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パウル・ティリッヒにおける宗教と芸術
野呂芳男
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初出: 『聖書と教会』1986年8月号、2−7頁。
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ティリッヒは絵画や建築に生涯深い興味を持ち続けた人物であったが、ハンナ夫人も負けず劣らず、幼少より絵画を専門的に勉強した人物で、性格的にも詩人気質の女性であった。夫人がティリッヒの死後に出版した『折にふれて』(From Time to Time,1973)という自伝的文章は、そういう女性の内面と私生活を語っており、なかなか興味深いものであるが、我々にとっては、特にティリッヒについて語られている部分が参考になる。夫人によると、1925年頃にティリッヒが住みたがっていた理想の部屋は 洞窟 (cave)を思わせるようなものであった(op.cit.,p.123)。
このことは、既に当時、基礎の確立されていたティリッヒの神学をよく象徴している事柄のように私には思われる。洞窟のイメージによって直ちに想像されるものは、母親の胎内である。女性解放の神学者たちが、ティリッヒに共感するところが多いのも、ティリッヒの存在の根底としての神観に、父性的なものよりも母性的なものを看取するからであろうが、ティリッヒの場合、存在の根底とは、すべての存在がそこから出現し、また死によってそこに帰って行くところである。それはちょうど、人間が母胎から生まれて、一生を送ったあと、死によって墓――多くの民俗学者が指摘するように、墓は、 あの世 に生まれるために入らねばならない母胎であった――に葬られるのと同じである。こういう点で後期のシェリングの思想に圧倒的に影響されたティリッヒによると、聖書の創造神話の中で語られていることは、次のような事柄である。(母胎から出る時にあたる)造られた人間が神の手から離れた時に、人間は本質(神との一致にある人間の姿)から実存(本質から ずれた 疎外の姿)に移行する。造られた本質的な状態を垣間見させる人間の夢見るような無垢は、ただちに人間の(限定されたものではあっても)自由の行使によって破られて、人間は疎外の状態の中にいる自己を発見する訳であるから、堕罪は人間の自由の責任でありつつも神の創造の中に含まれた必然なのである。そして、人間はこの世の旅路を終えた時に神のもとに帰り、神と融合する(神との融合については拙著『神と希望』383頁以下を参照)。私にはこのティリッヒの図式は、神が自己を人間を通して開花させ、やがてその果実を自己の中に取り込むように思えて、神の ひとりあそび のように考えられて仕方がない。
洞窟の象徴が告げるもう一つの事柄があるように思える。それは母胎内にあるものがすべて渾然として一つにまざりあっていること、つまり一元的であることである。ハンナ夫人によると、ナチの台頭のためドイツを去るにあたっても、ティリッヒはなかなか決心がつかなかったとのことであるが、不決断はティリッヒの特性であった。彼の言い訳は、何かをえらぶことは他を排斥することであり、不決断は自由にその場を与えることとなる、というにあった(op.cit.,pp.15-16,p.156)。確かに、ティリッヒの言うことにも一面の真理がある。あまり早く決断してしまえば、その後の状況の推移によっては、もっと実りある決断ができたかもしれないのに、その自由の換金を失うことともなり得る。哲学と神学、文化と神学のどちらかをえらぶこともせずに、その境界線に立ちつづけたことが、あのように独創的な神学をティリッヒに構想させたとも言える。
併し、この不決断が、どうしても二つのうちの一つをえらぶべきところ、つまり多元的に判断しなければ真の生活が送られないような生の基盤のところにまで及び、それさえも一元的に考えざるを得なくしていることには、私は賛成できない。ティリッヒは存在と無とに関しても、どちらかをえらぶということをしなかったのである。神たる存在の根底はティリッヒにとって魅惑する神秘、深淵でもあり、この深淵の中からあらゆるものが生まれ、またその中へ消えて行くのである。そして、存在の根底の中で、存在させる力と無化する力とが弁証法的関係を保ちながら二極をなす。しかも、存在そのもの(神)は、いつも創造的なものが無を克服するという形で一つであり続けるのであるが、この二極の緊張は現象の世界、つまり諸存在の世界の中では、創造的な働きと、諸事物を破壊して行くところの デーモン的な働き とに分れる。デーモン的なものも神に由来するが故に、創造の働きを助ける。
神が被造物を造られた時に、創造的な働きと共にデーモン的な働きも作動したが故に、そこで本質から実存への移行がなされ、人間の夢見る無垢もただちに破られて、その移行は完了した。このように、ティリッヒにとって創造は同時に堕罪でもあった。あらゆる創造の行為にはデーモン的なものも作動するのであるから、我々の芸術創作も例外ではない。このようにして神は生を破壊し死に導くものでもあり、人間をして自己の利益に執着させ、相互の愛や正義の関係を歪曲し、人間を罪に落し込むものでもある。ハンナ夫人によると、ティリッヒはいつも絶望と歓喜との間をゆれ動くような生活気分の持ち主であったということだが、そのことは、ティリッヒが苦しむことへの欲求をいつも所有していたという彼女の証言と合わせて(op.cit.,p.96,101)、私に、もっともだとの感想を抱かせる。自分が依存している神がそれ自体分裂している時に、どうして自分が影響を受けないはずがあろうか。創造の高揚と、それがいつ破壊されるかもしれないという不安が、交互に我々を訪れるにきまっているのである。そして、いつのまにか冷たい諦めの絶望が、心の奥底に重く沈んで動かなくなる。
芸術といってもティリッヒが個人的に特に好んでいたのは視覚芸術、絵画や建築などであったが、それは 見る という、 空間 におもにかかわる芸術である。それに対して、例えば音楽や文学のように音の流れ、あるいは物語の展開という 時間 とのかかわりをおもにもつ芸術もある。勿論故意にそうしたとは思わないが、ティリッヒの神学は空間的である。人間は誰しも生きることの不安に打ち勝つために信仰生活に入り、平安を得ようとするのだが、ティリッヒは神の胎内に入り込み、そこに常住することによって平安を得ようとしたとも言える。つまり、彼は、神の力の及ぶ空間の外には何も存在しないと自己を説得したのである。併し、空間的には神の外にデーモン的な無や、(神とデーモン的な無とも別な)人間の主体性を置いて、現実を時の流れの中で、それら複数の力が相互に自由に働きかけて織り成す物語と考えることもできる。この場合には、神が人間を死なせることもなくなり、死は神の「最後の敵」(パウロ)となるだろうし、神は人間を力まかせに従わせるのではなく、忍耐と説得によって人間に愛の共同体形成の尊さを実感させるだろうし、また、神がいかなる状況にもその都度もっとも有効に働きかけて下さり、必ず神の愛が我々を救って下さるものと信じて(神の力の全能ではなく、愛の全能を信じて)人間は平安を得ることもできるのである。> TOP
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現実を複数の力が多元的に働き合って織り成すものだと考えても、そのことはキリスト教神秘主義を否定することにはならない。神や隣人に対する愛の中で、我を忘れて神と一つになったとしたところで、別に神や隣人や私の主体性が喪失する訳ではない。神秘主義を認めた上でも、現実を多元的に、複数の次元によって成り立つものと考えて行けば、各次元に一応の独立性をもたせ、自然科学にはそれ自体の、芸術には、またそれ自体の、更に神との交わりという宗教の次元にはそれ独自の――他の次元からの影響を排除せずに――領域を設定することができる。ところが、ティリッヒのように現実を一元的に神の ひとりあそび であるかのように考えてしまえば、宗教と芸術、否もっと一般的に言って宗教と文化も、最後のところで一つのものとなってしまう。そこでは芸術独自の領域は、究極的には失われてしまうのである。
この私の意見に関するティリッヒの反論が、聞こえてくるように思える。とんでもない、私も現実の中の諸次元を区別しているではないか。既に1923年に出版した『対象と方法から考察した諸科学の全体系』(Das System der Wissenschaften nach Gegenstanden und Methoden)の中で、私は科学を実験的な科学と人文科学とに大きく分け、更に人文科学を分けて、理論的な(観察的な)ものと実践的なものとなし、一連の観察的なものの中に芸術を入れたではないか。これは現実を多元的に考え、芸術にもその独自性を与えたことにならないのか。それに、私が文化を考える場合に、他律・自律・神律という三概念を用い、文化を分析した事を思い出してくれないか。君の言うように私が一元論者であるならば、現実のすべてはその存在の根底(神)を露呈している、とする神律だけを私が主張すれば、それですむことだ。何故に私が神律のほかに、存在の根底からは意識の上で離れて、それ自体の力だけで存在していることに満足している自律の(世俗)文化について語ったり、その自律を抑圧する諸勢力は、それが政治権力であろうと教会であろうと、自律の反発を必ず引き起すものであることを語ったりしたのか。人間の心の奥底から追い求める文化は他律のものではないし、単に自律のものでもなく、自律がそれ自体の深み(存在の根底)と結び付いた神律の文化なのだ。と言うのは、自律だけでは、何のための自律なのか、という究極的な、存在の意味が明らかにされず、自律は無意味さの中に停滞するからだ。芸術作品だって、同じことだ。その作品は、存在の根底と出会った芸術家の――芸術家にとって、この存在の根底の開示は 啓示 だったのだが――原体験を伝えるものでなければならず、芸術家の自律的な作品創作の行為が、その作品に出会う人々に、芸術家の原体験と同じものを味わわせ、存在の根底の啓示に邂逅させるのだ。だから君の言う一元論者では、私はない。私は人間の自律を認め、芸術作品が芸術家の個性と独自性のもとに造形されていることを承認し、従って芸術が文化の中で、宗教とも違った一つの領域であることを主張しているではないか。
また君は、私が「文化は宗教の表現形式(Ausdrucksform)であり、宗教は文化の中身(Inhalt)である」と言ったことを大分気にしているようだが、私はこの発言で、この世の文化のすべてがその中身たる宗教を あらわ に透けて見させるべきだ、などと言っているのではない。現実は堕罪と疎外の世界であり、本質から ずれて いることを承知の上で、 本質的には そのようにあるべきだ、と言っているのである。 本質的に 言えば宗教がこの堕罪の中でのように、世俗の他の諸領域と は別に、それらの間に並ぶ一つの領域として 存在するのはおかしいのである。例えば政治権力と教会とが和解したり衝突したりしながら並存しているのは、終末のこちら側(実存)の事柄なのである。つまり、この世では一元論は成り立たない、と私も言っているのだ。
それに、1960年にハンナと一緒に君の国日本に行き、その間の印象を記したものを、アメリカに帰ってきてから友人たちに送り、君にも一部郵送したはずだが、その中で私は、久松真一博士たちと京都の竜安寺の石庭を訪ねたことを書いた。あの記事の中での、久松博士と私との対話のところが、君へのもっともよい答えになるのではないか。久松博士は石庭が究極的なリアリティーそのもの、それと同一(identity)であると言われたが、私は石庭が究極的なものに参与している(participate)と言った。つまり、私の言いたかったことは、あの素晴らしい石庭は、究極的なもの、存在そのものと一つではないが、併し、それを単に距離を置いたところから指し示しているものでもなく、それに根を下ろし、その本質を吸収して、それにあずかっている象徴である、ということであった。このずれた現実(疎外の状況)の中では、文化のすべて(従って芸術も)が、それを通して我々が直接に究極的なリアリティー(存在の根底、存在そのもの)と出会うことのできるようなもの、つまり象徴以上のもの、とは成り得ないのだ。だから、私は君の言うような一元論者ではない。
自分の心の中で、これらの重いティリッヒの反論の声を聞きながらも、やはり私にはティリッヒが一元論者に思えてならないのである。終末を越え、神によって救われた世界に入ったとしても、私のように、人間は神を眺めて楽しむことができると思う者にとっては、人間が神に浸透されつくして行くこととは別に――それも否定しないが、――神の国の中においてさえも人間には、神と融合することとは一応別の次元、神を眺める次元が存在するのである。我々が思い出さねばならないことは、中世のキリスト教神秘主義者にとって神を眺め楽しみ、神を観想することは、魂の至福の状態の一つであったことである。神の国の中で神と一つになるという至福とは別に、観想する至福の次元があるとすることは、ティリッヒの存在の根底の一元論とは違って、神の国も複数のもの、多元的なものであることを我々に告げる。この事情を、ティリッヒの言う実存、本質から ずれた 現実のこの世界に移行させて考えてみよう。ティリッヒにとっては、この現実の ゆがみ を直すためには、すべての文化は存在の根底を透けて見させ、神律的になり、深みの次元をあらわに表現するものとならねばならず、文化はことごとく元来宗教的でなければならない。芸術も例外的ではなく、元来宗教的でない芸術はあってはならないのであり、ただ、より多く宗教的であるか、そうでないかの違いがあるだけとなる。そのような芸術への態度は、芸術作品のもつ意味、芸術作品が我々に与える喜びを、宗教的なものだけに限ってしまうこととなり、芸術作品に対し宗教的な解釈だけを許すこととなる。このようなティリッヒへの批判は、これまでに出版された書物のうちで、ティリッヒの芸術論に関するものとしては、もっとも立派なものと思えるパルマー(Michael F.Palmer)の『パウル・ティリッヒの芸術論』(Paul Tillich's Philosophy of Art,1983)の結論でもあるが、パルマーは、このような芸術論は、芸術の自由に対する独断的な抑圧である、とまで言う(ibid.,p.212)。それに対して、神の国の中でさえ眺めるという、一応神から距離を置いた態度が許されていると私のように考えれば、ゆがんだ現実をそのような本質に向って直して行くとしても、人間には神から距離を保って、(神の造った)美しいものを眺めたり作ったりする喜びの領域は保存されるであろう。つまり、すべての芸術が、狭義に宗教的でなくてもよいのである。
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要するにティリッヒにとっては、多元性の現実そのものが堕罪の結果なのであって、それはもとの一元性に返さねばならないものなのである。この点に関してホイート(Leonard Wheat)が、ティリッヒのような仕方で究極的なかかわりを存在の根底に対してもつのは、狂信に近づくことだ、と言っているのも参考になる。ホイートによると、人間的であることは、幾つかの強い関心事をもち、それらの間にバランスを保つことだからである(Bulman,R.F.:A Blueprint for Humanity,1981,p.152 の紹介による)。ところで、これまでの私の議論を逆にしてみれば、次のように言うこともできるであろう。ティリッヒが芸術に独自の領域を 事実において 認めていなければ、ティリッヒの思想が私の言うように一元論的なものであることを更に証明することになる。
ティリッヒの思想に興味をもつ者たちの間では、ティリッヒが表現主義芸術に強く傾倒していたことは周知の事柄である。シュミット・ロトルフ、ノルデ、キルヒナー、へッケル、セザンヌ、ヴァン・ゴッホ等の作品によってティリッヒは表現主義と出会ったのであるが、それは彼にとって自然主義や印象主義への反逆であるように思えたのである。ティリッヒの見るところでは、自然主義や印象主義は資本主義社会の技術文明の芸術的表現であって、そこでは人間も物も、資本主義的科学文明における人や物がそうであるように、すべて現実の深みから遊離して、ただ現実の表面に自己満足的に浮かびただよっている、眺められているものにすぎない。そこには光と色彩とが現実の表面でたわむれてはいても、ティリッヒが本当の現実とみなすもの、つまり 疎外の現実 はみられない。ピカソの「ゲルニカ」の描いた恐怖と悲惨と絶望こそが真の現実であって、絵画の通常の形式を破ってでも現実の奥底にある趣旨(存在の根底)を 表現 するものこそが真の芸術なのである。そこでティリッヒは一時期ではあったが、ゲオルゲ・グロスやオットー・ディクスの、いわゆる新現実主義(Neue Sachlichkeit)運動に共感したことがあったし、自分の立場こそ本当の現実の表現であることを主張するために「信仰的現実主義」(Glaeubiger Realismus)という言葉を造ったりもした。併し、ティリッヒの芸術論を神学的に言えば、 神律的芸術 という一語に尽きる。つまり、芸術の自律的な諸形式を 破壊せずに突破して (durchbrechend nicht zerbrechend)、神律的に存在の深み、 存在の根底と深淵 とを啓示するものが表現主義なのである。
ティリッヒによると芸術作品には、その(絵画ならキャンヴァスに描く人物や静物のような)主題(題材――Inhalt)と、(題材を芸術作品にするところの線や色彩のような)形式(Form)と、(前二者に意味を与える精神的内容たる)趣旨(Gehalt)の三要素があるが、彼にとってこれらのうち最も決定的な重要性をもつのは形式なのであり、自然主義や印象主義の形式を打ち破って、存在の根底と深淵とを透けて見させるところに表現主義的形式の魅力があった。題材がイエスやマリアであっても、少しも神律的でない絵画もあるし、ムンクの少女と湖の描写のように、いわゆる宗教的題材を措いたものでなくても、その中で我々は自然と人間の中にある「宇宙的恐怖」に出会う。ティリッヒにとっては後者の方がはるかに宗教的なのである。
このようにティリッヒの芸術論の跡を追ってくると、誰しもが彼の言う表現主義的なものは、近代絵画史上の表現主義運動と全く同じものであるかどうか、気になってくる。絵画の枠を越えた発言だが、ティリッヒが表現主義的な芸術家としてあげる人物のリストには、ダンテ、ボードレール、ランボー、ドストエフスキー、カフカ、イプセン、アーサー・ミラー、(画家では更に)ボッシュ、ブリューゲル、グリュネヴァルト、そして何とポティチェリが入る。第一次世界大戦中の休暇の折、軍隊付チャプレンだったティリッヒが、ベルリンの絵画館でボティチェリの「歌う天使たちと共なるマドンナ」を見て啓示に出会った思いをもったのは有名な事実であるが、この啓示体験はパルマーが解釈しているように、戦争の悲惨と対照された、あのティリッヒの、本質から実存への移行の接点たる、夢見る無垢の啓示として、表現主義的に解釈するより仕方がないものと私も思うが、それにしても、ティリッヒのあげた芸術家の名前から、我々はティリッヒの言う表現主義が絵画史上の表現主義とは別のもの、(それを含むかもしれないが)むしろ存在論的な一般的現実理解の表現であると言わざるを得ない。
どの絵画用語事典を見てもそうだが、私のもっているものには、表現主義は線と色彩とを誇張したり曲げたりして、 より大きな感情的衝撃を与えるために 様式を単純化したもの、となっており、存在の根底を透けて見させるどころか、芸術家の 主観的感情 をよりよく伝達する様式なのである(たとえ、人間の不安や絶望を表現していても、そういう感情として描いているのであって、いきなり存在の根底をさししめすものとは見ていない)。ティリッヒの言うように、芸術も存在の根底をいつも啓示しなければならないということになると、我々は例えばマチスのような装飾性の強い絵画を楽しめなくなる。こういう一元論的な神の独裁は、やはりどこか間違っているのではないか。入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/
2004.8.16
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