ユダヤ・キリスト教史 1997.8.19


講義「ユダヤ・キリスト教史」



第15回 ――カナン宗教とユダヤ人?         (1997.8.19)


野呂芳男







 モーセに宗教的に教育されたユダヤ人たちが、カナンの地に侵入しようとするところまで、私たちは学んできたのであるが、ここで大きな問題が私たちの前に立ちはだかっているように思う。これ迄も私たちはしばしば、ユダヤ教の排他性に困惑を覚えてきた。他の宗教の神々を偶像として否定するばかりか、ヤーウェの神の命令と彼らが信じた事がらを他の部族や信者に強制し、武力に訴えても彼らはそれを実行しようとする。彼らが侵入しようとするカナンの土地には、国際的に文化交流を持っていた、既に2000年の歴史を持つ文化が存在していたのだが、そこに、この土地は自分たちの神が自分たちに与えてくれたものだから、自分たちを住まわせて欲しい、と力づくで乗り込んできたユダヤ人たちに、一体私たちは社会的・政治的な正義を感じるだろうか。土地が広大で、皆が一緒に住めるならまだしも、既に住んでいる者たちを武力で従わせようとしたのだ。幸いなことに今日の歴史研究では、旧約聖書が表向きに書いているように、武力で住民を滅ぼして侵入したユダヤ人ばかりではなく、平和の内に住人たちと和解して住み着いたユダヤ人たちも多かったことが言われているけれども。とにかく、ユダヤ教の神に関する考え方はキリスト教徒にとっては、所詮イエス・キリストにおいて啓示される神観の準備的なもの、道備えをするものに過ぎないのだ。

 もう一つ私たちがこの際に考えておかねばならないことは、カナンの地の宗教はアニミズムであって、日本の宗教的土壌と似ていたことである。既に私たちが知っているように、アニミズムは山や川がそのまま神であるとする汎神論ではなく、山や川にはそれを支配する妖精のような神々がいるとする多神教なのである。カナンのこのような宗教に対してユダヤ人たちは、宗教的暴力としか言いようのない仕方で弾圧を行った。しかし、宗教はそのような仕方で弾圧しても、簡単には滅びはしない。却って、カナンの宗教が密かにユダヤ人の信仰に深い影響を与えていることを、私たちは旧約聖書のあちらこちらで見ることができるのである。







 ここでカナンの宗教について概略しておく必要があるだろう。パレスチナなどの近東全体においては、処々方々の国々で礼拝されていた神々が知られ、信じられていた。カナンでは、小さな独立した町々が、それぞれ近くの丘や谷、ぶどう園や畑を持って存在していたのだが、神々に対する信仰の有り様は、カナンに住む人々がどの社会階級に属するかによって違ってはいた。しかし、一般的に通用する神々についての考え方が存在していたと言える。

 町の住人、村に住む人、牧羊者たち、労働者や奴隷、家やぶどう園の所有者、商人、祭司、(小さな王たちに仕える)役人たち、当時沢山あった森林に住む(文明と縁のない)民などによって、同じ神々を信じるにしても違いが存在したことは言うまでもないが、知識人と思われる個人でも、ある場合には知識的な信仰と迷信的なものとが混在していたことは、今日と同じである。

 砂漠の民と同じようにカナンの人々も多数の悪霊を信じていた。夜の魔女リリスはよく知られた存在であった(「イザヤ書」34:14、「詩編」91:5)。また魔法使いもいたし、特に流行していたのは、死者との交霊を行う占い師であった。このような占い師は、カナン人たちによって公には軽蔑されながらも、ひそかに根強い人気を持っていた。彼らはユダヤの預言者によっても弾劾されたが(「イザヤ書」8:19)、彼らを弾劾した王サウルでさえ、明日の戦場で死ぬのではないかと恐れて、口寄せの女を訪ねて死んだ預言者サムエルの霊を呼び出して貰い、心を決めようとした(「サムエル記上」28章)。(この記事には、死者は影のような存在として、地下の黄泉〈よみ〉にいるというカナンの信仰がほの見えている。)

 砂漠の民と違って、カナン人には善神が多数いた。印象深い山々、砂漠と比べれば肥沃な土地、沢山ある水などが、多数の善神を信じさせた理由であろうが、興味深いのは、印象的な大木には精霊が宿ると信じられていたことである。「サムエル記下」5:23-24 には、「バルサムの木の上の方の葉が鳴ったら、それは主の軍勢が進んでゆく音」となっていて、バルサムの木がヤーウェの寄り代となっていることである。ユダヤ人の信仰にカナン人の信仰が浸透している一例である。また、山頂やあちこちにある巨石がカナン人には神聖なものであり、既に述べたベテルにおけるヤコブの話に、このカナン人の信仰が見えている。そしてカナン人も、神をエル(El)と呼んだが、それでユダヤ人が父のような神を呼んだのとは異なり、カナン人の神々はバールなど主人、王、殿様であった。

 子供の多産と作物の豊饒を願って、カナン人の信仰には性的儀式が取り入れられ、神々も男神と女神との沢山のペアとして信じられた。月礼拝はなく、太陽崇拝が神々信仰の中に取り込まれ、また、金星がカナンでは女神アシュトレトとして特に崇められた。犠牲の儀式が祭司たちによって執り行われ、彼らと協力する(神々の霊が乗り移る)預言者たちが信者の未来についての相談に預かっていた。更に、信者たちと性的交渉に入る、男女の「神の僕」と呼ばれる者たちがいたが、このような慣習の背後には、彼らと信者たちとの性的ドラマが神々を刺激し、大地の豊饒に導くとの信仰があったのであろう。



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入力:平岡広志
2003.2.2