ユーカリスティア・ニュースレター2006年12月


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ニュースレタ ー         第29号2006年11月30日発行

 

今年も終わりに近づいてきました。師走といいますが、私の場合は1年中、とにかく外にいる時には、近所の買い物、用事と用事の合間など、極力走ることが多いのです。走る理由のひとつには運動不足の解消がありますが、結局、根がせっかちなのでしょう。真っ直ぐな道があろうものなら、もう、走らなくては気が済まなくなります。せめて、ひと様の迷惑にならないように、安全に走るよう、心がけています。

 

  12 月の活動予定

 

 

 

 

 

 

礼拝

カバラ

 

ウェスレー

10

11

12

聖研

13

 

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現神の扉

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24/31

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聖研

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29

30

礼拝 11:00 am ~

その他すべての講座 2:00 ~ 3:30 pm


<11月の活動報告>

■礼拝(11/4)
 説教:野呂芳男「愛と正義、どちらが先か」。ガラテヤ人への手紙3.1-6。

 

■聖書研究会(休講)

 

■ウェスレー研究会(11/11)

研究会では現在、英国聖公会の39箇条の宗教箇条を、ウェスレーが削除して25箇条に書き直したものと比較検討しているところです。今回は、英国聖公会の宗教箇条16条から21条までにおいて、ウェスレーがどの項目を削除し、そこにどのようなウェスレー自身の主張が浮き彫りにされてくるかを検討しました。

 その結果のひとつは、ウェスレーは、教会の伝統と信者個人の体験と、理性的合理性を重んじたことが浮き彫りにされていることです。つまり彼の生きた頃に始まった、聖書に対する今日の歴史研究の先駆けになるようなしくみが、すでにウェスレーの中に作られていたことが明白となっています。具体的にそれを言うならば、ウェスレーは、聖書の文字通りの解釈にあまり依存せず、もっと広く伝統や体験に比重を移し、また、自然神学に対して相当の許容度を示しているのです。当時の状況は、理神論の風潮が強かったのですが、ウェスレーは理神論をあながち全くは否定せず、できる限り経験主義的哲学を採用しながら、それさえも神に至る道のひとつであり、ジョン・ロックを尊重しながら自分の宗教的体験の神学に組み入れています。それを具体的に示すものとしては、彼がネイティブ・アメリカンの宗教への愛着を、終生持ち続けた事実があります。さらに錬金術さえも、自分の体験的神学の中に取り入れて、『民間療法』さえ展開しています。

 さらに、聖書のビショップ(監督)について、ローマ・カトリックなどにおける司教と異なるものとみなし、自分も聖書のビショップに当たると彼は解釈して、アメリカ伝道のために、信者に按手礼を施したりしました。これは、ローマ・カトリック的な司教制度を徹底的に破った行為と言えます。このように、歴史研究と密接なつながりを持ちながらウェスレーの聖書解釈は展開されたのであり、プロテスタント的な教会の考え方が、ウェスレーの中で、時を経るに従って、重要視されてきたことの証です。

 

■現代神学の扉(11/20)

前回、「宇宙観(あるいは世界観)も、科学的に実証不可能であるという点で、神話である」ことを学びました。今回はそこからさらに問題を発展させ、では宇宙論と信仰をどこまで切り離せるのかという問題、言い換えると、時代によって変化する宇宙論は、信仰にはどこまで必要なのか、あるいは宇宙論なしに信仰は成り立つのか、という問題を考えました。解決のヒントは、パウル・ティリヒの「半ばの非神話化」理論です。この理論が、ルドルフ・ブルトマンの非神話化論を生かしながら、その欠点――偽りの自己に日々死んで、本来の自己に日々よみがえるという、ブルトマンの考えでは、行為主義になってしまって、神の方が人間に先手を打つという物語が欠如してしまうという――を克服するものとして、有効であることを考えました。つまり、神が先手を打つという物語を言い出すと、どうしてもそこに、宇宙論が顔を出します。その物語の宇宙論を、半ば生かさざるを得ないというのが、ティリヒの主張でした。

 しかしながら、「半ば」ということが、具体的にどのようなことを指すのか、その点についても活発な議論が行われました。図『パウル・ティリッヒ著作集 第4巻』(白水社)

 

■キリスト教的カバラ(11/7)

イスラエル・リガルディ『柘榴の園』第五章「アダム・カドモン」は、カバラを特徴付ける、さまざまに重要な思想が網羅されている章です。それで今回は、先月の復習を兼ねながら、この章で書かれていることのうち、前回では詳しく触れられなかった点を学びました。これによって、生命の樹の各セフィラの特徴と、径の特徴が、一応出揃った形になりました。それで、生命の樹を土台にして、瞑想に耽ったり、病気などの治し方、タロットカードを使っての、個人の現状分析ができるようになりました。さらに、ゲマトリアなどのカバラ解釈を知ることを通して、実際の生命の樹の利用の仕方が、徐々に分かってきました。いよいよ、カバラの真髄である、宇宙論と現実との関係を明瞭にして、生活の中で利用できる段階までやっとこぎつけたように思います。

 

 

<お知らせ&トピックス>

■12月2日の礼拝後は、ささやかな会食をご用意いたします。どうぞお誘い合わせの上、ご参加ください。なお準備の関係上、初めて来られる方は、ご一報ください。
■「キリスト教的カバラ」の日程が不規則になっています。ご注意ください。




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