ジョン・ウェスレーに於ける義認と聖化13
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以上、我々は、ウェスレーの信仰の本質が、如何に恩寵のみを以て一貫せられて来たかを、彼の義認と聖化の教義に於いて見て来たのであるが、最後に、我々は附言的に、彼の予定論論争に就て考察してみたい。予定説は、成程、周辺的な事柄ではあるが、もし此の事柄が正しく取扱われていない場合には、中心的な義認と聖化の問題に迄、疑惑が投ぜられるからである。
一般的に、ウェスレーはカルヴィン主義に対立して、アルミニウス主義を取ったと言われているが、表面的には事実其の通りであった。併しながら、単純に、ウェスレーをオランダのアルミニウスの系統を継ぐ者とし、ソシニヤン的、ペラギウス的要素を、又、人間の自然的価値を認める近代的精神の萌芽を、早計に彼に帰すわけにはいかない。我々は、先ず当時の英国に於ける、カルヴィン主義予定論を考察しなければならない。此の当時のカルヴィン主義は、カルヴィンの教説から相当な変形を示していたように思われる。当時のカルヴィン主義者は、予定論を、救拯論の前面に出し、神の選びを救拯論的にではなく、創造論的に考えるのが常であった。斯くして、キリストに於ける神の恩寵の選びは、創造に於ける神の選びとなり、所謂二重の選びを主張し、選びがキリストの十字架の前面に立てられ、予定がキリスト教神学の中心課題となり、贖罪の事実は、その選びの副題として、キリスト教神学の一部になってしまったのであった。それが通俗的な形式に於いて表現せられた時には、予定は運命と同一視せられ、凡ての人の運命は、神の創造に於いて予定的に決定せられているものとせられ、神の選びは、人間の選びとなり、自己が選ばれているのか、選ばれていないのかとの絶えざる不安を与え、遂には、自分は選ばれている、或いは、自分は選ばれていない、という人間的な自己判断となり、又、それを他者にも適応するに至った。斯して、慰めの教説であるべき予定論は、不安の教説となり、未信者が信仰に入る最大の躓きとなってしまった。ウェスレーの如き、実際の伝道者である者が、此れに反対したのは当然である。それ故に、彼は、自由なる恩寵(free grace)を主張し、凡ての者を憐れまんとする神の恩寵を主張したのであった。此の点に於いて、ウェスレーは、カルヴィン主義と対照的なアルミニウス主義を奉じるものとせられ、又、彼自身、自己を此の点――即ち、普遍的救済を主張する点に於いてアルミニウス主義者であるとなしたのである。
それでは、ウェスレーは一般のアルミニウス主義者と同様に、人間の側に、何らかの恩寵獲得の可能性を残したのであろうか。我々はそれを決定するために、彼の信仰に関する次の如き言葉を考えねばならない。「それならば、何故凡ての人は此の信仰を持たないのであるか。少なくとも、それをそのように幸福なるものであると認めている凡ての人が。何故、彼等は早速信じないのかと、あなたが問うならば、我々は聖書の説に従って、それは神の賜物である、と答える。何人も、彼自身の中に信仰を造る事は出来ない。それは神の業である。此のように、死せる魂を生かすことは、墓の中に横たわっている体を甦らすのと同様な力を要求する。それは新しき創造である。そして、誰もが魂を新たに造り得ない。唯、太初に、天と地とを造り給うた神を除いては」(註1)。恩寵を受け取る信仰さえもが、ウェスレーにとっては、神の恩寵の賜物なのである。されば、若し、恩寵を受け取ることが恩寵ということの意味であり、これが予定説の一般的な、根本的な意義であるならば(K.Barth) 、ウェスレー自身はカルヴィン主義との論争のため、其処へ進み行かなかったが、彼の恩寵のみの主張は、必然的に予定論へまで進み行かねばならないのである。而も、ウェスレーの場合には、凡ての人を憐れまんとする神の恩寵にまで、キリストの中に於いて――ウェスレーの普遍的救済論に注意せよ――選ばれる、慰め多き、救拯論的な予定論にまで。其処にまで進み行く事は、後代の我々のなす事であろう。
(註1)Wesley ; "A Earnest Appeal to Men of Reason and Religion" sestion 9
次の如きもウェスレーの信仰観への一例であろう。「あなた方自身からは、あなたの信仰も救いも出で来たらない。それは神の賜物である。自由な、身に余る賜物である。あなた方が、それによって救われるところの信仰、又、同様に神が彼の善意志から、彼の単なる好意から信仰に附加し給う救いもみな、神の賜物である。あなた方が信ずる事は神の思いであり、信じて救われるという事も神の思いなのである」
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