野呂芳男「神学研究四十五年」1991
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神学研究四十五年
――最終講義 1991年1月17日 於 立教大学チャぺル――
野呂芳男
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▲ 最終講義の後、弟子たちと (1991年)
(初出:『基督教論集』青山学院大学基督教学会、1992年、1-19頁)
1 体験の神学
「神学研究四十五年」という題につきましては,幾分の注釈が必要かもしれません。私は慶臆義塾大学に在籍していたのですが,軍隊生活を境として中途退学し,現在の東京神学大学の前身である日本基督教神学専門学校に編入学いたしました。それは1945年10月1日のことでしたので,その時から今日までを数えると四十五年になります。もちろん神学校に入る前にも,教会や大学のYMCAの友人たちに感化されて,神学書を読むにとの面白さを知らされ,自分なりに勉強致しましたが,専門的に研究を始めたと言えるのは1945年からです。
1945年はもちろん日本が第二次世界大戦で敗戦した年です。その時から今日までの四十五年間に,ちょうど私の研究歴が当てはまるわけです。したがって戦後日本の神学史を,私は身をもって体験してきたのですが,客観的にその神学史を辿ろうというのが,今日の私の目的ではありません。それにつきましては,既に私はある文章の中で述べております(拙著「キリスト教と民衆仏教‐十字架と蓮華』資料II「戦後日本の神学‐回眼と展望」,日本基督教団出版局,1991年)。むしろこの講義の意図は,四十五年の間に,私がどのような神学的な結論に到達したかを,幾つかの項目に分けて述べるところにあります。
日本基督教神学専門学校における私の卒業論文の題は,「ジョン・ウェスレーの義認と聖化」でした。このような論文を書いた意図の中には,当時の母校における神学の傾向に対する私のささやかな抵抗がありました。戦後日本のプロテスタント教会の思想的動向を反映して,母校は圧倒的にバルト神学の影響下にありました。戦争中に教会に通いだした私は,神学校の恩師たちが戦争中にバルト神学に立ってどのような論文を書いていたかを,読んで知っていました。キリスト教を欧米の宗教であるとし,当時の日本の戦争目的遂行に当たってむしろ邪魔になる宗教であるとする政府や世論に抗し,また政府の圧力や世論に迎合して戦争遂行に協力しようとする教会人たちに抗して,恩師たちは自分たちの信ずる教会の正しい在り方を守るのに懸命であったのだと思います。バルト神学は−私から見るとバルトの意図に反して−恩師たちによって,教会と政治とを別々の領域に押し込めるために使われました。教会を政冶とは一応関係のない聖域とすることによって,政府と世論の圧力を躱そうとしたのです。
これは当時の政府や世論に迎合するよりかは確かに立派でしたが,批判すべきものを批判して行くという積極的姿勢からは程遠く,教会の存在を守ることに汲々としていたと言われても仕方がないところがありました。青年時代の私は,このように理解されていたバルト神学とは違った神学,もっと人間が自由に行動し,文化に対しても政治に対しても積極的にかかわる神学を求めていました。そのためには,神学は人聞の主体性を重んじるものでなければなりません。そこで神学校を卒業するに当たって私は,自分が日本基督教団の中のメソジズムの流れに属していることを改めて思い返し,ジョン・ウェスレーの神学に活路を見いだせないかと探ってみたのです。
周知のようにウェスレーは十八世紀英国国教会の司祭でしたが,1738年5月24日
に福音主義的な回心の体験を持ちました。ロンドンのアルダスゲィト街のある建物の二階で行なわれていた集会で,夜の九時十五分前にこの回心体験は起こったのでした。彼は,その時のことを「私は自分の心が不思議にも暖められたのを感じた」と書いていますが,この体験は後に理論的に反省を加えられて,「確証の教理」という形で実を結びます。
「確証の教理」は,神が聖霊によって人間に個人的に働きかけて,その人間の罪を赦したということを,直接無媒介に知らせて下さるという教理です。ところがウェスレーの場合には,この体験において,神の働きだけではなく,人聞の側からも,その神の働きを肯定する働きが存在するということが指摘されています。つまり罪の赦しの確証も,人間がそれを納得し,感謝をもって受領して,(自分は罪赦された者であろうか,罪をまだ赦されていない者ではなかろうか,という)疑惑にいつまでも苛まれる状態から,主体的にきっぱりと決別するという決断を必要とするのです。
このウェスレーの教理は危険な要素を孕んでいます。主体的な決断‐これをウェスレーほ(罪を赦すという)神の霊のあかしに対して,「私たちの霊のあかし」という言葉で表現しましたが‐が出来ずに,罪赦されたかどうかの疑惑にいつも苛まれている人は救われていない,という結論が出てくる恐れがあるのです。結局ウェスレーは,そういう主体的な決断,疑惑と主体的に決別したという心理的体験がなくても,神の罪の赦しの啓示に信頼する信仰だけで信者は救われる,という結論を出したのですが,しかしそれにもかかわらず,その後も生涯にわたって,「私たちの霊のあかし」の必要性を説いたのです。「私たちの霊のあかし」は救いにとって,どうしても必要な要素ではないけれども,それがあるほうが良い。神がその霊のあかしと共に「私たちの霊のあかし」も与えて下さるように私たちは祈らねばならない,と説いたのです。ウェスレーにとって「私たちの霊のあかし」は信仰義認の要件ではなく,それと共に与えられうる特別の恵みであったのです。
このようなウェスレーの主体性の強調は,当時でも神人協力説であるとして非難されましたが,私はこれは神人協力説ではあっても,神と人間とが同じ平面に立って対等に協力するようなものではなく,神の主導に人間が主体的に随順するところの,英国国教会のアルミニアニズムの伝統に沿ったものだと思っています。
アルグスゲイト街の集会でウェスレーが回心の体鹸を持った時は,ちょうどある人がルターの『「ローマの信徒ヘの手紙」のための序文』を朗読しており,それを彼が聞いていた時でした。このことが象徴しているように,ウェスレーの信仰はルターのような信仰義認の教え,人は神の恵みに信鎮するだけで救われるという真理に立っていたのですが,それが同時に人間の主体性の強調と全く矛盾しなかったのです。ウェスレーは,神の恵みだけで人間が救われるという真理を,人間の信仰体験から切り離して,抽象的に論理化することを嫌いました。論理化すれば,神だけが人間の救いのために働いて下さるという神の独占活動というルターの思想となり,またルターやカルヴァンの予定論となります。ウェスレーは神が徹底的に働いて下さるのだが,人間もまた徹底的に働くとしたのです。これは理論的には明らかに矛盾していますが,ある人の凄まじい程の愛に感動する時に,人間はみずから進んで,その人の虜となります。抽象論理の世界ではなく実存的な愛の世界では,神の愛がすべてであって,しかも人間もすベてを賭けた決断に生きるのです。
神学においては,その神学を書き綴る神学者の主体性が否応なしにその神学を彩ります。ウェスレーの回心体験は,明らかに彼の神学を彩りました。この事実の認識が私にウェスレーを通して与えられ,私のその後の神学研究を規定することとなりました。どんなに神学者が,自分の主体性を排除して神学を書こうとしても,それは不可能なことであって,実際はそうすればするほど,その神学者の神学は独自に主観的なものとなります。カ‐ル・バルトが神の啓示にひたすら服従し,自分の主観的な見解をすべて排除して教義学を書く時に,それはどうしても彼のそれ迄の人生体験や教会生活,文化的な教養などを反映します。怖いのは,自分の主観をすべて排除しているというその神学者の思い込みなのです。その神学者は,自分の書く事柄はそのまま神の言葉であるとし,いつの間にか自分の発言を絶対化します。バルトについては少し後でもっと詳しく述べる積りですが,バルトが当時の文化ヘの否定的体験から,その神学的努力において,文化の尊ぶべき遣産であるところの,例えば聖書の歴史的・批評的研究を十分に取り入れているとは言えない点などには,私はやはり賛成することができません。
どの神学者もそれを書く神学者の主体性が彩りを添えているものであることを知るにとによって,私たちは神学を相対化しなければならないのです。この認識に立って初めて,キリスト教の本質は何か,との問いに対しても,正しい取組みができるのです。東京での神学校時代に,恩師の熊野義孝先生からは多くを学びましたが,私が先生から−番刺激を受けたのは,例えば先生の割合に初期の著作『キリスト教の本質』に見られる,キリスト教の本質は何か,に関する思索でした。熊野先生は,カルケドン信条の告白に至るまでの歴史が教会の基本をたすものであると信じていました。先生はある著作の中で,「伝承」と「伝統」とを明確に区別しておられます。その区別によりますと,「伝承」は初代教会からカルケドン信条に至る迄の教会の信仰告白を指し,「伝統」は,後の教会がその生きていた時代に「伝承」を受肉させたものでした。つまり熊野先生にとりましては,キリスト教の木質は「伝承」にあったわけです。
この「伝承」と「伝統」との区別を,私は日本の神学に対する大きな貢献であると考えておりますが,熊野先生より後の時代の神学的雰囲気の中に育った私にとっては,熊野先生の言う「伝承」が既に一つの「伝統」であると考えざるを得ないのてす。つまり,カルケドン信条の成立に至るまでの教会の歴史を,無批判に原始キリスト教と同じものであるとは,私には考えられないのです。否,原始キリスト教でさえも,今の私たちにとっては,把握し易い一つの同質的存在ではありません。聖書の科学的な批評的研究の結果,かつては同じ信仰の世界を示していると思われていた「マタイによる福音書」や「マルコによる福音書」や「ルカによる福音書」や「ヨハネによる福音書」が,今は,互いに同じ要素を多く持ちながらも,それぞれが他と違った,固有の諸要素を含み持って独自の信仰的世界を形作っていることが明らかになっています。パウロの手紙と言われているものにも,実はパウロのものではないものもあり,必ずしも同じ信仰的世界を示してはいません。私たちは聖書の中のこれらの信仰的に連った様相を見せている諸世界を,なんとか一つの世界を示すものとして纏めあげなければならないのです。一つに纏めあげるためには,その回りにすべての要素を巻きつける核を必要としますが,私はその核はイエスによって示された愛の神ヘの信仰であると思っています。そしてこの愛の神こそが,私にとってのキリスト教の本質であり,熊野先生の言う「伝承」に当たります。
ところで,熊野先生も言うように,「伝承」は何時も「伝統」の中にそれ自体を受肉させてしか存在しません。キリスト教の本質は,そこに裸のままで在るわけではなく,その時代の文化の中に受肉し,その文化の衣服を纏っています。こういう考え方は,古いところではへンリー・ニューマンや新しいところではオリヴァー・クィックにも見られたものですが,ダーウィン以降の進化論を教会史や教理史の進展に利用したものです。キリスト教を一つの生命有機体のように考え,文化的環境から栄養になるものを摂敢しながら,固有の自己を失わずに生き続けてきたものと考えるのです。
キリスト教はそれ自体進化するものであることを,歴史の中で実証してきました。初代教会はへレニズム文化を阻噌して自己の中に取り入れましたし,中世の教会はプラトン主義のみならずアリストテレスの哲学も消化しました。十七世紀になると教会は近代科学を徐々に取り入れ,それまでとは違った様相を示すに至りました。こういうように変化することが常態であった教会史の真相を知ってきますと,キリスト教がこれからも変わることを恐れる必要は全くないことが分かります。イエスにおいて真の神の愛が啓示されたことさえしっかりと信じていれば,この喜びの音信を今の私たちが,どのような仕方でこの時代の文化に受肉させようとも,それは全く私たちの自由なのです。
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2 プラトンからキルケゴールへ
申し上げたい第二の事柄に移りますが,ヘブライ的なものとギリシア的なものとの関係であります。神学は,その時代の文化にキリスト教の本質をどのような仕方で受肉させるかという,既に述べた問題と否応なしに関わります。一例を挙げればバルト神学も,バルトが生きていた時代を無視しては理解できません。ナチズムとの抗争が,この神学に大きく影を落としています。周知のようにナチズムは,ドイツ民族は他の民族に勝る.世界に冠たる民族であって,その血の純潔を守らねばならない,というような神話を土台にしてキリスト教会にも干渉してきました。教会の中からもこれに呼応する人々が出てきて,これらの人々はドイツ・キリスト者と呼ばれました。第二次世界大戦の終結後に実態か明らかになった,あの悪魔の業のようなナチスによるユダヤ人虐殺も,もちろんのことナチズムの神話と深く関わっておりましたが,このような恐ろしい結果を導き出すナチズムの傾向を芽のうちに察知して,それに抵抗したのがバルトの自然神学ヘの反対であったとも言えます。神学において自然という言棄を使う時には,単に私たちの周囲にある山や川のような自然環境だけではなく,私たちの生まれながらの感情,理性,体験などのすべてを指します。そうするとナチズムの神話のようなものは,すべて自然という言葉の中に含められてしまいます。バルトは自然環境に神の創造の跡を辿り,それらの跡を土台として神学を築き上げることを否定したばかりでなく,人間の生まれながらの理性,感情,体験などのすべてについても,それらを神学の出発点とすることを拒否して,ひたすらに聖書において語られている啓示,神の言葉に依存して神学を築こうとしたのです。
バルトの立場から見ると,自然神学をある程度許容しているとしか思えなかったフリードリヒ・ゴ−ガルテンやエミール・ブルンナーと彼が対決したのは,正しくキリスト教をあの嵐のような時代に受肉させるためには,一切の自然神学と手を切る必要があると考えたからでした。しかし,そのためにバルト神学は,私の見るところでは,キリスト教がそこに受肉したその肉までも聖なるものとしてしまいました。と言うのは,キリスト教はバルトのいう意味での自然であるところの肉体の中に受肉してしか歴史の中にその姿を現わすことができないのですが,肉体である自然,つまり文化的なものが,どうしてもキリスト教には付き纏うものである,ということが忘れ去られているところでは,神の啓示を盛る自分の神学体系一つまり,肉が無反省に聖なるものとされてしまい,神の啓示に伴う付属物であることが,つまり神の啓示そのものではないことが,考慮されなくなります。付属物であれば,幾らでも批評の対象になってよいのです。聖書でさえ,イエスにおける神の啓示を受肉させている文化的な−ミルトのいう意昧での−自然なのです。ところが,こういう自然的なものに無反省になると,自分の聖書解釈が神の啓示そのものとなり,立派な文化的遺産たる聖書批評学が蔑ろにされます。私はナチズムへの嫌悪においてはバルトに引けをとらないつもりですが,そうかと言って自然神学をすべて否定することはやはり誤りであると思います。ウェスレーのアルミニアニズムが正しいのです。要は,神学の中で神の啓示と自然的なものとを,どのように調和させるかの問題です。
以上の事柄から分かっていただけると思いますが,肉体を悉く剥ぎ取って純粋な啓示に迫ろうとする試みは,ある程度しか有効ではありません。剥ぎ取って剥ぎ取って行くうちに,遂には神の啓示まで無くなってしまいます。こういう作業は玉葱の皮むきと同じで,目に滲みます。私は第二次世界大戦後の神学が,新約聖書の研究や組織神学の形成に当たってヘブライ的なもののみを尊重し,ギリシア的なものを排除しようとしてきたことは,まさに目に滲みる作業であると思っています。そして,こういう作業はバルトの自然神学否定と軌を一つにしています。良い例がニグレンの書いた『「アガペーとエロース』です。キリスト教がグレコ・ローマンの世界に入って来た時に,纏ったプラトン的な肉体たる絵ロースが気に食わなくて,エロースを悉く排除しようとする試みが,この書物です。愛するに値しない罪人を愛するのが,神のひたすらに犠牲的な愛であるアガペーであって,プラトン哲学に典型的に見られるエロースは,どれほどに宗教的装いを呈していても,結局は自己を豊かにすることを目的とする自己成就の愛である,とニグレンは言います。キリスト教はエロースとは無緑であると言うのです。
ニグレンはこのような立場から,一例を挙げますとアウグスティヌスを批判します。ニグレンによりますと,アウグスティヌスの愛−彼はそれをラテン語でカリタスと表現しましたが−は,アガペーとエロースを調和させたもの,したがってアガペーの純粋さが失われたものであると言います。空間的な喩えで言うと,アウグスティヌスにおいては,神の愛が上から下方に動いてきて人間を捕え,今度はその人間を上方へと持ち上げて行きます。下方ヘの運動はアガペーですが,上方ヘの運動はエロースである,とニグレンは主張するのです。このニグレンの立場は明らかにルターの信仰義認論を土台にしたものであって,罪人が罪あるままで神に愛されるというにとを,下降する神の愛で表現した点では誤ってはおりません。しかしルターの系譜を継ぐ神学においても,神による罪の赦しを信じた者は,それに相応しい人間となるように聖化されていかねばならないのですから,どうしても上昇する局面について,自分が本来の自分になるという自己成就について,つまりエロースについて語らねばならなくなります。このように考えてきますと,ルターの信仰義認論を受け入れた上でならば,アウグスティヌスのカリタスは正しいと言えます。ニグレンはアウグスティヌスを,キリスト教とギリシア的なものを総合したとして非難しますが。
キリスト教からギリシア的なものをすべて排除しようとする試みが,どれほどキリスト教自体に暴力を振うものであるかを示す一例として,私はニグレンを挙げたのですが,初代キリスト教の中にあるヘブライ的なものとギリシア的なものとを区別し,ギリシア的なものを切り捨てようとした戦後の神学の試みは失敗です。とにかくキリスト教と,キリスト教がそこに受肉した文化空間とは,最終的には椅麗に切断するにとはできないものなのです。日本にキリスト教を土着させるために,西欧の衣を剥ぎ取る非空間化の作業を行なっても,最終的に西欧文化の香りはキリスト教から消えはしません。それならむしろ,キリスト教におけるギリシア的なものを積極的に評価すべきではないでしょうか。
誰でしたか新プラトン哲学のことを,キリスト教にとって「永遠の哲学」(perennial philosophy)であると言った学者がいましたが,私にとってそれに当たるものは,新プラトン主義の源泉でもあったプラトン哲学です。これは私のドルー神学校時代の恩師であったエドウィン・ルイス教授の影響ですが,キリスト教の古典時代に作られたプラトン哲学との関係を,神学は粗略に扱ってはならないと考えております。ニーチェ以来,プラトンが考えていたような,人間の魂が生まれながらにしてもつ真・善・美ヘの憧れというようなものは,現実から私たちを逃避させる,背後世界ヘの興味に過ぎないとして軽蔑されるのが常ですが,しかし,もしこの背後世界が愛であり,現実世界を禁欲的に痩せ細らせるどころか,むしろそれを豊かに生活させるものであったら,どうでしょうか。愛は相手を相手のままで徹底的に豊かにするために,自分を相手に与えます。このように考えれば,キリスト教に対するニーチェの反対は問題とするに足りませんし,むしろ神を信じるにとによって人生や歴史の意味や方向が明瞭になります。
それに,昔から神学が主張してきた人間の中にある神の像(imago Dei)はプラトンが考えていた人間が生来もっている真・善・美ヘの憧れと同一視されるにとによって,内容に具体性を付与されます。また,新約聖書において必ずしも一致した形で語られていない復活は,プラトン哲学の霊魂不滅と同じものであると考えても,私は少しも不都合ではないと思っています。プラトン哲学は霊・肉二元論であって,キリスト教の人間観とは異なるというような反対論は問題とするにも足りません。死んで私たちの肉体が腐敗して行くことを考えれば,腐敗した体とは連った新しい復活の体‐これを一つの次元とすると−を,もう一つの次元である自己あるいは魂に与えられるとする.二元論以外の仕方で復活については全く語れな いはずです。
実存論的神学を私が提唱するようになった要因の一つ,しかも大きな一つが,やはりルイス教授から受け継いだプラトン哲学でした。時間と空間の中に生きていながら,人聞にはそれらの形式に納まり切らない真・善・美ヘの憧れがあり,それが人間に,この現実にあってどのようにその憧れを実現したらよいかに関する不安を何時も与えます。人間が,その理想はこの世界の中で全く実現できはしないという抑圧を,自分の魂の憧れに加える時に,人間は絶望します。このようにしてプラトン哲学の線をキルケゴールの実存哲学にまで伸ばし,さらにその延長線上で神学するにとを,私は試み始めたのです。
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3 神と不条理との神話
実存論的神学について語ろうとすれば,どうしてもルドルフ・ブルトマンの神学
との出会いについて語らねばならないでしょう。彼について最初に知ったのは,ドルー神学校におけるクレアレンス・クレイグ教授の新約学のゼミにおいてでした。ブルトマンの『「ヨハネによる福音書」注解』をクレイグ教授が,私たちに読ませて,それを発表させたのでした。正直のとにろ,初めはブルトマンの言っていることの重要性がさっぱり分かりませんでした。彼の言う非神話化論が,キリスト教にとって避けて通れない問題であることに目覚め,それを土台とした神学を自分も築き上げる努力をしなければならないと思い始めたのは,日本に帰ってきてからでした。そのきっかけとなったのが,ドルー神学校のカール・マイケルソン教授の来日でした。彼の実存論的神学から,私は強烈な刺激を受けたのです。そして,それまでには,ニューヨークのユニオン神学校で教えを受けたパウル・ティリッヒ教授の神話に関する理論も知っていました。したがって,私が自らの実存論的神学を構築するに当たっての差し当たりの素村は,これら三教授の神学でしたが,私にはルイス教授から受け継いだプラトン的キリスト教の流れが,相変わらず底流をなしていたので,築き上げた実存論的神学は全く違った様相を呈するものとなりました。一例として,ブルトマンとの違いを簡単に述べてみましょう。彼の非神話化論は,周知のように,新約聖書のメッセージが当時の古代的世界像,すなわち天,地,黄泉という三階建の家星のような世界像に含まれているという認識から出発します。そして,当時のグノーシス主義的な,天使的存在の天からの下降と,その存在によって救われた人間たちの天ヘの上昇という神話,さらに,後期ユダヤ教的な,間近に迫っている世の終りという終末神話などが,古代的世界像と共にメッセージを包み込んでいます。つまりブルトマンの言う神話とは,イエスにおいて啓示された神のメッセージ,ケリュグマが,新約聖書の時代にそこに受肉した肉体のことなのです。ところが,現代に生きる私たちは,最早このような前近代的で非科学的な肉体を理解できない。そこでケリュグマを何とかそのままの姿で,現代の文化的状況ヘ移植して,今の肉体の中ヘ受肉させなければならない。これがブルトマンの言う非神話化論の意昧です。
彼がその移植のために用いたのが,前期ハイデガー哲学でした。後期ハイデガーの哲学は存在論的であって,前期の実存論的なものとは質的に異なるという,ハイデガーの弟子たちの見解に私も組する者ですが,前期ハイデガー哲学では,自分が死ぬべき存在であるということを,それが余りにも恐ろしい現実であるが故に,日常の自分の意識にありのままに上らせることが出来ずに,意識下に押し隠して生きている人間が,思索の前面に出てきております。しかしどれほど死を意識下に抑圧しても,それが完全に成功するにとはなく,死は現実の至る所にある間隙から,顔を出して人間を脅かし不安にします。このように何時も不安である人間を実存と言うのですが,ハイデガーによれば,死に至る存在である人間が,その事実を直視し主体的に引き受けて,死によって限界付けられた自分の生をどのように形成して行くかを自分で自由に決断する時に,その実存は本来のあるべき姿を顕わすことが出来ます。
ブルトマンは,このような人間理解は,何もキリスト教を信じていなくても,誰しもが理性的に到達し得るものであるとして,これを‐聖書に顕わされている神の啓示を,私たちが信じる前に到達可能な理解であるという意味で‐前理解と言います。この前理解を携えて私たちが聖書のところに来て,自分という実存を本来の在るべき姿を顕わす仕方で生きるためには,どのような生き方をすべきかを問いかける時に初めて,今日この場に,つまり私の住む現代状況という肉体に受肉する仕方で,聖書のケリュグマが私に語られるのです。ハイデガー哲学では,実存がありのままに理解され,どのように生きたならば本来の自分の姿になり得るかが分かれば,つまりその知解が私によって獲得されさえすれば,私には本来的な生き方が出来ると言う訳ですが,ブルトマンは,これは知識を獲得するという行為によって救われようとするもので,知ったからと言って,人間にはハイデガーの描くような本来的な生き方が出来はしない,と主張し,死を含む一切の未来も,現在も過去も,悉くイエスにおいて顕現された神の愛の御手の内にあると信じてこそ,人間は生きる意昧を与えられ,不安を乗り越えて,自分に在るべき姿で生きることが出来るとします。ここで私は,ブルトマンと自分との違いを申し述べねばならないでしょう。ブルトマンの神学には−私が強く影響されたマイケルソン教授の神学もそうですが−認識論的に言って,一種の禁欲主義とでも表現しなければならないものが目立ちます。神学の課題を,前理解から提出される問いに対して答えを与えることに限定することによって,ケリュグマを現代状況に受肉させるという方法論は,素晴らしいものであると私も思い,それが実存論的神学の当然持つべき方法論であると考えるのですが,ブルトマンやマイケルソンの場合には,その前理解における実存の理解が,私には余りにも狭いと思えるのです。そのために,出来上がった彼らの神学は,色彩だけが乱舞して形を一切禁欲した抽象画のようなものとなっています。私は神学はもっと華麗なものであって良いと思っていますが,それは,前理解における実存が,両教授のように狭く考えられてはならないと思うからです。実存は死によって限定されているばかりではなく,それの持つ社会的な関係や,それが住む自然的環境,また地球やその外に広がる宇宙との関係によっても限定されています。神学が政治学,社会学,環境学,自然科学,天文学などに干渉してよいとは毛頭思いませんが,神学はそれらの現代科学と接触できるように,それ自体の中に境界領域を整えていなければなりません。これらの境界領域がどのようなものであるかも時代によって変わりますから,これをどういうものとして設定するかは,まさにケリュグマを受肉させるために,神学にとっての絶えざる中心課題であると言えます。これは神学−例えそれが実存論的神学であって,実存の問いに対して神の啓示が答えを与えるという局面を,神字的思索の中心に据えているものであっても−の中に世界観の要素が入り込んできて,あらゆる神学的思索を彩ることになります。
したがって,私の場合には,ケリュグマは両教授の言うように単に,イエスの十宇架は人間が自分の理性や行動の力に頼って生きることを捨てること,復活はそのようなものを捨ててこそ本来的な生き方ができることを意昧するものではなくなります。もちろん私の場合でも,こういう日々実践する真理としてのケリュグマの局面が失われる訳ではありませんが,それを含んでもっと華麗な神学を目論んでおりまして,現代の科学的な宇宙論や歴史観の中に,ケリュグマを受肉させますので,これまではキリスト教のなかになかった異質の諸要素を咀嚼して取り込み,キリスト教を豊かにします。そして,新約聖書のケリュグマの持つ純粋さや豊かさを失わずに現代に受肉させるために,私が使う言語が,プラトン的キリスト教の言語なのです。
現代にケリュグマを受肉させるに当たっての境界領域には,政治や経済などとの接点をなす領域のみならず,自然科学や技術,また天文学を土台とした宇宙論などとの接点をなす領域もありますが,大きくそれらを括って神の摂理をどのように考えるかが,それらの領域の設定となります。ルイス教授のプラトン哲学の用い方と違って,私の場合には,もっと通俗的なプラトン理解が土台となって摂理論を考えております。無からの創造という真理は,無という素材から神が天地万物を造られたことを表現するものと私は理解しますが,この場合に無は神の働きに抵抗します。無は破壊の情熱であり,それが人間などのように人格的存在の中では,自由となります。神も人格的存在なので,その素質は主体的な自由であり,ご自分の本質である愛によって何時もその自由を抑制しておられます。否,抑制というと他律的な印象を受けますので,むしろフロイトの言葉を借りて,神はご自分の自由を,常に愛に昇華させておられる人格的存在者であると言うべきでしょう。つまり静的な(動的でない)考え方を,私は神に関して抱いておりません。人間も神に倣って,その自由を愛に昇華させて行かねばならないのであって,愛に反して破壊し,すべてを無に返そうとする罪や死に抵抗することが,聖化ということなのです。自由の存在価値はそれ自体にあるというよりは,それがなければ愛があり得ないからなのです。
銀河系宇宙も,広大な宇宙のなかの小さな存在に過ぎないことが分かっている今日,神と無との戦いの物語は壮大なものとなります。地球上の人類も含めて,この戦いは続行されており,私たちが宇宙に存在する法則と考えているものは,この戦いにおける神と無との妥協の産物でしかありません。私は,愛に反する無の働きをアルベール・カミュに倣って不条理と呼んできましたが,私の神学は,神と地球人類との間−他の宇宙空間に存在する知的生物に対しては,神はイエスにおいてご自分を顕わされたのとは,また別の関わり方をされているかもしれないと私には思われますが−の愛のロマンとなり,それは不条理に対する神と人間との共同による抵抗の物語でもあります。私にとっての史的イエスの重要性は単に,今ここで,日々私たちが実践しなければならない主体的真理−これはブルトマンによると,ケリュグマを私たちが教会で聴く時に,事件として私たちに起こる真理なのですが―の開示の最初の実例というようなものではありません。私はあの時あの場所でイエスが生き,そして十字架上の死を遂げたこと,復活したにとを,実際にあの時あの場所で,神が罪と死の不条理の現実の中に入り込んで下さり,死において死を死なせるほどに神の愛が力強いことを,それを信ずるにとのできる者のために客観的に実証された事件であると考えております。パウル・ティリッヒによると,こういう神と人間との物語はすべて,文字通りの意味以上のものを物語っているが故に神話なのですが,確かにその通りですけれども,これは新約聖書の神話とは異なり,現代に受肉した神話です。ブルトマンの非神話化論が実存を,それを取り巻く諸関係から抽象して,それを生かす主体的真理を浮き彫りにした功蹟は大きいのですが,そのように抽象された主体的真理を,もう一度現代の実存を取り巻く諸関係の中に入れようとするのが私の意図であり,非神話化という手続きを経た上での新しい神話形成なのです。
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4 多元論ヘ
次に申し上げたい事柄は,長く考えた結果そういう結論にまで私が追いつめられたものなのですが,究極的なもの(the Ultimate)と絶対的なもの(the Absolute)との相違についてであります。究極的なものという言葉によって,私はプラトン的キリスト教の流れに悼さす者として,人間の魂に植えつけられている真・善・美ヘの憧れを成就してくれるものを意昧します。それに対して絶対的なものというのは,哲学的概念であって,相対という概念に対します。もしも神を絶対であると言うならば,その神は一存在ではあり得ません。なぜなら一存在者は,他の諸存在と並んで存在するに過ぎない一つの相対的存在であるからです。したがって神を絶対的なものとすると,どうしてもその神は存在者ではなく,ティリッヒの言うように,諸存在を存在させるような存在の力,あるいは,そこからすべての存在するものが出てきて,またそこへ帰って行くような存在の根底となります。つまり,私のようなプラトン的キリスト教の立場から言うと,この神は既に述べた神話の中の無と等しいのです。哲学は理性的にあらゆるものを包括する概念を目指しますので,多から一ヘ,複数から一への道を歩むものです。これは絶対の探究とも言えるものですが,キリスト教は必ずしもこの道に沿って歩んで行く必要はないのではないか,と結論するに至ったのです。人間が求める神は真・善・美ヘの憧れを充分に満たしてくれる究極的な存在者であって,絶対的なものではないのです。
絶対という哲学的なものを神とすれば,その神は,そこからすべてのものが出てきて,またそこヘ帰るのですから,その神は善も産出しますが悪も産出します。善悪混合です。存在の根底とか無とかいう,善悪を超越したものに惹かれる心情は,むしろ美的鑑賞を主とするものであって,現実世界の中で,自分や他人の悪に悩みながらも,何とかして善を実現しようとして苦闘する宗教的魂とは無緑であり,かえってこういう魂をあざ笑うものであります。キリスト教的な美ヘの憧れの満足は,善悪を超越したものの楽天的観賞というよりは,善悪の狭間で不条理に悩み抜く悲劇的美でもありましょうか。
哲学的に絶対とか無とかいう言葉で表現されているものは神ではなく,そこで神や人間やその他の存在が生きて,真・善・美を求めて苦闘する場であると,私は考えておりますが,そうすると,これは教会教父たちの贖罪論に見られる二元論に近くなります。十一世紀頃までの贖罪論は大体のところ,神と悪魔が人間の魂を求めて闘争するという二元論的なものでした。このことはギュスタフ・アウレンが教会史の事実として実証してくれていますが,私の立場はこういう古典的贖罪論に近いのです。悪魔とは,無の破壌の力,不条理の神話的表現に過ぎません。
無という場の中で,神や人間やその他の存在が生き,かつ存在しているという多元論は,哲学的な絶対という概念によって養われてきた過去の神学の,全知・全能という神観と矛盾しますので,多くの人々にとって早急には受け入れ難いものでしょう。多数の,神を含めてすべて相対的なものが犇いている現実の中では,神があまりにも弱く見え,私たちの救いを貫徹して下さるのかどうか不確かになるからです。こういう理由から,私にとっても,多元論はなかなかに受け入れ難いものでした。私がそれを受け入れるようになったのは,ウィリアム・ジェイムズの徹底的経験論(radical empiricism)の主張や,彼の幾つかの著書,特に『多元的宇宙』(A Pluralistic Universe)の影響がありますし,また山梨県などに主に見られる丸石神への興昧のお陰でした。丸石神は,縄文時代からの信仰であるとのにとですが,卵型であったり,ほぼ完全に丸かったりする石をただ一つ,あるいは幾つか神々として拝む信仰なのです。それらの石を統括する何かがある訳ではなく,隙間を互いに持ちながら幾つかの石が,見た目には雑然と積み重ねられているだけなのですが,それらは(私の見るところでほ,無という空間に協同して拮抗し)不思議な調和を形作っているのです。何ものによっても強制されずに,個が個としてそこにあるのです。考えてみれば,キリスト教の説く愛は,他者にこちらの思うとおりに生きて貰うものではなく,他者をその個のままで生かし抜くものです。史上,絶対的な全知・全能の神がしばしば専制政治に利用され,民衆を弾圧する道具に使われてきたことを考えますと,多元が多元のままで,そこに愛による−時代によってその形が独創的に変化して造られる−調和形成を目指す多元論のほうが,キリスト教という愛の宗教には相応しいと思うのです。
アウシュヴィッツなどの強制収容所におけるユダヤ人虐殺,中国などにおける日本軍による虐殺事件,広鳥や長埼への原爆投下,東京下町の大空襲などを体験した私たちにとっては,もしも神が全知であり全能であるならば,何故にそれらの出来事を阻止できなかったのか,分からないのです。戦争は人間が起こすものなのだから神には責任がない,というような議論は.戦争を引き起にした直接の責任者である政冶家や高級軍人たちよりも,彼らによって戦争に駆り立てられた民衆のほうが,比較にならないほどに苦しむという一事を考えるだけでも,愚劣です。無に由来する,人間の自由の持つ破壊力である,こういう罪に抗して,愛の神が(相対的ではあっても,その全力を奮って)人間と共に戦って下さるのだ,と言う方が,絶対的な神が自分勝手な理由や思惑や計画から,人間の罪の荒れ狂うのを傍観しているとする考え方よりも,違かにキリスト教的ではないでしょうか。
神は,もしもそれが可能ならば不条理をご自身の力で破壊し,それが出来なければ不条理を迂回して私たちを導きます。神は私たちの主体性を重んじて強制は全くなさらず,私たちが破壊へ向かう時も,ご自分が(比喩的に言えば)傷つけられながら,神は私たちが自分たちの自由で神の所に帰ってくるのを待ちます。神はこの宇宙空間の中で不条理を征服したり迂回したりして戦いながら,被造物との間に愛の共同体を造って行きます。私たちは神の雄々しい,悲劇的な愛に魅せられて,反抗を重ねながらも遂に−この世でか死後の何時にか−自ら進んでその愛の虜になるのです。私たちが帰ってくるのを何時までも待つ神の愛の凄さに,負けてしまうのです。これこそがイエスが山上の説教で説かれた愛ではないでしょうか。
神の愛と不条理との戦いという思想に長年にわたり思いを疑らしているうちに,偶然のことでしたが,私は中世のカタリ派の文献に出会いました。カトリック教会から異端とされたこのキリスト教は,十二世紀にその最盛期を迎え,最後の十字軍によって弾圧されて,十四世紀の半ばには,ヨーロッパに一人のカタリ派の信者もいなかったということです。カタリ派はプラトン的キリスト教の流れに悼さした教派であったのですが,その教理は,善の神と悪の力との戦いという二元論を土台にしたものでした。カタリ派の前身であったブルガリアのボゴミ−ル派も,同じ原理に立っていました。カタリ派の舞台はミディと呼ばれる南フランスでしたが,ここは当時フランス国王の支配を受けていませんでした。どういう点で私が特にカタリ派に惹きつけられたかと言うと,当時の政治権力であったフランス国王や教会権力であったカトック教会を,カタリ派は神の支配の代行者とは見倣さずに,悪の原理に操られているものと考えたとにろでした。ポゴミール派の場合も同じで,信者の大部分を占めていた農民たちは,当時のブルガリア政府を悪の権化と見散して,反乱を起こしそれと対決したのです。私は,メソディスト運動はその聖霊主義的な教理のお陰で,例外的に民衆の宗教運動から作られたプロテスタントの大教会であると思いますが,聖公会や宗教改革の大教会たるルター派とカルヴァン派は大体のところ領邦君主や貴族,また大学教授,台頭しつつあった経済的実力者たちを先ず味方に付け,その高みから下の民衆を教化しました。言わば上から下への運動でした。そのために,上の権力は神の権力を代行するものと見倣され民衆は宗教的にも服従を強いられたのです。ところが,カタリ派やボゴミール派はこういう政治権力や宗教的権力を悪魔の支配下にあるものとして抵抗したのです。これこそ純粋な意昧での民衆のキリスト教ではないでしょうか。カタリ派との出会いは私に,神と無との戦いや多元論によって,キリスト教を理解する道こそが,下から上ヘの方向を辿る民衆のキリスト教を現代社会の中で形作る唯一の神学的方法であるとの確信を強めたのです。
5 日本ヘの土着
最後に述べたいのは,私にとってますます重要になりつつある日本の民衆宗教についてです。キリスト教を日本の文化的土壌にどのように根づかせるかは,私にとっても長い間の関心事であり,神道,道教,仏教などにつきましてもでき得る限り勉強しましたが,最終的に私の興昧を惹きますのは,高遠な仏教哲学や国家と結びついてきた神杜などではなく,民衆の日常生活の中に溶け込んでいる−いろいろな宗教的流れが混合している−民衆宗教なのです。民衆宗教との出会いによって私が学んだ一番大きな事柄は,民衆は神や仏を信ずるに当たって実に自由であることです。民衆は自分たちにとって利益になる神や仏しか信じませんしご利益を与えてくれない神や仏はあっさり捨てます。初めのうちは,これらの神仏信仰がしばしば私には迷信としか思えない実践に纏いつかれていることもあって私はどうもこういう宗教性に馴染めずにいましたが,そのうちに,ここにこそ人間の宗教的自己解放カにある,と思うようにたりました。大教団や大寺院また大教会の強制する規格品になることを拒否して,民衆は自分という個的存在の宗教的欲求を満たしてくれるものだけを信ずるのです。民衆は愚かであるから宗教的に啓蒙しなければならないと思い込んでいる大教団・大守院・大教会のほうが,実は民衆によって試されているのです。
いろいろの宗教的体験を試してみて,自分の移り変わりゆく宗教的欲望をいつも満たしてくれるもの,いつもそこに帰ってこざるを得ないものが,イエスの十字架と復活の真理であってこそ,私たちのキリスト教信仰は本物なのです。いろいろの宗教を試さないところには,宗教的自己解放はありません。特に日本のように多数の宗教が共存している所では,そうすまいと思っても他宗教との接触がありますが,私はこの事情を有り難いことだと感謝するようになりました。愛は自己を相対化して,他者は他者のままで生かそうとします。キリスト教は自己を相対化して,例えば地蔵信仰に愛において仕え,それをこれまで地蔵信仰が自ら知らなかったような深みから,建て直し豊饒にすることが出来るのではないでしょうか。地蔵信者が最終的に求めているものも,人間が捨てても,また捨てても,人間を少しも捨てずに愛し抜く愛なのですから。このようにして,いつの間にか地蔵信仰はキリスト教の中に場を占めて,地蔵は高級な天使的存在として崇められるようになるかも知れません。カトリック教会はヨーロッパの民衆宗教を採り入れて,それ自体を豊かにしてきましたが,ヨーロッパの民衆宗教から自由になったプロテスタント教会は,日本でこの地の民衆宗教を採り入れるのに,カトリック教会よりも有利な立場にあります。日木の民衆宗教という,これまでのキリスト教にとって異質なものも恐れずに咀嚼し採り入れて,それ自体を豊かにしてにそ,この地でのキリスト教のこれからの進展展があるのではないでしょうか。私の最近の著書『「キリスト教と民衆仏教〜十宇架と蓮華』には,そのことについて書きましたのでお読みいただければ幸いです。
追記 この原稿は,最終講義をテ−プに録音したものを,指谷朋子氏(束京YMCA英語専門学校非常勤講師)が起こして文章化して下さったものに,私が加筆したものです。面倒な仕事を丁寧にして下さった指谷氏に御礼申し上げます。
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入力:山田香里
2003.5.6
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