ジョン・ウェスレーに於ける義認と聖化8




 此の事実を最も明白に示すものは、ウェスレーが信者に於ける罪を強く主張した事である。我々は義認せられた時に全く聖化せられ、神の像を回復したのではなく、尚、罪の深淵(a depth of sin)を保持している(註1)。それ故に、罪は我々の言語や行為の全てに対して固着する(註2)。「神の子達は、堕落へ傾かんとする心、悪への自然的な傾向、神から離れんとする癖、地上の事柄への執着を絶えず感ずる」(註3)。それ故に、信者は何時も開始に戻って、悔改めをせねばならない。聖化は何時も再び義認の恩寵を仰ぐことである(註4)。否、我々は、聖化に進めば進むほど、逆に、より深き悔改めへと駆られるのである(註5)。我々の罪は、聖化の過程に於いて、より明白になってくる。「然り、斯く如き堕落の深淵を、神からの明白な光なくして、我々は殆ど理解し得ない。されば、凡ての罪悪が信者の心情に残るという確信こそ、義とせられたる者に属する悔改めである」(註6)。

 併し、ウェスレーの赤児の完全の思想を、更により明らかにするものは、信者はその罪を鎖につないでいる(in chains) という言葉で表現した事実である。「罪が我々の中にあるという事を仮定することは、それが我々の力を占有しているという事を意味しない。否、むしろ、十字架につけられた人(キリスト)が、彼を十字架につけた人々(信者)を所有している。又、その事は、罪が我々の心情を横領しているという事を殆ど意味していない。横領者は王位より退けられている。実際、彼は、彼がかつて支配した場所に残っている。併し、鎖につながれてである。それ故に、彼(横領者)は、或る意味に於いて、戦いを続けるがますます弱くなる。一方、信者は、力より力へ、征服して、又征服するために進み行く」(註7)。ウェスレーは、当時のカルヴィン主義者が、信者をも、罪の奴隷の如くに画いたのに反対する。「実際、此等の中の或るものは、行き過ぎているように思われる。信者がその心情の腐敗を支配しているという事を殆ど許さないで、むしろ、それに対して、奴隷の状態にあるように画くことに於いて。そして、此の理由によって彼等は、殆ど、信者と不信者との間の区別を捨て去ってしまうのである」(註8)。併し、此のような彼の言葉によって、彼が信者に於ける、深き原罪の事実に盲目であったとすることは出来ない。それは、前述せる如き、信者に於ける罪を、如何にウェスレーが深く把握していたかを見れば明らかである。彼の此の言葉は、常に倫理的な面を見つめていた彼らしい言葉として、現実に、未信者が信者になってからの倫理的生活の向上を表現した言葉として理解すべきであろう。「実際、キリストは罪が支配する心に於いては支配し得ない。又、彼は、何らかの罪が許されているところには住まないであろう。併し、彼は、凡ての罪と戦いつつある凡ての信者の心の中にあり、住んでいる」(註9)。それ故に、信者は罪を支配するという言葉の意味は、信者が常に罪と戦うものだという事である。されば、ウェスレーの意味した、キリスト者は凡て赤児の意味に於いて完全であるというのは、キリスト者は、凡て、絶えず罪と戦うものであるという事であると結論してさしつかえないであろう。





(註1)併し、其の時(義認の時)に、我々は全く変化せられたのか、或いは、我々を造り給うたところの最初の姿に変えられたのか。決してそうではない。我々は尚、罪の深淵を保持している。Wesley ; "Sermons on Several Occasions" Vol.?p.124
(註2)併しながら、同様に我々はこのことを確信せねばならない。即ち、我々の心情に罪が残っているが故に、罪は我々の言語や行為の全てに対して固着するという事である。Ebenda Vol.?p.119
(註3)Ebenda Vol.?p.110
(註4)併し、此れにも拘わらず、我々が福音を信じた後にも必須であるところの悔改めと信仰とがある。然り、如何なる我々のキリスト者のコースの続く段階に於いても。さもなければ我々は、我々の前に置かれた駆場を走り得ない。そして此の悔改めと信仰とは、以前の信仰と悔改めとが神の国に入るのに必須であったように、我々が恵みの中に継続し、成長するために必須である。Ebenda Vol.?p.116
(註5)次のような事を言うな。”併し、私は充分には悔改めていない””私は、私の罪に対して、充分には鋭敏ではない”と。私はそれを知っている。私も神に対して、あなた方がそれらに対してもっと鋭敏であり、現在よりも何千倍も悔改める事を望んでいる。併し、此のために停滞してはならない。多分、神があなたにそのようにして下さるだろう。あなたが信ずる前ではなくて、信じる事によって。Ebenda Vol.?p.60
(註6)Ebenda Vol.?p.119
(註7)Ebenda Vol.?p.114
(註8)Ebenda Vol.?p.108
(註9)Ebenda Vol.?p.111



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