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このサイトについて / 更新履歴 / 管理者ブログ
2010.08.11
このサイトの主である野呂先生が亡くなられ、今後、このサイトをどうしたらよいかと考えましたが、これだけ蓄積された電子テクストは、先生が亡くなられた後にこそより貴重なものとなるだろうと思うので、奥様の林昌子さんの許可をいただいて、このまま残させていただくことにしました。
このサイトを立ち上げた頃は、まだブログなどというものもなく、多くの人は手作業でサイトを更新していました。私もまたホームページビルダーを使って、なんとかこのサイトを運営してきましたが、ブログを使うことになれてしまってからはこの管理日誌も滞ってしまいました。OSも、(必要もないのに勝手に)新しくなっていき、古いホームページビルダーはついに使いものにならなくなってしまいました。これを更新するために、古いパソコンをわざわざ立ち上げているような状況です。
私としては自分のブログを管理日誌の代わりというつもりで書いてきましたが、今後もそのようにしたいと思います。今ではそのブログさえも更新が滞りがちなのですが、野呂先生の残された仕事については語りたいことはたくさんあるし、多くの人と議論していきたいと思っているので、これからそちらのブログで野呂先生のことをどんどん取り上げていきたいと思います。
2006.04.15 野呂先生はゾシマ長老か?
2006..03.21 これから、このHPから目が離せません!
2005.07.03 『ウェスレー』最新情報!!
2005.2.26 ご無沙汰しております
2004.11.4 アドレス変更
2004.6.1 サイト開設2周年!
2004.1.28 サイトをリニューアルしました。
2003.9.20 『ウェスレー』(増補改訂版)が刊行予定!
2003.5.31 サイト開設1周年
2003.3.27 感謝
2003.1.23 野呂神学の出発点
2002.12.22 訂正!! (およびクリスマス礼拝のご報告)
2002.12.3 「実存論的神学研究会」に参加して(3)
2002.11.22 「実存論的神学研究会」に参加して(2)
2002.11.2 「実存論的神学研究会」に参加して(1)
2002.9.28 野呂先生が退院!
2002.9.21 怒濤の(?)タイプアップ
2002.9.10 さらなる協力者
2002.9.6 先生を再度お見舞い
2002.8.9 「人間論」をアップ
2002.8.7 野呂先生が入院されました
2002.6.26 秦先生からのご要望
2002.6.16 新しい協力者
2002.5.31 サイト開設
2006.04.15 野呂先生はゾシマ長老か?
いよいよ日比野英次さんから再批判が届きましたので、さっそく掲載いたします。野呂先生はすでにお読みで、さらなる反論を書くとおっしゃっています。
この論争は、一応は宗教間対話をテーマにしているように見えますが、実のところは二つの異なった思想的な立場のぶつかり合いです。日比野さんはそれを、ゾシマ長老とイワンというふうにたとえておられます。しかし、林さんも言われるように、日比野さんの印象としてはそうかも知れませんが、野呂先生ご自身はゾシマ長老でご満足かどうか疑問です。
お二人の論争については、 立ち上げたばかりの私のブログ で議論中です。みなさんもぜひお立ち寄り下さって、どしどしコメントしてください。
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2006..03.21 これから、このHPから目が離せません!
先日、HPを更新したところ、サイト内へのリンクがうまく貼れなくなってしまいました。今日は日本対キューバ戦を横目で見ながら不具合と格闘し、優勝する前になんとか復旧することができました。と言っても、ファイルを一から作り直しただけで、原因は結局不明なままでした。日本も優勝でミスがすべて帳消しになったように、私も結果オーライということでこれ以上原因究明はしないことにします。
そのようなわけで今回思いのほか手間取りつつようやくアップしたのは、日比野英次さんが15年ほどまえに書かれた、野呂先生の『キリスト教と民衆仏教』(先生はこれを「十字架と蓮華」という副題でふつう呼ばれるます)の書評と、この書評に対して野呂先生がつい先日の日曜日に私にお送りくださったばかりの反論の文章です。今現在の先生の声をお届けすることが、以前からの大きな課題でしたが、ようやくその第一歩を踏み出せたと思います。急な入力依頼をひきうけて下さった平岡さんに感謝いたします。
さて、日比野さんは、野呂先生の立教大学院時代の弟子で、私(岩田)にとって立教大学院の大先輩にあたります。直接ご一緒した時期はありませんでしたが、お書きになる文章や、一度だけ拝見したプレゼンテーションから受ける印象は強烈で、他のどなたとも違った個性をもった方です。自分の頭で考えろと誰もが言いますが、それをそのまま論文のスタイルとして実践されているのが日比野さんです。数年前から行方を聴いても誰も知らないという状況でしたが、最近、武者小路実篤が中心になって開かれた「新しき村」の一員として活躍されていることを、そのホームページで知った私が、野呂先生にお話したところ、では連絡をとって欲しい……という話になったのです。
今回の討論は、日比野さんが「新しき村」に参加されるすっとずっと以前の書評に基づいたものですが、今回、野呂先生の反論をさっそく読んで下さった日比野さんから、言いたいことは山程あるので、何れ精読の上再反論するとのメールをいただいています。これは面白いことになってきました。今の日比野さんの思想と実践から、野呂先生の思想に対してどのような議論がありうるのか。これから、このHPからは目が離せません!
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2005.07.03 『ウェスレー』最新情報!
先週水曜日の聖書研究会に行ってまいりました。ちょうどローマ人への手紙が終わり、ヨハネ福音書に入ったところでした。林さんが聖書を数節読み、先生はそれを聞きながらコメントするという形で勧められていきますが、ゾクゾクするような面白さです。これから月2回出席しようと思っていますので、ここでもその様子を紹介できると思います。
ところで、その日はじめて知ったことですが、出版が遅れていた『ウェスレー』の増補改訂版が、全く装いを新たに、ほとんど全く新しい本として準備されているということです。当初の予定では以前のものにはほとんど手を入れず、最終章だけを新たに付け加えるということでしたが、今回先生からお聞きしたところでは、本文そのものの内容で現在気に入らない所などは全部直し、さらに40年近く考え続けてきてようやく分かったという「キリスト者完全論」についての最終的な結論も述べられるということです。内容的には先生による四冊目のウェスレー本ということになりそうです。また、表紙なども工夫に工夫をこらしたものになるようで、先生自身も本が出来るのを大変楽しみにされている様子でした。
それから、たまたまある必要のために古いアルバムから先生の若い頃の写真が引っ張り出されてきていて、それを見せていただきました。目がお変わりになっていません。写真をデジカメで接写してきましたので、 BIography のところに掲載します。
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2005.2.26 ご無沙汰しております。
黒田さんから入力原稿をいただき、久しぶりに更新することができました。黒田さん、ありがとうございました。
意気込んではじめた「新約聖書を深く読む」の方はすっかり滞っています。これは、元となるテクストが聴講者によるノートであるという事情があり、先生ご自身の見解と必ずしも一致しないところもあるようなので、そのあたりの修正に手間取っています。ヘーゲルとかソシュールとかの講義ノートもそうだったようですが、聴講者のノートからの講義の再現というものはいつも同じ問題をはらむようです。ノートというものは、講義そのものと同時に、講義に触発された聴講者自身の記録でもあるわけですから、こうした問題が生じるのは当然なので、これはもちろん聴講者の責任ではなく、これを講師の著作ないしは準著作として発表しようとする者、つまりこの場合管理者の私の責任に属することです。したがって、私としてはやはり慎重にならざるを得ないわけです。先生に直接お会いして確かめていくのが一番なのですが、今のところなかなかそれができていません。
なお、前回先生の入院をお伝えしましたが、先生はすでに退院され、ユーカリスティアの活動は再開されています。教会からいただいたニュースレターによると、先生のお話はますます面白いことになっているようなので、そのあたりも詳しくお伝えしたいところですが、管理者自身がご無沙汰しているために、こちらもなかなか実現できていません。早くこの状態を打開すべく努力したいと思います。
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2004.11.04 アドレス変更
ご報告が遅れましたが、1,2週間くらい前からサイトのアドレスが変更されています。これはYahooジオシティーズの変更にともなうので、入っていたマンションが取り壊されて、新しい建物に移転したようなものでしょうか。いずれにしてもこれまでのアドレスも当面は使えるようです。
新しいアドレスは、 http://www.geocities.jp/yoshionoro
旧アドレスは、 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1595/
古い方も新しい方と同時に更新されていくので、さしあたりはどちらでアクセスしても同じですが、今後は正式なアドレスは新しい方になります。
ところで、管理者は長らく無沙汰していますが、野呂先生が再度入院されていると伺っています。まもなく退院とのことですが、速やかな回復をお祈りしております。
また、少し前になりますが、テクスト入力を引きうけてくださっている 黒田良孝さんのH Pにリンクさせていただきました。ご覧いただけば分かるように、黒田さんは難病を抱え多くの不自由を負いながら、ボランティアで入力作業をして下さっています。このサイトが黒田さんのような方によって支えられていることはほんとうに感謝です。
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2004.6.1 サイト開設2周年!
平岡さんに言われて気づきました。他のことに関しては、「もうそんなに経つのか」という感想を抱くことの多い今日この頃ですが、このサイトについては「まだそれだけしか経ってないのか」という感じです。もっとずっと前からやっていたような気がします。
入力スタッフのみなさんの熱意あるご協力のおかげで、野呂先生の過去の邦語論文のうち、著書に入っていないものについては、大部分の論文をアップしおわりました。入手困難なもの、その他の事情でアップを控えているものなどを含めてまだ弱冠残ってはいますが、それらをアップしてしまえば、このサイトの次の目標は、野呂先生の「現在ただ今」(秦先生)の思索をお伝えすることになるでしょう。先生の視力がなお十分ではなく、論文をお書きになることが困難であることを考えると、このサイトが担う役割は大きいと思います。
先生の活動は、現在はユーカリスティアでの講義が中心です。この講義内容をなんとかこのサイトでも紹介していければよいと思っています。問題はどのような方法でそれを行うかです。何かよい考えがある方は是非ご提案下されば幸いです。
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2004.1.28 サイトをリニューアルしました
トップ・ページのデザインを一新するとともに、サイト内の階層構造を単純化して、各テクストをより簡単に見ることができるようにしました。まだかなり改善の余地はありそうですが、一応基本は出来たと思います。あとは、細かいところを少しづつ直していくつもりです。
トップ・ページのデザインについては、ずいぶん前から変えたいと思っていたのですが、なにせ自分のサイトではないので、どのように変えてよいやらわからず、先日、野呂先生にお好きな色とかモチーフをお尋ねしました。先生のお答えによれば、モチーフは「ピカソ」、また、お好きな色は初期のピカソの題材になった「道化師」や「サーカス」の赤、また「青の時代」の青ということでした。さらに、カンディンスキーの絵のように具体的な像がなくなってしまうと、パウル・ティリヒが言っているように絵から人間性が消えてしまうので、三角形とか四角形とか丸などの図形は残して欲しいということでした。加えて、(先生がお好きで収集されている)こけしの形、色彩も頭の中におくようにとのこと。
しかし、これは正直言って大変な難問でした。先生は「秘密の趣味多数」とご自分でおっしゃるとおり、きわめて多様な嗜好をお持ちで、しかもそれら一つ一つに神学的な意味合いが少なからず関係しているようにお見受けします。それは私の狭い守備範囲をはるかに越えており、相当な意外性をともなっていることが多々あるので、なかなか想像がつきかねるところです。だからこそ、率直に先生にご相談したわけですが、先生のご注文をお聞きすると、余計に難しくなってしまいました。いろいろと、試行錯誤しましたが、結局、ピカソの青と赤から色源をいただき、複数のこけしの頭部を念頭においた形を配置して、このようなデザインになりました。また、サイト名として「野呂芳男ホーム・ページ」ではつまらないので、何かいい言葉はないか先生にお尋ねしたところ、「神学に生きる」という言葉をご提案いただいたので、これを画像の中に入れました。先生のイメージに合うかどうかは正直自身がありませんが、一応は先生のおっしゃった各事項をクリアしているつもりです。やや抽象的な図柄に見えるかも知れませんが、画像の中にあるそれぞれの形は、決して他の形や背景に同化してしまわず、あくまでも一つ一つの個体として立っているというつもりです。(カンディンスキーとは違って)。あらためて見ると、これらの形はこけしというよりは、これも先生のお好きな丸石の方により似ているようにも思います。もし先生の視力がある程度回復されてデザインを見ることがお出来になるようであれば、先生のご感想を是非お聞きして、それに応じてデザインを変えていきたいと考えています。
ところでご報告が遅れましたが、現在テクスト入力を手伝ってくださっている平岡さんに加えて、昨年暮れから黒田良孝さんが新たに入力作業をお手伝い下さっています。このサイトを見てご連絡下さり、すでに前回アップした「ウェスレーの信仰の性格」というテクストを入力して下さいました。このような無償の奉仕をして下さる方がおられることに、本当に頭が下がる思いです。
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2003.9.20 『ウェスレー』(増補改訂版)が刊行予定!
東京地方は暑い秋が続いていましたが、今日は台風の影響で急に肌寒くなりました。管理者がしばらく自分の仕事の方にかかりきりになっており、そのためにこのサイトの更新も滞っています。野呂先生ともしばらくお会いしていないので、近況をお伝えすることも出来ません。この状況はもうしばらく続きそうですがお許し下さい。
ところで、数日前、嬉しい情報が飛び込んできました。このサイトでも一部を公開している 野呂先生の『ウェスレー』の増補改訂版 が出版されることになったそうです。この本は、数年前に出版される予定で増補部分が用意されていたものですが、諸事情で出版が出来なくなっていたためこのサイトで増補部分を公表中でした。(増補部分のうち最後の数頁がなおアップされていません。)アップされた部分についてはそのままにしておいてよいとのことなのでそれに従います。出版について詳細が分かり次第このサイトで紹介いたします。関係者のみなさま、是非情報をお寄せ下さい。
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2003.5.31 サイト開設1周年
世間がサッカーのW杯の開幕で世間が盛り上がっていた昨年の今日、このサイトはスタートしました。他の事柄に関しては時の経つのがものすごく早く感じるこの頃ですが、このサイトに関する限りは、ほんとうに1年しかたっていなかったか今一度確かめて見たほど、長い1年でした。
このサイトをはじめたきっかけは、野呂先生のとの数年ぶりの再会でした。そして、この1年、ユーカリスティアの設立、先生の大怪我などの出来事があり、その間に先生の論文を入力したり、著書を再び読み返したり、また先生の講義をお聴きしたりして、私の中で野呂芳男という存在が再び圧倒的な影響力を発揮しはじめています。
論文の入力に関して絶大なご協力を下さっている平岡さんとの間には、これまでにおびただしいメールのやりとりがありました。今数えるといただいたメールの数は68通にも達しています。そのうち半分くらいにはファイルが添付されています。入力下さったテキストです。私はそのファイルをHTML化してアップします。この半年、ほぼ全てのテキストをこの手順でアップしています。ですからこのサイトが現在このような充実した内容になっているのは、ひたすら平岡さんのお陰なのです。本当に感謝したいと思います。おそらく平岡さんも、この半年ですっかり野呂通になられ、今では私より余程お詳しいのではないかという気がします。そのうちぜひこのコーナーにご登場をいただいて、感想などをお聴きできればと思っています。
ところで、先日遅ればせながらYahooの検索サイトに登録されました。登録されると同時にアクセス数がほぼ倍に増えました。現在1日に平均20人くらいの方が見てくださっていることになります。今後、過去のテクストだけでなく、野呂神学の現在をお伝えするような、いい手段がないかを考えていきたいと思っております。林さん、よろしくお願い致します。
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2003.3.27 感謝
このところわたしくし管理者が多忙のため、なかなか新しいテキストを入力することができず、すべてを平岡さんにおまかせきりの状態です。まことに申し訳なく思うとともに、平岡さんの献身的なご奉仕に心底感謝している次第です。
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2003.1.23 野呂神学の出発点
野呂先生が50年以上前に書かれた記念すべき論文をアップしました。またしても平岡さんのご努力によるものです。日本基督教神学専門学校(後の東京神学大学)の卒業論文ですから、22歳の時の文章ということになりますが、とても大人びた文章に驚かされます。当時の若者が一般的に大人だったのか、あるいは野呂青年が特にそうだったのか、あるいは文章とは別の青年らしい先生が別にいたのか、いろいろと想像はつきません。戦争の経験は先生の思想にとって決定的であり、今もその思索に深く刻印されているように思いますが、この論文が書かれたのが戦後わずか3年後です。非常に感慨深いものがあります。
この論文について先生は、「私の出発点です」と言われています。牧師になるべく神学校で学ばれた先生が、学者の道を歩まれるきっかけになったのはおそらくこの論文だったのでしょう。、「ウェスレーに関する今の考えとは少し違っている」と先生は言われますが、どの点が違うのかを考えながら読むのも面白いかも知れません。
私が入力している、『ウェスレー』の増補改訂部分は、残り数ページがまだアップできていません。平岡さんのペースと比べてあまりにも遅い進行で、お待ち下さっている方には大変申し訳なく思います。現在、判読困難な箇所を先生に問い合わせ中で、それがすめばまもなくアップできる予定です。もうしばらくお待ち下さい。なお、このコーナーは内容が溜まってきてかなり重くなっていると思います。本当はファイルを分けるべきなのでしょうが、なかなかその余裕がなく、この点も今しばらくご容赦願います。
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2002.12.22 訂正!! (およびクリスマス礼拝のご報告)
だいぶ時間が経ってしまいましたが、先日ユーカリスティアのクリスマス 礼拝と祝会に参加させていただきました。礼拝説教は野呂先生のご担当でした。説教箇所のマタイ25章31〜46節とルカ15章1〜7節は、神による救いに関して相容れない二つの立場をそれぞれ表している。前者は自分たちキリストにつく者だけが救われてそうでないものは裁かれるのだとする立場であり、後者はあらゆる人がことごとく最後の一人まで救われるのだとする立場である。われわれは後者を選ぶべきである。主旨はそういうことでしたが、内容はピノキオ物語などいくつかの印象的な例話が取り上げられ非常に感銘深いお話でした。礼拝後には皆さんが持ち寄られたご馳走をいただきならが、楽しい歓談の時を持ちました。その時に写真を何枚か撮ったので、近い内にこちらに掲載したいと思っています。(PS. 写真ができたので、掲載しました。12/26)
さて、この「管理日誌」の2002年11月22日分の内容に誤りがありましたので、ここで訂正させていただきます。「実存論的神学研究会」での野呂先生の講義の報告の中に、<『ヨハネ福音書』をドイツ語から英語へと翻訳した功績を認められたから奨学金が出た>というのは二重に誤りでした。
第一に、野呂先生がなさった仕事は翻訳ではなく 要約 でした。この本は、当時恐らくドイツでも出版されてはおらず(これは未確認だそうです)、『ヨハネ』のコピーを新約学教授のクレアランス・Tクレイグ氏(当時の学部長)が所有しておられ、それを野呂先生が借りて要約を提出されたところ、非常に好印象を持たれたということです。
第二に、学金を得られた 直接の原因 は、卒業時にクム・ラウデ(優秀賞)だったこと、だそうです。この賞は、成績優秀者に贈られるものですが、成績の他に、当時は引退して非常勤であったエドウィン・ルイス氏、ルイス氏の後任であったジョン・S・ウェール氏、そしてクレイグ氏らによる推薦があったということです。
以上の点を林さんを通じて野呂先生から確認しましたので、訂正するとともにお詫び申し上げます。過去の日誌の内容をいじるのは変ですが、単純な事実確認に関する事柄ですので、無用の誤解をふせぐために 該当部分 を訂正させていただきました。
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2001.12 「実存論的神学研究会」に参加して(3)
野呂先生の講義にお邪魔してからそろそろ1ヶ月が経とうとしております。その間にも次の講義はどんどん進みつつあるはずで、今さら報告というには時期を逸している気がするのですが、とても重要な部分なので遅ればせながら紹介させていただきます。
おそらくトレルチに関するコメントからではなかったかと思うのですが、話が宗教間対話のテーマになり、そこから「死後の生命」に関する仏教とキリスト教の見方について触れられ、さらにその関連でグノーシス主義の問題が浮上してきます。このお話の流れの中でとくにわたしが関心をもったポイントは、グノーシス主義の考え方を現代のキリスト教信仰に再び取り戻すべきだという先生のご主張でした。以下、グノーシスの問題にしぼって内容の要点を整理して紹介します。
グノーシス主義は、ギリシヤ文化の粋を集めて作られた思想であるが、この思想には自分に近いものを感じる。しばしばブルトマンは「グノーシス主義とキリスト教」といった誤解をまねく表現を使っているが、ある時期ある地域ではグノーシス主義はキリスト教そのものだった。たとえばヨハネの福音書9章には、イエスが生まれながらにして目の見えない人を癒すという場面が出てくる。この場面でなされたイエスと弟子たちとのやりとりの中では「前世」という考え方が前提になっているが、それはグノーシス主義に由来する考え方である。(講義ではこの聖書箇所は開かれなませんでしたが、ここでは読者の便宜のために以下に引用しておきます。)
弟 子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪をおかしたからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしたちをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」(ヨハネ福音書9章2〜5節、『聖書 新共同訳』日本聖書協会)
弟子たちは、目がみえない原因が本人の罪であるかどうかを問題にしている。しかし、この人は「生まれつき」目が見えないのだから、もし本人に原因があるとすれば、生まれる前に罪を犯したことになる。つまり、弟子たちの質問は「前世」という考え方を前提にしているのだ。イエスは、これに対して本人の罪が原因であることを否定している。しかし、それは「前世の罪が原因ではない」と言っているだけで、「前世」という考え方そのものを否定しているわけではない。むしろ、このやりとりにおいては「前世」の存在は当然の前提とされているのだ。このことは、この伝承の背後にグノーシス主義の考え方が存在したことを示唆している。
グノーシス主義には輪廻転生の考え方があり、六つの世界を転生することになっている。これは仏教の中ではやはり輪廻転生を前提にした地蔵信仰の考え方に近い。グノーシスの考え方と東洋の輪廻転生の考え方はもともと融合していたものである。もともと融合していたのだから、トレルチが言うように文化と文化を共有不可能なものと考える必要はない。対話が可能なのだ。そして地蔵信仰のようなものが根づいている日本のような文化においては、グノーシス主義的なキリスト教であれば融合しうるはずである。
実際はもっと大量のことをおっしゃたのですが、メモには断片的にしか書かれておらず、それだけをたよりに再現すると上のようなことになります。もともとこういう形で紹介するつもりで講義を受けていたわけではないので、講義が佳境にはいればはいるほど手が止まってしまったのかも知れません。
野呂先生の読者ならご存知なように、先生がグノーシス主義を評価されるのは、その二元論的構造が悪の問題に対して答えを与えるからです。輪廻の問題も含めて、こうしたお考えはすでに『神と希望』の中に現れているはずですが、久しぶりに聴いたせいか何だかこのお話には改めてショックを受けました。
さて、この後質問の時間があり、「ブルトマンの非神話化による聖書解釈だとキリスト教芸術を楽しめなくなるのではないか」という質問が林牧師から出されましたが、先生もこれに同意されました。たとえばマタイ受難曲などはマタイの記述をもとにしているが、非神話化を知った者にはそれをそのまま感動して受け入れることはできず、どこか冷めてしまう。しかしそれは仕方がない。新しい信仰が本当に土着化するまでは、本当の芸術は生まれないだろう。キリスト教的なものがこの文明の中でどう表現されるのか……。
これに関して、林牧師からはじめて聞くエピソードが披露されました。先生はジョン・コルトレーンの『至上の愛』がお好きだというのです。先生がジャズをお聴きになるとは知りませんでしたが、考えてみると、50年代をニューヨークで過ごされたわけですから、モダン・ジャズ発祥の現場におられたわけです。もっとも先生はもっぱらコルトレーンのようで、いつもお一人で『至上の愛』を聴くとどうしても涙が出てしまうそうです。たまたま林牧師と一緒に聴く機会があったときに、他人がいるから大丈夫だろうと思っていたが、結局ダメだったのだそうです。曲の最初の部分、高音のサックスが響いている間はまだ大丈夫なのだが、終わりに近づくとベースの超低音の中に "Love Supreme" の声が響いてくる、それが、ちょうど虚無の支配する世界をつきやぶって神の愛の光が射し込んでくる情景を彷彿とさせて、つい泣いてしまうのだとおっしゃいます。僕もこの曲はかなり好きでしたが、そんなふうに聴いたことはなかったので、大変感銘を受けました。このところ、車に乗るときにはずっとかけています。
さて、この講義は最後の三分の一がかなり濃い内容だったはずなのですが、メモが断片的すぎてうまく再現できません。時間が経ちすぎてしまい、先生が実際に話されたこととその後私個人がそれについて考えたり調べたりしたこととの区別が判然としなくなってしまったため、これ以上詳しく紹介しようとすると先生のお考えを歪めて伝えてしまう可能性が高いので、このくらいにしておきたいと思います。すでにかなり歪めてしまったかも知れませんが……。
ところで野呂先生の最近のお話を聴いていると、このサイトには現在の野呂芳男が十分に反映されていない点を否めません。過去のテキストはかなり充実してきたのですが、現在の思想を伝えるテキストが少ない。今後、それをどうやってここに反映させていくか……。それを考えていかなければならないと思っています。そんなことを思いつつ、手元にある原稿をよく調べてみると、現在少しづつ公開中の講義「ユダヤ・キリスト教史」(97〜98年)の内容が、現在語られているテーマにかなり近いことがわかりました。今後は、このテキストをはじめとして、出来るだけ現在の野呂神学を伝えることに努力の方向を向けていきたいと考えています。
年が明ければ、また講義を聴かせていただける機会があるかと思います。そうなれば、今度ははじめからそのつもりでメモをとり、またここで報告させていただければと思います。
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2002.11. 「実存論的神学研究会」に参加して(2)
先週から風邪をひき1週間ふせっていたので、前回の続きが書けませんでした。野呂先生も体調を崩されていると聞きましたがもうお元気になられたでしょうか。私はようやく回復してきたようなので続きを書こうと思います。
前回にも述べました通り、これは私のメモをもとにした講義の再現で、断片的に書き留められた文字から記憶をたどり、さらに記憶のあいまを私自身の想像力や論理的類推で埋めていったものです。多分に私の判断が入り込んでいると思います。場合によっては、先生がおっしゃっていた意図と異なっている可能性もあります。したがって、あくまでも私が受け止めた先生の講義の紹介です。ただし、先生の講義内容の部分は「である」調、私の考え、感想、解説などの部分は「ですます」調を使い、一応区別しました。先生の真の意図を正しくお知らせする機会は、今後何らかの形で可能だと思いますが、とりあえずはこのような不完全な形でのご報告とさせていただきます。(※かなり長い内容となってしまいました。ご容赦下さい。)
以下、先生の講義内容。
ブルトマンの「非神話化」提唱以前に、自由主義神学の中にも似たような試みがなかったわけではない。しかし、それらは似て非なるものであった。違いはどこにあるのか?たとえばハルナックやリチュルは新約聖書のメッセージを倫理的な神の国の教えとして解釈した。しかし、こうした解釈は新約聖書の終末論を「解釈」する以前に「削除」してしまった。聖書に描かれた「神の国」は実際は決して倫理的なものではなかった。むしろ「神の国」が来たら、親を捨て、兄弟を捨てなければならないのである。ハルナックやリチュルのような解釈では、終末論のもっているこうしたラディカルな意味を生かすことができない。イエスやパウロが語った「神の国」を単なる倫理的な社会秩序と考えるなら、それは終末神話を「解釈」していることにはならない。したがって、これらはブルトマンの「非神話化」とは異なっている。
次にトレルチであるが、トレルチに関しては、どの時期のトレルチをもとに議論するかがまず問題である。この思想家は不断に立場を変え続けた思想家だったからだ。最晩年のトレルチは、文化と宗教を不離一体のものと見た。この立場に立つと、西洋文化がだめになればキリスト教もだめになるということになる。そこから敷衍されることは、たとえば日本文化は日本文化であるかぎりキリスト教にはなれないということである。こうしたトレルチの立場は、宣教の可能性を文化伝達の可能性とは次元の異なるものとして理解する「非神話化」の考え方とは全く別のものである。
さて、自由主義の聖書解釈はしばしば、聖書のメッセージを合理化する傾向にあるが、非神話化は「合理化」ではない。テキストは次のように解説している。
非神話化は、またよく非難されるように《合理化》ではない。合理化によって神の秘義がとりのぞかれるという〔非神話化への〕非難は、神の行為の秘義についてあやまった概念をもっているのであり、それを客体化しようとしているのである。ブルトマンによれば、それは神の真の秘義性をかくすことにほかならない。非神話化は、実存論的解釈として、神の真の秘義を、本来的にとらえがたいものとして明らかにしようとする。 (熊沢義宣『増補改訂ブルトマン』日本基督教団出版局)115頁
たしかにその通りであって、それがブルトマンの非神話化を、先述の自由主義神学による試みから区別するのである。
したがってブルトマンの非神話化は聖書の記述の合理化ではないのだが、ただし、それが聖書の記述の貧困化であることは否定できない。たとえば、ブルトマンが非神話化の対象とした新約聖書に含まれる神話とは、具体的には「グノーシス主義」と「黙示文学」に由来するものであったが、ブルトマンは、この二つの神話をそれぞれ人間の実存のありかたを示すメッセージとして解釈した。「グノーシス主義」の光と闇の神話は、自分中心の生き方をしていた人間が神に開かれた生きかたに変えられるというメッセージとして解釈され、「黙示文学」の終末論的神話は、過去や未来にとらわれない今この瞬間瞬間を生きる人間の態度を勧めるメッセージとして解釈された。こうした解釈においては、神話が語る世界や神についての一切の言説は排除され、すべてはその神に対する自分自身の実存のあり方に還元される。神について語ることは、神を自分の実存から切り離して客体化することとされ禁じられる。そこでは、自分と対面する者(神)について何一つ知ろうとしてはいけないのである。しかし、これでは困る。そこでは、実存は広がりのない点になってしまい、聖書がもっている豊かな思想を貧困化してしまう。
『実存論的神学』(1964年)は、基本的にはブルトマンの方法論にしたがっているのだが、ブルトマンのやり方に割り切れないものを感じていて、それが尾をひいている。それがあの本の欠点である。(ちなみに、『実存論的神学』はすでに増補改訂版が用意されているが、出版のめどが立っていない。そうこうしているうちに、すでに先生は改訂の改訂をする必要を感じておられる。先生もまた、常に自分の考え改訂していかれるタイプのようです。)
さて、次に取り上げられたテキストの箇所。
かれ〔ブルトマン〕によれば、イエス・キリストにおいては《史的なもの》と《神話的なもの》とが独自な方法で交錯しており、人々にその両親を知られている史的イエスは(ヨハネ6:42)、同時に先在の神の子であり、史的な十字架の出来事は、非歴史的な復活の出来事と併存している。このような神話論的な説話は、史的なイエス像とその歴史とのもっている、救済のすがた、救済の出来事としての《有意義性》(Bedeutsamkeit)、つまり、この《わたし》の救いにとってどのような決定的な意味をもっているのか、ということを表現するというだけの意義を有しているのではないか、ということがここで問われなくてはならないのであり、もしそうであれば、客観的な表象内容そのものは捨て去られてもいいものになるわけである。 (前掲書、116頁)
はっきりとした文脈は覚えていないのですが、どうもこのあたりから講義が佳境に入っていったように思います。いわゆる「史的イエス」の問題なのですが、これに関して先生が述べられたいくつかのことは、私にはかなりの衝撃でした。それは、私自身が野呂先生の神学をもとにこの10数年考えてきたことと、野呂先生御自身がやはりここ10数年(もしかするともっと前からかも知れませんが)お考えになっていたこととが、このテーマに関して大きくへだったっていたからです。私が、「史的イエス」と「キリスト」の間に「物語られるイエス・キリスト」を置いて考えていたのに対して、先生自身は、むしろ「史的イエス」を捨て去り、はじめから「史的イエス」とは別の「キリスト」という存在をお考えになっているようなのです。
ここまでの講義では主に非神話化論の批判でしたが、ここからは上のテキストに説明されているようなブルトマンの「史的イエス」についての態度への基本的な賛同を表しながら、先生ご自身の「史的イエス」に関する立場が述べられていきます。先生はおよそ次のようなことを言われたと思います。
ブルトマンの非神話化は、「史的イエス」を重視しない。「史的イエス」へむけられた「信仰」に焦点をあてている。それは、そういう物語をつくらなければならなかった原始教会のニーズから生まれたのである。これは非神話化提唱のずっと以前から行われていたブルトマンやディベリウスの様式史批判の結論と重なりあっている。様式史批判は、共観福音書の伝承が史的イエスにまでさかのぼるれるものではなく、むしろ教会の時々の具体的なニーズ(生活の座)に応じて生み出されてきたものであることを結論した。この結論に呼応するように、非神話化論による福音書解釈では、新約聖書が信仰の対象として描いているのは「史的イエス」ではなく、はじめから「信仰のキリスト」であると理解する。
ブルトマンは「史的イエス」に対する探求はやってもしかたのないものと考えている。もともと新約聖書には「史的イエス」にさかのぼれるような資料はなく、キリスト教信仰の核は「史的イエス」を必要としていないからだ。ブルトマンの弟子達による「(史的イエスの)新しい探求」は、ブルトマンがすでに解決してしまった問題を後から蒸し返すもので意味のないことだ。それこそ保守的教会のニーズによって生まれた動きにすぎない。
はっきり言えば、教会が先にあったのだ。そして、福音書の「イエス」は後から必要に応じて作られたものだ。新約聖書の中で最も古いだろうと推測される第?コリントの15章では、史的イエスの内容にに関して何の関心も払われていない。そこで描かれているのは、最初から最後まで「キリスト」である。福音書は確かに「史的イエス」を描こうとしている。しかし、共観福音書が書かれたのはいずれも80年代であり、ヨハネ福音書もおそらく80年代だと考えられている。この時代には、イエスという存在がようやくポピュラーになってきていた。イエスの生涯を一つの劇として再現したいという教会のニーズも生じてきた。こうしたニーズに応じて福音書が書かれたのだ。〔ということは、キリスト教信仰の発生においては、史的イエスへの関心は重要な役割をはたしていないということになる。〕その際には、地上を歩いた神というギリシャ的な神話の要素も加えられたのかも知れない。しかし、福音書はくせものである。〔どうくせものなのか、メモし落としてしまって再現できませんが、おそらく福音書に書かれてあるイエス像には、著者がイエスに託して語ろうとしている思想があまりにも反映されすぎているというようなことではなかったかと思います。〕
福音書の中で、ヨハネ福音書は、キリストという存在を非常にグノーシスに近い形で理解している。他の福音書で描かれるイエスも、前期のパウロも、終末は今すぐにでもやってくるのように考えていたが、ヨハネ福音書は終末はすでに来ているという立場にすでに移行している。つまり、ヨハネ福音書は、新約聖書の中ですでに「非神話化」を行っているのだ。このように、聖書の中に非神話化の基礎はある。
ところで、非神話化と同年(1941年)に、ブルトマンは『ヨハネ福音書』(註解)を書いた。『ヨハネ福音書』を通して、彼はイエスの生涯をどうとらえようとしたのだろう。このことが気にかかる。ドルー神学校時代に、当時学部長だったグレイグ氏がおそらくはまだ出版されていなかった『ヨハネ福音書』(註解)の独文原稿のコピーを所有されており、それを借りてその一部の要約を提出したところ非常に喜んでいただいた思いでがある。 (※この件に関して過去にここで報告した内容には事実誤認があったので訂正をさせていただきました。訂正に関しては 2002.12.22 の日誌を参照) さて、『ヨハネ福音書』(註解)は残りの部分を読んでいない。いつか読もうと考えていたが、今回目が悪くなったためにそれは難しくなった。実に残念だ。確かめたいことは、ブルトマンのキリスト教信仰の理解にとって「史的イエス」は必要ないはずなのに、何故あれほどの大著『ヨハネ福音書』にとりくんだのか、ということである。ブルトマンにとって「史的イエス」とは何だったのか?
このことに関しては、岩田も同じことをかつてブルトマン『イエス』について感じたことがありました。つまり、ブルトマンにとっては史的イエスの内実(行為と言葉)はキリスト教信仰にとって重要ではないはずなのに、『イエス』では史的イエスの言葉の解釈が中心になっている。この仕事をブルトマン神学全体のうちにどう位置づけるか?という問題です。そこで、講義の後でそのことを先生に申し上げました。すると、先生もたしかにそう思うとおっしゃいました。さらに私はこれに関して、ブルトマンは福音書の記事の中で史的イエスの言葉のいくつかは史的イエスにまでさかのぼれると考えている、ということを言いますと、それに対して先生は、たしかにブルマンは『イエス』の中でそう言っているが、ただし『イエス』はかなり初期の著作(1926年)だ。後年、立場が変わったのだ、とおっしゃいました。私は、「史的イエス」に関するブルトマンの立場が、1926年と1941年とで変化しているという風に考えたことがなかったので、これは確かめてみなくてはならないと思いました。
さて、ここから話はグノーシス主義とキリスト教との関連についての話に移っていくのですが、かなり長くなってきましたので、それは次回にまわし、ここではこれまで紹介した講義内容に関する私の感想や疑問を書いておきたいと思います。
今回紹介した部分で先生は、ブルトマンの立場を紹介しつつご自分の現在の「史的イエス」に関するお考えを語っておられます。私の紹介では十分に伝わっていないかも知れませんが、先生のお考えはどうも「史的イエス」は存在しなかったとする立場に傾いておられるようです。まず歴史的に確認できるのは、ローマ帝国治下にあらわれた原始教会の存在であり、そこで信じられた「キリスト」という存在への信仰である。そして、この原始教会の持っていた資料から、この「キリスト」と結びついた「ナザレのイエス」の姿が浮かび上がってくるが、こちらは教会の必要に応じて作られたフィクションである可能性が高い。しかし、キリスト教の信仰にとっては「キリスト」が大事なのであって、この「キリスト」が「ナザレのイエス」という特殊な歴史的人物と結びつけられている必要は必ずしもないのだ……。先生のお話を綜合すると、そのようなことになると思います。私が一つショックを受けたのは、この点でした。(もう一つのショックは、次回紹介する部分に含まれます。)
さて、今、こうしてまとめて見ますと、野呂先生のお立場はそれとしてもっと詳しくお聴きした上で検討する必要があると思いますが、それとは別に、先生の上のようなお考えがはたしてブルトマンの主張と同じであるのかどうかという疑問が浮かんできます。つまり、ブルトマンは「史的イエス」が存在したことを認めていなかったのか?あるいは「史的イエス」というものがキリスト教の信仰にとってなくてもよいものと考えていたのか?という疑問です。
ブルトマンは、1960年代の弟子達との討論の中で、「史的イエス」と「信仰のキリスト」との「連続性」の問題に関して、次のように整理しています。(1)両者は「史的な連続性」を持っている。つまり、キリスト教信仰は、一つの歴史的出来事が同時に神の行為であるという逆説を含んでいるかぎりは、キリストを信じる信仰が「史的イエス」を前提にしていることは明かであり、両者の関係は自明である。ただし、キリスト教信仰が前提としているものは、史的イエスの「事実」であって、その「内実」(Was)ではない。(2)両者は、「実質的な連続性」を持っていない。キリスト教信仰は史的イエスの「内実」(Was)を前提にしないし、キリストを信じるためにイエスの人となりや説教内容を知る必要はない。またイエスの教えや行動のうちに、あらかじめキリスト教信仰の核が含まれていたということもありえない。
以上がブルトマンの最終的な立場だと思います。つまり、キリスト教信仰にとっての「史的イエス」の意味は、その「事実」(Dass)に限られるということです。「史的イエス」が何を行い、何を語ったかということは、歴史学的に見ても分からないとしかいいようがないし、キリスト教信仰にとってもそれはどうでもいいことだ。ただ、「史的イエス」という存在がいたという「事実」だけは、キリスト教信仰には欠かせない……。こういうことになります。これはきわめて奇妙な主張だと思います。
こうした主張が生まれてくるのは、ブルトマン神学の構造に問題があると私は考えますが、しかし、こうした主張が生まれてくる神学的動機はそれなりによくわかります。つまり、ブルトマンは信仰を一つの向こう見ずな決断と考え、この信仰の決断としての要素を弱めてしまうようなものをどんどんそぎおとしていこうとするのです。すると、「史的イエス」について何かを知ってからそれをもとに決断をするということは、「業による義認」をめざす誤った信仰であって、信仰の決断としての要素を弱めてしまうから、これは切り捨てられます。「史的イエス」の内容は純粋なキリスト教信仰にとっては無意味であるという判断がそこから出てくるわけです。
ちなみにこのことは、先ほど先生が非神話化に関してブルトマンを批判された点とも関わりがあるはずです。先生は、ブルトマンが一切の客体化する表象を禁止して、自分に対面するものとしての神や世界をすべて捨て去ってしまい、すべてを人間の実存のありかたの問題に還元してしまう点を批判されていました。同じことはブルトマンの「史的イエス」の問題への態度についてもあてはまるように思います。ブルトマンは「史的イエス」について一切の客体化する表象を禁止してしまうわけです。けれども、キリスト教信仰の核が、一つの歴史的な出来事が同時に神の行為あるということである限りは、イエスが実在しないというわけにはいかない。そこで「史的イエス」の「内容」ではなく「事実」だけが信仰にとって必要であるという奇妙な結論に導かれてしまうわけです。先生は特に指摘されませんでしたが、こうしたブルトマンの主張に対しては、彼の非神話化論に対してなされたのと同じ観点からの批判が必要であるように思います。
ブルトマンの問題は、人間イエスについて何らかの具体的なイメージを思い描いたり語ったりすることは、すべて信仰を何か別の確実な基盤に依存させてしまうことだと考えた点にあると思います。しかし、はたして福音書に描かれたイエスは、それをもとにすれば信仰の決断がしやすくなるような、そんな確固とした歴史記述なのでしょうか。それはあくまでも信仰の眼から、神の子がこの世に来られたという信仰の核となる出来事を描いた物語ではないでしょうか。この物語に導かれて信仰の決断をすることが、「業による義認」を目指すものだというのは、あたかも1+1=2であることにとらわれるあまり、二つの粘土を合わせて一つになってしまうことが信じられない人のような、なんとも融通のきかない議論であるように思えます。ブルトマンの動機自体は分かりますが、そこから導き出される結論に私はどうも賛成することは出来ません。
ブルトマンの問題点についての指摘がやや長引いてしまいましたが、この問題はしばらく横に置いて、ここで注目したいのは、ブルトマンが、「史的イエス」の「事実」はキリスト教信仰にとって不可欠であると考えているという点です。つまり、キリスト教信仰と「史的イエス」に関するブルトマンの考えは、野呂先生がおっしゃるように「史的イエス」が存在しなくてもキリスト教は成り立つという考えとは違っているのではないか?これが私の疑問です。もしそうでなく、ブルトマンにとってもキリスト教信仰にとって「史的イエス」は存在しなくてもよかったということになると、長年にわたって私はブルトマンを誤解してきたことになるのですが。いかがでしょうか?
もし私のブルトマン理解が誤解だったとして、野呂先生のお考えに符合するものとして上に述べたブルトマンの1960年代の言明を理解するとどうなるでしょうか。考えられる解釈は次のようなものです。キリスト教信仰にとって史的イエスの「事実」だけが重要であるというブルトマンの主張は、史的イエスが「ナザレのイエス」として指定されている人物でなくてもよく、ただこの世界のどこかの場所に、いずれかの時代に人として実在したのであればそれでよいということである……と。これは、私の記憶ではティリッヒがブルトマンの史的イエス研究に関して行ったコメントです。ティリッヒは講義の中で、ブルトマンの新約聖書の歴史的研究によれば、新約聖書からは史的イエスを知ることはできないという結論になるらしいが、たとえそうなったとしても自分のキリスト教信仰には何ら影響はない、自分にとっては新約聖書に描かれた「イエス」のような人物が、いつの時代にかどこかの場所に現れたのであればそれでいいのであって、それが起源1世紀のローマ帝国支配下のパレスチナでなくても構わない、と述べたということです。これはたしか野呂先生がティリッヒの講義で直接お聞きになった話で、わたしは先生の口からこの話を聞いた記憶があります。(もしかすると、ティリッヒの著作の中にも同じようなことが述べられていたかもしれませんが、記憶が定かではありません。調べて見たいと思います。)もしかすると、先生の「史的イエス」についてのお考えはティリヒに近く、ティリッヒの考えに近付けてブルトマンの立場を受けとられているのでしょうか?
ただ、このティリッヒの立場は、ブルトマン自身の立場とはかなり異なったものであるはずです。テリッヒは、むしろブルトマンの弟子達の方に共感的であって、それは「画像の比論」という彼の理解にかかわっています。つまり、「史的イエス」として福音書に描かれている人物のイメージとキリスト教信仰が「キリスト」として描いているイメージのあいだには類比的な関係があって、その意味でイエスのイメージはキリスト教信仰にとっては決して無意味なものではないと考えます。ところがこの立場では、キリスト教信仰にとっての「史的イエス」の意義は、単にその「事実」だけにとどまらずその「内実」(イメージ)にもおよぶことになるはずです。ただしこの「内実」も、ブルトマンが言うような歴史家が厳密な考証によって復原するような史実的な「内実」ではなく、福音書に描かれているような生き生きとしたイエス像です。「史的イエス」が仮に歴史家の言う「ナザレのイエス」ではなかったとしても、それはやはり福音書に描かれているようなイメージで捉えられるような存在である必要がある、とテリッヒは考えるのではないでしょうか。このティリッヒの立場に、野呂先生は『実存論的神学』で共感をされていますが、現在のお考えをお聞きしたいと思います。そして、先生がこの講義でブルトマンにたくして主張されたことは、ブルトマンというよりティリッヒの上のような考えに近いのでしょうか。あるいは、ブルトマンともティリッヒとも異なったお考えなのでしょうか。(どうも第三番目の可能性が高い気がするのですが……。)
さて、先に横に置いておいた問題を再び持ち出して、最後に私の考えを少し述べさせていただきます。私の考えでは、もともとブルトマンの「史的イエス」の「事実」と「内実」を分離する操作にそもそもの無理があるように思います。どんな歴史的な人間であれ、内容をもたない事実としての人間を想像することは出来ません。神が人となったという出来事(事実)があったとすれば、その「人」は内実をともなわないはずはない。たとえそれを歴史学的に再現できなくても、この出来事を信じる人々は、その「人」の内実を想像的に再現せざるを得ないでしょう。キリスト教の信仰が生じたとき、ごく自然の成り行きとして、そのような再現の試みが生じたと考えるのが自然です。こうした信仰の自然の営みを信仰の本質から極度に締め出そうとするブルトマンの思考には、その点でかなり作為的なものを感じざるを得ません。私は、福音書に描かれたイエスはもちろん厳密な歴史考証を経たものではなく、したがって「史的イエス」というよりも、信仰の立場からの物語として語られた「物語のイエス」であったと思います。この「物語のイエス」においては、「キリスト」と「イエス」は自然な形で一つであった。それを厳密な歴史考証に偏った近代歴史学が二つに分けてしまった。そのような歴史学と、キリスト教信仰を理解し説明しようとするキリスト教神学との合間にあって、ブルトマンはあのような不自然な議論をせざるを得なくなったのではないか?……私の今の考えはだいたいそんなところです。
さしあたっては、以上が今回紹介した講義内容に対する私の問いです。講義を受けた時点では、ブルトマンの解釈に関する疑問と野呂先生御自身のお考えに対する疑問がからみあって、整理のつかない状態でしたが、講義内容をここにまとめているうちに、ようやく疑問点が整理されてきたように思います。この問題をさらに進めていけば、結局は野呂先生御自身のキリスト教理解をどう受け止めるかという問題に突き当たることになり、それについて考えるにはもう少し先生のお考えを詳しくお聴きする必要があるかと思います。今回とりあえずはブルトマンとの関連で以上の疑問点をここに記しておき、次の機会に先生に直接質問させていただきたいと思っています。
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2002.11.9 「実存論的神学研究会」に参加して(1)
ユーカリスティアの講座「実存論的神学」(11/7)へ行ってきましたので報告します。先生はお元気で、体がなかなか回復しないとおっしゃりながらも、見た目はほぼ入院以前の先生に戻られた感があります。しかも、講義が終わった後の先生は、講義前から比べてさらに血色がよくお元気そうに見えました。「先生は、講義をされるとお元気になられる」と、参加者の女性がおっしゃっていました。
さて、この講座は、実存論的神学の基本事項について学ぶという主旨で、熊沢義宣『増補改訂ブルトマン』日本基督教団出版局をテキストに使用しています。ただ、先生の視力がまだ本が読めるほどには回復していないため、林牧師ががポイントとなる箇所を読み上げ、それに先生が長いコメントをつけるという形で進められました。はじめは非神話化論のポイントを説明する常識的な内容だったのですが、徐々に話が凄みを帯びてきて、最後にはもう既存のキリスト教には到底納まりきらない凄い話になりました。私は、これをどう受け止めていいのかにわかには見当がつがず、研究会が終わって帰りの電車ではしばし茫然としてしまうくらいでした。最近の野呂先生は凄いと林牧師から聞いてはいましたが、確かにそのとおりです。先生は、学者には年をとればとるほど保守的になる人間と、逆に年をとればとるほどラディカルになっていく人間とがいるが、自分は後者だと笑っておられました。
研究会の内容をここで紹介したいと思いますが、きわめて濃い内容なので、何回かに分けて書かせていただきます。今日は、最初の3分の1くらいの、比較的常識的な「非神話化」の説明の部分をご紹介します。なお、この紹介はあくまで私が聴講メモをもとに再構成したものなので、ある程度は私なりの解釈が入っていることをおことわりしておきます。
『増補改訂ブルトマン』109頁(「非神話化」の基本的な解説)に関して――。
ブルトマンの非神話化には二つの面がある。?現代人には適切でなくなった聖書の古い世界像を捨て去るということ。つまり、聖書を読む者は、聖書の記述が前提としている天界と地上と下界からなる「三階層の世界像」を受け入れる必要はないということである。?この古い世界像を前提にしながら信仰について語られる様々な言葉の中から、古い世界像にかかわる表皮を削ぎ落として、その実質的な内容だけを別の形で生かすということ。たとえば、新約聖書に出てくる様々な奇跡はそれ自体としては古代の世界像を前提にしているので受け入れる必要ははいが、その奇跡が表現しているメッセージ(ケリュグマ)それ自体は捨て去る必要はなく、それだけを切り離して受け入れることができるということである。
ブルトマンは「神話」を「世界像」とほぼ同じ意味に解している。したがって、ケリュグマを聖書の「世界像」から切り離すことは、そのまま聖書から「神話」を捨て去ることと同義になる。神話を捨て去って、すべてを人間の実存の真のあるべき姿についてのメッセージとして解釈する。これが「非神話化」である。
さて、大学で講義をされていたころから先生は、他人の学説の説明を一通り終えると、「しかしねえ」という言葉とともに、その学説に対する批判とご自分の見解に入っていかれます。単に他人の思想の紹介にとどまるということはほとんどないのです。今回もこのパターンどおりに、ブルトマンの非神話化に対する批判がはじまります。
まずブルトマンの「神話」の定義に対しての批判。ブルマンは「世界像」と「神話」を同一している。しかし、「世界像」と「神話」とは同じではない。「世界像」は時代によって変化するもので、「科学的世界像」が現れると、必然的に「古代の世界像」は捨てさられる。しかし、「神話」とはそのような「世界像」そのものなのではなく、そのような「世界像」のうちに宗教的な意味を読みこんだ時に生まれてくるものである。あるいは、宗教的な意味がその時代の「世界像」を通して語られると、それが「神話」になるのだ。新約聖書の時代には、キリスト教信仰の立場が、当時の「世界像」の枠組みの中で語れることでそこに聖書的な「神話」が生じた。同じように、現代でも科学的な「世界像」に宗教的な意味を読み込めば現代の「神話」が出来上がる。人間は何時の時代にも「神話」を持つ者なのである。したがって、われわれは新しい世界像を持つことによって古い世界像から自由になることは出来るが、それによって「神話」というものから自由になれるわけではない。
ところが、ブルトマンの「非神話化」においては、現代人は古代の世界像から解放されるとともに、一切の「神話」に依拠しないで信仰の立場を記述できるものと考えられている。このような立場からブルトマンは、神についての一切の思弁を「神話」として退け、ひたすら神に対する人間の応答にのみ標準を絞る。その結果、聖書の中にあったはずの様々な豊かな要素はすべて廃棄されてしまい、ただ「自分自身を十字架につけ、本来の自分をとりもどせ」という人間の実存的な態度のあるべき姿を示す実に簡素なメッセージだけが取り出されることになる。これではキリスト教はほとんど禅の立場と変わらないものになってしまう。
ブルトマンの方法に従って新約聖書のケリュグマ(宣教)をあらゆる神話的表象から切り離そうとすると、そこにはこのような貧弱なメッセージしか残らないのである。これに対して野呂先生は、ティリッヒの立場を評価する。ティリッヒはケリュグマを神話から切り離せないものとし、「非神話化」の契機を一応認めつつも、神話を捨て去ることは出来ないという意味を込めて、現代の聖書解釈のあるべき姿として「半非神話化」(half-demythologisizing)という言葉を使った。ティリッヒの立場では、神話は宇宙論と実存論の両者の根底ににかかわるものであるから、ブルトマンのように神話が示している意味を一切の宇宙論から切り離して実存論だけに限定することはできないのである。野呂先生は、ティリッヒの「存在の根底」が神であるとする立場には同意できないとしながらも、聖書のケリュグマを宇宙論的な拡がりを持ったものとしてとらえようとする姿勢には同意を示される。
ティリッヒが禅仏教に対して終始批判的であったのは、こうしたティリッヒの基本的な立場に符号する。確かにティリッヒ来日の折りには、仏教に対してきわめて好意的な態度を示したかに見えるが、仏教の持っている虚無思想に対してははっきりと批判の立場をとっていた。
さて、これに関連して野呂先生の禅仏教に対する批判を聞くことが出来た。禅仏教は基本的には宇宙的なものや民衆宗教には関心がない。ひたすら自己というもののあり方のみが問われている。禅宗のお寺に沢山の仏像があるのはいわば民衆のための方便にすぎない。「でもやがてわかるだろう、仏は殺してもよいのだと……」。それが禅の立場だ。これを先生は「自己中心の信仰」と表現された。禅の体験に基礎を置く京都学派も基本的には、こうした考え方に立っている。その欠陥は戦前に皇国史観に染まってしまった田辺元の哲学によく現れている。戦後に『懺悔道としての哲学』などが出たが、インチキもはなはだしい……。そしてその背後には西田幾多郎がいる。ところが、ブルトマンの神学は、こうした京都学派のような立場に乗っかってしまう危険があるのだ。
野呂先生の立場をまとめるとこうである。非神話化の発想の原点にある「実存史」(Geschichte)と「世界史」(historie)とを区別することは必要である。しかしブルトマンやゴーガルテンでは、あまりに二つがシャープに区別されすぎている。両者は互いに区別されつつ、相互に影響しあうのである。このような立場をとるなら、神学はいつでも自分の神学を修正可能である。いつでも自分の神学を築きつづける必要がある。
さて、以上は最初の三分の一の内容のあらましです。ところが、講義はここから異様に面白くなるのです。今の私の理解でそれをどこまで正確につたえられるかはわかりませんが、次回にそれを報告してみたいと思います。
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2002..9.28
林さんからのメールで、野呂先生がようやく退院されたということです。見通しよりも随分おそくなって、先生もやきもきされたことでしょうが、とにかくおめでとうございます。退院後の先生が少しでも早く様々な活動ができるよう、このサイトでもできる限りのサポートをしていきたいと思います。
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2002.9.21
林さんからのメールでは、野呂先生は今日退院されるはずですが、予定通りに進んでいるでしょうか?林さん、もしこれを見ておられたらお知らせ下さい。
ところで、HP開設当初に「さしあたりこれだけは」と考えて用意していたものがほぼすべてアップし終わりました。トップ・ページを眺めていると、ようやく様になってきたといいう感じがします。これも、ひとえにご協力下さった方々のおかげです。
頻繁に訪れてくださっている方はお気づきかと思いますが、特にここ1、2週間、怒濤のごとく(というのは大げさですが…)新しいテキストが追加されています。これは、平岡さんが精力的にテキストをタイプアップして下さっている結果です。私はいつも「入力」という言葉を使っていましたが、平岡さんは「タイプアップ」という言葉を使われます。「タイプアップ」の方が何か人間的な肉体労働のニュアンスがあって気に入っています。
平岡さんには、私から元になるコピーを郵送し、入力していただいたものをメールで送り返してもらっているのですが、ほとんど郵送にかかる時間と同じ速さで電子化されたテキストが帰ってきます。平岡さんについては下に紹介したHPで知っていただきたいと思いますが、学問や宗教活動を職業とされている方ではありません。毎日のご自分のお仕事の合間をぬって作業をしてくださっているわけで、本当に頭がさがります。
平岡さんは、楽しんで作業をしていると書いてくださっています。キリスト教神学に造詣の深い方ですが、野呂神学に接するのは今回が初めてということで興味をもって下さっているのだと思います。先日は『神と希望』の中古品をネットで購入されたとのことです。
平岡さんから野呂神学に関してメールでご質問を受け、それに答えたりしている中で、特に『神と希望』に現れた野呂神学の展開についてもう一度よく検討してみる必要を感じています。特に悪の問題についての論述には、10年前にこれを読んだときにはよく分からなかった非常に深く考え抜かれた思索が込められているように思います。私もまた平岡さんの情熱に押されて、野呂神学を学び直してみたいという気持ちになっています。それにともなって、ここにももう少し内容のあることを書きたいと思っています。
そもそもこのHPは野呂先生の過去のテキストを再録することだけが目的ではなく、野呂神学についての研究や議論も掲載していきたいと思っているので、もし野呂神学に関して何か発表されたいとお考えの方は、是非ご連絡下さい。
PS.
書き忘れましたが、平岡さんはこのHPの著作リストに載っていない書誌情報を多数寄せてくださっています。今も、メールで新たな情報が届いたのでアップしました。驚くべき事にこれらの情報は、平岡さんの書斎に眠っている古い雑誌からのものだそうです。確かに、60年代の書誌が不足しているので、私も調べてみなくては……。
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2002.9.10
先日報告したテキスト入力作業をお手伝い下さるという方は、平岡広志さんという方です。
最初にメールをいただいたのがつい先日でしたが、早くも「永遠の命について」の入力テキストをお送り下さいました。明日にはアップできると思います。平岡さんについては、御自身とご家族を紹介した楽しいホーム・ページをお持ちなので、是非そちらを御覧下さい。アドレスは、 http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/ です。平岡さんにはこの場をお借りして深く感謝を申し上げたいと思います。
野呂先生は、先週お見舞いしたときに、来週退院の予定と言われていました。私の次の日に、テキスト入力スタッフの一人山田さんも見舞ったそうですが、「次は病院の外で会いましょう」と言われたそうですから、おそらくそろそろ退院なのだと思います。退院されたらまたここで報告します。
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2002.9.6
今週の火曜日に、ふたたび野呂先生をお見舞いしましたが、順調に回復され予定より早く来週には退院の見込みだそうです。先生は今回の出来事の中で、相当な内的な経験をされたようです。それについては、私も断片的にいろいろとお聴きし大変感銘を受けていますが、先生御自身がこれから何らかの形で公にしていかれるはずなので、ここでは伏せておきます。退院され、落ち着かれたら当然このサイトにも書いていただきたいと思っています。
ただし、眼底出血の治療がまだこれからで、それまではご自分でお書きになるのは困難かと思われます。さしあたっては、口述筆記といった手段が考えられます。第一弾として、入院直後に病院で録音されたユーカリスティア教会のための説教が、すでに林さんの手でほぼテキスト化されています。近い内にアップできると思います。
それから、先日、テキスト入力をお手伝い下さる方がまた一人連絡を下さいました。ほんとうに感謝です。静岡県在住のクリスチャンの方で、楽しいHPをお持ちです。テキストアップの際にはご紹介します。
ところで、今日アップしたウェスレー「研究の進展」1−(3)ですが、一度アップしてしまうと更新されず修正がききません。何度やってもダメで、原因はつかめていません。そんなわけで、文章の一番下の「次へ」をクリックすると 1-(2)に戻ってしまうことが分かっているのですが、これを直すことが今のところ出来ていません。御注意下さい。 (※ その後、解消されました。)
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2002.8.9
ようやく「人間論」をアップできた。この論文はただでさえ長いのに、トラブルも重なりここに至るまでかなり時間がかかった。第1章を入力し終わったところで、突然パソコンが動かなくなり、再起動したときにはすべてが失われていたこともあった。通常ならバック・アップ・ファイルができているはずなのに、どういうわけかそれも見あたらず、しばらく入力する気を失った。
しかし、執念でなんとかこれを入力したいと思っていたのは、私自身が最近、「人間論」というものに興味をもっているからだ。これを入力していて気づいたことは、私自身の人間についての考え方は、無意識のうちに野呂先生に大きな影響を受けていたのだな、ということだ。学生の頃、特に人間論ということを意識せずに先生の組織神学を聴いたり読んだりしていたが、それらが自分の考えの基礎になっていた。10年以上も経って、わたしが人間論を議論する際の枠組みは複雑になったが、その基本的な考え方そのものは変わっていない気がする。
ところで、このサイトはどのページにも Yahoo の広告が出てきて、うっとおしいくお感じの方もあるだろう。とくに今回アップした論文のようにフレームを使ったページにすると、各フレームごとにいちいち広告がでてきて、ページはYahooの広告で一杯になってしまう。竹中直人の画像と眼鏡をかけた女性モデルの画像の間にはさまれて、「人間論 野呂芳男」というタイトルがなんとも窮屈そうだ。なんとかならないものかとは思う。
ただ、テキストを読んでいると、人間は修道院から成人した世界へと出ていくべきだと書いてある。だとすれば、これまで静謐とした図書館の書庫深く眠っていたテキストが、騒がしい俗世間のただ中に再び飛びだしていくのは、むしろ論文の主張にかなったことかもしれない。そう思って眺めると、今回のレイアウトもこれはこれでなかなかいいデザインのような気がしてくる。
追記: そうは言っても、やはりかなりうっとおしかったので、1つのページに広告が1つだけになるように調整した。
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2002.8.7
先月24日に野呂先生が怪我を負われました。小田急デパートの出口付近で段差に気づかず転倒し、大腿骨付け根を骨折、29日に手術を受けられました。手術は成功しましたが、リハビリを含め1ヶ月は退院できないということです。ユーカリスティア教会の方は、しばらく林さんが代行されるそうです。
わたしは今日お見舞いに行ってきました。(花もなにも持たずすいませんでした。)事件の当日のことや、麻酔中に見た夢のことなどを、麻酔の影響でかすれたお声でしたがお元気にお話くださり、相変わらずの野呂節に、少し安心しました。このときの体験をもとにした説教がテープ録音されてユーカリスティアの礼拝にすでに使われたそうですが、そのテープをおこしてこのサイトでも紹介したいと思っています。詳しいことはその中で報告されることと思います。
付き添っておられた林さんによると、ここ数カ月のユーカリスティアでの野呂先生の聖書講解はかなり凄いものだったそうで、ちょっとこれまでには聞いたことのないようなパウロ解釈が展開されているとのことです。先生のお怪我によってそれがしばらく途切れてしまうのは残念ではありますが、今日先生とお話していて、今回の出来事をとおしても先生は何かまた新たなものを得られたなという感じを強く持ちました。先生によると、近い内に「転ぶ男」と題する文章(論文?)が書かれるとのこと。そうしたものが早くこのサイトでも紹介できるように、先生のすみやかな回復を祈ります。
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2002.6.26
野呂芳男「『慈(あつ)子』の思い出」をアップするにあたって、小説『慈(あつ)子』の作者であり、野呂先生のご友人でもある作家の秦恒平先生にメールを出しました。 すでに秦先生のサイトで公開されているこのテキストを当サイトに転載する許可をいただくためです。
秦先生はずっと以前から、 「秦恒平の文学と生活」 という驚嘆に値するサイトをお持ちで、ご自分のおそらくほとんどの作品と、日々感じたこと考えたことを記すエッセイをそこに発表され続けています。私がサイト開設を野呂先生にお勧めしたのも、秦先生のサイトを発見し感銘を受けたことが一つのきっかけでした。秦先生からのメールのお返事には、すでにサイトを持たれている先輩として、当サイトに対する要望が述べられていました。過去の業績を再録するのもいいが、何より野呂さんの「現在ただいま」の熱い生の声が聞きたいというのが秦先生のご意見でした。
このサイトでは、 MESSAGE というコーナを設けて、野呂先生の今の声を掲載していく予定でいますが、野呂先生が新しい教会設立にともなって多忙であることと、先生のネット環境が未だ整っていないこともあって、いまのところサイト開設のあいさつだけしか掲載できていません。
管理者としては、秦先生のご要望には是非近いうちにお答えしたいと考えています。また、秦先生の方から、野呂―秦間の往復メールのような企画も、両方のサイトで行ったらどうかという提案もしていただいていますが、状況が整えばそのようなアクティブな試みどんどんしていきたいと願っています。
※ 秦先生のHP に上のことが掲載されていました。「生活と意見――闇に言い置く――私語の刻」の6月25日づけの箇所です。(2002.9,11)
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2002.6.16
「このサイトについて」 の中で、テキスト入力のボランティアを募集したところ、以前からメールで交流のあった京都大学大学院の佐藤啓介氏からお手伝いくださるという連絡をいただきました。お言葉に甘えて「『神の死』と神」をお送りしたら、はやくも昨日入力済みのテキストが送られてきました。おかげでサイト開設以来はじめて新たなテキストをアップできます。本当に感謝です。
佐藤さんは、フランスやイタリアの反省哲学、解釈学などを中心に研究されている方で、私(岩田)と関心領域がかなり近い方です。また、 京都大学キリスト教学科のサイト やご自分の 個人サイト はじめ複数のサイトを管理されており、このサイトを作るにあたっては、ウェッブ・デザインなどに関して佐藤さんから教わったことがとても役に立っています。今回入力していただいたテキストについては、近いうちに感想を書いて下さるとのことなので、楽しみにお待ちしたいと思います。
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2002.5.31
まだ十分な内容にはほど遠い状態ですが、とりあえずスタートすることにします。別にW杯開幕に合わせたつもりはなかったのですが、後で思い出すには今日という日は、都合がよいかも知れません。
ところで、通常サイト管理者というものはできるかぎり姿を見せないもののようですが、このサイトではずうずうしく何かと発言していくことになると思います。はじめに、そのへんの事情を説明しておきたいと思います。
このサイトを作ろうと発案したのは私、岩田成就であり、実際に作っているのもこの私のかなり勝手なおせっかいによるものです。野呂先生御自身は、サイトを作るという話に気持ちよくご賛同下さり、原稿の提供などについて全面的にご協力下さることをお約束になった上で、サイトの運営に関しては私におまかせ下さいました。「サイト開設にあたって」にお書きになっているように、おそらくは、どんななものが出きるのかを面白がって眺めておられるようなことだろうと思います。
そんなわけなので、 先生による各テキストの内容以外は 、サイトの形態から、企画、デザインにいたるまで、ほぼすべては管理者である私が勝手にやっているものです。それぞれがはたして先生のご意向にかなったものかどうかさえ定かではなく、例えば、トップ・ページのデザインが先生の趣味に合うか(笑)というようなことはちょっと分かりません。そのうち先生に尋ねてみることにしますが……。とは言え、いちいち先生のご意向を伺っていたのでは、こちらも萎縮してしまってアクティブなサイトが作れないと思うので、むしろ管理者が全面に出て比較的自由に発言や企画を行い、そのかわりサイト管理上の責任の一切を負うということにしました。もちろん基本的な方針や、企画の大筋については先生にご相談していきますが、細かいことで先生を煩わすことはしないつもりです。
なお、先生御自身は、 2002年4月の時点で 基本的にインターネットを利用されていません。このサイトを立ち上げた暁にはせめてご自分のサイトを御覧になれるような環境をお持ちになるようにとお奨めしており、すでにその環境は着々と整いつつあるものとは思いますが、実情のほうは定かではありません。(先生のネット環境の今後の進展については、わかり次第ここでご報告していきたいと思います。)
そんなわけで、このサイトでは、管理者が積極的に発言したり、勝手に企画を立てたり、何かとでしゃばることになるかと思います。ですから、野呂先生御本人による文章の内容を除けば、このサイト内に発表されるその他の文書や企画について、野呂先生に責任はありません。それらの責任のすべては私、岩田成就にあります。野呂先生の書かれたものには必ず先生の名を明記します。
この「管理日誌」のコーナーは、管理者がいろいろと発言する場にしたいと思います。なお、運営上の協力者として、山田香里さんが何かと助言やお手伝いをして下さっています。山田さんによる発言も、ここでご紹介できればと思います。また、サイト開設、運営にあたっては、松鶴亭の仕事をされている林昌子さん(キリスト教会ユーカリスティア牧師)にいろいろとお世話になっています。この場を借りて感謝を申し上げたいと思います。
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管理者:岩田成就
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From Staff 管理日誌
このサイトについて / 更新履歴 / 管理者ブログ
2010.08.11
このサイトの主である野呂先生が亡くなられ、今後、このサイトをどうしたらよいかと考えましたが、これだけ蓄積された電子テクストは、先生が亡くなられた後にこそより貴重なものとなるだろうと思うので、奥様の林昌子さんの許可をいただいて、このまま残させていただくことにしました。
このサイトを立ち上げた頃は、まだブログなどというものもなく、多くの人は手作業でサイトを更新していました。私もまたホームページビルダーを使って、なんとかこのサイトを運営してきましたが、ブログを使うことになれてしまってからはこの管理日誌も滞ってしまいました。OSも、(必要もないのに勝手に)新しくなっていき、古いホームページビルダーはついに使いものにならなくなってしまいました。これを更新するために、古いパソコンをわざわざ立ち上げているような状況です。
私としては自分のブログを管理日誌の代わりというつもりで書いてきましたが、今後もそのようにしたいと思います。今ではそのブログさえも更新が滞りがちなのですが、野呂先生の残された仕事については語りたいことはたくさんあるし、多くの人と議論していきたいと思っているので、これからそちらのブログで野呂先生のことをどんどん取り上げていきたいと思います。
2006.04.15 野呂先生はゾシマ長老か?
2006..03.21 これから、このHPから目が離せません!
2005.07.03 『ウェスレー』最新情報!!
2005.2.26 ご無沙汰しております
2004.11.4 アドレス変更
2004.6.1 サイト開設2周年!
2004.1.28 サイトをリニューアルしました。
2003.9.20 『ウェスレー』(増補改訂版)が刊行予定!
2003.5.31 サイト開設1周年
2003.3.27 感謝
2003.1.23 野呂神学の出発点
2002.12.22 訂正!! (およびクリスマス礼拝のご報告)
2002.12.3 「実存論的神学研究会」に参加して(3)
2002.11.22 「実存論的神学研究会」に参加して(2)
2002.11.2 「実存論的神学研究会」に参加して(1)
2002.9.28 野呂先生が退院!
2002.9.21 怒濤の(?)タイプアップ
2002.9.10 さらなる協力者
2002.9.6 先生を再度お見舞い
2002.8.9 「人間論」をアップ
2002.8.7 野呂先生が入院されました
2002.6.26 秦先生からのご要望
2002.6.16 新しい協力者
2002.5.31 サイト開設
2006.04.15 野呂先生はゾシマ長老か?
いよいよ日比野英次さんから再批判が届きましたので、さっそく掲載いたします。野呂先生はすでにお読みで、さらなる反論を書くとおっしゃっています。
この論争は、一応は宗教間対話をテーマにしているように見えますが、実のところは二つの異なった思想的な立場のぶつかり合いです。日比野さんはそれを、ゾシマ長老とイワンというふうにたとえておられます。しかし、林さんも言われるように、日比野さんの印象としてはそうかも知れませんが、野呂先生ご自身はゾシマ長老でご満足かどうか疑問です。
お二人の論争については、 立ち上げたばかりの私のブログ で議論中です。みなさんもぜひお立ち寄り下さって、どしどしコメントしてください。
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2006..03.21 これから、このHPから目が離せません!
先日、HPを更新したところ、サイト内へのリンクがうまく貼れなくなってしまいました。今日は日本対キューバ戦を横目で見ながら不具合と格闘し、優勝する前になんとか復旧することができました。と言っても、ファイルを一から作り直しただけで、原因は結局不明なままでした。日本も優勝でミスがすべて帳消しになったように、私も結果オーライということでこれ以上原因究明はしないことにします。
そのようなわけで今回思いのほか手間取りつつようやくアップしたのは、日比野英次さんが15年ほどまえに書かれた、野呂先生の『キリスト教と民衆仏教』(先生はこれを「十字架と蓮華」という副題でふつう呼ばれるます)の書評と、この書評に対して野呂先生がつい先日の日曜日に私にお送りくださったばかりの反論の文章です。今現在の先生の声をお届けすることが、以前からの大きな課題でしたが、ようやくその第一歩を踏み出せたと思います。急な入力依頼をひきうけて下さった平岡さんに感謝いたします。
さて、日比野さんは、野呂先生の立教大学院時代の弟子で、私(岩田)にとって立教大学院の大先輩にあたります。直接ご一緒した時期はありませんでしたが、お書きになる文章や、一度だけ拝見したプレゼンテーションから受ける印象は強烈で、他のどなたとも違った個性をもった方です。自分の頭で考えろと誰もが言いますが、それをそのまま論文のスタイルとして実践されているのが日比野さんです。数年前から行方を聴いても誰も知らないという状況でしたが、最近、武者小路実篤が中心になって開かれた「新しき村」の一員として活躍されていることを、そのホームページで知った私が、野呂先生にお話したところ、では連絡をとって欲しい……という話になったのです。
今回の討論は、日比野さんが「新しき村」に参加されるすっとずっと以前の書評に基づいたものですが、今回、野呂先生の反論をさっそく読んで下さった日比野さんから、言いたいことは山程あるので、何れ精読の上再反論するとのメールをいただいています。これは面白いことになってきました。今の日比野さんの思想と実践から、野呂先生の思想に対してどのような議論がありうるのか。これから、このHPからは目が離せません!
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2005.07.03 『ウェスレー』最新情報!
先週水曜日の聖書研究会に行ってまいりました。ちょうどローマ人への手紙が終わり、ヨハネ福音書に入ったところでした。林さんが聖書を数節読み、先生はそれを聞きながらコメントするという形で勧められていきますが、ゾクゾクするような面白さです。これから月2回出席しようと思っていますので、ここでもその様子を紹介できると思います。
ところで、その日はじめて知ったことですが、出版が遅れていた『ウェスレー』の増補改訂版が、全く装いを新たに、ほとんど全く新しい本として準備されているということです。当初の予定では以前のものにはほとんど手を入れず、最終章だけを新たに付け加えるということでしたが、今回先生からお聞きしたところでは、本文そのものの内容で現在気に入らない所などは全部直し、さらに40年近く考え続けてきてようやく分かったという「キリスト者完全論」についての最終的な結論も述べられるということです。内容的には先生による四冊目のウェスレー本ということになりそうです。また、表紙なども工夫に工夫をこらしたものになるようで、先生自身も本が出来るのを大変楽しみにされている様子でした。
それから、たまたまある必要のために古いアルバムから先生の若い頃の写真が引っ張り出されてきていて、それを見せていただきました。目がお変わりになっていません。写真をデジカメで接写してきましたので、 BIography のところに掲載します。
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2005.2.26 ご無沙汰しております。
黒田さんから入力原稿をいただき、久しぶりに更新することができました。黒田さん、ありがとうございました。
意気込んではじめた「新約聖書を深く読む」の方はすっかり滞っています。これは、元となるテクストが聴講者によるノートであるという事情があり、先生ご自身の見解と必ずしも一致しないところもあるようなので、そのあたりの修正に手間取っています。ヘーゲルとかソシュールとかの講義ノートもそうだったようですが、聴講者のノートからの講義の再現というものはいつも同じ問題をはらむようです。ノートというものは、講義そのものと同時に、講義に触発された聴講者自身の記録でもあるわけですから、こうした問題が生じるのは当然なので、これはもちろん聴講者の責任ではなく、これを講師の著作ないしは準著作として発表しようとする者、つまりこの場合管理者の私の責任に属することです。したがって、私としてはやはり慎重にならざるを得ないわけです。先生に直接お会いして確かめていくのが一番なのですが、今のところなかなかそれができていません。
なお、前回先生の入院をお伝えしましたが、先生はすでに退院され、ユーカリスティアの活動は再開されています。教会からいただいたニュースレターによると、先生のお話はますます面白いことになっているようなので、そのあたりも詳しくお伝えしたいところですが、管理者自身がご無沙汰しているために、こちらもなかなか実現できていません。早くこの状態を打開すべく努力したいと思います。
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2004.11.04 アドレス変更
ご報告が遅れましたが、1,2週間くらい前からサイトのアドレスが変更されています。これはYahooジオシティーズの変更にともなうので、入っていたマンションが取り壊されて、新しい建物に移転したようなものでしょうか。いずれにしてもこれまでのアドレスも当面は使えるようです。
新しいアドレスは、 http://www.geocities.jp/yoshionoro
旧アドレスは、 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1595/
古い方も新しい方と同時に更新されていくので、さしあたりはどちらでアクセスしても同じですが、今後は正式なアドレスは新しい方になります。
ところで、管理者は長らく無沙汰していますが、野呂先生が再度入院されていると伺っています。まもなく退院とのことですが、速やかな回復をお祈りしております。
また、少し前になりますが、テクスト入力を引きうけてくださっている 黒田良孝さんのH Pにリンクさせていただきました。ご覧いただけば分かるように、黒田さんは難病を抱え多くの不自由を負いながら、ボランティアで入力作業をして下さっています。このサイトが黒田さんのような方によって支えられていることはほんとうに感謝です。
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2004.6.1 サイト開設2周年!
平岡さんに言われて気づきました。他のことに関しては、「もうそんなに経つのか」という感想を抱くことの多い今日この頃ですが、このサイトについては「まだそれだけしか経ってないのか」という感じです。もっとずっと前からやっていたような気がします。
入力スタッフのみなさんの熱意あるご協力のおかげで、野呂先生の過去の邦語論文のうち、著書に入っていないものについては、大部分の論文をアップしおわりました。入手困難なもの、その他の事情でアップを控えているものなどを含めてまだ弱冠残ってはいますが、それらをアップしてしまえば、このサイトの次の目標は、野呂先生の「現在ただ今」(秦先生)の思索をお伝えすることになるでしょう。先生の視力がなお十分ではなく、論文をお書きになることが困難であることを考えると、このサイトが担う役割は大きいと思います。
先生の活動は、現在はユーカリスティアでの講義が中心です。この講義内容をなんとかこのサイトでも紹介していければよいと思っています。問題はどのような方法でそれを行うかです。何かよい考えがある方は是非ご提案下されば幸いです。
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2004.1.28 サイトをリニューアルしました
トップ・ページのデザインを一新するとともに、サイト内の階層構造を単純化して、各テクストをより簡単に見ることができるようにしました。まだかなり改善の余地はありそうですが、一応基本は出来たと思います。あとは、細かいところを少しづつ直していくつもりです。
トップ・ページのデザインについては、ずいぶん前から変えたいと思っていたのですが、なにせ自分のサイトではないので、どのように変えてよいやらわからず、先日、野呂先生にお好きな色とかモチーフをお尋ねしました。先生のお答えによれば、モチーフは「ピカソ」、また、お好きな色は初期のピカソの題材になった「道化師」や「サーカス」の赤、また「青の時代」の青ということでした。さらに、カンディンスキーの絵のように具体的な像がなくなってしまうと、パウル・ティリヒが言っているように絵から人間性が消えてしまうので、三角形とか四角形とか丸などの図形は残して欲しいということでした。加えて、(先生がお好きで収集されている)こけしの形、色彩も頭の中におくようにとのこと。
しかし、これは正直言って大変な難問でした。先生は「秘密の趣味多数」とご自分でおっしゃるとおり、きわめて多様な嗜好をお持ちで、しかもそれら一つ一つに神学的な意味合いが少なからず関係しているようにお見受けします。それは私の狭い守備範囲をはるかに越えており、相当な意外性をともなっていることが多々あるので、なかなか想像がつきかねるところです。だからこそ、率直に先生にご相談したわけですが、先生のご注文をお聞きすると、余計に難しくなってしまいました。いろいろと、試行錯誤しましたが、結局、ピカソの青と赤から色源をいただき、複数のこけしの頭部を念頭においた形を配置して、このようなデザインになりました。また、サイト名として「野呂芳男ホーム・ページ」ではつまらないので、何かいい言葉はないか先生にお尋ねしたところ、「神学に生きる」という言葉をご提案いただいたので、これを画像の中に入れました。先生のイメージに合うかどうかは正直自身がありませんが、一応は先生のおっしゃった各事項をクリアしているつもりです。やや抽象的な図柄に見えるかも知れませんが、画像の中にあるそれぞれの形は、決して他の形や背景に同化してしまわず、あくまでも一つ一つの個体として立っているというつもりです。(カンディンスキーとは違って)。あらためて見ると、これらの形はこけしというよりは、これも先生のお好きな丸石の方により似ているようにも思います。もし先生の視力がある程度回復されてデザインを見ることがお出来になるようであれば、先生のご感想を是非お聞きして、それに応じてデザインを変えていきたいと考えています。
ところでご報告が遅れましたが、現在テクスト入力を手伝ってくださっている平岡さんに加えて、昨年暮れから黒田良孝さんが新たに入力作業をお手伝い下さっています。このサイトを見てご連絡下さり、すでに前回アップした「ウェスレーの信仰の性格」というテクストを入力して下さいました。このような無償の奉仕をして下さる方がおられることに、本当に頭が下がる思いです。
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2003.9.20 『ウェスレー』(増補改訂版)が刊行予定!
東京地方は暑い秋が続いていましたが、今日は台風の影響で急に肌寒くなりました。管理者がしばらく自分の仕事の方にかかりきりになっており、そのためにこのサイトの更新も滞っています。野呂先生ともしばらくお会いしていないので、近況をお伝えすることも出来ません。この状況はもうしばらく続きそうですがお許し下さい。
ところで、数日前、嬉しい情報が飛び込んできました。このサイトでも一部を公開している 野呂先生の『ウェスレー』の増補改訂版 が出版されることになったそうです。この本は、数年前に出版される予定で増補部分が用意されていたものですが、諸事情で出版が出来なくなっていたためこのサイトで増補部分を公表中でした。(増補部分のうち最後の数頁がなおアップされていません。)アップされた部分についてはそのままにしておいてよいとのことなのでそれに従います。出版について詳細が分かり次第このサイトで紹介いたします。関係者のみなさま、是非情報をお寄せ下さい。
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2003.5.31 サイト開設1周年
世間がサッカーのW杯の開幕で世間が盛り上がっていた昨年の今日、このサイトはスタートしました。他の事柄に関しては時の経つのがものすごく早く感じるこの頃ですが、このサイトに関する限りは、ほんとうに1年しかたっていなかったか今一度確かめて見たほど、長い1年でした。
このサイトをはじめたきっかけは、野呂先生のとの数年ぶりの再会でした。そして、この1年、ユーカリスティアの設立、先生の大怪我などの出来事があり、その間に先生の論文を入力したり、著書を再び読み返したり、また先生の講義をお聴きしたりして、私の中で野呂芳男という存在が再び圧倒的な影響力を発揮しはじめています。
論文の入力に関して絶大なご協力を下さっている平岡さんとの間には、これまでにおびただしいメールのやりとりがありました。今数えるといただいたメールの数は68通にも達しています。そのうち半分くらいにはファイルが添付されています。入力下さったテキストです。私はそのファイルをHTML化してアップします。この半年、ほぼ全てのテキストをこの手順でアップしています。ですからこのサイトが現在このような充実した内容になっているのは、ひたすら平岡さんのお陰なのです。本当に感謝したいと思います。おそらく平岡さんも、この半年ですっかり野呂通になられ、今では私より余程お詳しいのではないかという気がします。そのうちぜひこのコーナーにご登場をいただいて、感想などをお聴きできればと思っています。
ところで、先日遅ればせながらYahooの検索サイトに登録されました。登録されると同時にアクセス数がほぼ倍に増えました。現在1日に平均20人くらいの方が見てくださっていることになります。今後、過去のテクストだけでなく、野呂神学の現在をお伝えするような、いい手段がないかを考えていきたいと思っております。林さん、よろしくお願い致します。
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2003.3.27 感謝
このところわたしくし管理者が多忙のため、なかなか新しいテキストを入力することができず、すべてを平岡さんにおまかせきりの状態です。まことに申し訳なく思うとともに、平岡さんの献身的なご奉仕に心底感謝している次第です。
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2003.1.23 野呂神学の出発点
野呂先生が50年以上前に書かれた記念すべき論文をアップしました。またしても平岡さんのご努力によるものです。日本基督教神学専門学校(後の東京神学大学)の卒業論文ですから、22歳の時の文章ということになりますが、とても大人びた文章に驚かされます。当時の若者が一般的に大人だったのか、あるいは野呂青年が特にそうだったのか、あるいは文章とは別の青年らしい先生が別にいたのか、いろいろと想像はつきません。戦争の経験は先生の思想にとって決定的であり、今もその思索に深く刻印されているように思いますが、この論文が書かれたのが戦後わずか3年後です。非常に感慨深いものがあります。
この論文について先生は、「私の出発点です」と言われています。牧師になるべく神学校で学ばれた先生が、学者の道を歩まれるきっかけになったのはおそらくこの論文だったのでしょう。、「ウェスレーに関する今の考えとは少し違っている」と先生は言われますが、どの点が違うのかを考えながら読むのも面白いかも知れません。
私が入力している、『ウェスレー』の増補改訂部分は、残り数ページがまだアップできていません。平岡さんのペースと比べてあまりにも遅い進行で、お待ち下さっている方には大変申し訳なく思います。現在、判読困難な箇所を先生に問い合わせ中で、それがすめばまもなくアップできる予定です。もうしばらくお待ち下さい。なお、このコーナーは内容が溜まってきてかなり重くなっていると思います。本当はファイルを分けるべきなのでしょうが、なかなかその余裕がなく、この点も今しばらくご容赦願います。
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2002.12.22 訂正!! (およびクリスマス礼拝のご報告)
だいぶ時間が経ってしまいましたが、先日ユーカリスティアのクリスマス 礼拝と祝会に参加させていただきました。礼拝説教は野呂先生のご担当でした。説教箇所のマタイ25章31〜46節とルカ15章1〜7節は、神による救いに関して相容れない二つの立場をそれぞれ表している。前者は自分たちキリストにつく者だけが救われてそうでないものは裁かれるのだとする立場であり、後者はあらゆる人がことごとく最後の一人まで救われるのだとする立場である。われわれは後者を選ぶべきである。主旨はそういうことでしたが、内容はピノキオ物語などいくつかの印象的な例話が取り上げられ非常に感銘深いお話でした。礼拝後には皆さんが持ち寄られたご馳走をいただきならが、楽しい歓談の時を持ちました。その時に写真を何枚か撮ったので、近い内にこちらに掲載したいと思っています。(PS. 写真ができたので、掲載しました。12/26)
さて、この「管理日誌」の2002年11月22日分の内容に誤りがありましたので、ここで訂正させていただきます。「実存論的神学研究会」での野呂先生の講義の報告の中に、<『ヨハネ福音書』をドイツ語から英語へと翻訳した功績を認められたから奨学金が出た>というのは二重に誤りでした。
第一に、野呂先生がなさった仕事は翻訳ではなく 要約 でした。この本は、当時恐らくドイツでも出版されてはおらず(これは未確認だそうです)、『ヨハネ』のコピーを新約学教授のクレアランス・Tクレイグ氏(当時の学部長)が所有しておられ、それを野呂先生が借りて要約を提出されたところ、非常に好印象を持たれたということです。
第二に、学金を得られた 直接の原因 は、卒業時にクム・ラウデ(優秀賞)だったこと、だそうです。この賞は、成績優秀者に贈られるものですが、成績の他に、当時は引退して非常勤であったエドウィン・ルイス氏、ルイス氏の後任であったジョン・S・ウェール氏、そしてクレイグ氏らによる推薦があったということです。
以上の点を林さんを通じて野呂先生から確認しましたので、訂正するとともにお詫び申し上げます。過去の日誌の内容をいじるのは変ですが、単純な事実確認に関する事柄ですので、無用の誤解をふせぐために 該当部分 を訂正させていただきました。
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2001.12 「実存論的神学研究会」に参加して(3)
野呂先生の講義にお邪魔してからそろそろ1ヶ月が経とうとしております。その間にも次の講義はどんどん進みつつあるはずで、今さら報告というには時期を逸している気がするのですが、とても重要な部分なので遅ればせながら紹介させていただきます。
おそらくトレルチに関するコメントからではなかったかと思うのですが、話が宗教間対話のテーマになり、そこから「死後の生命」に関する仏教とキリスト教の見方について触れられ、さらにその関連でグノーシス主義の問題が浮上してきます。このお話の流れの中でとくにわたしが関心をもったポイントは、グノーシス主義の考え方を現代のキリスト教信仰に再び取り戻すべきだという先生のご主張でした。以下、グノーシスの問題にしぼって内容の要点を整理して紹介します。
グノーシス主義は、ギリシヤ文化の粋を集めて作られた思想であるが、この思想には自分に近いものを感じる。しばしばブルトマンは「グノーシス主義とキリスト教」といった誤解をまねく表現を使っているが、ある時期ある地域ではグノーシス主義はキリスト教そのものだった。たとえばヨハネの福音書9章には、イエスが生まれながらにして目の見えない人を癒すという場面が出てくる。この場面でなされたイエスと弟子たちとのやりとりの中では「前世」という考え方が前提になっているが、それはグノーシス主義に由来する考え方である。(講義ではこの聖書箇所は開かれなませんでしたが、ここでは読者の便宜のために以下に引用しておきます。)
弟 子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪をおかしたからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしたちをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」(ヨハネ福音書9章2〜5節、『聖書 新共同訳』日本聖書協会)
弟子たちは、目がみえない原因が本人の罪であるかどうかを問題にしている。しかし、この人は「生まれつき」目が見えないのだから、もし本人に原因があるとすれば、生まれる前に罪を犯したことになる。つまり、弟子たちの質問は「前世」という考え方を前提にしているのだ。イエスは、これに対して本人の罪が原因であることを否定している。しかし、それは「前世の罪が原因ではない」と言っているだけで、「前世」という考え方そのものを否定しているわけではない。むしろ、このやりとりにおいては「前世」の存在は当然の前提とされているのだ。このことは、この伝承の背後にグノーシス主義の考え方が存在したことを示唆している。
グノーシス主義には輪廻転生の考え方があり、六つの世界を転生することになっている。これは仏教の中ではやはり輪廻転生を前提にした地蔵信仰の考え方に近い。グノーシスの考え方と東洋の輪廻転生の考え方はもともと融合していたものである。もともと融合していたのだから、トレルチが言うように文化と文化を共有不可能なものと考える必要はない。対話が可能なのだ。そして地蔵信仰のようなものが根づいている日本のような文化においては、グノーシス主義的なキリスト教であれば融合しうるはずである。
実際はもっと大量のことをおっしゃたのですが、メモには断片的にしか書かれておらず、それだけをたよりに再現すると上のようなことになります。もともとこういう形で紹介するつもりで講義を受けていたわけではないので、講義が佳境にはいればはいるほど手が止まってしまったのかも知れません。
野呂先生の読者ならご存知なように、先生がグノーシス主義を評価されるのは、その二元論的構造が悪の問題に対して答えを与えるからです。輪廻の問題も含めて、こうしたお考えはすでに『神と希望』の中に現れているはずですが、久しぶりに聴いたせいか何だかこのお話には改めてショックを受けました。
さて、この後質問の時間があり、「ブルトマンの非神話化による聖書解釈だとキリスト教芸術を楽しめなくなるのではないか」という質問が林牧師から出されましたが、先生もこれに同意されました。たとえばマタイ受難曲などはマタイの記述をもとにしているが、非神話化を知った者にはそれをそのまま感動して受け入れることはできず、どこか冷めてしまう。しかしそれは仕方がない。新しい信仰が本当に土着化するまでは、本当の芸術は生まれないだろう。キリスト教的なものがこの文明の中でどう表現されるのか……。
これに関して、林牧師からはじめて聞くエピソードが披露されました。先生はジョン・コルトレーンの『至上の愛』がお好きだというのです。先生がジャズをお聴きになるとは知りませんでしたが、考えてみると、50年代をニューヨークで過ごされたわけですから、モダン・ジャズ発祥の現場におられたわけです。もっとも先生はもっぱらコルトレーンのようで、いつもお一人で『至上の愛』を聴くとどうしても涙が出てしまうそうです。たまたま林牧師と一緒に聴く機会があったときに、他人がいるから大丈夫だろうと思っていたが、結局ダメだったのだそうです。曲の最初の部分、高音のサックスが響いている間はまだ大丈夫なのだが、終わりに近づくとベースの超低音の中に "Love Supreme" の声が響いてくる、それが、ちょうど虚無の支配する世界をつきやぶって神の愛の光が射し込んでくる情景を彷彿とさせて、つい泣いてしまうのだとおっしゃいます。僕もこの曲はかなり好きでしたが、そんなふうに聴いたことはなかったので、大変感銘を受けました。このところ、車に乗るときにはずっとかけています。
さて、この講義は最後の三分の一がかなり濃い内容だったはずなのですが、メモが断片的すぎてうまく再現できません。時間が経ちすぎてしまい、先生が実際に話されたこととその後私個人がそれについて考えたり調べたりしたこととの区別が判然としなくなってしまったため、これ以上詳しく紹介しようとすると先生のお考えを歪めて伝えてしまう可能性が高いので、このくらいにしておきたいと思います。すでにかなり歪めてしまったかも知れませんが……。
ところで野呂先生の最近のお話を聴いていると、このサイトには現在の野呂芳男が十分に反映されていない点を否めません。過去のテキストはかなり充実してきたのですが、現在の思想を伝えるテキストが少ない。今後、それをどうやってここに反映させていくか……。それを考えていかなければならないと思っています。そんなことを思いつつ、手元にある原稿をよく調べてみると、現在少しづつ公開中の講義「ユダヤ・キリスト教史」(97〜98年)の内容が、現在語られているテーマにかなり近いことがわかりました。今後は、このテキストをはじめとして、出来るだけ現在の野呂神学を伝えることに努力の方向を向けていきたいと考えています。
年が明ければ、また講義を聴かせていただける機会があるかと思います。そうなれば、今度ははじめからそのつもりでメモをとり、またここで報告させていただければと思います。
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2002.11. 「実存論的神学研究会」に参加して(2)
先週から風邪をひき1週間ふせっていたので、前回の続きが書けませんでした。野呂先生も体調を崩されていると聞きましたがもうお元気になられたでしょうか。私はようやく回復してきたようなので続きを書こうと思います。
前回にも述べました通り、これは私のメモをもとにした講義の再現で、断片的に書き留められた文字から記憶をたどり、さらに記憶のあいまを私自身の想像力や論理的類推で埋めていったものです。多分に私の判断が入り込んでいると思います。場合によっては、先生がおっしゃっていた意図と異なっている可能性もあります。したがって、あくまでも私が受け止めた先生の講義の紹介です。ただし、先生の講義内容の部分は「である」調、私の考え、感想、解説などの部分は「ですます」調を使い、一応区別しました。先生の真の意図を正しくお知らせする機会は、今後何らかの形で可能だと思いますが、とりあえずはこのような不完全な形でのご報告とさせていただきます。(※かなり長い内容となってしまいました。ご容赦下さい。)
以下、先生の講義内容。
ブルトマンの「非神話化」提唱以前に、自由主義神学の中にも似たような試みがなかったわけではない。しかし、それらは似て非なるものであった。違いはどこにあるのか?たとえばハルナックやリチュルは新約聖書のメッセージを倫理的な神の国の教えとして解釈した。しかし、こうした解釈は新約聖書の終末論を「解釈」する以前に「削除」してしまった。聖書に描かれた「神の国」は実際は決して倫理的なものではなかった。むしろ「神の国」が来たら、親を捨て、兄弟を捨てなければならないのである。ハルナックやリチュルのような解釈では、終末論のもっているこうしたラディカルな意味を生かすことができない。イエスやパウロが語った「神の国」を単なる倫理的な社会秩序と考えるなら、それは終末神話を「解釈」していることにはならない。したがって、これらはブルトマンの「非神話化」とは異なっている。
次にトレルチであるが、トレルチに関しては、どの時期のトレルチをもとに議論するかがまず問題である。この思想家は不断に立場を変え続けた思想家だったからだ。最晩年のトレルチは、文化と宗教を不離一体のものと見た。この立場に立つと、西洋文化がだめになればキリスト教もだめになるということになる。そこから敷衍されることは、たとえば日本文化は日本文化であるかぎりキリスト教にはなれないということである。こうしたトレルチの立場は、宣教の可能性を文化伝達の可能性とは次元の異なるものとして理解する「非神話化」の考え方とは全く別のものである。
さて、自由主義の聖書解釈はしばしば、聖書のメッセージを合理化する傾向にあるが、非神話化は「合理化」ではない。テキストは次のように解説している。
非神話化は、またよく非難されるように《合理化》ではない。合理化によって神の秘義がとりのぞかれるという〔非神話化への〕非難は、神の行為の秘義についてあやまった概念をもっているのであり、それを客体化しようとしているのである。ブルトマンによれば、それは神の真の秘義性をかくすことにほかならない。非神話化は、実存論的解釈として、神の真の秘義を、本来的にとらえがたいものとして明らかにしようとする。 (熊沢義宣『増補改訂ブルトマン』日本基督教団出版局)115頁
たしかにその通りであって、それがブルトマンの非神話化を、先述の自由主義神学による試みから区別するのである。
したがってブルトマンの非神話化は聖書の記述の合理化ではないのだが、ただし、それが聖書の記述の貧困化であることは否定できない。たとえば、ブルトマンが非神話化の対象とした新約聖書に含まれる神話とは、具体的には「グノーシス主義」と「黙示文学」に由来するものであったが、ブルトマンは、この二つの神話をそれぞれ人間の実存のありかたを示すメッセージとして解釈した。「グノーシス主義」の光と闇の神話は、自分中心の生き方をしていた人間が神に開かれた生きかたに変えられるというメッセージとして解釈され、「黙示文学」の終末論的神話は、過去や未来にとらわれない今この瞬間瞬間を生きる人間の態度を勧めるメッセージとして解釈された。こうした解釈においては、神話が語る世界や神についての一切の言説は排除され、すべてはその神に対する自分自身の実存のあり方に還元される。神について語ることは、神を自分の実存から切り離して客体化することとされ禁じられる。そこでは、自分と対面する者(神)について何一つ知ろうとしてはいけないのである。しかし、これでは困る。そこでは、実存は広がりのない点になってしまい、聖書がもっている豊かな思想を貧困化してしまう。
『実存論的神学』(1964年)は、基本的にはブルトマンの方法論にしたがっているのだが、ブルトマンのやり方に割り切れないものを感じていて、それが尾をひいている。それがあの本の欠点である。(ちなみに、『実存論的神学』はすでに増補改訂版が用意されているが、出版のめどが立っていない。そうこうしているうちに、すでに先生は改訂の改訂をする必要を感じておられる。先生もまた、常に自分の考え改訂していかれるタイプのようです。)
さて、次に取り上げられたテキストの箇所。
かれ〔ブルトマン〕によれば、イエス・キリストにおいては《史的なもの》と《神話的なもの》とが独自な方法で交錯しており、人々にその両親を知られている史的イエスは(ヨハネ6:42)、同時に先在の神の子であり、史的な十字架の出来事は、非歴史的な復活の出来事と併存している。このような神話論的な説話は、史的なイエス像とその歴史とのもっている、救済のすがた、救済の出来事としての《有意義性》(Bedeutsamkeit)、つまり、この《わたし》の救いにとってどのような決定的な意味をもっているのか、ということを表現するというだけの意義を有しているのではないか、ということがここで問われなくてはならないのであり、もしそうであれば、客観的な表象内容そのものは捨て去られてもいいものになるわけである。 (前掲書、116頁)
はっきりとした文脈は覚えていないのですが、どうもこのあたりから講義が佳境に入っていったように思います。いわゆる「史的イエス」の問題なのですが、これに関して先生が述べられたいくつかのことは、私にはかなりの衝撃でした。それは、私自身が野呂先生の神学をもとにこの10数年考えてきたことと、野呂先生御自身がやはりここ10数年(もしかするともっと前からかも知れませんが)お考えになっていたこととが、このテーマに関して大きくへだったっていたからです。私が、「史的イエス」と「キリスト」の間に「物語られるイエス・キリスト」を置いて考えていたのに対して、先生自身は、むしろ「史的イエス」を捨て去り、はじめから「史的イエス」とは別の「キリスト」という存在をお考えになっているようなのです。
ここまでの講義では主に非神話化論の批判でしたが、ここからは上のテキストに説明されているようなブルトマンの「史的イエス」についての態度への基本的な賛同を表しながら、先生ご自身の「史的イエス」に関する立場が述べられていきます。先生はおよそ次のようなことを言われたと思います。
ブルトマンの非神話化は、「史的イエス」を重視しない。「史的イエス」へむけられた「信仰」に焦点をあてている。それは、そういう物語をつくらなければならなかった原始教会のニーズから生まれたのである。これは非神話化提唱のずっと以前から行われていたブルトマンやディベリウスの様式史批判の結論と重なりあっている。様式史批判は、共観福音書の伝承が史的イエスにまでさかのぼるれるものではなく、むしろ教会の時々の具体的なニーズ(生活の座)に応じて生み出されてきたものであることを結論した。この結論に呼応するように、非神話化論による福音書解釈では、新約聖書が信仰の対象として描いているのは「史的イエス」ではなく、はじめから「信仰のキリスト」であると理解する。
ブルトマンは「史的イエス」に対する探求はやってもしかたのないものと考えている。もともと新約聖書には「史的イエス」にさかのぼれるような資料はなく、キリスト教信仰の核は「史的イエス」を必要としていないからだ。ブルトマンの弟子達による「(史的イエスの)新しい探求」は、ブルトマンがすでに解決してしまった問題を後から蒸し返すもので意味のないことだ。それこそ保守的教会のニーズによって生まれた動きにすぎない。
はっきり言えば、教会が先にあったのだ。そして、福音書の「イエス」は後から必要に応じて作られたものだ。新約聖書の中で最も古いだろうと推測される第?コリントの15章では、史的イエスの内容にに関して何の関心も払われていない。そこで描かれているのは、最初から最後まで「キリスト」である。福音書は確かに「史的イエス」を描こうとしている。しかし、共観福音書が書かれたのはいずれも80年代であり、ヨハネ福音書もおそらく80年代だと考えられている。この時代には、イエスという存在がようやくポピュラーになってきていた。イエスの生涯を一つの劇として再現したいという教会のニーズも生じてきた。こうしたニーズに応じて福音書が書かれたのだ。〔ということは、キリスト教信仰の発生においては、史的イエスへの関心は重要な役割をはたしていないということになる。〕その際には、地上を歩いた神というギリシャ的な神話の要素も加えられたのかも知れない。しかし、福音書はくせものである。〔どうくせものなのか、メモし落としてしまって再現できませんが、おそらく福音書に書かれてあるイエス像には、著者がイエスに託して語ろうとしている思想があまりにも反映されすぎているというようなことではなかったかと思います。〕
福音書の中で、ヨハネ福音書は、キリストという存在を非常にグノーシスに近い形で理解している。他の福音書で描かれるイエスも、前期のパウロも、終末は今すぐにでもやってくるのように考えていたが、ヨハネ福音書は終末はすでに来ているという立場にすでに移行している。つまり、ヨハネ福音書は、新約聖書の中ですでに「非神話化」を行っているのだ。このように、聖書の中に非神話化の基礎はある。
ところで、非神話化と同年(1941年)に、ブルトマンは『ヨハネ福音書』(註解)を書いた。『ヨハネ福音書』を通して、彼はイエスの生涯をどうとらえようとしたのだろう。このことが気にかかる。ドルー神学校時代に、当時学部長だったグレイグ氏がおそらくはまだ出版されていなかった『ヨハネ福音書』(註解)の独文原稿のコピーを所有されており、それを借りてその一部の要約を提出したところ非常に喜んでいただいた思いでがある。 (※この件に関して過去にここで報告した内容には事実誤認があったので訂正をさせていただきました。訂正に関しては 2002.12.22 の日誌を参照) さて、『ヨハネ福音書』(註解)は残りの部分を読んでいない。いつか読もうと考えていたが、今回目が悪くなったためにそれは難しくなった。実に残念だ。確かめたいことは、ブルトマンのキリスト教信仰の理解にとって「史的イエス」は必要ないはずなのに、何故あれほどの大著『ヨハネ福音書』にとりくんだのか、ということである。ブルトマンにとって「史的イエス」とは何だったのか?
このことに関しては、岩田も同じことをかつてブルトマン『イエス』について感じたことがありました。つまり、ブルトマンにとっては史的イエスの内実(行為と言葉)はキリスト教信仰にとって重要ではないはずなのに、『イエス』では史的イエスの言葉の解釈が中心になっている。この仕事をブルトマン神学全体のうちにどう位置づけるか?という問題です。そこで、講義の後でそのことを先生に申し上げました。すると、先生もたしかにそう思うとおっしゃいました。さらに私はこれに関して、ブルトマンは福音書の記事の中で史的イエスの言葉のいくつかは史的イエスにまでさかのぼれると考えている、ということを言いますと、それに対して先生は、たしかにブルマンは『イエス』の中でそう言っているが、ただし『イエス』はかなり初期の著作(1926年)だ。後年、立場が変わったのだ、とおっしゃいました。私は、「史的イエス」に関するブルトマンの立場が、1926年と1941年とで変化しているという風に考えたことがなかったので、これは確かめてみなくてはならないと思いました。
さて、ここから話はグノーシス主義とキリスト教との関連についての話に移っていくのですが、かなり長くなってきましたので、それは次回にまわし、ここではこれまで紹介した講義内容に関する私の感想や疑問を書いておきたいと思います。
今回紹介した部分で先生は、ブルトマンの立場を紹介しつつご自分の現在の「史的イエス」に関するお考えを語っておられます。私の紹介では十分に伝わっていないかも知れませんが、先生のお考えはどうも「史的イエス」は存在しなかったとする立場に傾いておられるようです。まず歴史的に確認できるのは、ローマ帝国治下にあらわれた原始教会の存在であり、そこで信じられた「キリスト」という存在への信仰である。そして、この原始教会の持っていた資料から、この「キリスト」と結びついた「ナザレのイエス」の姿が浮かび上がってくるが、こちらは教会の必要に応じて作られたフィクションである可能性が高い。しかし、キリスト教の信仰にとっては「キリスト」が大事なのであって、この「キリスト」が「ナザレのイエス」という特殊な歴史的人物と結びつけられている必要は必ずしもないのだ……。先生のお話を綜合すると、そのようなことになると思います。私が一つショックを受けたのは、この点でした。(もう一つのショックは、次回紹介する部分に含まれます。)
さて、今、こうしてまとめて見ますと、野呂先生のお立場はそれとしてもっと詳しくお聴きした上で検討する必要があると思いますが、それとは別に、先生の上のようなお考えがはたしてブルトマンの主張と同じであるのかどうかという疑問が浮かんできます。つまり、ブルトマンは「史的イエス」が存在したことを認めていなかったのか?あるいは「史的イエス」というものがキリスト教の信仰にとってなくてもよいものと考えていたのか?という疑問です。
ブルトマンは、1960年代の弟子達との討論の中で、「史的イエス」と「信仰のキリスト」との「連続性」の問題に関して、次のように整理しています。(1)両者は「史的な連続性」を持っている。つまり、キリスト教信仰は、一つの歴史的出来事が同時に神の行為であるという逆説を含んでいるかぎりは、キリストを信じる信仰が「史的イエス」を前提にしていることは明かであり、両者の関係は自明である。ただし、キリスト教信仰が前提としているものは、史的イエスの「事実」であって、その「内実」(Was)ではない。(2)両者は、「実質的な連続性」を持っていない。キリスト教信仰は史的イエスの「内実」(Was)を前提にしないし、キリストを信じるためにイエスの人となりや説教内容を知る必要はない。またイエスの教えや行動のうちに、あらかじめキリスト教信仰の核が含まれていたということもありえない。
以上がブルトマンの最終的な立場だと思います。つまり、キリスト教信仰にとっての「史的イエス」の意味は、その「事実」(Dass)に限られるということです。「史的イエス」が何を行い、何を語ったかということは、歴史学的に見ても分からないとしかいいようがないし、キリスト教信仰にとってもそれはどうでもいいことだ。ただ、「史的イエス」という存在がいたという「事実」だけは、キリスト教信仰には欠かせない……。こういうことになります。これはきわめて奇妙な主張だと思います。
こうした主張が生まれてくるのは、ブルトマン神学の構造に問題があると私は考えますが、しかし、こうした主張が生まれてくる神学的動機はそれなりによくわかります。つまり、ブルトマンは信仰を一つの向こう見ずな決断と考え、この信仰の決断としての要素を弱めてしまうようなものをどんどんそぎおとしていこうとするのです。すると、「史的イエス」について何かを知ってからそれをもとに決断をするということは、「業による義認」をめざす誤った信仰であって、信仰の決断としての要素を弱めてしまうから、これは切り捨てられます。「史的イエス」の内容は純粋なキリスト教信仰にとっては無意味であるという判断がそこから出てくるわけです。
ちなみにこのことは、先ほど先生が非神話化に関してブルトマンを批判された点とも関わりがあるはずです。先生は、ブルトマンが一切の客体化する表象を禁止して、自分に対面するものとしての神や世界をすべて捨て去ってしまい、すべてを人間の実存のありかたの問題に還元してしまう点を批判されていました。同じことはブルトマンの「史的イエス」の問題への態度についてもあてはまるように思います。ブルトマンは「史的イエス」について一切の客体化する表象を禁止してしまうわけです。けれども、キリスト教信仰の核が、一つの歴史的な出来事が同時に神の行為あるということである限りは、イエスが実在しないというわけにはいかない。そこで「史的イエス」の「内容」ではなく「事実」だけが信仰にとって必要であるという奇妙な結論に導かれてしまうわけです。先生は特に指摘されませんでしたが、こうしたブルトマンの主張に対しては、彼の非神話化論に対してなされたのと同じ観点からの批判が必要であるように思います。
ブルトマンの問題は、人間イエスについて何らかの具体的なイメージを思い描いたり語ったりすることは、すべて信仰を何か別の確実な基盤に依存させてしまうことだと考えた点にあると思います。しかし、はたして福音書に描かれたイエスは、それをもとにすれば信仰の決断がしやすくなるような、そんな確固とした歴史記述なのでしょうか。それはあくまでも信仰の眼から、神の子がこの世に来られたという信仰の核となる出来事を描いた物語ではないでしょうか。この物語に導かれて信仰の決断をすることが、「業による義認」を目指すものだというのは、あたかも1+1=2であることにとらわれるあまり、二つの粘土を合わせて一つになってしまうことが信じられない人のような、なんとも融通のきかない議論であるように思えます。ブルトマンの動機自体は分かりますが、そこから導き出される結論に私はどうも賛成することは出来ません。
ブルトマンの問題点についての指摘がやや長引いてしまいましたが、この問題はしばらく横に置いて、ここで注目したいのは、ブルトマンが、「史的イエス」の「事実」はキリスト教信仰にとって不可欠であると考えているという点です。つまり、キリスト教信仰と「史的イエス」に関するブルトマンの考えは、野呂先生がおっしゃるように「史的イエス」が存在しなくてもキリスト教は成り立つという考えとは違っているのではないか?これが私の疑問です。もしそうでなく、ブルトマンにとってもキリスト教信仰にとって「史的イエス」は存在しなくてもよかったということになると、長年にわたって私はブルトマンを誤解してきたことになるのですが。いかがでしょうか?
もし私のブルトマン理解が誤解だったとして、野呂先生のお考えに符合するものとして上に述べたブルトマンの1960年代の言明を理解するとどうなるでしょうか。考えられる解釈は次のようなものです。キリスト教信仰にとって史的イエスの「事実」だけが重要であるというブルトマンの主張は、史的イエスが「ナザレのイエス」として指定されている人物でなくてもよく、ただこの世界のどこかの場所に、いずれかの時代に人として実在したのであればそれでよいということである……と。これは、私の記憶ではティリッヒがブルトマンの史的イエス研究に関して行ったコメントです。ティリッヒは講義の中で、ブルトマンの新約聖書の歴史的研究によれば、新約聖書からは史的イエスを知ることはできないという結論になるらしいが、たとえそうなったとしても自分のキリスト教信仰には何ら影響はない、自分にとっては新約聖書に描かれた「イエス」のような人物が、いつの時代にかどこかの場所に現れたのであればそれでいいのであって、それが起源1世紀のローマ帝国支配下のパレスチナでなくても構わない、と述べたということです。これはたしか野呂先生がティリッヒの講義で直接お聞きになった話で、わたしは先生の口からこの話を聞いた記憶があります。(もしかすると、ティリッヒの著作の中にも同じようなことが述べられていたかもしれませんが、記憶が定かではありません。調べて見たいと思います。)もしかすると、先生の「史的イエス」についてのお考えはティリヒに近く、ティリッヒの考えに近付けてブルトマンの立場を受けとられているのでしょうか?
ただ、このティリッヒの立場は、ブルトマン自身の立場とはかなり異なったものであるはずです。テリッヒは、むしろブルトマンの弟子達の方に共感的であって、それは「画像の比論」という彼の理解にかかわっています。つまり、「史的イエス」として福音書に描かれている人物のイメージとキリスト教信仰が「キリスト」として描いているイメージのあいだには類比的な関係があって、その意味でイエスのイメージはキリスト教信仰にとっては決して無意味なものではないと考えます。ところがこの立場では、キリスト教信仰にとっての「史的イエス」の意義は、単にその「事実」だけにとどまらずその「内実」(イメージ)にもおよぶことになるはずです。ただしこの「内実」も、ブルトマンが言うような歴史家が厳密な考証によって復原するような史実的な「内実」ではなく、福音書に描かれているような生き生きとしたイエス像です。「史的イエス」が仮に歴史家の言う「ナザレのイエス」ではなかったとしても、それはやはり福音書に描かれているようなイメージで捉えられるような存在である必要がある、とテリッヒは考えるのではないでしょうか。このティリッヒの立場に、野呂先生は『実存論的神学』で共感をされていますが、現在のお考えをお聞きしたいと思います。そして、先生がこの講義でブルトマンにたくして主張されたことは、ブルトマンというよりティリッヒの上のような考えに近いのでしょうか。あるいは、ブルトマンともティリッヒとも異なったお考えなのでしょうか。(どうも第三番目の可能性が高い気がするのですが……。)
さて、先に横に置いておいた問題を再び持ち出して、最後に私の考えを少し述べさせていただきます。私の考えでは、もともとブルトマンの「史的イエス」の「事実」と「内実」を分離する操作にそもそもの無理があるように思います。どんな歴史的な人間であれ、内容をもたない事実としての人間を想像することは出来ません。神が人となったという出来事(事実)があったとすれば、その「人」は内実をともなわないはずはない。たとえそれを歴史学的に再現できなくても、この出来事を信じる人々は、その「人」の内実を想像的に再現せざるを得ないでしょう。キリスト教の信仰が生じたとき、ごく自然の成り行きとして、そのような再現の試みが生じたと考えるのが自然です。こうした信仰の自然の営みを信仰の本質から極度に締め出そうとするブルトマンの思考には、その点でかなり作為的なものを感じざるを得ません。私は、福音書に描かれたイエスはもちろん厳密な歴史考証を経たものではなく、したがって「史的イエス」というよりも、信仰の立場からの物語として語られた「物語のイエス」であったと思います。この「物語のイエス」においては、「キリスト」と「イエス」は自然な形で一つであった。それを厳密な歴史考証に偏った近代歴史学が二つに分けてしまった。そのような歴史学と、キリスト教信仰を理解し説明しようとするキリスト教神学との合間にあって、ブルトマンはあのような不自然な議論をせざるを得なくなったのではないか?……私の今の考えはだいたいそんなところです。
さしあたっては、以上が今回紹介した講義内容に対する私の問いです。講義を受けた時点では、ブルトマンの解釈に関する疑問と野呂先生御自身のお考えに対する疑問がからみあって、整理のつかない状態でしたが、講義内容をここにまとめているうちに、ようやく疑問点が整理されてきたように思います。この問題をさらに進めていけば、結局は野呂先生御自身のキリスト教理解をどう受け止めるかという問題に突き当たることになり、それについて考えるにはもう少し先生のお考えを詳しくお聴きする必要があるかと思います。今回とりあえずはブルトマンとの関連で以上の疑問点をここに記しておき、次の機会に先生に直接質問させていただきたいと思っています。
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2002.11.9 「実存論的神学研究会」に参加して(1)
ユーカリスティアの講座「実存論的神学」(11/7)へ行ってきましたので報告します。先生はお元気で、体がなかなか回復しないとおっしゃりながらも、見た目はほぼ入院以前の先生に戻られた感があります。しかも、講義が終わった後の先生は、講義前から比べてさらに血色がよくお元気そうに見えました。「先生は、講義をされるとお元気になられる」と、参加者の女性がおっしゃっていました。
さて、この講座は、実存論的神学の基本事項について学ぶという主旨で、熊沢義宣『増補改訂ブルトマン』日本基督教団出版局をテキストに使用しています。ただ、先生の視力がまだ本が読めるほどには回復していないため、林牧師ががポイントとなる箇所を読み上げ、それに先生が長いコメントをつけるという形で進められました。はじめは非神話化論のポイントを説明する常識的な内容だったのですが、徐々に話が凄みを帯びてきて、最後にはもう既存のキリスト教には到底納まりきらない凄い話になりました。私は、これをどう受け止めていいのかにわかには見当がつがず、研究会が終わって帰りの電車ではしばし茫然としてしまうくらいでした。最近の野呂先生は凄いと林牧師から聞いてはいましたが、確かにそのとおりです。先生は、学者には年をとればとるほど保守的になる人間と、逆に年をとればとるほどラディカルになっていく人間とがいるが、自分は後者だと笑っておられました。
研究会の内容をここで紹介したいと思いますが、きわめて濃い内容なので、何回かに分けて書かせていただきます。今日は、最初の3分の1くらいの、比較的常識的な「非神話化」の説明の部分をご紹介します。なお、この紹介はあくまで私が聴講メモをもとに再構成したものなので、ある程度は私なりの解釈が入っていることをおことわりしておきます。
『増補改訂ブルトマン』109頁(「非神話化」の基本的な解説)に関して――。
ブルトマンの非神話化には二つの面がある。?現代人には適切でなくなった聖書の古い世界像を捨て去るということ。つまり、聖書を読む者は、聖書の記述が前提としている天界と地上と下界からなる「三階層の世界像」を受け入れる必要はないということである。?この古い世界像を前提にしながら信仰について語られる様々な言葉の中から、古い世界像にかかわる表皮を削ぎ落として、その実質的な内容だけを別の形で生かすということ。たとえば、新約聖書に出てくる様々な奇跡はそれ自体としては古代の世界像を前提にしているので受け入れる必要ははいが、その奇跡が表現しているメッセージ(ケリュグマ)それ自体は捨て去る必要はなく、それだけを切り離して受け入れることができるということである。
ブルトマンは「神話」を「世界像」とほぼ同じ意味に解している。したがって、ケリュグマを聖書の「世界像」から切り離すことは、そのまま聖書から「神話」を捨て去ることと同義になる。神話を捨て去って、すべてを人間の実存の真のあるべき姿についてのメッセージとして解釈する。これが「非神話化」である。
さて、大学で講義をされていたころから先生は、他人の学説の説明を一通り終えると、「しかしねえ」という言葉とともに、その学説に対する批判とご自分の見解に入っていかれます。単に他人の思想の紹介にとどまるということはほとんどないのです。今回もこのパターンどおりに、ブルトマンの非神話化に対する批判がはじまります。
まずブルトマンの「神話」の定義に対しての批判。ブルマンは「世界像」と「神話」を同一している。しかし、「世界像」と「神話」とは同じではない。「世界像」は時代によって変化するもので、「科学的世界像」が現れると、必然的に「古代の世界像」は捨てさられる。しかし、「神話」とはそのような「世界像」そのものなのではなく、そのような「世界像」のうちに宗教的な意味を読みこんだ時に生まれてくるものである。あるいは、宗教的な意味がその時代の「世界像」を通して語られると、それが「神話」になるのだ。新約聖書の時代には、キリスト教信仰の立場が、当時の「世界像」の枠組みの中で語れることでそこに聖書的な「神話」が生じた。同じように、現代でも科学的な「世界像」に宗教的な意味を読み込めば現代の「神話」が出来上がる。人間は何時の時代にも「神話」を持つ者なのである。したがって、われわれは新しい世界像を持つことによって古い世界像から自由になることは出来るが、それによって「神話」というものから自由になれるわけではない。
ところが、ブルトマンの「非神話化」においては、現代人は古代の世界像から解放されるとともに、一切の「神話」に依拠しないで信仰の立場を記述できるものと考えられている。このような立場からブルトマンは、神についての一切の思弁を「神話」として退け、ひたすら神に対する人間の応答にのみ標準を絞る。その結果、聖書の中にあったはずの様々な豊かな要素はすべて廃棄されてしまい、ただ「自分自身を十字架につけ、本来の自分をとりもどせ」という人間の実存的な態度のあるべき姿を示す実に簡素なメッセージだけが取り出されることになる。これではキリスト教はほとんど禅の立場と変わらないものになってしまう。
ブルトマンの方法に従って新約聖書のケリュグマ(宣教)をあらゆる神話的表象から切り離そうとすると、そこにはこのような貧弱なメッセージしか残らないのである。これに対して野呂先生は、ティリッヒの立場を評価する。ティリッヒはケリュグマを神話から切り離せないものとし、「非神話化」の契機を一応認めつつも、神話を捨て去ることは出来ないという意味を込めて、現代の聖書解釈のあるべき姿として「半非神話化」(half-demythologisizing)という言葉を使った。ティリッヒの立場では、神話は宇宙論と実存論の両者の根底ににかかわるものであるから、ブルトマンのように神話が示している意味を一切の宇宙論から切り離して実存論だけに限定することはできないのである。野呂先生は、ティリッヒの「存在の根底」が神であるとする立場には同意できないとしながらも、聖書のケリュグマを宇宙論的な拡がりを持ったものとしてとらえようとする姿勢には同意を示される。
ティリッヒが禅仏教に対して終始批判的であったのは、こうしたティリッヒの基本的な立場に符号する。確かにティリッヒ来日の折りには、仏教に対してきわめて好意的な態度を示したかに見えるが、仏教の持っている虚無思想に対してははっきりと批判の立場をとっていた。
さて、これに関連して野呂先生の禅仏教に対する批判を聞くことが出来た。禅仏教は基本的には宇宙的なものや民衆宗教には関心がない。ひたすら自己というもののあり方のみが問われている。禅宗のお寺に沢山の仏像があるのはいわば民衆のための方便にすぎない。「でもやがてわかるだろう、仏は殺してもよいのだと……」。それが禅の立場だ。これを先生は「自己中心の信仰」と表現された。禅の体験に基礎を置く京都学派も基本的には、こうした考え方に立っている。その欠陥は戦前に皇国史観に染まってしまった田辺元の哲学によく現れている。戦後に『懺悔道としての哲学』などが出たが、インチキもはなはだしい……。そしてその背後には西田幾多郎がいる。ところが、ブルトマンの神学は、こうした京都学派のような立場に乗っかってしまう危険があるのだ。
野呂先生の立場をまとめるとこうである。非神話化の発想の原点にある「実存史」(Geschichte)と「世界史」(historie)とを区別することは必要である。しかしブルトマンやゴーガルテンでは、あまりに二つがシャープに区別されすぎている。両者は互いに区別されつつ、相互に影響しあうのである。このような立場をとるなら、神学はいつでも自分の神学を修正可能である。いつでも自分の神学を築きつづける必要がある。
さて、以上は最初の三分の一の内容のあらましです。ところが、講義はここから異様に面白くなるのです。今の私の理解でそれをどこまで正確につたえられるかはわかりませんが、次回にそれを報告してみたいと思います。
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2002..9.28
林さんからのメールで、野呂先生がようやく退院されたということです。見通しよりも随分おそくなって、先生もやきもきされたことでしょうが、とにかくおめでとうございます。退院後の先生が少しでも早く様々な活動ができるよう、このサイトでもできる限りのサポートをしていきたいと思います。
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2002.9.21
林さんからのメールでは、野呂先生は今日退院されるはずですが、予定通りに進んでいるでしょうか?林さん、もしこれを見ておられたらお知らせ下さい。
ところで、HP開設当初に「さしあたりこれだけは」と考えて用意していたものがほぼすべてアップし終わりました。トップ・ページを眺めていると、ようやく様になってきたといいう感じがします。これも、ひとえにご協力下さった方々のおかげです。
頻繁に訪れてくださっている方はお気づきかと思いますが、特にここ1、2週間、怒濤のごとく(というのは大げさですが…)新しいテキストが追加されています。これは、平岡さんが精力的にテキストをタイプアップして下さっている結果です。私はいつも「入力」という言葉を使っていましたが、平岡さんは「タイプアップ」という言葉を使われます。「タイプアップ」の方が何か人間的な肉体労働のニュアンスがあって気に入っています。
平岡さんには、私から元になるコピーを郵送し、入力していただいたものをメールで送り返してもらっているのですが、ほとんど郵送にかかる時間と同じ速さで電子化されたテキストが帰ってきます。平岡さんについては下に紹介したHPで知っていただきたいと思いますが、学問や宗教活動を職業とされている方ではありません。毎日のご自分のお仕事の合間をぬって作業をしてくださっているわけで、本当に頭がさがります。
平岡さんは、楽しんで作業をしていると書いてくださっています。キリスト教神学に造詣の深い方ですが、野呂神学に接するのは今回が初めてということで興味をもって下さっているのだと思います。先日は『神と希望』の中古品をネットで購入されたとのことです。
平岡さんから野呂神学に関してメールでご質問を受け、それに答えたりしている中で、特に『神と希望』に現れた野呂神学の展開についてもう一度よく検討してみる必要を感じています。特に悪の問題についての論述には、10年前にこれを読んだときにはよく分からなかった非常に深く考え抜かれた思索が込められているように思います。私もまた平岡さんの情熱に押されて、野呂神学を学び直してみたいという気持ちになっています。それにともなって、ここにももう少し内容のあることを書きたいと思っています。
そもそもこのHPは野呂先生の過去のテキストを再録することだけが目的ではなく、野呂神学についての研究や議論も掲載していきたいと思っているので、もし野呂神学に関して何か発表されたいとお考えの方は、是非ご連絡下さい。
PS.
書き忘れましたが、平岡さんはこのHPの著作リストに載っていない書誌情報を多数寄せてくださっています。今も、メールで新たな情報が届いたのでアップしました。驚くべき事にこれらの情報は、平岡さんの書斎に眠っている古い雑誌からのものだそうです。確かに、60年代の書誌が不足しているので、私も調べてみなくては……。
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2002.9.10
先日報告したテキスト入力作業をお手伝い下さるという方は、平岡広志さんという方です。
最初にメールをいただいたのがつい先日でしたが、早くも「永遠の命について」の入力テキストをお送り下さいました。明日にはアップできると思います。平岡さんについては、御自身とご家族を紹介した楽しいホーム・ページをお持ちなので、是非そちらを御覧下さい。アドレスは、 http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/ です。平岡さんにはこの場をお借りして深く感謝を申し上げたいと思います。
野呂先生は、先週お見舞いしたときに、来週退院の予定と言われていました。私の次の日に、テキスト入力スタッフの一人山田さんも見舞ったそうですが、「次は病院の外で会いましょう」と言われたそうですから、おそらくそろそろ退院なのだと思います。退院されたらまたここで報告します。
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2002.9.6
今週の火曜日に、ふたたび野呂先生をお見舞いしましたが、順調に回復され予定より早く来週には退院の見込みだそうです。先生は今回の出来事の中で、相当な内的な経験をされたようです。それについては、私も断片的にいろいろとお聴きし大変感銘を受けていますが、先生御自身がこれから何らかの形で公にしていかれるはずなので、ここでは伏せておきます。退院され、落ち着かれたら当然このサイトにも書いていただきたいと思っています。
ただし、眼底出血の治療がまだこれからで、それまではご自分でお書きになるのは困難かと思われます。さしあたっては、口述筆記といった手段が考えられます。第一弾として、入院直後に病院で録音されたユーカリスティア教会のための説教が、すでに林さんの手でほぼテキスト化されています。近い内にアップできると思います。
それから、先日、テキスト入力をお手伝い下さる方がまた一人連絡を下さいました。ほんとうに感謝です。静岡県在住のクリスチャンの方で、楽しいHPをお持ちです。テキストアップの際にはご紹介します。
ところで、今日アップしたウェスレー「研究の進展」1−(3)ですが、一度アップしてしまうと更新されず修正がききません。何度やってもダメで、原因はつかめていません。そんなわけで、文章の一番下の「次へ」をクリックすると 1-(2)に戻ってしまうことが分かっているのですが、これを直すことが今のところ出来ていません。御注意下さい。 (※ その後、解消されました。)
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2002.8.9
ようやく「人間論」をアップできた。この論文はただでさえ長いのに、トラブルも重なりここに至るまでかなり時間がかかった。第1章を入力し終わったところで、突然パソコンが動かなくなり、再起動したときにはすべてが失われていたこともあった。通常ならバック・アップ・ファイルができているはずなのに、どういうわけかそれも見あたらず、しばらく入力する気を失った。
しかし、執念でなんとかこれを入力したいと思っていたのは、私自身が最近、「人間論」というものに興味をもっているからだ。これを入力していて気づいたことは、私自身の人間についての考え方は、無意識のうちに野呂先生に大きな影響を受けていたのだな、ということだ。学生の頃、特に人間論ということを意識せずに先生の組織神学を聴いたり読んだりしていたが、それらが自分の考えの基礎になっていた。10年以上も経って、わたしが人間論を議論する際の枠組みは複雑になったが、その基本的な考え方そのものは変わっていない気がする。
ところで、このサイトはどのページにも Yahoo の広告が出てきて、うっとおしいくお感じの方もあるだろう。とくに今回アップした論文のようにフレームを使ったページにすると、各フレームごとにいちいち広告がでてきて、ページはYahooの広告で一杯になってしまう。竹中直人の画像と眼鏡をかけた女性モデルの画像の間にはさまれて、「人間論 野呂芳男」というタイトルがなんとも窮屈そうだ。なんとかならないものかとは思う。
ただ、テキストを読んでいると、人間は修道院から成人した世界へと出ていくべきだと書いてある。だとすれば、これまで静謐とした図書館の書庫深く眠っていたテキストが、騒がしい俗世間のただ中に再び飛びだしていくのは、むしろ論文の主張にかなったことかもしれない。そう思って眺めると、今回のレイアウトもこれはこれでなかなかいいデザインのような気がしてくる。
追記: そうは言っても、やはりかなりうっとおしかったので、1つのページに広告が1つだけになるように調整した。
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2002.8.7
先月24日に野呂先生が怪我を負われました。小田急デパートの出口付近で段差に気づかず転倒し、大腿骨付け根を骨折、29日に手術を受けられました。手術は成功しましたが、リハビリを含め1ヶ月は退院できないということです。ユーカリスティア教会の方は、しばらく林さんが代行されるそうです。
わたしは今日お見舞いに行ってきました。(花もなにも持たずすいませんでした。)事件の当日のことや、麻酔中に見た夢のことなどを、麻酔の影響でかすれたお声でしたがお元気にお話くださり、相変わらずの野呂節に、少し安心しました。このときの体験をもとにした説教がテープ録音されてユーカリスティアの礼拝にすでに使われたそうですが、そのテープをおこしてこのサイトでも紹介したいと思っています。詳しいことはその中で報告されることと思います。
付き添っておられた林さんによると、ここ数カ月のユーカリスティアでの野呂先生の聖書講解はかなり凄いものだったそうで、ちょっとこれまでには聞いたことのないようなパウロ解釈が展開されているとのことです。先生のお怪我によってそれがしばらく途切れてしまうのは残念ではありますが、今日先生とお話していて、今回の出来事をとおしても先生は何かまた新たなものを得られたなという感じを強く持ちました。先生によると、近い内に「転ぶ男」と題する文章(論文?)が書かれるとのこと。そうしたものが早くこのサイトでも紹介できるように、先生のすみやかな回復を祈ります。
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2002.6.26
野呂芳男「『慈(あつ)子』の思い出」をアップするにあたって、小説『慈(あつ)子』の作者であり、野呂先生のご友人でもある作家の秦恒平先生にメールを出しました。 すでに秦先生のサイトで公開されているこのテキストを当サイトに転載する許可をいただくためです。
秦先生はずっと以前から、 「秦恒平の文学と生活」 という驚嘆に値するサイトをお持ちで、ご自分のおそらくほとんどの作品と、日々感じたこと考えたことを記すエッセイをそこに発表され続けています。私がサイト開設を野呂先生にお勧めしたのも、秦先生のサイトを発見し感銘を受けたことが一つのきっかけでした。秦先生からのメールのお返事には、すでにサイトを持たれている先輩として、当サイトに対する要望が述べられていました。過去の業績を再録するのもいいが、何より野呂さんの「現在ただいま」の熱い生の声が聞きたいというのが秦先生のご意見でした。
このサイトでは、 MESSAGE というコーナを設けて、野呂先生の今の声を掲載していく予定でいますが、野呂先生が新しい教会設立にともなって多忙であることと、先生のネット環境が未だ整っていないこともあって、いまのところサイト開設のあいさつだけしか掲載できていません。
管理者としては、秦先生のご要望には是非近いうちにお答えしたいと考えています。また、秦先生の方から、野呂―秦間の往復メールのような企画も、両方のサイトで行ったらどうかという提案もしていただいていますが、状況が整えばそのようなアクティブな試みどんどんしていきたいと願っています。
※ 秦先生のHP に上のことが掲載されていました。「生活と意見――闇に言い置く――私語の刻」の6月25日づけの箇所です。(2002.9,11)
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2002.6.16
「このサイトについて」 の中で、テキスト入力のボランティアを募集したところ、以前からメールで交流のあった京都大学大学院の佐藤啓介氏からお手伝いくださるという連絡をいただきました。お言葉に甘えて「『神の死』と神」をお送りしたら、はやくも昨日入力済みのテキストが送られてきました。おかげでサイト開設以来はじめて新たなテキストをアップできます。本当に感謝です。
佐藤さんは、フランスやイタリアの反省哲学、解釈学などを中心に研究されている方で、私(岩田)と関心領域がかなり近い方です。また、 京都大学キリスト教学科のサイト やご自分の 個人サイト はじめ複数のサイトを管理されており、このサイトを作るにあたっては、ウェッブ・デザインなどに関して佐藤さんから教わったことがとても役に立っています。今回入力していただいたテキストについては、近いうちに感想を書いて下さるとのことなので、楽しみにお待ちしたいと思います。
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2002.5.31
まだ十分な内容にはほど遠い状態ですが、とりあえずスタートすることにします。別にW杯開幕に合わせたつもりはなかったのですが、後で思い出すには今日という日は、都合がよいかも知れません。
ところで、通常サイト管理者というものはできるかぎり姿を見せないもののようですが、このサイトではずうずうしく何かと発言していくことになると思います。はじめに、そのへんの事情を説明しておきたいと思います。
このサイトを作ろうと発案したのは私、岩田成就であり、実際に作っているのもこの私のかなり勝手なおせっかいによるものです。野呂先生御自身は、サイトを作るという話に気持ちよくご賛同下さり、原稿の提供などについて全面的にご協力下さることをお約束になった上で、サイトの運営に関しては私におまかせ下さいました。「サイト開設にあたって」にお書きになっているように、おそらくは、どんななものが出きるのかを面白がって眺めておられるようなことだろうと思います。
そんなわけなので、 先生による各テキストの内容以外は 、サイトの形態から、企画、デザインにいたるまで、ほぼすべては管理者である私が勝手にやっているものです。それぞれがはたして先生のご意向にかなったものかどうかさえ定かではなく、例えば、トップ・ページのデザインが先生の趣味に合うか(笑)というようなことはちょっと分かりません。そのうち先生に尋ねてみることにしますが……。とは言え、いちいち先生のご意向を伺っていたのでは、こちらも萎縮してしまってアクティブなサイトが作れないと思うので、むしろ管理者が全面に出て比較的自由に発言や企画を行い、そのかわりサイト管理上の責任の一切を負うということにしました。もちろん基本的な方針や、企画の大筋については先生にご相談していきますが、細かいことで先生を煩わすことはしないつもりです。
なお、先生御自身は、 2002年4月の時点で 基本的にインターネットを利用されていません。このサイトを立ち上げた暁にはせめてご自分のサイトを御覧になれるような環境をお持ちになるようにとお奨めしており、すでにその環境は着々と整いつつあるものとは思いますが、実情のほうは定かではありません。(先生のネット環境の今後の進展については、わかり次第ここでご報告していきたいと思います。)
そんなわけで、このサイトでは、管理者が積極的に発言したり、勝手に企画を立てたり、何かとでしゃばることになるかと思います。ですから、野呂先生御本人による文章の内容を除けば、このサイト内に発表されるその他の文書や企画について、野呂先生に責任はありません。それらの責任のすべては私、岩田成就にあります。野呂先生の書かれたものには必ず先生の名を明記します。
この「管理日誌」のコーナーは、管理者がいろいろと発言する場にしたいと思います。なお、運営上の協力者として、山田香里さんが何かと助言やお手伝いをして下さっています。山田さんによる発言も、ここでご紹介できればと思います。また、サイト開設、運営にあたっては、松鶴亭の仕事をされている林昌子さん(キリスト教会ユーカリスティア牧師)にいろいろとお世話になっています。この場を借りて感謝を申し上げたいと思います。
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管理者:岩田成就
s-iwata@td5.so-net.ne.jp