ジョン・ウェスレーに於ける義認と聖化6




 此のように、神の像を汚し、罪の中に滅びつつある人間は如何にして救われ得るか。単なる神への知的承認でなく(註1)、神のキリストに於けるアガペー的意志への信頼によってである(註2)。「恩恵は救いの源、信仰はその条件である」(註3)。而して、此の信仰は、求める全ての者に与えられるものである。此れは、ウェスレーの普遍的救済論であり、此の点に於いて一応ウェスレーは、アルミニアニズムを採用している。信者は、キリストの義を転嫁せられて義と認められる(註4)。ウェスレー神学にとって、義認論は、その基の一切であり、ウェスレーが引用せるルターの言葉の如くに、「それによって、教会が立ち、また倒るるところの個条(articulus stantis et cadentis ecclesiae ;The Christian church stands or falls with it) 」であった(註5)。此の点に於いて、我々はウェスレーに於いて、義認と聖化とが区別せられ、二つの事柄の如くに見られ、両者の関係が経過的に解釈せられて居り、義認に於いては神の絶対的な恩寵の働きがあり、聖化に於いては信者は律法的努力をなし、自己の業によって救いを――キリストに於ける恩寵によってではなく――達成せねばならぬと、ウェスレーが主張したかのように論ずることの誤謬を知り得るであろう。それは、次の如きウェスレー自身の言葉により明らかである。「何ら此れ以上の反対が起こらない時、唯我々は次のように問われる。信仰にのみよる救いは、最初の教理として説かれてはならない。又、少なくとも、全ての人に対して説かれてはならないと。併しながら、聖霊は何と言い給うか。”既に置きたる基の外は、誰も据えうる事能わず。この基は即ちイエス・キリストなり”。それ故に、”彼を信ずる者は、凡て救わるべし”という事は、凡ての我々の説教の基礎であらねばならない。即ち、最初に説かれねばならない」(註6)。義認即ち罪の赦しが根本であり、「公分母」である(K.Barth) 。併しながら、ルターの信仰義認論がとかくすると、道徳無用論に陥らんとする危険を持つのに対して、ウェスレーの場合には、義認は新生の教義と密接に関係している。併し、それであるからと言って、神の恩寵の時間的面に於いてまで、彼が義認を聖化の中に巻き込み、カトリック的信仰義認観へと落ちた事を意味しない。彼に於いて、神の恩寵の時間的面に於いては、義認と聖化とは明瞭に区別せられている。「それ(義認)は、明らかに既に見られた如く、現実に義とせられ正しくせられるということではない。それなら、それは聖化である。正当に聖化は、義認の即刻の果として、或る程度あり得る。併し、それにも拘らず、両者は神の異なった賜物であり、全く異なった性質のものである。義認とは、神がイエスによって我々のためになし給うことであり、聖化は神が聖霊によって我々の中になし給うものである」(註7)。我々はこれ迄、ウェスレーに於ける義認論を跡付けて来たのであるが、彼の生きた時代に於いて、彼が最もその使命として意識的に高調した聖化論へと入って行こう。





(註1)それ故に、キリスト教信仰とは単なるキリストの全福音への同意ではなく、キリストの血への充分なる信頼である。キリストの生と死と甦りへの信頼、我々の贖い、又、生命としての、又、我々のために与えられ、我々の中に生きつつあるところの、彼に寄りかかることである。Wesley ; "Sermons on Several Occasions" Vol.?p.14
(註2)信仰は神が与え給うところの自由なる賜物である。彼の恵みに値する者の上にではなく、前もって潔くあるような人の上にでもなく、そして、神の善なる凡ての祝福を栄飾られるに適わしい者にでもなく、不敬虔なる者、潔からざる者に、其の時に尚永遠の破滅に適わしい人々に、その中に何らの善もなく、唯一の願いが、”神よ、罪人なる我を憐れみ給え”である人々に、神が与え給う賜物である。人間の中に於ける何らの功も、何らの善も、神の赦しの愛に先立たない。Wesley ; "An Earnest Appeal to Men of Reason and Religion" Section 11
(註3)Wesley ; "Sermons on Several Occasions" Vol.?p.12
(註4)実際厳密に言えば、恵みの契約は、絶対的に必要欠くべからざるものとして、我等の義認のために、少しも行うことを要求せざるばかりでなく、彼の独子と、そのなした贖罪のために、敬虔なる者、働かざる者を義とし、信ずる者の信仰を、彼に義として転嫁する処の神を信ずればよいのである。Ebenda Vol.?p.55
(註5)Ebenda Vol.?p.179
(註6)Ebenda Vol.?p.18
(註7)Ebenda Vol.?p.47



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