新しい論題」
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聖霊論――この古くして新しき論題
野呂芳男
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初出: 『聖書と教会』「特集:今日の教会にとって聖霊とは何か」日本基督教団出版局、1986年、14-19頁。
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聖霊について論じることは危険を伴う。父なる神について、また、キリスト・イエスについて論じることは、その神学の性格にもよるが、何とか客観的に論じ終って、あまり論者や読者の生き方を煩わさないですむかも知れない。併し、聖霊論となるとそうは行かない。それは直接に生き方と係わってしまう。昔であればうっかりすると論者は異端の烙印を押されて火焙(ひあぶり)の刑にも処されかねなかった。
教会が中世のカトリック教会のような権力をまだ所有していなかった時期、古カトリック教会の成立期において、悩まされた最大の問題も聖霊に関するものであった。それは教会史上に有名なモンタニズムのことである。約172年頃にフリギアにモンターヌス(Montanus)という人物があらわれ、多くの信徒をその回りに集めた。モンターヌスの主張によると、彼は慰めの霊たる聖霊によって用いられている道具であり、彼の使命は、原始キリスト教会において与えられていた聖霊の働きを当時の教会に回復することであった。そして、使徒行伝に描写されているような、聖霊に感じて預言をなし異言を語る男女がモンターヌスの周囲に起り、この運動を推進して行った。特に二人の女預言者がモンターヌスと一組になって活動しており、彼らの発言は直接に神の言葉を取次いだものと見做されていたようである。
彼らの主張によると、聖霊において父なる神やキリストが信者の心の中に住まって下さるのであるが、これは間もなく実現するところの、フリギアのペプザを中心として建設される神の国の前兆なのである。神ご自身がこの国を建設されるのであるが、神の国に入るために信者はきびしい道徳生活を送らねばならなかった。独身生活が実践され、規則正しく断食がなされねばならなかった。義務を怠る者は教会によってさばかれたのであるが、重い罪を犯したと見做された者は教会から追放されて二度と受け入れて貰えなかったのである。
今日の我々から見ると、モンタニズムの運動はあまりにも極端であったとしか思えないのであるが、併し当時においては、この運動は一時期、小アジアや北アフリカなどにかなりの数の支持者を得たのであり、北アフリカの教父テルトリアヌスまでがその支持者であった。そして、それ以後も教会史の中でしばしば、我々はモンターヌスとその運動への同情的発言をなす人物たちに出会うのであるが、例えば18世紀イギリスのメソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーもその一人であった。
どうしてモンタニズムへの同情者が絶えないのであろうか。それはモンタニズムが、聖霊体験の重要な一面を保持していたからである。モンタニズムが歴史に登場する前に、教会組織の整備は綿密なものとなりつつあった。既に主教たちこそ、キリストの使徒たちが伝えた真理の保護者たちと見做され始めていたし、主教たちの中でもローマの主教が代表的存在であることは認められていた。そして、キリストの12使徒の首であったペテロから絶えることなく伝承されてきた主教職こそが、真理の保持を保証するものと一般に見做されてきていたのである。このようにして、真理を啓示する聖霊は教会制度の中に捕虜となっていたのである。モンタニズムは、このような 聖霊の教会捕囚 に抗議した運動だったのであり、使徒時代への回帰を志向した。使徒時代に 自由 に働いた聖霊は、使徒伝承を受けつぐ主教たちの作る体制の枠組みの中で、その働きの仕方を礼典と典礼の道をそれないようなものに保証された上でしか、働くことを許されなくなったのである。16世紀のプロテスタント宗教改革も結果的にはプロテスタント正統主義や今日の根本主義に見られるように、主教たちの権威の代りに書物としての聖書を権威の座に祭りあげてしまい、聖霊の自由なる働きを妨げてしまっている。
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当時の教会がモンタニズムのような教会体制の一致を破る運動に対して、きびしく 取締る 全体主義的姿勢をとったことに、理解を示すことは困難ではない。迫害の下にあった教会は、どうしても強力な権威と指導力の下に団結する必要があった、と言い得るのである。併しこういう議論は、全体主義(ローマ帝国)と全体主義(キリスト教会)との戦いという図式に則ったものであって、政治権力へのこだわりが目立つ。教会は、存在するために存在する必要はないのであり、塩がその味を失ったら棄てられてよろしいのである。勿論、教会も共同体である以上は、自己の塩味を守ったり広めたりするために政治活動をしない訳には行かないであろうが、教会は政治団体ではない。政治行動のためにもっとも都合のよい体制が、教会の本質である福音の伝達を妨げたり、福音そのものをゆがめてしまったりすることも起り得るのである。
福音の本質には聖霊の自由が属している。ここにこそモンタニズムやその系列に属する諸運動が、人々を惹きつけてやまない魅力の秘密がある。併し、前に私はモンタニズムが極端な性格をもっていることを指摘したのであるが、そのおもな理由に、モンタニズムが聖霊体験の中にある規範的要素に十分な場を与えていないように思われるからである。いかなる種類の霊であっても勝手気儘に跋扈(ばっこ)させておけば、そこに聖霊の自由がある、というようなものではない。その自由なる働きをしているものが聖霊でなければならないのである。イエスが罪の赦しを人々に宣言された時に起った出来事、即ち、神のアガペーの言葉、罪の赦しの言葉が人々に語りかけられた出来事が、今またここで、 繰返し起り、繰返し体験される ことこそ、聖霊体験なのである。イエスのみ言葉や、それを再現した原始教会のケリュグマ――正しく解釈されたサクラメントを含めて――が、もろもろの霊体験から聖霊体験を判別する規範なのである。従って聖霊体験には、どうしても 過去の次元 が存在する。教会はイエスのみ言葉を 正しく 語り伝えて行かねばならない。そのための手段であることを意図して、古カトリック教会の主教制やプロテスタント正統主義の聖書主義は成立してきたものであるが、両者ともに、ともすれば手段が目的そのものになってしまい、イエスのみ言葉のまわりに自己正当化の装飾を過剰に付着させて、遂にはイエスのみ言葉が隠されてしまうという事態を招来したのである。そうなると、イエスのみ言葉の体験の代りに、体制や書物としての聖書への服従が、そのまま聖霊体験であるとされるようになるのであるが、これは体制や書物という既存のものへの服従であるが故に過去へ向いた姿勢となる。モンタニズムのような運動は、装飾物の中に隠れてしまったイエスのみ言葉を掘り出して体験しようというものであり、きわめて健康な一面を持っている。併し、モンタニズムは、イエスのみ言葉を正しく伝えるためには、何らかの手段が必要であるということへの認識において不十分であったように思われる。重い罪を犯して教会から追放された人々を、どんなに悔改めても二度と教会に入れようとはしなかったことや、極端な禁欲主義などは、モンタニズムがイエスのアガペーのみ言葉を 正しく 把握していなかった証拠である。
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そうは言っても、モンタニズムが聖霊体験を教会捕囚より解き放した意義が高く評価されなければならない。キリスト教の神が人格神であるが故に、聖霊体験にはどうしても過去の次元のみならず将来の次元及び 未来の次元 が存在する。既に述べたように、モンタニズムは神の国がフリギアを中心として実現されることを期待していたのであるが、これはモンタニズムの理解した聖霊体験の 未来の次元 である。このモンタニズムの未来の次元は、聖書神話における千年王国や天上のエルサレムの幻に呼応するものであるが、更にモンタニズムは、この未だ来らざる未来の王国の 先取り として、信者は日々神とキリストを自分の魂の中に住まわせねばならないことを主張した。併し、神やキリストの信者の魂における内住は、ポケットの中にものを入れて持ち運ぶように、一度この内住を所有したら、それで事はすんだというようなものではなく、絶えず内住を祈り求めなければならないもの、現在の内住が、いつも 将に来らんとする 内住への期待にふくらんでいるものであった。つまり静かな現在ではなく、将来から流れ込んでくるものによって絶えず動いている現在、活ける内住なのである。
キリスト教の神が人格神であるが故に、このような未来、現在(将来)、過去の三次元の流動性が聖霊体験について言われねばならないのである。神が人格的であるということは、神を表現するに当っては少なくとも人間のもつ良きもので表現すべきであるという主張に外ならないのであって、神が一人間であることを意味しない。人格的存在は目標を定めて、それを実現するように努める。神が人間との関係において設定された目標は、神との密なる融合を土台としたところの愛の共同体である。これが聖霊体験の未来の次元であるが、ここに入れられるためには、人間は恐ろしい程の長い時間と空間の旅を続けて愛を知らねばならない。その究極の実現は、あるいは時空を超えたところのものかも知れない。そして、その旅の途中でも、人間はある時期にわたって、より密なる神との融合を体験できるものなのである。これこそ魂の暗夜にさし込む神の光、砂漠の旅のオアシスであろうが、慰めと励ましを神から与えられる時期である。こういう未来の次元の先取り体験が聖霊体験の現在(将来)的次元であり、こういう時には思い切り恵みに浴し、のびのびと生きることの喜びを味わうことが、神への感謝の表現でもあろう。併し聖霊は身につけた護り札とは違うので、このような高揚の時期もやがては過ぎて行くかもしれない。
高揚の時期は個人の生活に訪れるばかりでなく、一つの教会や、大きくは一つの社会にも訪れてくるものであろう。その時期には人間も社会も大きく変革されて、暫くの間は比較的に愛に近付いた状態に留まり得るけれども、幸か不幸か人間は 自由なる存在 であるが故に、この状態を去って行く。聖霊体験における自由の契機を十分に顧慮しなかったところに、聖化されて完全になった人物は二度と転落しないものだ、というような幻想が生まれてきたのである。信仰生活においてさえ自由なる存在であり続けることは煩わしいので、人間は自分を一個の物体や機械の如くに空想し、魂という部品を神に取換えて貰って、自由の重荷から解放されたいのである。併し、自由からしか愛は生まれない。自由を恐れる人間は、存在との――存在論的な――密着感を愛よりも尊ぶかも知れないが、 ものともの との密着や融合のアナロジーで考えられた関係は、愛の人格的関係とは違う。存在論的神学は異教哲学へのキリスト教の屈服である。
キリスト教の神が人格神であるが故に、聖書には創造神話が存在するのである。造られたるものは神と向い合って立つ。人間も神の被創物であるから、自由な主体なる神に向い合って立つ自由な主体である。こういう聖書の根本思想から言えば、愛なる神が人間を強制して何かをなさしめるというようなことはない。神はどこまでも忍耐強く人間の同意を待つ。神はこの時に、その人間と神との間に展開された過去の歴史を吟味する。この人間にどうしたら愛の尊さに目覚めて貰えるかを、この人間に関するご自分の過去の体験を吟味し、利用することによって工夫しようとする。このような仕方で、聖霊体験における過去の次元は、現在と未来の次元をどのように創造すべきかを探るべき宝庫となる。過去の体験に学んで未来を築き上げて行かねばならないのである。人格的世界では、過去は未来のためにあるのであり、キリスト教は過去回想的宗教ではない。キリスト教は自己の本質――イエスのみ言葉によって、我々に語りかける神の愛――を失わないで将来、未来を作るのである。聖霊は未来を志向する。
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人格的な愛と神秘主義的な融合とは必ずしも矛盾するものではない。もしも神秘主義という言語によって、人間が汎神論的に考えられた神の中に、自己を失って融合するような事態を意味するとすれば、これはキリスト教にとって都合の悪い神秘主義である。また聖霊体験を、我々の自我を消滅させるか眠らせるかして、神の霊が我々に乗移るようなものと考えるのも大いに困る。こういう憑依現象も聖霊体験では全くない。汎神論的神秘主義や憑依現象がキリスト教と異質なのは、そこでは神との深い交わりが人間の主体性や自由を失わせる形で提出されているからなのである。神秘主義という言語が神との密なる融合を表現するものであるならば、それはキリスト教に当嵌(あては)められた場合には、人格的存在同志の間に起る 愛の融合 でなければならない。真にアガペーによって愛される体験には、その愛の魅力に引かれて、こちらから 自由にとりこになる という逆説的体験が存在する。幾らこちらが裏切っても、我々をいつも変らずに赦しをもって愛し貫く神の愛には、ついに、いつの日にか抵抗できなくなるのである。神の愛がじわじわと、我々の魂の中に、我々の自由を犯すことなく滲透してくるのである。滲透という言語があまりにも存在論的であると思われるならば、ものすごい共感、あるいは、感情移入と言ってもよい(存在論的用語も、 人格的表現 の中で注意深く使用されるならば、私は一向に差支えないと思っている。要は、人格神論の中で存在論を生かすか、存在論の中で人格神論を生かすかが問題なのである。勿論、私は前者を取っているのである)。我々は、止むに止まれず神の愛に身を捧げざるを得なくなるのである。神の愛が我々の魂に、このような仕方で滲透する事態を、代々の教会は聖霊という言語によって表現してきたのである。そして神の力とは、こういうアガペーの愛の魅力のことなのであって、暴力的に何かを我々に押しつけるところに見られるものではない。むしろ神の愛のとりこになった者は、自由なる愛において、未来の愛の共同体を志向し、その方向に向って現状を 創意工夫により打開 しようとする。
この点で使徒パウロは我々の模範である。人生には色々の場面で袋小路に突き当たるようなことがあるが、パウロも随分とそういう目に会っている。異邦人へ福音を宣教しようとしたパウロは、イエスの直弟子たちの多くからどうも排斥されたらしい。また、パウロの信仰義認論を誤解して無律法主義へ走った人々を指差して、それ見たことかと敵たちはパウロを指弾した。パウロはどうしようもない程に悲しい体験をしばしば持ったに違いない。人生の袋小路に迷い込んだように感じたであろう。そういう折にパウロは、自分の権力や腕力を使わずに、愛の説得と弁明の道をえらんだ。聖霊の導きを信じて、詮方(せんかた)つきても望みを失わなかったのである。
自己を聖霊の導きにゆだねたパウロの生き方の背後には、永遠の中から始まって時間を貫いて流れ、また永遠の中に終るところの、歴史を貫いて展開する神のロマン、物語への信仰がある。広大な宇宙空間の中で、気の遠くなるように長い時間をつらぬいて神の愛の物語が展開しているのだが、我々の生存はこの物語の一齣(こま)をなしており、我々のどの一人をとっても神にとっては掛替のない存在である。
聖書の中では、神話の形においてではあるけれども、この物語の一部分が我々に開示されている。それによると、先ず神は愛する相手として人を造ったのであるが、彼らは神に反逆する。神は人の中よりイスラエル民族を特別にえらんで、これに真の宗教を与え、イスラエル民族を通して神の知識を人類全体に広めようとした。これは、人間がご自分に反逆するという難局の中で取られたところの神の創意工夫による手段であったが、これもイスラエルの頑なな反逆に出会う。そこで次の手段として神は預言者たちを送られたのであるが、預言者たちもイスラエルの民によって迫害され、彼らの言葉に人々は耳を傾けない。遂に神はご自分の独り子ならば人々がこれに聞くであろうと思って、キリストとしてのイエスを送られたのであるが、人々はイエスを十字架にかけて殺した。まさに神の独り子が、神の最後の敵であるところの死の手に引き渡され、死は神に勝利したかに思われた。人間的に言えば、これは、神にとってはご自分が袋小路に入り込んでしまったとの感があったであろう。ところが神は、この極限にマイナスの状況を利用されて、ご自身死の中に入り込み、死が餌食としておそいかかったその機に、かえって復活という創造的行為に出られた。このマイナスからプラスへの転換の中にこそ、神の力は端的にあらわされている。絶望やニヒリズムが罪であるのは、こういう神の愛の勝利、暴力によらず死の中にご自身入り込まれて、死のとりことなっている魂たちをご自分の復活とともに、死の外につれ出してきた神の愛の独創性を信じないからである。神にとっては、マイナスも愛によってプラスに変え得るのである、神は征服できるものは征服し、今はそれが困難であるものは迂回し、不条理の間を縫ってご自分の摂理を展開されるのであるが、その折、ある場合には不条理さえも神によって創造的に利用されてしまう。
この意味で、十字架と復活はキリスト教のケリュグマの中心である。十字架の背後から復活の勝利のどよめきがきこえてこなければならない。原始教会がそうであったように、もう一度復活祭が教会のカレンダーの最大行事にならなければならない。なぜならば、十字架と復活こそが神の創造的な愛の摂理の原型、マイナスの状況さえもプラスに変える愛のみ言葉だからである。私はできる限り創造と創作とを区別して用いるようにしているが、それは創造によってこの原型において見られる如き神の摂理的な行動を表わし、それに 自由に呼応して 展開される我々の行動をあらわすのには創作という言葉を用いたいからである。つまり、創造と創作との両者は、神の霊と我々の霊との各々の独創性に満ちた物語創作、自由な主体的行動の展開を表わしているのである。両者は相互に、おのおのの主体性を脅かすことはない。
神と人間との愛における融合というような聖霊神秘主義の他に、もう一つの神秘主義について我々はここで語っているのである。それは、我々の人生行路における聖霊の導きを信じる神秘主義であって、いわば摂理神秘主義とでも言うべきものである。我々がどのようなマイナスの状況の中に落ち込んでも、たとえそれが死の中であっても、聖霊の働きによって究極的にはマイナスがプラスに変えられるか、あるいはマイナスを滅ぼすか迂回するかすることによって、その状況を脱出させて貰えるのである。そして、それは力ずくでというよりは愛によってである。十字架と復活の出来事が、聖霊によって、日々我々の生の中で反復される。
そして、最後的に我々が救われて行き、神との深い愛の融合に入り得ることの保証は、神の専制君主的な力の中に求められるべきではない。それはケリュグマの物語が、終末の喜びの幻で終っていることの中に求められねばならない。聖霊の働きを受ける我々は、幾分なりとも時間の流れから頭を持上げて、過去・現在・未来の区別がなくなり、三者が一つに溶けている永遠を呼吸する。 これから が永遠に住む神にとっては既になのである。時間の中に働く神の独創性に満ちた創造性によって、既に我々が永遠の中で救われてしまっていることを、ケリュグマは我々に告げている。ケリュグマのこの物語への信仰が、我々にとっての救の保証であり、実に聖霊の働きのあるところでは「むすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る」(使徒2:17)のである。
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入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/
2002.9.15
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