野呂芳男<書評>オールストローム『アメリカ神学思想入門』(1990)  Home  >   Archive  /  biblio


アメリカ神学史、一つの鳥瞰図
<書評>シドニー・オールストローム著・児玉佳興子訳『アメリカ神学思想史入門』教文館

 野呂芳男

  初出『本のひろば』1990年5月号、(財)キリスト教文書センター、14−15頁  


 ここ三〜四十年にわたって、アメリカ神学は実に面白く、華やかに展開してきた。ラインホルド・ニーバー、リチャード・ニーバー、パウル・ティリッヒの神学的活動の最中から、まるでそれらを追い払うかのように矢つぎ早やに、神の死の神学、黒人解放の神学、世俗化の神学、フェミニズムの神学、プロセス神学、そしてまたキリスト教と他宗教、特に禅仏教との対話など、目まぐるしい華麗さであった。研究者にとってはあわただしい対応を迫られつつも、イギリスやヨーロッパ大陸の神学とどうしてこうも違うのかと、アメリカ神学の独創性の根源を訪ねたくなる展開であった。

 広く研究してきたつもりではあるが、四十有余年の研究生活において矢張一番面白かったのはアメリカ神学であった。大学での講義の一つに、アメリカ神学史をもつようになったのも、勿論自分の興味からであった。ところが、学生に勧めるに価する概説書がないのである。イェール大学でアメリカ史及び近代宗教史の教授であったオールストローム教授の概説書が、今回児玉佳興子氏の立派な翻訳で刊行され、やっと勧めるに価するものが一冊できたと思う。

 同志社の竹中正夫教授が「序文」の中で書いておられるように、日本の教会はその歴史や制度において最も強くアメリカの教会の影響を受けてきたにも拘らず、アメリカ神学には割合に冷淡であったが、国教会でも領邦教会でもない日本の教会の宣教には、自由なアメリカ教会を支えている神学にもっと多く学ぶべきものがあるのではないか。その意味でも、本書のような概説書はアメリカ神学史の一つの鳥瞰図を与えてくれて、役に立つ。

 当然のことながら著者はニューイングランドのピューリタニズムから書き始め(第一章)、いわゆる「大覚醒」の神学者とも言えるジョナサン・エドワーズに相当の頁数を割いている(第二章)が、エドワーズに関する著者の叙述は通り一遍のものではない。ジョン・ロ
ックや理神論や啓蒙主義との関係を浮彫りにしており、背後に著者の深い研究が隠されていることをうかがわせる。チャニングの啓蒙主義的キリスト教、テイラーのリヴァイヴァル神学、プリンストン神学校のホッジの神学、マーサーズバーグ運動、ヴァルターとクラウトのルター派神学と、簡潔で要領を得た叙述が続き、第八章では自由主義神学者としてのブッシュネルが紹介されている。

 日本でも新神学と言われて、ある時期に影響力をもった自由主義神学の展開の跡が更に第九章と第十章で辿られる。バウンの哲学的観念論、クラークの神学、ラウシェンブッシュの社会的福音、パウロ的福音主義と高教会主義に基礎を置いたドゥポーズの聖公会近代主義がそれである。

 第十一章では南部バプテスト神学校の校長であり、保守的バプテストの神学的指導者であったマリンズが取り上げられているが、著者は、マリンズを熱烈な根本主義者と見ることの誤りを述べ、マリンズに対する哲学者ジェイムズや、前述のバウンの影響を指摘し、常に中庸を目指した神学者として紹介している。第十二章では、日本でもよく知られているニーバー兄弟が取り上げられ、彼らを中心としたアメリカの新正統主義が、著者の見るところでは「キールケゴール的」なものであるとの示唆に富む叙述がなされている。

 第十三章と第十四章とは、この翻訳書が出されることを知った著者が、叙述を今日の状況にまで延ばすために1977年に加筆したものとのことであるが、ビリー・グレアムの福音主義的「十字軍」、宗教の世俗化現象の代表的例としてのノーマン・ヴィンセント・ピールの幸福追求の書『積極的思考の力』、ベトナム戦争の影響やマルチン・ルサー・キングの活躍及びその神学などが触れられている。「結び」はきわめて読みごたえがある。著者はアメリカ神学史を振り返って、その独自性や特徴もあげており、ヨーロッパから派生してきた諸教会の中で神学が力強く生き続けたことが主張されている。

 翻訳本文約160頁という分量の中に、実に要領よく、盛りだくさんな内容を取り込んだ著者の力量には感心させられるが、著者の視点から少しばかりずれた視点でアメリカ神学史を見ている私などから見ると、科学と宗教の問題、他の宗教運動、例えばユニテリアニズム、クリスチャン・サイエンス、モルモン教などの主張、神の死の神学、黒人解放の神学、フェミニスト神学、パウル・ティリッヒの神学などについて、ある程度の叙述があってもよかったのではないかと思い、その点は残念である。著者加筆の1977年には、これらについて書けた筈である。

 それにしてもこの書物は入門書として大変立派なものであるが、更に読者にとって有難いのは、訳者児玉氏が著者の註とは別に、20頁余にわたる訳註を付していることである。これは非常なご苦心の結果であろうが、アメリカ神学史に不馴れな読者にとっては実に有益である。

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入力:平岡広志
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/
20037.7