1990キリスト教と民衆宗教
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キリスト教と民衆宗教
野呂芳雄
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初出:『聖書と教会』特集:宗教の多元性と福音(11月号)、日本基督教団出版局、1990年、2-7頁。
※『キリスト教と民衆仏教――十字架と蓮華』日本基督教団出版局、1991年に所収。
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ヨーロッパやアメリカの、いわゆるキリスト教国と称されてきた国々においてさえ、他の諸宗教の存在を無視して信仰生活を送る事が不可能になってしまってから久しい。それらの国々でも神学者たちは今日、他の諸宗教、例えば仏教やイスラム教を念頭におきなら自分たちの思索を展開している。まして数多くの宗教が共存している日本では、キリスト教と他の宗教との関係をどのように考えたらよいか、という問題は避けて通れない。従ってこれまでも、外国人の神学者、ジョン・カブや、ジョン・ヒックなどを巻き込みながら、特に禅仏教とキリスト教との対話を試みた八木誠一氏、その前には滝沢克己氏などの業績があった。
これらの方々の業績について、私は今二つの点を指摘したい。一つには、これらの方々は西欧の神学や哲学の概念を使い、また西田哲学の論理の軌跡に従いながら、高度に知的な仕方で禅と対話に入った。その知的な操作の中で、知の対照となりにくい庶民の泥臭い信仰、民衆宗教は置き忘れられてしまったのである。禅の影響が庶民の中に今日無いとは言わないが、民衆宗教は圧倒的に観音信仰であり、地蔵信仰であり、稲荷神やその他の神々や、仏・菩薩・明王・天への信仰である。だが、考えてみれば、キリスト教の日本への土着を願う者にとっては、民衆宗教との対話こそが先ずなされなければならないことではないか。
二つには、カブは少し違うけれども、他の方々はキリスト教を含めて、諸宗教の共通性の解明を狙っていることである。つまり、あらゆる宗教の根底となっているような宗教性、例えば、原点とか統合の原理とかを浮き彫りにする学的努力である。これは、神学的な、あるいは、哲学的な概念を用いて諸宗教を知的に理解する時に当然目指される一つの事柄であろう。概念というもの自体が、個々のものの特性というようりは、個々のものを包み込む普遍性を特徴とするものなのであるから、諸概念を積み重ねたり連鎖につくりあげたりする知的作業が、諸宗教の中に普遍的にある諸要素、共通公的なもの、最大公約数的なものを求めていくことはごく自然である。
併し、普遍的な宗教性を求めて出発したエルンスト・トレルチが、遂にその試みを放棄して、晩年には個々の宗教や、その一つ一つが核となって作り上げている諸文化圏が、それぞれ互いに全く異なって作り上げている諸文化圏が、それぞれ互いに全く異なったものであるという結論に到達してしまったことを、私たちは忘れてはならないであろう。私は、仮に二つの宗教がある場合に共通性があるかどうかは、それらを共に体験してみなければ分からないと思うが故に、始めからあらゆる宗教の土台をなす宗教性を想定することも、はまた始めからそういうものは全くないと断定することも、避けて行きたいのである。
宗教という現象をみる場合でも他の諸現象に対すると同じように、見る者の思索の仕方に性格的なものが、どうもあるように思えて仕方がない。彩り豊にさまざまの花が咲き乱れている時に、その色彩のぜいたくよりは、それらの植物の根差す、一つなる大地の地味をみつける禁欲的思索の人がいる。これは、多から一への道であり、普遍を求める哲学的思索の辿り勝ちな方向である。ところが、大地よりも華麗な色彩の乱舞に、一よりも多に、それぞれの花のもつ個性に、それにしかないものに、愛惜する心の思索もあるのである。こういう思索の仕方は哲学的ではないであろうが、それだからと言って、一を求める思索よりも程度が低いとは言えない。個々の宗教の個性を重んじることのできるのは、実は後者でなかろうか。勿論、後者は前者の道を全くは排除しないであろう。共通性が存在する時にはそれを認めるであろうが、併し、そのために個のもつ独特なものを価値のないもの、周辺的なものとみなしはしないだけである。
民衆宗教の世界を知るにつれて、私たちは百花繚乱の野原に来たように思ってしまう。その一つ一つの宗教が、独特の個性を開花させていて、類型化さえも難しい程の豊穣さに戸惑ってしまう。しかも、庶民は一人で、貪欲にも幾つもの神々や仏たちを礼拝して歩くのであって、その宗教的生命力の旺盛さには驚いてしまう。仏教とか神道とか道教とか、そんな区別なども関心の外である。信じたいものを信じるのである。
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東京の下町は私が生まれ育った所であるが、じつに宗教心豊かなところであった。キリスト教の教会こそ少なかったが(キリスト教は下町に土着できていなかった)、子供の頃、群れをなして三百メートルも走ると、必ずと言ってよい程に神社や寺院にぶつかったものである。下町の庶民は宗教新が強かったと私が言っても、山の手に住む人々にはなかなか分かって貰えないのだが、これは私の僻(ひが)みかも知れないけれども、その無理解には民衆宗教への蔑視があるように思えてならない。恐らくその蔑視の理由は、民衆宗教のもつ御利益信仰にあるのであろう。
地蔵信仰を例にとってみよう。私の勤める大学からそれ程遠くない巣鴨に、曹洞宗の万頂山高岩寺という寺院がある。江戸時代から庶民に「トゲ抜き地蔵さん」と呼ばれて親しまれてきた地蔵尊が祀られている寺であって、普段でも参詣人の多い所であるが、四日、十四日、二十四日などの地蔵尊の縁日には寺院内も、外の商店街の地蔵通りも人波で埋めつくされ、歩くのも困難な程である。屋台店も並び、狭くなった通りを人々は、あとからあとから寺へと押しかけて行く。東京の原宿に若者たちが集まるのに真似て、地蔵通りを「オバアチャンの原宿」と呼んでいることに表されているように、戦時中のモンペを思わせるスラックスを穿き、ブラウスをゆるやかに身につけた高齢の女の方々が目立つ。道路に設けられた腰掛けに坐って、タコ焼きや焼きソバなどを食べている人々も多い。
寺院の境内も人で一杯であって、ここまで屋台が並んでいるが、本堂の中でも賽銭を投げ入れるのに人の隙間を見付けなければならず、誰もが苦労している程である。本堂内に設けられたお守り袋などを売る所では、地蔵尊を小さい和紙に印刷したものを、十枚、二十枚と買い求めている人々が多い。これは、身体の具合が悪い時などに飲み下すものであるが、女の人が口にくわえていた針を誤って飲み込んでしまった時に、この札を一枚飲んだところ間もなく女の人は腹中のものを吐き出した。針が地蔵尊の姿を貫いて吐き出されていたという故事によるものである。今は、心のトゲを取るというようにも解釈されて、高岩寺の城内には身上相談所も建てられ、何人かのカウンセリングの専門家が、訪れる人々の相談に応じている。境内に露天で観音像が立っているが、その前に大変な数の人々が行列をつくっている。水道の蛇口から出る水を一旦バケツに受けて、人々はタワシで、自分の身体の病気の部分に当たる観音像の所を洗っているのである。キリスト教用語で言えば、これは地蔵信仰におけるサクラメントであろう。私たちは二世紀の前半に生きたアンテオケのイグナティウスが聖餐におけるパンを、人間の魂を内側から変えていく「不死の薬」と表現したことを思いだすが、これは後のカトリック教会の化体説の源をなすものであった。パンとぶどう酒はキリストの身体と血に変化し、それを飲み下すことによって私たちはキリストと一つになり、不死に変えられて行くのである。地蔵尊の小さな紙札を飲み込むことは、どこか、こういうサクラメントに一層相通じるものがある。そして、水洗い観音は、キリストが私たちの身代わりとして死んで下さったという説を私たちに思い出させる。
成程キリストは私たちの罪のために、──伝統的な刑罰代償説によると─神の刑罰を代わって身に受けて下さる水洗い観音とは違うと考えられもしようが、地蔵菩薩となると、そのように簡単に言えなくなってしまう。幾つかの転生を繰り返して立派な品性を獲得した後に菩薩となるのであるが、『本願経』によると、地蔵菩薩はその前生(ぜんしょう)において、地獄におちた母をその孝順によって救ったバラモンの女性であった。このように初めから地獄と関係のあった菩薩であるが、併し、この地獄との関係が人々の中に深く浸透したのは『今昔物語』が恐らく成立したとされる平安末期、院政時代(十二世紀)のことであった。速水侑氏「日本古代貴族社会における地蔵信仰の展開」によると『今昔物語』の多くの地蔵説話に見られるように、その頃になると、人間はすべて地獄に行くように運命づけられているという地獄必定の深刻な来世観が民衆の間に定着したのである。そして、地蔵菩薩は地獄の中を経廻って、獄吏によって苦しめられている人々に代わって、暫くの間ではあってもその苦しみを身代りしたり、自分を信じる者たちを閻魔王の承諾を得て地上に蘇生させたりする。ここにも全く同一であるとは思えないけれども、キリスト教の贖罪論などとの接点を見ないわけには行かないであろう。特に私は「使徒信条」のキリストが「陰府(よみ)にくだ」るという部分を思い出してしまう。
鎌倉時代になると、法然や親鸞の説いた浄土信仰が広まると共に、来世はむしろ阿弥陀仏に任せようとする傾向が民衆の間にも強くなり、地蔵信仰は、その来世との結び付きを失ったわけではないけれども、現世での利益を強調するものとなってくる。つまり、それは冥界での利益と、現世での利益とを共に与えてくれる信仰となっているのであって、乱たちが現在「トゲ抜き地蔵」尊の寺で見ることのできる侵仰形態が成立したのである。
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地蔵菩薩像は男性で僧形に造られているけれども、前生は女性であった。大体、そのサンスクリット名はクシチガルバで、クシチは大地、ガルバは母胎であって、地母神を意味している。生きとし生けるものを生み、死なせ、再生して行く存在そのもののような神である。女性とは格別に縁があると言えるであろうが、日本の民衆宗教の中で地蔵信仰は、いつの間にか社会の中で弱い立場の人々に信じられるものとなっている。民衆宗教にもいろいろとあって、政治社会の体制側にすっかり組み込まれているものもあれば、反体制的なものもあり、集団で群をなして勢力を張るものもあれぱ、群をなすことを嫌い、孤独で勝手気儘に、檀那寺をもったり神社の氏子になったりしないで信じている人々もある。地蔵講という集団がないわけではないけれども、地蔵信仰は大ざっぱに見ると、孤独で気僅に信じている人々を中心としている。しかも、巣鴨で明かなように、体制側に立つ羽振りのよい人々ではなく、また、反体制側に立って体制側に抵抗するという気力ももちあわせていない人々の信仰である。家族の中で、うっかりすると食み出させられてしまい勝ちな高齢者や、男性中心の社会の中でいっも抑えつけられている女性や、「トゲ抜き地蔵」ではあまり顕著ではないけれども、「賽の河原地蔵和讃」で知られるように――力のない子供たちである。
仮に地蔵信仰をもつ人が教会に来て、キリスト教信仰に入りたいという希望を表明した場合に、私たちキリスト者はどのような反応を示すであろうか。可能性としては三つの反応が考えられる.第一の反応は、地蔵信仰を完全に棄ててキリスト教徒になるように勧めるものである。これは、この小論の最初の部分で論じた事柄を想起するならば、あらゆる宗教はそれぞれ個性的で独自なものであるという観点に立っている。従って、キリスト教と地蔵信仰という独自な個性をもったニつの宗教の問には妥協の余地はなく、それぞれに互いに排他的な関係しか成り立たないが故に、地蔵信仰を棄ててキリスト教徒になる訳である。
こういう仕方で地蔵信仰の人を拒否するのは、一応、神学・比較宗教学的な理由に基づいていて、賛成・不賛成にかかわらず、誰もが理解できることである。併し、もしも私たちが、地蔵信仰の人がもつ社会的に弱者であるという雰囲気を嫌って、その人を拒否するならば、イエスはその人と共に私たちから去って行くであろう。
第二の反応は、キリスト教信仰と地蔵居仰は、本質的には全く同じであるとして、後者を信じている人を受け入れるものであろう。このような態度が、教会において伝統的に守られてきたイエス・キリストやその父なる神などへの礼拝的仕来(しきた)りを変更しないで取られた
場合に、果して実際に可能であるかどうか、大いに疑問であるけれども、それはそれとして、このようにキリスト教と地蔵信仰のもつ個性的なものがすべて捨象されてしまうところでは、残ったものは抽象的で哲学的な、宗教としての生命力を失ったものでしかないであろう。
第三の反応は、パウロの「ローマの信徒への手祇」十一章にある、イスラエルの木に異邦人の枝が接木される喩えを用いて言えば、キリスト教信仰に地蔵信仰が接木されることを望むものである。これは第一や第ニの反応のように、この方法を取ったらどういう結果になるかが明瞭なものではないし、キリスト教信仰にも地蔵信仰にも大変な冒険を要求するものである。併しここで私たちが考えなければならないことは、今日でもユダヤ教は、いくら異邦人キリスト教が接木されてユダヤ教と一つになったと言い張っても、その事実を認めてくれていないことである。地蔵信仰が接木されたキリスト教は、私たちのキリスト教からみて、どうしても異質の宗教となってしまったと言い張る私たちを、私は想像できるのである。私たちは今日、旧約聖書を成就したのは新約の福音であると言っているが、地蔵信仰を接木されて育ったキリスト教は、同じように私たちのキリスト象を成就したものと主張するかもしれないのである。
それに、私たちのキリスト教自体が、新約聖書の時代にはグレコ・ローマンの宗攻や文化、教父時代にはネオ・プラトン主義、中世にはアリストテレス哲学、近代には自然科学思想などを扱収して、成長してきたことを考えれぱ、変化することをそれ程に恐れる必要はないであろう。変化しながらも、イエス・キリストに見られるような、人格的な愛の神を信ずるという信仰の核は変ってはいない。これこそキリスト教における個性的なものなのである。
旺盛な生命力をもつ有機体は、出会う栄養分になるものを食歓に吸収する。純粋さを守ろうとして遇去に執着し、未来に向かって成長することを恐れ、周囲の文化や宗教からの栄義分を拒否すれば、その有僕体はやがて生命力を失い死んで行く。私は民衆宗教もこの栄養分となる可能性をもつものだと言っているのであり、民衆宗教だけが唯一の栄養分だと言っているのではない。そして、この小論では、地蔵信仰を民衆宗教の一例として取り扱っているのである。
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何と言っても、民衆宗教が私たちのキリスト教にもたらす栄養分はキリスト教の日本への土着であろう。私たちのキリスト像はあまりにも西欧的であって、その衣服をぬぎ棄てない限りとても土着するとは思えない。幾ら国際化の時代に生きているからと言って、日本人の個性はなくなりはしない。併し、民衆宗教は果して本当に栄養分として、歴史的に西吹のものであったキリスト攻に接ぎ木され得るのであろうか。
この問いは、キリスト教と民衆宗攻との間に、結合点が存在するかどうかを先す調べることを要求する。地蔵菩薩について既に見てきたところから明らかなように、幾つかの結合点が挙げられる。キリスト教徒には奇妙に思えても、地蔵のお札を飲み下したり、観音像をタワシで洗うことは、日常の物質を使用し、神と人間との間にドラマのような所作を行うことによって、そこに超越者(神や仏・菩薩など)の現臨を求めるという点において、パンやぶどう酒を使い、十字架の方に向かって――カトリックや聖公会やルター派のように――言上することを含む、キリスト教の礼典や典礼と変りのないサクラメンタルな行為である。つまり、サクラメンタルな基本的態度に両者は結合点をもつ。
また、民衆宗教は高度な仏教哲学などとは違って、仏や神々(薬師如来、観世音菩薩、地蔵尊、不動明王、稲荷神など)はことごとく人格神である。私たちの信仰でも、イエス・キリストの父なる神は人格神であるから、この点でも結含点がある。キリスト教は唯一神教であるから、民衆宗教のように他の神を信じたり、複数の仏や菩薩を信じる多神教的な宗教とは相容れないのではないか、という疑問が出されるかもしれない。こんなことを言ったら叱られると思うが、カトリック教会や正教会は宗教学的に言えば多神教である。唯一の神に従属させて沢山の聖人を崇拝しており、その聖人たちは神の命により信者を守護しているのである。近代科学の形響で近代以降のプロテスタントは天使を信じなくなっているが、旧約聖書では勿論のこと、マルチン・ルターも天使を信じていた。日本で地蔵菩薩が一人の天使的存在としてキリスト教徒によって信じられるようになったところで、奇妙なこととは思えない。ヨーロッパで信じられるに至った聖人たちを、文化的に関係のない日本人が信じるよりも、理解しやすいのではないか。そして、地蔵菩薩や観世音菩薩がキリストに倣って、私たちの苦しみの中に入り込んできて、その苦しみを共にしてくれるとの信仰は、キリストの贖罪の行為を格下げせずに、むしろもう一つの両者の結合点を形成するのでああろう。
民衆宗攻のもつ現世的利益を追い求める性格はどうであろうか。インテリはこれを軽蔑するけれども、一体神に自分の現世的な幸福を祈り求めなかったキリスト教徒が存在するのだろうか。キリスト教の神が天地万物の創造者であって、創造された世界を神が善いものとされた以上は、神のみ心に反しない限りという条件がついているにしても、この世での喜びを追求するのは当然のことである。それ故にキリスト教徒は、政治的にも教会的にも、すべての人々が幸福になることを願って努力するのである。民衆宗教の御利益追求も、本質的にはこれと同じである。地蔵菩薩がその前生において地獄におちた母を救おうとした女性であるという『本願経』の話を、私は前に紹介したが、その話ではその女性は、地獄にいる母のところに行こうとして身を投げて死ぬのである。これは仏教経典に多く見られる、うっかりすると死の賛美になりかねない物語の一つであるが、空や無を至上のものと考え、涅槃を静寂とするところから来ているものであろう。存在することは善いことだとするキリスト教の考え方からはずれている。ところが、民衆の地蔵信仰となるとどうであろうか。既に述べた『今昔物語集』の地蔵説話に見られるように、地蔵の利益として説かれているものの一つは、地獄から現世への蘇生である。現世はそこから人々が脱出しなければならない穢土というよりは、現世での生は大切なもの、人問がそこで人問らしい喜びを味わい、義務を果たすべき所とされているのである。そして、民衆宗教の全般に見られることだが、仏の支配する仏国土(例えぱ阿彌陀仏の西方浄土)も、そこで妨げられることなく人間が涅槃に入る準備をすることのできるる場というよりは、そこで人間が永遠に生きられるキリスト教の天国のようなものと考えられてしまっている。
このように無よりも有を、存在を、善しとする民衆宗教は、キリスト教に接木されてこそその固有住を豊かに開花させることができるように思う。民衆宗教がキリスト教のバプテスマを受けれぱ、民衆宗攻の迷信的な慣習は変って行くであろうし、キリスト教も豊かさを増すであろう。ところで、この小論はキリスト教の側から書かれているが、他宗教がキリスト教を接木して下さってもよいのである。それらの結果がどうなるかは、私たちの心配することではなく、神こそが歴史の支配者であるから神のご配慮にまかせるべきである。生き残るべきものは神の攝理の中で生き残ると信じるからである。死を賭してこそ、浮かぶ瀬もあるものである。
入力:岩田成就
2002.6.18
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